蒼穹 -そうきゅう-

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日本語対応手話の利点、高齢健聴者・難聴者の手話

日本語対応手話には、どういう利点があるでしょうか?

当ブログ

『手話ソング&ダンス嫌い』(2011-06-29 19:49)

でも述べたように、手話歌をはじめとする、
健聴者にもなじみやすい点は、客観的に
見れば長所といえるかもしれません。

それだけでなく、中途失聴者や中途難聴者、
また先天性難聴者も、この手話を学び、
使えるという点はプラス面と見てよいと
思います。

さらに、高齢化社会を迎えた日本は近年、
手話サークルで手話を学びに来る高齢者が
増えています。
高齢難聴者も、難聴者対象の手話講習会に
通う人が増えているようです。

このように、日本語対応手話の出現によって、
高齢難聴者も手話の可能性に着目し、
自身のコミュニケーション方法を増やし、
人生をもっと豊かに楽しもうとしているのも、
人間社会全体にとって、プラス面と
考えるべきだと思います。

手話の起源は不明ですが、
音声語より以前からあったと考えられています(※1)。

 (※1)〔参考文献〕
    →『すぐに使える わかりやすい手話』 
      監修:谷 千春(元NHK手話講師,手話通訳士)(梧桐書院)

さらに、ろう者がかかわっていることも
間違いなさそうです。
それに、ド・レペ神父などの、多くの健聴者も
ろう教育に携わって、手話は現在の形に
発達していったようです(※2)。

(※2)〔参考文献〕
   →『ろう文化案内』『「ろう文化」の内側から』
    (キャロル・パッデン,トム・ハンフリーズ/共著)

ろう学校では、ろう者の手話をそのまま
使うものもあれば、改良したり、
自分たちで考案した手話を新たに加えて、
ろう教育に生かしてきた歴史もあります。

私も昔の栃木県のろう学校の、
手話教育の資料を見たことがありますが、
それがろう者からは日本語対応手話と
呼ばれているものでした。

人間は言葉を使う動物です。
言葉が人間を真に人間らしくするのですが、
当然、言語は一部の人間集団の独占物では
ないわけで、それは手話についても例外でない
はずです。

日本人だって、よくネイティブ・スピーカーから

「変な英語を使っている」

と言われますが、

「禁止すべきだ」

という声までは聞いたとこがありません。
たとえ学問では間違いでも、
言葉は生きていると呼ばれています。

日本手話と日本語対応手話のどちらが正しいか、
とか、どちらが優れているか、といった議論が
起こることもあります。

また、国際的には

「健聴者はろう者の手話を尊重し、
ろう者の手話を使うべき」

という意見もあります。
しかしそれは、「統一すべき」という
意見と見なすなべきでしょうか?

私は、それは違うのではないか、
と思います。

もう一度、高齢難聴者が日本語対応手話を
学ぶことの意義について、考えてみましょう。

詳しくは述べられませんが、多くの人は
高齢になると、難聴になります。

すると、60年、70年も経験したことのなかった
聴覚障害、つまり情報・コミュニケーション障害に陥り、
特に周囲の人との会話ができなくなるのが寂しく、
外出したくもなくなってゆきます。

それが原因で身体の弱体化を一層早めてしまい、
介護老人になる割合も高くなります。

耳の役割は、ふだんから見えませんが、実は、
人間生活に大きな役割を果たしていると思います。

その耳が、高齢になると、ほとんどの人が衰えてきます。
しかし手話という、人間が昔から使ってきた
コミュニケーション方法によって、心のリハビリに成功する
高齢難聴者もいます。

こうした人たちの場合には、たとえ手話をほとんど
覚えられなくても、手話にはこだわらないことです。

コミュニケーションで最も大切なことは方法ではなく、
その意志を持ち続けることなのです。
学校と同じように、一人ではなく互いに、
多くの人で共有し合い、持つことが効果的で、
大切なことです。

だから、集団で手話を学ぶことに、
誰にでも意義があるのだと思います。


ろう者の日本手話を擁護する立場から、
日本語対応手話を攻撃する人もいます。

しかし、高齢になってから日本手話を習得させようとすると、
本人に相当の努力を強いる結果になってしまい、
コミュニケーションを楽しむどころではなくなります。

高齢者のそうした実情を理解し、高齢者に合った
手話学習をすればよいと思います。
高齢者にあっては、手話はあくまでも
手段の一つであって、
目的ではなくていい、と思います。
筆談や、要約筆記通訳を取り入れる方法も、
よいコミュニケーションになります。

もしも、親が年老いてからでも

「手話を教えてほしい」

と言い出したら、ろうや中途失聴・難聴の
息子は喜ばないでしょうか?
こんな場合でも、日本語対応手話では
ダメだというのでしょうか?
下手な手話ではダメなのでしょうか?

