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手話言語法の、内からの敵

手話言語法の、内からの敵



石狩市手話に関する基本条例
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/uploaded/life/34072_52472_misc.pdf



パブリックコメントに対する検討結果
【石狩市手話に関する基本条例素案(概要)】
●パブリックコメントの実施期間
(平成25年9月2日~10月1日)
- 意見の検討経過 -
10月2日~29日 保健福祉部検討
11月7日 石狩市長決定

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/uploaded/attachment/2919.pdf






当ブログにも、アクセス数が非常に多かった記事があった。
下の記事である。


『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』
[ 2014-07 -19 18:30 ]



『手話サークルを辞めていく健聴者』
[ 2015-07 -03 19:40 ]


これは勿論、手話言語法にも関係している記事である。
当事者からのパブリックコメントと言ってもいい内容である。



いよいよ、私の住む地域の聴覚障害者協会でも、
手話言語条例を年内に制定しようとする方向へ動いた。
素案を読ませていただいたら、
『石狩市手話に関する基本条例』をたたき台にした、
という。
一部に強硬と思える文章が盛り込んであったが、
その他は同じだった。


『石狩市手話に関する基本条例』には、
次の文が入っており、
他に意見がなければこれをそのまま使う、
ということらしい。

「手話は、音声言語である日本語と異なる言語であり、
耳が聞こえない、聞こえづらいろう者が、
物事を考え会話をする時に使うものとして育まれてきた。」



この文章を読んで、あなたならどう思いますか?
私は正直、

「これはヘンだ」

「無理矢理過ぎていないか?」

と思いました。

細かなことに過ぎないかもしれないが、理由は

①「耳が聞こえない」人は誰なのか?

②「聞こえづらい」人は誰なのか?

これを整理して考えたら、答えはすぐにわかるだろう。
一般的に考えたら、下のようになるはずだからだ。

①は、真っ先に「ろう者」が思いつくだろう。
それから、案外気づきづらい存在であるが、
「中途失聴者」にもいることだろう。

では②は誰かというと、難聴者や、耳が遠くなって
きたと言われる老人なども含まれるだろう。
症状の点だけで言えば、健聴者でも突発性難聴に
なった人も含まれる。

ところがろう者が作った条例案では、
「ろう者」(だけ)としているか、
「わざわざ、ろう者に限定する」ような記述に
なっているのである。
その一方で、後には「聴覚障害者」という用語が
出てくる部分もあるのだから、ややこしいというか、
あるいは都合良く書いたものだ。
言葉の使い方が曖昧だな、と思った。

確かに、「ろう者」という言葉は一般人にはなじみがなく、
意味を知らない人も多い。
個人のアンデンティティの問題であるのだから、
「自分はろう者だ」と自負する人には「聞こえづらい人」も、
確かにいる。

ここでもし、「問題点がよくわからない」と思う人は、
下の記事を読むとよい。


『しゃべれる聴覚障害者がいる理由』
[ 2014-01 -28 18:30 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
[ 2014-03 -14 18:30 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①〔参考資料〕』
[ 2014-03 -14 18:31 ]



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由②』
[ 2014-03 -14 18:45 ]



実際の「聴覚障害者」の意味は、一般には幅広い。
それに対し、「ろう者」というのは、
当事者と一般人とでは意味の捉え方に、
かなりの違いがあるのだ。
そして、

当ブログ『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』

で述べたように、
中途失聴者、難聴者、健聴者、老人性難聴者等で
手話ができる人は、ごくわずかなのが実情だ。
その意味では、ほとんどの聴覚障害者に、
この条例は適さない。
それなのに、

「言語として位置付けられた手話を、
全ての●民が使いやすい環境にしていくことは、
・・・・」

としようとしているのである。
そこまでできたら理想には違いないが、
現実には無理だ。
石狩市の条例だって、そこまでは書いていない。


気になった点は、まだある。
日本手話(古来からろう者が用いてきた「伝統的手話」)と、
日本語対応手話の問題である。
これについて、一般財団法人 全日本ろうあ連盟が、
次のコメントを発表している。


『手話言語法制定の前に ――言語について考える』
[ 2018-03 -17 19:01 ]


一般財団法人 全日本ろうあ連盟
「立法と調査」掲載
「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」
に対して当連盟の反論レポート
·掲載日:2018/03/23
·分類: 手話言語法,抗議文

https://www.jfd.or.jp/2018/03/23/pid17437





【関連記事】

『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』
[ 2011-04 -12 21:29 ]





ここまで考えていたら、思い出したことが2つあった。

一つは、下の記事にその意味がよく表れている。

『聴覚障害者の心と性』
[ 2016-12 -02 22:13 ]


