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『マスコミがけっして伝えない佐村河内守氏会見の盲点』

難聴でも成功できる
難聴・聴覚障害で悩むあなたへ
『マスコミがけっして伝えない
佐村河内守氏会見の盲点』

http://nancho.mimiral.com/index.php?%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%81%8C%E3%81%91%E3%81%A3%E3%81%97%E3%81%A6%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BD%90%E6%9D%91%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%AE%88%E6%B0%8F%E4%BC%9A%E8%A6%8B%E3%81%AE%E7%9B%B2%E7%82%B9






〔関連記事〕


『週刊文春の佐村河内氏批判について』
〔2014-03-14 21:31〕





要するに、あの騒ぎで急いで書き立てた
マスコミの連中は、便乗して一仕事しよう、
いや、一儲けしようと、
ろくに知識も知性もないままで、
あれこれと書いたに過ぎなかった、
ということなのだろう。

それで、無知の人々の間に、
聴覚障害への誤解がまたもや、
広まってしまったのかもしれない。

とにかく、佐村河内氏事件をきっかけにして、
健聴者(特にマスコミ)の聴覚障害に対する、
知識不足、無知ぶりが露呈した事件でもあった。

もし、健聴者が本当に聴覚障害を体験したい
のだと思うなら、例えば「中途失聴者」という
設定にして、自らの耳に耳栓をし、
年中生活してみればいい。
そんな人体実験は人道的に許されないことだが、
それを本当にやったら、その人はそれまでの
人生で築いてきたものの大部分を、
突然に失うのである。
なぜなら、音声世界では、それほど音声に依存
しなければならない世界だったからである。


「目が見えないということは、
あなたを物から孤立させます。
耳が聞こえないということは、
あなたを人々から孤立させます」

 (イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)



健聴者には、この言葉の意味が、わかるだろうか。
物から孤立することと、人々から孤立することの
どちらが、精神的に辛いか。

その世界と突然に、別れがやってくるのは、
本人にとっても、大きなショックに違いないだろう。

誰であろうと、過ぎてしまった人生はもう二度と、
戻って来ることも、やり直すこともできないのである。
そのダメージは計り知れない。
例え軽い難聴障害であっても、簡単に言えるもの
ではないのだ。



なお、最近の聴覚障害者のニュースでは、
例えば、歌手の氷室京介さんがいるようだ。
氷室京介さんも、周囲が思っている以上に、
相当深刻な心理ダメージを吐露している。


『氷室京介「左耳の調子が悪い」
…卒業発言の“理由”ファンに明かした』
〔2014-07-19 23:52〕

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by bunbun6610 | 2015-12-18 20:00 | 難聴・中途失聴

佐村河内氏を支えた“影の作曲者”新垣氏テレビ独占密着! 正体を偽り続けた18年間の関係告白

〔関連記事〕
当ブログ

『「矛盾」「食い違い」多数… 佐村河内氏と新垣氏の発言比較』
〔2014-03-08 00:06〕



『佐村河内氏問題 - 手話通訳を悪用した犯罪の可能性』
〔2014-03-18 21:26〕






Mr.サンデースクープ・スペシャル
2013年4月13日(日)21:00~23:09
『佐村河内氏を支えた“影の作曲者”新垣氏テレビ独占密着!
 正体を偽り続けた18年間の関係告白』


生番組のため字幕がなかったが、新垣氏の所持品等から証拠が
次々と示されていくのを、映像から確認できた。
それによって、佐村河内氏の謝罪会見での主張も偽りであること
がわかった。
改めて、非常に強い衝撃を受けた。
佐村河内氏は、なぜここまでできるのだろうか。


【佐村河内氏自らメディアを欺いてきた事実を証明】
佐村河内氏から、耳の聞こえない人という設定でいくと聞かされた。
それは、音楽のことで難問をたずねられても、答える必要がないよう
にするためではないか。
ゴーストライターの存在に気づかれないようにするためだったのだろう。
そのために、障害者手帳や手話通訳者を利用していた可能性も
否定できない。

佐村河内氏がつくった“指示書”に書かれていることは、抽象的過ぎる。
全体の大まかなイメージに過ぎず、具体化するための作曲は新垣氏が
担当していた。
共作と言えるのだろうか。
それでも、佐村河内氏個人の作品として発表されていた。
昨年のホテルメニュー偽装表示事件(※1)と同じく、
一般人には納得できるものではない。


(※1)当ブログ

『阪急阪神ホテルズ偽装事件 信用できぬ企業側の説明』
〔2013-10-26 11:20〕


参照。



NHKを欺くためのメールのやりとりが新垣氏の携帯電話に、
証拠として残っている。

被災地レクイエムも欺いて仕組んだものだった。

自己制御できなくなっていた佐村河内氏が、メディアに露出していった。

それに耐えられなくなっていった新垣氏は、2013年7月20日の
メールで「もう止めたい」と伝えた。
しかし、佐村河内氏はすでに暴走状態で、了承しなかった。

佐村河内氏は「夫婦で自殺を覚悟」「新垣氏も道連れにする」などと
いう内容のメールを、新垣氏に送っていた。


【佐村河内氏の自伝(本)について】
佐村河内氏は、後になって「ウソの本に新垣氏も加担していた」と主張。


【新垣氏が作曲者であることを証明するシーン】

新垣氏は、自分が作ったと主張している曲の譜面も、
自宅で完全保持しているし「作曲する能力を有している」
ということを証明する記譜シーンもテレビに映っている。


【佐村河内氏の聴覚障害は、前から軽度難聴だった?】
佐村河内氏は

「新垣さんに最初は筆談をお願いしていた。
口話でゆっくりしゃべってもらって、わからないところはもう一回
お願いしますと何百回も言ってきた」


と主張しているが、新垣氏にしてみれば、佐村河内氏が
『いいですね』と言う、そこが大事なわけだった。
仕事上の重要な確認、コミュニケーションは音声会話で成立していた。
それに支障があった、とは言えなかった。
ということは、最初から全聾だったということでもない、ということでは
ないだろうか。

新垣氏の主張は、以下の通りとなっている。

「私の認識では、会ってから今まで耳が聞こえないと感じたことは一度も
ない」

「彼と普通のやりとりをしていた。
最初は私に対しても耳が悪いということを示していたが、やり取りして
いるうちにだんだん戻ってきた」

「彼が耳が聞こえないというスタンスをとった時期は、35歳頃だったと思う」



聴覚障害者差別と同じように、密室内の二人だけの会話なので、
証明のしようがない。
しかし、謝罪会見の状況を読むと、新垣氏の言っていることが、
ほぼ事実だという証明になると思える。

佐村河内氏は

「聴力が回復した現在は全聾ではないが、聴覚障害があることは事実」

と主張。
新垣氏との騒動の弁明手段に、聴覚障害者団体の声明文(※2)
利用しているようだ。


(※2)聴覚障害者団体の声明文(3月26日)

『<聴覚障害者>佐村河内氏問題で「誤解される」と会見』
〔2014-03-27 21:09〕


参照。



しかし、聴覚障害の弁明と、この問題とは、違うのではないだろうか。
社会が問題視しているのは

「詐病で障害者手帳を取得したのではないだろうか?」

とか

「新垣氏とのやりとりでは、本当に聞こえの面で不自由はなかった
のだろうか?
彼の聴覚障害は、本当は(当時は)どの程度だったのだろうか?」

という疑問であろう。
佐村河内氏はなぜ、後(騒動が起こった今)になってから「違う」と
主張したのか。
新垣氏とのやりとりでは手話通訳を使わなかったのは、
どうしてなのか。
手話通訳を見なくても、質問に答えられるのはどうしてなのか。

その辺を考えると、どうも、何もかも佐村河内氏に都合の良い
ように利用されている気がしてならないのである。


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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140413-00000126-spnannex-ent



新垣氏 佐村河内氏に「感謝」も
 …「Mr.サンデー」で語る


スポニチアネックス 4月13日(日)22時30分配信

 佐村河内守氏(50)の楽曲を代作し、20年近く務めた桐朋学園大学の
非常勤講師を先月28日付で退任した作曲家の新垣隆氏(43)が、
13日放送のフジテレビ「Mr.サンデー スクープSP」(後9・00)に出演。
ゴーストライターをしていたことを公表した2月6日の会見後、初めて取材
に応じ、番組MCの宮根誠司(50)に真実を公表するに至った経緯を語った。



 2月の記者会見の時とは打って変わって柔和な表情の新垣氏は、
18年前に初めて出会った時からの経緯などを話した。

 佐村河内氏の名前で作曲したことで、自身の名前ではありえなかった
圧倒的支持を受けたこと。
さらに、佐村河内氏が新垣氏の作った曲を

「実際に聞こえていたかどうかはともかく、真剣に聴いてくれて
『いいですね』と言ってくれた。
そのやりとりが重要だった」

と語り、その意味では佐村河内氏に「感謝ですね」と明かした。

 また、作曲するためには、あるところまでは佐村河内氏が作った
指示書が必要、長編小説のプロットを作るきっかけというのが必要
であると語り、2月の記者会見で「共犯」と語った意味を説明した。

 だが、自身が作曲した曲が評判になったことで佐村河内氏が
テレビなどへの露出が増えたことで

「これは参ったな。
これ以上世間に出てしまうと、本当のこととまったく違う。
フィクションになってしまう」

と危機感を覚えた。
また、佐村河内氏の自伝を読んだことで

「これ以上、今のことを続けるのは危険であると『直感』いたしました。
活動を1度打ち切るのが賢明と思われます」

とコンビ解消を訴えたという。

 その訴えは受け入れてもらえなかったが、「ヴァイオリンのための
ソナチネ」を作曲した義手のバイオリニスト「みっくん」の両親から、
佐村河内氏の意見で板挟みになっている進路の相談などを受けた
時に

「音楽を愛するこどもたちを、これ以上傷つけるわけにはいかない」

と真実を打ち明け、その後記者会見を行うに至ったという。

 現在は、以前から続けていたという伴奏の仕事や編曲などで生計
を立てているという新垣氏。
迷惑をかけた人々に謝罪の旅も行っている。

「皆さんに対して申し訳ないことをしたが、応援してくださる人がいるので、
その人たちに対して少しでも音楽を続けているということを伝えたい」

とインタビューを受けた理由を語っている。



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by bunbun6610 | 2014-04-13 23:40 | 難聴・中途失聴

<聴覚障害者>佐村河内氏問題で「誤解される」と会見

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140327-00000077-mai-soci

<聴覚障害者>
佐村河内氏問題で
「誤解される」と会見


毎日新聞 3月27日(木)19時35分配信

 聴覚障害者らで作るNPO法人「東京都中途失聴・難聴者
協会」が27日、都庁で記者会見し、「全ろうの作曲家」として
活動していた佐村河内(さむらごうち)守氏(50)を巡る騒動


「聴覚障害への誤解が広がっている」

と訴えた。

 佐村河内氏は7日の記者会見で、身体障害者手帳を返納
したと明かし、

「耳元で60デシベル以上で言われても、音は分かるが言葉
としては聞き取れない」

と説明した。

同会はこのやり取りが、ゴーストライターに代作させていた
問題と相まって

「障害者手帳を持っていなければ聞こえるのでは、
という誤解につながった」

と指摘した。

 聴覚障害者は国内に数百万人いるとされるが、手帳保持
者は約35万人にとどまり、会話が聞き取れない程度では
福祉サービスが受けられない実情があるという。

新谷友良理事長は

「外から見えない『聞こえ』の障害について、
正しい理解を持ってほしい」

と訴えた。

【川口裕之】


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特定非営利活動法人 東京都中途失聴・難聴者協会から
は、下の声明が出されている。

なぜ、このよう声明が出されたのか、おそらく健聴者は
まだ、理解できないかもしれない。
私が心配するのは、就職差別だけでなく、役所の障害者
福祉課で手帳の申請をしても断られる、つまり水際作戦
が横行しないか、心配だ。
高齢者はすでに、対象外となっている、と老人が漏らして
いる。



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特定非営利活動法人 東京都中途失聴・難聴者協会
http://www.tonancyo.org/


佐村河内氏の聞こえに関する問題についての声明
〔2014年3月26日〕
http://www.tonancyo.org/140326seimei-bun.pdf


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「正しい理解を」と言うが、実際には、例えば下のような
情報もある。



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http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20140218-00032764/

佐村河内守氏への批判だけでなく
聴覚障害者への理解と支援を!