おそらく、誰もそんなことは言わないでしょう。
他の人に対してだって、同じことだと思います。

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by bunbun6610 | 2011-06-30 22:42 | 手話

自分の交渉力、説得力を磨こう

聴覚障害者は、情報保障をきちんとしてもらえれば、ありがたいのですが、
そうでない場合には、我慢したり、あるいは要望はしてみるが結局、健聴者にナンタラカンタラと
苦し紛れに拒否理由を言われて、つい同情してしまったりしていませんか。

会社の労働組合主催で『社会科見学ツアー』という企画があります。
チラシを読みましたが、組合費で特別に料金を安くする、という、破格とも言える値段でしたので
興味を持ち、ろう者にも「一緒に参加しないか?」と話を持ちかけてみました。
ところが、誰も興味がない様子だったので、理由を聞いてみました。
一番多かったのは「手話通訳がつかないから」という理由でした。
それは私もわかるが「それならなぜ、要望しないのか?」と聞きました。
その答えは、ある程度予想していましたが「言っても、どうせ無理だ。それが当たり前」という、
消極的なものでした。
とても残念なのですが、今はろう者全体が、こういうムードに変わりつつあるように思います。

文章の読み書きが苦手で、言葉が話せない、年配のろう者が言うのなら、まだわかります。
しかし、文章の読み書きができ、日本語を話すこともできる若いろう者が、そんな消極的な方向へ
傾いているのが、理解できません。
彼らは、ただ耳が聴こえないだけで、他は何でもできる能力があります。
会社もそれに期待したからこそ、雇用しているはずです。
それなのに、もっと苦しい立場でろう運動をしてきた先輩ろう者よりも、意志が弱くなっているとは…。
これは、ろう者だけに限ったことではなく、健聴者社会にも起こっている現象なのですが…。

私はとにかく、労働組合のツアー担当者とメールで交渉してみました。
とりあえず「手話通訳を連れて、参加したい」と伝えてみたところ、次の条件を伝えられました。

「組合費で運営している企画なので、通訳の方は、非組合員参加費(組合員参加費よりも高い)が発生します」

つまり、通訳者2名同行(交代要員含む)だと、その分まで聴覚障害者が払うことになる、
というのです。
これはおそらく、民間旅行会社でも、同じ回答になると思われます。
過去には、六本木ヒルズ森美術館(展望室、スカイデッキ入場料含む)でも、全く同じ回答だった
からです(この詳細はまた後で、述べることにします)。

この回答はある程度予想していたので、私は再度、次の質問をしてみました。

「聴覚障害者への情報保障・通訳の意味をご理解されていますでしょうか?
まずは、そちらの費用負担しなければならないという理由をおっしゃってくれませんか?
納得できる理由がないと、問題と見るしかありません。

ちなみに、通訳者は飲食はしません。」

「通訳者は、国の障害者自立支援法に基づく派遣です。
これを拒否する、または有料という場合には、それなりの理由がないと、
当社の労働組合にも障害者の側に差別的状況がある、と認められると思われます。」

これに対する組合からの回答が、以下のようにまとめることができます。

「①通訳者は、非組合員なので、ツアーに参加する以上は、非組合員としての非会員会費を
払わなければならない。

②差別的状況解消のため、組合から提案がある。それは、組合の費用負担で、手話通訳者を準備する。
これでいかがか?」

なーんだ! それなら組合は最初から、②の話をきちんとすればよかったじゃないか、と思うでしょう。
それも「提案」ではなく、手話通訳を組合で用意できるのなら「聴覚障害の方には手話通訳が
つきます」と、告知すべきでした。
まぁ、何もないのが、従来のやり方ですが、以前から「社内に聴覚障害者が何人もいるのに、
配慮が足りない」と言っているのに、相変わらず健聴者中心の運営しかしてこなかったため、
すぐに忘れるという落ち度が余りある状況なのです。
また、聴覚障害者も同じ組合費を払っているのに、情報保障がないから諦めるでは、
損して当たり前でしょう。

