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カテゴリ:はじめての方へ( 9 )

表現の自由


https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64341



性差別、ヘイトスピーチ論議に必須!
「表現の自由」の超基礎知識

2019年5月3日
志田 陽子
武蔵野美術大学教授(憲法、芸術法)




>「「異論」のない社会は存在しない
近年、コンビニに成人誌を置くべきか否かの論争に象徴的に現れるように、
メディア上の表現や、書店・コンビニに配置された本が、
女性や児童、障がい者にたいして不適切である、配慮がない、
弱者を傷つける表現である、との声が上がることが増えた。
筆者はこのこと自体は健全な流れだと思っている。
どんな表現も、誰かを不快にさせているものである。
もしも、声が上がらない社会があるとすれば、
声をあげたい人々が何かを怖れて沈黙している
《絶対的差別社会》か、
声があがる可能性を国家が先回りして神経質に
摘み取っている《表現の不自由社会》かの、
どちらかだろう。
「表現」は人の感受性や自尊心を傷つける可能性を
常に持っている。
その「表現」を、先回りして傷つく人が出ないように
という発想で国家が規制すれば、あらゆる「表現」が
立ち行かなくなる。
だから、傷ついた人々は、泣き寝入りせずに
「その表現は私にとって不快だ、つらい」
「私はその表現を子どもに見せたくない」
という「表現」(対抗言論)を社会に出すことで、
不快と思う表現を淘汰する「自由」を与えられている。
批判をされた側も、自己の表現に価値があると思うなら、
そのことを主張し、撤退せずに頑張る「自由」がある。

異論というものが起きない完全な調和の世界というものは、
おそらくどこにもないし、将来も実現しない。

むしろ、衝突や異論があることによって、
社会はハンドルを右に切ったり左に切ったりアクセルを踏んだり
ブレーキを踏んだりしながら進んでいく。
こうした試行錯誤にたいして開かれていることが、
「表現の自由」が想定している「自由」のあり方である。

そうした基本的な考え方があるので、
「表現」にたいして国家や自治体が規制をする場合には、
強い必要性がなければならない
し、
必要性が認められる場合にもその規制のあり方は必要最小限度の
ものであることが求められる。
これはどのような表現も絶対無条件に放任しなくてはならない
ということではなく、目的や必要性の不確かな規制を排除して
市民の側の自由を確保するための考え方である。
だから、「これは品のない不快な言論だ」と思ったら、
一般人がそういう対抗言論を行うことが期待されているのである。
こうした考え方を「思想の自由市場」という。
これが「表現の自由」の想定する基本的な環境と考えられる。」




私が現在所属している会社にも、雇用契約書(要連帯保証人1名)、
就業規則などでインターネット上への書き込みの禁止が定められている。
これはつまり、
声があがる可能性を国家(会社)が先回りして神経質に
摘み取っている《表現の不自由社会》

に該当している。
この会社は、たったこれだけでリスク管理になり、防御線になる、
と考えている。
自社の「臭いものにも蓋ができる」という、とんでもない発想まで
している。
しかしその一方で、従業員の質を真に高める教育は全くしない。
いや、「だから教育なんて、する必要がなくなった」と考えている
のだろう。
このようでは、極めて脆弱な企業体質と言わねばならない。
そして、誰かが声を上げなかったら、この体質は変わらないのだ。
それには、告発者に並ならぬ意思と覚悟が必要になってくる。
これがインターネット暴露の発端なのだ。

障害者差別の問題もしかり、である。
障害者はマイノリティなので、マジョリティ組織の中では常に、
とても辛い立場に置かれやすい。
私が『就労後の聴覚障害者問題』を執筆し続けるのも、
これが理由だ。


>「ここでの《ステレオタイプ》とは、その人の個人としての意欲や
能力に関係なく、その個人が属している何らかのアイデンティティ
(性別、人種、民族など)に基づいて、当人の適性が固定的に予測
されてしまっていること
をいう。
女性は論理的思考に適さないとか、男性は暴力的である、
といった事柄である。
「表現の自由」実践の場であるメディアは、《多様性の確保》に
よって、このステレオタイプを克服することが期待されている。
繰り返しになるが、一定のステレオタイプを強化するような表現
ばかりでなく、そこに揺さぶりをかけるような表現が出てくる
環境が求められるのである。」



民主主義・・・。
そうだな。
これが民主主義社会なのだから。



>「世の中には、ステレオタイプに苦しんでいる
マイノリティは少なくない。」



勿論、やった以上は批判者、社会に対して、
個人で全責任を取らなければならない。
もっとも、一旦流出させた情報はもう回収不可能だが。
結局、こうなったらリスク管理は不可能だ。
自分も結局、刑務所行きを覚悟でやるだけだ。
そして、もしまた出所できるようなことがあったら、
同じことをまたやる。
反省はしない。
こんなふうでは、批判をしたって意味がない、
と批判者も思うことだろう。
その通りだ。
ごくまれにしか聞かないが、「実りある対話」という
言葉がある。
そうなることが、本当に望ましい結果であり、
お互いにとっての真の希望になるのではないだろうか。

