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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140307/Mainichi_20140307k0000e040178000c.html


<佐村河内氏>聴覚診断
 最も軽い6級に該当せず手帳返納


毎日新聞社 2014年3月7日 12時01分 (2014年3月7日 13時12分 更新)


 ◇医師の診断結果は「感音性難聴」

 別人による作曲が問題となっている佐村河内守
(さむらごうち・まもる)さん(50)が7日、東京都内
で記者会見を開き、聴力について、「聴覚障害に
該当しない」とする医療機関の診断結果を示し、
交付した横浜市に身体障害者手帳を返納したこと
を明らかにした。

 「右耳が約49デシベル、左耳が約51デシベル
以上でないと聞こえない」。

佐村河内さんは、記者会見で医師の診断結果を
明らかにした。

 難聴に詳しい昭和大医学部の比野平(ひのひら)
恭之・准教授によると、通常30デシベル以上で
ないと聞こえないのが軽度の難聴。

佐村河内さんの場合は中度の難聴とは言えるが

「向かい合って大声で話せば聞こえる。
補聴器をつければ日常生活に支障はない。
全ろうとは大きく違う」

と指摘。
そのうえで、約3年前までに聴力が改善してきたと
主張している点について

「全ろうからそこまで回復するというのは医学的に
非常に考えにくい」

と疑問を呈した。

 佐村河内さんに聴覚障害2級の手帳を交付して
いた横浜市によると、障害の程度を2〜6級と
認定した場合に手帳を交付する。

最も重い2級は、両耳がいずれも100デシベル
でも音を聞き取れない。

6級は、

両耳とも70デシベル以上でないと聞こえ
ない(40センチ以上離れた場所の会話が理解でき
ない)か、

片耳が90デシベル以上、かつもう一方が50デシ
ベル以上でないと聞こえない

−−と規定しており、佐村河内さんは6級にも該当
しない。

 診断結果によると、佐村河内さんは鼓膜の奥に
ある内耳や聴神経などの障害による「感音性難聴」。
薬や騒音、頭部外傷や糖尿病などの病気が原因と
されるが、原因不明の場合も多い。

【牧野宏美】




==========================





〔参考情報〕

『耳が聞こえるのに「聴覚障害者手帳」を持っていたら・・・
なにかの「犯罪」になるの?』
〔2014年02月20日 13時15分 弁護士ドットコムニュース〕





みみ屋の診察室から。
『◆ 佐村河内氏の聴覚に就いての推論と問題点。』
〔2014-03-10 16:53〕

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by bunbun6610 | 2014-03-07 23:52 | 難聴・中途失聴
副題;『佐村河内氏の“聴覚障害者偽装疑惑”で思うこと』


新垣隆氏の記者会見以来、マスコミの間で

「(佐村河内氏が)聴覚障害者というのも、
ウソなのではないか」

という疑惑がある。

そして、次々と、いろいろな証言が、
マスコミの間からも飛び出した。

私も、そこが気になっていた。

正直に言って、それらを読むと

「ウソの可能性も、本当の可能性も、
どっちもありえる」

と思うからだ。


>「但し、それはかなり体調に左右されるので、
体調が悪い時は耳元ではっきりゆっくり話して
もらっても聞き取れないこともあります。」
佐村河内氏の謝罪文〔※〕より)



〔※〕『佐村河内守氏謝罪文(2014年2月11日)』
〔2014-02-15 13:49〕
 参照。




これを読んでも、マスコミは

「まだウソをつくのか!」

と、全く信用しないだろう。

しかし、同じ聴覚障害者の私から見ると

「これは本当の可能性も、十分ある」

と思える根拠もある。

私も、耳鳴りには変化がある。
「変化がある」と思うのは、
本当はおかしいのかもしれない。

「気にすると、よけいに気になる」

と、他の聴覚障害者からも言われたことがある。
だから、気にしないで、他の事に集中力を使えば、
多少は気にならなくなる。

それはそうだ。
聴力が良くなる(回復する)、ということとは
違うのだろうが・・・。

ただ、これだけでは、やはり信用されないだろうから、
今回はさらに、他の聴覚障害者の状況証拠も、
つけ加えよう。


「・・・体調と聴力にはかなりの関係がある模様。
耳鳴りは「常に」だそうです。」


この文は、当ブログの、ある記事の中からの引用だ。

その聴覚障害者本人にも何らかの迷惑、
特に“偽聴覚障害者”がまだいるのではないか、
という疑いがかけられてしまう心配がある。
だから、それがどの記事なのかは、
ここでは直接教えないことにする。

今まで、このブログを長い間、読んでくださった人ならば、
わかるでしょう。
しかし、騒動がきっかけで、いきなり読みに来た人には、
わからないかもしれない。

聴覚障害の説明には、やはり長い時間と、
ものすごく大変な説明力が必要だ。
しかし、この騒動を見ると現在の佐村河内氏に、
それができるとは思えない。


他に気になるのは、
佐村河内さんの長髪だ。
長髪スタイルは

「自分の聴覚障害を隠したい」

と思っている難聴者等に多い。

自分の障害を受容できていない人には、長髪にして、
補聴器が見えないように、髪で隠す人が多い。
装用する補聴器も、パワー不足の耳穴式補聴器を
無理に使っているろう者もいる。
補聴器の色も肌色と、目立たないほうを選びたがる。

こうすると会社面接でも、軽度難聴者ならば、
気づかれにくくて有利、ということもあるだろう。
周囲の人に障害者だと分からないほうが、
いろいろと不利にならない場合も多い。
就職では「一般雇用」か「障害者雇用」になるかで、
やはり待遇面で大きな差別に遭うのも事実だ。
もし障害を隠せるならば、自分で選択できる余地が
生まれる。

佐村河内さんの場合は、おそらく補聴器を使用している
はずだと思うのだが・・・。

長髪で補聴器を隠すと、このように長短両面があるが、
実際、佐村河内さんの著書を読むと、障害を隠したがる
理由があったようだ。

佐村河内さんの場合は、現在も補聴器を使用している
のだろうか?
していたとしても、あの長髪では、他人にはそれが全く
わからないだろう。
新垣さんにも、補聴器が見えていなかったのだろうか?
それとも、使わないで聞こえていたのだろうか?

もしハイパワー型の補聴器を使用しているのなら、
2級でも音は何とか感知できて、不思議ではない。
残存聴力の程度にもよるが。
2級だからといって、その全ての人が残存聴力ゼロなの
ではない。

補聴器だけでなく、読話など、視覚情報も可能な限り併用して、
相手の言う事を理解している聴覚障害者は少なくない。

そうやって、聴覚障害を少しでも克服するコミュニケーション術
を持ってるのが、中途失聴者の場合は、むしろ当たり前だろう。

そうすると、つき合いの長かった新垣さんでも、

「聞こえていた」

と勘違いしてしまう可能性も、なくはないのでは
ないだろうか。

しかし、もし今、補聴器もなしで聞こえるようになって
いるのなら、驚き、いや、ほとんどあり得ぬ奇跡ではないか、
と思う。

これは、聴覚障害者だから、容易に推測できることだ。

しかし、聴覚障害者の世界を全く知らない「健聴者社会」
の目は、そうならない。
疑惑という、非常に厳しい目で見られることだろう。

やはり、「聞こえる」「聞こえない」だけの、
健聴者特有の二元論で、聴覚障害者をバッサリと
切り捨ててしまうだけなのだろう。

さらに、18年間も佐村河内氏とのつき合いがある新垣氏の
証言があれなのだから

「18年もつき合いのあった新垣氏でも、
佐村河内氏の聴覚障害に気づかなかったのか?」

とは、誰も思わないだろう。

仮に、現在は聴覚障害の程度が軽くなっているとしても、
謝罪会見では、佐村河内氏は、手話通訳者を必ず
同行させるはずである。

通訳をつけてまたごまかすとかではなくて、彼がそうして、
そして万全の体制で会見に臨むべきなのだ。

体調により、聞こえの状態が変わる、というのならば、
なおさらそうしないと大事な記者会見で、
きちんと答えられず、またもや、どんどん疑われて
しまうことになるだろう。