2014年2月18日 13時58分

藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス代表理事、社会福祉士


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藤田氏の説明に対して、私の指摘をさせていただくこと
にする。


>「しかし、それよりも重要なことは聴覚障害者の
置かれた現状理解と生活支援の不足を改善する
ことではないだろうか。」



最も効果的な解決方法は、私もこれだと思う。
障害者制度を利用できるようにしても、障害者を
増やしてしまうだけのような気がしてならない。

障害者は、差別を受けている。
だから、それをなくすには、障害があっても、
誰もが社会参加できる社会にしなくてはならないのだ。
そのほうがいい、と私は思う。


>「これらのコミュニケーションツール(コミュニケーション
の道具)としての言語が使用できない場合は、
手話やボディランゲージなど他の手段を
用いることになる。
コミュニケーションを支える何かが必要という
ことだ。」



この説明は、当事者から見たら、どう思うだろうか?
偏った説明だという印象は否めない、と思う。

理由は、幾つかある。

聴覚障害者と言っても、難聴者や中途失聴者が
圧倒的に多い現状。
しかも、そのなかで手話ができる人、
ボディランゲージが理解できる人というのは、
そんなに多くはない。
その点で言えば、これは適切な説明ではない
ように思う。

勿論、手話がわかる聴覚障害者もいるが、
藤田氏の説明を読むと、手話ができない聴覚
障害者のことはほとんど考慮していないかの
ような意見に思われてしまう。

それから、もう一つ大事なことがある。
手話は、ろう者(Deaf)のコミュニケーション言語、
つまり、健聴者が使う日本語と同様、れっきとした
「言語」である。
だから、このような説明はびっくりしてしまうし、
憤慨する。



>「ここで、全国で唯一の聴覚障害者の当事者団体
である全日本ろうあ連盟を紹介したい。」


浅はかな知識で、こう説明するのは困ることだ。
聴覚障害者団体は、他にもある。
ろう者、中途失聴者・難聴者の団体は別々に存在
しているし、一緒になってやっている団体もある。
この人が、知らないで勝手に書いているだけだ。



〔参考記事〕

『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕



『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
〔2011-03-31 23:19〕




〔参考情報〕(2017年1月28日)


秋田県立聴覚支援学校『1.聴覚障害とは?』


「難聴には「伝音性難聴」(耳小骨までの「音を伝える部分」に障害がある場合)と「感音性難聴」(蝸牛以降の「音を感じる部分」に障害がある場合)、「混合性難聴」があります。

また、聴覚障害には、補聴器がなくても大体会話が分かる程度から、まったく音が聞こえない程度まであります。」



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by bunbun6610 | 2014-03-27 21:09 | 聴覚障害

佐村河内氏問題 - 手話通訳を悪用した犯罪の可能性

副題;『佐村河内氏は手話通訳を犯罪に利用しているのか?』


「佐村河内氏が聞こえていたことは、
本当は手話通訳者も知っていたんじゃないの?」

という疑いが、手話通訳者にかけられている。
これでは、まるで

「手話通訳者も悪い」

と言っているかのようだ。


はじめは、佐村河内氏が耳の聞こえに不自由を感じている
(軽度の難聴)、という点については、正直、それほど疑問
には思わなかった。

大体、30~40才ぐらいにもなれば、その程度の難聴に
なる人は、わりといるからである。

それよりも分からないのは、その程度の難聴で、なぜ彼は
手話通訳を利用するようになったのか、という点だ。

昔、手話のテレビドラマの影響で、軽度難聴者でも手話を
習いたい、という人は急増した。
けれども、実際にやってみて、習得できた人というのは、
実は本当に少ないのだ。

まして、手話通訳が分かるレベルになるには、普通、
ただ手話講習会だけに通っていれば覚えられる、
というような生易しいものではない。

読み取れるようになるには、たくさんのろう者と接し、
読み取り練習をする必要がある。

ところが、彼の手話を見ると、不思議なことに、ろう者の影響を
受けていないことがわかる。
手話を見れば、その人がどんな社会に属していたか、わかる。
すなわち、手話は履歴書と同じと考えてもいい。

一般に、健聴者社会の中で生きている難聴者は、
その練習の機会が少なく、したがって手話の上達も遅い人が多い。

ところが、佐村河内氏が書いた自伝によれば


「・・・集中して勉強した私は、
4ヵ月間で手話をマスターすることができたのです。
仲間から

「あなたの手話習得は異例の早さ」

とほめられましたが、特別な感情は湧きませんでした。
何しろ私にとって手話習得は、背に腹はかえられぬ
切実な問題だったのですから。」



(当ブログ

『『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 6/11』
〔2014-02-06 18:30〕


より。)



とある。
それほどならば、手話表現も確かなもの、天才的な
ところがあるのだろうと思っていた。

ところが、3月7日の謝罪会見で披露した彼の手話を
見ると、がっかりするものだった。

素人でも一週間も練習すれば、誰だってできるような
レベルだったからだ。

あれでは当然

「手話通訳は分かるの?(読み取れるの?)」

という疑問が出るだろう。

それでは

「なぜ、彼は手話通訳を利用しているのか?」

という疑問まで、当然出てくる。

4カ月でマスターなんて、よほどの天才的な人で
なければ、ありえない。
もし本当に天才的だったならば、
記者会見であんなに下手になるわけがない。

本当は「4カ月で挫折した」のではないだろうか。
手話講習会運営部で調べればわかることだ。

ここがウソだとするならば、ウソをついた理由はある。
自らを「全聾の作曲家」と宣伝するためには、
一つはゴーストライターを利用し、
そしてもう一つは手話通訳を利用するという手段を
思いついたのだろう。
彼が聾者を演じることはできない。
だから彼は、手話通訳者を利用したのだ。
手話通訳者が自分のそばにいれば、他人は信用すると
思ったのだろう。
事実、NHKやマスコミの疑いの目さえもごまかす、
カムフラージュ効果があったのだから。
あの自伝も、事実の部分もあるだろうが、肝心な部分は、
事実を曲げたデタラメだろう。

普通は最低2年間の地域手話講習会がある。
途中の一年半後に試験があり、それをパスした
受講生のみが、やっと手話通訳奉仕員になるための
勉強ができるのでる。
その試験のなかに当然、読み取りの力も試される。
佐村河内氏の場合、これもパスしていない、
ということになる。

手話は、表現よりも読み取りのほうが、
ずっと難しいと言われているのだ。
だから、彼の手話表現力を見たら、
読み取り力のほうはどの程度なのか、
わかってしまうと思う。

それともう一つ、聞こえるということは、
その耳である程度は日本語を聞いているということだ。
同時に手話通訳も読み取り、
それを頭の中で訳すことが、彼にできるのだろうか?
この方法で聞こえの不自由さを補おうとしても、
頭の中で混乱しやすいのではないか、と思う。
普通はどちらかに集中すると思う。
軽度の難聴ならば補聴器をして、聴くことに集中する人が
圧倒的に多い、と思う。


ところで、これまでにも手話を利用した犯罪はあった。
健聴者が手話でろう者に話しかけて信用させ、
お金を騙し取ったとか、ろう者が手話でろう者を脅したり、
といった事件だった。

しかし、佐村河内氏にかかる疑惑というのは、彼が謝罪
会見で手話を使って見せて聴覚障害者だと偽ったり、
無知な世間から聴覚障害者としての同情を誘っている
のではないか、という点があるだろう。

そして、もう一つは、手話通訳を利用して、彼が聴覚障害者
だと思わせたり、全聾だと見せかけていた、ということだ。

それで世間を騙し、大儲けした。
今さら、騙されていたことに気づいたところで、
彼に支払われた金は、もう取り返せない。
それだけでなく、作品の著作権まで、彼が主張している。

彼の名誉毀損を主張する根本理由としても、
聴覚障害を利用するのが好都合という状況に、
はまってしまっているのである。

この疑いがある限り、謝罪会見前の聴力再検査の結果も、
本当なのかどうか、疑わしくなってきた。

障害年金も、どうせ出ないのだから、もう障害者手帳
なんか返せばいい、と思ったのかもしれない。
彼にとって、障害者手帳の役目はすでに終わったのだ。
だから今はとにかく手帳を返すことで、騒動の沈静化を
狙ったのかもしれない。

では、なぜ、軽度難聴のレベルにした(?)のだろうか。
それがウソだとしても、それに理由はあるのか?
それとも、軽度難聴は本当なのだろうか?

いや、これも偽りの可能性も出てきたな、と私は思う。
理由は、彼に手話通訳が読み取れるとは思えないからだ。
それなのに、あの謝罪会見では、大きな問題は見られなかった。

だからこそ

「本当は聞こえていて、手話通訳がわからなくても
理解できていたのではないだろうか?」

(手話通訳者は、彼の策略に利用されていただけ)

という疑問が出るのだ。

皆さんは、どう思いますか?


