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わさび臭で火災知らせる装置にイグ・ノーベル賞

【ワシントン=山田哲朗】まじめなのにどこかおかしい科学研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が29日、米ハーバード大で開かれ、わさびのにおいで火災を知らせる「臭気発生装置」を開発したシームス(本社・東京都江東区)のチームが「化学賞」を受賞した。

 同社は、火災報知機が作動すると、わさびから抽出した成分を噴霧、眠っている聴覚障害者も火災に気づく装置を2009年に発売した。正式な授賞理由は「火災やその他の緊急時、睡眠中の人を起こすのに理想的な空気中のわさび濃度の決定、及びわさび警報機発明への応用」で、実験では、鼻づまりの人以外、1~2分で目が覚めることが確認されたという。

 本家のノーベル賞をもじったイグ・ノーベル賞は、愉快な研究をユーモアたっぷりにたたえるのが恒例。式に出席した開発チームは「次は靴の不快なにおいを消すわさびスプレーを開発したい」とあいさつした。種村秀輝・同社取締役は「世界中の聴覚障害者に商品を知ってもらういい機会だ」と話している。

(2011年9月30日11時12分 読売新聞)


聴覚障害者にも意識して開発していたとは、びっくりです。
聴覚障害者用防災設備に指定してもらいたいですね。

私の住む地域ではすでに防災装置の設置が義務化されていますけど、
健聴者しか使えない装置しかつけてもらえなかったです。

それと、私は年中、鼻づまりがひどいほうでして…。
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by bunbun6610 | 2011-09-30 22:57 | バリア&バリアフリー

 →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=47860&from=yolsp

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難聴(5)困難を楽しんで生きる

東日本大震災直後から、宮城、岩手、福島に毎月通う。これまで17か所で炊き出しや
慰問コンサートを行い、9000人に会った。

「そんな段階じゃないから」と避難所に断られたり、「食べ物のコロッケじゃないの?」と
空腹の被災者にがっかりされたりもした。

しかし、コンサートを開かせてもらった避難所では、皆大爆笑。
子どもたちにニワトリや恐竜のものまねを見せた岩手県宮古市の避難所では、終了後、
保護者が来て、
「子どもがあんなふうに笑っているのを震災後初めて見て、自分も頑張ろうと思えました。
ありがとう」と笑顔で言ってくれた。

「つらい時に一瞬でも笑ってくれて、自分の仕事の意味を改めて感じました。
ものまねって、漫才やコントと違い、誰でも一瞬でわかる笑い。喜んでもらえるなら、
復興に向けて10年、20年でも続けていきたい」

最近はものまね以外に芝居の仕事も増えた。共演者の声が聞こえないなどの問題は
今も起こるが、気にして落ち込むことはしたくない。
「障害を受け入れた時から、自分の人生が始まると思うんです。
聞き返すなら、しかめ面して『え?』ではなく、間抜けな顔して『あ?』と聞けば笑いになる。
困難も楽しむ、それが僕の生き方です」(文・岩永直子、写真・若杉和希)
(2011年9月29日 読売新聞)


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ものまねタレントのコロッケさんも、難聴だった。

   (1) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46339 
   (2) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=46824
   (3) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=47199&from=popin
   (4) →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=47502

の続編です。


「障害を受け入れた時から、
自分の人生が始まると思うんです。
聞き返すなら、しかめ面して『え?』ではなく、
間抜けな顔して『あ?』と聞けば笑いになる。
困難も楽しむ、それが僕の生き方です」


コロッケさんの「障害の受容」は、
障害を「笑いに変えてしまう」ことかもしれませんね。


コロッケさんがテレビデビューした頃を見たことがありますが、
あれは耳の聞こえない私が観ても面白かったです。

ただ本物そっくりというだけでなく、笑いが入るのですよね。
それが彼ならではの想像力による、という。

そう言えば、ろう者もイメージ力が強い、とよく言われています。
そのイメージ力で、何でも手話をつくってしまい、
笑わせるのが得意な人がたくさんいます。

先天性か、それに近い聴覚障害者の場合は、
何かそういう天性の才能を持っている人がたくさんいます。
しかし、健聴者として生まれ育ち、40才とか、
すでに完成された大人になってから
難聴になったり、失聴してしまう人もいます。

そういう人は、突然負うようになったハンディを補う方法を持っていなくて、
文字通りゼロからの再出発になります。

しかも、先天性の聴覚障害者とはあまりにも違いすぎるため、
一緒にはやってゆけない人がほとんどです。
だから、こういう人は社会のなかで孤立しやすいのです。
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by bunbun6610 | 2011-09-30 22:49 | 難聴・中途失聴

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by bunbun6610 | 2011-09-29 21:52 | 祭典

聴覚障害者への不当評価

『聴覚障害者への不当評価』
〔2011-09-29 21:34〕

 ―会社の聴覚障害者に対する不当評価
(差別的取扱いが正当化されている原因)―


20■■年■月■日


聴覚障害者は他の障害者に比べ、
待遇が上がらず、また昇給・昇進率も
低いという。

それに関連するデータのあるアドレスを、
以下に載せておきます。

 →http://www1.normanet.ne.jp/~ww100114/library/li-57.htm

このデータ

(『3.退職理由にみられる聴覚障害者特有
の傾向』)

の特徴は、他の障害者は「障害上の理由」
で辞めた人が多いのに、聴覚障害者の場合は、
それを理由に辞めている人が少ない。

しかし、他の障害者に比べて、聴覚障害者は

「人間関係」

「賃金・労働条件」

「仕事の内容」

の3つが極端に高い割合を示していることです。

転職率も極めて高いということは、
企業側の改善が全く進んでおらず、
聴覚障害者を使い捨てにしている、
という実態の裏づけにもなると思われます。

→当ブログ

『障害者団体のILOへの提訴文書について、
思うこと』
〔2011-07-04 00:50〕


も参照。

当ブログの、この聴覚障害者への職域差別問題
を書いているカテゴリー『就労後の聴覚障害者
問題』の記事を全て読まれた方には気づくと
思いますが、
会社がこの職域差別を「差別ではない」と主張し、
正当化する理由には、
必ず聴覚障害者への低評価を根拠にしています。


