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蒼穹 -そうきゅう-

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『配慮不足は企業のせいなのか?』(中島隆信)


この雑誌、実は障害者を雇用している企業の人事室や、
障害者福祉会館などに置いてある。
企業の人事室に置かれてある場合、ほとんどが“お飾り”
として置かれているに等しい状態である。
残念ながら、障害者配属部署の人にすら、
読まれることはほとんどない。

これに税金を投入しているのだから、国の障害者雇用
施策というものが、ほとんど理解できない。
正直、強い怒りを覚えるほどだ。


なお、日本でも近いうちに

「障害者権利条約のモニタリング(監視)」

が行われるそうだ。

松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して~
『第20回障害者政策委員会』
〔2015-04-20〕





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啓発誌『働く広場』
(独立行政法人 高齢・障害・求職者
雇用支援機構/発行)




『働く広場』(2015年4月号)

エッセイ第4回
『配慮不足は企業のせいなのか?』

http://www.jeed.or.jp/disability/data/works/book/hiroba_201504/index.html#page=17


中島隆信/なかじま たかのぶ
慶應義塾大学商学部教授。専門は応用経済学。
1960年生まれ。
1983年慶應義塾大学経済学部卒業、
2001年より同大学商学部教授。
同年、慶應義塾大学博士(商学)取得。
2007年より内閣府大臣官房統計委員会担当室長
を約2年間務める。
経済学とは一見縁遠いと思われる対象を経済学の視点
から一般向けに論じた著書多数。
また、大相撲にも造詣(ぞうけい)が深く、日本相撲協会
「ガバナンスの整備に関する独立委員会」では、副座長
として相撲協会改革案について意見書を取りまとめた。





まずは2つの例をとりあげよう。
2006(平成18)年1月、「東横イン」というビジネスホテル
が障害者向けバリアフリールームを不正に改造し、それが
「ハートビル法」(当時)違反だとしてマスコミを騒がせたこと
があった。

当時の社長は、不正を働いた理由として、

「障害者用客室を作っても、年に1人か2人しか来なくて、
結局、倉庫みたいになっているとか、ロッカー室になって
いるのが現実」

だと発言し、それがまた利益優先の考え方だとして物議を
醸すこととなった。

2013(平成25)年6月、『五体不満足』で有名な乙武洋匡
(おとたけ ひろただ)氏が、銀座にあるレストランで食事を
しようとした際、予告なしに車椅子で来店したことを理由に
入店を断られたというできごとがあった。
そのあと同氏がこれを「銀座の屈辱」だとしてツイッターで
店名を出して非難したことからフォロワーを中心に話が
広がり、ちょっとした騒動に発展した。

前回まで述べてきた差別の定義に照らし合わせると、
これら2つの事例は「間接差別」に相当することがわかる
だろう。
なぜなら、狭い入口や階段などのせいで車椅子が通れない
ことは、宿泊や食事という行為自体と直接関係がないから
である。
したがって、ホテルやレストランには障害者に配慮する義務
があり、それを怠ったということは「障害者差別解消法」違反
ということになる。

しかし、話はそんなに単純なものではない。
配慮をしなかった原因をもっと深く探る必要がある。
考えるヒントは社長のコメントになる。

それは、改造の理由がバリアフリールームの低い稼働率
という点だ。
つまり、同ルームは採算がとれない、配慮のコストが高く
付くということだ。

稼働率が低くなる理由は、身体障害者があまり町を出歩か
ないからであり、出歩かない理由はバリアフリー化が進んで
いないからだ。

この「事件」の舞台となったホテルはJR関内駅近くにある。
周囲には神奈川県庁をはじめ、横浜市役所、横浜スタジアム
などの公共施設もある。
しかし、同駅は神奈川県の玄関口というのもはばかれるほど
バリアフリー化が遅れている。
ビルの3階ほどの高さにあるホームの幅は狭く、エレベータ
すら設置されていない。
このような状態を放置しておきながら、どうして同駅近くの
ホテルの不正を非難することができようか。
配慮のコストを高くしているのはJRに加え神奈川県民の
バリアフリーに対する意識の低さなのである。