最初の回答からは実行せず、後からこうしてきたのは、やっぱり次の質問の

「通訳者は、国の障害者自立支援法に基づく派遣です」と「障害者の側に差別的状況がある」(※)

という反論が効いたのだろう、と思います。
組合はやはり今でも、聴覚障害者への情報保障・通訳の意味を十分には、理解できていないと思います。

(※)もしこれを言わなかったら、健聴者に言いくるめられて、まんまと逃げられてしまったと
思います。

このように、要望しないと、何もやらないのが健聴者ですから、聴覚障害者は要望しないと、
決して安くはない組合費を毎月の給料から天引きされるだけで、終わってしまいます。
そのためにも、自分の交渉力をきちんと磨きましょう。
諦める方、きちんと要望する方と、どっちが賢いでしょうか?
「わからないから諦める」では、子供と同じです。

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by bunbun6610 | 2011-06-30 22:27 | 情報保障・通訳(就労)

課長の嘘

Q社での就労後問題(日記から)

2011年6月30日(木)

会社から「ワークリサーチ」という書類を出すように、と言われた。

雇用契約は1年間〔※A〕なので、今後は毎年、契約更新の前に、
この書類を書いて人事部へ提出するらしい。

書く内容は、この1年間に自分が担当した仕事内容を書き、
それについての感想(満足度&不満度)、次の契約条件(変更希望、なし)、
再契約の意志(あり、なし)、それに異動希望(あり、なし)及びその理由、
などです。

それで私は、異動希望にしたのですが、M係長からは即座に「それは難しい」
と言われた。

去年、S課長が説明したこととは違っているので、「やっぱりな」と感じた。
S課長のデタラメな弁舌に騙された。

S課長は

「最初は皆、この仕事からやる。実績を積み、評価が上がれば、
仕事の幅も広がる。
だから、今はこの仕事だけであって、障害者だからといって、
単純労働ばかりさせているのではない」

と話していたのに。
言っていることと実態が違うじゃないか。
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by bunbun6610 | 2011-06-30 18:00 | C.クレジットカード会社

池袋西口公園(東京都豊島区)

昔、テレビで『IWGP』(イケブクロ・ウエスト・ゲート・パーク)とかいうタイトルの
ドラマをやってましたが、その舞台になったところです(多分…)。

アントニオ猪木が創設した新日本プロレスの
チャンピオン・ベルトと同じ名前だったので、
ドラマとも、この公園の通称とも、知りませんでした。

ここでキャンディッドフォトを撮ってみようと思いましたが、
あまり向いていないようですね。

人の顔があちこち見えてしまう場所では、
撮影になかなか、集中できなかったです。

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by bunbun6610 | 2011-06-29 20:57 | 街風景

手話ソング&ダンス嫌い

手話サークルに来ているろう者に、次のように聞いてみました。

「手話歌のどこが良いと思いますか?」

すると、ほとんどのろう者が

「わからない」

「キライだ」

「ろう者には合わない」

「健聴者の文化だから、仕方ないかな」

といった答えばかりになります。

ただ、なかには「私は好きです」と答えるろう者もいます。
若いろう者には、手話ダンスをやる人もいます。

あるろう者が、手話ダンサーのろう者に、こう聞きました。

「音楽が聴こえないのに、どうやって踊る(リズムを取る)のですか?」

ダンサーの答えは単純でした。

「リズムは自分の身体が覚えるまで練習する」

信じられないと思うでしょうけれど、見えない努力に裏打ちされた、
高等技術があります。
これは一般の観客には知られていない部分だと思います。

ろう者ダンサーの正面には、後ろの観客に見えないように姿勢を低くして、
音楽リズムのデータを全部、視覚で舞台上のダンサーに知らせる人
(健聴者)がいます。
ろう者ダンサーは、それを見ながら、練習した成果を出しているわけです。

でも、手話サークルの手話歌には、そんな工夫は、少なくとも私は
見たこともありません。
だから正直

「これは、健聴者がただ勝手にやっているだけなんだな」

と思いました。

そういう手話歌が好きだというろう者の場合

「それを観る方ではなく、自分もやるほうが好きだ」

という意味で言っているのだ、ということがわかりました。

私はろう者(Deaf)ではありません。
昔、音楽を聴いていた経験があります。
だから、その素晴らしさと手話歌を比較すれば、
手話歌のほうが物足りないと思ってしまうのです。