ではもしも、この評価が不当なもの、
聴覚障害者への偏見などに基づく差別的評価
だったとしたら…。

これは私だけでなく、聴覚障害者だけでもなく、
多くの障害者の現実なのかもしれません。
私も差別を感じ、イヤになってやる気をなくす
場合もあります。

けれども、真面目に働いているときは、
常に部署でトップの業績を挙げています。
その実績が記録にあります。

それでもS課長は皆と私との仕事内容に
ついては、差別したままです。

別に私は、自分の業績トップを自慢して
いるわけではありません。
うぬぼれているわけでもなく、

「健常者より凄いんだぞ」

と言いたいのでもありません。

「障害者にだって、健常者より凄い人は
いるんだ」

と言いたいのでもありません。
私はそういう考え方は大嫌いなのです。

読者には、私の真意をわかってもらう
ために、次の話をしてみることにします。

私の業績がメンバーの中でトップである
理由には、当ブログで述べている通り、
周りが仕事をしない連中ばかり、という
ことで結局、自分がトップになってしまう、
という原因が最も大きいと思います(笑)。

つまり、私の実力だけではない、という
ことです。

しかし本当に、他の人よりも光る実力が
何もなかったら、トップにはなれないだろう、
とも思います。

障害者のなかには、健常者よりすぐれた、
あるいは健常者と異なる能力を発揮する
人がいる、ということは、皆さんもご存知
だと思います。

自分ではよくわかりませんが、
もしかしたら自分にもそういう力がある
のかな? と思っています。

私は、会社の仕事を、先輩に教えられた
通りにはやっていません。
むしろ、独自の工夫をして極限まで効率化
し、正確性とスピードを両立しながら
向上させています。

手話を使うろう者の眼は、健聴者の眼より
も多くの視覚情報を、一度に捉え、
脳へ処理する能力があることをご存知で
しょうか?

文書をチェックするとき、健聴者は文書
全体から、1点ずつを目視し、確認すると
思います。

でも私は、2点以上をほぼ同時に見て
処理しています。
それだけで健聴者よりも速いスピードで
文書チェックをしているのかもしれません。
一瞬でも特徴を見ただけで、
判別ができます。
動体視力と言うのかもしれませんが。

ただ、これをスムーズにやるために、
私は独自の作業手順を考案し、
やっています。

簡単なことですがそれは、
同じ型式の書類ごとに揃えてから、
自分の眼と頭で、読み取り機械のように
チェックしている、ということです。

仕事が速い人は多分、皆こうやっている
とは思いますが、私は1回で2ヶ所を
チェックしています。

しかも、お喋りばかりしている健聴者
とは違い、集中力、持続力もあるので、
私はミスも少なく仕事が速い、
というわけです。

おそらく、手話を使える聴覚障害者の
多くに、こうした能力が自然にある
のではないか、と思われます。

そうすると、コミュニケーションが不可能
だからといって、聴覚障害者を雇用しない、
とすぐ考えたり、雇用しても聴覚障害者と
よりよい関係を築けない企業は、
その能力をみすみす捨てることにもなり、
損なのではないでしょうか。

そんなことをして、このブログのように、
会社の名前まで公表されるようになれば、
不評が社会に広がり、聴覚障害者は
この会社には来なくなるでしょう。

やはり差別は、それ自体がネガティブで
あるばかりでなく、その連鎖になって
広がる原因だと思います。

障害があるからといって、そういう人たちは
全てマイナスである、という考え方は、
そろそろやめるべきなのではないでしょうか。

ただ

「こうしたリスクがあるから、もうやめよう」

だけでは、真の問題解決にはなりません。

「win-winの法則」というのがあるそうですが、
本当はそんなことでもなくて、
障害者の基本的人権が守られていない
ことが問題なのです。

たった一つの小さな差別から、障害者への、
目には見えない、多くの差別が連鎖的に
生まれているのだということを理解しなくては
ならないのです。

おそらく、国連・障害者権利条約が批准された
後も、この不当評価が原因で、合理的配慮が
なされない状態は続くでしょう。

それを一致団結してなくしていくことは、
障害者に与えられた、尊い使命なのです。
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by bunbun6610 | 2011-09-29 21:34 | C.クレジットカード会社

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by bunbun6610 | 2011-09-28 22:13 | 祭典



『会社の「話し合い」って何だったのか?』
〔2011-09-28 22:05〕


20■■年■月■日

M課長(人事部):
「今後、もう「ああだ、こうだ」と言うな」

そもそも、聴覚障害者の声をきちんと聞き、
理解もしないで、
自分勝手な論調で屁理屈を言い返しておいて、
それはないのではないでしょうか。

まだ理解は無理なのはわかりますが、
健聴者は本当に聞く耳を持っているのか?
と疑問に思いました。

ですから、今後も話し合いを続けても、
もう歩み寄りは無理だと思いました。

でも、それを正直に入ったら、
私は苦境に立つこともわかります。

今後も会社側に話を聞いてもらうため、
その窓を自ら閉めるようなことをする
わけにもいかない、と思いました。

だから、最大限の妥協をすることにした
のです。
会社の提示した改善案を受け入れる
ことにしたのです。
所詮、ようやく話し合ったばっかりの
この人たちに、理解なんか無理なんだ。

私が選択した苦渋の決断は、
やはり私が大幅に譲歩する妥協でした。

健聴者は、まず相手の話を聞きはしますが、
これに対してはこうだ、それに対してはそうだ、
で押し返してくるだけなのです。

これじゃ、諫早湾の開門前提の話し合いと
同じじゃないか。
怒った人たちは

「それは話し合いではない」

という。
それと同じだ。

健聴者は自分の論理が正しい、
と思っているから、
結局はこの話し合いでも、
そうなってしまいました。

これって、本当に話し合いなのでしょうか?

S課長が読んでいるという、下の本には、
こう書いてあります。

『戦略と実行』(清水勝彦/著)
 →http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P48450.html

「戦略の実行には「議論を尽くし」、
「100%の力を投ずる納得性」が必要である」

「コミュニケーションの本来の目的は、
「共有する」こと、お互いの立場を
よく理解すること」

「対立する人達の間では、
互いの価値観がどういうものか知り、
なぜ対立しているのかをよく知る」


「まず相手を理解することに努めなさい。
その上で、自分を理解してもらおうとしなさい」

「『トップが現場を知る』とは
  ・現場の人間がどのような気持ちかを知る
  ・現場の人間が、自分の気持ちをわかって
   いるかどうかを知る
  ・現場の人間にわかる言葉で背景を含めて
   伝えたか

「あなたは、『コミュニケーション』に効率性
ばかりを求めていないか」

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by bunbun6610 | 2011-09-28 22:05 | C.クレジットカード会社

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by bunbun6610 | 2011-09-27 21:02 | 祭典




『会社側と3対1の面談 結果は、
聴覚障害者の大幅譲歩に』
〔2011-09-27 20:38〕


Oさん; 大橋 康彦(直属上司)

S課長; 柴田 裕司(課長)

M課長; 森光 和久(人事総務部人事グループ 課長)

M係長; 枡岡 久雄(係長)




