蒼穹 -そうきゅう-


ある聴覚障害者から見た世界
by bunbun6610

第44回 池袋ふくろ祭り (1)

 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%C3%D3%C2%DE%A4%D5%A4%AF%A4%ED%BA%D7%A4%EA&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=

 →http://www.yosakoitokyo.gr.jp/fukuro/index.htm

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# by bunbun6610 | 2011-09-26 22:00 | 祭典

ドン・マッケイ氏の講演(2009年12月)から

JDFセミナー『権利条約の原点とわが国の課題』をふり返って

2009年12月1日に行われたJDF(日本障害フォーラム)主催の、
表題について述べます。

当日は、元・国連障害者権利条約特別委員会議長ドン・マッケイ氏の基調講演の他、
当事者パネルディスカッションが行われました。

以下は、マッケイ氏講演内容のあらましです。

マッケイ氏の国連でのデビューは2004年1月の作業部会です。
以後に、全ての特別委員会に出席しました。

最初、委員会は泥沼だったそうです。(※1)
作業部会はマッケイ氏のリーダー・シップのもと、進められたそうです。
その道のり自体がインクルーシヴでなければならない、
という信念のもとに動いた。
そして、建設的なまとまりになりました。


(※1)これは丁度、堂本暁子知事時代に千葉県が障害者差別禁止法
(名前はこの通りではありませんが、実質的にはこの法律
〔海外ではそう呼ばれている〕のこと)をつくるため、
障害を持つ人が集まり、初めは自己主張しあっていたのと、
同じ状況なのかもしれません。
                                   (筆者追記)


しかし、ここからスタートした。
これは民主主義の根幹部分といえます。

<マッケイ氏の語録>
 「角をためて牛を殺す」
 「全部の合意がなければ、一部分の合意もない」
 「愛がなくても、同じ屋根の下で暮らせればいいのか?」

交渉過程から、いつも心にあったのは「条約制定は困難だ」ということ、
それと障害の種別を超えることの意味だと。
だから障害者同士の結束が必要でした。

当初は、新たな先見的な条約に、どこの国も消極的でした。
不要論もあった。
これは、理論的には正しかった。

しかし、世界の障害者の現実はそうもいかなかった。
政府によって、権利の優先順位を低くされた人がいたからです。
女性差別など、かなり早くから、その撤廃の必要が認識されていました。
つまり、特定の人を対象とした法が必要なのです。

障害者に関する統計を見れば、特別の行動が必要なことは明らかです。
世界銀行の調査では、世界の最も貧しい人々は、障害者の20%であった。
ユースの30%は、障害を持っている。

障害のある女性は特に差別を受けやすい。
暴力を受けることもある。
あるいは教育の差別も残っており、識字率1%というデータもある。
したがって障害者の権利の追求が必要なのである。

障害者の8割は、途上国に住むといわれている。
また先進国でも、高齢になると障害者になる人が多くなります。
平均年齢が70歳を超えると、平均8年間障害を持つことになります。

障害は紛争、戦争でも起こっている、という現実も無視できません。
2005年サミットで、これらの課題対応のための条約が必要と認められました。
人権全般を扱った条約では、グレーゾーンも残ってしまう。
自由権があっても、配慮がなければ、無いに等しい場合もあります。
否定的、あるいはステレオタイプな態度をとられないようにすることも、
この条約が役割を果たし、その重要性が認識されるようになります。

交渉が成功裏に進んだ理由は、長年の献身的な、たゆまぬ努力の結果でした。
障害者の人権、新しいアプローチが表れたのは1970年代です。

1980年、国際的に障害者の状況改善努力がなされるようになり、
1981年の国際障害者年もその一つとなりました。
テーマは「完全参加と平等」。
その後、『国連障害者の十年』に。
このとき、新条約をめざす動きがありましたが、成功しなかった。

1993年、機会均等法に関する国連決議がありましたが、
法的拘束力はないものでした。
ジュネーブの国連人権委員会で、様々な決議があり、
「ウィーン宣言」もそのなかで出されたものです。
そして、2001年が障害者権利条約の契機となりました。

メキシコ政府がダーバン宣言のなかで提案しました。
最初は困難視し、反対する国もありました。
肯定派も、内容で割れたりしました。
第2回特別委員会で、障害者団体の努力による提案が多数集まりました。
そこで、条約の内容を考えてみました。

どのようなモデルがあるのか?