「銀座の屈辱」についても同じ論理で考えることができる。
レストランが入店を拒否した理由は、乙武氏が車椅子利用者
であることを告げずに予約していたため、その場で同氏を
車椅子ごと抱えて階段を上がるために店の人員を割けなか
ったこととされている。
すなわち、ここでの配慮のコストとは、車椅子を上げるために
人員を割くとフロアでの接客サービスがストップしてしまうこと
だったのである。

それでは配慮のコストを高めている要因は何だろうか。
それは、店にいる客の車椅子利用者に対する配慮の程度で
ある。
身体障害者へのサービスを優先させ、その間、フロアのサービス
が止まったとしても構わない、それで料理の出るのが遅くなっても
いいと思う客が多ければ、店主は車椅子を上げることに
何のためらいもなかったはずだ。

私にも脳性麻痺(まひ)の子どもがいるので同じような経験を
何度もしている。
車椅子の子どもを連れて休日のデパートを訪れたとき、
ほぼ満員のエレベータから降りて私たちを乗せてくれた人に
残念ながらこれまで一度もお目にかかったことがない。
つまり、現在の日本における配慮のレベルはこの程度なので
ある。
このような状況下でホテルの社長やレストランの店主だけを
非難してもあまり意味はない。
国民全体が障害者に対してどこまで配慮をすることが

「理にかなっている」

のか判断することによって、事業者の「配慮のコスト」の大きさ
も変わってくるのである。(つづく)






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〔関連情報〕

『『障害者の経済学』(中島隆信/著)』
〔2011-05-14 21:46〕





==============================





>「銀座にあるレストランで食事をしようとした際、予告なしに
車椅子で来店したことを理由に入店を断られたというできごと
があった。
そのあと同氏がこれを「銀座の屈辱」だとしてツイッターで店名
を出して非難したことからフォロワーを中心に話が広がり、
ちょっとした騒動に発展した。」



実際は、乙武氏は、店主の言葉に対して

「屈辱を受けた。許せない」

と感じたことが、乙武氏をこれほどの怒りに導いた事件だった。

「言った、言わなかった」

の騒ぎにもなっていた。
当然、店主のほうが悪い。

しかし、この事件をきっかけにして

「本当のバリアフリーとは何か?」

ということについて、考えさせられる社会問題にまで、
発展していった。

「心のバリアフリー」とは、また別にして考えるべき事例だろう。

原因は店主の言葉遣いにあったのだから、
この事件をきっかけに、素直に反省すべきなのである。


乙武氏騒動に関して、私が出した一応の結論は下の記事だ。




『車椅子障害者の入店をお断りしたレストラン
 -私はこう思う(1/2)』

〔2013-06-10 18:00〕



『車椅子障害者の入店をお断りしたレストラン
 -私はこう思う(2/2)』

〔2013-06-10 18:15〕




〔参考情報〕

Eテレ『バリバラ』
テーマ;外国人スペシャル
外国人が見たニッポンのバリアフリー
〔4月19日(日)夜7:00~ O.A.
再放送 4月23日(金)0:00~(木曜深夜)〕





ところで、障害者への配慮とは何だろうか。

「『同等』『同質』の配慮をする(努力)義務がある」

ということだ。
障害者の場合は必ずしも、健常者と全く同じ配慮を求めて
いるのではない。

「いや、それでは困る」

という場合だって、実際に数多く存在しているのだ。

配慮とは「形式的平等」ではなく「実質的平等」であることが
問われている。

例えば聴覚障害者の場合、会社でも朝礼に参加させて
いるところもあれば、参加させていないところもある。
この場合に差別があるとすれば、誰もが「参加させなかった」
ほうだと思うだろう。

しかし、実質的平等を問うとき、聴覚障害者をただ参加させた
だけでは、平等とは言えないのである。
通訳や情報保障などを用意しなかったら、平等になったとは
言えない。
つまりここでも、合理的配慮を欠くことによる「間接差別」が
問題となるのである。

しかし残念ながら、その意味を勘違いしている企業、健常者が、
まだまだ非常に多い。
日本政府は2014年1月に、国として国連・障害者権利条約
を批准した。
だが「その努力はまだまだ足らない」というほかにないであろう。