「ろう者も歌を楽しむことが出来る」

と言われていても、手話歌なんて、私にとっては音楽ではないのです。

それに、音楽に関係することに少しでも触れると、もっと聴こえていた頃の
記憶を思い出して、

「自分も健聴者になりたい」

と思ってしまうので、それだけでも失聴の辛さがこたえてしまいます。
だから、音楽関係にはなるべく関わらないようにしています。
太鼓など打楽器ならば、わりと感じることができるので好きですが。

こういう負の心理は、ろう者には無いんじゃないか、と思います。

反対に、健聴者にも、同じ質問をしてみました。

健聴者の答えは、手話や聴覚障害者理解などの戦略的進出のためでした。

「ろう者に手話歌が嫌いな人が多いのはわかっているけど、
手話を知らない一般の人に知ってもらったり、
興味を持ち手話を学んでもらうきっかけには、
なると思う」

この話を聞いて、私は

「キリストが生まれた日は12月25日ではない
(クリスマスの習慣は、間違っている)」

という説を思い出しました。
これは本当らしい。

カトリックも、キリストの本当の誕生日は12月25日ではないが、皆がそれを祝い、
知ることが重要なのであって、生まれた日が正確かどうかは、あまり神経質に
なってはいないようです。

あんなに厳格な宗派にしては信じられない説明なのですが、クリスマス商戦も
否定はしていないようです。

手話歌も、このことと似ていると思いませんか?
初めはろう者や、手話への本当の理解にはならなくても、とにかくまず手話に
注目してもらう。
そんな手話のおかげで、手話歌のビデオ、DVD、本など、いろいろなものが
売れます。
手話関係者も関係業界も潤います。

やっぱり、資本主義社会ですから、お金が入ってこなければ何だってやって
ゆけません。
でも、こういうことがもとで、少なくとも初めのうちは、手話に対する誤解
(『美しき誤解』かもしれません)もあることは事実なわけで、これもクリスマスの
話とよく似ていると思います。
まあ手話歌のこういう部分は、あんまり深く考えても無意味だと考えることに
しています。

でも、それでも私は手話歌は嫌いです。
観るだけでも不快なので、なるべく近寄らないようにしています。
それともう一つ、

「私は手話歌なら好きですが、ろう者と話すつもりはありません」――
こんなふうな健聴者も、手話歌のグループにはいるので、悲しくなります。

手話を使うといっても、自己満足的に使っているだけならば、不快に思うのが
当たり前だと思うのです。

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by bunbun6610 | 2011-06-29 19:49 | 手話

手話歌は手指日本語歌?

『故郷(ふるさと)』とか『四季』とか、音楽に合わせて日本語で歌いながら(ろう者は日本語歌声の
リズムに合わせて)、手話の振り付けをする「手話歌」というものがあります。

健聴者文化とろう者文化の融合といわれていますが、これもろう者側からは批判も少なくありません。
手話歌に使われる手話は、大部分が日本語対応手話だからです。
読み取っても、意味がわからないこともしばしばで、そんな歌詞を観ても楽しめないのです。

手話サークルではよく、交流会などでろう者をお客様として呼び、一生懸命に練習した手話歌を
披露します。
ところが、手話歌が始まるとろう者たちのほとんどは、手話歌を観ず、ろう者同士で手話(しゃ)
べり出します。
正直、私も手話歌を観るのは嫌いです。

なぜかというと、第一に、観ても意味がよくわからないので、疲れます。
当然、面白くもありません。
それに「これって、本当に手話なのか?」と疑問に思いながら観ていても、不快になるだけです。

手話歌は、自分が馬鹿騒ぎみたいにやる立場ならば楽しめるのですが、逆の観る立場は苦手です。
あれは「手話を歌の振り付けに取り入れただけだ」と言う人もいます。
でも私は正直、それ以上に疑問で「あれは手話ではない。手話とは呼ばないだろう」と思っています。
「まぁ、これも、(健聴者の場合は)手話の使い方だ」というところまでは許容できても、
手話とは言えないと思います。

手話というのは、文字を見てわかるように、「手で話す言葉」のはずです。
つまり本来、コミュニケーション言語であり、相手(この場合はろう者)に理解できないような文法で、
一方的に表すものではないはずです。
通じるから、通じてこその「手話」であって、通じないものを手話と呼んでもよいものなのだろうか?
 という疑問が絶えずあります。