謝罪会見では、集まった記者たちがこぞって、
いろいろな手口で、佐村河内氏が本当に聞こえているか
どうかを、執拗に試しに来るのではないか。
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by bunbun6610 | 2014-02-15 19:05 | 難聴・中途失聴
佐村河内守氏謝罪文(2014年2月11日)
【時事通信社】

http://www.jiji.com/jc/v4?id=20140212_samurakoji_shazaibun0001


佐村河内守氏の謝罪文【時事通信社】

『お詫び』

 今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。
そして、すぐに説明が出来なくて申し訳ありませんでした。
弁護士さんにも本当のことが言えなくて、決断するのに時間がかかって
しまったのです。
また、私のせいで、多くの方々に大変な迷惑をかけてしまったことを心から
お詫びしたいと思っています。

 私のCDを買った方々、応援して下さった方々、音楽関係の方々、私の嘘
によって番組を作った方々、本やインタビューを記事を出して下さった方々、
大切な本番の直前に騒動に巻き込んでしまった高橋大輔選手、被爆者の
人たち、被災者の人たち、障害者のひとたち、広島市の関係者、友人、
家族等、本当に多くの人たちを裏切り、傷つけてしまったことを、心から
お詫びいたします。

 私がついた嘘は、新垣さんのことだけではありません。
もちろん、新垣さんとの関係については、新垣さんが話しておられるとおりです。
他にも、私の音楽経歴についても、大体新垣さんが話されたとおりです。
今は、自分を偽って生きて来たことを深く恥じています。
そして、私の要求に18年もの間応じて来たことから、人生が狂ってしまった
新垣さんに対しても、お詫びしたいと思います。

 ただ、耳のことについては、新垣さんが、出会った初めころから聞こえて
いたはずだと言われていることは事実とちがいます。
耳が聞こえなくなって手話サークルに参加して、それから聴覚障害2級で
手帳をもっていることはまちがいありません。
そして、耳が聞こえなくて、ひどい耳鳴りに悩まされ続けていたことは本当です。

 しかし耳のことでは、最初弁護士さんにも正直にお話しできなかったので、
そのことについて説明します。
実は、最近になって、前よりは、少し耳が聞こえるようになっています。
3年前くらいから、耳元で、はっきり、ゆっくりしゃべってもらうと、こもって
ゆがむ感じはありますが言葉が聞き取れる時もあるまでに回復していました。

 但し、それはかなり体調に左右されるので、体調が悪い時は耳元ではっきり
ゆっくり話してもらっても聞き取れないこともあります。
しかし2月4日に初めて弁護士さんに会った時は、今も全く聞こえないと
言ってしまいました。
私としては、新垣さんに作曲してもらったことがバレることによって起きること
で頭がいっぱいで、耳のことも聞かれたのですが、怖くて本当のことを
言えませんでした。
音楽的経歴のこともそうですが、他の嘘のことを話すと、引き受けてもらえない
と思ったのです。

 もう、週刊文春が出る直前でしたから、すがる思いで相談していました。
新垣さんの会見自体は見ていませんでしたが、知人からも、耳のことが問題
になっていると聞き、本当のことを言わなくてはと思い、2月7日に少し聞こえる
ようになっていると話しました。
ただ、この時は、人の言葉は聞き分けられないと説明したのですが、色々な
情報が出ていると聞き、もうこれ以上は嘘はつけないと思い、2月9日になって、
耳のそばではっきり話してもらえば人の言葉も聞き分けられる時があることを
告白しました。

 そうすると、弁護士さんからは、最初から聞こえていたのではないかとも質問
されましたが、それだけはちがいます。
全然聞こえなくなって聴覚障害の認定を受けていたことと、3年前くらいまでは、
聞こえていなかったことは、真実です。
もうこれ以上、嘘に嘘を重ねるのはやめると決めました。

 ですので、今日、ここに書いていることは、天地神明に誓って真実です。
耳のことについては、専門家によるきちんとした検査を受けてもいいです。
その結果二級ではないと判定されたのなら手帳は必ずお返しいたします。

 それと、いくつかご説明させて下さい。
 もちろん、すべて真実をお話しすると決めたので、この後に書くことに嘘
はありません。

 まず、私と新垣さんの関係は二人きりの秘密でした。
この嘘がバレてしまうと、身の破滅になると恐れていたので、妻にも誰にも
話していません。
妻も新垣さんのことは知っていますが、現代音楽の専門家なので作曲の
仕方などを教えてもらっているとしか説明していませんでした。

 また、新垣さんへの指示書を書いたのは私です。
お義母さんに妻の筆跡だと言われていると聞いて驚きましたが、誤解です。
何かの一部を妻に書いてもらったことはあるかもしれませんが、そのくらい
です。
私の実家にピアノがあったのは引っ越す前のことだったので、お義母さんの
知らない時期のことです。

 もちろん、お義母さんの言われるとおり、私のせいで、妻にも辛い思いを
させています。
妻が望むなら、離婚してもいいと思っています。そのことは妻の判断に任せます。

 それと私が被爆二世であることも真実です。
私の両親は共に広島で被爆しています。
二人とも被爆者手帳を持っておりますし、弁護士さんにも、写真で確認して
もらっています。

 私がやってきたことは売名行為と見られても仕方のないことです。
私自身、そういう気持ちが一方にあったことはまちがいありません。
しかし、ある時期からは被爆者や震災の被災者の人たち、障害を持った人たち
の助けになればという気持ちもまちがいなくありました。

 もちろん、今となってはそのような事を言っても信じてもらえないかもしれません
が、心の中には、いくつもの思いがあったことも確かなのです。

 しかし、私の気持ちを信じてくださった方々に、もっと大きなショックを与えて
しまったことになります。
本当に取り返しのつかないことをしてしまったと思っています。

 もう一つ、弁護士さんにはじめにお願いしたことなのですが、私が新垣さんに
作ってもらった楽曲は、私のことさえなければ、きっと後世に残るはずのもの
ですし、今はこの楽曲が生かされ、少しでも周りの方々の被害が少なくなるよう
にしてもらいたいと思います。

 最後になりますが、やっと気持ちが整理できましたので、近い内に必ず公の場
で謝罪をさせていただきます。
 本当に申し訳ありませんでした。

 平成二十六年二月十一日
 佐村河内守


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by bunbun6610 | 2014-02-15 13:49 | 難聴・中途失聴
自伝に書かれた思い出もニセモノ
 …佐村河内氏の“偽り人生”


日刊ゲンダイ 2014年2月8日 10時26分 (2014年2月9日 10時04分 更新)

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20140208/Gendai_000203280.html


 何だか、松本清張の「砂の器」みたいだ。
ゴーストライター騒動の佐村河内守(50)のペテンが
底なしになってきた。
作曲だけでなく、経歴もウソで塗り固めていたのである。
 日本音楽著作権協会が管理している佐村河内名義の
楽曲は103曲。

「実際にはその半数が、ゴーストライターだった桐朋学園
大非常勤講師の新垣隆氏(43)の手によるものとみられている。
新垣氏は20曲以上と言っていましたが、そんなもんじゃありません」
(同協会事情通)

 作曲もウソ、全聾(ぜんろう)もウソ、それどころか幼い頃の
“思い出”まで他人から拝借していた。

 自叙伝「交響曲第一番闇の中の小さな光」によると、
佐村河内は4歳の誕生日に、地元でピアノ教室をしていた
母親から入門書「赤バイエル」をプレゼントされ、厳しい
ピアノレッスンを受けたという。

ミスタッチすれば即座に手を叩かれたと書かれているが、
これも新垣氏の過去の体験をなぞったものだという。

 広島市生まれの佐村河内は中学2年の時に、同市郊外
のベッドタウンに引っ越している。
実家は今もそこにあるが、近所住民がこう言う。

「30年以上ここに住んどって、お父さんは普通の会社員
だったんじゃけど、お母さんがピアノ教室をやっとったいう
のは聞いたこたぁないなぁ」

 佐村河内は地元の崇徳高卒業後に18歳で上京。
自叙伝には、上京したてのころ、ある映画音楽プロデューサーに、
自作の〈二十段近いオーケストラ楽譜〉を見せたが、
相手にされなかったなんてエピソードも出てくる。
しかし、佐村河内はオケ譜を書けない。
つまり、これもウソ。
 精神科医の酒井和夫氏は