>「稼働率が低くなる理由は、身体障害者があまり町を出歩か
ないからであり、出歩かない理由はバリアフリー化が進んで
いないからだ。」



稼働率が低くなってしまう理由は勿論、これだけではない。
例えば、障害者の今の経済力もある。
障害者の雇用率の低さに現れているように、働く機会が
著しく損なわれていたり、働けても収入格差がある状態だと、
利用者は減るであろう。
つまり、中島氏が『障害者の経済学』を著したように、
社会全体に広がっている、無数の差別と格差が、最終的に
障害者を排除した社会にも、ツケとしてきているのだ。

当ブログのカテゴリ『就労前の聴覚障害者問題A』には、
障害者雇用枠の求人票を多数載せてある。
ここでは聴覚障害者が就労可能でありそうな企業から
チョイスしたが、車椅子障害者等、他の障害者も応募したい
と思っても、【障害者設備状況】を見て、結局諦めてしまう人
は多いだろう。
ここでも、バリアフリーが進んでいないことが最大要因として、
就労機会と経済力の制限に関係していることがわかる。



>「配慮のコストを高くしているのはJRに加え神奈川県民の
バリアフリーに対する意識の低さなのである。」


言っちゃったねぇ、これ。
マイノリティの障害者は、神奈川県民を敵に回してまで、
これを言えない。
言ったら、袋叩きに遭うだろうから。
結果、障害者は我慢していて、
出歩くこともできなくなっているわけだ。


>「レストランが入店を拒否した理由は、乙武氏が車椅子
利用者であることを告げずに予約していたため、その場で
同氏を車椅子ごと抱えて階段を上がるために店の人員を
割けなかったこととされている。」



実際は「車椅子ごと」を要望したのではなく

「乙武氏だけを階上まで運んでほしい」

という要望だった。

「彼女はホールスタッフの男性にこちらの事情を伝え、
階下で待つ僕の体だけを店内まで抱えてもらうことが
できないかと頼んでくれた。」

『乙武氏がレストランで入店拒否されたことで…。』
〔2013-05-21 23:08〕

より引用。)



>「身体障害者へのサービスを優先させ、その間、
フロアのサービスが止まったとしても構わない、
それで料理の出るのが遅くなってもいいと思う客が
多ければ、店主は車椅子を上げることに何のためらい
もなかったはずだ。」


実際には、そういう議論をして決めるわけには
いかないはずだ。
この店は食べログなどで一定の評価を得ていて、
それを見て来店している客が多いはずだ。
一定水準以上のサービス、料理を提供しなければ、
店の評判は一気に落ちてしまい、死活問題となる
だろう。

ただ、外国の例で、似たようなことで実験した結果
がある。
ダウン症の障害者をスーパーで働かせてみた実験だ。


『『あなたならどうする? ~スーパーの障害者差別~』』
〔2014-12-13 18:30〕




障害者雇用に協力的な人もいるが、中にはそうでない
人もいる。
そういう人が、世の中にはいるものだ。
実際は、ほとんどの健常者は、傍観者だろう。

そこで論点になるのは

「『障害者の経済学」の観点で、障害者を働かせたことが
問題だったのか?」

それとも

「それにそこまで文句を言う健常者のほうが、
問題なのか?」

ということだろう。

文句を言う健常者の気持ちも、全く理解できないわけではない。
もし、障害者がやると仕事が本当に遅いのならば。
いや、店員が障害者であると、ないとに関わらず、
少なくとも“こういう人”ならば、店員の仕事ぶりが遅ければ、
誰だって文句を言いたくなるだろう。

ではこの問題は、障害が原因ではないというのだろうか。

『ジャッキー・ロビンソン・デー』では、肌の色が違うという理由
だけで差別が行われていた。


『『ジャッキー・ロビンソン・デー』』
〔2015-04-23 19:00〕



この場合は、平等に能力を競わせることによって解決できる。

ところが、障害者問題の場合は、そう簡単にはいかない。
健常者が「ハンディキャップ」と呼ぶものが存在するからだ。
このハンディがある限り、同じ条件で競わせても、
公平・平等な競争にはなりっこない。