幾らテロリストをつぶしても、また出てくる。
それと同じだ。
テロリスト・グループが別の名称になるだけだ。
武力も暴力も規則も、結局は意味がない。
暴言、暴論もそうだろうが・・・。
by bunbun6610 | 2019-05-06 08:20 | はじめての方へ

「バイトテロ」との違い


https://www.excite.co.jp/news/article/Jiji_20190304X355/



大戸屋、12日に全店休業
=不適切動画問題で従業員再教育
―業績修正と役員処分も

時事通信社
2019年3月4日 20:03


和食レストラン「大戸屋ごはん処」を展開する外食大手の
大戸屋ホールディングスは4日、アルバイトによる
不適切動画問題に関連して、12日に国内全店舗を休業すると
発表した。
従業員の再教育などを行うためで、業績予想の下方修正や
役員の処分も公表した。
 大手チェーンがこうした問題で平日に一斉休業に踏み切るのは
極めて珍しく、外食業界で相次ぐ従業員の悪ふざけが異例の
事態に発展した。
 この問題では、マスクで顔を隠した人物が店内でズボンを
脱ぐなどしてふざける映像がインターネットに投稿されていた
ことが2月に発覚。
同社によると、直営店「りんくうシークル店」(大阪府泉佐野市)
のアルバイトが撮影したものだという。
関与したアルバイト3人を既に解雇しており、法的措置も
検討している。
 休業は国内で運営する350店舗が対象だが、
商業施設内の一部店舗は営業する可能性がある。
研修では、スマートフォンなど携帯端末の持ち込み禁止や
終業後の速やかな退店などを確認し、書面で署名・宣誓を
求めるという。
経営責任を明確化するため、窪田健一社長ら取締役5人の
3月の報酬を10%減額する。
 2019年3月期の業績予想については、
今回の問題や昨年後半からの売り上げ不振を受けて、
売上高をこれまでより1億8000万円、
純利益を4000万円、それぞれ少なく見積もった。




==============================






「バイトテロ」生かされない過去の教訓
JIJICO
2019年3月4日 11:00
https://www.excite.co.jp/news/article/Jijico_31382/








【実例記事】


就労後の聴覚障害者問題I
https://bunbun6610.exblog.jp/i69/



私がこのブログでしていることは、企業にとっては大打撃に
なるのだろうが、それでも公益性のためになる、
という信念から行い続けている。
障害者雇用の場合、企業の求人票はあっても、
障害者への配慮などに対する情報はほとんど何もないのが実情だ。
これが、障害者差別解消法を無意味にしてしまっている、
最大の原因になっていることは間違いない。
だから、ブラック企業に引っかからないためにも、
必要な情報であり、誰かが勇気を持って公開すべきなのだ。


【関連記事】
『『就労後の聴覚障害者問題』を書き始めた理由』
[ 2018-09 -12 00:12 ]
https://bunbun6610.exblog.jp/238753094/



私はこのブログで

「真面目に働き、きちんと成果を上げている障害者もいるのに、
あなたがた健常者はこんな仕事をしています。
これで給与も待遇も下になるなんて、おかしいではないですか。
これを、「差別」というのではないですか?」

という声を発しているのである。
とんでもない“暴露”だけれども、“事実”は変えられない。

もともとは、こうした差別状況の改善を訴えるために書いていた記事であり、
それは「バイトテロ」とは全く違う。
それなのに、同じもの、あるいは似たものとして見られるのは心外である。

決して、戦争ではない。
社会が変わり、社会が正しい社会良識を備えるために、
必要な個人活動なのだと、私は考えている。
安田純平さんという、フリーのライターもそうなのだろう。
これは、自己中心的な人間が“自作自演”して作った
「バイトテロ」とは違うのである。
by bunbun6610 | 2019-03-05 08:23 | はじめての方へ
私が『就労後の聴覚障害者問題』を書き始めた
理由について、今から書くことにする。

だいぶ昔のことになるが、三井系の大企業に勤めている、
ある聴覚障害者が次のように話したのが、きっかけである。

「障害者版『会社四季報』みたいなものがあったらいいんだよ。
障害者がそれを読んで就職先を決める参考にすればいい。
会社四季報には障害者雇用版ホワイト企業とブラック企業が、
その内容(理由)を詳細に載せて、
障害者が会社選考の目安に出来るようにすればいい。

