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盲ろう者への就労支援のあり方から

「盲ろう者」とは何ですか?
これも「聴覚障害者=ろう者だけ、ではない」のと同様、
「全盲プラスろう(ろうあ)者」という意味ではありません。

社会福祉法人 全国盲ろう者協会

 →http://www.jdba.or.jp/index.htm


当ブログ
『精神障害者への就労支援のあり方から』(2012-02-13 22:05)

『第4回労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会議事録』
(平成20年8月7日)
議題; 障害者関係団体からのヒアリング
より。

に続く、盲ろう者側の意見です。

これも
社会福祉法人全国盲ろう者協会 理事 福島智氏のお話は非常に長いので、
一部抜粋(青字部分)させていただきました。
ただ、福島氏の説明は具体例をよくあげているので、私の抜粋文ではなく、
本文を読まれたほうが理解できると思います。

これまで通りに、私の思ったことも後で加筆してみました。

○福島氏
>「盲ろうという障害者、障害種別の特殊性、非常に独自のニーズをもっている、
そういう人々がいますのでよろしく…」



 →当ブログでは「聴覚障害者には、いろいろな人がいます」という
メッセージも発信してきました。
盲ろう者は、さらにいろいろな人がいるのでは、と思います。

福島氏の講演でトイレの場所での話を聞いたことがあるのですが、
出会った健常者にはトイレの出口が分からないのだと勘違いされたらしく、
トイレからすぐ連れ出されたそうです。
福島氏は「手を洗いたかったのに」と思っていたそうです。
だから

「いや、そうではなくて、何をしたらよいのかは、
障害者とまず、コミュニケーションをとってほしいんだ」

というふうに思ったそうです。
ですから福島氏のまず言いたいことも、まず盲ろう者を理解し、
それから、それぞれの人に合った支援をお願いします、
ということだと思うのです。


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【追記(2023114日)】

確かに、自分は盲ろう者ではないが、

今でも「聴覚障害者=手話」という、

先入観を持っている健常者が、

社会のなかには圧倒的に多い、と感じる。


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【参考記事】

『中途失聴者と難聴者の世界』(山口利勝/著者、一橋出版)

2021 05 04

『中途失聴者と難聴者の世界』(山口利勝/著者、一橋出版) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)

>「聴覚障害者=手話ではない(P168

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だから、この社会現象なども、同様の例のように思えてくる。

だから、「関係なくはない」と感じてくる。




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難しいと思うかもしれませんが、聴覚障害者の立場からも、
健常者はまず、障害者とのコミュニケーション方法の確立からやってほしい、
と思っています。
日本人はコミュニケーションが苦手だからなのか、これができていません。
しかしこれは、障害者に限らず、どの人であっても大事な基礎であるはずです。



>「これは極めて例外的ケースで、私がたまたま周りのサポートを受けられたから
ここまでやって来れたという背景があります。
もしサポートがなければどうなっていたか。
おそらく職業ということ以前に、生きていくエネルギーも十分もてなかったでしょうし、
もちろん私自身の能力を発揮することもできなかったであろうと思います。
盲ろう者というのは、その意味で、サポートがあるかないかで、人生が劇的に
変わってしまいます。これほど劇的に変わる障害の種類もめったにないのでは
ないかと思っています。




 →確かに例外的なケースですよね。
ヘレン・ケラーが「努力の人だから、あそこまで立派になった」と思う
健常者もいるかもしれませんが。
彼女自身だけでなく、サリバン先生の支援がなければ、無理だったのでは
ないでしょうか。
それと同じかもしれません。
大体、愛のなせる業というのは、誰か一人が、ではなくて、共同作業によって
生まれるものだ、と私は思います。
私は福島氏の話を聞いて、よく感動します。
どんな人も可能性を持っており、それを生かせるかどうかは、
この世で自分も誰かと結びついて互いの能力を発揮できるか、
ということにかかっているように思います。
それが人間、存在する意味なんだと思います。
健常者は、「自立」の意味を勘違いしているように思います。



>「盲ろう者の場合は、スピーカーを消して、画面も消してしまうわけですので、
これは何もない。
何も心に届かない。
自力でどう頑張って、どう逆立ちしても、どう努力しても、
情報がキャッチできないという状態に置かれます。



 →情報は、コミュニケーションと同じように、相手の努力というか、
配慮も必要だと思います。
聴こえる人でも、聞き取れる声でしゃべってくれないと、聞き取れません。
それと同じことで、その人にきちんと伝わる方法でコミュニケーション、
情報伝達をすることが大事なんじゃないか、と思います。
そのために支援者が必要ならば、それも当然、合理的配慮になる、と思います。


>「盲ろう者の困難は3つあると思っています。1つ目が情報を得るということで、
もう1つは、コミュニケーションをする上での困難、3つ目が移動です。




 →時任氏のお話で情報障害はすなわち移動の障害というふうに思ったのですが、
盲ろう者でもやはり同じことが言えますが、耳も聴こえないわけですから、
もっと危険な状況に晒され続けている、といえると思います。
支援者がいなければ、施設から一歩も出られないという孤独な生活でしょう。
これは本当に「生きる権利」の保障なのだろうか。



>「1つのアクシデントが起きても、このように多重的派生的に困難が重なるのが盲ろう者



 →障害の多重性、二次、三次障害が重なっていく状況というのは、
自分の無力感をさらに大きくしていく、と思います。
だから、このような人には、一刻も早く助けが必要なんだと思います。



>「盲ろう者の特徴は、それらがバラバラにあるのではなく、みんな重なってしまっている
ということです。
集中しているということです。







>「自暴自棄になってしまって、飲み屋に通うようになって、本当は1人で歩くのは
難しいんだけれども、歩いて飲み屋通いをして、ある日、トラックにはねられて亡く
なるというようなケースもあります。



 →絶望すると

「自分なんか、世の中にはいらないんだ!
働けないし、誰も相手になってやろうという人もいない。
もう死んでしまったって、かまわないじゃないか」

というような思いがよぎるのだと思います。
これでも、死ぬまで人を信じ続けるというのは、難しいと思います。

話がそれてしまうかもしれませんが、セーレン・キルケゴールの
『死にいたる病』を読まれた方はいますでしょうか?




>「ニューヨークにヘレンケラーナショナルセンターという
盲ろう者のためのリハビリテーションセンターができています。




 〔ヘレンケラーナショナルセンター〕
→http://kakaku.com/tv/channel=6/programID=249/page=212/
「1969年に開設されたヘレンケラーナショナルセンターは、
22歳以上の盲ろう者が入所できて、無料で訓練を受けられる。
年間入所者数は約100人で、数ヶ月から1年程度の訓練を受ける。

日本で始めて大学に進学した盲ろう者の福島智教授が、
ヘレンケラーナショナルセンターで公演を行なった。
福島智教授は、ヘレンケラーナショナルセンターは
盲ろう者に生きているという実感を高めていると評価した。」


〔日本の参考例〕
 →http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/44/jyoho44_tokushu2.htm


調べていると、本当に日本は障害者に無関心な国であるばかりでなく、
超恩恵型で障害者の社会参加や権利保障をせず、閉じ込めているんだな、
という印象を受けます。
あなたがもし障害者だったら、日本の障害者の生かし方をどう思われるでしょうか?








by bunbun6610 | 2012-02-29 19:29 | 盲ろう者

ある障害者から見た世界


by bunbun6610