2011年9月■日

訴訟を避けて聴覚障害者職域差別問題
を解決するためにも、会社ともう一度、
面談をしました。

私と面談した会社側の人は、最初からは
2人、途中からもう一人増えて、
最終的には1対3の、会社側が圧倒的
数的優位となる面談になりました。

〔会社側〕
M課長(人事部) 最初から出席。
S課長(直属部署課長) 最初から出席。
M係長(直属部署係長) 途中から同席。

これは会社にとって、数的優位の体勢で
面談になりました。

私は「自分で通訳を用意したい」と申し出て
みましたが、拒否されたので、
通訳はつけられませんでした。

M課長は全部の会話を詳細に記録して
いました。
これは万一、訴訟を起こされても対応できる
よう、備えていると思われます。

他にも、M課長は会社としての立場を守る
ため、S課長を擁護するような発言をして
いたり、私に質問したり、「こうしたほうが
いいのでは?」と助言する場面がありました。

単に会社が数的優位であるだけでなく、
この状況をつくられた私のほうは、
プレッシャーとなっていきました。

後半からM係長も同席し、
S課長の発言をサポートする側に回りました。
会社が用意した、この態勢は、私にとっては、
まさに四面楚歌のように感じました。

正確に憶えていませんが、
話の内容は次のようになったと思います。

S課長;
「評価が普通レベルであることの
理由については、Oさんから聞いた。
あなたの勤務態度なども考慮している。
パソコン・メールをしていたり、奇声を発したり、
居眠りをしたり、皆とコミュニケーションを
しながら仕事をしようとしない。
皆に溶け込めない。
また、本社のコンプライアンス部に行って、
ここのことを報告したりするから、
私のあなたに対する人格的評価はそれほど
高くない。
だからあなたの仕事内容は、他の人と違う」

その後、S課長は自分の我慢強さを自慢する
話をし出したので、私はイライラしてきた。
そして、

「だからあなたも同じようにして欲しい。
私の言うことを聞いて仕事をすべき。
『(仕事をしない)他人は他人』と思え」

という話をS課長はしました。

S課長は、明らかに怒りに震えた手で筆談
していて、それは汚い字だったので、
途中、私は言いました。

「字が汚くて、これでは筆談しても読めません。
こういう場合(会社とのトラブル)には、
無料で要約筆記通訳を派遣してもらう
こともできます。
でも、会社はそれも拒否しますよね。
これもバリアであり、差別(この話し合いでも、
聴覚障害者側の不利になるから)なのです」

以前に弁護士に相談して教えてもらった通りの
展開になりました。
S課長は私に対する敵意丸出しで、
言いたい放題に、
私がこうなった背景も知らないS課長に、
私が差別にガマンがならなくなったときの態度
ばかりを言い立てられました。

(参考;当ブログ
『職域差別の法律相談(1)』
〔2011-09-13 21:20〕



「身から出た錆」と言えば、それまでかも
しれない。
しかし、私にとっては、それ以外に健聴者に
差別を理解してもらう方法などあっただろうか?

今まで散々無視されてきた末、
S課長を逃げられない場に追いつめると、
今度はこんなケンカ調になりました。
これでは、いい方向に向く話し合いにならない。

会社は単に

「あなたは

『他人が働かないから、不真面目だから、
自分も働かなくていいんだ。
それなのに自分だけ不当な扱いをされている
から「これは差別なのだ」』

という主張をしている」

と思い込んでいるようです。
むしろ、誤解されていることがわかります。

しかし、私がやる気をなくした本当の理由とは、
そうではありません。
この会社のやり方では、聴覚障害者が正当な
能力評価さえ、されないだろう、
と確信したからです。
職域差別は入社したときからあり、
それに気づいたからです。

この会社で働くことに夢を持てない理由は、
この部分からきていると思う。

しかも、差別問題によるやる気の喪失は、
精神的苦痛まで受けているからです。
この苦痛は、たとえ差別的取扱い方を直ちに
取り除いた後でも、聴覚障害者の心には
残るものだと思います。
だからやってはいけないんだということを、
会社の健聴者にはまるっきりわからない。

それを証明しているのが、今の高齢ろう者
だと思います。
彼らは、死を迎えようとしている今でも、
昔の差別を忘れてはいないし、よく話します。

私;
「S課長が話したいことをハッキリと言って
下さい。
私もその後に、自分の言いたいことを
言いますから」

M課長;
「その話し方では、ケンカでしょ?」

私;
「ケンカになるとは限っていません。
ケンカになるかどうかは、
お互いのコミュニケーションの流れによります」

私としては

「もう遠慮せず本音を言って、話し合うべきだ」

と言いたかったわけだが、
S課長は探りを入れながら、対応を考えようと
しているような様子だったので。

M課長;
「この前私が話した、この話し合いの前提は
何か、わかっているか?
それは、お互いに受け入れることだよ」

と言って、

当ブログ
『聴覚障害者への差別問題が、
会社の表に出ないワケ』
〔2011-09-21 19:19〕


のときの私との面談記録を見せました。

私;
「それはそうですが、それができるか
どうかは、両者の話し合い次第です」

(それを聞いて、M課長も納得した様子)

私;
「S課長の評価の理由は、わかりました。
私は、最初は真面目に働いていました。
でも、これは差別ではないかと疑問に
思ったので、S課長に聞きました。
S課長はそれに対し、わかりやすく説明
しようとしませんでした。
納得できるまで同じことを何度も話し合い
をしましたが、S課長の説明には、
一貫性がなかったのです。
これに疑問に思ったので、私の立場からは、
これは差別だと断定しています。」

S課長はこの後、自分の説明の非一貫性
には触れず、話を変えました。

S課長;
「今後の仕事について説明する。
あなただけにやらせず、皆がやっていた封入
作業もやってもらう。
休み明けの、Oさんの説明の後に」

突然この話が出てくるということは、
この面談の前に、M課長とこのシナリオを
つくっていたんじゃないか?
と私は疑いました。

それくらい、自分の都合の悪いところに
つけ込まれると、不自然な避け方だと
思いました。

私;
「私がなぜ怒っているのか、わかりますか?」

S課長;
「どうしてほしいのか?」

私;
「S課長は職域差別をしたことを認め、
謝るべきだと思います」

S課長,M課長;
「差別ではない。
差別はしていない。
不満は誰にでもあるし、それを変えていく
のは自分」

私;
「不満と差別は違います。
私は、社外の人に本件を話したが、他の人も

『私たちの場合は不満だが、あなたの場合は
私たちの不満とは違う。
差別だと思う』

と話してくれました。
私も会社がしていることは、差別だと思って
います」

S課長,M課長;
「差別しているつもりはない」

私;「これが差別ではないと言うのなら、
どういう言い方にすればいいのですか?」
(私が自分で勝手に「差別された」と
思い込んでいるだけ?)