もし聴覚に何も障害がない診断だったら、彼はもう、手話通訳を
利用できなくなる。
しかし、彼の心の中に、手話通訳を利用した、ある謀略がある
のだとすれば、やはり手話通訳が利用できなくなったら困るのだ。


彼は自伝に、こう書いている。


「すぐに私は手話サークルの副会長に連絡をとり、派遣手話通訳士の
制度について相談したところ、

「派遣の手話通訳士を使うには、身体障害者手帳が必要」

という回答をもらいました。
その言葉で私はとても暗い気持ちになりました。

結局、この取材も手話通訳士なしで行い、先方に苦労をかける
申し訳ないものとなってしまったのです。
このあたりから、障害者手帳の交付申請を真剣に考えるように
なっていきました。」



「これまでかたくなに拒み続けた心まで捨て、認定を受けた理由は
手話通訳士の派遣を受けたい、というその一点のみでした。」



このウラを読むと、全聾を演じるためには、社会的認知度が
高い手話通訳がどうしても必要、そのために障害者手帳が
必要だと、彼は思っていたのだろう。

しかし、後になって、手話通訳の利用条件は、必ずしも手帳を
持つ聴覚障害者に限らないということを知らされた。


「交付当日、私が区役所に到着すると、そこには恐縮しきった表情の
副会長が待ちかまえており、いいにくそうにこう伝えました。

「ごめんなさい。
私のリサーチミスでした。
障害者手帳がなくても手話通訳士の派遣は受けられるのだそうです。
あんなに手帳の交付を嫌がっていたあなたに・・・。
本当にごめんなさい」



それで、今は障害者手帳なんか、もう手放しても構わないんだ、
と思っているだろう。

彼は、本当は聴覚障害者ではないから、障害者手帳は素直に返した。

謝罪会見で、彼は確かに

「(会見で)手話通訳がついているのは、天地神明に誓って、
今も大切で必要な存在です」


とは言っている。
しかし、本当は彼の目的実現のため、社会を騙すカードとして、
まだ手話通訳者は重要な存在だと思っているのではないか。

そうすると、彼は

「自分の手話は別に下手でも構わない、肝心なのは
自己防衛手段として手話通訳を利用しているだけであり、
さらに彼の目的達成のため、手話通訳を使って、
社会を騙していた」

という疑惑が浮上する。

その目的のひとつには

「聴覚障害のある者として精神的苦痛を受けた」

などと主張し、新垣氏などから損害賠償金を請求する、
ということもあるのではないか、と思う。
大物弁護士を2名も雇って訴訟体制を整えている、あの調子だと、
世間への謝罪はもう終わりだろう。

彼に手話の読み取り試験をやらせたら、その実力が分かるし、
もしひどいものであったなら

「実は謝罪会見でも手話通訳は分からなかった」

ことになる。
つまり

「本当は耳が聞こえていたのであり、手話通訳は必要
なかった」

という証明になる。
そうなると、手話通訳者も利用されていただけ、ということになる。


佐村河内氏事件の場合は、手話通訳を利用して社会を騙した
犯罪だとすれば、これは聴覚障害者団体も手話通訳者の団体も、
黙っていられないのではないだろうか。

手話通訳者には守秘義務があり、佐村河内氏の聞こえの具合や、
手話通訳の読み取りレベルについても、マスコミなど外部の人に、
一切話すことはしない、と思う。
そもそも、手話通訳者は通訳を行うだけ、そのために利用者の
影として存在する。

しかし、通訳時間はずっと彼に密着しているのだし、
今までに多くの聴覚障害者と接してきた経験があるのだから、
彼が聴覚障害者かどうかは、ある程度判断できる能力はあった
と思う。
それでも、守秘義務の理由で、言えないのが原則だろうと思うが。

郵便の「通信の秘密」と同じように、たとえ警察に聞かれても、
話すことはできないのかもしれない。
そうすると、そこを犯罪にうまく利用されてしまいかねない。

聴覚障害者も、手話通訳者も、この問題はもう、無関心では
いられないだろう。

NHKだって、プロの手話通訳者に聞いたほうが確実だと思って、
それだけを信用してしまったのだろう。
だが、手話通訳者には言っていいことと、言ってはいけないことが
あることを、NHKスタッフは知らなかった。
そこに、スタッフの油断、落ち度が生じたのだ。

それと、あれだけの多くの人に

「聞こえているのではないか」

と疑われていたのだから、佐村河内氏の奥さんが気がつかない
はずはない、と思う。
ということは、やっぱりあれは夫婦共犯の可能性が濃厚だと思う。

あの新聞社に送った謝罪文も、そして謝罪会見も、まだまだ我々
に気がつかないウソがひそんでいそうだ。


佐村河内氏にかかる疑いを、もう一度、簡単に整理して書こう。


(1)本当に聞き取りづらい場合があるので、手話通訳を利用していたのか?

 a.手話通訳は本当に読み取れる。(正当)

b.本当は手話通訳は読み取れない。(悪用)


(2)手話通訳を悪用して、周囲の人に「全聾」と思わせたのか?

 a.本当に、一時的な全聾状態だったので手帳二級になった。(正当だった)
手話を真剣に勉強したこと、手話通訳が必要だったことも本当だった。

b.手帳二級は虚偽申告だった。(不正取得)
手話通訳を悪用して“全聾の作曲家”をつくった。
手話は、実際にはほとんどできない。


(3)もし、本当は手話通訳を読み取るのが苦手でも、
手話通訳者の口型を重点的に見て、読み取っていたのかも
しれない。
口型をハッキリと、そしてなるべく口型を多くしてもらうことを
手話通訳者に要望していたのかもしれない。


ついでに、佐村河内氏が障害者手帳二級の認定を受けたときの
診断結果も、自伝に載っている。


「2002年の年明け早々、私はついに身体障害者手帳の交付を
受けました。
前年の暮れ、私は手帳の交付を受けるべく、手話サークルの
副会長と全聾の友人に付き添われ、地方自治体が指定する
医療検査機関で聴覚障害の認定検査を受けていたのです。
詳しい検査の結果が医師より伝えられました。

感音性難聴による両耳全聾、身体障害者等級第一種二級
(聴覚障害では最高等級)、両耳鼓膜欠落(りょうじ・こまく・けつらく)。」




>「両耳鼓膜欠落(りょうじ・こまく・けつらく)」

って、治ってしまう例もあるのだろうか?


〔参考情報〕

『鼓膜形成術(治療)をすべきか悩んでます』


これが自然に治って、なぜ今度は原因不明の
感音性難聴になるのだろうか?
それとも、医師の誤診だったのだろうか?
それとも、自伝に書いたこれも、デタラメか?

もし本当ならば、障害者手帳の「障害名」に

「両耳鼓膜欠落による聴力レベル 右××dB 左××dB」

と書いてあるのだろうが、そんな障害名は、
私は一度も見たことがない。
珍しいのではないか?


今さらだが、あまりにも疑問だらけに思う。

私も昔、厚生労働省の人から

「二級の人が良くなるということはない」

と聞いていたのだから。

佐村河内氏のペテン師劇場は、まだまだ続きそうだ。



なお、本日付で、「佐村河内守」タグの付いた2月投稿記事を
公開することにした。
特に、彼の自伝には、多くのウソがあるらしいので、読み方には
注意したい。

私も騙されて読んでいたが、問題発覚前に読み感想を書いて
いたので、変えずに、そのままにしている。


〔3月20日、題名及び本文に加筆修正させていただきました〕




【追記(3月22日)】


『佐村河内が耳が聞こえることを証明する決定的な証拠が見つかる!【動画アリ】』
〔2014年2月7日〕

http://jacklog.doorblog.jp/archives/36921093.html


この状況には、手話通訳者もいる。
ということは手話通訳者も、佐村河内氏が聞こえていた
ことを知っていたと思う。

この状況では、手話通訳者は必要なかった?
佐村河内氏は

「手話通訳者が必要だから手話通訳者を派遣した
のではなかった」

可能性もある。


===============================


【追記(3月26日)】

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20140325/Asagei_21472.html



佐村河内守 作曲を担当した映画
DVD出荷停止で監督が怒りの告白


アサ芸プラス 2014年3月25日 09時56分
(2014年3月26日 22時09分 更新)


「聴覚障害は本当」「新垣氏はウソつきだ」。
イメチェンして謝罪会見するどころか、耳が聞こえていると指摘されるや、
まさかの逆ギレを演じた稀代のペテン師・佐村河内守氏(50)。
幕引きどころかゴースト騒動の余波は広がる一方で、映画音楽を担当した
作品のDVDは出荷中止の憂き目に‥‥。

 芸能レポーターの城下尊之氏が茶番会見の舞台裏を明かす。

「あの会見でわかったのは、ロンゲとヒゲとサングラスの『三種の神器』
を取ると、何のオーラもないただのおっさんだったということだけ。
前列には手話通訳者がいたんですが、佐村河内氏が何度も手話を
見ないで質疑に答えようとするので、『こっちを見てくれ』と慌てて手を
振って合図を送っていました。
つまり、佐村河内氏は手話通訳など、ろくすっぽ見ていなかったという
ことです」

 まさに噴飯モノの会見を受け、ツイッターで沈痛の思いを表明したのが
作家の新津きよみ氏だった。

〈ゴーストライター騒動で大勢の人間が関わった映画『桜、ふたたびの
加奈子』が葬られつつあります。
佐村河内氏(新垣氏)が音楽を担当しているからです。
原作者として心が痛みます〉

 この映画は、広末涼子の主演作として昨年春に公開され、12月には
DVD化された。
しかし、その後、このゴースト騒動を受け2月に出荷停止となったのだ。

 同映画のプロデューサーが、困惑した様子で説明する。
「出荷停止は商品に、佐村河内氏の虚偽のプロフィールや作曲過程に
触れる特典映像やブックレットが同梱されているためで、再出荷のため
には製造をやり直す必要も考えられる」

 みずからの作品が世に出回らなくなるという迷惑極まりない事態に、
同作監督の栗村実氏を直撃すると、

「私が佐村河内氏と知り合ったのは14年前のことです。
作曲家として映画『秋桜』の音楽を手がけたということで関係者から
紹介されました。
つきあいも長かったのに、愕然として非常に残念に思っています」

 当時の佐村河内氏の様子については、こう述懐する。

「私が知り合った2000年から01年の間は補聴器を付けておりましたが、
言葉で普通に会話していました。
それがその翌年になると、まったく聞こえないということになり、口話、
またはわからない時には文章で会話するように変わりました。
最近では手話通訳などを介するようになりましたが、普通に考えて
耳が聞こえないという人を疑う人はいないのでは‥‥」

 今後のDVDの再出荷については、語気を強めてこう続ける。

「音楽を作られた方がどうしたいかということでクレジット表記をするだけ
なので、それは代理人の方に決めてもらうしかない。
私としては少なくとも曲を差し替えることは考えていません。
そのためにはどういう処理をしたらいいかを考えていくことになる。
私の知るかぎり、あの会見の前に連絡は一切なかった。
関係していた人に先に連絡がなかったことは非常に残念に思っています」

 会見では「新垣氏を名誉毀損で訴える」と最後までクダをまいた佐村河内氏
だが、「迷走の第2幕」が始まるのか。
はたして‥‥。



===============================



http://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/140307/ent14030714410045-n1.html