そうすれば会社だって、自社の評判を良くし、
より良い障害者を集めたくて、
職場改善・ダイバーシティ推進にも、
もっと他社と競って努力するだろう」

こういった話だったと記憶している。
しかし、障害者版『会社四季報』なんていう本をつくれる
可能性は低いと思う。

出来るとすれば、インターネットで話題に出来る、
『みんなの評価ランキング』(通称;『みん評』)の
障害者版ではないだろうか。


『みん評』
https://minhyo.jp/


『みん評』へ、この提案をしてみようかと考えたこともある。
しかし、これにも問題点がある。

もしも、こんなサイトに内容を掲載したら、
企業には誰が書き込んだのか、すぐに分かってしまうのである。

障害者雇用で採用される障害者の数は、とても少なく、
限定的になっている場合が多い。
だから、障害名と書き込んだ内容だけで、
誰の書き込みなのかも、発見した企業にはすぐに分かってしまう。
これでは、投稿者が誰もいなくなってしまうだろう。

しかも、近年、どこの会社でも雇用する際には連帯保証人付き
の『誓約書』を本人に書かせて、提出させる場合がほとんどだ。
当然、連帯保証人になってくれた人に、
迷惑をかけるわけにはいかない。
もし、投稿している事実がバレたら、いや万一、
疑われただけでも、次の雇用契約更新も断ち切られるであろう。
それを誰もが恐れて、結局は投稿者が誰もいない、
という結果になりかねない。

となると、方法は唯一、有志による自主投稿しかない、
ということになってしまう。
これも、非常にリスクが高い。
実際に、ある企業の従業員が当ブログを見つけ出して、
労働組合と人事部に密告した者がいた。
それで私は実質、クビになった。

だから、皆さんはこうしたことはしないほうがいい。
愛する家族がいる人ならば尚更、
やってはならないことである。

なのになぜ、私の場合はここまでのリスクを覚悟で
しているのかというと、
それは聴覚障害者の将来のためでもあると、
私は思っているからである。
これを聞いて、非難する人は多いだろう。
「迷惑だ」と思っている人がほとんどだろう。
しかしそれでも、私は自分の信念を貫きたい。


過去にも、似たような前例がある。
国鉄のバリアフリー化を訴えるため、駅改札口・駅構内を
強行突破した車椅子障害者たちの暴走事件と、
無免許運転を繰り返していた聴覚障害者・樋下光夫さんだ。




聾史を探る(旧)
『運転免許裁判が始まる前に聾者達が取り込んだ事』
〔2010-07-02 19:55:21〕
https://ameblo.jp/ooinarukibou/entry-10579648620.html




「ろうあ者運転免許取得運動」が出来たきっかけ、
またその流れなどを、分かりやすくまとめてみましたので、
どうぞゆっくりとご覧下さい。

2016.09.13 14:25
https://deaflife-bridge.themedia.jp/posts/1312023





Eテレ『ろうを生きる 難聴を生きる』
『問い続けた70年』
http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/summary/2015/07/0718.html




樋下さんの話をろう者から聞いたら、
当時は無免許運転をしたことについて、
ろう者の仲間からもたくさん非難された、
ということだった。
だが、その話では、樋下さんは実家で
クリーニング業を営んでおり、
その仕事でどうしてもバイクが必要だったため、
何度も捕まることを承知で繰り返していたそうだ。
だから当時の運転免許制度は、
ろうあ者への職域差別の原因にもなっていたのだ。


また、車椅子障害者の強行突破も、
相当な勇気がいることだっただろう。
しかし、それがきっかけで現在、
駅にエレベーターが設置されるようになったのである。
このお陰で、今ではお年寄り、足などを怪我した人、妊婦、
ベビーカーの人なども、多くの人がエレベーターを
利用できるようになった。
彼らが、今の時代の道を拓いた人たちだったのである。


私は、聴覚障害者にも健聴者と全く同じ内容の試験が
課せられてしまう運転免許制度にも、
強い疑問を持っている。


【この疑問に該当している当ブログ記事】


·『障害者手帳はもらえません。
片耳が聞こえないってこんなに大変なのに・・・』
[ 2015-04 -19 18:30 ]





·運転における、補聴器装用条件への疑問
[ 2014-09 -08 18:30 ]







·聴覚障害者が、原付自転車や自動二輪を運転する場合は?
[ 2014-09 -03 18:30 ]





全ての聴覚障害者がフェアに運転免許を取得でき、
しかも聴覚障害者の運転技術の安全性を
免許証交付によって保証できるようにするためには、
今の運転免許制度を聴覚障害者に適合した内容に、
大幅に変えるべきだろう。
聴覚障害者に適した自動車教習所の受講内容にすることと、
試験方法を変更すべきなのである。
何故、日本の警察はそれをしないのか疑問だ。