M課長;「差別ではない。
あなたが我々にそう言うことが差別になる」
(M課長は「S課長は差別行為をしている」
と言う私のほうこそ、我々(S課長、M課長)
に差別している)と言いたいらしい)

私;
「逆差別だと言うのですか?」
(S課長は「私が我々(S課長、M課長)を
差別しているから、我々も差別をしてやろう」
というのですか?)

私;
「S課長もM課長も、差別とは何かということを、
わかっていません。
だから差別を受けた障害者の精神的苦痛も
理解できない。
理解には、今回だけの話し合いだけでは
無理だとわかりました。」

S課長、M係長、M課長も、聴覚障害者の立場
からは、自分(課長たち)のしていることが
どう見えているのかを、理解しようとしていない
ようでした。

これで、組合も含めて

「会社の人間は(聴覚障害者差別問題に対して)
聞く耳を持っていないようだ」

と思いました。
だから、大幅妥協しなければ、
今後が進展する話し合いにはならない、
と私は思いました。

勿論、会社の人にコミュニケーション障害からくる、
聴覚障害者の心の病気、苦しみがわからない
ままでも、困るわけですが。

M課長;
「我々が忙しい合間に、あなたのために
ここまでしてやっている、
この話し合いが無駄だということ?」

私;
「無駄と言っているのではありません。
話し合うだけでなく、障害者問題の解決
には、お互いに勉強することも必要です。
健聴者が聴覚障害者差別をわからない
のは勉強不足だから、問題の背景も
理解できないのだと思います。
今日話し合ってみて「会社でいきなり
話し合っても、理解は無理」だとわかり
ました。
だから、理解にはまだまだ時間が
かかります」

私の気持ちとしては、このとき

「差別以外の何ものでもないのに、
『差別』と言ってはいけないのか?」

と思いました。
差別は、受けた立場にわかるだけで、
した方にはわからないものなのかもしれない。
これこそ無知、無関心、無意識による差別
なのかもしれない。

S課長は、能力評価に基づく格差と説明
しているようだが、実際は明らかに違う。

しばらく、この応酬の繰り返しになったが、
M課長が話の流れを変えた。

M課長;
「わかった。
じゃ、あなたが差別を受けて、我々が
辛い思いをさせてしまったというのなら、
会社として謝る。
だから、過去のことはここまでにして、
差別を言うのも、これでやめにしよう。
これからは今後のことを、考えよう」

S課長;
「私のほうからも、謝ります」


私はこれも、会社が事前に用意していた
妥協案の選択肢ではないか、と思いました。
理解ではないと思いましたが、この場は
もう、これを受け入れるしかないと
思いました。

私;
「…(納得はできないが、妥協する以外
にない状況なので、しょうがない)」

S課長;(今後の私がやることになる仕事
(封入作業のこと)を再度説明し始める。
さらに続けて評価についても再説明)

S課長;「任せる仕事の範囲は、新人研修
では、プロセスを順次経験してみることに
なっている。
また、能力評価により、人によっても違う。
普通は、一年~一年半は送付状付けを
やり、その正確性を見極めた後、
次の仕事もやってもらう。」

私;
「S課長は今、ウソを言っています」

S課長;
「…」

(M係長も、S課長と同じ説明を
繰り返しだした)


私;
「いいえ、違います。
私よりも後に入った人でさえ、他の人は皆、
先輩とほとんど同じ仕事をしていたのに、
私だけ排除されて、数を数える仕事
ばかりや、ゴミ処理などをやらされて
いました。
それは、聴覚障害者に対する職域差別
です」

私;
「私は最初(○○年○月頃だと思う)に、
S課長に相談したが、

「初めは皆、送付状付けから」

と言われた。」
(しかし事実と違うので、どうも変では
ないか、と思っていた。
そこで、○○年○月も、Oさん宛の
配達記録郵便で質問した。
それに対する答えも、おかしかった。
これをまとめて、次のように言った。)

※以前、私の仕事内容が他の人と違う
理由について会社の人に聞いたところ、
順番に言うと、次の事実になった。

 Oさんの答え;
「上の指示」

 S課長の答え;
「Oさんの指示は、私の指示です」

その後に出た弁明

 S課長;
「皆があなたの仕事を認めるようになれば」
 
M課長;
「あなたの仕事内容はS課長が決める。
S課長がOさんやM係長から、あなたの実績
や勤務態度などを聞いて、判断しているので
はないか。
本人(S課長)に聞かないと、わからないから、
S課長に聞いたら?」

私;
「聞いたが、今のような答えだけだった。
自分の評価が疑問。」
(私は根底に、この会社の障害者差別がある
のではないか、と思う。
「他の障害者も同じ状況」だという、ここの
障害者の実態報告を、ハローワークが私に
直接話しているからです)

その後、M課長が私を説得するため、
いろいろと話したが、よく憶えていない。
短くすると、こういうこと。

M課長;「あなた、は自分からもっと周りの人と
コミュニケーションを取らなければダメだ」

いつのまに、話が全然違う方向に振られていた。

私;「話すことはできても、聞こえなければ
できません。
先日もM係長から

「仕事中に、他の人に話しかけてはダメです」

と言われたばかりです」

(当ブログ
『職場でのおしゃべり
  口話と筆談の違いから…』
〔2011-08-31 21:01〕

参照)

M課長;
「補聴器をつけろ。
補聴器をつければ聴こえる、と話してただろ?
 何でつけないんだ?」

私;「補聴器で聴こえる場合もありますが、
私の職場は若い女性が多くて、そういう人の
声を聞き取るのは苦手なのです」

(M課長は、以前から何度もこう言う。
「補聴器は万能ではない」ということが、
わかっていないのかもしれない。
私が

「健聴者は、聴覚障害者について勉強不足だ」

と言ったのは、このためです)

そこへM係長が、私の

「先日もM係長から『仕事中に、
他の人に話しかけてはダメです』
と言われたばかりです」

の発言部分について、弁明をし始めた。

M係長;
「仕事中のピークのときもあるでしょ。
そういうときに話しかけると、
他の人の仕事が進まなくなったり、
ミスをする原因になるから」


これは全くの言い訳です。

当ブログ
『職場でのおしゃべり
  口話と筆談の違いから…』
〔2011-08-31 21:01〕

で述べているように、みんなおしゃべりは
していたのですから。

私;「数えながら話している人だっています。
それに、そう言いたかったのなら、M係長の
言い方(伝え方、書き方、文章力)に問題
があった、ということでは?

