カテゴリ:手話言語法( 26 )




手話言語法に関する私見

手話言語法に関する私見


このことを思いついたきっかけは、下のことがあってからだった。

·『本当の障害とは何か』 ― 健聴者も学んでほしい。
[ 2018-08 -12 23:01 ]




この問題で、真に「壁(バリア)」「障害」となっていたのは「聴覚障害」というよりも、コミュニケーション方法、あるいは言語ということになっていたのではないだろうか。そう思えてならないのである。
たしかに、音声日本語ならお互いに通じていた。しかし、私はしゃべることには問題がなくとも、聞くほうに難があった。
健聴者は、そこを懸念し、メイクという仕事から私を外して、一人だけで働く洗い場に追いやっていた。

私は障害を少しでも克服するために、同じ障害を持つ仲間と交流するために、手話を学んだ。
しかし、それは健聴者には役に立たない。健聴者は手話を知らないからだ。学んでもいないからだ。
聴覚障害者が入ってきたのは今回が初めてであり、これまでの障害者雇用の経験もゼロ。だから、健聴者にも学ばなければならないところはあったはずだ。なのに健聴者は、学ぶことをせず、要するに「あなたの方がこちらに合わせて下さい」という感じだった。彼らは、聴覚障害者がいる職場でも音声日本語で話すのが当たり前だと思っていた。それだけが唯一の、いや、統一言語だと考えていた。だから、私はそれに合わせるのが無理だったのだ。そうなっていく背景にあったのは、バックボーンが原因だったのではないだろうか。つまり、日本の学校での貧しい言語教育であり、日本人の貧しい言語・コミュニケーション文化だと思った。


【参考記事】


·日本のダメな障害者雇用を変えろ!!
[ 2013-01 -12 18:00 ]







·2020年東京オリンピックに - 注目! 日本手話を学ぶメリット!!
[ 2014-11 -17 18:30 ]







·日本人健聴者が手話を覚えられない理由
[ 2014-07 -14 18:30 ]






手話が持つ可能性

あるオランダ人ろう者の講演で

「健聴者や難聴者も手話を学んでいるというのは、世界的に見ても珍しい」

「日本のテレビにはNHK『みんなの手話』がある。こういうテレビ番があることも珍しい」

という話を聞いたことがあった。


このテレビ番組で教えている手話は、日本手話(伝統的手話)? それとも、日本語対応手話?
答えは、どちらも手話だ。全日本ろうあ連盟の見解が、昔からそうなっているのだ。



·手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?
[ 2011-04 -12 21:29 ]





難聴者や中途失聴者が見ていた『ワンポイント手話』も、手話(日本手話)ということになる。文法などが全く違う手話だが、どちらも手話だ。健聴者が学びやすいのは当然、日本語と文法が同じである「日本語対応手話」とも呼ばれる手話だが、一部のろう者からは猛反発もある。そして、ろう者が使っている手話は、まだ指導法が十分に確立されていないようである。そのため、教えるのが難しいと言われている。


·NHK教育『みんなの手話』放送開始
[ 2011-04 -03 21:21 ]



このテレビ番組のタイトルが『みんなの・・』になっていたのは、今思うと、当時から「将来は手話言語法を」という理想があったからなのかな? と思えてしまうのは、私だけだろうか。




手話言語法制定の次にやるべきことは?

手話言語法ができたからといって、それだけで手話が浸透してゆくことはない。具体的に何か手段を講じることが可能になっただけだ。次は、それをどうするかである。

義務教育(中学)で英語授業がある。しかも、試験でも重点的な3教科の中に入っている。3教科のうち、2つが国語、英語なのである。これは子どもたちを社会に送り出すためには、言語習得がいかに重要であるかを示している。
ろう学校でも、手話よりも日本語習得が重要とされ、一日中やらされたと聞いているほどだ。

ではもしも、手話も日本語や英語と同じように、学校で習得させたなら、どうなるだろうか?

日本人は英語が苦手な民族だと言われている。
英語だけではない。外国語全般が苦手らしい。今、世界中から、それも貧しい発展途上国からも、外国人がどんどん流入している。彼らは完璧な日本語が話せるわけではない。だが、例えばバングラデシュ人でも、母国語のベンガル語のほかに英語も日本語も話す。彼らが3ヶ国語も話すことが出来るのに、なぜ日本人の多くは、日本語しか話せないのだろうか? 原因は、日本の学校で行われている英語教育がダメだとも言われているが・・・・。

それは、日本人、日本社会にとって英語はまだまだ、生活言語やビジネス言語になっていないからではないだろうか?