「一般論ですが、過去を美化するのは詐欺師の
典型ですね。
被爆2世とか全聾など、他人の同情を買いそうな話
で自分を飾ろうとするのです」

と話す。
 もはや佐村河内という名前以外はウソじゃないかと
思えてくるが、不思議なのは、自叙伝でも高校時代に
ついてはほとんど触れていないことだ。
〈封印してしまいたい三年間を過ごしました〉などと
記している。
 高校時代を知る近所住民も、日刊ゲンダイ本紙の取材に

「佐村河内のこたぁ話しとうないです。
察してもらえたらありがたいんじゃけど」

と口が重かった。



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【追記】(3月18日)

佐村河内氏の謝罪会見(3月7日)は、本当に残念だった。

本来なら、一貫した謝罪の姿勢を示すべき会見の
はずなのに、協力者への私怨、復讐心から反撃姿勢を
見せるという、多くの被害者にとって非常に不快な会見と
なってしまった。

これでは見ていた人に

「誠意が感じられなかった」

と思われて当然だ。

佐村河内氏の言っていることの、一体どこまでがウソで、
どの部分だけは本当なのか、結局誰にもわからないだろう。

去年、彼の自伝書を購入し読んでいたのだが、
その内容もほとんどがウソだというマスコミからの
情報もある。

しかし、彼の本を読んで、聴覚障害者としての私の感想を、
素直に言うとすれば、彼が難聴になり、苦しんできたという
ことは、真実と思える。

彼の書いた内容には、難聴者特有の心理が、垣間見える。
普通に聞こえる人には、あのように書くことができない、
と思う。

障害者福祉と障害者雇用の甘い世界にどっぷりと浸かって
生きてきた聴覚障害者に、あのような苦しみがわかるだろうか。

そういう聴覚障害者が「迷惑です」と言って、一刀両断に切り
捨てるのだと思う。

社会の保安官気取りで偽聴覚障害者を暴こうとしているかの
ような報道をする、一部のマスコミも、いいかげんにして
ほしいものだ。

彼らに、彼を裁く権利はないはずだ。
彼らこそ、障害者を語る資格もない。
ああいうふうにやって、自分に都合のいい
障害者だけを認めよう、としているのだ。


ところで、NHK(現在のEテレ)『みんなの手話』が始まったのは、
もう25年ぐらいも前である。
初代講師は石原茂樹氏(日本手話通訳士協会会長)だった。

その頃だったと思うのだが、高齢の聴覚障害者(ろう者)
がゲストとして出演していて、インタビューを受けていた。
その方のお名前は木村さんという方だったか、ハッキリとは
憶えていない。

その人は、健聴者として生まれ育ったが、少年期に難聴の
症状が出て普通学校に通い続けるのが難しくなり、確か
中学あたりで、ろう学校へ転校した。
そしてその後も難聴が進行し、失聴するという障害歴を
持った方だ。

つまり、健聴も難聴もろう(聾)も経験している、
という珍しい人だ。

その人の話で、一番心に残っているのが、石原さんが

「聴覚障害者になって、一番苦しかったのは、
いつ頃ですか?」

といった質問をした時だった。
その人は

「難聴の頃が一番、苦しかった」

と答えたことでした。


健聴者とろう者(あるいは障害者)の二極性社会で、
難聴者のことは、どちらの社会も理解してもらえない。
そういう状況を、その人は客観的に見ることができて
いたのだろう。

その人は、ろう者として生きているのに、難聴者時代の
ときの、わずかな期間の苦しみを、まだ忘れてはいないんだ、
と知った。
つまりそれだけ、濃密に苦悩した期間だった、ということ
なのだろう。
それを聞いて私は、かなり救われたような気持ちになった。

その後、手話サークルへ行って、他の難聴者にも
そのことを話したら、みんなそのテレビを見ていて、
同じように感動し、励まされたのだという。

日本の場合の話だが、一日は必ず終わる。
朝、太陽が出て、夕方には沈む。
しかし、翌朝にはまた太陽が昇る。
光から闇へ、そして再び光へと。

中途難聴者と中途失聴者が経験することも、それと同じ
かもしれない。
ただし、彼らの闇は、非常に長い時間で、それは言葉
で幾ら語っても語りつくせぬ、悲哀に満ちた経験だと思う。

それを理解するのは、健聴者であれろう者であれ、これまた
非常に長い時間を要する。
まさに歴史的な努力が必要で、一人や数百人の生涯、犠牲では、
決して解決できるものではないのだ。
それでも、難聴者、中途失聴者は、それまで耐えて生き続け
なければならないのである。

真の希望とは、耳が聞こえるようになることではない。
相互受容がもたらす世界――そこにあると思う。
それは人間社会の、非常に高い理想だと思う。


2014年2月に書き上げた佐村河内氏自伝書『交響曲第一番』
についての記事は、長く非公開にしていた。

その理由は、私が異常なアクセス数になるのを嫌ったからである。
佐村河内氏関連のことを書くと、どうしてアクセスが異常になる
のかを、私は知らなかったが、ようやくそのわけがわかった。

ただ、彼の人生は、多くの難聴者の現実と、かなりの共通点もある。
当ブログでは、特に聴覚障害者の就労問題を重点的に書いてきて
おり、その具体例は彼の本にもかなり書いてあるので、難聴者研究
の参考になればと思い、ようやく公開することにした。

彼が悪いことをしたという事件は、きわめて重い事実である。
しかし、それと難聴者、中途失聴者の深い問題は別だと、
どうか理解し、考えていただきたい。



〔参考資料〕

(※)『(障害による)喪失の過程』
東京大学教授・福島智氏。「喪失の過程」「再生の過程」
http://plaza.rakuten.co.jp/masami2008/diary/200806220000/




『基礎からの手話学』
(神田和幸,藤野信行/編著,福村出版,
1996年6月20日初版発行)



「a.聞こえない世界
聴覚障害者のパーソナリティの特徴としては、従来よりも精神的な固さ、
融通性のなさ、自己中心的であることなどが指摘されている。
しかし、いずれもコミュニケーションが十分行えないために、人間関係に
おける誤解や無理解から生じた場合がほとんどである。

耳が不自由な場合、音を通じて次に何が起こるかを予測することが困難
である。
問題が生じた場合でも、健聴者なら速やかに適切な助言や指導が得られ
るかもしれないし、常識や社会規範などの目に見えない抽象的事象も
言語を介して身につけられるが、それらが困難な聴覚障害者は絶えず
抑圧と不安のなかに身をおいているといえる。

たとえば、何かの集まりがあったとする。
少し遅れて会場に入ったが、あわてていたのでドアを強く閉めてしまった。
大きな音がしたが、本人は気にせず席に着いた。
そこで、まわりの人はどのように反応するだろうか。

おそらく、ひとこと謝るべきだ、何と非常識な人だと眉をひそめるだろう。
聞こえないことの意味を「非常識」の一言で片づけられてしまう怖さを
改めて考えさせられる。

とくに自分の良き理解者であるはずの家族や周囲の者とのコミュニケ
ーションが不十分な場合は、さらに混乱に拍車をかける。
当然、不安や不満も増大するであろう。

理解されにくいといえば、三木安正が教師を対象に「障害者の中から
最も気の毒な障害者はどれか」という調査をした結果がある。

結論からいえば、視覚障害者、肢体不自由者、精神薄弱者、聴覚障害者
の順であった。

これを三木は、教師がより悲劇的と感じた順に並べた結果であると
述べている。
見方を変えると視覚障害者や肢体不自由者はある程度、外見からも
障害の困難さが理解されるが、聴覚障害者は外見からはほとんど
理解されないということである。
誤解を受ける要因の1つもこのへんにあり、聴覚障害者の悩みや不安
は深刻である。」(P20~21)


「b.中途失聴者の心理
人生の途中で起こる失聴という事態が、その人の心理にどのような
影響を与えるだろうか。

障害そのものが人格に与える影響も無視できないが、自分の障害を
どのように受けとめるかが実は最も重要なことである。
言い換えれば自分が障害者であることをどの程度納得しているかが
ポイントになる。

