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飲み会での筆記通訳

通訳や、1対1での筆談の場合は、
話し手の気持ちが伝わる表記が多いのですが、
筆記だと、どうも違います。

もしかしたら、通訳は話し手の気持ちを
代弁できるのかもしれないし(※)、
筆談は話し手自身が書いているので、
気持ちが表れる場合が少なくありません。

しかし、筆記の場合は、筆記者が

「田中さんが『※※』と言っていたよ」

と簡潔に伝達するのみという、
淡々とした事実表記に終わっている
ような気がするのです。


『※※』の一例が「飲み足りない」(筆記)だった場合があります。
実際の言葉はもっと長いもので、例えば

「チッ! もう終わりかよ。
飲み足りないなぁ。
もっと(酒を)出せ!!(部長の方をチラッと見て)」

と言っていたとします。
しかし、筆記文を読む聴覚障害者には、言葉のニュアンスとかは
全然伝わってきません。
それでも、聴覚障害者には
「皆笑っているのに、(自分だけその理由がよく分からないのは)
どうしてだろう?」
と疑問に思うわけです。
それは、周囲の状況を見ているので、勘でわかるのです。

しかし、あくまでも勘は勘です。
勘に頼りすぎて自己判断するあまり、失敗した経験
(間違えて失礼に当たることになってしまった場合)も、
山ほどあります。
だから、会話の結果だけでなく、過程や理由がわからなければ、
むやみに笑ったりできないのです。

それでも、無反応では無愛想だと思われるのが心配なので、
皆が笑えば自分も笑うという「微笑み障害」なんか演じていたり
していました。
これも本当はイヤでしたが、他にどうしようもなくて、
ガマンするしかありませんでした。


読者の方も、もし、こんな事例だとすると

「田中さんが『飲み足りない』と言っていたよ」

という筆記文だけでは、原文にある話し手の気持ちを
十分に感じとることができますか?

原文の通りならば、皆が笑っていた理由がわかります。
ですから、聴覚障害者もそれを知ることができれば、
心底、笑えます。

しかし、

「田中さんが『飲み足りない』と言っていたよ」

だけでは、具体的な点まではわからず、
面白さも伝わってこないので、
聴覚障害者だけはやはり笑えないと思うのです。
飲み会での筆記では、おそらく、こんな問題が結構あるのだろうと、
私は思っています。


筆記文は、話している時間に比べたら、
あまりにも短いものです。
肝心の『※※』だって、話し手の言葉通りでないと明らかにわかるし、
それは未来形、現在形、過去形というようなことばかりが強調されて
見えるような気がします。

それに、誰々が言った、ということがわかるときには、
もう全然違う話になってしまっていて、
読んだことについての言い返しは難しくなるものです。
要するに、音声会話のリズムについてゆけない、という、
これも虚しい結果になります。

それだからといって

「自分は参加しても、面白くない」

と言ったら失礼なので、そのまま1時間、2時間と
ずっとガマンして、単調な文章を見ているだけに
なってしまいます。
それはちょうど、ほとんど無口な人とか、
単純な話しかしてくれない人を相手に、
時間を過ごしているようなものになるのです。

つまらないし、自分も平等に飲み代を払っているのだから

「いっそのこと、自分の分だけ先に食べて飲んで、
さっさと帰りたい」

という気持ちに駆られます。

「いや、でもそんなこと、できないだろ」

「この聞こえない状況では、なかなかそれを言い出せる
タイミングがわからないし…」
(マナーとか、場がシラケてしまうのを恐れて…)

「筆記してくれる人に、後で気まずくならないだろうか?」

「いや、ここまで来て、こんなことを考えるくらいだったら、
最初から出なきゃ良かったんじゃないか?」

こういった心の中の葛藤、自己嫌悪に苦しむ飲み会に
変わっているのです。
基本的に、筆記通訳をしてくれる配慮が悪いわけではないのだけれど、
聴覚障害者だって同じ人間ですから、毎回そのような飲み会では
満足できないのは当たり前なのではないでしょうか。

それに、そのような飲み会にすると、2回目には参加者が減ります。
なぜかは知らないのですが、おそらく、上司から

「今度の飲み会の、聴覚障害者への筆記はキミがやって」

と言われるのを、健聴者は嫌がるからではないでしょうか。

これは、私の想像の範囲に過ぎませんが。

だから私としては、飲み会での筆記配慮はありがたい気持ちどころか、
気が重たくなるのです。
結局「それなら出ないほうがいい」ということにするのです。

一方、自分で通訳者を用意して参加する場合は、
問題ないと思われるかもしれません。
でもこれだって実際は、状況によっては、
使えない場合もあります。

飲み会のような、よく混沌とした会話が起こる場では、
通訳があっても、それをみんなで上手に使いこなさなければ、
やっぱり聴覚障害者は、通訳を見ているだけになってしまう
場合もあるからです。
これは、下の三宅初穂氏の言葉を思い出してみて下さい。

「4つ目、これは健聴者のコミュニケーションの問題です。
そもそも、通訳者がどんなに努力をしたとしても、
解決の図れないことがあります。
その場にいる人すべてがこの場のコミュニケーションを
成立させるという意思を持たない限りは、
コミュニケーションは成立しないということです。」