別に、そんな手話歌があっても、かまわないとは思います。歌に手話を取り入れることによって、
いろいろな利点はあるでしょう。
特に、健聴者の手話単語学習、健聴者のためのイベントには、華を添えられると思います。
しかし、今の手話歌は理解できません。
健聴者とろう者の文化の融合というのならば、もっと別のものができるんじゃないか、と私は思います。

オランダでは、健聴者もろう者も一緒に手話ダンスを楽しめるように、ライティングなどで音楽の
リズムをろう者にも同時に伝える工夫をしている、と聞きました。
そんな工夫すら、日本の手話サークルがやる手話歌にはないので、本当にがっかりしています。
健聴者の自己満足的な手話歌には、不快感を抱くのは当然だと思います。

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by bunbun6610 | 2011-06-29 19:46 | 手話

ろう者の退職

就労後の問題(Q社)

2011年6月29日

私の会社で、今年中に3人のろう者が退職するらしい。
一人は、定年延長制度も満了なので、退職します。
その人には、これからは思い切り、
年金生活を楽しんでほしいと思います。

もう一人は、本人が従来の労働契約延長を希望しない、
という。
理由は、健聴者と自分との扱い方の違いに、
差別を感じているようで、その不満から辞めたいようです。
それは仕方ないとしても、転職先もまだ決まっていないのに辞めて、
どうするというのだろうか?

残るもう一人も、転職先が決まっていないというのに
「辞める」と伝えてしまった。
その人の辞める理由はわかりませんが、
どうしてこうも、将来のことも考えずに「辞める」と言って
しまうのだろうか? と思います。

大震災と原発事故の後、この経済状況で辞めたら、
再就職先を探すのは容易ではないはず。

しかし、それでも辞めたいというのは、
よほどの気持ちなのだろうと思います。

とにかくこれで、ろう者5人のうち、
一気に3人もいなくなってしまいます。


〔参考〕

当ブログ『聴覚障害者の転職率が高い理由』
〔2011-05-28 20:00〕


ろう者対策の労働問題相談所がほとんどないから、
こういうことが頻繁に起きてしまうのではないか、
と思います。

会社のほうも、ろう者のことを

「耳が聴こえない以外は、普通の人と変わらない」

と軽く見過ぎているふしがあると思います。

同じ聴覚障害者ならば難聴者よりもろう者のほうが、
ダブルカウントの法定雇用率が適用される、
また助成金ももらえる、といった数々のメリットに魅力を感じて、
企業は重度聴覚障害者の方を雇用するのではないか、
と思われます。

しかし、見た目は同じようでも、ろう者はろう者で、
心が違うと思います。
難聴者も同じです。

そこまでは会社もよく見ていないと思います。
会社は働くところ、利益追求をするところなのですから。

ろう者のこうした「逃げ」の姿勢を変えないと、
この問題は解決には向かわないと思います。

我慢している人だって、結局は同じことです。
「とっくに諦めている」とか
「そんな問題なんか、どうでもいい」とか
「仕事が終わったら忘れるだけ」とかは結局、
問題からいつも逃げていることには
変わりありません。

また、健聴者の理解不足も変えていく必要が
あると思います。



〔参考〕

http://www.deaf.or.jp/08/post-1305.html
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by bunbun6610 | 2011-06-29 18:00 | C.クレジットカード会社

明治神宮の紫陽花と百合の花(東京都渋谷区)

 →http://www.meijijingu.or.jp/

明治神宮の北参道口(代々木駅方面から)に、たくさんの紫陽花と百合の花が咲いています。
珍しい花の個体はありませんでしたが、なかなかきれいです。

参拝のついでに寄られるといいと思います。

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by bunbun6610 | 2011-06-27 20:25 | 紫陽花

「手話」と「手指日本語」

当ブログ『手話のダイグロシア』〔2011-06-21 00:16〕
から話を続けてみます。
「異論」というのはつまり、

「日本語対応手話は「手話」ではない。
「手指日本語」と呼ぶべきである」

という点についてです。

当ブログでも、ろう者(Deaf)の母語は日本手話であると
述べています。

(ただし、もしも日本語対応手話を使う親
〔難聴者とか、手話を使う健聴者の母親〕
から学び、学校は健聴者と同じ普通学校に通い、
日本手話の影響を全く受けなかったら、
そのろう児(deaf)は日本語対応手話が
母語だと言えるのではないか)