これについては、また別の機会に述べたいと思っている。
考えは既にまとまっているが、
いつになったら書いて投稿するのかは、
全くの未定であるが。
by bunbun6610 | 2018-09-12 00:12 | はじめての方へ
『就労後の聴覚障害者問題』解説


このカテゴリの記事は、実話です。
ただし、企業からの監視・追及を避けるために、
記事本文に一部目隠しをしたり、
投稿日を変えたりしています。

障害者差別のような事実を長く記憶している
健常者は、そういないでしょう。
ですから時間を置いた後に、
公開することにしているのです。
こうすれば、企業にはわかりづらくなるでしょう。

アンネ・フランクが、ナチスの目から逃れられた
後に公開しようとしていた日記と、
同じ手法だと思います。

全てのカテゴリに記事は投稿されていますが、
現在、そのほとんどを公開していないのは、
そのためです。

現在公開している記事でも、用心のために、
アクセス状況によっては急遽、
非公開設定に切り替える場合がありますので、
ご了承下さい。
by bunbun6610 | 2015-12-14 23:17 | はじめての方へ
当ブログは、昨日で訪問者数10万人を突破した。

このブログは、正確には2011年1月13日が
初投稿日なので、それから3年7ヶ月になる。

記事数は現在までに1631件あるが、このうちの
少なくとも300件以上は、非公開になっている。

理由は、それらの記事に関しては、常時公開して
おくことができない記事内容だからである。

わずか数日しか公開していない記事もあるし、
一度も公開していない記事もある。

だが、これもすべて、私の計画通りである。
企業が好き放題に障害者差別をしていて

「障害者は泣き寝入りするしかない」

と思うのは勝手だ。
しかし、本当にそれで済ますつもりはない。

企業内障害者差別といえども、必ず暴露される
日は来る。
本当はそういう目的を強固に持った、時限爆弾の
ようなブログなのである。


現在の訪問者数は年間5万人以上のペースだ。

正直

「これ以上訪問者数が増えてしまうのは良くないな」

と思っている。
今、職場にバレるようなことになれば、確実にクビに
なるからだ。

実際に以前、バレてクビになっているので、
皆さんは決して、このようなことはしないほうがいい。

たとえバレなくとも

「この聴覚障害者は誰?
もしかして、ウチにいる聴覚障害者なのでは?」

という噂が広まれば、いたる会社で働いている
聴覚障害者が、疑われてしまう可能性がある。
そんなことになれば、きっと誰にだって、
迷惑な話だ。
そういうわけだから、ランキングには一度も
参加していない。
内容的には、もっと認知されていってほしい
社会問題なのであるが。

だがそれでも、こういうブログをすることになったのは、
理由がある。
やはり、日本にも正真正銘の「障害者差別禁止法」を
つくる必要性を訴えるためである。

それだけではなく、それに関連する、いろいろな
法整備を行っていく必要があるはずだ。

「(仮称)情報コミュニケーション法」のような法律も、
本当ならば聴覚障害者には絶対に必要だった。

その説得力を持つために、これだけの事実を暴露
してきた。
勿論、それには、それなりの覚悟がいる。


日本政府は安易にも国連・障害者権利条約を
批准したが、これは勿論、まだ形式的批准に
過ぎない。

全ての障害者は、国際条約が批准されただけで
完成だと思ってはならない。
条約の理念を成し遂げるには、障害者による
原動力が必要なのである。
by bunbun6610 | 2014-08-10 18:00 | はじめての方へ
当ブログに記載の聴覚障害者差別等の問題事例は、
下記の企業で実際に起きたことを述べています。



就労前の聴覚障害者問題A
 複数企業の事例を掲載




就労後の聴覚障害者問題B
 複数企業の事例を掲載





就労後の聴覚障害者問題C

【株式会社キュービタス】
(株式会社クレディセゾン〔筆頭株主〕、
及びユーシーカード株式会社の子会社)
栂野 恭輔(代表取締役社長)

『聴覚障害者への情報保障・通訳問題の参考事例』
〔2012-10-26 21:02〕


【クレディセゾン労働組合】
(親会社の筆頭株主、子会社ともに、
社員に強制加入させている労働組合)
篠崎 良光(中央執行委員長)