では、だからといって、障害者にハンディを埋める福祉的支援
を公費派遣でして、そして競争させれば、今度はそれに不満を
持つ健常者もいるだろう。
企業で働く聴覚障害者に情報保障がないのも、
この理由がありそうだ。
しかしだからといって、このまま放置していては、聴覚障害者は
向上することが難しい。

結局、どちらを取ったほうが社会全体の利益につながるのかが、
焦点になると思われるのだが。

残念ながら、そこもまだ、日本は冷静になって考えるまでに
いたっていない。
その結果が、障害者使い捨て雇用を延々と続けることによる、
助成金繰り返し受給なのだろう。

企業は

「仕事を任せられる障害者がいないから」

と言っているが、実態を暴露するなら、それは全面的に正しい
わけではない。
企業は、助成金受給がやめられない、いわゆる“助成金中毒者”
になっているのだ。
こっちの金食い虫のほうが、もっと問題ではないだろうか。



『助成金が社会を腐らせる』
〔2015-03-01 18:30〕




『障害者雇用ビジネスは存在するか?』
〔2015-04-11 18:30〕

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by bunbun6610 | 2015-05-01 18:30 | 障害者の経済学

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20150407/Credo_9701.html



ももクロの事件から学ぶ
アメリカの差別観



Credo 2015年4月7日 05時00分
(2015年4月9日 08時18分 更新)



ヘイトスピーチや移民問題が話題となる昨今、多くのメディア
で差別をどう考えるべきかという問題が提起されています。
そうしたなかで、日本においても人種問題に絡む事件が立て
続けに起きました。

1つは曽野綾子氏の産経新聞のコラム。
このことについては先日、Credoにおいても筆者が取り上げ
記事にしました。
(参考:『曽野綾子の「居住区だけは分けた方がいい」と語る
コラムは何がいけなかったのか?』)

もう1つがラッツアンドスターとももいろクローバーZによる
黒塗りメイクが問題となった件。

これらの事件では何が問題かきちんとした議論が行われない
まま事態が忘れ去られてしまいました。
しかし、この両者に関しては欧米の差別観が根底にあります。
これらの事件をアメリカ文化研究の視点から振り返って考え
ればより深い視座が得られるはず。
この記事では、上述の黒塗り事件をアメリカ文化研究の視点
から考えなおします。

また、本記事は『アメリカ音楽史』(2011年 講談社選書メチエ)
でサントリー学芸賞を受賞するなどアメリカのポピュラー音楽
に詳しい慶應義塾大学教授大和田俊之先生に取材し、
アメリカポピュラー音楽の歴史からラッツアンドスターの表現
について考えるとともに、日本できちんと人種問題を考える
ための考え方を提示します。


黒塗りメイク騒動の経緯

まずは2月にあった事件がどういったものだったのか振り返って
みましょう。
2月12日、ラッツアンドスターのメンバー佐藤善雄がTwitterに、
ももいろクローバーZのメンバーとおなじみの黒塗りのメイクを
した写真をアップしました。

現在は削除されていますが、この写真は3月7日に放送予定
だった「ミュージックフェア」(フジテレビ系列)の収録時のもの。

これを見たニューヨーク・タイムズの記者田淵広子が自身の
Twitterで引用し、なぜ日本人は人種問題に無頓着であるの
かと疑義を呈しました。
このツイートが海外のユーザーの目にも触れ、黒人差別に
あたるのではないかという疑問の声が上がります。

こうした意見もあってかTV放映時には問題となった黒塗りでの
パフォーマンスのシーンはカットされていましたが、この件は
ニュースサイト等で大きく取り上げられ注目を集めました。

この問題の背後にある人種問題やラッツアンドスターの黒塗り
メイクの歴史性について理解していなければ、フジテレビの
反応は過剰な自主規制のようにすら見えてしまいます。