佐村河内さん謝罪会見(12完)
NHKをだました過剰演出
 手話でメッセージを、と言われ…


2014.3.7 14:40


〈会見は既に2時間を超え、佐村河内さんにも疲労の色が見える〉

 --テレビ番組の中で具体的に作曲のプロセスを説明しているが、
あのストーリーは誰が作ったのか


 「テレビについては、私の指示がすごく多かったということはなかった。
過剰な演出です、すみません」

 --NHKの人との間で演出が過剰になったのか

 「あの、質問から少しそれるかもしれないけれども、何もかも、
すべての責任は私にある。
NHKの方がたいへんな思いをしている。
すべて僕のせい。
(ディレクターとは)6年間の友情があって、
事件発覚後も彼はやさしい言葉をかけてくれたが、
『自分のひどさを知れ』という言葉が最後のやりとりだった」

 --しっかり説明をした方がいいのでは

 「Nスペでゴーストライターの関係を知っている人はいない」

 --知っているかではなく、演出の部分のことです

 「明らかに私がディレクターたちをだました過剰な演出です。
アイデアとしてのこと。
それが精一杯でした、私には」

 --完成した番組を見て、どう思ったか

 「特に感情的に歓喜するような番組とは思いませんでした。
それはディレクターも望んでいた。
自然にいきましょうとやっていた」

 --真実をできるだけ証明した方がいいのではないか。
(この会見で)手話よりも先に答えるという疑問が生じている。
手話ができるのか。
手話でメッセージを


 〈佐村河内さんは立ち上がり、手話を始める。
フラッシュがまぶしく光る〉

 「(座って)終わりたいと思います。申し訳ありません」

 〈立ち上がった佐村河内さんは、何度も向きを変えて深く
おじぎをしてから、会見場を退出した〉

 =おわり


===============================




【有川浩のエンタメあれこれ】
『聴覚障害者の「努力」踏みにじった「自称・全聾作曲家」の大罪、恥じよ』
〔2014.5.3 12:00 (1/2ページ)〕
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140503/wlf14050312000004-n1.htm
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by bunbun6610 | 2014-03-18 21:26 | 難聴・中途失聴

佐村河内氏番組検証でNHKが謝罪


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140316-00000015-nksports-ent


佐村河内氏番組検証でNHKが謝罪

日刊スポーツ 3月16日(日)13時47分配信


 NHKが16日、ゴーストライター問題を会見で謝罪し、現在の全聾(ろう)
状態をウソだと告白した佐村河内(さむらごうち)守氏を取り上げた
「NHKスペシャル」などの番組の検証結果について、発表した。
同日放送された情報番組「とっておきサンデー」(日曜午前11時)内で
報告した。

 同局生活・食料番組部の松本浩司氏が出演し、

「心からおわびを申し上げます」

とあらためて謝罪した。
視聴者からの批判などを受け、再発防止に向けて、番組企画の提案からの
過程を調査したという。
制作チームやカメラマン、佐村河内氏本人にも聞き取りを行ったという。

 まず、佐村河内氏が自分で曲を作っていなかったことについて、制作チーム
が疑問に思わなかった理由について説明した。

番組企画の提案段階では、

「佐村河内氏はすでに音楽家から評価されていました」

とし、

「クラシック番組の担当者からも、専門家に取材をしました。
佐村河内氏について、音楽界の中で評価は分かれているということでしたが、
作曲をしていることについて、疑わせるような情報はありませんでした」

と説明した。

 撮影中は、番組スタッフが、佐村河内氏に譜面を書くところを撮影させて
ほしいと何度も交渉したが、同氏から

「神聖な作業である」

として断り続けたという。同様の番組を制作する際、創作の現場を撮影
できないことが少なくないことから、作曲シーンの撮影を断念することに
なったという。

交渉のやりとりがあった翌日には、佐村河内氏の机の上に、音符が書かれ
ている楽譜が置かれていたという。

NHK側が今月8日に佐村河内氏に問いただしたところ、曲を作ったとされる
前日に、18年間ゴーストライターをしていた新垣隆氏から譜面を送ってもらい、
引きだしの中に入れておくことによって、一晩で書いてあるように見せかけた
という。

 さらに、このような経緯があったにもかかわらず番組側が疑問を持たなかった
理由については、佐村河内氏が書き上げた曲の構成イメージ図がポイント
だったと説明。

佐村河内氏は曲のイメージや全体構成をすらすらと書いたという。
図の中には、アレグロ、超絶技巧など、具体的な言葉を使ったイメージが
つづられていたため、当然本人が作曲しているものと判断したという。

なお、完成した曲のイメージは、図に書かれていたものと同じだったという。

 また、佐村河内氏の聴力問題についても触れた。
番組では、提案段階からたびたび疑問があがっていたという。

だが、医療機関による診断書の存在や、撮影中の会話は全て手話通訳者
を介して行われていたことから、全聾であると判断したという。
途中、同氏が明瞭に話すことを不思議に思ったスタッフもいたが、手話通訳者
から

「途中から耳が聞こえなくなった人は、これくらい話せることもありますよ」

と聞き、納得してしまったという。

 調査結果の報告を終えると、松本氏は

「極めて厳しいご意見が寄せられ、深刻に受け止めています」

と話した。
さらに、

「医師の診断書の確認は行いましたが、人道上の観点から、それ以上の
確認はしませんでした。
経歴に関しては、もっと取材範囲を広げていれば、虚偽を見抜けたかも
しれません。
社会的に、一定の評価が定着している人を番組で取り上げる時、経歴や
評価について、どこまで確認をとるべきか、番組を制作するときの教訓
として、重くとらえています」

とした。

今後は再発防止に向け

「制作現場の全てのスタッフが、このようなことが起きうるということを認識し、
チェックの精度を高める必要がある」

とし、局内のさまざまな研修会や勉強会で今回の問題をとりあげていくという。




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by bunbun6610 | 2014-03-17 18:00 | 難聴・中途失聴

佐村河内氏の謝罪会見で思うこと - 感音性難聴障害をカバーする方法について

聴覚障害者と関わっておられる、ある方が佐村河内氏の
謝罪会見の内容を、聴覚障害者にもわかるように、
ブログにまとめて掲載して下さった。


『聞こえにくい人である佐村河内氏と手話
~記者会見より(追記有)』


2014年03月07日


http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/17f6f7548a61f5401910641dd57f0e1b





そこで、思ったことを書いてみることにした。



〔手話、要約筆記通訳に慣れていない軽度難聴者に、まれにある事例〕

まず、上の文中より、


「実際には、「謝罪まだない」といった意味合いのことまでは、
手話通訳者は表現していませんでした。
その部分を通訳しようと手話通訳者が佐村河内氏が呼んだのを
見て、神山氏が

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と発言した流れのようです。」



このあたりのところで、勿論、テレビも見ていないし、
仮に見たところでも、聴覚障害者の私には音声が
聞こえないのですから、判断のしようがない。

ただし、気になったのは、神山氏が

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と言ったとき、佐村河内氏は神山氏のほうを見ていたから、
ということなのだろうか?
(そうとしか、思えないが)

だというのなら、これは私にしてみれば、
いや私だけでなく「全聾」の人には信じられないことだ。
(実際は、現在の佐村河内氏は「軽度難聴」だったことが、
この記者会見で明らかになった)

それでは手話通訳を見ていなかったのかもしれない。
通訳者を配置した位置、角度にもよるだろうが。

もし、手話通訳者と神山氏の立っている位置が、
全然違う方向だったのなら、佐村河内氏は両方を同時に
見ることは無理だろうと思う。
手話通訳の最中に神山氏のほうを見ていたなら、
手話通訳の話の全部までは理解できないことになる。
それを「見抜いた」と思った神山氏は

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と言ったと考えれば、筋が通る。

だとすれば、佐村河内氏は、聴覚障害者用通訳の利用に
慣れていないのではないだろうか、と思われる。

本当に、耳が全く聞こえない利用者の場合は、
通訳者を全面的に信頼しているし、通訳が終わるまで、
通訳をしっかりと見る。
と言っても、時々は相手の顔も確認程度にちょっと見るが。

ところが、佐村河内氏の場合は、混乱している様子に思える。
中途半端に聞こえるがゆえに、耳で声を聞きながら、
聞こえの不自由さをカバーするために、補助手段として手話通訳
を利用しているのだろう。
私も中度難聴のとき、それをやっていた。
しかし、それではやはり、混乱してしまうこともあった。
聴こえなくなった今は、通訳のほうをしっかりと見ている。
そして、通訳が終わってから、相手の方を見て、話し始める。
そうしてからは、混乱はほとんどない。

ちなみに、通訳者自身が通訳の最中、何か話しかけることは
ないと思う。
よほど何かある場合を除いては、だが。

手話通訳者から表出されている内容は全部、相手が話している
言葉だけだということだ。
手話通訳は、一度だけしか見ることができない。
だから、しっかりと見ることが大切だと思う。


次に


「この記事を読んだ耳鼻科医の方から、語音聴力検査に
関して事実誤認があるのではないかというご指摘を
いただきました。

佐村河内氏は右耳の語音明瞭度が71%ですが、文章の理解力
という点では90%以上になっているのではないか。
騒音などで聞き取りにくい時はあったでだろうが、
会見の際も右耳を通して情報は入っていたのではないかと
いうことです。」



〔感音性難聴について ――私が、上の耳鼻科医の話で、疑問に思うこと〕


「右耳を通して情報は入っていたのではないか」

の意味を、皆さんはどう捉えるだろうか?
ここが、非常に重要なところだ。
感音性難聴者は、健聴者とは違うからだ。

神山氏の話し声が聞こえて、神山氏のほうを向いたからといって、
それは決して、佐村河内氏が神山氏の話を聞き取れたとは
限っていない、と思う。

「音声が聞こえたかどうかは、本人にしかわからない」

これは間違いで、実は聴力検査で調べることができる。
あるいは、この謝罪会見でも、佐村河内氏が(話し出した)神山氏の
ほうを向いたのだとしたら、音声が聞こえた、ということだろう。
軽度難聴なら、比較的軽い障害なので、音声はわかるだろう。

けれども

「聞き取れたかどうかは、本人にしかわからない」

これを間違いだと証明する医学的な根拠まで、健聴者の医師には
あるだろうか?