英語ではないが、手話の場合の実例がある。



·『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 3/3
[ 2013-10 -05 19:00 ]




·『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 2/3
[ 2013-10 -04 18:00 ]



·『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 1/3
[ 2013-10 -03 18:00 ]




·健聴者も手話を使っていた島 - ヴィンヤード島
[ 2013-10 -02 18:30 ]





この島の人たちは、音声言語だけでなく、みんなが手話も使って話していた、という。
そうなっていた理由は簡単だ。手話ができなければ、この島で社会生活をしてゆくことはできなかったからだ。


こうした事実を踏まえて、これからの日本では、学校での言語習得(学習)に手話も取り入れたらどうだろうか?
学校教育で言語習得を取り入れたからといって、手話も広まるとは限らない。日本人は習うことは得意だが、想像力がない。だがそれでも、英語もカタコトで取り入れていっている事実がある。たとえば、「ノートテイクする」とか、日本語の中には外来語、英単語を混ぜた日本語も使うようになっている。それだけでも通じ、生活面や仕事面でも普及している。手話も初めから「覚えるのが難しい言語だから」などと考える必要はなく、簡単なサインとして使うことから始めてもよいのではないだろうか。
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by bunbun6610 | 2018-08-14 09:38 | 手話言語法

もしや、この医者は診断(あるいは診断名)を間違えているのでは?

実は数年前から下の記事がよくアクセスされています。


『聴覚情報処理障害と聴覚障害』
[ 2014-01 -27 18:30 ]




私は最初、「聴覚障害」と「聴覚情報処理障害」は
違う病気なのかと思っていました。
でもやはり、そうは思えません。
理由は、医者が言っている、下の言葉です。



N君の耳(聞こえ)が悪くなっているのでは
ないかと心配になり、N君を連れて耳鼻科に
行きました。
 耳鼻科のお医者さんは

「心配いりませんよ。
聴力は正常でよく聞こえています。
中耳炎などの心配もありません。
鼓膜もきれいです。」



母親はこの言葉を聞いて安心していますが、
「それはまだ早い」というのが、
聴覚障害を持つ当事者側としての意見です。

聴覚障害者なら皆、知っていると思いますが、
聴覚障害には大きく2つに分けてみても、
伝音性難聴の診察と、
感音性難聴の診察とがあるはずです。

〔参考情報〕
聴覚障害の基礎知識

http://www1.plala.or.jp/t_nishimura/tyoukaku.htm


なのに上の医者は、伝音性難聴の診察しかしていない
ように思われるのです。

では、感音性難聴の診察は、どういう方法なのでしょうか。
これは残念ながら、一般には行われていません。
「語音明瞭度検査」と呼ばれる、聞き取りの力を試す方法で
行われ、判定されるのです。
だから多くの感音性難聴障害を持った人が、
見過ごされてしまっているのではないか、とも考えられます。
とても残念なことです。


下の記事を読まれた方もいると思います。

『『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 2/11』
[ 2014-02 -02 18:30 ]



あの佐村河内氏が自著の中で書いていることなので、
誰も信用していないかもしれませんが、
私は100%真実だと思っています。
私にも経験があることだからです。

もし、診断を間違えたら治療も遅れることになり、
もっと悪くなっていく可能性大の病気が、
突発性(感音性)難聴なのです。

これを放置している日本の厚生労働省の対応が、
どうかしていると思うのですが。


こういう場合でも、補聴器の装用は一定の効果が
ある人もいます。
しかし、騒音のある環境下では、やはりかなりの限界が
あると思います。
だから手話言語法が、こうした人たちの力にもなれる
のではないかと思うのですが。

障害の克服は、結局はどんなに優れた機械でもなく、
人の「理解」によって、なされるものだと思うのです。
手話はそれを持っており、多くの人に渡せるものだと
思うのです。
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by bunbun6610 | 2018-06-13 07:24 | 手話言語法

ろう者の特性を生かした職業とは?


聴覚障害者新聞に、こんな記事が載っていた。

「長州五傑の一人である山尾庸三氏がイギリスのグラスゴー
へ造船技術習得のために行った折、
造船所内のろう者が手話でコミュニケーションを取っていた
だけでなく、ろう者でも分け隔てなく働くことのできる環境を
知ったことから、帰国後、明治政府へ

「盲学校と唖学校の二校を創立し、一校毎に男女別々に」

などと記載した建白書を提出。
明治十一年、京都盲亜院が設立されろう教育が始まったが、
明治十三年、ろう教育国際会議で口話法が有効だとする
決議が採択され、日本でも昭和八年に手話が禁止。
しかし手話は引き継がれ、脈々と生き続けて現在に至っている。
2006年国連で障害者権利条約が成立し、
日本国内でも批准に向け国内法の整備が進み、
障害者総合支援法に「手話は言語である」と明記されたが、
聴覚障害者が情報を得るのにまだまだ多くの障壁がある。」



〔関連記事〕
京都盲唖院について
『「教育をしない者の罪」 教育に捧げた人生 ―古河太四郎 生誕170年―』
[ 2015-05 -21 19:30 ]





特に、イギリスの造船所の話を聞いて思い出すのが、
『みんなが手話で話した島』(アメリカのヴィンヤード島)と、
函館出身のろう史研究家が話していた、
イギリスの造船所で働いていたろう者の話。

話が被るけれども、イギリスの造船所では当時、
健聴者もろう者も平等の条件で働いていた、という。
今の時代では信じられない話だった。

その造船所では「ベット打ち」という作業が行われていて、
打ち込んだベットの数に応じて作業員の給料にも反映され、
それはろう者のほうが給料が多かった、という。
なぜそうなったのかというと、平等な労働条件の中で、
ろう者のほうが労働生産性が高かったからだという。
それには、聴覚障害の長所も関係していたそうである。