※ 当ブログ『聴覚障害者への情報保障の問題点』(2011-10-19 23:00)も参照。

(※)利用者である聴覚障害者には、原文がわからないので、
どの程度までわかるのかは、実際のところ、考えようもありませんが。


ところで、聴覚障害者に適した情報保障の方法に、
もう一つ、特殊な例があります。

通訳というより、講演会で使われる情報保障として、
「要約筆記(パソコン使用含む)」の他に、
下の『パソコン文字通訳』というのがあります。
これは、要約筆記通訳とは異なります。

『文字通訳 キャプショニング・ペガサス』
 →http://pc-captioning.jugem.jp/

この場合は、言語・原文を忠実に再現したテープ起こしに限りなく
近い通訳文になっているようです。
通訳スピードも申し分のない速さで、健聴者も驚嘆の声を上げていました。

勿論、これは聴覚障害者にも、かなり評判が良く、
聴覚障害者を雇用している企業や、自分の仕事で使う聴覚障害者も
いるそうです。

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by bunbun6610 | 2011-10-31 22:29 | 情報保障・通訳

要約筆記通訳を要望した理由を説明

Q社での就労後問題(日記から)

2011年10月31日(月)

労働組合がREEDワンコイン・フォーラム開催を
発表したので、10月28日(金)に問い合わせを
してみた。

「要約筆記者を自分で連れてきて参加したい」

と伝えたところ、今日、TさんとW・Yさんが職場に
直接に来て、説明してくれた。

「最初のチラシには聴覚障害者への配慮を
忘れていたので、修正した」

という。
それから、私は

「この場合は、自分は手話通訳ではなく、
要約筆記通訳を使いたいので、自分の希望を
許可してほしい」

と伝えた。
Tさんは

「手話通訳よりも要約筆記を希望する理由は?」

と聞いてきた。
私は

「手話が母語のろう者と違い、私の母語は日本語
なので、このような講演内容で、
長丁場になる場合は、
母語で読める要約筆記のほうがいい」

と説明した。

Tさんは、

「組合側へ伝え、要約筆記通訳者を組合で
派遣依頼できるかどうか、聞いてくる」

と話した。
Tさんに決定権があるわけではなく、
即回答とはいかない。
要約筆記と手話通訳の両方の費用負担は
難しいのではないか?

ただ、S書記長の

「現在、セミナー等の全社集合的なものについては
通訳手配等を行う予定でいます」

に則って、実施に向けて努力してみたいようである。
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by bunbun6610 | 2011-10-31 18:00 | C.クレジットカード会社

筆記通訳?

就労後の聴覚障害者問題(R社

―筆記通訳は、合理的配慮か?―


「筆記通訳」という言葉は、本当は存在しないと
思います。
しかし、健聴者は聴覚障害者への合理的配慮
として、筆記をして情報保障(通訳)している
つもりのようです。

私が都内の五ツ星ホテルで働いていたときの
体験です。
そこは全社員対象(障害者も含めて)のセミナー、
研修のようなものを積極的に行っていた企業
でした。

『企業の財産は人(従業員)』という、
フランス人社長の経営理念に基づいて、
熱心に社員教育を行っていたようです。

世界各国からのお客様が集まる五ツ星ホテル
ですから、一人ひとりに、仕事の意識を持たせる
努力をするのは当然だと思いました。

ただ、社長の部下まで、本当にそう考えていた
のかまでは、わかりません。

というのは、聴覚障害者を雇用しているのに、
社内のセミナー、研修に通訳はつけられ
なかったからです。
朝礼もほとんど毎日あり、そこに私も座って
話を聞いていました。

でも、当たり前のことながら、私だけ聞こえません。
もしも耳の不自由なお客様がいらしたら、
五ツ星ホテルがそんな対応をするはずが
ありませんよね。
でも、従業員同士でやっていることは、
そのまま仕事にも出てしまうものです。

そうした場合に、会社の障害者雇用方針として、
聴覚障害者の横に誰かがつき、内容を
ごく簡単に筆記してくれることになっていました。
いつも同じ人が担当するのでなく、交替して
いました。

昔では考えられなかった、このような企業の
対応に、私は感謝の気持ちを当然持ちました。

ただ、本物の通訳を知っている私は、

「本当にこれでいいのだろうか?」

という気持ちも、抑えがたかったのが正直な
ところでした。

その時は、当ブログ

『これでいいのか?
 健聴者が一方的に考えた聴覚障害者
情報保障の実例から』
〔2011-09-12 22:17〕


のことも、勿論、思い出しました。
やはり

「これじゃ、いけないな」

と思いました。

朝礼のとき、頑張って書いてくれる人もいれば、
ほとんど何も書かない人だっています。

それに対して、誰も文句は言えません。
「書いてもらっているんだから」
という気持ちが、皆にあるからです。

しかしそれでは、私という立場からは、
感情的にも非常に悪いのです。
同じ経験をされている聴覚障害の方ならば、
この気持ちは理解できるでしょう。

しかし健聴者のなかには、理解できない人も
少なくないと思います。

私は、こうした筆記は、善意による行為であって、
それ以上のものだとは思いません。
勿論、これは通訳ではなく、通訳代わりにも
なりません。
これは、合理的配慮ではないと思います。

合理的配慮に「可能な限り」という言葉が
入ろうとしていますが、こうなると、この筆記が
通訳代わりとされてしまう可能性が大です。
しかし、これは断じて「合理的配慮」ではないと
思います。
“善意”も合理的配慮の一つだと思われたら、
聴覚障害者はたまったものではありません。
善意と合理的配慮は違うのだ。
権利保障のためには、それをわかって
もらわなくてはならない。