これが感音性難聴の一番の問題点であり、健聴者はこれを理解
していないように思われるのである。
国の障害の認定基準についても、ここが未解決なまま、
現在の高基準に定めてしまったのである。


これは、私の経験上の話であるが、母の話し声は、
小さい時からずっと聞いていた。
しかし、親父はいつも無口だったので、コミュニケーション、
その声を聞くことすら、ほとんどなかった。
それが私の聴能にも関係しているのかどうかわからないが、
母の声は補聴器でもわりと聞き取りやすいように思う。

反対に、親父の声は、何度繰り返し言われても、
全くと言っていいほど聞き取るのが苦手である。
それで、親父とは今でも、全く話をしない。
感音性難聴のせいなのか、幼児期に聞き慣れることが
できなかったせいなのかわからないけれども、
そういうことが、感音性難聴障害を持つ私にはある。

こういう性質の難聴であるから

「話の理解力が90%以上だろうから」

などというひとことで片付く問題ではない、と思う。

「あの人の話し声は聞き取りやすいが、
こっちの人の話し声は聞き取りにくい」

といった、健聴者には信じられないようなことが、
本当にあるのだから。

人間生活を営む人間にとって、パーセンテージで聞き取れる
割合を出すことに、意味があるのだろうか?
同じ言葉を何回も聞き間違えたり、聞き取れないといった
障害は、今の医療技術では治せない。

あるいは、補聴器の音量を増幅すれば、多少は聞こえるよう
になるにしても、やはり性質上の問題なので、改善の限度がある。

それ自体の問題であるのに、なぜ「理解力は90%以上」
とかいった、健聴者の勝手な推論で決定されてしまうの
だろうか、と思う。

例えば、私の場合「冷蔵庫」と「冷凍庫」をよく聞き間違
えるが、会社などで聞き間違えて作業をしてしまった自分
の責任は重いのです。

しかし、これは「合理的配慮」(差別的取扱いをなくすこと)
によって、解決できる。
医学での解決を待っていたら、聴覚障害者はいつまで待つ
ことになるのか、考えていただきたい。

仮に90%以上の理解力であったとしても、社会生活では
大きな問題になる。
そこのところを、医者も国も、わかっていないのではない
だろうか。

多くの感音性難聴者が

「日本の場合、聴覚障害の認定基準に疑問がある」

と漏らすのも、そういうところに矛盾があるためだと思う。

社会に住む全ての人々が本当に幸福に暮らすためには、
障害の定義について、医学モデルから社会モデルにする
必要がある、と思う。


話がそれてしまったが、佐村河内氏の件でも同じだ。
たとえ軽度であっても、聴覚障害者用の通訳を利用するのは
適切だと言えると思う。
大事な記者会見でならば、それにきちんと答えるためにも、
なおさらきちんとした情報保障が必要である。

ただし、軽度難聴者で手話通訳というのは、違和感がある。
それほど珍しい事例だと思う。
利用者によって、手話通訳は難聴者の手話と同じにしたり、
ろう者の手話に近い手話にしたりすることはできるが。

難聴者に圧倒的に多い通訳は、要約筆記という通訳である。
これには、手書きかパソコンによる方法がある。
手話がある程度できる難聴者でも、大事な場面ではこの方法が
圧倒的に多いと思う。
なぜか?
それは、日本語を母語とする難聴者・中途失聴者が手話通訳
を利用するのは、やはり疲れるからです。
長時間ならば、なおさらだ。
佐村河内氏とて、例外ではないはずだ。
あの手話表現力を見た限りでは、手話の読み取り能力も、
そんなに高くはないと思う。
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by bunbun6610 | 2014-03-16 18:17 | 難聴・中途失聴

週刊文春の佐村河内氏批判について



ノンフィクションライターの神山典士(こうやま・のりお)

http://www.amazon.co.jp/%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E5%85%B8%E5%A3%AB/e/B0049Z1F4W




==========================



週刊文春の佐村河内氏
批判について


もう毎週だろうと思うが、電車内の週刊文春の広告に、
佐村河内氏批判が大特集のように宣伝されている。

彼らにスキャンダルを自由に書く権利もあるが
「それにしても」だ。

今週は「これでもか」というほど、佐村河内氏が
「聴こえていた」事実を証明する人たちの“証言”
(「決定的証拠」と書いてあったかも)が載せてあるらしい。

そして、あたかも

「彼には本当は聴覚障害なんかない。
健聴者だ」

と世間に思わせたいかのような、意図的な、しかも邪悪な
情報操作を感じる。
神山氏にはまるで、持論の正当性を誇示しているみたいな、
卑しさを感じるのだ。

これによって、難聴者についての正しい理解が損なわれて
ゆくようになる可能性は、極めて大であろう。

生活保護バッシングのときと同様、ジャーナリストの危険
な火遊びというか、加害性を感じる。


難聴とは

①「聴こえる」

②「曖昧に聴こえる(聞きづらい、聞き取れないなど)」

③「聴こえない」

の、三種類の聴こえの世界を持っている。
(持ちざるをえない病気である)
この不安定な聴こえの状態は、双極性うつ病障害と同じように、
自分でコントロールすることができない。
その三種類の聞こえの間を、常に強制移動させられて
しまっているような、健聴者が見た目ではわからない、
つらい音声世界なのだ。

健聴者や、(補聴器を装用したときの)ろう者や中途失聴者にも、
そういう場合はあるだろうが、
難聴の世界では、聴こえのグレー・ゾーンが突出して広いのだ。


文春は

「佐村河内氏は、本当は聞こえる」

と伝えるが、それがどうしたというのだ。
難聴者にも、聞こえる場合が多くたって、別に不思議なことではない。
文春は、何が言いたいのだ。
ハッキリと言ってみろ。
言えないというのなら、私が当ててやろう。

「佐村河内氏は、本当は健聴者だ」

と言いたいのではないかな。

だが、それを言い切れる決定的根拠が、彼らにもない。
なので、自分に都合の良い証人を必至に寄せ集めて、
個人攻撃をやっているだけなのではないかな?

さっさと本心を言ってみなさい。

「佐村河内氏は、本当は健聴者だ」

と。
そうすれば、佐村河内氏も

「事実でもないことを言われ、精神的苦痛を受けた」

と主張し、裁判を起こすかもしれない。

「裁判は、やってみないと分からない」

と、よく言われるが、もし真実の裁判が行われたなら、
文春は負ける。

しかし、文春は現時点まで

「佐村河内氏は、本当は健聴者だ」

とは、一度も言っていない。(多分だが)

「聞こえる」と言っているだけである以上、
それは事実なのであるから、今のままでは文春を負かす
ことは難しい。

難聴の、この曖昧さが、敵に逆利用されているのに
等しいのだ。

新垣氏についても、同じだ。
新垣氏がウソを言っているわけではないし、彼が

「佐村河内氏は、聴覚障害者ではない」

とインタビューで答えたわけではないのだ。

何もわかっていない健聴者が、これほど疑うのも無理もない。
だが、それにも、聴覚障害者にだって、我慢の限度があるだろう。




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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140308-00001271-bengocom-soci


佐村河内さんを「告発」した
神山典士記者
「名誉毀損で訴えるなんてありえない」


弁護士ドットコム 3月8日(土)9時59分配信

「両耳の聞こえない作曲家」として脚光を浴びていたが、
実はゴーストライターによる作曲だったことが判明した
佐村河内守(さむらごうち・まもる)さん。

その謝罪会見が3月7日、東京都内のホテルで開かれた。

記者会見の会場には、週刊誌で佐村河内さんを告発する
記事を書いたノンフィクションライターの神山典士(こうやま・のりお)
さんの姿もあった。

神山さんは2月上旬、ゴーストライターだった音楽家・新垣隆
さんなどへの取材をもとに、週刊文春に「全聾(ぜんろう)の
作曲家・佐村河内守はペテン師だった!」と題したスクープ
記事を掲載。

その後も、新垣さんの独占インタビューなど、ゴーストライター
問題を追及する記事を公表してきた。

しかし佐村河内さんは「真実でない部分がある」と主張。
記者会見で、新垣さんを「名誉毀損で訴える」と語り、
神山さんに対しても訴訟を起こす可能性があることを明らかにした。

会見終了後、神山さんは報道陣の囲みインタビューに応じ、
佐村河内さんの発言に対する感想を語った。

●「まったく誠意が感じられなかった」

まず、佐村河内さんの謝罪について、神山さんは

「この騒動の中で出てくるということに、僕も多少なりとも頑張って
ほしいという気持ちがあったが、内容を聞くとまったく誠意が感じら
れなかった。
謝りながら『名誉毀損で訴える』とか、無茶苦茶な論理。
彼の論理に乗っかってしまうと、操られてしまうと思った」

と印象を述べた。

佐村河内さんが名誉毀損訴訟の意向を明らかにしたことについては、

「どういう名誉を持っているのかと聞きたい。
裁判に関しては、彼も素人。
これから弁護士と相談するのだろうが、僕としては、ありえないだろう
思っている」

と話した。

そのうえで、

「(この日の記者会見でも)なぜ彼がこんな企みを思いつき、
どんな意志を持って、18年間つづけてきたのかということは、
結局わからなかった」

と指摘。

「わからないことがある以上、追及していきたい」

と述べ、今後も佐村河内さんに関する取材を続けていく意志を
強調していた。

(弁護士ドットコム トピックス)
弁護士ドットコム トピックス編集部



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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140307-00000037-nksports-ent


神山典士氏の質問で
佐村河内氏が感情的に


日刊スポーツ 3月7日(金)16時29分配信


ゴーストライター問題の渦中にあり、現在の全聾(ろう)状態を
ウソだと告白した作曲家佐村河内守氏(50)が7日、
都内で記者会見を開いた。


 ノンフィクション作家神山典士氏が質問する場面では、
佐村河内氏が感情的になる場面もあった。
やりとりは次の通り。

 神山氏 こんにちは。佐村河内さんは去年10月のサントリー
ホールのコンサート後、(義手の)バイオリニストの「みっくん」に
対して、謝るのかバイオリンを辞めるのかというメールを打って
いますが、自分にどういう力があって一人の女の子の運命を
左右しようとしたのでしょうか?
それに対する謝罪の言葉も聞けていないのですが。

 佐村河内氏 何について謝るということ…

 神山氏 まだ手話通訳が終わっていませんよ。

 佐村河内氏 僕は今、おっしゃったことに対して答えている
だけです。

 神山氏 目と目をみてやりましょう。僕と「口話」をしてください。

 佐村河内氏 ふざけたことはやめてもらえます?
こうして科学的な検査が出てるじゃないですか。
すいません、質問は結構です。

 神山氏 結構ではなくて、聞きたいことは、1人の少女の人生を
なぜあなたがもてあそぶようなことができたのか?

 佐村河内氏 メールのすべてを提示するべきだと私は思います。
私が優しい言葉をかけていることもカットされている。
私は父親に対して、みっくんに対して選択を迫ったことは1度も
ありません。
いつもみっくんに「義手を外して出た方がいいんじゃない?」と
言ったときも、彼女は「いやだといっています」とお母さまと自分の
妻を介しての話しなんですけど。

 神山氏 なぜあなたは、義手を外して舞台に出ろと言ったのか?

 佐村河内氏 お客さんには誰も言わないサプライズの計画だった
ので、義手のみっくんが出てくれば、みんなが感動してくれると
思いました。

 神山氏 彼女の義手を利用して観客を感動させようとしたわけ
ですか?

 佐村河内氏 (少し沈黙)感動すると思います。

 神山氏 舞台の上で義手をつければ感動する?

 佐村河内氏 僕はとにかくみっくんがハンディを乗り越えて舞台に
上がって、とても温かい拍手をいただいたと聞いています。

 神山氏 彼女の演奏に感動するのでは? あなたは義手である
ことを見せようとしただけですよね?