ろう史研究家の解説は面白いことに、次のように話していた。

「ベット打ちという作業をする場合、自分が出している
作業音だけでなく、あちこちからその音が聞こえてくる。
つまり、『うるさい』作業環境になる。
それで健聴者は時間が経つと嫌になってきて、
途中で作業を休んでしまう。
けれども、ろう者は耳が聞こえないから、
そんな悪環境でも平気でどんどんベット打ちを続ける。
イギリスでは給料は打ち込んだベットの数に応じて
配給されるので、ろう者には給料が高い人もいた、という。
それで事業所にとっても、ろう者はどんどん業績を
上げてくれる人材だったから、ろう者も採用していたのである」


日本にも似たような話がある。
神奈川県厚木市にあるリサイクル処理場でも、
ろう者を集めた職場が作られており、そこも同じようなことを
話していた。
彼らは、騒音が激しい場所でも、全くそれを苦にしない。
コミュニケーションも手話だからだ。
聴覚障害者のそういう長所に目をつけて雇用を進めている
事例もある。

それだけでなく、聴覚障害者には集中力がすごい人がいる。
そのため、間違いがなく正確な作業をする人がいる。

さらに、健聴者は掃除のような単純な仕事を任されると、
すぐサボり出したり、周囲の誰かとおしゃべりを始めて、
ダラダラとやっていたり、場合によっては手が止まってしまう
人もいる。
しかし、聴覚障害者は手が速いだけでなく、
視覚に頼っている分、気づき(観察力)もすごい人がいたりする。
これらも「手話」という、動く言葉を使う人たちの特性だからだ。
だから、「障害」を全てマイナスと決めつけてしまうのも、
場合によっては考えものだろう。

そして手話言語法制定の意義は、こういう面にも関係してくるだろう。
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by bunbun6610 | 2018-06-09 21:41 | 手話言語法

手話言語法の、内からの敵

手話言語法の、内からの敵



石狩市手話に関する基本条例
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/uploaded/life/34072_52472_misc.pdf



パブリックコメントに対する検討結果
【石狩市手話に関する基本条例素案(概要)】
●パブリックコメントの実施期間
(平成25年9月2日~10月1日)
- 意見の検討経過 -
10月2日~29日 保健福祉部検討
11月7日 石狩市長決定

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/uploaded/attachment/2919.pdf






当ブログにも、アクセス数が非常に多かった記事があった。
下の記事である。


『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』
[ 2014-07 -19 18:30 ]



『手話サークルを辞めていく健聴者』
[ 2015-07 -03 19:40 ]


これは勿論、手話言語法にも関係している記事である。
当事者からのパブリックコメントと言ってもいい内容である。



いよいよ、私の住む地域の聴覚障害者協会でも、
手話言語条例を年内に制定しようとする方向へ動いた。
素案を読ませていただいたら、
『石狩市手話に関する基本条例』をたたき台にした、
という。
一部に強硬と思える文章が盛り込んであったが、
その他は同じだった。


『石狩市手話に関する基本条例』には、
次の文が入っており、
他に意見がなければこれをそのまま使う、
ということらしい。

「手話は、音声言語である日本語と異なる言語であり、
耳が聞こえない、聞こえづらいろう者が、
物事を考え会話をする時に使うものとして育まれてきた。」



この文章を読んで、あなたならどう思いますか?
私は正直、

「これはヘンだ」

「無理矢理過ぎていないか?」

と思いました。

細かなことに過ぎないかもしれないが、理由は

①「耳が聞こえない」人は誰なのか?

②「聞こえづらい」人は誰なのか?

これを整理して考えたら、答えはすぐにわかるだろう。
一般的に考えたら、下のようになるはずだからだ。

①は、真っ先に「ろう者」が思いつくだろう。
それから、案外気づきづらい存在であるが、
「中途失聴者」にもいることだろう。

では②は誰かというと、難聴者や、耳が遠くなって
きたと言われる老人なども含まれるだろう。
症状の点だけで言えば、健聴者でも突発性難聴に
なった人も含まれる。

ところがろう者が作った条例案では、
「ろう者」(だけ)としているか、
「わざわざ、ろう者に限定する」ような記述に
なっているのである。
その一方で、後には「聴覚障害者」という用語が
出てくる部分もあるのだから、ややこしいというか、
あるいは都合良く書いたものだ。
言葉の使い方が曖昧だな、と思った。

確かに、「ろう者」という言葉は一般人にはなじみがなく、
意味を知らない人も多い。
個人のアンデンティティの問題であるのだから、
「自分はろう者だ」と自負する人には「聞こえづらい人」も、
確かにいる。

ここでもし、「問題点がよくわからない」と思う人は、
下の記事を読むとよい。


『しゃべれる聴覚障害者がいる理由』
[ 2014-01 -28 18:30 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
[ 2014-03 -14 18:30 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①〔参考資料〕』
[ 2014-03 -14 18:31 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由②』
[ 2014-03 -14 18:45 ]