しかし、アメリカのポピュラー音楽、黒人奴隷と人種差別、
そして日本とアメリカの文化的差異をきちんと学べば
これらの事件についてまた違った印象をもつはず。

次節では、その前提となるアメリカのエンターテインメントと
差別の歴史について確認します。


ミンストレル・ショーとはなにか

白人が黒塗りのメイクをして舞台に立つブラックフェイスの
伝統ははるか昔にさかのぼります。

例えば、シェイクスピアの演劇『オセロ』では黒人を表すために
ブラックフェイスの登場人物が出てきますが、この当時はまだ
ブラックフェイスには差別的なニュアンスは含まれていません
でした。
ブラックフェイスに差別的なニュアンスが加わったのは19世紀
奴隷制下のアメリカでミンストレル・ショーと呼ばれる見世物が
広まった後です。
ミンストレル・ショーでは、黒人に扮した白人たちが大げさな
仕草で黒人へのステレオタイプに基づくキャラクターを演じる
芝居や踊りを披露していました。
このショーの中で障害者を真似た動きをするジム・クロウという
黒人のキャラクターが作られたという都市伝説もあり、アメリカ
ではブラックフェイス=ミンストレル・ショー=黒人を笑い者に
したというイメージが一般的に了解されています。

ミンストレル・ショー自体は1910年代には衰退しましたが、
その後もブラックフェイスはアメリカでも残り、1960年代に
公民権運動が高まるまでは芸能の中で当然のように使われ
続けました。


黒人音楽の流れを汲むラッツアンドスター

さて、こうした背景とラッツアンドスターのメイクはどの程度
関係していたのでしょうか。
ここで注意したいのはラッツアンドスターこそ日本で最も
黒人音楽に造詣が深いミュージシャンであったということです。

鈴木雅之や佐藤善雄らラッツアンドスターのメンバーたちは
本場アメリカのリズムアンドブルースやソウルに強いあこがれ
を持っていました。
(R&Bもソウルも一般的に黒人音楽に分類されます)

こうしたあこがれをもつ仲間たちが、黒人歌唱グループの
数人でアカペラで歌う歌唱法(ドゥーワップ)を踏襲したスタイル
のグループを結成します。
そして、その過程で彼らは黒塗りメイクを取り入れ、それが
ラッツアンドスターが黒人音楽に深く根ざしていることを示す
アイコンとして広く認識されるようになりました。
ラッツアンドスターは洋楽への造詣が深い大瀧詠一や
山下達郎とも親交があり、日本にブラック・ミュージックを輸入
した一人として高い評価を受けています。


「日本で最も黒人音楽に造詣の深いミュージシャン」という
評価を受ける彼らだからこそ、彼らのメイクにはブラックフェイス
やミンストレル・ショーの歴史につながる歴史性が読み取れる
のです。


黒塗り事件の底にある2つの問題

ではこれまで述べてきた背景を前提として今回の事件を
再度振り返ってみましょう。
今回の事件を考えるにあたっては2つの次元で問題を考え
なおさないといけないとポピュラー音楽に詳しい大和田先生
は指摘します。

「この件に関しては2つの次元で問題を整理しないといけません。

(1)「ミンストレル・ショーとはなにか?」という2015年の時点
での学術的な問い

(2)「2015年にラッツアンドスターとももクロが黒塗りをしても
問題ないのか」という政治的な問い

まず、(1)について。
1970年ごろからミンストレル・ショーは差別の構造をもって
いたということがアメリカ文化研究の世界で指摘され始めます。
そうしたなかで1990年ごろになってミンストレル・ショーのなか
にも「差別」という構造を前提に、より繊細な感情、たとえば黒人
に対する憧れや性的なコンプレックス、さらには敬意のような
感情を見出し、それを強調するような研究も出てきています。

でも、それはあくまで70年代の研究の大枠を受け継いだ上で、
個別の事例においてリスペクトやあこがれがあったという話。
それは差別という構造の下で個別に抽出される感情の話で
あって、学会全体のコンセンサスとして“ミンストレル・ショーは
差別的なものであった”というテーゼは覆っていません。

そうした前提の下で次に考えないといけないのは(2)について。
現実問題として、現在のアメリカのエンタメ業界ではブラック
フェイスは禁じられています。
それは1950年代、公民権運動の中でNAACP(全米黒人地位
向上協会)の運動の成果によって黒塗りが差別的だと批判
されるようになったから。
それに加えて、1980年代以降多文化主義という考え方が
広まって異なる文化を尊重しようという流れが文化の領域
でも広まったのが決定的です。