だからこのような誤解が起きるのです」

M係長;「…」

時間もだいぶ長くなっていたので、
この辺で私は次のように切り出しました。

私;「今日の話しをまとめます。
今回の問題は、コミュニケーション不足、
ミスマッチ、ズレが原因だと思います。
これをなくしてゆき、コミュニケーションを
図って、お互いに理解を少しずつ進めて
いく。

ただ話し合うだけでなく、相手のことを知る
勉強も必要です。
コミュニケーションとは、合理的説明を
きちんとすることによって、相手からも
納得できる話し合いであること、
が重要です。

合理的説明とは何かというと、ただ説明
するだけでなく

『そこに相手が納得できる理由がなければ
ならない
(そうでなければ、これには意味がない)』

ということにもなる」

M課長;
「これで話し合いは終わり。
もう、後から「ああだ、こうだ」と言わない事。」

このM課長の最後の話には、カチンときました。
そもそも聴覚障害者の声をきちんと聞き、
理解もしないで、自分ばかり一方的な論理で
言い返しておいて、
それはないんじゃないだろうか。

まず相手の話を聞いて、理解してならわかるが、
理解もしていないで、自分の論理をすぐに
言い出し、それを押しつけてくる。

健聴者は自分たちの論理が正しい、と思って
いるから、すぐこうなるのではないだろうか。

そう思っている限り、相手を理解する余裕は
できない。
こんなのは、本当の話し合いではないのだ。

聴覚障害者が「溶け込めない」のではなく、
溶け込まなくていいことにした
(職場内で健聴者と聴覚障害者を分離している)
のは、実は会社だと思う。

話し合ってみて、S課長、M課長、M係長が
職域差別を理解するのは、まだ無理だと
思いました。
仮にできると思って努力してみるとしても、
それにはかなりの時間がかかるとわかる。
だから、今回の私は大幅に妥協したのです。

会社のそういう至らなさを理解してはいても、
会社の障害者雇用についての考えに
納得したわけではありません。
当然、それについての私の意見は反対なのです。
その気持ちを、彼らはやはりわかっていない
かもしれません。

「もう差別と言われなければいい」とか
「本社にバラされなければいい」というふうに
しか考えていないかもしれません。
会社は、自分の都合のいいようにしか、
相手(つまり私)の答えを受け取っていない
からである。
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by bunbun6610 | 2011-09-27 20:39 | C.クレジットカード会社

『会社側と3対1の面談 結果は、
聴覚障害者の大幅譲歩に』
〔2011-09-27 20:38〕


Oさん; 大橋 康彦(直属上司)

S課長; 柴田 裕司(課長)

M課長; 森光 和久(人事総務部人事グループ 課長)

M係長; 枡岡 久雄(係長)




2011年9月■日

訴訟を避けて聴覚障害者職域差別問題
を解決するためにも、会社ともう一度、
面談をしました。

私と面談した会社側の人は、最初からは
2人、途中からもう一人増えて、
最終的には1対3の、会社側が圧倒的
数的優位となる面談になりました。

〔会社側〕
M課長(人事部) 最初から出席。
S課長(直属部署課長) 最初から出席。
M係長(直属部署係長) 途中から同席。

これは会社にとって、数的優位の体勢で
面談になりました。

私は「自分で通訳を用意したい」と申し出て
みましたが、拒否されたので、
通訳はつけられませんでした。

M課長は全部の会話を詳細に記録して
いました。
これは万一、訴訟を起こされても対応できる
よう、備えていると思われます。

他にも、M課長は会社としての立場を守る
ため、S課長を擁護するような発言をして
いたり、私に質問したり、「こうしたほうが
いいのでは?」と助言する場面がありました。

単に会社が数的優位であるだけでなく、
この状況をつくられた私のほうは、
プレッシャーとなっていきました。

後半からM係長も同席し、
S課長の発言をサポートする側に回りました。
会社が用意した、この態勢は、私にとっては、
まさに四面楚歌のように感じました。

正確に憶えていませんが、
話の内容は次のようになったと思います。

S課長;
「評価が普通レベルであることの
理由については、Oさんから聞いた。
あなたの勤務態度なども考慮している。
パソコン・メールをしていたり、奇声を発したり、
居眠りをしたり、皆とコミュニケーションを
しながら仕事をしようとしない。
皆に溶け込めない。
また、本社のコンプライアンス部に行って、
ここのことを報告したりするから、
私のあなたに対する人格的評価はそれほど
高くない。
だからあなたの仕事内容は、他の人と違う」

その後、S課長は自分の我慢強さを自慢する
話をし出したので、私はイライラしてきた。
そして、

「だからあなたも同じようにして欲しい。
私の言うことを聞いて仕事をすべき。
『(仕事をしない)他人は他人』と思え」

という話をS課長はしました。

S課長は、明らかに怒りに震えた手で筆談
していて、それは汚い字だったので、
途中、私は言いました。

「字が汚くて、これでは筆談しても読めません。
こういう場合(会社とのトラブル)には、
無料で要約筆記通訳を派遣してもらう
こともできます。
でも、会社はそれも拒否しますよね。
これもバリアであり、差別(この話し合いでも、
聴覚障害者側の不利になるから)なのです」

以前に弁護士に相談して教えてもらった通りの
展開になりました。
S課長は私に対する敵意丸出しで、
言いたい放題に、
私がこうなった背景も知らないS課長に、
私が差別にガマンがならなくなったときの態度
ばかりを言い立てられました。

(参考;当ブログ
『職域差別の法律相談(1)』
〔2011-09-13 21:20〕



「身から出た錆」と言えば、それまでかも
しれない。
しかし、私にとっては、それ以外に健聴者に
差別を理解してもらう方法などあっただろうか?

今まで散々無視されてきた末、
S課長を逃げられない場に追いつめると、
今度はこんなケンカ調になりました。
これでは、いい方向に向く話し合いにならない。

会社は単に

「あなたは

『他人が働かないから、不真面目だから、
自分も働かなくていいんだ。
それなのに自分だけ不当な扱いをされている
から「これは差別なのだ」』

という主張をしている」

と思い込んでいるようです。
むしろ、誤解されていることがわかります。

しかし、私がやる気をなくした本当の理由とは、
そうではありません。
この会社のやり方では、聴覚障害者が正当な
能力評価さえ、されないだろう、
と確信したからです。
職域差別は入社したときからあり、
それに気づいたからです。

この会社で働くことに夢を持てない理由は、
この部分からきていると思う。

しかも、差別問題によるやる気の喪失は、
精神的苦痛まで受けているからです。
この苦痛は、たとえ差別的取扱い方を直ちに
取り除いた後でも、聴覚障害者の心には
残るものだと思います。
だからやってはいけないんだということを、
会社の健聴者にはまるっきりわからない。