実際の「聴覚障害者」の意味は、一般には幅広い。
それに対し、「ろう者」というのは、
当事者と一般人とでは意味の捉え方に、
かなりの違いがあるのだ。
そして、

当ブログ『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』

で述べたように、
中途失聴者、難聴者、健聴者、老人性難聴者等で
手話ができる人は、ごくわずかなのが実情だ。
その意味では、ほとんどの聴覚障害者に、
この条例は適さない。
それなのに、

「言語として位置付けられた手話を、
全ての●民が使いやすい環境にしていくことは、
・・・・」

としようとしているのである。
そこまでできたら理想には違いないが、
現実には無理だ。
石狩市の条例だって、そこまでは書いていない。


気になった点は、まだある。
日本手話(古来からろう者が用いてきた「伝統的手話」)と、
日本語対応手話の問題である。
これについて、一般財団法人 全日本ろうあ連盟が、
次のコメントを発表している。


『手話言語法制定の前に ――言語について考える』
[ 2018-03 -17 19:01 ]


一般財団法人 全日本ろうあ連盟
「立法と調査」掲載
「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」
に対して当連盟の反論レポート
·掲載日:2018/03/23
·分類: 手話言語法,抗議文

https://www.jfd.or.jp/2018/03/23/pid17437





【関連記事】

『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』
[ 2011-04 -12 21:29 ]





ここまで考えていたら、思い出したことが2つあった。

一つは、下の記事にその意味がよく表れている。

『聴覚障害者の心と性』
[ 2016-12 -02 22:13 ]


マキさんの言っていること、
そしてそれについて書いているブログ主の感想にも、
注目してほしい。


そしてもう一つは、今までに多くの地域で、
健聴者や難聴者・中途失聴者だけの手話サークル
活動をことごとく潰しに来て、排斥してきた、
一部のろう者たちの行動である。
彼らは「日本手話しか、手話と認めない」と主張してきた。
各地でそういうことが散見されていたと聞いているし、
ひどいことを言われた難聴者などもいた。
私も実際に、間接的な妨害を受けた経験がある。

ただし、全日本ろうあ連盟は、このような行為には
一切関知していない、という声明を、
昔から一貫して出しているようである。

(しかし実際には、地域の聴覚障害者協会(ろう協)
が関わっている、という情報もある)

やっていたのは、一部の極右派のようなろう者だと
いうことがわかる。

残念だが、こうしたことが今までに数多くあったし、
今も残っているかもしれないのである。
それはこれからの未来を拓いてゆくための
『手話言語条例』にとって、望ましくないことである。

この条例ができた後に、条例を逆利用して、
手話がわからない人たちに対し、
聴覚障害者が手話で逆差別をするようなことが
あってはならない。
そのような配慮を、手話を使う聴覚障害者がする
必要があることも、忘れてはならない。






【捕捉】



「立法と調査」掲載
「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」
に対して当連盟の反論レポート
·掲載日:2018/03/23
·分類: 手話言語法,抗議文

https://www.jfd.or.jp/2018/03/23/pid17437


「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」に対して
一般財団法人全日本ろうあ連盟
副理事長 小中 栄一



>「また「日本手話」と「日本語対応手話」を区別することで、
ろう者や手話通訳者など手話を使う人たちを
言葉でもって分断することは間違いと考えます。」



小中氏の声明は、連盟がだいぶ以前に表明した
見解と全く同じである。
連盟の声明は、一貫しているのである。
(詳細は下記記事を参照)

『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』
[ 2011-04 -12 21:29 ]



ここで言っている

>「・「日本手話」に一方的な枠をはめ、その枠をはみ出した
  「日本手話」に勝手な名称をつけることは、フェアとは言えない」

というのは、一極側にある「日本手話」、
そしてもう一極側にある「日本語対応手話」のことを
指しているのだと思います。
連盟は、どちらも区別することなく、
「日本手話」だと認めているのです。
だから、結論は

>「・日本の聴覚障害者が使っている幅広い手話
全体を「日本手話」という」


としているのです。




>「「1990年代まで、日本語対応手話が正しい手話とされ、
日本手話より社会的上位に位置づけられた」
と山内氏が述べている事実はありません。
それは一部のろう教育関係者の予断と偏見による発言であり、
連盟は全く関知するところではありません。
山内氏が、ろうあ者当事者団体に確認することなく、
一部のろう教育関係者の発言を拠り所にしていることについては
遺憾に思います。

 歴史的に見れば、ろう教育において口話法、聴覚口話法により
「国語」を身につけ、聞こえる人たちが大多数の社会に適応して
生きていくことを目標に指導する時代があり、手話が「手真似」
と呼ばれ排除されてきたということが問題の本質です。
ろう者は、ろう学校の教育において好むと好まざるとに
関わらず、日本語を発音発語すべきことを教えられました。
後に手話への評価が高まった時点で、発語しながら手話を
使うことを目指したトータルコミュニケーション教育が、
教育側から提唱されたことがあります。
この提唱は手話への評価を高めたという一面がありましたが、
同時に手話を日本語の下位におく、日本語に従属させる発想
でもありました。
このトータルコミュニケーション教育を導入するために手話単語
を創作・改変し、語順も日本語に合わせ、日本語と手話を同時に
話せる仕組みをつくったので、同時法手話と名づけました。
同時法手話はいわゆる

