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『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 8/11(盲目の少女『しおり』)

『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)



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「ある夜のことでした。
いつものようにひと通り本を読み終え、

「じやあそろそろ」

というと、彼女(しおり)はいつものようにひと言

「帰らない!」

と発したあと、慌てて再び本を開き、ページをめくりながら
いろいろなカラスを指差してしゃべり始めました。

「あっ! これマモルさんだねぇ?
 ・・・見てごらん!
これもマモルさんじゃない?」

いつもの引き延ばし作戦が始まったと半ばあきれながら、
その手は古い、もう通じないよと、無関心丸出しないい方で、

「うん、何回も聞いたよ、マモルさんでしょう? もう行くね」

と、彼女の言葉をさえぎりました。

ところが、次に彼女から発せられたのは、信じがたい言葉
だったのです。

「まだ! 行かない!」

と私の腕を本のほうに引き寄せ、再び別の一羽のカラスを
指差して、

「じゃあこれは?
ほら、トオルさんがいる!
これ、トオルさん・・・」

彼女の口話を読み取った瞬間、私はわが目を疑いました。
亨(とおる)は20歳で他界した弟の名前です。
施設内には私に亨という弟がいたことを知る人など一人も
いるはずがありません。

私はしおに何度も何度も復唱させて確認し、あげくには
職員を呼んで、

「いま、しおりは何といったのか?」

と確認したところ、間違いなく

「トオルさん」

といっていることがわかったのです。
そして

「しおりにトオルという名の知り合いはいないと断言できます」

ともいわれました。
その後もしおは、さらに執拗(しつよう)にその名を繰り返したのです。
まるで私がその名なら興味を示さないはずがない!
と知っているかのように・・・。

そして、私は聞いてはならないことを聞いてしまったのです。

「亨さんって誰?」

反応がありません。
質問を変えてみました。

「亨さんのこと、知ってるの?」

「トオルさん、知ってるよ!」

しおは即座に明るく答えました。
もう一度

「亨さんって誰かなぁ?」

と聞くと、また黙ってしまいます。

『何者かは知らないがよく知っている』――私には、
しおの表情はそんなふうに見えました。

さらに

「ここにくる人?」

と聞くと、

「そう!」

と自信ありげに答えるのです。
しかし私が聞いた

「ここ」

とは施設をさしてのものだったのに対し、彼女の「ここ」は
明らかにこの部屋をさしていたのです。
私は重ねて尋ねました。

「亨さんはいつくるの?」

「夜、寝てたらくる」

彼女は言葉を続けました。

「トオルさん、白いお車に乗ってバイバイしちゃったね!
でもトオルさん、バイバイするのイヤだよーって、泣いてたね」

いうまでもなく、口話を読み取るときも執拗にしおに確認しました。
何度も何度も。

この言葉を聞いて本当に凍りつきました。
亨は白のスカイラインに乗っていて事故に巻きこまれたのですから。

さらに私が

「亨さんってどんな人?」

と聞くと、やはり考えこむばかりで返事がありません。
次に

「亨さんはどこに住んでいる人?」

と尋ねてみました。
すると間髪を入れず

「あっち!」

と答えました。

彼女がさす方向を目にした瞬間、いままでの凍りついた気持ち
が至福感へと逆転しました。
何の疑問もなくなり、ごく自然にそれを受け入れていたのです。
その人差し指は、真っすぐに天をさしていました。

私は彼女を抱きしめ、

「ありがとう」

と何度もくり返しいって、泣きました。

全聾になって以来、ここの子供たち以外とは、必要に迫られない
かぎり誰とも会話せずに生きてきました。
悲しいことに妻ともです。
しかし、その晩だけは違いました。

帰宅すると妻にその事実をありのままに伝え、また泣きました。
私としおの間に起きた小さな奇跡は、彼女との運命的なつながり
を決定的に確信させる出来事になりました。

この出来事は、私を真の作曲家として成長させるために与えられた
きっかけだったように思えてなりません。」




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by bunbun6610 | 2014-02-08 18:30 | 佐村河内 守

ある障害者から見た世界


by bunbun6610