あるいは日本語対応手話は、
もともとあった日本手話とは文法が異なり、
独自の文法を持っていません。

「日本語対応手話は日本語の代用に過ぎない」

と言えます。
さらに

「日本語対応手話は視覚言語なのか?」

という疑問を投げかけてきました。

私自身は、手話のそうした使い方を否定するつもりは
ないのですが、少なくともこのままで「手話は言語である」
と認められても、言語学上の混乱も避けられなくなって
しまうのではないか? と感じています。

ようやく手話が言語として認められようとしているときに

「耳の聴こえない人が、日本語の補助として用いるもの」

では、とても「独立した言語」とは言えず、
ろう者(Deaf)の手話はまたもや、
正当な評価を得られなくなってしまうのではないでしょうか。

他にも、「手話は言語」と認められたら、
今度は健聴者も日本語対応手話を使って教育をはじめ、
社会に広めるでしょう。

しかし、それによって今度は日本手話が不当な扱いを
されないか、という危険性が高くなるのでは、と心配します。

しかし、だからといって日本語対応手話を「手話」という
呼称から外せ、というのは、容易なことではないと
思います。

かと言って

「どちらの手話でもよい。
どちらも「手話」と呼ぶ」では、これまでのように、
手話は誤解
されてきたと思います
(当ブログ
『誤解されている手話』〔2011-06-18 21:25〕
参照)。

日本手話には明らかに日本語対応手話や音声言語より
優れた点があり、それがまだよく知られていません。
それも、健聴者社会では日本語対応手話のほうへ
傾倒している理由ではないか、と思われます。

もしも日本語対応手話が主流になれば、
ろう者(Deaf)の理想的な手話通訳実現へ、
カベになる可能性もあります。
かといって、今さら日本語対応手話を手話と認めず、
「手指日本語」としてしまったら、それは単なる
名称変更では済まされないのではないかな?
と思います。
一体、それぞれが別になることなんて、できるのでしょうか?

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by bunbun6610 | 2011-06-26 08:45 | 手話

親の責任、健聴者の罪

「親は、死ぬまで自分の子どもに対し、責任がある」
(『自分を最高に生きる』〔アーノルド・ベネット・著/渡部昇一・訳〕)

 →http://www.aga-search.com/441-6-17arnoldbennett.html

実は正確には憶えていないのですが、
こういう意味の言葉を、上の本で読んだ
ことがあります。

「もしも、わが子が罪を犯し、刑務所に入ったならば、
子どもが出所したとき、親は迎えに行かねばならない」

とも、書いてあったと記憶しています。

これは、新約聖書のキリストの教えにも共通する
考え方だと思います。
聖書では親とは「父」と呼ばれる神であり、
「子」とは人間というふうにもよく解釈されます。

ですが、実際に自分の子どもに関して、
責任を持つ親は、どれだけいるでしょうか?

当ブログ『理解されない難聴 消せない記憶』
(2011-05-30 00:43)では、親に粗末に扱われたり、
捨てられたり、なかには絶縁してしまったりした
聴覚障害者の一例を話しました。
私も、そのなかの一人です。

だから、ベネットの言葉は、非常に責任感があり、
それでいて人間社会の基本となる教えだと思うのです。

けれども、私の体験から正直に話すなら、親とは、
こうはなりません。
私の体験では、親とは次のような存在です。

健聴者の男と女は、次のように会話する。

「さぁ、私たちは結婚したぞ。
これか二人で幸せに暮らそう。
それには、何かな?
まず、幸せな家庭を築くことじゃないかな?」

そして彼らは、神に誓った永遠の愛とやらの名の下に、
セックスをする。
セックスなど愛ではなく、ただの性欲に過ぎない、
ということもわからずに。

そうして、自分たちの欲望を満足させるために、
彼らは子どもをつくる。
彼らは、生まれた子どもを見て喜ぶが、
それはつかの間のこと。

やがて、耳の聴こえない子どもが生まれたのだと
わかると、パニックになってしまう。
そして、しばらくしてパニックから乗り越え、
耳が聴こえないわが子をどうやって育てようかと、
あちこちに相談に行くのだが、どこも