「日本語対応手話」として一部のろう学校で教えられたことは
ありますが、ろう者に普及することはありませんでした。」


>「同時法手話はいわゆる「日本語対応手話」として
一部のろう学校で教えられたことはありますが、
ろう者に普及することはありませんでした。」



「ろう者の日本手話は、日本語対応手話より劣った言語」

と考えられた時期があったそうである。

それに対して、一部のろう者も猛反発し、

「日本語対応手話は日本語の文法に倣って単語を
表出しているに過ぎず、視覚言語としての文法にならず、
メチャクチャ」

といった反論がなされたことがある。
そして、一部のろう者には、健聴者や中途失聴者・難聴者
などの手話サークル潰しを強行する動きも、各地であった。
一部のろう者がこのような行動を起こした原因には、
健聴者が彼らの手話を正当に認めてこなかったことが
あったのである。
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by bunbun6610 | 2018-05-04 21:30 | 手話言語法

手話言語法制定の前に ――言語について考える

手話言語法制定の前に ――言語について考える


あなたならこの部分を、どう思う?

『[PDF]日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代 URL』
一橋大学機関リポジトリ
『日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代』
(岡, 典栄)
〔2012-03-23〕

http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/22860/3/0201102602.pdf

「いかなる言語であっても、言語に所有権を設定することは難しい。
日本語は日本人のものだから日本人以外は使ってはならない、
ということはできない。
日本語は母語話者であれ、非母語話者であれ、
その話者・使用者すべてのものであろう。
母語話者だけがその正統性を主張することはできまい。
それは日本人ではないが日本語で書く作家(例えばリービ英雄や
楊逸など)がいること、またその逆に日本人でありながらドイツ語
で書く作家(例:多和田葉子)が存在することからも明らかである。
それと同じように日本手話が言語であるという主張をし、
その社会的認知を得たいのであれば、それを「ろう者」限定の
ものとすることはできない。
しかし、その未来をどのように方向付けしていくか、というような
判断はやはりその中心的使用者である「ろう者」が決めるしか
方法はないだろう。
つまり誰か外部の他者が決めるのであれば、それがどんなに
彼らに良かれと思ってする判断だとしても、だれかが本来自分
たちがするべき判断を代行した、自分たちがするべき判断の
権利を奪われた、ということで抑圧的であると言われるだろう。
その言語の母語話者たちは、たとえその決断や選択が
まちがっていたとしても、まちがう権利を含めて自分たちで
自分たちの決断をしたいと考えるだろう。
そしてそれは尊重されなくてはなるまい。」
(P95)







【追記(参考情報)】

一般財団法人 全日本ろうあ連盟
「立法と調査」掲載
「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」
に対して当連盟の反論レポート

·掲載日:2018/03/23
·分類: 手話言語法,抗議文
https://www.jfd.or.jp/2018/03/23/pid17437





【関連記事】

『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』
[ 2011-04 -12 21:29 ]






〔参考情報〕

synodos
『2015.02.17 Tue
日本にあるもう1つの言語 ――日本手話とろう文化』
金澤貴之 / ろう教育

https://synodos.jp/education/12917

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by bunbun6610 | 2018-03-17 19:01 | 手話言語法

手話言語法は、ヴィンヤード島のような社会の実現を目指しているのか?

手話言語法は、ヴィンヤード島のような社会の実現を目指しているのか?



『『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 1/3』
〔2013-10 -03 18:00〕




『『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 2/3』
〔2013-10 -04 18:00〕




『『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 3/3』
〔2013-10 -05 19:00〕

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by bunbun6610 | 2017-08-21 22:58 | 手話言語法

「手話はいのち」の意味は、何だろう?

最近、野澤和弘氏

(毎日新聞社論説委員、
障害者政策委員会委員、
障害者差別解消支援地域協議会の設置等の推進に向けた検討会座長)

の講演を聴いた。
その中に、次のような話があったと思う。



「千葉県の障害者差別解消条例をつくる時、ろう者はいつも
手話通訳者を連れて来ていた。
彼らにとっては、手話通訳者がいなかったら、
参加しても意味がなかったからだ。
他の人は、いなくても別に困らない。
みんなは、聞こえるから必要なかったのだ。
その時、手話通訳者の費用を、誰が負担するのかが、
話題になった。
そこで、

「申し訳ないが、その費用はろう者の自己負担でお願いします」

と求めた。
ろう者は、それに怒り、反対した。
そのろう者からは逆に、

「それならば聴覚障害者のシンポジウムに来て見て下さい」

と言われた。
行ったら、手話だったので全然わからなかった。
しかし、側には音声通訳や文字通訳があった。
それで、気がついた。
その通訳は、私(野澤氏)だけの為についていたのだ。
少数派への合理的配慮だった。
が、それも、実は違う。
自分が音声で発言すると、今度はそれを手話に変換して、
会場の皆に通訳した。
どちらが発言者になるかで、役割も変わるのだった。
役割の比重も違う。
それが、社会の中で起きている、差別の核心部分だと思う。