キャロル(Carroll,T.J.)は中途失明者について「20の喪失」として
分かりやすくまとめている。
対象は異なるが、聴覚障害者にもあてはまると思われるので、
聴覚障害者に置き換えて紹介する。

(1)心理的安定の喪失(身体の完全さの喪失・残存感覚の信頼性の
喪失・環境把握の困難性・音のもたらす安らぎの喪失)

(2)生活動作の喪失(日常生活の困難性・行動力の減少)

(3)コミュニケーション手段の喪失(音によるコミュニケーションの喪失
 ・会話の容易さの喪失・情報入手の喪失)

(4)文化享受の喪失(音で楽しむことの喪失)

(5)職業・経済基盤の喪失(職歴、職業目標、就業の機会の減少
 ・経済的安定の喪失)

(6)結果としての人格の完全さの喪失(自立性の喪失・社会的適切さ
の喪失・自尊心の喪失・豊かな人格形成の喪失)

これらは障害の違いや時代の違い、個人差などを考慮した場合に
必ずしもすべてがあてはまるとはいえない。
しかし、心理的安定の喪失をはじめとして中途失聴者が必ず直面する
課題であることにかわりはない。」(P21)


「c.中途失聴者の障害受容
中途失聴者は、障害を受けてから、それを受容し、再出発するまでの
間の心理的状況はさまざまであり、この心理的過程を4段階に分ける
ことができる(図1-2参照)。

第一段階は障害の発生から失聴宣言を受けるまでで、医療を中心と
した時期である。

第二段階は将来の見通しが立たず悶々とした日々を過す心理的葛藤
の時期である。
言うに言われぬ不安感、周囲の者に対する依存、そして劣等感にさいな
まれるもっとも辛く苦しい時期でもある。


第三段階は生きる意欲や目的を見出し新たな人生を踏み出す障害受容
の時期である。
この頃になると「読話訓練」、「聴能訓練」、「手話訓練」などにも積極的に
取り組むようになる。

第四段階は職業決定の段階で、既婚者であれば経済的基盤の確立が
成るか否かの瀬戸際に立たされる時期でもある。

すべての人が同様の過程をたどるとはかぎらないが、中途失聴者の
社会復帰までには数年を要するのが普通である。
」(P22)



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【追記】(3月20日)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140320-00000169-jij-soci


「音楽修業はすべてうそ」
 =講談社が佐村河内さんと面談


時事通信 3月20日(木)21時30分配信


「耳の聞こえない作曲家」として知られながら別人に楽曲を作曲
させていたことが問題になった佐村河内守さん(50)の著作
「交響曲第一番」について、発行元の講談社が20日、

「佐村河内さんから

『音楽修業・音楽修学に関することはすべてうそです』

と釈明があった」

などと発表した。
同社ホームページで公表した。

 同社は出版に至る経緯を面談で調査。
出版当時の担当編集者らは佐村河内さんの楽曲にゴーストライター
がいることは全く見抜けなかったという。
佐村河内さんは著作にある音楽修業・修学は全てうそだったと
しながらも、本に書かれたそれ以外のことは事実で、著作には
ゴーストライターはいないとの釈明と

「読者の方々には誠に申し訳ございませんでした」

と謝罪があったという。
 同社も

「うそを見抜くことができず出版してしまったことを重く受け止め、
読者の皆さまには心よりおわびします」

などと謝罪した。
 同社は2月5日に同作品を絶版として、回収措置を取った。



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http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/samura.pdf

『交響曲第一番』(佐村河内守著)に関する
お詫びとお知らせ


(PDFファイル) - 講談社(3月20日)

弊社ではかねてより、『交響曲第一番』出版に至る経緯の
把握と事実関係の確認作業を行ってまいりました。
この間、当時の編集責任者、編集担当者および著者である
佐村河内守氏にも面談し、事情聴取を行いました。
編集責任者および編集担当者からは、佐村河内氏の作品
とされる曲に関してゴーストライターが存在することはまったく
見抜けなかったことを確認いたしました。

また、佐村河内氏本人からは

「『交響曲第一番』に書かれている音楽修業・音楽修学に
関することはすべて嘘です。
それ以外の、本に書かれたことは事実です」

「本に関して、ゴーストライターはいません」

「読者の方々には誠に申し訳ございませんでした」

という釈明と謝罪がありました。
弊社といたしましては、その嘘を見抜くことができず出版して
しまったことを重く受け止め、読者のみなさまには心より
お詫び申し上げますとともに、今後このようなことがないよう
十分留意してまいります。

なお、同書に関しましては、すでに2月5日に絶版・回収措置
をとっております。

2014年3月20日講談社広報室


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by bunbun6610 | 2014-02-13 19:30 | 難聴・中途失聴
佐村河内さん代作 新垣氏会見(8完)
「彼は実質的なプロデューサーだった」


産経新聞 2月6日(木)17時36分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000578-san-musi

 〈会見も終盤を迎え、新垣氏には疲れの表情も浮かび始めた〉

 --新垣さんは、佐村河内氏の欺く行為を止めることができる立場にいた

 新垣氏「やめたいと直接言ったのは、実は最近になるわけです。去年のことです。それまで彼にはっきりと自分の意志を伝えたことはなかったんです。彼から依頼があれば、受けるということをごく普通に続けていました」

 --そうした環境の方が、自身で曲を発表するより曲に注目が集まるという認識か

 新垣氏「私はゴーストライターとしての役割を果たすためには、やはりそれが知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んだのは否めません」

 --今回、佐村河内さんは芸術的な共作者という位置づけか。それとも、仕事を取ってきて、世間に売り出してくれるプロデューサーという認識だったか

 新垣氏「彼は、実質的にはプロデューサーであったと思います。アイデアを私が実現する。ただ、それを彼が自分のキャラクターを作り、世に出したということ。彼のイメージをつくるために、私は協力をしたということだと思います」

 --実際彼は譜面をかけたのか

 新垣氏「書けません」

 --広島の被爆者の方についてどう思うか

 新垣氏「音楽とは別に、広島の被爆者の方々に対する思いはございます。それを音楽で表現をするということもあるかもしれません。あるいは、被爆された方への思いが、もしかしたら音楽に与える影響もあるかもしれません。今それは非常にあいまいです。はっきりメッセージ性を持たせて作るというやり方は私自身はあまり、自分の名前で出すときはとっておりません」

 --「ゴーストライターが前に出てはいけない」と先ほどおっしゃっていた。とはいえ、これだけご自身の曲が評価されると、自分が書いたといいたくなると思う。葛藤はあったか

 新垣氏「自分の作品が演奏されて、多くの方々が聞いてくださるということは、非常にうれしいことでした。なのですが、この場合は、それをどう自分の中で受け止めていいのかということは、ちょっと分かりませんでした」

 --高橋選手が「ソナチネ」をやることをどういう経緯で知ったか

 新垣氏「私はそのことを知ったのは、おそらくずいぶん後のことだと思います。発表されてから、何となく聞こえてきたということでした。テレビの報道です」

 --高橋選手が「曲目を変更しない」と発表したときの気持ちは

 新垣氏「高橋選手があの曲を選んでくださったというのは、私にとって大きな喜びでした。そして、高橋選手がこのような事態にも関わらず、なおこの曲を選んで下さり、その曲で踊ってくださることを聞きまして、非常にうれしく思いました」

 --今後何らかの裁判を起こす可能性と、これまで発表されたCDの名義変更については考えているか

 新垣氏「今まで彼の名義で発表されたものは、もうそういうものだと私はおもっています」

 --裁判を起こす考えは

 新垣氏「私の方からは考えておりません」

 --このまま佐村河内氏個人の名前で残っていいということか

 新垣氏「それで皆様が納得されるかは分かりませんので、それはお答えできません」

 〈その後、週刊文春に記事を寄せた神山典士氏があいさつ。「義手のバイオリニスト」が「ソナチネ」を演奏する映像が会場に流れ、新垣氏はそれを見ていた。激しいフラッシュがたかれるなか、新垣氏は伏し目がちに会場を後にした〉