『職場の情報保障が進まない理由』
〔2012-02-29 19:03〕







就労後の聴覚障害者問題D
【リストランテ・ラ・ステラ】
(株式会社ミクニの子会社、株式会社ミクニエステート
が経営管理するイタリアン・レストラン)
岡田正社長




就労後の聴覚障害者問題E

【ネッツトヨタ東京株式会社】
片山 守社長




就労後の聴覚障害者問題F
【株式会社マルハン】
韓 裕社長





就労後の聴覚障害者問題G
【学校法人 順天堂大学医学部附属順天堂医院】
東京都文京区本郷3-1-3
学校法人順天堂 理事長 小川秀興
順天堂医院 院長 天野 篤





就労後の聴覚障害者問題H
株式会社ビーアンドブイ
東京都新宿区西新宿1-5-12
代表者氏名; 渡部記春


就労後の聴覚障害者問題I
株式会社ライドオンエクスプレスホールディングス
東京都港区三田3-5-27 住友不動産三田ツインビル西館17階
代表者氏名; 江見 朗

·障害者雇用 - 株式会社ライドオンデマンド
[ 2018-10 -30 22:54 ]

東京都港区三田3-5-27 住友不動産三田ツインビル西館17階
代表者氏名; 江見 朗



就労後の聴覚障害者問題R

【ザ・リッツ・カールトン・プロパティ・マネジメント・カンパニー東京有限会社】
フランス人社長

『筆記通訳?』
〔2011-10-29 22:36〕






情報保障・通訳(就労)
【日清医療食品株式会社】






就労後の聴覚障害者問題M

【森ビル株式会社】
森 稔社長
『健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (1)』
〔2011-11-16 21:13〕






就労後の聴覚障害者問題Q

会社と労働組合側の『要請』により、削除。


【株式会社キュービタス】
(株式会社クレディセゾン〔筆頭株主〕、
及びユーシーカード株式会社の子会社)
栂野 恭輔(代表取締役社長)

『聴覚障害者への情報保障・通訳問題の参考事例』
〔2012-10-26 21:02〕


【クレディセゾン労働組合】
(親会社の筆頭株主、子会社ともに、
社員に強制加入させている労働組合)
篠崎 良光(中央執行委員長)


『職場の情報保障が進まない理由』
〔2012-02-29 19:03〕







就労後の聴覚障害者問題Z1


『就労後の聴覚障害者問題Q』の再投稿(再公開)記事。
一部削除及び黒塗りなどの編集有りで公開。


【株式会社キュービタス】
(株式会社クレディセゾン〔筆頭株主〕、
及びユーシーカード株式会社の子会社)
栂野 恭輔(代表取締役社長)

『聴覚障害者への情報保障・通訳問題の参考事例』
〔2012-10-26 21:02〕


【クレディセゾン労働組合】
(親会社の筆頭株主、子会社ともに、
社員に強制加入させている労働組合)
篠崎 良光(中央執行委員長)


『職場の情報保障が進まない理由』
〔2012-02-29 19:03〕

by bunbun6610 | 2013-05-15 19:00 | はじめての方へ

はじめに

※ この記事の内容は都合により、変更(加筆修正、削除など)
する場合があります。
ご了承下さい。



当ブログをご訪問いただきまして、
ありがとうございます。

当ブログにはさまざまな主旨の記事があります。
なかには十分留意して読んでいただきたい
点もあります。

特に聴覚障害、および聴覚障害者に関することは、
説明が非常に難しいもので、
聴覚障害者本人ですら、ほとんどの人が
説明をためらうほどです。

健聴者からすると、聴覚障害者本人の障害は、
個人によりさまざまなので、その人の障害を
正確に理解することは容易ではないと思います。


当ブログは、あくまでも個人的取り決めによって、
あえて書き進めているものであって、
必ずしも客観的情報ではない、ということを
お断りさせていただきます。

是非、最初にお読みになって下さい。



【「聴覚障害」を理解するうえで】

聴覚機能の損傷による障害には、
医学的な解釈のほかに、
聴覚障害者の世界ならではの区別も存在します。

 ・『聴覚障害の用語定義について』
  〔2011-03-30 22:03〕




【「聴覚障害者」を理解するうえで】

聴覚障害者にはさまざまな人がいて、厳密な定義はありません。
しかし、このブログでは混同あるいは総称的な呼び名にすると、
混乱や誤解が大きくなることも考慮して、
できるだけ個別化し、詳細に書くという試みをしてみたつもりです。