ラッツアンドスターが毎日テレビに出ていた1980年代には
日本とアメリカの間のタイムラグのためにアメリカの事情に
気づかなかったのでしょう。

しかし、インターネットが広まってアメリカにも彼らの姿が
すぐに伝わるような時代になった以上、こうしたことに無頓着
ではいられません。
2015年現在の学会全体の枠組みや現実の政治問題に照ら
しても黒塗りは差別的だと捉えられるのはしょうがないと
思います」。


意図と受け手の問題は別

この問題を受けてラッツアンドスターは黒人へのリスペクト
への表明をしているに過ぎず差別的と断じるのは行き過ぎ
ではないかという反論もありました。

しかし、そうした反論は通用しないと大和田先生は言います。

「確かに1980年代にラッツアンドスターが渡米したときに、
最初は黒塗りが差別的だと嫌がられたけれども、だんだんと
話を続けていくうちにアメリカ人とも打ち解けられたという話は
あります。
しかし、それは個別の人間関係において理解してもらえたと
いう話であって差別という社会的な構造の話とは別です。

当然、ラッツアンドスターをよく知る僕ら日本人は差別の意図
はないのは知っています。

でも、彼らのあこがれやリスペクト、つまり表現者の意図と受け手
がどう思うかというのは別の話です。

これまで述べてきたような文脈が成立し、かつ、現在もアメリカ
のエンターテインメント業界で「黒塗り」が差別的な表現として
みなされている以上、どう考えていようと彼らのメイクはアメリカ
では“差別的なブラックフェイス”を再生産していると受け止められ
てしまいます。

このように、アメリカやヨーロッパのような人種間や階級間の
大きな文化的差異がある社会では“そのつもりはなかったんだ”
という論法は通じません。

文化的基盤が全く違う相手と共存していく社会で重要になるのは、
“差別”という形式を満たすかどうか、結果的にどうなったかという
ことなんです。

僕はそれがまったき他者と共存していく中でアメリカが出した
1つの解答なんだと思っています
」。


議論のプロセスにこそ意味がある

これまで述べてきたようにラッツアンドスターはアメリカの文脈
に多くを負っている以上、彼らの意図がどうであれ、黒塗りを
するというパフォーマンス自体が歴史的に見て差別的と受け
止められてもしょうがないでしょう。

しかし、今回の事件に関する議論の中で重要なのは個別の
事例を差別的だと断じることよりも、歴史的に差別がどう定義
されてきたかという政治的なプロセスを振り返ることだ
と大和田
先生は語ります。

「先日のシャルリエブドの件もそうですが、今回の件も表現の
自由と危ういところで結びつきます。
フランスの場合は人種表象と表現の自由の間で、表現の自由の
フランスにおける歴史性が勝ってシャルリエブドのような表現も
許容されてきました。
しかし、アメリカでは表現の自由より人種間対立を乗り越える
政治的な判断の方が勝った。

何が正しいかではなく、その時にコンセンサスを得たのはどちら
かというのが大事なんです。

“なにをもって差別的とみなすか”というのはその時々のコンセン
サスによって形作られるもの。

極端に言えばこれは言説闘争なんです。

異なる文化を持つ他者がいる社会においてはどの時代にも
通じるコンセンサスを作るということができない。

だから、アメリカ人には意見を言って権利を勝ち取っていくという
意識が非常に強い。


今回の件で学ぶことがあるのならば、一時的に決まったことを
大事にするんじゃなくて、物事が議論の中で決まっていくプロセス
を大事にすること。

“これが差別”という唯一絶対の解答はなくて、これまで行われて
きた議論の上に立つこと。将来的に黒塗りに対する解釈は変わる
可能性があるにしろ、これまで先人の積み重ねてきたプロセスを
考えると現在では黒塗りはできないのだということを理解してほしい
ですね」。

大和田先生の言うように、差別を定義する上で「完全で普遍的な
基準」はない以上、「過去のことを知る」という人文科学的なプロセス
で改めて差別を考えるのが今求められていることなのです。
[参考文献]




