障害者差別クラッシュ!
2014年 05月 13日
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「『バリアクラッシュ』
アメリカのバークレーに留学していたころ、現地で生まれ
育った友人と映画館に出かけた。
バークレーでは、公の施設にスロープやエレベーターを設置
することが法律で義務づけられているのに、なぜかその映画館
の入り口には5、6段の階段しかなく、車イス利用者のための
配慮が見当たらなかった。
友人は
「ここは法律に違反しているし、ほかの所へ行こう」
と言ったが、私が観たい映画はそこでしか上映されていなかった。
にもかかわらず、友人はむりやり車イスの向きを変えて外へ
出て行こうとした。
私はとっさに車イスから飛び降り、階段を這い上がって
「ボクはここでやっている映画が観たいんだ」
と、奇声を上げた。
観たい映画を観るための“バリアクラッシュ”を怠ろうとした
友人に、怒りを放ったのだ。
バリアフリーは、決して継続的な状態ではない。
ある時点で障壁がとりはらわれたと思っても、一人ひとりの
障害程度、生活環境や時代の変化とともに、否応なく次なる
バリアが頭をもたげるに違いない。
だからそのたびに、出くわした障壁を時に根気よく、時にしたたかに
“バリアクラッシュ”していく情熱と知恵の連帯が必要になる。
それこそ、自分自身が楽しめる本当の意味でのバリアフリーを
つくり出す源でもあるのだから。」
『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)
より。
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『X-MEN ファースト・ジェネレーション』は、
障害者にとっても、興味深い映画だった。
障害者の立場からすれば、あの“マグニートー”
(エリック・レーンシャー)の気持ちもよくわかる。
障害者がバリアクラッシュをしようとすれば、
健常者は反発する。
なぜか。
健常者は、自分たちが築いてきた、それまでのものを、
一部であるとはいえ、壊さなくてはならなくなるからだ。
それは彼らには損失だと考えている。
だから、それよりは自分たちを守ろうとする。
つまり、動物にも、そして人間にもある本能的な思考
というか、単純に自己防衛本能が働くのだろう。
彼らには、それが当然だと思っている。
しかし、障害者は、健常者社会を侵略しようとして、
障害者運動をしているわけではない。
健常者は、自分たちだけが「人間」だと思っていないだろうか。
「いや、障害者も人間だ」
とは、彼らも思っているだろう。
ただ、同じ人間だとは思っていないのだ。
だから“差別”があるのだ。
それを“壊す”のが、私に与えられている、天からの使命なのだ。
「『バリアクラッシュ』
アメリカのバークレーに留学していたころ、現地で生まれ
育った友人と映画館に出かけた。
バークレーでは、公の施設にスロープやエレベーターを設置
することが法律で義務づけられているのに、なぜかその映画館
の入り口には5、6段の階段しかなく、車イス利用者のための
配慮が見当たらなかった。
友人は
「ここは法律に違反しているし、ほかの所へ行こう」
と言ったが、私が観たい映画はそこでしか上映されていなかった。
にもかかわらず、友人はむりやり車イスの向きを変えて外へ
出て行こうとした。
私はとっさに車イスから飛び降り、階段を這い上がって
「ボクはここでやっている映画が観たいんだ」
と、奇声を上げた。
観たい映画を観るための“バリアクラッシュ”を怠ろうとした
友人に、怒りを放ったのだ。
バリアフリーは、決して継続的な状態ではない。
ある時点で障壁がとりはらわれたと思っても、一人ひとりの
障害程度、生活環境や時代の変化とともに、否応なく次なる
バリアが頭をもたげるに違いない。
だからそのたびに、出くわした障壁を時に根気よく、時にしたたかに
“バリアクラッシュ”していく情熱と知恵の連帯が必要になる。
それこそ、自分自身が楽しめる本当の意味でのバリアフリーを
つくり出す源でもあるのだから。」
『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)
より。
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『X-MEN ファースト・ジェネレーション』は、
障害者にとっても、興味深い映画だった。
障害者の立場からすれば、あの“マグニートー”
(エリック・レーンシャー)の気持ちもよくわかる。
障害者がバリアクラッシュをしようとすれば、
健常者は反発する。
なぜか。
健常者は、自分たちが築いてきた、それまでのものを、
一部であるとはいえ、壊さなくてはならなくなるからだ。
それは彼らには損失だと考えている。
だから、それよりは自分たちを守ろうとする。
つまり、動物にも、そして人間にもある本能的な思考
というか、単純に自己防衛本能が働くのだろう。
彼らには、それが当然だと思っている。
しかし、障害者は、健常者社会を侵略しようとして、
障害者運動をしているわけではない。
健常者は、自分たちだけが「人間」だと思っていないだろうか。
「いや、障害者も人間だ」
とは、彼らも思っているだろう。
ただ、同じ人間だとは思っていないのだ。
だから“差別”があるのだ。
それを“壊す”のが、私に与えられている、天からの使命なのだ。
by bunbun6610
| 2014-05-13 18:30
| 『こころの段差にスロープを』