こういう方法を、1時間も座って話を聞かなければ
ならないセミナー、研修のときにも、使われていました。

私はその1時間、感謝の気持ちに満たされて
いたのではありません。
怒りを堪えて、ガマンし続けていました。
毎回そうだったのです。
この辛い体験が、今の主張、自分の障害者運動
の原動力でした。

私の隣りで筆記通訳をしていた、ある先輩は、
その1時間の間に、わずか4行しか書きませんでした。
それでも、そこで静かにして聴いていなければ
ならないのですから、先輩と文句を言い合うわけ
にもいきません。

先輩だって、私のために通訳をする
(できるわけがないのだが)
よりも、自分も講話をよく聞きたいし、
その権利があります。

ですから、これでは私が自分の権利を主張すれば、
今度は先輩の権利を侵してしまうのではないか、
そう考えて遠慮しています。

ですから、こんな方法では、やはりダメなのです。

また、別の先輩の場合では、先輩は途中で眠り
こけてしまい、書く手が止まっていました。
それでも、同じことです。
先輩は疲れている。だから、私のためでなく、
自分のために居眠りをする権利だってあるのです。

私はその反対に、研修の講話の内容をきちんと
知りたかったのですが、諦めました。
これは私の権利の放棄ではなく、
この配慮がまさに私の権利への侵害行為に
当たる、と確信しています。
私に言わせれば、これは「非合理的配慮」を
提供された、ということなのです。

プロの通訳者だったら、勿論、こんなふうには
なりません。
聴覚障害者の権利も、その周りにいる人の
健聴者の権利も、きちんと考えてくれます。

たとえ、通訳すべき相手が眠ってしまっていても、
通訳はそのまま通訳を続けてくれるでしょう。

これで筆記と通訳との違いの一面が、
おわかりになるかと思います。

もう一例を今後に掲載したい、と思います。

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by bunbun6610 | 2011-10-29 22:36 | 情報保障・通訳(就労)

ADAと『障害者の経済学』

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html


次の文は、当ブログのカテゴリー『障害者の経済学』とも、関連している話だと思います。

「私はホテルを出た。すぐ近くにあるアメリカ政治の中心、連邦議事堂を見上げると、タクシーを待つ列に加わった。
すると偶然私の後ろに、スーツ姿の青年が、明るいオレンジ色の車椅子に乗ってやって来た。
タクシーはすぐそこに二台停まっている。ホテルのドアマンが、私のために一台目のタクシーに合図をすると、二台目のステーションワゴン風のタクシーも一瞬こちらに向かう様子を見せた。が、この車は突然Uターンして一気にスピードをあげ、瞬く間に議事堂の方向に走り去ってしまった。
すでにタクシーに乗っていた私は、車椅子の青年が気にかかって後ろをふりかえった。彼は別のタクシーを待っている様子で、怒っているようには見えない。たったいま起こったことは日常茶飯事なのだろうか。感情が害された様子もなく、全く気にしていないふうにさえ伺えた。
私は、多発性硬化症協会から表彰された男性を思い出した。世界で最も近代的な都市の真ん中にいるのに、交通手段がないという理由ですぐ目の前にある通りを渡れなかった彼だ。
青年をおいて去っていったタクシーの運転手は、車椅子をたたんでトランクに入れる煩わしさが嫌だったのかもしれない。
だとしたらあのオレンジの車椅子の彼は、タクシーなしでどうやって仕事場や家にたどりつけるのだろうか。ワシントン運行のバスの中でリフトが設置されているのはほんの一握りだ。また、地下鉄はアクセスがよいとされているが、それもエレベーターはよく故障するし、ワシントン市全域は走っていない。ということは、交通手段のアクセスが整備されていなければ、家庭生活にしても、仕事にしても、彼の生活の行動範囲はだいぶ制限されてしまう。それに、仕事があって初めて日常のアクセスも問題にされる。
彼のような人が行き場をなくせば、国の社会保障制度に頼るようになる。ということは、社会は、障害者に、働くことではなく福祉制度に依存することだけを期待しているのだろうか? もしそうだとすれば、そもそもそういう人たちに適切な教育を提供しようという発想が生まれるだろうか?



【2011年11月5日追記】
 『―障害者の権利意識の向上は、より公正な社会へ変える―』

タクシーに関して、車椅子障害者に対する差別的行為で
社会問題になったことが、日本でもあります。
それはもう、20年以上前の出来事ですが。

その「許せない」と思われた行為は、
新聞の読者投稿欄に掲載され、
反響を呼んだのがきっかけでした。

投稿者はおそらく、当事者(障害者)ではないと、
私は感じています。

本人が書いた内容には見えなかった、ということもありますが、
やはりその頃は、障害者が健常者への差別行為を公に指摘したり、
自分の権利を主張するようなことは、
無いに等しかったからです。

それよりもう少し前には、
障害者の実生活を描いた映画『典子は今』

(→http://movie.goo.ne.jp/movies/p17087/story.html)

が、多くの健常者から感動を呼んでいました。

両腕が使えない典子さんが、普通の人と同じように事務系の仕事をし、
自立生活を営んでいるところを描いた
ドキュメンタリー映画だったと思います。
(もし、違っている解説でしたら、スミマセン)

けれども、
『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
の訳者(秋山愛子)あとがきには、次の記述があります。