 佐村河内氏 違います。

 神山氏 どう違うのですか? つじつまが合いませんけど。
もう1度言います。あなたが曲を作ったわけでもない、バイオリンの
素養もない、それに対してあなたは
「このままバイオリンを続けたいなら私に謝れ」
というメールを送っている。
どういう根拠で送れるんですか?

 佐村河内氏 中学時代が一番大事な時期。
彼女が卓球部に入りたいと言っていたので、他の子はハンディを
持ってないのに頑張っているのに。
どうしてそういう話になるの? ということで。

 神山氏 あなたは教師でも作曲家でもないのに、なぜ言える?

 佐村河内氏 次の方お願いします。

 神山氏 謝罪の言葉は?

 佐村河内氏 あなたに対してですか?

 神山氏 みっくんに関してです

 佐村河内氏 みっくんに関しては、申し訳ありませんでした。
お父さんがおっしゃった、服従しろと言うことは断じてありません。

 神山氏 何月何日までに答えろというのは、服従ではないのですか?

 佐村河内氏 そう思われるのであれば、すいませんでした。
謝ります。すいません。



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http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140308-1267264.html


神山氏追及で佐村河内氏が
義手少女に謝る


ゴーストライター問題の渦中にあり、現在の全聾(ろう)状態を
ウソだと告白した作曲家佐村河内(さむらごうち)守氏(50)が7日、
都内のホテルで会見を開いた。

 ノンフィクション作家神山典士氏は、佐村河内氏が「ヴァイオリンの
ためのソナチネ」を献呈した義手の少女が題材の児童書「みっくん、
光のヴァイオリン 義手のヴァイオリニスト・大久保美来」の著者で、
先月6日発売の「週刊文春」では、佐村河内氏のゴーストライター
問題告発記事を執筆した。

会見では、佐村河内氏がメールで少女の父親に絶対服従を求めたり、
少女に対して「このままバイオリンを続けたいなら私に謝れ」と要求した
ことなどを追及し、謝罪を求めた。

神山氏から質問されること自体に抵抗感を示した佐村河内氏だったが、
最終的には追及に折れる形で少女に向けて「すみません」と謝罪した。

[2014年3月8日7時38分 紙面から]



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『【イカり】キレる佐村河内守【ゴーチ】』
〔You Tube 2014/03/09 に公開〕
https://www.youtube.com/watch?v=MWZbBaEN9-8



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by bunbun6610 | 2014-03-14 21:31 | 難聴・中途失聴

聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由②

(※)この記事は、一人の聴覚障害者が、個人的な見方を
述べたものに過ぎないことを、予めお断りしておきます。
個人の経験から得ている事実のほか、推論まで加え、
時間をかけて書き上げたものです。
見えない障害であり、そしてこの障害について、医学的にも
まだまだ解明が進んでいない以上、このような試みによって、
少しでも理解してもらうより、他に手はないと思ったからである。

もちろん、もしかしたら、誤っている部分もあるかもしれません。

また、この記事を書いている最中に、佐村河内氏が中度難聴者
であることが再検査の結果判明したが、佐村河内氏だけに限った
問題ではないので、中途失聴者や中途難聴者への理解の一助
になればと思い、本稿をそのまま記事にすることにした。

個人的に書いた記事である以上、賛否両論が起きてしまうことは、
仕方がないと思う。

恐れてばかりいて何もやらないでいては、何も変わらないだろうから。






「ろう者と難聴者、中途失聴者の声は違う」

という指摘について。




『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕


では、聴覚の障害等級2級には、ろう者だけでなく
中途失聴者、人工内耳装用者なども含まれている
ことを話した。
(人工内耳にした耳は、残存聴力を全て失うという
リスクがあるらしい)

聴力レベルがほとんど同水準の人たちも多くいて、
どの人も一般には「耳が聞こえない」と、
よく言われる人たちだ。

仮に健聴者が、普通に話すことができる中途失聴者
だけを疑うのなら、その前に国の認定基準を疑うべき
なのではないだろうか。

私も、ろう者が2級なら、中途失聴者は3級でなければ
おかしいのではないだろうか、と思う。
なぜなら、言語障害と合わせた等級が1級という、
さらに上のランクがあるのだから。


しゃべれるか否かの理由について、医者や学者は
どう説明しているのか、私は全く知らない。
それでも、自分なりにその説明を試みるとすれば、
やはり「音の記憶」を持っているかどうかが重要ポイント
になる、と考える。


難聴者の声を記した古い書物に

「大学病院の一医師から、

「聞くことをやめてはいけない、ラジオに耳を押しつけて
でも音を聞きなさい」

といわれた。」(P25)



と書いてある。
これはどうしてだろうか?

その幼児期(0~6才頃)に、音声をたくさん聞き、
覚えることが、言葉を話したり、音の世界で社会的な動物、
つまり人間として生きていくために必要だから
なのではないだろうか。


「三歳児ぐらいで聞こえるか聞こえないか検査して、
聞こえないとなれば早教育をやらなければならない。

というのは、ろうの子どもは言葉そのものから教育
しなければならない。
健全児や盲児は学校へ入るまでに言葉を覚えるという
ことは済んでしまっている。」(P174)



岩波新書『音から隔てられて - 難聴者の声 -』
(入谷仙介、林瓢介/編者 1975年7月21日/第1刷発行
 株式会社岩波書店/発行所)
より引用。


上の話は、医者の医学上の話よりも、はるかに意味深い
経験的事実を物語っていると思う。

中途失聴・難聴者の人工内耳の適性検査でも、
音声の記憶があることや、リハビリという困難を乗り越えよう
とする強い精神力が必要とされるらしい。
音に対する強い関心が重要だ。
ろう者は反対に、視覚で理解しようとするので、
向いていないらしい。
人工内耳をせっかくつけても、装用者が人工内耳と頭の中で、
音の世界を再構築しようとしないならば、無意味だろう。
実際にろう者には、失敗例もあるそうだ。

健聴者は、それがあまりにも自然にでき、
そして身についてしまっているから、
気づかないのではないだろうか。
中途難聴者や中途失聴者も、それは同じだった。

しかし、ろう者は違う。
元々聞こえないために、言葉のアクセントやニュアンス、
使い方(TPOなど)も知らなかったりする。
音声言語の獲得に苦労するため、発音もおかしかったりする。
これでは健聴者が違和感を覚えても、無理はないだろう。


私は以前、難聴者や中途失聴者の団体と、
ろう者の団体の両方に関係を持っていたが、
難聴者・中途失聴者の団体内には、
実にさまざまな人がいた。

その人たちの声だけを見ても、老人性難聴者や中高年に
なって失聴した人よりも、子どもの頃に難聴になった人、
失聴した人のほうが、どちらかというとろう者に近い人もいた。

あるいは青年期に難聴になった人や、失聴した人もいたが、
その人たちの場合は中間型だとも思えた。

つまり、それぞれの事情が異なるがゆえに、
聞こえにしても声にしても、アナログ世界のような
多様性が見られたのであった。
したがって、厳密にこうだと説明することはできないのである。


聴覚障害者の声については、他にも、参考になりそうな
ものがある。
三重苦の人ヘレン=ケラー氏の自伝書である。

一歳で視力と聴力を失ったケラー氏も、発声訓練に挑戦したが、
健聴者並みにはうまくなれなかったようだ。
しかし、自分の喉に手を当てて、声を調整し、簡単な単語を
言うことはできるようになったようだ。


また、喉のガンとかで声帯切除した人などで、
しゃべれなくなってしまった人も、この方法で発声訓練を
やっている人がいるそうだ。

彼らの場合は、耳が聞こえるので、この訓練を積み重ねる
ことで、小さな声でどうにかしゃべることができるらしい。

重度の聴覚障害者も、同じようにして自分のノドのふるえを
感じて、音程を変える訓練ができるらしい。

このような場合も、「音は聴くものではなく、感じるものだ」
という感覚のほうが、聴覚障害者の場合は強いだろう。

私は以前、一人でカラオケボックスに行き、補聴器装用で
歌ってみて、それで自分の声を確かめていた。
すると、それでも、カラオケはずいぶんと下手になったと
わかったので、他人が見ているところでは、
もう二度としなくなった。

昔は声を出して本を早読みすることも得意だったが、
今やると、ろれつが回らなくなってしまうようになった。

私も少しずつだが、衰えてきてはいるようだ。

ただ、そういうのは誰だって隠すから、健聴者には
そんなことまではわからないのだろう。

突然に聞こえなくなった人と、長い期間をかけて、
徐々に聞こえなくなっていった人とを比較しても、
その声はやはり多少の違いは出てくる場合もある
のではないだろうか。
声が維持できているかどうかには、その人の
失聴時期も大きく影響していそうだ。

また、補聴器の性能がめざましく向上していることも、
高齢聴覚障害者と若年聴覚障害者とに声の差がある
理由だろう、と思われる。

難聴者や中途失聴者の聞こえの具合がいろいろなら、
声だっていろいろだろう。
ろう者ほど均一的ではなくて、当たり前ではないか、と思う。



〔参考情報〕

『感音性難聴によっておこる感覚異常の状態や度合い
(軽度・中等度難聴編) [難聴について]』

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by bunbun6610 | 2014-03-14 18:45 | コミュニケーション能力

聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①

(※)この記事は、一人の聴覚障害者が、個人的な見方を
述べたものに過ぎないことを、予めお断りしておきます。
個人の経験から得ている事実のほか、推論まで加え、
時間をかけて書き上げたものです。

見えない障害であり、そしてこの障害について、
医学的にもまだまだ解明が進んでいない以上、
このような試みによって、少しでも理解してもらうより、
他に手はないと思ったからである。

もちろん、もしかしたら、誤っている部分もあるかも
しれません。

また、この記事を書いている最中に、佐村河内氏が
中度難聴者であることが再検査の結果判明したが、
佐村河内氏だけに限った問題ではないので、
中途失聴者や中途難聴者への理解の一助になれば
と思い、本稿をそのまま記事にすることにした。

個人的に書いた記事である以上、賛否両論が
起きてしまうことは、仕方がないと思う。

恐れてばかりいて何もやらないでいては、
何も変わらないだろうから。




佐村河内氏事件は、聴覚障害者にも少なからず
衝撃を与えた、と思う。

「本人の作曲ではなかった」

というだけでなく

「聴覚障害者偽装疑惑」

まで噴出したからだ。

しかし、もし佐村河内氏が今も本当に聴覚障害者
2級相当の人だったなら、あれだけ騒いで書き立てた
マスコミは、どう責任を取るつもりなのだろうか。

そのことを考えると、生活保護バッシングと同様、
マスコミの加害性を思わずにいられない。

少なくともこの件に関してだけは、佐村河内氏だけ
でなく、聴覚障害者にも、深くお詫びしなければ
ならないだろう。


私も職場で最近

「聞こえてる?」

なんて、正面から、今さらのように言われたこともある。
おそらく、ちょっとは疑われているのだろう。
佐村河内氏の事件をきっかけに、そういうことも起きた。

特に疑われやすくなったのは、
重度聴覚障害の身体障害者手帳を持ちながら、
健聴者と同じようにしゃべれる中途失聴者だろう。

障害者雇用で働いている、その人たちの場合は、
かなり疑われたりしている人もいるかもしれない。

彼らの場合は健聴者と同様に、
(多少の音声の崩れはあるにしても)
日本語をほぼ流暢に話せるからだ。

健聴者と毎日話しているので、読話力も口話力も、
そうすぐには衰えるものではないと思う。
だから、余計に疑われるのかもしれない。


さて、健聴者が疑う理由とは、一体何であろうか?
今回の佐村河内氏の、「聴覚障害者」偽装疑惑で、
それがわかる。


【社会に 「普通にしゃべれる=聞こえる人」 という
誤解を与えかねないブログ、マスコミ記事について】


例えば、下のブログ記事である。


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http://ttensan.exblog.jp/20330506/