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by bunbun6610 | 2014-02-13 19:00 | 難聴・中途失聴
佐村河内さん代作 新垣氏会見(1)
「曲を書いてくれないと自殺する」
と言われた


産経新聞 2月6日(木)16時35分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000561-san-musi


 広島市出身の被爆2世で両耳が聞こえない作曲家として知られる佐村河内守(さむらごうち・まもる)さん(50)の楽曲を特定の別の人物が作っていた問題で、「佐村河内さんのゴーストライターを18年間やっていた」と名乗り出た桐朋学園大非常勤講師の新垣隆(にいがき・たかし)さん(43)が6日、東京都内で記者会見した。「影武者」を告白した新垣氏の口から語られた「真相」とは-。

 〈会見は午後2時半に始まった。報道陣から激しいカメラのフラッシュがたかれるなか、新垣氏はグレーのスーツ姿で登場した。6日発売の「週刊文春」に記事を発表したノンフィクション作家の神山典士氏らも同席。神山氏が冒頭、会見に至るまでの経緯を説明した後、新垣氏が準備してきたコメントを読み上げた〉

 新垣「私は、佐村河内守さんと出会ったときから18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けてきました。佐村河内さんが世間を欺いて曲を発表していると知りながら、指示されるまま曲を作り続けた私は、佐村河内さんの共犯者です。障害をお持ちの方々、また、彼の言葉を信じて曲を聴いてくださった多くの方々、見事な演奏をしてくださった演奏家の皆様、本当に申し訳ございませんでした。

 当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けていました。彼を通じて私の曲が世の中に受け入れられたことが、うれしかったことは否めません。しかし、彼が世間に知られるにつれ、この関係が世の中に明らかになってしまうのではないか、と不安を抱くようになりました。そしてこれ以上、自分の好きな音楽で世間を欺きたくないという気持ちが、私の中で大きくなってきました。

 私は何度か、彼に対して『こんなことはやめよう』といいましたが、彼は聞き入れてくれませんでした。(佐村河内さんに)『あなたが曲を書いてくれないと私は自殺する』ともいわれました。

 そんな中、フィギュアスケートの高橋大輔選手が、私の作曲した「ソナチネ」を(五輪で使うことを)選ばれたことを知りました。このままでは高橋選手までもが彼と私の嘘を強化する材料になってしまう。しかし、同時に事実を知った高橋選手のショックを考えると、公表すべきか迷いました。

 ただ、このまま何もいわず、五輪の後に事実が発覚した場合、高橋選手は非常に戸惑うのではないでしょうか。さらには、『偽りの曲で演技したではないか』と世界中から日本に非難が殺到するかもしれない。いろいろ考えた結果、高橋選手には事実を知ったうえで五輪を堂々と戦っていただきたいと思い、このような会見を開かせていただくことにしました。

 高橋選手、そして音楽作品を聞いてくださったみなさまには、本当に申し訳ないことをしたと思っております。深くおわび申し上げます」


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佐村河内さん代作 新垣氏会見(2)
「耳が聞こえないと感じたことは一度もない」


産経新聞 2月6日(木)16時36分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000562-san-musi


 〈新垣氏によるコメント読み上げのあと、報道陣との一問一答が始まった〉

 --佐村河内さんとの出会いのきっかけは

 新垣氏「彼(佐村河内氏)とは知人を介して紹介されてお会いしました。彼が映画の音楽を担当することになり、彼が必要とした『オーケストラのための音楽をできる人を探してほしい』という相談を受け、私のところに連絡が来ました。最初の出会いはそのようなものです」

 --この18年間で、やめようと思ったタイミングはあったか

 新垣氏「やめようと思いましたのは、できるならば早い段階ででした。当初は彼の映画やゲーム音楽のお手伝いという形で、私はアシスタントとして関わっていました。そのような認識を持っていました。その中においては、ゲームであり映画をつくるスタッフの一人であるということで、特に問題は感じていませんでした。

 ただ、彼がある時期から、世間に対し『自分は耳が聞こえないのだ』という態度を取ったとき、そしてそれを彼の名で私が書いた曲の発表をした時点で、それは問題のあることだと思いました。しかし、そこではまだやめようということではなく、彼に従い曲を書き続けました。

 去年5月に、ピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと思いました。そこから、彼に何度かこの関係を続けることはやりたくないと伝えました」

 --耳が聞こえないということだが、これまで接していて、「そうではない」というエピソードがあれば

 新垣氏「耳に関しては、私の認識では、初めて彼と会ったときから今まで、特に耳が聞こえないということを感じたことは一度もありませんでした」

 --一般の方と同様に話ができたということか

 新垣氏「そういうことです」

 --佐村河内氏から「現代典礼」という曲の依頼を受けてどう思ったか

 新垣氏「彼からは、一枚の図表をもらったわけですが、それと同時に、彼が『非常に大きな編成で大きな長さの曲を書いてくれないか』と依頼がありました。図表は、実際の作品の曲のなりゆきとは全く異なりますけど、ただ、あの表を私が机の横に置くということで、それをある種のヒントとして、私が作曲する上では必要なものだったと思います」



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佐村河内さん代作 新垣氏会見(3)
「CDの解説にあった記述はほとんどが嘘です」


産経新聞 2月6日(木)16時37分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000563-san-musi


 〈新垣氏は言葉を選びつつ、報道陣の質問に答えていった〉

 --最後に佐村河内さんと会ったのはいつか

 新垣氏「最後に会ったのは、去年の12月15日です」

 --そのとき、「すべてを打ち明ける」といったような話はしたのか

 「していません」

 --今、佐村河内さんに何といいたいか

 「多くの人の夢を壊してしまったわけです。ただ、やはり、そもそもの関係が間違っていたのではないでしょうか。以上です」

 --2人の印税などはどう管理していたのか

 「彼が(作曲を)依頼し、私が作曲し、それによって私は報酬を受け取りました。印税については私はまったく関係がありません」

 〈質問は各作品の作曲の経緯などに及んでいく〉

 --2006年に、佐村河内さんがある高校の吹奏楽部に小品を提供している

 「はい。私が作りました」

 --どんな依頼だったのか

 「彼が、ある高校の吹奏楽部の顧問の先生とコンタクトを取り、それで彼が『学校の吹奏楽部のために曲を書きます』といって、私のところに依頼が来ました」

 --佐村河内さんから曲のイメージや構成案が送られてきたのか

 「あの曲に関しては、そういうことはありませんでした。私が(曲を)書きました。楽器の編成が吹奏楽のみならず、邦楽器を含んでいた。顧問の先生から、ゲーム音楽のイメージで作っていただけないか、という依頼だったと思います。それを受け取り、作曲しています」

 〈質問は再び、佐村河内さんの聴力に及ぶ〉

 --佐村河内さんの聴力について。新垣さんが作った曲を佐村河内さんが聞き、意見するなど、耳が聞こえる具体的なエピソードはあるのか

 「おっしゃったようなことはありました。私が録音したものを彼が聞き、彼がそれに対してコメントするというシーンは何度もありました」

 --耳が聞こえないということを装っていた、という認識なのか

 「はい」

 --CDの解説書の中で、佐村河内さんが長野にコンサートを聴きにいき、新垣さんと知り合ったというエピソードが載っていた。それもすべて嘘だったのか。そして、吹奏楽部のために作った曲では、新垣さんは満足感を感じていたのか

 「CDの解説にあった記述はほとんどが嘘です。出会いはそうではないですし、あれはフィクションです。また、吹奏楽の小品のみならず、私は作曲をしましたけれども、私の作品であることはいえると思いますが、同時に、一連の作品というのは、彼とのやりとりの中で生まれたものであるという認識を持っています」



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佐村河内さん代作 新垣氏会見(4)
「20曲以上提供、報酬は700万円前後」


産経新聞 2月6日(木)16時44分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000564-san-musi

 --ドキュメンタリー番組で、曲が浮かばない苦悩や、曲を絞り出す姿が映されていた。彼の苦悩する姿をみてどう感じたのか。演技だったか、本当に苦悩し、それを新垣さんに伝えたのか

 新垣氏「彼がどのような気持ちであのようなシーンを撮られたのか私には分かりません。ただ、私は、彼から依頼をうけたとき、やはり何か被災者の方のために曲を書きたいと思いました」