==========================





アメリカやヨーロッパのような人種間や階級間の
大きな文化的差異がある社会では“そのつもりはなかったんだ”
という論法は通じません。

文化的基盤が全く違う相手と共存していく社会で重要になるのは、
“差別”という形式を満たすかどうか、結果的にどうなったかという
ことなんです。




この話が出たからには当然、あの乙武氏騒動も思い出すものだ。


『車椅子障害者の入店をお断りした
レストラン -私はこう思う(1/2)』
〔2013-06-10 18:00〕




『車椅子障害者の入店をお断りした
レストラン -私はこう思う(2/2)』
〔2013-06-10 18:15〕





聴覚障害者からも「差別ではないのか」という
指摘が出た事例がある。


『某遊園地での聴覚障害者バリアフリー化
について(朗報)』
〔2014-08-15 08:36〕


※ 東京ドームシティアトラクションズで、
聴覚障害者が(障害を理由に)遊園地の
乗り物搭乗を拒否された問題。



当事者に対する差別になるかどうかは、
差別した側が意図したかどうかが問題なのではなく、
それを受けた側が、どう感じたかが問題になるのである。
そして、それは差別した側の“想像力の欠如”が
露になる時でもある。
だから、それが全く問題にならないほうが、
むしろおかしいと言える。



〔関連記事〕

『差別横断幕:浦和に無観客試合 Jリーグ初の処分』
〔2014-03-13 21:03〕




聴覚障害者への「間接差別」も非常に多いが、
これも健聴者の「無知」「無関心」による差別だ。

無知、無視、無関心が悪いとは、誰も思って
いないだろう。

「『差別』は言い過ぎではないか」

というのが、日本人は当たり前だと思っている。

だが、それでいつまでも無視されてしまって
いる方は、もうたまらないのである。
それを、理解する必要がある。




>「異なる文化を持つ他者がいる社会においてはどの時代にも
通じるコンセンサスを作るということができない。

だから、アメリカ人には意見を言って権利を勝ち取っていくという
意識が非常に強い。





なるほど。
これがADA法(アメリカの障害者差別禁止法)
ができた背景(=全米障害者運動)なのだな。


『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』
(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html



しかし、日本ではそうはいかないだろう。
アメリカやヨーロッパのような、多民族国家では
なかったからだ。
長い間、単一民族国家としての歴史形成が
あるので、その古い考え方を変えていくことは、
容易ではないのではないか。
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by bunbun6610 | 2015-04-09 19:30 | 人権、差別

(続き)

乙武氏に応対した店長は、正確には何と言ったのかは
わからないが、例えばもし

「当店の階段はこの通り、大変狭いところでございます。
また、スタッフの人数も限られており、
ご予約のときにお知らせしていただかなければ、
ご対応が難しい状況でございます。
そのため、車椅子障害者はお断りさせていただきます」


だったとします。
こういった主張が通るならば、車椅子障害者やその人を
同伴する健常者も

「この店には決して行かないほうがいい」

という判断をするかもしれないし、
それが通ることになるかもしれない。
逆差別ではなくて、合理的に。

健常者も障害者も

「店にとっても、そのほうがありがたいことだろう」

と判断するかもしれない。

社会にある「心のバリア」とは、
このようにして、お互いの心の中で
自然発生的に生じる。

こんなことをした店には同情論が
少なくなかったとしても、
店のマイナスイメージは避けられないだろう。

この事件以後、車椅子障害者は利用できない店
として噂が広まる。
店にとっては今後、車椅子障害者の客は
来なくなるだろうから

「むしろそのほうがいい」

と思うだろうか。
客は総体的に減るのではないだろうか。

ほうっておけばいいと思うかもしれないが、
圧倒的多数で強い立場にある健常者が、
少数派の障害者とケンカをしたり無視しても、
お互いにいいことなんかないだろう。

こういう事件を起こせば、障害者と健常者との
間にある溝は、社会にもますます深まることだろう。
それを放置するようでは、こういう店には
国がつくったバリアフリー法や、
社会の障害者への心づかいの意識、
障害者差別禁止法なんかいらない、
ということになる。

この問題が、世の中のバリアフリー論に一石を
投じる事件になったことは間違いない。

果たして、車椅子障害者への配慮というものは、
お金のある大きな会社だけがやればいいという
ものなのだろうか。
そういった疑問が、次々と出てくることだろう。

私は、それは違うと思う。(※5)