「…車椅子の彼女はひたすら恐縮していた。『すみません。すみません。すみません。もういいですから』。彼女の言った一字一句は覚えていないが、『これ以上皆さんにご迷惑をおかけしたくない。私さえあきらめればいいのですから』というニュアンスが感じられた。
私は思わず怒った。『なんでそこまで皆に謝る必要があるの? バスの機械が壊れているだけよ。謝る必要ないよ!』私の頭からは湯気が立ち上っていたに違いない。」


これが、日本の障害者の現実でした。
日本の障害者たちは健常者が押しつけてきた考え
(障害者はこう生きるべき、という考え)の抑圧から
解放されていないようで、ひたすらガマンし、
自己努力して障害を克服し、周囲の健常者に迷惑をかけないように
生きるべき、というのが美徳とされていた時代でした。

そんな時代に、健常者の差別行為を怒った人も、
やはり障害者本人ではなくて、その介助者
(つまり、健常者ですが、家族か友人の方かもしれません)
だったのではないか、と私は思っています。

さて、その方の投稿文の内容ですが、
記憶が曖昧なので、だいぶおおざっぱにしか書けませんが、
次のような感じでした。

「私(健常者で、おそらく家族か友人の人)は、
車椅子障害者と一緒にタクシーに乗ろうとしましたが、
運悪く、意地悪な運転手さんが乗っているタクシーでした。

車に乗り込むとき、

『何だよ! 車椅子障害者かよ!
こっちは忙しいんだ!
もう、 いやんなっちゃうな。
乗るなら早くしろ!』

などと言われながらも、私たちは悔しさをガマンし、
タクシーに乗り込みました。

乗車中にも悪口を言われ、そして着いて降りるときにも、
また同じことを言われました。
私は、このタクシー運転手の言ったことは、
許せないことだと思います」

新聞でこれを読んだ人たちが、新聞社に抗議文を出し、
続けて、それも載るようになりました。

警察にも「この運転手のやったことは、犯罪だ」と伝えられ、
容疑者探しが行われました。
手がかりがほとんどないので、見つかりませんでしたが。

その頃は聴覚障害者も、私の知人ですが、タクシー運転手に
冷たい態度をとられたことがありました。
「タクシー券」という、障害者が使える福祉割引券があるのですが、
タクシー運転手に「面倒だから使えません」と言われた、
という話でした。

タクシーに関しては、昔は他にも、
障害者に対して、いろいろな差別的事例があっただろうと思います。

今では、こんなことを見たら、障害者のほうも
黙ってはいないかもしれません。

終章『障害者運動はアメリカをどう変えているか』は、圧巻です。

障害者の権利意識の向上は、社会全体に存在する不公正を
是正する原動力になるでしょう。

お互いに言い合える関係は面倒というより、
むしろいいことなのです。

健常者も障害者に対して、ハレモノに触るかのような
接し方はしなくていいのです。
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by bunbun6610 | 2011-10-29 21:36 | 哀れみはいらない

通訳と筆談、筆記との違いについて

【お断り】
この稿は、あくまでも個人的に、試しにまとめてみた
記述です。
要約筆記については、勉強したこともありませんので、
これは自分の経験から、思ったことを書いているに
すぎません。

聞こえない人、また要約筆記通訳を利用した立場
からのものなので、話し手の原文は勿論、
全く知りませんし、
原文と通訳文との比較も、したことがありません。
(それは基本的に不可能なことです)

個人的で、大ざっぱな考え方で申し訳ありませんが、
最近、通訳と筆談、筆記のことが
しばしば出てくるようになっているので、アップする
ことにします。

【用語の個人的な定義】
まず、後で混乱のないように、ここで言う「通訳」「筆談」
「筆記」という語句の、それぞれの定義(これも個人的
なものです)をしておきます。
これは、私の考える場合の、ここだけでの限定的な
定義ですが。

『通訳』…下記ホームページにある派遣センターで、
聴覚障害者が用いることができる手話または要約筆記
・パソコン通訳が、主なものです。
 →http://www.tokyo-shuwacenter.or.jp/



(また、例外的な方法としては、プロの
文字通訳集団「ペガサス」というのもあります。

 → http://captioning.main.jp/ )


『筆談』…通常は健聴者の話し手が、聞こえない人に
伝えるために、自ら書いている方法。
聞こえる人同士が話すときには当然、この筆談は
ありません。

主に健聴者と聴覚障害者が1対1で会話をする場合
に用いられるようです。
実際は会話より、仕事についての一方的な指示、
説明のときに使われる場合が多い。
同じ日本語とはいえ、音声語とは異なることに、
これから注意深く考えてみて下さい。


『筆記』…職場でよくあるのが、通訳を使わず、
話し手の話すことを、誰か(同僚、先輩や上司)が
聞き取り、紙に内容を簡単に書いている方法です。

見ると、メモ書きに近いものから、人により、
いろいろになると思います。
これも、職場では聴覚障害者に情報を伝える方法
の一つになっています。

ノートテイクと似ていますが、書く人により、かなり
のバラツキがあります。
練習と経験を積んだボランティアの人もいますが、
プロの人はいません。
逆に、素人、書くのが苦手な人が書くことになって
しまうケースは、かなり多いです。


ケース1.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
パーティー、冠婚葬祭の場など。


【通訳】その場の雰囲気がわかる(見た目の状況
だけでなく、周りのコミュニケーションの雰囲気が
わかる)。
通訳はどんなときも、可能な限り通訳をしてくれます。
この場合の「可能な限り」とは、
訓練された要約筆記者の書く能力を最大限使って、
要約筆記通訳をする、という意味になると思います。
(要約筆記を勉強したわけではありませんが)