偽物ですね

 2014年 02月 08日


「全聾の人に会った事がある方はわかると
思いますが発音が崩れてしまうんです。
自分で発している声そのものがわからない
から当然なんです。

あれだけはっきりと発音できるのは
間違いなく聞こえているからです。

で、当然ながら障害者手帳を持っている
ということそのものが違法行為となるわけ
ですが、佐村河内のあの要領の悪さからして
当人が考えついたものではないと思います。」


============================




聴覚障害者について、本当によく理解している
人ならば、これはもうわかるでしょう。

「聴覚障害者=ろう者」

とは限っていないし

「しゃべれる人=聞こえる人」

とも限らない。

「全聾」だから、ろう者とは限っていないのです。

しかし、上のブログでは、ろう者と中途失聴者が
混同されてしまっている。

それで

「聞こえないはずはない。
ウソだろう」

となる。


【二元論で聴覚障害者を苦しめる健聴者たち】

例えば、

「聞こえているか、いないか」

の判断材料に、ろう者の声は「崩れている」
ことを引き合いに出している。
このようにすぐに比べたがって

「聞こえる、聞こえない」

の二元論展開が、健聴者には多い。

中途失聴者だけでなく、多くの感音性難聴者を悩まし、
苦しめる原因が、ここにある。


【「全聾」という言葉について】

佐村河内氏自身で「全聾」と主張したのだろうか?

それとも、マスコミが勝手に「全聾」と宣伝した
のだろうか?

もし、前者ならば

「佐村河内氏は聾者を騙って商売をしたことになる」

と疑われても仕方がない。

もし後者ならば

「奇跡であるかのように報じて、マスコミが(佐村河内氏の)
虚像をつくり出したことになる」

と思う。

いずれにしても、“障害”を利用して有名にする手段だった、
ということだ。
昔、テレビが手話ドラマでブームを起こしたように、
これもまた、“障害者というアイテムで演出した”に
すぎなかったことになる。
しかし、後者の場合は、マスコミにも責任があるのでは
ないだろうか。


「全聾」(「全聾者」)とは、客観論としては「医学的ろう
の状態(の人)を指すのではないか、と思う。

一方、「ろう者(ろうあ者)社会」で言う「ろう者(Deaf)
の場合は、もっと深い意味で使われている、と思う。
私が勝手に簡単に言うならば

「ろう者(Deaf)社会の文化を受け継いでいて、
かつ、その社会に属している者」

という意味だろうか。

ろう者(全聾者、deaf)に生まれたからといって
「ろう者(Deaf)」とは限らない、ということだろうと思う。

反対に、難聴者や中途失聴者でも、ろう者(Deaf)社会
に属しているというケースもある。
すなわち、単に聴力だけで分類された社会ではないのである。

詳細は

『ろう文化案内』
(キャロル・パッデン博士、トム・ハンフリーズ博士/共著)



などの本を読むと、よく理解できる、と思う。
著者、訳者ともろう者(Deaf)で、この本は名著だと思う。



そういった観点で見ると、佐村河内氏の場合は全然、
「ろう者(Deaf)」ではないだろう。
彼は単に「医学的ろう(deaf)」であるに過ぎない。


おそらく、上に取り上げたブログの筆者は、本当は

「偽聴覚障害者です」

ではなく

「偽ろう者です」

と言いたかったのだろう。

そういう意味でならば、聴覚障害者にも読んでいて、
納得できるのではないか、と思う。


まだ佐村河内氏の聴力に関する客観的データも
明らかになっていないというのに、

「偽聴覚障害者です」

と言われる(断言される)と

「それは、どうかな?」

と首を傾げたくなる。


繰り返しになるが、佐村河内氏は、ろう者ではない。
けれども、もしかしたら佐村河内氏だって、
「自分はろう者だ」と社会に伝えたくて「全聾です」と
言ったのではなかったのかもしれないのだ。

実際に聴覚障害者が著している古い本では、
ある中途失聴者も

「全聾になりました」

などと言っているところもあった。
しかし、これは勿論、ろう者(Deaf)の言う「ろう」とは
意味が全く異なる。

その結果、ろう者や健聴者の社会それぞれ
にある意味の受け取り方のズレが原因で、
今回のような疑惑騒動に発展してしまった、
という推測も考えられる。

ちなみに、今では中途失聴者でも自分のことを
「全聾です」と言う人は、ほとんどいない。
普通はろう者と混同されたくないがために、
「聾」という言葉は使わないと思う。


一方、「中途失聴者」という、聞き慣れない言葉を
健聴者が聞くと

「人生の途中で、音が全く聞こえなくなってしまった人」

と思う人もいると思う。

けれども、聴覚障害者の世界(社会)では、必ずしも
そんなことはない。
補聴器を使えば、多少は聞こえる人もいる。
難聴者でも自分を「中途失聴者」だとしている人もいる、
という。
つまり、その用語は

「必ずしもその聴覚障害者の聴力を正確に、
わかりやすく表した(区別した)ものとは限らない」

ということだ。

極端に言えば主観的であるのだが、
それは本人のアイデンティティに関わる問題である。

それに、仮に難聴者社会の中に入って、自分だけ
「中途失聴者です」とか「ろう者です」と言えるだろうか。

反対に、ろう者社会で自分を「難聴者です」と自己紹介
すると、今度はろう者から無視されることもある。
そういった心理面も無視できないと思う。

したがって、この点でも、健聴者と聴覚障害者との
認識にはズレがあると言えそうだ。

ろう者には中途失聴者と難聴者を区別せず、
どちらもまとめて「難聴者」と呼んでしまう人も多い。
これは聴力よりも、言語・文化的分類が理由のように
思える。

確かに、よく

「ろう者は言語的少数者である」

などと、ろう者が主張している。



ところで、

「耳が聞こえるか、聞こえないか」

ということで、健聴者社会ではよく、

「ろう者であるかないか」

がよく言われている。

全く馬鹿げた二元論ではないか。

実際の聴覚障害者の世界は、
そんな単純なものではない。
ダイグロシアのように、非常に分けるのが難しい
存在になってしまっている人も多いのである。

勿論、佐村河内氏のような人だっている。
それは「中途失聴者」と呼ばれる聴覚障害者である。

彼の場合は難聴者と同様、健聴者に非常に近い
存在だ。
健聴者と同様に話せるはずだ。
だから、ろう者とは全く違うように見えて、
当たり前なのだ。

しかし、だからといって

「聴覚障害者ではない」

と断定してしまうことには無理があるし、
全く馬鹿げている論法だ。




【聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由】

なぜ、ろう者の声は変で、中途失聴者の声は健聴者と
同じなのか、理解できないというのが、
健聴者の主張なのだろう。

その答えを知りたければ、以下の話を読んで、
よく考えることである。



【大人のろう者Aさんの話】

「ろう学校に通っていた時、毎日毎日発声練習を
させられました。
手話を使うことは禁止されていました。
学校を卒業してから、働きはじめました。
しかし、自分の声は健聴者に笑われてしまうので、
私はしゃべるのをやめました。
それ以来、ずっとしゃべっていません。
それで、今ではすっかり、しゃべることも
できなくなってしまいました。
今では手話だけです。」



Aさんの話から、人間(幼児)が音声言語を獲得するためには、
耳が聞こえるという条件が必要だということがわかる。

しかし、いったん音声言語を獲得した後に聞こえなくなった
中途失聴者の場合は、聞こえなくなったからといって、
直ちにその「しゃべる能力」まで同時に失う、ということは
ないだろう。



【大人のろう者Bさんの話】

「補聴器を持っています。
しかし、補聴器をすれば音は聞こえるけど、
相手が何て言っているのかまでは、わかりません。

同じろう者の友だちに、人工内耳手術をした人がいます。
でも、手術をしても、分からなかったから、その人はもう、
(人工内耳を)取ってしまいました。
今では手話コミュニケーションに逆戻りしてしまっています」


ろう者Bさんの話から、大人になってからでは、
人工内耳や補聴器で音がやっと聞こえるようになったとしても、
日本語の学習は難しくなる、ということがわかると思う。


「音声言語の獲得には3歳頃までに聞こえていることが重要」

とか

「3歳まで聞こえていれば、ろうでもしゃべれる」

と聞いたことがある。
それ以降では、音声言語習得が難しくなっていくそうだ。


ヘレン=ケラーは1歳頃で失聴しているが、
自伝によると、それ以前は「ティー(紅茶)」と
ハッキリしゃべることができたらしい。
しかしその後は失聴が原因でしゃべらなくなり、
言葉の学習は遅れていったようだ。


ろう者Bさんの話をもとに考えると、
ろう者の場合は、補聴器、人工内耳の効果が
期待できない聴覚障害者ということになる。

このような人がそれらの機器で音声を聞くことが
できるようになっても、言葉がわからないのである。

つまり、それではしゃべることもうまくできない、
ということを意味する。


一方、中途失聴者の場合は、補聴器にしろ、
人工内耳にしろ、昔聞いていた音とは若干違う
機械音ではあるものの、脳がそれを音の記憶と
マッチングさせ、音を理解する能力が再生する。
つまり、脳の推測力で補えるのだ。

生まれつき耳が聞こえない幼児を除いて、人間は皆、
6歳ぐらいまでに、音を聞いたり、しゃべる訓練を
自然に積んでいる。
そしてこれが、しゃべる能力になるわけだ。
健聴者はそれに恵まれている。
中途失聴者や中途難聴者も同じだった。

しかし、生まれつき全く聞こえないろう児は、
この訓練ができない。
幼児期の聴能訓練成果の影響は大きい。
これが、口話法の習得力にも大きく影響する。

それで、「聾(ろう)」の児童は「唖(あ)」になりやすく、
昔は「聾唖者」と呼ばれることが普通だったようである。
たとえ、しゃべれるようになった聾唖者でも、
声が変だと言われるのが、むしろ当たり前だった。

一方、人生のどこかで失聴してしまった中途失聴者は、
「聾(ろう)」「全聾」になることはあっても、
直ちに「唖」になることはない。
発声能力の、ある程度の維持は可能だろう。