 ・『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
  〔2011-03-31 23:19〕



 ・『『盲ろう者』について』
  〔2011-04-09 09:34〕





【手話を理解するうえで】

 ・『手話について』
  〔2011-06-13 00:06〕



 ・『誤解されている手話』
  〔2011-06-18 21:25 〕



 ・『手話のダイグロシア』
  〔2011-06-21 00:16〕




【当ブログを開設した理由】

 ・『難聴と失聴  私たちが創造すべきもの』
  〔2011-09-01 19:54〕


 ·『ブログ・タイトルの意味 (1)』
  〔2012-01-14 00:11〕


 ・『ブログ・タイトルの意味 (2)』
  〔2012-01-14 00:11〕




【当ブログの特徴、聴覚障害者が著しているゆえの点について】

 ・『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要』
  〔2012-02-07 22:54〕




【当ブログでの『情報保障・通訳』とは】

障害者自立支援法に基づいた公的派遣で、
聴覚障害者のための情報保障・通訳の制度があります。


http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1.html

第三章第77条 2項
「聴覚、言語機能、音声機能その他の障害のため意思疎通を
図ることに支障がある障害者等その他の日常生活を営むのに
支障がある障害者等につき、手話通訳等(手話その他厚生労働
省令で定める方法により当該障害者等とその他の者の意思疎通
を仲介することをいう。)を行う者の派遣、日常生活上の便宜
を図るための用具であって厚生労働大臣が定めるものの給付
又は貸与その他の厚生労働省令で定める便宜を供与する事業」



なお、手話通訳等派遣依頼の場所は地域により、
異なっています。

 http://www.tokyo-shuwacenter.or.jp/


下記の事例のような、健聴者がよくやる筆記は、
情報保障でも通訳でもない、大きな勘違いです。

善意からであることは確かですが、残念ながら、
こうした良くない事例がまだまだ多いのは事実です。

 
 ・『健聴者にだまされたこと (1)』
  〔2011-08-04 00:39〕


 ・『これでいいのか? 健聴者が一方的に考えた聴覚障害者情報保障の実例から』
  〔2011-09-12 22:17〕



 ・『通訳と筆談、筆記との違いについて』
  〔2011-10-27 22:07〕



 ・『筆記通訳?』
  〔2011-10-29 22:36〕







【就労前・就労後の聴覚障害者問題について】

当ブログに述べていることは、すべて実際にあったことです。
ただし、

 『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要』
 〔2012-02-07 22:54〕


で述べているように、筆者が聴覚障害者であるゆえに、
音声会話の内容を忠実には描けていない箇所もあると、
健聴者から指摘を受けています。

しかし、それだからといって、こうした差別問題を
書いてはならない、というのはおかしいと
言わざるをえません。

話し合いに中立的な立会人や、通訳者が入ることも
会社は拒んでいます。

証言者なき密室での解雇劇では、
裁判にしても勝訴することが困難と判断したので、
この経験をインターネット上に公開する手法に変えたのです。


障害者が差別と感じる意識を

「障害者本人の心の持ち方の問題だ」

と捉える方もいます。

確かに、それよりもまず、障害者が自己努力を
することによって、それが周囲の健常者にも
認められて歩み寄れるケースはたくさんあります。

しかし、それは本当に障害者理解なのでしょうか?

差別解消、すなわち合理的配慮の提供は、
障害者に才能や自己努力があることと、
交換条件でなければならないのでしょうか?

むしろ、それでは本当の障害者問題は解決しないのでは
ないだろうか。

確かにこうするのが一見、win-winの関係になるというか、
イーブンな解決方法のように思われます。

けれども、それでは健常者が障害者の持っている
障害を本当に理解する気持ちは鈍るだろう。

いやそれでけではなく、やっぱり障害者問題の
解決にはならないと思う。

障害の問題を個人的努力の問題としてしまうと、
健常者が障害という壁を超えるための努力
(ここでは合理的配慮)を、ある障害者にはして、
他の障害者にはしないということにもなりかねません。
それはすなわち、世の中の健常者を驚かせた
乙武さんにはするが、できない障害者には
ダメ障害者の烙印を押すだけ、
ということを放置することになるだろう。

それは差別的状況がある、というのではないだろうか。

そうずっと、私は疑問に思い続けてきました。



【『職場内障害者授産施設』について】
これも、実際にあったことです。

働く障害者の置かれている状況とは、どういったものか。

企業の聴覚障害者差別の状況とは、どういったものか。

聴覚障害者のことは、ほとんどが、手話などで又聞きする
程度でしょう。
手話が分からず、聴覚障害者と関わりのない人は当然、
そうした事実を知らないでしょう。
それには、どれほどの客観性が持たれているだろうか。
書くには値すると思います。

しかしながら、この記事は詳細に書けば書くほど、
その会社や、登場する障害者の推測、あるいは特定へ
結びついてしまいます。
会社に見つかれば、当然解雇にもつながります。
当事者・登場人物にとっても、迷惑なことでしょう。
ですから、そのほとんどが、一時公開のみです。