 --音楽自体はすばらしいと感じたが、番組内の曲作りに苦悩する姿などは、佐村河内氏の演技だと思うか

 新垣氏「私はそう思っています」

 --共作にしようという提案はあったか

 新垣氏「そのようなことは私からも提案はしなかったです」

 --共作という意識はなかった

 新垣氏「あくまで彼のゴーストライターであるべきだと思っていた」

 --佐村河内氏側の代理人によると、新垣さんが表に出づらい理由があったということだが

 新垣氏「いえ、特段ありません」

 --名前が出なかったことについておかしいともおもわなかった

 新垣氏「初めの段階から、私はゴーストライターとしての役割であると思っていました」

 --ゴーストライターとして曲を書いた報酬は

 新垣氏「18年間で20曲以上提供しました。はっきりとした金額はちゃんと調べていませんが、700万円前後だと思います」

 〈話題は「みっくん」と呼ばれる義手のバイオリニストの少女との関係に移る〉

 --フィギュアの高橋選手が使用するバイオリンのためのソナチネは、当初みっくんに送られた曲。新垣さんとみっくんの関係は

 新垣氏「彼女とは、彼女がバイオリンを始めた頃から私がバイオリン教室で私が伴奏していたので、そのころからの関係です」

 --ご家族からは佐村河内氏への相談は

 新垣氏「はい。そういうことが一回ありました」

 --どういった内容か

 新垣氏「それは、雑誌に書いてある通りです」

 --700万ほどの報酬について。今後返還する考えは。もしくは今後、演奏家の方らに賠償のような形をとることは考えているか

 新垣氏「私の気持ちでは彼に報酬を返すことは考えていません。演奏家の方に対しては、私は非常に感謝の念を持っています。それをお伝えしたいと思います」

 --佐村河内さんの曲と信じてCDを買われたファンの方には

 新垣氏「それは、大変申し訳ないことをしたと思っております。本当に申し訳ありません」

 〈新垣氏はここでまた深く一礼。報道陣は相次いで手をあげている〉

 --世に知られるきっかけとなった芥川作曲賞への応募について、作曲家としてどういった気持ちだったか

 新垣氏「それに関しては私は、最初は知らないままだったのですが、戸惑いました」

 --ご自身で芥川作曲賞に応募されたことは

 新垣氏「私自身のオリジナルとして提出したことはまだありません」

 --今後は

 新垣氏「賞に応募することはないと思いますが、その芥川作曲賞という日本の芸術音楽に贈られる賞なので、私もその領域で、芸術作品を作りたいという意志は強く持っております」



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佐村河内さん代作 新垣氏会見(5)
「彼は、非常に初歩的なピアノの技術のみ」


産経新聞 2月6日(木)16時45分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000566-san-musi

 〈質問は、楽曲に関する今後の権利や、現在のクラシック業界への見解にまで及んでいく〉

 --佐村河内さんから伝えられていた楽曲のイメージはどんなものか。また今後、楽曲の著作権を主張するのか

 新垣氏「彼は言葉のみならず、いろいろなクラシック音楽のレコード、CD、録音などを聞いていました。それで、彼なりに、自分の(表現)したいものを選んで、提示したこともあります。それから図表や言葉というもので提示されました。著作権に関しては、私は放棄したいと思います」

 --佐村河内さんはピアノを弾けないのか。また、新垣さんは、今のクラシック業界に対する不満があったのか

 「今の質問に対しては、特に不満を持っているということはありません。作曲家が、自分の作品を発表するための場は、決して貧しい状況とは思っておりません。それから、彼(佐村河内さん)は、非常に初歩的なピアノの技術のみ、であります」

 --会話ができたということは、2人以外に誰が知っていたのか

 「私は彼と接触するとき、ほとんど2人だけだったです。そこでは、ごく普通のやりとりをしていたということです。それ以外で彼と会うということはありませんでした」

 --著作権を放棄するとおっしゃった。著作権をすでに譲渡しているのか。楽曲を提供した際、すでにそういう話し合いをしているのか

 「そういう話は一切していません」

 --JASRACと協議はしているのか

 「私はそれには一切関わっておりません」

 --レコード会社の日本コロムビアや、密着取材したNHKのディレクターも一切事実を知らなかったのか

 「私はNHKの方やコロムビアの方とはコンタクトを取っておりませんでしたので、それはお答えできない。私はまったく知りません」

 --2人の関係が露見しないために工作したのか

 「それは1点。私が(楽曲を)作っているということを口外しないということのみです」

 --偽名を使ったのは

 「偽名を使ったのは、(「週刊文春」に報じられた)1回です」

 〈質問は再度、新垣氏が「真相」を打ち明けることを決めた心中についてただしていく〉

 --気持ちに変化が起きたのはなぜか

 「去年の5月に曲を提出した段階で、続けられないと思いました。7月にそのことを彼に伝えました。さらに12月、もう一度彼に要求しました。でも、それはうまくいかなかった」



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佐村河内さん代作 新垣氏会見(6)
「障害者手帳、一度だけ見せられた」


産経新聞 2月6日(木)16時46分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000568-san-musi

 --「現代典礼」という曲を作ろうとした経緯と、それが「HIROSHIMA」に変わっていった経緯は

 新垣氏「彼(佐村河内守さん)から『一枚のCDに収まるようなゲームではなく、オーケストラのための作品を作りたい』という希望を聞きました。それを、発売するのだと。そのために一年間で、つくってくれ、ということで引き受けました。

 私は事情は分からないのですが、結果的に発売はされませんでした。そのままになっていました。もちろんそのときには、『HIROSHIMA』というタイトルではありませんでした。数年後、そのオーケストラ作品が『HIROSHIMA』というテーマで発表されると聞いた際には大変驚きました」

 --改めて「みっくん」とよばれるバイオリニストと、ご家族への思いを

 新垣氏「彼女にはぜひ、あの曲を弾いてほしいと思っています。彼女と、彼女の家族のみなさまに対しては、これからも音楽を通じてコミュニケーションをしていきたいという思いが強くあります」

 --新垣さんが今回会見をして謝罪をするのは一つのけじめだと思うが、今後の身の処し方は

 新垣氏「できることならば、今後も私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと強く思っています」

 --みっくんに曲を弾いてほしいということだが、一方著作権については放棄したいともいう。ご自身でこの曲は残したい、この曲は違うというような切り分けは。また、自分の音楽と佐村河内氏の音楽を作る際の気持ちの違いは

 新垣氏「佐村河内さんのために曲を書くという面もありました。彼との関わりの中で、作品が生まれるということなのですが、彼との共同作業であると私は全ての作品において思うのです。同時に、全ての作品は私のできる限りの力の範囲で作るものであり、そういう意味では、一つ一つが大事なものです」

 --なぜ週刊誌での告白という形を取ったのか。また、ソチ五輪直前のこの時期の発表には、売名行為という見方もあるが

 新垣氏「やはり、高橋選手に偽りの状況のまま踊っていただくことは、非常によくないことではないかと思いました」

 〈報道陣からは、佐村河内さんが実際に障害者手帳を持っているかどうかの追及があった〉

 --佐村河内さんの障害者手帳などを見たことあるか

 新垣氏「一度だけ見せられたものはあります。手帳です。何級かは記憶にありません。時期は、彼が、自分の耳が聞こえないと世間に、そのようなスタンスをとった直後です」 

 --彼が35歳のときか

 新垣氏「そこらあたりだと思います」



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佐村河内さん代作 新垣氏会見(7)
「彼と私の情熱が共感しあえた時はあった」


産経新聞 2月6日(木)17時29分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000576-san-musi

 〈佐村河内さんがどのような心中で自身を「偽って」いたのか-。質問は、新垣氏から見た佐村河内さんの「内面」に入り込んでいく〉

 --佐村河内さんは、具体的にどう作曲に関わっていたのか

 新垣氏「私が音楽の断片のようなものをいくつか提示し、譜面を書き、ピアノに録音する。それを彼が聞き、彼がいくつか選んだ断片をもとに、あとは私が作曲、全体を構成する-というプロセスでした」