〔関連記事〕

『しゃべれる聴覚障害者がいる理由』
〔2014-01-28 18:30〕




【人工内耳装用者の話】
「人工内耳を装用する前に、適性を調べる必要がある。
人工内耳手術をしても、効果がない人もいるからだ」


ろう者Bさんと、人工内耳装用者の話を
統括すると、話せるようになるためには、
聞こえるようになるだけでなく、本人の音の
記憶力やリハビリに取り組む力など、
さまざまな力が必要、だと思える。

優れた人工内耳、補聴器があれば聞こえる
ようになり、その結果、話せるようになると
勘違いしている健聴者がいることも事実で、
こういう人たちが安易な推測で噂を広め、
聴覚障害者を苦しめているのではないか、
と思われる。


【発声練習ができる聴覚障害児と、できない聴覚障害児】
私は以前に、インターネットの情報から

「発声練習に失敗したろう児」

という文字だったと思うが、そういう情報を見たことがあった。
多分、ろう児教育に携わっている人の論文みたいなものを
読んで、発見したのだと思う。
それはまさに、健聴者の視点での言い方だと思う。

結論から言おう。
中途失聴者の場合は、聞こえている間に、すでに言語を
獲得している。
その後に失聴した。

反対にろう者の場合は、聞こえないまま言語獲得に
挑戦させられ、「失敗」したとさせられている。

中途失聴者は、少し無理に例えるならば、すでに
“完成した声のアスリート”と同じようなものではない
だろうか。
その頭脳には音の記憶を持っており、正確な音の
イメージを再現し、肉体の声を出す部分も、正確に
動くのだろう。

だから、中途失聴者は聞こえなくなったってしゃべれるし、
再訓練する必要もないのだ。
人工内耳の効果が期待できるのも、音の記憶を持っていて、
言語獲得しているからだと思う。

ところが、ろう者の場合はどうだろうか。
ろう児がしゃべれない、あるいはきちんと声を出せない、
奇声のようにしゃべる、といったことになるのは、
この「発声練習に失敗した」という言葉に表れているから
だと思われる。

それは「失敗」ではなくて、うまくしやべれないのが、
むしろ当たり前ではないか、と思う。
それはすでに、学者も言っていることだ。


【聴覚障害三級の人の話】
「(幼児期に)大学病院の一医師から、

「聞くことをやめてはいけない、ラジオに耳を押しつけてでも
音を聞きなさい」

といわれた。」


この理由は、おそらく幼児期こそ、言語(日本語)獲得に大事な
時期だからなのではないか、と思う。


【日本手話を使うならば当然、声は出さない】
それと、手話の実情を知らない健聴者もいる。

手話通訳者や難聴者・中途失聴者には、
日本語をしゃべりながら手話も表している人もいる。
しかし、その手話(日本語対応手話)は、
ろう者の手話とはかなり違うものだ。

ろう者の手話(日本手話)をしながら、
同時に日本語でしゃべることはできない。

逆に、日本手話の文法で手話を表しながら、
日本語の言葉を考えようとすれば、
今度は自分のしゃべる声のほうが、
いつのまにかおかしくなってしまう。
つまり、これもできない。

ろう者にも日本語をしゃべれる人はいるが、
その人でさえ、講演会等で難聴者相手に
仕方なく日本語でしゃべりながら、
日本語対応手話をやっていると、
ものすごく疲れてしまうそうだ。

でも、そのろう者が書いた本、文章を読むと、
びっくりする。
健聴者以上に上手だったからだ。

これも多分、ろう者にとっても、日本語を知って
いること、そして書くことと、日本語をしゃべるという
ことは、ずいぶん違う証拠となるのだろう。

健聴者の「ろう者の声は変だ」というのも、本当だと思う。

すると、よけいに、自分を「全聾です」と告白した
佐村河内氏は、疑われるのが当たり前だったのかも
しれない。


【テレビドラマの影響(功罪)】
また、テレビでやった、昔の手話ドラマの影響か、
聴覚障害者=ろう者というような、誤った見方が依然
として続いているのではないか、と思われる。

「発声練習に失敗したろう児」と、(大人の)ろう者と、
聴覚障害者とが、健聴者の頭の中では結びついている
のではないか、と思われる。


【手話サークル、講習会の「聴覚障害者」に関する、
偏った学習内容も原因。
また、健聴者の勉強不足でもある。
聴覚障害者協会(ろう協)(※)が主催する講習会だけを信じ込む、
健聴者の姿勢もかなり疑問に思う】


手話サークルや手話講習会などでも、ろう者については
詳しく説明するが、難聴者や中途失聴者のことについては、
詳しい説明はなされていない。

その理由は簡単である。
聴覚障害者協会とは言っても、難聴者や中途失聴者の
当事者が少ないので、そのことについて知らない人も多い。

すでに述べたとおり、難聴者や中途失聴者こそ、
多様に存在する聴覚障害者であり、その説明は非常に難しく、
また多くの労力と時間を要する。
それは、ろう者についての説明よりも、ずっと難しいと思う。
ろう者に、その説明はできないと思う。

(※)聴覚障害者協会(ろう協)は、ろう者が主体となっている
聴覚障害者団体である。
上部団体は(財)全日本ろうあ連盟
全国各地の手話講習会等の運営にも、ほとんどが
聴覚障害者協会が関わっている。
また、手話サークルも、聴覚障害者協会と協力関係
にある。

一方、中途失聴者・難聴者が主体となっている
聴覚障害者団体も存在する。
こちらの上部団体は一般社団法人 全日本難聴者・中途失聴者団体連合会



〔関連記事〕

『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
〔2011-03-31 23:19〕



【聴覚障害2級(「両耳全聾」状態の診断)の現状】
――異なる聴覚障害者が混在していて、曖昧な基準。
――その画一的基準の矛盾点とは。

中途失聴者とろう者を混同視しがちな現状。
及びその理由。

「医学的ろう(全聾)」と、「ろう者」は、
意味が違うということを、
健聴者は理解していない。

「全聾」の人でも、残存聴力がある人はいる。
というか、その聴力を生かし、補聴器で音を
拾うぐらいは可能な人もいる。

また、聴力は同程度の人でも、その聞こえの具合は
非常な個人差があることも珍しくはない。
詳しいことは「感音性難聴障害」について、
調べるとよい。

聴覚障害があっても、筆談や読話や日本語対応手話
(母語が健聴者と同じ日本語の、難聴者や中途失聴者
がよく使う手話)など、視覚情報を駆使すれば
コミュニケーションを行うことが可能である。
つまり、聴覚障害者のコミュニケーション方法は、
耳だけに頼ってはいない。
耳が聞こえないからといって、コミュニケーションが
不可能だと断じるのも、健聴者の間違いであり、
偏見に過ぎない。

健聴者も

「見た目ではわかりにくい障害だから」

と言い訳ばかりして逃げるのは、もうやめてほしい。

この点は、健聴者と違う点なので、聴覚障害者理解
には極めて重要である。

身体障害者手帳についての話であるが、
聴覚障害のみの身体障害者等級は、

2、3、4、6級

のみである。
ただし、聴覚障害者の中にも、1級や、5級の手帳を
持っている人も、なかにはいる。

それは、その人の障害が聴覚障害だけでなく、
例えば言語障害とか、他の障害もあって、
聴覚障害の点数と他の障害の点数を合わせた結果、
1級や5級に認定されたためである。

障害が重いろう者には、言語障害を持っている人もいて、
1級の人もいる。

言語障害は、例えば脳性マヒ障害者のなかにもいる場合
がある。
同じ「言語障害」という“くくり”ではあるが、やはり
これも、その障害になった原因が違う。

聴覚障害だけの場合では、最高等級が2級までなので、
残存聴力がある人も、ない人も2級という、同じ等級に
なってしまうのである。

ほとんど聴力だけの判定のようなので、しゃべれる人も、
しゃべれない人でも言語障害までは認定されなければ、
2級が最高等級なのである。

だから上のような問題が起きるのは、国の認定基準にも
責任がないだろうか?

という疑問を、私は持っている。

なぜ、ろう者と中途失聴者は同じ障害等級なのだろうか?

そう思う人は、少なくないはずだ。

これは、ろう者と中途失聴者が混同されて見られたり、
必要な配慮も混同されやすくなる一因なのではないか、
と思われる。

それで、上に取り上げたブログの筆者のように考えてしまう
健聴者が、後を絶たないのではないだろうか。



【追記】

千葉県
『条例制定当時に寄せられた
「障害者差別に当たると思われる事例」(その他)』
〔更新日:平成26(2014)年8月8日〕



>「手話で話していたら、私の声が普通と違うので、
外国人と勘違いした人がいて、日本人だとわかると、

「へー、何で日本語しゃべれねんだ?
知恵遅れか?」

と言われた。」



〔記事容量オーバーのため、別記〕

『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①〔参考資料〕』
〔2014-03-14 18:31〕

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by bunbun6610 | 2014-03-14 18:30 | コミュニケーション能力

佐村河内氏が謝罪会見で披露した手話を、周囲の人はどう見ているか?

佐村河内氏が謝罪会見で披露した手話を、
周囲の人はどう見ているか?


『佐村河内守氏の手話をスロー再生で検証』

http://www.youtube.com/watch?v=SwhZxg0S7Fo



『佐村河内守 手話 検証 [スキャンダル]』

http://8810news.blog.so-net.ne.jp/2014-03-09-1



『佐村河内氏の手話表現の意味』
〔2014年03月08日〕

http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/62943ffad65b56324be36d837c5368e1



======================================



佐村河内氏はあの時、極度に緊張していただろうとは
思うのですが、あの手話表現だけを見た限りでは、
正直、手話通訳まで読み取れるとは思えない。

ろう者と交流のある人(健聴者、聴覚障害者を問わずに)
の手話とも、全く違う印象だ。

頭の中で手話単語を思い出しながら、ただ表出しているだけ、
という感じだ。
手話文法を知らない手話初心者が表しているのに等しい。


また、特に違和感を持ったのは、名前の表現だ。

苗字は漢字の手話、下の名前は指文字で表す
聴覚障害者が多い。
原則的なルールだと思ってもいいくらいだ。

ところが、佐村河内氏の場合は逆だ。
その理由としては

「珍しい名前だから指文字にしたほうがいい」

と手話指導者からアドバイスを受けたからなのかも
しれないが・・・。
こういう珍しい苗字の場合は、本当のところは
どうなのだろうか?

(指文字)さ/(指文字)む/(指文字)ら
/(指文字)ご/(指文字)う/(指文字)ち
/(漢字手話の「護る」)守る



もしも私だったら、口パクを併用し、次の表現を使うと思う。

(指文字)さ/(★)村/(★)河/(★)内
/(指文字)ま/(指文字)も/(指文字)る

(★)・・・漢字の意味を表す手話
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by bunbun6610 | 2014-03-09 23:57 | 難聴・中途失聴


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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