 まず、
①世界人権条約のような、あらゆるものを網羅した包括的な条約
②限定的な条約
③①と②の混合型条約
 の3つです。

包括的な人権条約のなかで、「ゆりかごから墓場まで」を求めることにしました。
国連で通例の政府代表が前の席で、
NGO団は後ろの席に着席、というのはやめ、混ざり合いになりました。
また、すべての人に発言権が与えられ、完全な相互対話となりました。
そして、障害者が自らの経験を自然に、自由に語り出したのです。
論争ではなく、対話になったのです。

この光景からは、国連で働く職員も学ぶことが多かった。
2004~2006年は、紆余曲折があったが、草案の完成に向け、進められていきました。
そして、議長草案がつくられた。
期限日の金曜日、夜8時の10分前に、作業を終えた。
権利条約は、社会福祉から人権へ、パラダイム転換した。

これは、障害者個人の権利に焦点を当てたもの。

 1.社会へのインクルージョン →これが中心要素。分離施策ではなく、享有,共生。
 2.人々の態度を変える。
 3.アクセシビリティ。

その国の個人の権利が侵害されたとき、障害者権利委員会
(専門家12人→18人に増員)に不服を申し立てる。

様々な救済措置が行われ、それでも解決しない場合、
国連障害者権利委員会に提訴する。

締約国は2010年には、初めてこの状況の実施報告をします。
2009年11月で143カ国が条約に署名しています。
87カ国が選択議定書に署名。
72カ国が批准しています。
EUも11月26日に批准した。

日本政府は選択議定書には署名していません。
権利条約本体と関係のあるこの選択議定書は、条約に追加するものです。
だが、これに署名していない国もあります。
選択議定書は、個人の不服申し立てに関するものです。

例としては、政府は委員に報告します。
これはつまり、障害者に不服申し立てをしてほしくないということです。
こういうのは自由権、女性差別撤廃条約にもついているが、署名しないこともできる。
不服申立の前に、救済措置の対応があります。
そして、国内の裁判手続きを経てから、国際委員会へ、
つまり司法手続きを通じた筋となります。
いわば、セーフガードのようなものです。

権利条約は、特殊な面があります。
国が受け入れるべき条項が、
社会権規約、自由権規約に分かれています。
日本政府は、社会権規約の意味を認識していないのではないか。
障害者は差別を受けない権利を持っているが、
社会権が保障されていないとどうなるか。

 自由権…障害者は差別を受けない権利を持っている。
 社会権…これがないと、権利の執行ができない。例えば、アクセシビリティなどの面で。

2つの規約には違いがある。

「国連機関のリードを待つだけでなく、各国の障害者団体も積極的に活動してほしい」とも。(※2)

(※2)これは「日本の課題として、障害者が先頭に立って取り組むべきもの」
というメッセージのように、私には聞こえました。
                                  (筆者追記)


最後に、

「きしむ車輪が油を得られる」
(諺…「音を立てれば、人々は聞いてくれる」という意味。)

という諺を伝えてくれました。(※3)

(※3)逆に言うなら「言わなければ、何も変わらない」ということになるでしょうか。
                                    (筆者追記)


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# by bunbun6610 | 2011-09-26 21:14 | 国連・障害者権利条約

ものまねタレントのコロッケさんも、難聴(4)

 →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=47502

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難聴(4)聞こえない分 膨らむ想像

上京した翌年、20歳の時に、芸人の登竜門「お笑いスター誕生」に出場した。
表情やしぐさの形態模写だったが、「似ている」を超越した芸で観客の度肝を抜いた。

沸騰したやかんに触れながら「アチョー」という声を発するブルース・リー、
コミカルな顔で舞台を左右に動くちあきなおみ、早送りの野口五郎――。

「本物に何かを付け足すのがコロッケのものまね。
僕は耳が聞こえないことで、どんな音なんだろう、どんな人なんだろうと想像して、
頭の中で勝手に処理するクセが付いている。
それがプラスに影響したんじゃないかと思います」

1987年、テレビ番組「ものまね王座決定戦」で優勝。
「ものまね四天王」と呼ばれるようにもなり、重圧も感じ始めたころ、
業界の大先輩にこう言われた。

「目で聴きなさい。耳で見なさい。あなたにはそれができる」

自分の右耳が聞こえないことを知らない人だった。
「『想像を膨らませなさい』ということだと受け止めたんです。
そして、自分は耳が聞こえないことで、自然にそれがやれているんだと初めて
意識した」

それからは肩の力が抜け、芸はますますパワーアップした。
野口五郎には鼻をほじらせ、五木ひろしはロボットになった。

「想像は無限大。聞こえない分、想像を膨らませることができて幸運です」

(2011年9月22日 読売新聞)


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ものまねタレントのコロッケさんも、難聴だった。

   (1) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46339 
   (2) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46824
   (3) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=47199&from=popin

の続編です。

ろう者の俳優や日本手話指導者で、ものまねが上手な人って、
結構いますよね。

そんな人たちがもっとテレビに出ても、おかしくはないと思うのですけど。
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# by bunbun6610 | 2011-09-26 20:47 | 難聴・中途失聴
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