 --譜面上のやりとりではなく、実際にピアノを聞かせて、やりとりがあった

 新垣氏「はい」

 --障害者手帳は、詐取しているということなのか

 新垣氏「私は彼と普通のやり取りをしていました」

 --障害者ではないと

 新垣氏「そう思います。それは違うのではないかと思います」

 --であれば、佐村河内さんはなぜそういうことをしていた。本人の口からはどういう説明があったのか

 新垣氏「最初は私に対しても、耳が悪い状況である、ということを示していたのですが、やりとりをしているうちに(もとに)戻ってきました」

 --佐村河内さんは、偽りを「隠す」理由についてはどう説明していたのか

 新垣氏「耳が聞こえないということを示すための、外に向けての行為をしていたのだと思います」

 --佐村河内さんは真実を隠した方が、CDを売れるんじゃないか? といったことは言っていたのか

 新垣氏「『これからはそういう形でいく』ということを聞いたことはあります」

 --それはいつか

 新垣氏「ゲーム音楽が発表された後です」

 --福島県本吉町が佐村河内氏に依頼し、東日本大震災の3年イベントで初披露する楽曲があると聞いている。これも新垣氏が作曲したのか

 新垣氏「それは初めて聞きました。私は関わっていません」

 --著作権はいつ放棄するのか

 新垣氏「高橋(大輔)選手があの曲で演技できるための詳しい手続きは分かりませんが、それは実現されなければならないので、手続きが必要であれば絶対しないといけないと思っています」

 --世に出した楽曲の中で、新垣氏が作った記憶のないものはあるのか

 新垣氏「先ほどの(福島に関する)曲は私は知りませんでした。自分の認識のなかでは彼のほぼすべての曲を自分が担当しています」

 --ほかにゴーストライターはいないという認識か

 新垣氏「私はそう思っております」

 --作曲の報酬面で不満に感じたことはあったか。また、佐村河内氏との間で、金銭面でのトラブルはあったのか

 新垣氏「私が譜面を作り、報酬を受け取る形はまったく自然なものと自分では思っていました。そして、彼がそれ(楽曲)を受け取った後は、もう、彼のものなわけですから、彼がどのように扱ってもいいということだと思っています。ですので、その後についてのことについては私は一切タッチしたくないという気持ちがありました。金銭トラブルというものはなかったと思います」

 --CDの回収などでレコード会社などに生じた金銭的損害についてはどう処理するのか

 新垣氏「どのような形で償えばいいのかということは分かっておりません」

 〈18年にわたって佐村河内さんと「共犯関係」を続けてきたという新垣氏。その奇妙な2人の関係の「本質」に記者の興味は向いた〉

 --ゴーストライターに徹していたとしても、18年はあまりに長い。佐村河内氏との間に友情はあったのか。それとも佐村河内氏が変わっていったのか

 新垣氏「最初お会いしたとき、彼は自分が撮った映画で自分のアイデアを実現したいという気持ちがあった。そのために、彼は実際の音楽の予算を大幅に超えたお金を自分で出して、メンバーを雇い、スタジオを借り、私が協力して作っていった。彼は(当時)自分のやりたいことを実現させるためにがんばったのだと思います。そのような点では、偉いなと思っていた。彼が変質したかどうか。それは私は、そんなに感じてはいなかったかもしれません。彼とは基本的に、依頼をし、譜面を作り、渡すというやり取りだけの関係を保っていました。その中で、彼の情熱と私の情熱が、共感しあえたときはあったと思っています」



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by bunbun6610 | 2014-02-13 18:30 | 難聴・中途失聴
『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)



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「――生きている・・・。
その瞬間に、私の闇に小さな光がもたらされるように感じました。
二度目の自殺未遂の体験で気づけた最も大切なことは、

「どん底の闇の中にすら、小さな光は存在した」

ということ、そして

「人間は最悪のどん底の闇の中でさえ、自らが小さな光を見出す
力を持っている」

ということでした。」



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聴覚障害者の自殺願望って、みんなあるでしょうね。

「生きてて、何になるのか?」

って、今でもよく思う。

でもそれは、よく考えてみれば「社会からの抑圧」だって、
原因の一つなんだと思う。



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「私には夢があります。
もし何らかの奇跡が起こり、聴力が甦り、発作も消えうせたときには、
迷わず筆を折り、作曲家以外の道を選ぶことでしょう。
裏を返すならこの淡い夢は、愛する音楽と引きかえにできるほど、
いまの精神的・肉体的苦痛が耐えがたいことを表しているのかも
しれません。」



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>「もし何らかの奇跡が起こり、聴力が甦り、発作も消えうせたときには、
迷わず筆を折り、作曲家以外の道を選ぶことでしょう。
裏を返すならこの淡い夢は、愛する音楽と引きかえにできるほど、
いまの精神的・肉体的苦痛が耐えがたいことを表しているのかも
しれません。」



この気持ちはおそらく、どの難聴者・中途失聴者者にも、
よくわかることだろうと思う。


彼の優れた作曲は、世界が認めている。
でも、彼は“自由”ではないと感じているのではないだろうか。
障害者運動に邁進する障害者とは、だいぶ違う様子である。

ろう者との決定的な違い、苦しみの違いが、この気持ちの告白に
顕れていると思う。




〔関連記事〕

『500億円と耳』
〔2013-06-17 18:00〕



『米国・ギャローデット大学でのろう運動』
〔2013-03-05 18:00〕

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by bunbun6610 | 2014-02-11 18:30 | 難聴・中途失聴
『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)



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「そして二度と音が聞こえない自身の状況に暗く思いをめぐらせ
始めたとき、ある単純な疑問を発したのです。

――自分では聴くことのできない、自分が作曲した音楽。
では、この作曲とは一体誰のためにあるのか?

そこで初めて

「音楽は他者のために書かれる」

という自明(じめい)の理に気づかされました。
これを認識できたのは、聴けない作曲家の必然です。

また、決定的なのは全聾になったことで、自身の音楽に
自身の血を明確に感じ取れるようになったことでした。

聞こえない耳の奥に聞こえる、鳴りやまない轟音(ごうおん)(耳鳴り)。
それは私が直接聞いたはずのない音。
父と母が、そして歴史が聞いた「原爆の音」。
それを私の血がいま、聞いているのかもしれません。

轟音の厚い壁のはるか先、その奥のずっと奥、深く沈み
こんだ頻闇(しきやみ)の森、冷たい霧に包まれた静寂の地――。

そこに聞こえない私だけが必要とする、私にとっての真実の
音、「闇の音」が棲んでいます。
私はこれからも、その音だけを求め続けるのだと思います。」



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by bunbun6610 | 2014-02-10 18:30 | 難聴・中途失聴
『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)



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「私は耳鼻咽喉科を渡り歩きました。
アデホス、メチコバール、ストミンA、リンデロン錠という強力な
ステロイド剤まで試しましたが、何ら改善する傾向は見られま
せんでした。

「耳鼻科領域の中で、耳鳴りは一番解明が遅れている分野
なんですよ」

どの医師も、そう口をそろえるばかりでした。

私はある病院で、書物で知った内耳(ないじ)破壊術という手術
をしてほしいと希望しましたが、

「やっても耳鳴りが消える確率は極めて低い」

と断られました。」



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>「やっても耳鳴りが消える確率は極めて低い」


これは決して、医者が取り合おうとしないということではない、
と思います。
下の情報を見ればわかると思いますが、このような手術は、
今のところはリスクのほうも高いようです。

「内耳破壊術」というのは、私は聞いたことがないので
わかりませんが、「人工内耳」という手術があります。


〔外科的治療体験談〕
http://meniere-g2.net/iryo/i6.html


〔人工内耳とは〕
http://www.tora-ear.jp/02/



下の、人工内耳体験者のブログを読まれると、詳細がわかります。

〔難聴者の生活goo〕
http://blog.goo.ne.jp/hearingrabbit


人工内耳は中途失聴者や、ろう児の間で増えているようですが、
最近は「ハイブリッド人工内耳」というのも出てきて、難聴者も
残存聴力を生かしつつ、人工内耳も併用する、という活用法が
可能になってきたようです。