マキさんの言っていること、
そしてそれについて書いているブログ主の感想にも、
注目してほしい。


そしてもう一つは、今までに多くの地域で、
健聴者や難聴者・中途失聴者だけの手話サークル
活動をことごとく潰しに来て、排斥してきた、
一部のろう者たちの行動である。
彼らは「日本手話しか、手話と認めない」と主張してきた。
各地でそういうことが散見されていたと聞いているし、
ひどいことを言われた難聴者などもいた。
私も実際に、間接的な妨害を受けた経験がある。

ただし、全日本ろうあ連盟は、このような行為には
一切関知していない、という声明を、
昔から一貫して出しているようである。

(しかし実際には、地域の聴覚障害者協会(ろう協)
が関わっている、という情報もある)

やっていたのは、一部の極右派のようなろう者だと
いうことがわかる。

残念だが、こうしたことが今までに数多くあったし、
今も残っているかもしれないのである。
それはこれからの未来を拓いてゆくための
『手話言語条例』にとって、望ましくないことである。

この条例ができた後に、条例を逆利用して、
手話がわからない人たちに対し、
聴覚障害者が手話で逆差別をするようなことが
あってはならない。
そのような配慮を、手話を使う聴覚障害者がする
必要があることも、忘れてはならない。






【捕捉】



「立法と調査」掲載
「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」
に対して当連盟の反論レポート
·掲載日:2018/03/23
·分類: 手話言語法,抗議文

https://www.jfd.or.jp/2018/03/23/pid17437


「日本語と日本手話 ― 相克の歴史と共生に向けて ―」に対して
一般財団法人全日本ろうあ連盟
副理事長 小中 栄一



>「また「日本手話」と「日本語対応手話」を区別することで、
ろう者や手話通訳者など手話を使う人たちを
言葉でもって分断することは間違いと考えます。」



小中氏の声明は、連盟がだいぶ以前に表明した
見解と全く同じである。
連盟の声明は、一貫しているのである。
(詳細は下記記事を参照)

『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』
[ 2011-04 -12 21:29 ]



ここで言っている

>「・「日本手話」に一方的な枠をはめ、その枠をはみ出した
  「日本手話」に勝手な名称をつけることは、フェアとは言えない」

というのは、一極側にある「日本手話」、
そしてもう一極側にある「日本語対応手話」のことを
指しているのだと思います。
連盟は、どちらも区別することなく、
「日本手話」だと認めているのです。
だから、結論は

>「・日本の聴覚障害者が使っている幅広い手話
全体を「日本手話」という」


としているのです。




>「「1990年代まで、日本語対応手話が正しい手話とされ、
日本手話より社会的上位に位置づけられた」
と山内氏が述べている事実はありません。
それは一部のろう教育関係者の予断と偏見による発言であり、
連盟は全く関知するところではありません。
山内氏が、ろうあ者当事者団体に確認することなく、
一部のろう教育関係者の発言を拠り所にしていることについては
遺憾に思います。

 歴史的に見れば、ろう教育において口話法、聴覚口話法により
「国語」を身につけ、聞こえる人たちが大多数の社会に適応して
生きていくことを目標に指導する時代があり、手話が「手真似」
と呼ばれ排除されてきたということが問題の本質です。
ろう者は、ろう学校の教育において好むと好まざるとに
関わらず、日本語を発音発語すべきことを教えられました。
後に手話への評価が高まった時点で、発語しながら手話を
使うことを目指したトータルコミュニケーション教育が、
教育側から提唱されたことがあります。
この提唱は手話への評価を高めたという一面がありましたが、
同時に手話を日本語の下位におく、日本語に従属させる発想
でもありました。
このトータルコミュニケーション教育を導入するために手話単語
を創作・改変し、語順も日本語に合わせ、日本語と手話を同時に
話せる仕組みをつくったので、同時法手話と名づけました。
同時法手話はいわゆる

「日本語対応手話」として一部のろう学校で教えられたことは
ありますが、ろう者に普及することはありませんでした。」


>「同時法手話はいわゆる「日本語対応手話」として
一部のろう学校で教えられたことはありますが、
ろう者に普及することはありませんでした。」



「ろう者の日本手話は、日本語対応手話より劣った言語」

と考えられた時期があったそうである。

それに対して、一部のろう者も猛反発し、

「日本語対応手話は日本語の文法に倣って単語を
表出しているに過ぎず、視覚言語としての文法にならず、
メチャクチャ」

といった反論がなされたことがある。
そして、一部のろう者には、健聴者や中途失聴者・難聴者
などの手話サークル潰しを強行する動きも、各地であった。
一部のろう者がこのような行動を起こした原因には、
健聴者が彼らの手話を正当に認めてこなかったことが
あったのである。
by bunbun6610 | 2018-05-04 21:30 | 手話言語法

ある障害者から見た世界


by bunbun6610