【筆談】相手により、ある程度は書く人もいます。
時間がかかるので、忙しい時などは書かれない
場合が多く、相手にされない場合が多くなります。


【筆記】その聴覚障害者に話しかける場合以外には、
書かれることはほとんどありません。


ケース2.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
パーティー、冠婚葬祭の場など。


【通訳】周りの人が、どんな言葉遣いをしているのか
わかります。
(言葉のマナー、TPOを学び、それを自分も実践する
ことは、自分もその場の音声コミュニケーションに
混じるには、重要である)


【筆談】相手により、省かれることもしばしばです。
細かな言葉までは、なかなか書いてくれません。

【筆記】書かれないか、たとえ書かれるとしても簡素化
され、箇条書きのような書き方が多いので、
音声のような言葉遣いはされない場合が多いです。

ケース3.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
また、会社面接や講演会など、幅広い場で。


【通訳】話の内容が詳細で、流れがよくわかるので、
自分の対応をきちんと考えられます。


【筆談】特に健聴者同士の話し合いの後では、
理由や原因は書かれなかったり、
そそくさに書かれるだけなので、結果だけ伝えられる
だけ、の場合が多いようです。
相手のしてくれることが、実は命令調のようにも
思えてしまう。


【筆記】情報不足のため、自分も簡単になりがち。
分からないことが多いのに、深く考えることは、
むしろ危険だと判断しやすい。


ケース4.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
幅広い話し合いの場で。


【通訳】話の内容が詳細で、流れがよくわかるので、
その人のことについて、詳しく知ることができ、
自己判断ができる。
相手の人格も判断できる。


【筆談】まず「この人は筆談してくれる人だから」
という思いから、人格をフェアに判断できないような
気がします。
悪い人には思いたくないし、相手の人格に疑問視し
ても、ガマンする場合が多い。


【筆記】自分を人格と見ていないような扱い方をされて
いる場合が多く、その人の人格がわからない書き方が
多い。
(そもそも、そんな筆記で判断するほうが論外という
気がする)


ケース5.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。


【通訳】誰の音声発言でも書く(通訳を行う)。
皆の話していることに関心が持てて、思考が働く。


【筆談】自分が相手でない場合には、書かれない。
自分だけ疎外されてしまう。


【筆記】全く書かれない。完全に疎外されてしまう。


ケース6.)
会社面接。討議の場など。
特に、自分も遠慮のない意見を言うべき場で。
自分の主体性を発揮すべき場で。


【通訳】プロの通訳者がいれば、何も心配せず、
自分らしく意見を言える(自己実現、主体性の発揮)。


【筆談】筆談では、時に「書いてやっているのに」という
気持ちが伝わってくる相手の言い返しを聞くこともあり、
自分の人権が相手と対等になっていないような気がする。


【筆記】筆記は、コミュニケーションにならない。
もともとこれは、コミュニケーションではない。


ケース7.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
仲間づくりの場で。


【通訳】コミュニケーションの仲間に、聴覚障害者も
入ってゆける。
コミュニケーションに割り込みできる。
これをキッカケにして、人間らしい人間関係の構築が
初めて可能になる。
(ただ、要約筆記では放射状の音声会話について
ゆけるわけではなく、限界がある)


【筆談】いろいろな人がいるので、コミュニケーション
の仲間に入ることは難しい。


【筆記】コミュニケーションの仲間に入ることは難しい。


ケース8.)
セミナー、講演会の場で。また、会議など。


【通訳】話し手の魅力、その反対の欠点もわかる。
通訳は、それをすべて、素直に書く。
だから、仲良くすることもケンカすることも自由である。
(ただし、ケンカするために通訳があるのではない。
通訳を生かして何をするのかは、自分次第である。)


【筆談】筆談してもらう相手と、ケンカはできない。


【筆記】仲良くもケンカもない。お互いに、無関心に
なりがち。


ケース9.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
また、対等関係で話し合いたい場合。


【通訳】筆談のように、一方的な押しつけはされないで
済む。
相手を冷静に見れる。


【筆談】筆談だと「書いてくれているんだから」という
有り難味があるので、その人を過大評価してしまう。
(そういう意味でも、だまされやすい)


【筆記】自分に格差があるという状況では、むしろ、
相手を過小評価してしまっているかもしれない。


ケース10.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。


【通訳】聴覚障害者のなかには、健聴者の長々しく、
そのうえ、何を言いたいのかわかりにくい筆談には、
嫌気がさす人もいると思います。
しかし要約筆記では、相手がそんな話し方でも、
結論がわかりやすい。

また、筆記よりもはるかに内容が詳しいので、
相手の話を聞く間、暇つぶしをして待つのではなく、
相手の話し方にも関心が持てるようになる。


【筆談】結論がわかりにくい筆談をする人もいる。


【筆記】何を言いたいのか、わかりにくい場合がある。


ケース11.)
集会など、コミュニケーションが目的の場。
屋外でのコミュニケーションなど、ノートテイク利用の場合
など。


【通訳】通訳は聴覚障害者と相手との意思疎通を
目的としている。
そのために、可能な限り、臨機応変に対応する場合
もある。


要約筆記の本来の仕事ではないようですが、
話し手の説明によっては、イラストを使用する場合
もある。
(書き言葉だけでは伝えることが難しくなる場合で、
カメラ講座とか図解を交えた方がわかりやすい場合)

