新実元死刑囚らが手記残す 死刑制度に疑問も
2018年 08月 07日
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180724-00000041-ann-soci
新実元死刑囚らが手記残す
死刑制度に疑問も
7/24(火) 17:15配信
死刑が執行される直前、オウム真理教の元幹部
2人が手記を寄せていました。
オウム真理教の元幹部・早川紀代秀元死刑囚と
新実智光元死刑囚は6日に死刑が執行されました。
2人は執行前に死刑の廃止を求める市民団体に
対して手記を寄せていて、団体が25日付の会報で
公表しました。
このなかで、早川元死刑囚は
「被害者やご遺族の方々らに対する申し訳なさは、
事件発覚から23年経った今も薄れることはない」
と謝罪の気持ちをつづりました。
また、新実元死刑囚は
「どんな悪人であろうが、生きて償うことの方が慈愛に
満ちた行為の選択」
と死刑に反対する考えを示しました。
一方、事件ついては
「今は償うことだけしか頭にない」
「責任を真摯に受け止め、反省の日々を送る所存」
としています。
最終更新:7/24(火) 17:31
テレビ朝日系(ANN)
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憎しみで死刑にしても、遺族らはまだこう言う。
「死刑になったからといって、
殺されたわが子が生き返るわけではない」
つまり、憎しみも消えるわけではないのだ。
イエス=キリストの赦し
罪のない自分が死刑にされるというのに、
彼らを全て赦す、と言い切るのは、
よほど強い心を持った人でなければできないだろう。
ところが、イエスはそれでも弟子たちに、
「(私がしてきたのと同じように)赦しなさい」
「互いに愛し合いなさい」
と教える。
厳しさとは、こういうことなのだろう。
逆に言えば、弱いからこそ、赦せない。
死刑を望む人は、その教えを実行していない人ということになる。
結局は、その罪を犯した人と同じ人間に過ぎないのである。
無関係の人間が、とやかく言うことではないが、
同じ人間だというのならその人に、人を死刑にする資格など、
あるのだろうか?
·警察署の保護室の中で、わかったこと
[ 2016-08 -12 19:30 ]
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【追記】(2023年8月23日)
(参考情報)
7度を70倍するまで赦すとは、どういう意味ですか。 | 聖書入門.com (seishonyumon.com)
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七回どころか七の七十倍までも赦しなさい | CCCキリスト教カウンセリングセンター(christ-counseling.gr.jp)
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7の70倍!? 聖書が語る「赦す」とは? イエスのたとえ話から深掘り (newlifeministries.jp)
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七の七十倍までも赦しなさい(マタイ18-22)|聖書と祈りと幸いと(t-nakai.work)
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【参考記事】
『男組』の言葉
2020年 07月 08日
『男組』の言葉 : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
>「「五家宝連、おまえたちのいうとおりだ。
生徒たちは、情けないほど弱い人間たちだ。
しかしおれたちだって、
彼らよりどれだけ強いと言えるんだ?!」(流 全次郎)」
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「善を行う者はいない。ひとりもいない。」(詩編14:3)
2023年 03月 31日
「善を行う者はいない。ひとりもいない。」(詩編14:3) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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「正しい者はいない。一人もいない。」(『ローマの信徒への手紙』3:10)
2022年 11月 23日
「正しい者はいない。一人もいない。」(『ローマの信徒への手紙』3:10) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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「七の七十倍までも赦しなさい」(マタイによる福音書18:21)
2022年 04月 29日
「七の七十倍までも赦しなさい」(マタイによる福音書18:21) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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「『人』という字は支え合うもの」(永井龍雲『イサム』より)
2022年 01月 09日
「『人』という字は支え合うもの」(永井 龍雲『イサム』より) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8:1-7)
2021年 08月 07日
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8:1-7) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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『愛と認識との出発』(倉田百三)
2021年 05月 02日
『愛と認識との出発』(倉田 百三) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
>「「愛するならば責めねばならない。それは赦さぬのとは違う。他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかし、いかなる小さな罪も責めねばならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである。キリストはいかなる罪をも赦した。しかし罪の価は死なりと言った。罪の裁判はできるかぎり重くなくてはならない。そしてその重き罪は全く赦されねばならない。甲が乙を撲ったとする。このとき、そのくらいのことは小さなことだとして赦してはならない。人間が人間を撲ることはけっして小さなことではない。それは地獄に当たる罪である。しかしその大罪を全的に赦すのである。阿部氏は『私は人を愛したい。けれど憎むに堪える心でありたい』といっている。私もしか感ずる。もし私が私を愛するがごとく他人を愛しているならば、私みずからを憎むがごとくに他人を憎み得るであろう。愛は闘いを含み得る。純粋なる愛の動機より、他人と闘うことができるようになるならば、その愛はよほど徹した内容を持っている。
現に宗教的天才はかかる闘いをなしている。キリストも、エルサレムの官で鳩を売るもののつくえを倒し、縄(なわ)の鞭を持って商人を追放した。私は初めは、キリストのこの行為を善しと見ることができなかった。それは愛と赦しとの教えに敵(かな)わないと思われたからである。しかし私はこの頃は、愛しつつ赦しつつ、かく為すことができると思うようになりだした。おのれを釘づけるものを赦したキリストに、この商人が赦されないとは考えられない。愛はたたかいを含み得る強いものであってさしつかえはない。ただ私はそのたたかいが、他の一面において祈りの心持ちによって義(ただ)しくされることをねがう。」
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【追記(参考記事)】(2024年1月8日)
「死刑制度」容認80%超 否定派を大幅に上回る 内閣府世論調査
2015年 01月 25日
「死刑制度」容認80%超 否定派を大幅に上回る 内閣府世論調査 : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)
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今の、イスラエルとハマスの戦争と同じだ。
やはり、「憎悪」は「憎悪」しか生まない。
しかし、他人の罪を赦すということは、そんなに単純なことではないことも、
わかる。
一方で、それでも、相手を赦さなければ、新しい一歩への扉は、
開けてこないこともわかる。
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