それでも

「どなたかが、障害者労働(差別)問題研究の、
参考にして下されば」

という思いで書き続けています。
将来は、現在非公開の記事も含め、全記事を公開します。

皆さんも、アンネ・フランクが書いた『アンネの日記』を
ご存知でしょう。
「抑圧されていた」という点は、アンネも私も同じです。

「ペンの力は企業権力よりも強く、書いたものは時代を超える」

と信じています。



『就労後の聴覚障害者問題C (1)はじめに』
〔2010-10-16 18:00〕



『就労後の聴覚障害者問題C (2)』
〔2010-10-16 18:10〕



『就労後の聴覚障害者問題C (3)』
〔2010-10-16 18:20〕



『このブログの、もう一つの目的(2014年8月10日)』
〔2014-08-10 18:00〕

by bunbun6610 | 2013-05-01 17:00 | はじめての方へ
ヘルマン・ヘッセ著『デミアン』を読んだ知人は、
次のように感想を話しました。

「人間は、神でも悪魔でもないし、
そのどちらにもなれない。
両方を併せ持つ、矛盾にも満ちた存在なのだ。
だから、人間に必要なのは調和なのだ」

それでは、調和とは一体、何だろうか。
長いこと、その答は全くわかりませんでした。

でも何となく、それは「愛」のことかもしれない、
と思うようになってきました。

マックス・ピカート著『われわれ自身のなかのヒトラー』
を読んだことがあるのですが、個人の感想としては、
誰にでもヒトラーになる可能性は持っている、
人間とはそういう存在だ、というふうに感じました。

そういえば、昨年後半にテレビで観た『悪人』
放送されましたが、あれも、
人間とは誰にでも悪人と呼ばれるようになる
可能性を持つ存在なのだ、というふうに、
私は感じました。

悪いのは決して、彼だけではない。
しかし、何かの原因で、彼だけが悪人とされてしまう。
人間社会にはそういうアリ地獄というか、
ブラックホールというか、
ささやかな個人の存在を突然消し去ろうとする
何かが、あるような気がしました。
障害者差別だって、そうだろう。

人間(あるいは人間社会)には、そういう恐ろしい力
もあるのだ、と気づくと同時に、一人ひとりは本当に
弱い存在なんだ、というふうに考えさせられました。

そこで、人間には助け合う(つながり〔絆〕を持つ)
ことが大切だということにも気づきます。

しかし、誰でもそれができるのではないようです。
丁度、磁石にはN極とS極があり、N同士、S同士
では引き合わないように、です。

ピア・カウンセリングが、健常者のカウンセリングと
違う理由も、そこにあります。
カウンセリングのルールは同じかもしれませんが、
必ずピア(※)でなければなりません。


(※)

   →http://www.j-il.jp/about/pc.html

   →http://www.fukuchi-clinic.com/ga/be/2006/be013.htm



「障害者同士であれば、その条件は満たす」

ということになっています。

しかし、私はこれに疑問を持っています。
基本的には確かに、異なる障害を持つ人同士の
カウンセリングも、私も賛成なのですが、
体験者として疑問もなかったわけではありません
でした。

理由は、当ブログのカテゴリー『聴覚障害』でも
述べてきているように、聴覚障害は他の障害とは
かなり異なり、特有の障害なので、他の障害者に
自分の苦しいことなどを話しても、すぐに理解
できるわけではありません。

聴覚障害者同士でも、難聴者と中途失聴者や、
難聴者とろう者とでは、人生体験、心理、物事の
考え方など、だいぶ違う場合が少なくありません。

それでいきなり、お互いに話し合うことから始めても、
なかなか気持ちが通じていないな、と思うのが
正直な感想でした。

カウンセリングにはよく「傾聴」が大切だと
いわれますが、それができやすいのはやっぱり、
同じ障害を経験している人同士ではないかな、
と思ったのです。
(決して「できやすい」というだけで決めつけている
わけではありません)

カウンセリングは、それが目的ではないと思うの
ですけれども、傾聴してくれると、やっぱり心が
落ち着くものです。

逆に

「この人は聴いていないな、わからないようだな」

と思うと、話の途中でも止めたくなるものです。

それでも時間をかけてやれば、
通じるようにはなるかもしれませんが、
カウンセリングの場合は、やはり時間が限られて
います。

カウンセリングには、まずお互いに普段ガマンして、
心の中に溜め込んでいること、
実は本心から言いたいことを他者に言い、
開放することから始めなくてはなりません。
だから「話しても理解してくれないだろう」と
思わせないことも大切ではないか、と思います。

よく、聴覚障害者は
「健聴者にはわからないから、話してもムダ」
と言いますが、だからこそ、ピアでなければ成功
しない、という理由にもなっています。

それは、難聴者が「ろう者にはわからない」と
言うことでも同じではないか、と思います。
もちろん、その逆の場合も、です。

ろう者と難聴者のカウンセリングがダメとは
言いきれませんが、最初から、あるいは限られた
時間では、うまくいかないのではないだろうか、
と思います。

ろう者と難聴者が理解し合うには、
最初は段階設定も必要なのではないか、
と思います。

そんなわけで、ピア・カウンセリングにしても、
自分の話すことを理解してもらえる相手を探す
ことは、かなり困難だといえると思います。

そこで、私が注目したのがブログでした。
ブログなら、少なくとも
「自分のこんな気持ちを理解できる同障者が、
一人ぐらいは読んでいるかも」
と思い込んで書くことができます。