屋外では筆談も筆記も全くされなくなってしまうが、
要約筆記はしてくれる。


【筆談】筆談はとにかく、書くことに慣れていない人
も含めて、健聴者が日本語で書いて伝えることに
執着しがち。

しかし、書くのが大変、面倒と思う人には、感情の
コントロールが出来ずに汚い字や、拙い文を書く
人もいて、意思疎通にならない場合もある。

しかし、通訳がいると、そのような健聴者でも
落ちついて話すことができ、後は通訳してくれるので、
聴覚障害者も理解しやすい。


【筆記】たとえ健聴者には、筆記で十分伝えられると
思われていることでも、簡素すぎて、受け手に重要
と判断されなかったり、心に響かない手法(筆記)に
なってしまうと、聴覚障害者には捨て去られてしまう。

それは、捨て去ってしまった聴覚障害者のほうが
悪いのか、よく考えてみてほしい。

以上


要約筆記通訳は、話し言葉をそのままには書きま
せんが、話の内容がわかるように要約されています。
これと筆談、筆記の違いがわかる方法として、
次の書籍も参考になると思います。

『中途失聴者と難聴者の世界』(山口利勝/著)より。

 →http://books.google.com/books/about/%E4%B8%AD%E9%80%94%E5%A4%B1%E8%81%B4%E8%80%85%E3%81%A8%E9%9B%A3%E8%81%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.html?id=-AgnNwAACAAJ

 →http://takapan.web.fc2.com/hon/h_cyutonan.html

 ・P62~63を参照。
 ・P79を参照。
 ・P120を参照。

「要約筆記では物足りない」と言った難聴者もいました
が、音声情報と比べて明らかに情報量が少ない要約
筆記でも、失聴者にとっては、貴重な情報源です。

健聴者には、幾ら話しても、ちゃんと聞いていない人も
多いですよね。

しかし私の場合は、それよりもはるかに少ない情報量
と言われる要約筆記だけで、
必要な情報はわかると思っています。

また後に、上の筆記通訳の問題点を、私の体験談で
述べてみたいと思っています。
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by bunbun6610 | 2011-10-27 22:07 | 情報保障・通訳

合理的配慮の実施が「可能な限り」では…

下記のブログに、掲載してありました内容から一部引用させていただきました。

 →http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit/e/a3244eccc4477f64122cd709a4b589b6

テーマ『改正障害者基本法 「可能な限り」(衆議院内各委員会議事録)』
(2011-10-24 01:13:34)


(1)「『可能な限り』は合理的配慮の実施に「過度の負担」以外の
口実を与えるものになりかねない。」

(2)「コミュニケーションの支援も、あらゆる主体があらゆる障害者の
適切な意思疎通の手段を確保できる訳ではないにしても、
最初から「出来る限り」という恣意的な判断の入り込む余地を作っては
力の大きい行政や企業、雇用主などの論理が優先されてしまう。」

                                  (ラビットさん)




以下は、私の述べることです。
(1)は当然、誰が限界を判断するのか? という疑問が出ますよね。
その限界も、どこまでとするのが適切なのか、
公正に判断しなければなりません。
でも、誰がするのでしょうか?
それが、合理的配慮を提供するほうが一方的に決めるだけなのでは、
従来と変わりないのではないでしょうか?

また、
(2)にしても、合理的配慮の実施に『出来る限り』の文言が入っていると、
これが障害者にとってバリアになりうる、と思います。

「可能な限り」
これは、私たち障害者の権利保障を完全履行してもらうには、
やっかいな言葉です。

私は当ブログで、障害者が自身で持つ障害のほかに、
障害者を取りまいている健常者が意識的あるいは無意識的とに関わらず、
つくり出している障害(間接差別)があるということを、
今までにずっと述べてきました。
国連・障害者権利条約が問題にしているのがこれです。
その後者にもなりうるのが、この「可能な限り」という文言だと、
私は自分の体験から思うのです。

なぜならば、「可能な限り」という言葉には、
「健常者側は努力しなければならない」意味合いは確かに含まれていますが、
障害を持つ人たちの側から見ると

 「それって、具体的には、どこまでが妥当だと言うの?」
 
 「例えば『筆談で対応します』〔※1〕と言われれば、
それを受けている聴覚障害者は苦情を言えないの?」

という不安を掻き立てられます。


〔※1.筆談、筆記と通訳の違いは、後で述べます。〕

これを曖昧にし、それぞれの解釈のしかたでよい、としてしまうと、
この条約の効果も疑問視されるようになると思います。

非常に多くのケースで、健常者から

「私たちもこれだけ努力しているんだから、
あなたもそれを理解し、歩み寄る〔※2〕ことが必要ですよ。
でなければ、これからは、みんなの理解も得られなくなってしまいますよ」

と言われてしまう可能性が大になります。


〔※2.「歩み寄る」の意味は、「妥協し、ガマンしなさい」という
ことだと思われる。〕


ここの議論は重要であり、全ての障害者が注視していなくてはならない
ところなのではないでしょうか。

まだよく考えていないのですが、聴覚障害者の場合は、
実際にどこでも、情報保障や通訳などの合理的配慮が得られるのかが、
最大の関心事ではないでしょうか。
働く場であっても、です。
未だに、会社研修にも通訳がない、というのが当たり前の状況なのですから。