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「私の音楽が、いまここにあるのは母のおかげです。
音楽の基礎をたたきこみ、私の生きる道を照らしてくれました。
母の指導は、ときに私に音楽への憎悪さえ起こさせかねない
ほど厳しいものでしたが、そんなとき音楽を嫌いにならずに
すんだのも、それ以前に音楽の素晴らしさを徹底的に私の
身体に染みこませてくれていたからだと思うのです。

ピアノレッスンというのは甘いものではない、自分の厳しさは
常識的な範囲内であるから、やめたいなら遠慮なくいえばよい、
指導法は変わらない、と母はよくくり返していました。

そして最後に決まっていったものです。

「あなたが決めなさい」

と。
これは、母の口癖でした。

おそらく私はピアノを習い始めるはるか前から、母のピアノを
聴くという形で、音楽に対して抗(あらが)いがたい圧倒的な力
を感じ、畏怖と同時に深い敬服感のようなものを潜在意識に
刻みこんでいたのだと思います。

私に音楽と闘う喜びと力を教えてくれたのは、母でしかありえ
ません。

私は創る喜びを知る前に、聴く喜びを知っていたのでした。
母の奏(かな)でるシューマンを聴くのが大好きだったのです。

運よく私には絶対音感が完全な形で残っていたために、全聾
にもかかわらず作曲家としての生命を絶たれずにすみました。

譜面さえ見れば、どんなに複雑な楽譜でも頭の中のオーケス
トラで鳴らすことが可能です。
しかし、そのことと他者の奏でる音を実際に耳で聴くというのは、
まったく異なるものなのです。
頭で完璧に鳴らすことができても、それはあくまで私が創りだす
“理想の響き”でしかありません。

音楽を創ることにすべてを捧げてきたつもりですから、当然聴く
ことの喜びも知っているとは思っていましたが、聴くことへの
執着がこれほどまでだったとは、実際に音を喪(な)くしてみる
まで思ってもみませんでした。

世界は、無限の音で満ちあふれています。
風の音、雨の音、鳥の声といった自然の音もあれば、電車の音、
電話の呼び出し音といった人間の創りだした音もあります。
音は日々の営みの中で、世界中ありとあらゆる場所に存在して
います。

「人間の創りだす音の中で、地球上最も美しい音が音楽なのだ」

と、私自身は信じて疑いません。
耳で聴く音楽はとても素晴らしいと、心からそう思えるのです。」



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>「譜面さえ見れば、どんなに複雑な楽譜でも頭の中のオーケス
トラで鳴らすことが可能です。
しかし、そのことと他者の奏でる音を実際に耳で聴くというのは、
まったく異なるものなのです。
頭で完璧に鳴らすことができても、それはあくまで私が創りだす
“理想の響き”でしかありません」



これは、私がブログで語っている「音の記憶」を持つ中途失聴者や、
難聴者の能力だと思います。
つまり、音はもうなくても、自分のイメージ力で補っているというわけだ。

しかし、それゆえ、そのような聴覚障害者には、次のような点もある。


>「聴くことへの執着がこれほどまでだったとは、
実際に音を喪(な)くしてみるまで思ってもみませんでした」



音への執着心は、何を意味するだろうか。

例えば、ろう者の手話を覚えられない難聴者がたくさんいますが、
それがその顕れなのです。
彼らは音への執着心が強すぎるゆえに、ろう文化を吸収して、
ろう者社会へ入るよりも、やはり最終的には健聴者社会への
復帰を望んでしまう。

難聴者や中途失聴者だけが通う、独特の手話講習会でも、
講師の日本語説明を補聴器で聞いて学ぶことを強く希望するし、
また補聴器で聞こえなくなった人さえも、やはり日本語説明を
書いて欲しい、と強く希望する。

それも結局のところ、彼らの内にある音声日本語への執着心が
原因だ。


>「世界は、無限の音で満ちあふれています。
風の音、雨の音、鳥の声といった自然の音もあれば、電車の音、
電話の呼び出し音といった人間の創りだした音もあります。
音は日々の営みの中で、世界中ありとあらゆる場所に存在して
います」



彼らは、この音というものを失ってもなお、その存在を決して、
生涯忘れることなどできない。
そして私も、おそらく同じなのである。
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by bunbun6610 | 2014-02-09 18:30 | 難聴・中途失聴
『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)



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「ある夜のことでした。
いつものようにひと通り本を読み終え、

「じやあそろそろ」

というと、彼女(しおり)はいつものようにひと言

「帰らない!」

と発したあと、慌てて再び本を開き、ページをめくりながら
いろいろなカラスを指差してしゃべり始めました。

「あっ! これマモルさんだねぇ?
 ・・・見てごらん!
これもマモルさんじゃない?」

いつもの引き延ばし作戦が始まったと半ばあきれながら、
その手は古い、もう通じないよと、無関心丸出しないい方で、

「うん、何回も聞いたよ、マモルさんでしょう? もう行くね」

と、彼女の言葉をさえぎりました。

ところが、次に彼女から発せられたのは、信じがたい言葉
だったのです。

「まだ! 行かない!」

と私の腕を本のほうに引き寄せ、再び別の一羽のカラスを
指差して、

「じゃあこれは?
ほら、トオルさんがいる!
これ、トオルさん・・・」

彼女の口話を読み取った瞬間、私はわが目を疑いました。
亨(とおる)は20歳で他界した弟の名前です。
施設内には私に亨という弟がいたことを知る人など一人も
いるはずがありません。

私はしおに何度も何度も復唱させて確認し、あげくには
職員を呼んで、

「いま、しおりは何といったのか?」

と確認したところ、間違いなく

「トオルさん」

といっていることがわかったのです。
そして

「しおりにトオルという名の知り合いはいないと断言できます」

ともいわれました。
その後もしおは、さらに執拗(しつよう)にその名を繰り返したのです。
まるで私がその名なら興味を示さないはずがない!
と知っているかのように・・・。

そして、私は聞いてはならないことを聞いてしまったのです。

「亨さんって誰?」

反応がありません。
質問を変えてみました。

「亨さんのこと、知ってるの?」

「トオルさん、知ってるよ!」

しおは即座に明るく答えました。
もう一度

「亨さんって誰かなぁ?」

と聞くと、また黙ってしまいます。

『何者かは知らないがよく知っている』――私には、
しおの表情はそんなふうに見えました。

さらに

「ここにくる人?」

と聞くと、

「そう!」

と自信ありげに答えるのです。
しかし私が聞いた

「ここ」

とは施設をさしてのものだったのに対し、彼女の「ここ」は
明らかにこの部屋をさしていたのです。
私は重ねて尋ねました。

「亨さんはいつくるの?」

「夜、寝てたらくる」

彼女は言葉を続けました。

「トオルさん、白いお車に乗ってバイバイしちゃったね!
でもトオルさん、バイバイするのイヤだよーって、泣いてたね」

いうまでもなく、口話を読み取るときも執拗にしおに確認しました。
何度も何度も。

この言葉を聞いて本当に凍りつきました。
亨は白のスカイラインに乗っていて事故に巻きこまれたのですから。

さらに私が

「亨さんってどんな人?」

と聞くと、やはり考えこむばかりで返事がありません。
次に

「亨さんはどこに住んでいる人?」

と尋ねてみました。
すると間髪を入れず

「あっち!」

と答えました。

彼女がさす方向を目にした瞬間、いままでの凍りついた気持ち
が至福感へと逆転しました。
何の疑問もなくなり、ごく自然にそれを受け入れていたのです。
その人差し指は、真っすぐに天をさしていました。

私は彼女を抱きしめ、

「ありがとう」

と何度もくり返しいって、泣きました。

全聾になって以来、ここの子供たち以外とは、必要に迫られない
かぎり誰とも会話せずに生きてきました。
悲しいことに妻ともです。
しかし、その晩だけは違いました。

帰宅すると妻にその事実をありのままに伝え、また泣きました。
私としおの間に起きた小さな奇跡は、彼女との運命的なつながり
を決定的に確信させる出来事になりました。

この出来事は、私を真の作曲家として成長させるために与えられた
きっかけだったように思えてなりません。」




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by bunbun6610 | 2014-02-08 18:30 | 難聴・中途失聴