決して、少数派を追い詰めているのではない。
それが社会では気づかれていない。
加齢で障害者になる人だっている。
その人は社会参加した場面の中で少数派になり、
次第に言いづらくなることがあるかもしれない。
しかし、そうした中でも、できるだけ多くの人に恩恵を
与えることができるようにするのが、
障害者差別解消法の目的です。」


正確な内容ではないかもしれないが、大体こんな感じだった。


最近、全日本ろうあ連盟や、都道府県聴覚障害者連盟・協会
が「手話はいのち」という言葉を頻繁に用いている。

https://www.jfd.or.jp/70kinen/kinenhi/about

私はその意味をまだ知らないが、スワンソンの

「人間が生きていくために必要なものは、
水、空気、食物、そしてコミュニケーション」

という、有名な言葉を思い出した。

『コミュニケーションは、人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕



聖書にも「手話」という言葉が出てこなくても、
言葉が命のように扱われている箇所が多数ある。
ろう者も「手話はいのち」と本気でそう思っているからこそ、
最近は手話を守るだけでなく、
権利として主張するのではないかと思う。

他の障害者だったら、耳も言葉もあるのだから、
コミュニケーションに苦労はしないことが多いだろう。
普通は皆、そんなコミュニケーションがあるのが
当たり前の世界で暮らしている。

しかし、手話を使うろう者にとってはこの世界は、
まだまだそんな当たり前ではないのだ。






【追記 参考記事】



『コミュニケーションの意味』
[ 2016-07 -05 19:30 ]

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by bunbun6610 | 2017-03-26 13:36 | 手話言語法

『ろう文化』の疑問点


当ブログに、比較的アクセス数が高い記事がある。


『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕



なぜ、この記事にアクセスがあるのか、わからなかった。
だが、下の記事を読んで、これが理由の一つなのではないか、
と思えるようになった。



『ろう者の中には、「自分たちは障害者ではない。
手話という言語を使う民族だ。」
という人たちがいます。』

〔2015/9/2309:09:33〕
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=10150639210



確かに彼らは、聴覚障害者と呼ばれて難聴者等と
混同されることを嫌っている。
それでよく、対立したりしていた。

手話についても

「難聴者が使っている日本語対応手話を“手話”
と呼ぶな。
"手指日本語”と言え」

と、大勢の聴講者がいる講演会で、よく話していた。



他にも、ろう文化のことで思い出すのは、
例えば下の記事だ。
ろう者と健聴者とでは、文化が違う。


『NHK『バリバラ』 ここがヘンだよ! 健常者 第2弾 (2)』
〔2013-05-23 18:30〕




でも、だからといって、モノを投げたりするのはどうか?
なぜ、こうなったのか?

実は、私が働いている職場にも、このような人がいる。
ろう者Tさんだ。

Tさんは、まだ手話禁止時代だった、
A県立ろう学校を卒業した人だ。
学校では手話を厳しく禁止していて、
口話教育を徹底的に受けさせられた。

授業中に手話を使おうというものなら遠慮なく、
先生から手を叩かれたり、
両手に水を一杯に入れたバケツを持たされ、
授業が終わるまで独り立たされたり、
紐で両手を縛られたりするという、
厳しい体罰を受けたりした。

学校ではそんな時代の教育を受けて、
授業が全て終わると皆でバスに乗って寄宿舎に帰った。
そこでは先生がいないので、
皆、手話に戻ってしまっていたという。
つまり、手話を含む、ろう文化の源泉は、
正確に言うならろう学校ではなく、
寄宿舎だったようである。
手話を教えている所なんて、どこにもなかったので、
寄宿舎では皆、オーバーアクションの手話で自由に、
開放的に喋っていたのだという。
授業中にあった辛いことなども、
そこで手話で話していたという。
なかには、手話で先生の悪口まで言い合っていた、
という。
そうやって、彼らは手話を自然に覚えていったようである。

そして、Tさんにはもう一つ、特徴的な文化があった。
同じ聴覚障害者を呼ぶ時、机を思いっきり叩くクセだ。
大きな音を立てたり、振動を起こして伝える方法だ。
あるいは、部屋の電気を突然消したりする場合もある。
これは健聴者からはよく、驚かれる行為だ。
いきなり大きな音を立てれば、聞こえる人はビックリする
わけだし、そもそもそういう行為は誰が見ても、
激怒しているとしか、見えない。
完全に、誤解される原因だ。
職場の人から「勤務態度が良くない」と評価される場合も
あると思う。
だから同じろう者でも、女性の場合は「あれは良くないよ」
と言うものだが、男性にはこういう方法で人を呼ぶ場合が、
今でもあるのだ。
特に、昔のろう学校で育った人にはいる。