例えば、どうしても健聴者側が合理的配慮を行えない、
その正当な理由〔※3〕があると聴覚障害者も理解できる場合は、
今後も多いと思います。


〔※3.「手話・要約筆記通訳費が出せない」など〕

しかし、それだからといって、通訳なしで参加しなければならないとなると、
聴覚障害者だけに辛いものがのしかかります。
そして、これは継続されやすく、聴覚障害者の心を蝕むことになるのです。
そしてそれが
「あらゆる差別の根本原因となっていく」
という私の証言(当ブログ)を忘れてはならない、と思います。

そこへ、本来は派遣できない手話・要約筆記通訳を会社に
どうしても派遣してほしい、と聴覚障害者が強く望んだ場合には、
その救済がきちんとなされるべきだと思います。

その方法として、聴覚障害者と会社、そして公金による負担割合を決めて、
それで通訳が使えるようにする、ということはできないものだろうか?〔※4〕
本人の負担割合も、障害者の収入状況にも応じて、決めるのがよいと思います。


〔※4.本来は費用問題で通訳の可否を決める問題ではないが、
会社の事情も考えると、全額会社負担は重すぎると思うので、
負担割合のことは無視できないのではないか?〕


当ブログ『シナジー効果がもたらすもの』(2011-07-21 20:25)
でも述べているように、このほうが多くのメリットがあると、
私は考えています。

しかし、聴覚障害者団体はおそらく、有料実施の案には反対でしょうか。

けれども、何であってもそうですが、利用者も費用負担するということは、
利用者の意識を変え、通訳の質も高めることになると思います。
それは、社会全体にとって、プラスなのではないでしょうか。

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by bunbun6610 | 2011-10-24 20:30 | 国連・障害者権利条約

障害イコール恥という感覚

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html


「けれども高齢者の多くは障害者権利運動とのかかわりを避けて通ってきた。
障害者の一生なんてみじめでこれっぽっちの価値もない。
こういう世の偏見とともに生活し高齢になったからだ。
障害者という烙印が自分たちに押されてしまったら自立が奪われる。
多くの高齢者はこう恐れているのだ。
障害者も高齢者も、施設などに住まず最大限の自立を実現したいという
気持ちを持っているのではないだろうか。
もしそうだとすれば、両者は本来的に強力な同盟関係を結べるはずだが、
そのためにはまず、障害イコール恥という感覚が取り除かれるのが先決だ。


私の話になりますが、
聴覚障害者の主な団体は、ろう者を主体とする
(財)全日本ろうあ連盟
  (→http://www.jfd.or.jp/)と、

中途失聴者・難聴者を主体とする
(社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会
  (→http://www.zennancho.or.jp/)

があります。

この両団体は、それぞれ傘下組織の団体を持っています。

この両団体の事情をある程度でもご存知の方には
おわかりだと思いますが、同じ聴覚障害者団体でありながら、
不仲説が依然として残っています。

互いに憎み合っているわけではないと思いますが
「ソリが合わない」だとか言われ、
両者が一緒になることはありません。

そういう事情をご存知の方ならば、
上のシャピロが言った言葉の状況もわかると思います。

私も先天性聴覚障害者です。
後天性聴覚障害者、とりわけ老人性難聴者とは、
全くソリが合いません。
当ブログのカテゴリー『聴覚障害』でも述べてきているように、
先天性と後天性だけでも、何から何まで違ってきてしまうものです。

向こうの人はこちらに全く合わせられないので、
こちらが全部、向こうに合わせなければならず、
疲れてしまうだけです。

老人性難聴になった方たちは、以前は健聴者であり、
先天性聴覚障害者を差別していた立場の人たちでした。
そのこともあり、その方たちが聴覚障害者になったからといっても、
同情などする気にはなれないものです。

それに、後天性の方には、障害を受け入れず、
「自分は『障害者』と言われたくない」という人も
たくさんいます。
誰だって障害者になる可能性があるのは、当たり前なのに。

向こうも、努力してもこちらになじめるわけでもないので、
一緒になる気などないと思います。

だから、無理に歩み寄って、一緒になる必要はないと思います。

この場合、お互いに「歩み寄る」よりも、
「ダイバーシティ」(多様な人間を尊重し合う社会)のほうが、
お互いにとってメリットが大きく、デメリットが小さいのではないか、
と思います。

そういう社会を実現する、という意味でのタッグ・パートナーを
組むのが理想ではないかと、私は思います。
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by bunbun6610 | 2011-10-22 19:27 | 哀れみはいらない

第40回 板橋区民祭り サンバカーニバル

第40回 板橋区民祭り サンバカーニバル(10月16日〔日〕)

浅草サンバを「今年も見逃してしまった!」
と残念がっていたところに、
板橋区の区民祭りで偶然、見つけることができました。

http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/040/040038.html

下の写真は、志村銀座商店街の『サンバカーニバル』です。
生で見ると、スゴイです。

来年こそ、浅草サンバカーニバルも見たいです。

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by bunbun6610 | 2011-10-22 18:55 | 祭典

職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(4)

『職場の問題事例をコンプライアンス部に告発(4)』
〔2011-10-22 18:31〕

 ―そして、聴覚障害者の立場で、
会社のコンプライアンス部に報告、意見・要望をした―


☆20□□年△△月××日(◎)
自分で通訳を用意し、本社コンプライアンス部へ
行った。
そこへ、コンプライアンス規程の改正意見・要望を
出した。
先方はA氏とB氏の2名で対応してくれた。