それを証明しているのが、今の高齢ろう者
だと思います。
彼らは、死を迎えようとしている今でも、
昔の差別を忘れてはいないし、よく話します。

私;
「S課長が話したいことをハッキリと言って
下さい。
私もその後に、自分の言いたいことを
言いますから」

M課長;
「その話し方では、ケンカでしょ?」

私;
「ケンカになるとは限っていません。
ケンカになるかどうかは、
お互いのコミュニケーションの流れによります」

私としては

「もう遠慮せず本音を言って、話し合うべきだ」

と言いたかったわけだが、
S課長は探りを入れながら、対応を考えようと
しているような様子だったので。

M課長;
「この前私が話した、この話し合いの前提は
何か、わかっているか?
それは、お互いに受け入れることだよ」

と言って、

当ブログ
『聴覚障害者への差別問題が、
会社の表に出ないワケ』
〔2011-09-21 19:19〕


のときの私との面談記録を見せました。

私;
「それはそうですが、それができるか
どうかは、両者の話し合い次第です」

(それを聞いて、M課長も納得した様子)

私;
「S課長の評価の理由は、わかりました。
私は、最初は真面目に働いていました。
でも、これは差別ではないかと疑問に
思ったので、S課長に聞きました。
S課長はそれに対し、わかりやすく説明
しようとしませんでした。
納得できるまで同じことを何度も話し合い
をしましたが、S課長の説明には、
一貫性がなかったのです。
これに疑問に思ったので、私の立場からは、
これは差別だと断定しています。」

S課長はこの後、自分の説明の非一貫性
には触れず、話を変えました。

S課長;
「今後の仕事について説明する。
あなただけにやらせず、皆がやっていた封入
作業もやってもらう。
休み明けの、Oさんの説明の後に」

突然この話が出てくるということは、
この面談の前に、M課長とこのシナリオを
つくっていたんじゃないか?
と私は疑いました。

それくらい、自分の都合の悪いところに
つけ込まれると、不自然な避け方だと
思いました。

私;
「私がなぜ怒っているのか、わかりますか?」

S課長;
「どうしてほしいのか?」

私;
「S課長は職域差別をしたことを認め、
謝るべきだと思います」

S課長,M課長;
「差別ではない。
差別はしていない。
不満は誰にでもあるし、それを変えていく
のは自分」

私;
「不満と差別は違います。
私は、社外の人に本件を話したが、他の人も

『私たちの場合は不満だが、あなたの場合は
私たちの不満とは違う。
差別だと思う』

と話してくれました。
私も会社がしていることは、差別だと思って
います」

S課長,M課長;
「差別しているつもりはない」

私;「これが差別ではないと言うのなら、
どういう言い方にすればいいのですか?」
(私が自分で勝手に「差別された」と
思い込んでいるだけ?)

M課長;「差別ではない。
あなたが我々にそう言うことが差別になる」
(M課長は「S課長は差別行為をしている」
と言う私のほうこそ、我々(S課長、M課長)
に差別している)と言いたいらしい)

私;
「逆差別だと言うのですか?」
(S課長は「私が我々(S課長、M課長)を
差別しているから、我々も差別をしてやろう」
というのですか?)

私;
「S課長もM課長も、差別とは何かということを、
わかっていません。
だから差別を受けた障害者の精神的苦痛も
理解できない。
理解には、今回だけの話し合いだけでは
無理だとわかりました。」

S課長、M係長、M課長も、聴覚障害者の立場
からは、自分(課長たち)のしていることが
どう見えているのかを、理解しようとしていない
ようでした。

これで、組合も含めて

「会社の人間は(聴覚障害者差別問題に対して)
聞く耳を持っていないようだ」

と思いました。
だから、大幅妥協しなければ、
今後が進展する話し合いにはならない、
と私は思いました。

勿論、会社の人にコミュニケーション障害からくる、
聴覚障害者の心の病気、苦しみがわからない
ままでも、困るわけですが。

M課長;
「我々が忙しい合間に、あなたのために
ここまでしてやっている、
この話し合いが無駄だということ?」

私;
「無駄と言っているのではありません。
話し合うだけでなく、障害者問題の解決
には、お互いに勉強することも必要です。
健聴者が聴覚障害者差別をわからない
のは勉強不足だから、問題の背景も
理解できないのだと思います。
今日話し合ってみて「会社でいきなり
話し合っても、理解は無理」だとわかり
ました。
だから、理解にはまだまだ時間が
かかります」

私の気持ちとしては、このとき

「差別以外の何ものでもないのに、
『差別』と言ってはいけないのか?」

と思いました。
差別は、受けた立場にわかるだけで、
した方にはわからないものなのかもしれない。
これこそ無知、無関心、無意識による差別
なのかもしれない。

S課長は、能力評価に基づく格差と説明
しているようだが、実際は明らかに違う。

しばらく、この応酬の繰り返しになったが、
M課長が話の流れを変えた。

M課長;
「わかった。
じゃ、あなたが差別を受けて、我々が
辛い思いをさせてしまったというのなら、
会社として謝る。
だから、過去のことはここまでにして、
差別を言うのも、これでやめにしよう。
これからは今後のことを、考えよう」

S課長;
「私のほうからも、謝ります」


私はこれも、会社が事前に用意していた
妥協案の選択肢ではないか、と思いました。
理解ではないと思いましたが、この場は
もう、これを受け入れるしかないと
思いました。

私;
「…(納得はできないが、妥協する以外
にない状況なので、しょうがない)」

S課長;(今後の私がやることになる仕事
(封入作業のこと)を再度説明し始める。
さらに続けて評価についても再説明)

S課長;「任せる仕事の範囲は、新人研修
では、プロセスを順次経験してみることに
なっている。
また、能力評価により、人によっても違う。
普通は、一年~一年半は送付状付けを
やり、その正確性を見極めた後、
次の仕事もやってもらう。」

私;
「S課長は今、ウソを言っています」

S課長;
「…」

(M係長も、S課長と同じ説明を
繰り返しだした)


私;
「いいえ、違います。
私よりも後に入った人でさえ、他の人は皆、
先輩とほとんど同じ仕事をしていたのに、
私だけ排除されて、数を数える仕事
ばかりや、ゴミ処理などをやらされて
いました。
それは、聴覚障害者に対する職域差別
です」

私;
「私は最初(○○年○月頃だと思う)に、
S課長に相談したが、

「初めは皆、送付状付けから」

と言われた。」
(しかし事実と違うので、どうも変では
ないか、と思っていた。
そこで、○○年○月も、Oさん宛の
配達記録郵便で質問した。
それに対する答えも、おかしかった。
これをまとめて、次のように言った。)