こういうことをするろう者は、その方法が良いか悪いかは、
考えていないようだ。
ただ、自分にはこの方法が当たり前だからと思って、
やっているようなのである。
周りの健聴者はそれを見ても「すごい人だな」
「聞こえない、喋れない人だから、仕方がないな」
と思っているのか、
それとも怖がって誰もTさんに近づかないのかわからないが、
とにかく誰も注意しないのである。

これはやっぱり、健常者が必要以上に障害者扱い
しているのと、

「手話という言語を使う民族だ」

とも、無関係ではなさそうなのだが。
正直に言って、手話を取り入れ、ろう者も正しい方向へ
導くべきだと思うのである。
(『手話言語法』の制定)
それが、現状課題点だと思うのである。
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by bunbun6610 | 2017-03-25 18:11 | 手話言語法

真の日本語教育とは何か ――ろう学校教育から考える

ろう学校と聖書を愛する男
『何故、ろう学校教師は日本手話ができないのか?』

http://blog.goo.ne.jp/kuuro-tanada/e/c00459e59741f94eeaeb0be1aab3eecf


>「これに対して、明晴学園関係者は以下のように
回答した。

聾学校の先生の多くは日本手話ができない。
子どもと十分なコミュニケーションができない。
このような状態で、手話を日本語に云々というのは
言語道断である。
日本手話をみっちり学んで子どもと十分なコミュニケーション
ができるようになってから質問して欲しい。」」


これって、ビックリすることだ。

私の知っている、ろう者・Tさんから聞いた話がある。
Tさんは秋田県立ろう学校卒業だという。

(現在の秋田県立聴覚支援学校。
なお、現在のこの学校では、手話が使われるように
変わっている、という)
http://www.kagayaki.akita-pref.ed.jp/chokaku-s/


Tさんがこの学校に通っていたのは、35年以上も前のことだ。
その頃は手話禁止時代だったという。

学校の先生の日本語指導は厳しく、毎日、
日本語の読み書きを教えていた。
その教育法は体罰法で、授業で手話を使うと
手を叩かれたり、水を張ったバケツを両手に持たされて、
廊下で立たされるといった罰を受けたという。

普通学校に通ったろう者から話を聞いたら

「手話を使うと日本語を覚えなくなってしまう。
子どもが日本語を使わなくなってしまうから」

と言っていた。
Tさんが通っていた当時の秋田県立ろう学校でも、
学校の授業では手話禁止だから使えなかった。
だが寄宿舎に戻ると皆、手話で話し始めた。
みんな大げさ、オーバーな手話だった。
だが学校と違って、楽しかった、と懐かしげに言っていた。

そのTさんだが、実は頭がものすごくいい。
誰よりも早く、仕事を覚えてしまったので、
皆が一目置くほどの存在だ。
それはなぜか?

私はその理由が、彼がろう学校時代に覚えた
日本手話にあるのではないか、と思う。
ろう学校時代の授業だけではないかもしれない。
なぜなら、彼はこう言っているからだ。

「学校の授業を幾ら見ても、単語までなら覚えられるが、
それに付く「てにをは」とかまでは、理解できなかった」


神奈川県立平塚ろう学校
http://www.hiratsukarou-sd.pen-kanagawa.ed.jp/

でも、何年か前から外国人向けの日本語教育に着目して、
日本語教育方法を転換している。
ということは、昔の教育法が間違っていたのだろう。


私は子供時代から難聴だったが、普通学校に通った。
聞き取れなくて、学校の先生の授業はほぼわからなかった。
だが、たくさんの同級生と休み時間に遊んでいるうちに、
それと担任先生に読書を勧められてどんどん読んでいるうちに、
日本語をしゃべるようになったし、読み書きもある程度、
出来るようになった。
普通の子供よりも日本語の獲得が遅かったが。


この話と比較すると、ろう学校の教師たちも

「やはり、ろう児に日本語を教えるには、
手話をやめさせなければいけないのだろうか」

と思うかもしれない。
そう思うのも無理もなかったかもしれない。

ちなみに、普通学校に通ったろう者は、
日本語がきちんと書けるし、日本手話も出来る。
どうしてなのかはわからないが、
本人から聞いた話では

「普通学校に通う傍ら、ろう学校に通っていた、
ろうの友だちにも会い、一緒に遊んだ」

と言っていた。
つまり、子どもの頃からバイリンガルだったのだ。
ということは、明晴学園の教育法は間違っては
いないことになりそうだ。


>「ろう児の手話が読み取れていないことを
自覚しない教師は実は多いのである。
ろう学校で、きちんとした手話研修が行われて
いないということ、

「子供が声を出さないと、何を言っているのか
分からないので、声を出してくれるとありがたい」

と自分を擁護する教師もいることを考えると、
時には厳しい発言は必要であろう。」



これは一体、どういう意味だろうか。

例えで言うならば、私の母語は日本語である。
だが聞こえないので、手話が分からない健聴者には
筆談してもらうことが多い。
それで通じる。
ただし、これは

「筆談で同じ母語(日本語)でコミュニケーションを
したから通じた」

とは、実は限らないのである。
私は筆談でも通じないと思う経験を、たくさんしてきている。
そんな時に、相手に「筆談力」がないことが原因だと
思うこともあった。
その証拠に、筆談で通じる人とは、ちゃんと通じているからだ。
コミュニケーションは、母語が同じであれば必ず通じる、
と思っていたら大間違いだ。