私の意見を聞く前に、次の点について理解を
求められた。

「コンプライアンス部は、会社のルールを制定し、
守られているかを見ていく役割を担っている」

ということを、了承して欲しい、ということだった。

ちなみにA氏は、私のメール文(『障害者差別
問題』や『障害者の経済学』という観点からの
持論)は読んでいる、とのことだった。

それから、私が「会社の差別的障害者雇用」と
考える雇用状況を説明した。
そして、意見として

「以上のように、差別的状況がある。
差別を改善するために、会社は会社としての
対応をきちんとしなければならない、というわけ
ではあるが、やはり最終的には個人差が出て
しまう。
当事者間での話し合い、理解によって解決して
いくしかない、という結論である。

しかしいつまでも、このような健常者の自由意志
に委ねられている状況では、なかなか解決せず、
働く障害者が苦しみ続けるのは当然。

このような方法ではなく、

『会社の法によって、きちんと人的環境の整備が
なされるべきではないか?』

という主張を行った。

しかし、会社が話したのは、以下の2点だけだった。

(1)「あなたの意見は受けた」
(「検討する」「対応する」「改正を約束する」とは
言っていない。)

(2)「雇用トラブルなどに関しての解決には、
当部門は対象外。
直属上司や人事などと相談しながら、解決を図る
のが第一です。」(対応はできない)

ということだった。
ただし、

「もし、ルール通りにやっていなければ、
事実を調査することになる」

とも話していた。
このルールだが、私は

「そのルールすら、障害者対応に関しては、
今のコンプライアンス規程には存在しない。
だからここへ来て、要望しに来ました」

と伝えた。
それはわかってもらえたと思うが、

「コンプライアンス外には、我々は立ち入れない」

とも話していたので、やはりこれだけでは、
会社の聴覚障害者対応が変わるかどうかは、
わからない。


※ 【追記】
結果的には、各部門(コンプライアンス、人事、
障害者の配属部署)に要望を続けることによって、
少しずつ改善していきました。
最初の頃と比べると、確実に良くなっています。

勿論、これは私だけのことではなく、
会社にとってもプラスになったことだと思いたい。
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by bunbun6610 | 2011-10-22 18:31 | C.クレジットカード会社

飲み会における、聴覚障害者の悩み

就労後の聴覚障害者問題(Q社)

『飲み会における、聴覚障害者の悩み』
〔2011-10-22 00:08〕

20■■年■月■日

会社の人事異動があったため歓送迎会
があり、その知らせの回覧だけでなく、
久しぶりに先輩からも直接に誘われました。
お世話になった上司の送別会でもあるので、
一般常識では出ないと失礼です。

「出なかったら、オーナーが激怒してしまい、
会社をクビになってしまった」

という実話もあるほどです。

私は今まで、会社の飲み会には1回も
出たことがないし、その理由をS課長や
M係長などにも伝えていました。
だから

「今回も欠席で」

とは思っていたのですが、二人の上司の
歓送別会となると、さすがに自分だけ欠席
するのも、辛い気持ちです。
だから本当に迷いました。

先輩;「今度の歓送別会に是非、
出席して下さい」

私;「今回は出ないと悪いな、とは思って
いるのですが、やはり、聞こえないで皆の
おしゃべりを見ているだけで、
一人で飲んだり食べたりしていては辛いし、
周りの人から見てもどうかな?
と思うので、やはり遠慮しようと思っています。

しかし、通訳者と一緒にならば、
コミュニケーションも大丈夫です。
通訳者と一緒に出席したらダメでしょうか?」

先輩;「通訳者なしで出席してほしいです」

私;「どうしてですか?」

先輩;「・・・」

私;「わかりました・・・・。
考えてみます・・・・。」

という会話になりました。

私は、先輩の

「通訳者なしで、一人で来てほしい」

という気持ちがわかりません。
決して、それが反対だというわけでは
ありません。

ただ、聞こえない人がそこに一緒に参加
するだけでは、今までのようだと聴覚障害者
だけが、寂しい思いをして、我慢しなければ
なりません。
それを先輩はどう考えているのか?

音声会話に換わる何らかのコミュニケーション
方法をする、という提案をつけて誘うのなら
理解できますが、その話も出ないわけだから、
こんなのは聴覚障害者だけに「歩み寄り」を
させる案に過ぎない、と思います。
いや、こんな方法は本当の歩み寄りではない、
ということが、健聴者にはわかっていないのです。

この会社には、私の外にも、ろう者が3人いますが、
状況は皆同じで、Aさんは入社後の2回だけ参加し、
その後は飲み会には出ていない、という。
Bさんも、Cさんも出ていない、という。

健聴者もそろそろ、口先だけ「歩み寄り」なんて
言っていないで、自分からも積極的にその姿勢を
見せてほしい、と思います。
例えば、筆談をするとか、手話を覚えてみる、とか。

それにしても、普通、聴覚障害者への
コミュニケーション支援事業というのは、
健聴者と聴覚障害者とのコミュニケーション
(意思疎通)を支援する目的でつくられた、
と考えられるのに、その事業を認めた健聴者が、
これを使われるのに拒否反応を示すなんて、
おかしな話ではないでしょうか?

多分、健聴者は、知らない人が自分の目の前
に座っていると、何となく自然体では話しにくく
なってきて、イヤなのかもしれませんが。
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by bunbun6610 | 2011-10-22 00:08 | C.クレジットカード会社

ある聴覚障害者から見た世界
by bunbun6610

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