自分は匿名だし、だから本音で、本当のことを
書ける。
つまりこれが、ピア・カウンセリングと同じ、
心の開放までは得られるだろう、と考えた
わけです。

これが、単なるストレス発散のためのブログ
で終わってしまわないようにするには、
どうすればよいか――それも考えながら
書いているつもりです。

カウンセリングの場合、話すほうは、
自分に与えられた時間を使って相手に
言いたいことを伝えます。
そして、後で何か一言、聞いた人から感想を
もらいます。

感想は大体「良かった点を一つだけ言う」
というような進行役のアドバイスに従って
発言することが多いようです。
批判、中傷などは禁止です。

これは多分、これを言ってしまったら、
相手は二度と正直に話さなくなる
(=心の開放ができなくなる)からかも
しれません。

このブログでコメント欄を開設しない理由も、
論争ではなく、聴覚障害者の声に対する
傾聴を重視してもらいたいから、
なのです。

ここは、そういうブログにしたい、と思いました。
by bunbun6610 | 2012-01-17 19:11 | はじめての方へ
当ブログは、お陰さまで昨日、1歳の誕生日を迎えました。

ブログって、それを見て、読んでいただける方がいて
意味をなすとは思うのですけれど、
聴覚障害関係の話では特に、自分の言いたいことばかり、
一方的に書いています。

これを読んでくれる人は、多くはないと思っていたし、
それでいいと思っていました。

その理由は、このブログ・タイトルと、深い関係があります。
この名にした理由はいろいろあるのですが、
なぜ聴覚障害に関する記事では、こんなふうになるのか、
その理由があります。

それに関係する理由を2つ、2回に分けて述べようと思います。

これは、シンガー&ソングライター永井龍雲(ながい・りゅううん)
の歌う曲名から取っています。
彼は福岡出身で、長渕剛とほぼ同期のフォーク歌手です。
彼の3枚目のアルバム『暖寒(だんかん)』の中の最後に
収録されているのが『蒼穹 - そうきゅう -』という曲なのです。

 →http://www.youtube.com/watch?v=wgkPzKspVu0&feature=related

曲名の意味は、辞書を引くと「青空」ということになるのでしょうけれども、
どうもそんなイメージの歌ではありません。
楽曲は確かに、軽快なテンポなのですが、詩はとても暗いのです。

でもそれが、当時(30年前、この曲を初めて聴いたとき)の
自分の気持ちと同じように思えたし、
それは今も全く変わらないのです。

生まれつき難聴だったのに、難聴という障害のことを知らなかったので、
自分の悩みは龍雲と同じ劣等感が原因だと勘違いしていましたが、
共感していました。

その詩に出てくる鳥が、今思うと健聴者を象徴的に表しているとわかります。
私は、青空を自由に飛べる鳥たちに、無意識に憧れ続けていたと思います。

妖怪人間ベムが、人間を見続けて、人間になりたいと
思い続けていたのと同じように、です。
これは、同じ「聴覚障害者」と呼ばれる「ろう者」にはない心理だと思います。

そして、この心理と耳鳴りを紛らわせるために、今までに何万回と、
この曲を自分の頭の中で流し続けているのです。
それで、すっかりこの曲は、自分の心の友になっています。

それから、この歌の名をブログ・タイトルに選んだ理由のもう一つに、
青空というキャンバスに、自分が書きたいと思ったことを、
誰にも遠慮せずに、何でも書こうと思いました。

ピア・カウンセリングと同じように、自分は苦しいことも全て、
ここに正直に吐き出し、同じ障害を持つ人に読んでもらいたい、
と思って書いているからなのです。

長くなりましたので、次に書く(2)で、それを詳しく書こうと思います。



蒼穹 -そうきゅう-

          作詞・作曲:永井龍雲

気がついたときには いつも
手を差し出して ぼんやりそれを見てる
時が経つにつれて 僕の小さな手のひらが
汚れてゆく そんな気がする

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼(な)いているのか
里程標(りていひょう)の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて


いつからか何を見ても
僕の虚(うつ)ろな心は 誘われない
音もなく流れて 変わらぬ雲の白さに
生きてることが辛くてならない

青空にさまよう鳥よ 止まり木はもうどこにもない
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼いているのか
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

by bunbun6610 | 2012-01-14 00:11 | はじめての方へ

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610