親がつくるバリア(壁)、差別
2014年 04月 19日
4月4日(金)放送のEテレ『バリバラ』番組
『テーマ「子ども」;子ども×バリバラ “初体験応援企画!”』
では
「親の過保護が子どもにバリアとなってしまっているのでは
ないだろうか?」
と思えるような事例だった。
しかしこれは、親だけを責める問題ではないと思う。
そもそも、今の大人社会のほうに、このような人々をつくり
出してしまう体質があると思う。
小山内美智子氏も、よくそんなことを著書に書いている。
『バリバラ』では、以前放送の
『Eテレ『バリバラ』 テーマ;双方向 これって差別 or 配慮?』
〔2013-11-08 18:00〕
でも、ダウン症のけん太さんが成人男性であるにもかかわらず、
周囲の人の責任問題にされてしまうのを心配し、
過剰な心配をしてしまう人もいた。
そのかばい方が、障害者をダメにしてしまうのだ。
健常児であっても、同様の親の過保護が問題になることだってあるが。
しかし、もっと悲しく、本人が悩み深くなるバリアもある、と私は思う。
それは、親をはじめとした家族が
「わが子や、家族に障害者がいるということすらも、
世間に知られたくない」
という、卑屈な心理を持つことである。
これも、今の大人社会の偏見に満ちた眼が原因なのだろう。
そうすると、その影響を受けた親も屈折してしまうし、その子も
屈折した子に育ってしまうものだ。
こういう社会、家庭環境のなかで生きている障害者は、
自己肯定ができなくなる。
それだけではなく、見た目ではわからない障害者となると、
家から一歩外へ出たら、配慮も何もない世界で生きねばならず、
誤解まで生まれることになる。
それでも親や家族は、障害を隠したがり、自分の不利益だけではなく、
障害者へ最も大きな不利益を与えてしまうのだ。
強烈なパンチ言葉で言えば、彼らこそ、障害者への加害者なのだ。
障害者というほどではなくとも、難聴の老人をヒモ扱いしている家族
だって、最近はよく見かけるようになった。
障害者よ、あるいは、障害者でなくとも難聴者よ、自分の権利を護り
たければ闘え。
闘って、勝利しなければ、あなたもあなたの子孫も、あなたの仲間も、
永遠に奴隷だ。
いつまでも健常者のヒモ生活に甘んじているつもりなのか。
『テーマ「子ども」;子ども×バリバラ “初体験応援企画!”』
では
「親の過保護が子どもにバリアとなってしまっているのでは
ないだろうか?」
と思えるような事例だった。
しかしこれは、親だけを責める問題ではないと思う。
そもそも、今の大人社会のほうに、このような人々をつくり
出してしまう体質があると思う。
小山内美智子氏も、よくそんなことを著書に書いている。
『バリバラ』では、以前放送の
『Eテレ『バリバラ』 テーマ;双方向 これって差別 or 配慮?』
〔2013-11-08 18:00〕
でも、ダウン症のけん太さんが成人男性であるにもかかわらず、
周囲の人の責任問題にされてしまうのを心配し、
過剰な心配をしてしまう人もいた。
そのかばい方が、障害者をダメにしてしまうのだ。
健常児であっても、同様の親の過保護が問題になることだってあるが。
しかし、もっと悲しく、本人が悩み深くなるバリアもある、と私は思う。
それは、親をはじめとした家族が
「わが子や、家族に障害者がいるということすらも、
世間に知られたくない」
という、卑屈な心理を持つことである。
これも、今の大人社会の偏見に満ちた眼が原因なのだろう。
そうすると、その影響を受けた親も屈折してしまうし、その子も
屈折した子に育ってしまうものだ。
こういう社会、家庭環境のなかで生きている障害者は、
自己肯定ができなくなる。
それだけではなく、見た目ではわからない障害者となると、
家から一歩外へ出たら、配慮も何もない世界で生きねばならず、
誤解まで生まれることになる。
それでも親や家族は、障害を隠したがり、自分の不利益だけではなく、
障害者へ最も大きな不利益を与えてしまうのだ。
強烈なパンチ言葉で言えば、彼らこそ、障害者への加害者なのだ。
障害者というほどではなくとも、難聴の老人をヒモ扱いしている家族
だって、最近はよく見かけるようになった。
障害者よ、あるいは、障害者でなくとも難聴者よ、自分の権利を護り
たければ闘え。
闘って、勝利しなければ、あなたもあなたの子孫も、あなたの仲間も、
永遠に奴隷だ。
いつまでも健常者のヒモ生活に甘んじているつもりなのか。
by bunbun6610
| 2014-04-19 18:30
| Eテレ『バリバラ』