私は第二言語として手話(日本語対応手話と日本手話)
も不完全ながら獲得しているが、それでも十分に通じる
場合がある。
つまりこのことが、コミュニケーション能力とは

「母語にとらわれることなく通じることが可能な力」

を意味している、と思う。
ろう学校教師たちの大きな間違いの理由が、
ここにあるのではないか、と思う。
言語の違いがコミュニケーションを難しくすることは
あるが、だからといって、不可能だとは限らない。
言語が違っていても意味を正しく伝えられる場合も、
実はたくさんあるのである。
日本手話は、ろう児に

「言葉の意味〔言葉と事象の関連性〕を正しく伝える力」

において優れているという事実を、忘れてはならない
と思う。
言葉の上っ面に頼っているから、そして自分(教師)が、
ろう児の言葉(日本手話)が理解できないから、

「子供が声を出さないと、何を言っているのか
分からないので、声を出してくれるとありがたい」


と言うのではないか。
そういうのは、真の人間教育ではない。
「日本国」という、管理社会をつくるための教育だ。
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by bunbun6610 | 2017-02-18 23:30 | 手話言語法

レストランやカフェで手話を使うことは、企業への過重負担になるのか?

『レストランやカフェで手話を使うことは、
企業への過重負担になるのか?』




『障害者雇用 ― カフェ・カンパニー株式会社』
〔2016-04-19 21:26〕





手話を第二言語として習得した者の立場
から言えば、

「負担になるかもしれない」

と答える。

ただし、実際に職場で使われる手話の数
がどれ位なのか、またスタッフの習得力に
よっても、負担感はかなりの差が出そうな
気がする。

逆に言えば

「『完全な手話」には拘らなくてもいいから」

ともっと気軽に、職場サインを職場で考案して
使ってみれば、聴覚障害者とのコミュニケーション
にも負担どころか、逆に皆もラクになる場合だって
あるはずだ。


ただ一般的にはやはり、手話講習会・サークル
のような

「手話を覚えたい」

「手話に興味がある」

人たちでさえ、簡単な手話を覚えるのに苦労する
人もいれば、反対にすぐに上達する人もいる。
そのコミュニケーション力の差が原因となって、
職場に“良からぬ空気”が生まれてしまう可能性
もあるだろう。
残念ながら、手話は万人に向く言語とは考えにくい。


『日本人健聴者が手話を覚えられない理由』
〔2014-07-14 18:30〕



そうしたなかで、手話言語法が制定されようと
しているのだから、言語的差別・格差も、
まだまだ続くように思える。

もしレストランやカフェでろう者が働くようになる
としたら、どのような手話を取り入れたらよいの
だろうか。

挨拶の手話の他に、業務で使う手話が必要に
なると思われる。



  〔音声日本語〕   ⇒   〔手話〕

「この料理を運んで下さい」 ⇒「運ぶ」

「これは、あのテーブルに運んで下さい」
 ⇒「指差し(または18番テーブルとか)/運ぶ」

「あのテーブルの上の食器類を片付けて下さい」
 ⇒「あそこ/きれい」

「これを洗って下さい」 ⇒「洗う」

「この仕事をやって下さい」 ⇒「やる」

「オーダーお願いします」 ⇒「注文」

「あのお客様の、お会計をお願いします」
 ⇒「指差し/会計」


手話講習会だと、丁寧な日本語対応手話で教えて
いるケースが多い。
しかし、日本語対応手話は意味はわかりやすくても、
手話を覚えて使うには、あまり有効でない場合も
多い。
何と言っても、日本語対応手話一辺倒だと、
応用力が見につかないようだ。
身振りで補ったり、ノンバーバル・コミュニケーション
を取り入れた日本手話のほうがシンプルで覚え
やすく、色々な場面でよく通じるケースも多い。
ろう者と一緒に手話を考え、使ってみるとよい。

もしどうしても不安なら、初めは聴覚障害者
ジョブコーチに来てもらい、アドバイスを受けてみる
方法もある。


東京都聴覚障害者自立支援センター
http://tjs.deaf.tokyo/
『職場で困っている』≫『東京ジョブコーチ職場定着支援事業』




〔ろう者の常識、健聴者の常識というズレ〕
ろう者は日本手話でしゃべるのが当たり前だと
思っている。
耳は聞こえないが。

一方、健聴者はろう者はしゃべれないか、
しゃべれるとしても声がおかしい、
と思うのが当たり前になっているようだ。
仮に

「ろう者には手話という言語がある」

と説明しても、健聴者は

「手話は正式な言語として認められていない」

と言うのではないか。
それでなのかどうかはわからないが、
とにかく消極的な人が多い。
手話という言語が受け入れられるには、
まだこうしたことも障壁となっているようだ。
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by bunbun6610 | 2016-05-31 21:32 | 手話言語法

ある聴覚障害者から見た世界
by bunbun6610

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