※以前、私の仕事内容が他の人と違う
理由について会社の人に聞いたところ、
順番に言うと、次の事実になった。

 Oさんの答え;
「上の指示」

 S課長の答え;
「Oさんの指示は、私の指示です」

その後に出た弁明

 S課長;
「皆があなたの仕事を認めるようになれば」
 
M課長;
「あなたの仕事内容はS課長が決める。
S課長がOさんやM係長から、あなたの実績
や勤務態度などを聞いて、判断しているので
はないか。
本人(S課長)に聞かないと、わからないから、
S課長に聞いたら?」

私;
「聞いたが、今のような答えだけだった。
自分の評価が疑問。」
(私は根底に、この会社の障害者差別がある
のではないか、と思う。
「他の障害者も同じ状況」だという、ここの
障害者の実態報告を、ハローワークが私に
直接話しているからです)

その後、M課長が私を説得するため、
いろいろと話したが、よく憶えていない。
短くすると、こういうこと。

M課長;「あなた、は自分からもっと周りの人と
コミュニケーションを取らなければダメだ」

いつのまに、話が全然違う方向に振られていた。

私;「話すことはできても、聞こえなければ
できません。
先日もM係長から

「仕事中に、他の人に話しかけてはダメです」

と言われたばかりです」

(当ブログ
『職場でのおしゃべり
  口話と筆談の違いから…』
〔2011-08-31 21:01〕

参照)

M課長;
「補聴器をつけろ。
補聴器をつければ聴こえる、と話してただろ?
 何でつけないんだ?」

私;「補聴器で聴こえる場合もありますが、
私の職場は若い女性が多くて、そういう人の
声を聞き取るのは苦手なのです」

(M課長は、以前から何度もこう言う。
「補聴器は万能ではない」ということが、
わかっていないのかもしれない。
私が

「健聴者は、聴覚障害者について勉強不足だ」

と言ったのは、このためです)

そこへM係長が、私の

「先日もM係長から『仕事中に、
他の人に話しかけてはダメです』
と言われたばかりです」

の発言部分について、弁明をし始めた。

M係長;
「仕事中のピークのときもあるでしょ。
そういうときに話しかけると、
他の人の仕事が進まなくなったり、
ミスをする原因になるから」


これは全くの言い訳です。

当ブログ
『職場でのおしゃべり
  口話と筆談の違いから…』
〔2011-08-31 21:01〕

で述べているように、みんなおしゃべりは
していたのですから。

私;「数えながら話している人だっています。
それに、そう言いたかったのなら、M係長の
言い方(伝え方、書き方、文章力)に問題
があった、ということでは?

だからこのような誤解が起きるのです」

M係長;「…」

時間もだいぶ長くなっていたので、
この辺で私は次のように切り出しました。

私;「今日の話しをまとめます。
今回の問題は、コミュニケーション不足、
ミスマッチ、ズレが原因だと思います。
これをなくしてゆき、コミュニケーションを
図って、お互いに理解を少しずつ進めて
いく。

ただ話し合うだけでなく、相手のことを知る
勉強も必要です。
コミュニケーションとは、合理的説明を
きちんとすることによって、相手からも
納得できる話し合いであること、
が重要です。

合理的説明とは何かというと、ただ説明
するだけでなく

『そこに相手が納得できる理由がなければ
ならない
(そうでなければ、これには意味がない)』

ということにもなる」

M課長;
「これで話し合いは終わり。
もう、後から「ああだ、こうだ」と言わない事。」

このM課長の最後の話には、カチンときました。
そもそも聴覚障害者の声をきちんと聞き、
理解もしないで、自分ばかり一方的な論理で
言い返しておいて、
それはないんじゃないだろうか。

まず相手の話を聞いて、理解してならわかるが、
理解もしていないで、自分の論理をすぐに
言い出し、それを押しつけてくる。

健聴者は自分たちの論理が正しい、と思って
いるから、すぐこうなるのではないだろうか。

そう思っている限り、相手を理解する余裕は
できない。
こんなのは、本当の話し合いではないのだ。

聴覚障害者が「溶け込めない」のではなく、
溶け込まなくていいことにした
(職場内で健聴者と聴覚障害者を分離している)
のは、実は会社だと思う。

話し合ってみて、S課長、M課長、M係長が
職域差別を理解するのは、まだ無理だと
思いました。
仮にできると思って努力してみるとしても、
それにはかなりの時間がかかるとわかる。
だから、今回の私は大幅に妥協したのです。

会社のそういう至らなさを理解してはいても、
会社の障害者雇用についての考えに
納得したわけではありません。
当然、それについての私の意見は反対なのです。
その気持ちを、彼らはやはりわかっていない
かもしれません。

「もう差別と言われなければいい」とか
「本社にバラされなければいい」というふうに
しか考えていないかもしれません。
会社は、自分の都合のいいようにしか、
相手(つまり私)の答えを受け取っていない
からである。
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by bunbun6610 | 2011-09-27 20:38 | C.クレジットカード会社

聴覚障害者心理

先日、東京都教育委員会主催・聴覚障害者の
コミュニケーション教室に参加しました。

内容は

『中途失聴・難聴者の臨床心理とコミュニケーション』

というテーマの講演でした。

講師は2歳のとき、ストレプトマイシンの副作用が原因で、
長期間にわたって聴力低下し、両耳全ろうの状態に
ありました。

しかし、人工内耳と補聴器を装用していて、
自身を難聴者としています。

当ブログでも、これまでに「聴覚障害」について何度も
述べていますが、講師の説明もハンフリーズ/パッデン博士
の著書『ろう文化案内』と矛盾しません。

 →http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031209313&Action_id=121&Sza_id=C0

 →http://takapan.nobody.jp/hon/h_roubunka.html

講師は「聴覚障害者(deaf)」であるが、「ろう者(Deaf)」ではなく、
難聴者だと自己紹介していました。

講演テーマにある中途失聴・難聴者心理とは、
当ブログでも述べている通りです。

決して難しい理論とか研究報告ではなく、
講師が自らの体験や、同じ仲間(ピア)の状況を話したことが、
聴衆の心を動かしたのではないか、と思いました。
どんなに立派な理論を話しても、聴衆の心が動かなかったら、
聞くだけで終わりでしょう。