「決定的な良い方法などはない」

と言われる。

その後は途方に暮れて、この重荷から逃げたい
がために子どもを放っておくか、
ヒステリー状態になって、誤ったスパルタ式教育をし、
わが子を何とか健聴者社会で生きてゆけるようにと、
支離滅裂に試みる。

だが、子どもは絶対に、その期待に完璧には
応えられない。
健聴者社会が聴覚障害者を排除するか、
ないしは奴隷としか見ていないからだ。

現実に、私の身体は自由であっても、
精神は生まれたときから、健聴者のつくった鎖に、
ずっとつながれたままだ。
私に本当の自由なんか、今でもない。

ここで親はもう、完全に絶望するのではないだろうか。

しかし、そのとき、聡明な親は、こう悟るかもしれない。

「人間を真に人間らしくするのは、愛だ。
障害のある子どもも、障害のある子どもを持つ親も、
幸せに生きる権利はある。

だが、今の社会はそうなってはいない。
そういう社会に変えていくことは、
できないだろうか」

方法はあります。
それが国連・障害者権利条約です。

提唱して20年以上もかかって、ようやく採択されたが、
時間がかかった分、この条約には難しい問題解決も
盛り込まれました。
その一つが、聴覚障害者の権利擁護です。


利己的な親は、子どもは自分たちの夢を叶える
ための道具だと思っている。
競馬場で馬券を買うみたいに、子どもをつくる。
自分たちにもし、障害を持つ子どもが生まれたら
どうするかなんて、考えてもいない。
ただヤルことしか考えていない、発情期のオスとメス
に過ぎないのだ。

そして、たまたま聴覚障害を持った子どもが生まれると、
頭を抱えて

「私たちはハズレを引いてしまった。
もう、仕方がないんだ」

とこぼす。(冗談じゃない!)
そして、子どもをとにかく、学校へ放り投げてしまう(※A)。

私は「仕方がない」という言葉を、親や大人から
何千回聞かされてきました。
それで子どものころはずっと「諦めるしかない」と
思っていました。
でも、それは絶対に間違っていると、
今では確信しています。
実は、大人の間違った考え方が、子どもの持つ
豊かな可能性、希望も捨て、潰してしまっていたのだ!

この思考こそが『神よりの逃走』(マックス・ピカート/著)
そして、『死にいたる病』(セーレン・キルケゴール/著)だと、
私は思うのです。

本当の絶望からは、希望の光も必ず、どこかに見えてくる
はずです。

(※A)ろう学校でも、学校教育だけでは限界がある、
と言われています。
特に社会マナーなどに問題のあるろう児は、
家庭環境に問題がある生徒、との報告が
なされています。

子どもは子どもでも、耳の聴こえない子どもとは
会話できない、と健聴者は考えやすいです。

言い換えるならば、健聴者は音声言語にこだわります。
それが当たり前で、それ以外のコミュニケーション手段、
例えば手話や筆談などは当たり前ではない、
と考えています。
実は、それがバリア(障壁)になっいるということもわからずに。


結婚したときから夢に描いていた、
子どもをはさんでの夫婦会話が、
成立しなくなる。
それではつまらない、と考えます。
自分たちの思い描いていた、幸福な家庭とはイメージが違う、
と文句を言い出します。

だが、デフ(Deaf)・ファミリー
(→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC)
は違っていました。
彼らは、子どもが聴こえる子でも、聴こえない子でも、
大変喜んで、子育てを一生懸命したと、語っています。

子どもは、親の私物ではありません。
天からの授かりものなのです。


筆者注)
ウィキペディアでは「デフファミリーとは、家族全員が
聴覚障害者‐特にろう者‐の家族のことである。」と
説明しています。
ウィキペディアでいう「聴覚障害者」とは、
「ろう者(Deaf)」「ろう者(deaf)」「難聴」「中途失聴」の
全てを総称した用語です。

しかし、私の考えでは
『ろう文化案内』『「ろう文化」の内側から』
(キャロル・パッデン,トム・ハンフリーズ/共著)と同じく、
「ろう者(Deaf)」と「ろう者(deaf)」に区別しており、
上の話の「デフ・ファミリー」とは「Deaf family」の体験談です。

一方、難聴の親を持つ聴覚障害児の家庭だと、
健聴者の親と同じ考え方で育てている例も知っています。

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by bunbun6610 | 2011-06-26 00:48 | 国連・障害者権利条約

ある聴覚障害者から見た世界
by bunbun6610

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