本稿では、講演を聴いて、自分が特に思ったことを
中心に述べることにします。


【1.難聴の無自覚、あるいは曖昧な認識】

世間では聴力状態(障害の有無)により、
健聴者と聴覚障害者(ろう者、中途失聴者、難聴者など)
の2つに分けられています。

しかし、聴覚障害者の認定基準は日本の場合、
恐ろしく高過ぎるものであるため、その基準に達しない
難聴者の場合は、社会から何の配慮も受けられていません。

それだけに、難聴者にはどんな障害があるのか、
健聴者にはますます、わかりにくいようです。

結局、難聴者は障害があるにもかかわらず、
障害者として扱われず、
健聴者と同様に扱われるのです。

これが、本人にも自覚しずらくなったり、
自覚を鈍らせる原因になっているのではないか、
と私は思います。


【2.難聴の問題解決方法にはいろいろあって、
そのわりに情報が少ない。
また、決定的な解決方法は少ない】

例えば、補聴器にしても、どこで買えばよいのか、
どれにするか、どこで相談すればよいのかとか、
いろいろと迷わされるでしょう。
医者と業者が話している場を見て

「儲け話に騙されたくない」

と思いこんだ難聴者もいたそうです。
仲間の失敗談も多いです。

近年は人工内耳が注目されていますが、
これにするかどうかの判断は非常に難しいし、
後戻りはできないそうです。

いろいろな方法があるにもかかわらず、
決定的な方法は一つもない、というのが、
難聴者問題の難しいところなのです。


【3.カントの説への疑問】

「目が見えないということは、あなたを物から孤立させます。
耳が聞こえないということは、あなたを人々から孤立させます」
          (イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)

カントは、なぜこう言ったのだろうか?
カント自身、難聴になっていたときに、
これを言ったのだろうか?
あるいはカントが晩年、老人性難聴になってから、
これを言ったのだろうか?

いずれにせよ、この意味は
「聴覚障害は、あなたを人々から孤立させる」
(あなたを人々から孤立させてしまう原因は、聴覚障害である)

ということだろう。
これは「聴覚障害が原因で、孤立が起こる」と言っているわけで、
聴者の立場から言っているにすぎないように、私は思う。

しかし、私自身の長い聴覚障害者人生では、
この言葉は疑問に思えます。

確かに、自分が初めて聴覚障害者だと自覚するようになった頃は、
カントと同じように考えていました。
でも、今は全く違います。
人々は確実に、耳の聞こえない人からは離れてゆきます。
カントの言うそれは、もはや非常に古い考え方で、
それこそ老人性難聴になった人が、難聴ゆえに人々が離れ、
自分は孤立したと考えるのと同じなのだと思います。
決して、自分から離れたいのではない。
しかし、離れた方がいいと考える瞬間も必ずあり、
次第にそれに打ち勝てなくなるのです。

しかしそれは障害に対する新しい考え方、
すなわち国連・障害者権利条約とも相反すると思います。
人々が耳の聞こえない人を放置したり、離れていく原因は、
聴覚障害ではありません。

人々の聴覚障害者に対する見方、対応の仕方、
その心のありように問題があると、私は考えています。

その決定的な証拠が、難聴者が自分の聴覚障害を
カミングアウトできない理由のなかにあります。
難聴者は差別や孤立を恐れるがゆえに、
言わないで黙っているからです。

もちろん、心のありようの問題は、
それにひるんでしまう当事者にも言えることですが、
健聴者も歩み寄らない限りは、どうにもなりません。

そういうことに気づき、健聴者も難聴者も、
コミュニケーションのあり方を再考してほしい、
と私は願っています。


【4.人工内耳の賛否両論】

ろう学校でも、人工内耳装用のろう児が急増している、
という。
ろう児として生まれたのに、親の判断次第で、
ろう者として生きる権利が奪われる、という批判もあるようです。

やや極論ですが、女の子に生まれたのに男の子に
変えようとしているようなものかも知れません。
倫理上、議論が起こるのは必至です。

でもこの批判が起きた一番の原因は、
社会の聴覚障害者への見方や、配慮不足で、
差別があるということなんだと、私は思います。
人工内耳でもろうでも、どちらの子も平等に生きる
権利があるし、そういう社会になっていないことが
問題だと思います。


【5.聴覚障害者心理の段階説、喪失の過程】

聴覚障害者心理は不安定で流動的な性質があり、
今のところ5段階説があるようです。

①「ショック期」 ②「あきらめ期」
③「再適応の芽生え」 ④「再適応の努力期」 ⑤「再適応期」

この段階を、必ずしも①から⑤へ、スムーズに行くとは
限らないし、どうなるかはその人の運命だと思います。

よく「運命は変えられる」とか「運命は変えられない」という
言葉を聞きますが、中途聴覚障害者の場合、
その運命は流されやすいもので、どうなってしまうのか、
最後まで誰にもわからない、不確実性があることは
間違いないと思います。




〔参考情報〕

『障害受容のプロセス』 - たっどぽ~る
http://www.nakachan2.com/juyouprocess.html


『2/2 余命、障害…ショックな事実を受け入れる
心の変遷』

http://allabout.co.jp/gm/gc/376132/2/




【6.1日中、年中、そして生涯、難聴者心理という
精神的苦痛と付き合う方法を探す】

聴覚障害者問題はおそらく、
永久に解決しないのではないでしょうか。
しかし、講師は、人工内耳装用後、
気づいたことがあったという。

それは、人工内耳の副作用を見て、
それについて何か言う人がたくさんいて、
辛かったそうです。
しかし、そうした状況でも普段と同じように接して
くれる仲間がいたことは、嬉しかったという。

一番大切なことは、これなのだと私は思いました。
難聴障害は解決できないかもしれませんが、
人として大切なのは、身体がどうだとかではなく、
心がどうなのかだと、私もあらためて気づきました。

残念なのは、聴衆の多くの人が、人工内耳に
関心を持ち過ぎてしまい、それは難聴者だけでなく、
ろう者にも増えているんじゃないか、
という心配があることです。

この講演のテーマからすると、
人工内耳でコミュニケーション問題を解決することには
触れていないはずだと思います。

けれども、講師がプロフィールを細かく語るに当たって、
また人工内耳装用体験で得たことを語るに当たって、
人工内耳の話が出るのは自然なことです。

しかし聴衆は、それに過剰に関心を集中させていた
ように思えました。

講師自身、自分は難聴者だと言い、
その時へ戻りたいから、人工内耳を選んだ、という。

この気持ちはおそらく、多くの中途失聴者、難聴者も、
当然のように希望と思っていないだろうか?

しかしそこに私は、人間としての危機感を持ちます。
人間の命は、耳ではなく、まさにそのコミュニケーション
能力にあるからです。
どんなときにでもコミュニケーションを可能にする能力が
あるはずです。
それがコミュニケーション講座でもっと語られてほしかった。

だから私は、聴衆がこの講演で人工内耳へ異常に関心を持ち、
そればかりの質問が飛ぶのは、おかしいんじゃないかな?
 と思いました。

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by bunbun6610 | 2011-09-26 23:48 | 聴覚障害者心理