(※5)〔参考記事〕当ブログ
『変わらなければいけないのは社会』
〔2012-02-07 22:44〕
 


「間接差別」
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n281/n281019.html




障害者もいろいろなところに自由に、平等に行くことができ、
利用できることが大切だと考える。
それを、誰か個人、一方だけ、一部の人たちだけに押しつけている、
任せている現状がいけないのではないか、と思う。

日本政府は国連・障害者権利条約を本当に批准する気があるのなら、
この点を真剣に考えるべきだ。

「障害者のほうに障害があるから無理」

では、障害者は永遠に諦めなければならない。

ところが健常者に便利なものは、次々と世の中に出てくるのだから、
格差は広まるばかりだ。

それを是正する一つの方法が、国会で議論される
『障害者差別解消法案』なのだが、法案の名前もその中身も、
障害者よりも民間企業への配慮が濃厚だと言われている。(※6)


(※6)〔参考〕
『障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律案(障害者差別解消法)についての見解』
〔2013-05-30 12:52:50〕



『障害者差別推進法案、5月29日の衆議院内閣委員会の速記録』
〔2013-05-31 08:47:54 〕
 




障害者に対する差別のほかに、
障害者虐待防止法』という法律もある。
これは、民間企業に対しては適用外なのだろうか。


この法律には、例えば

「障害者に対する著しい暴言、著しく拒絶的な対応
又は不当な差別的言動その他の障害者に著しい
心理的外傷を与える言動を行うこと。」

という文言がある。

イタリアン・レストランの事例でも、
乙武氏に精神的苦痛を与えるような
コミュニケーションがあったことは事実である。
となるとこれは、本当ならば『障害者虐待防止法』に
適用されるだろう。

DV(暴言や無視なども含む、という)や女性差別発言などと同じだ。

もし適用外ならば、おかしい。


今国会で成立の見通しが高い『障害者差別解消法案』も、
このレベルの法律にとどまってしまうだろう。
当然、民間企業においての問題は解決されないことになる。
障害者自身が身を削って、問題点を告発して改善を促していくより、
他に方法がない。


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このように小さなお店でも、車椅子を昇降させるリフトを
設置しているケースもある。
障害者だけでなく、車椅子の高齢者も使える。

不特定多数の客が入る店舗の場合、
建物の設計段階からエレベーター設置や、
階段にこのような設計を義務づける建築物のバリアフリー法が
必要なのではないだろうか。
それは回転ドア事故の教訓と同じように、本来、
国が率先してやらなければならないと思う。
法律だけでなく、小さなお店には資金面でも支援する
補助金制度が必要だろう。
個人やお店の意識だけに頼るのでは無理がある。



=================================



他にもある障害者からの「ヘンではないのか?」
という噂



東京ドームシティアトラクションズは
「全ての人が楽しめる場所ではない」
のだという。

なぜかというと

「聴覚障害者も、ほぼ全ての乗り物に健全な
介護者を付ける必要がある、という決まりがある」

のだという。

聴覚障害者の場合は「要付添」でなく「条件付」と
なっている遊戯施設も多いが、
「条件」とは一体何だろうか?


今までこのような話は、私は聞いたことがない。
どこの、どの遊戯施設でも、今までは自由に乗っていました。

だったら、障害者であることを隠して乗ってしまえば
いいじゃないか。
でもそれでは万一、後で予想外の重大問題が起きたらどうする?

果たして、こんな例が全国的にあるのだろうか?

さらに

東京ドームシティアトラクションズのホームページを
見て、問い合わせをしようと思っても電話番号しかなく、
聴覚障害者が連絡できる手段(FAXやメール)もない」

という。

結局、聴覚障害者に付される「条件」とは何なのかも、
さっぱりわからないのだ。



====================================


お体の不自由な方のご利用について


「東京ドームシティ アトラクションズでは、
お体などにハンディキャップをお持ちの方にも
安全に安心してお楽しみいただくために、
アトラクションごとに利用制限を設けています。
※ご不明な点がございましたら、下記までお問い合わせください。
 東京ドームシティ アトランションズ TEL 03-3817-6001 」

====================================



確かに、電話番号しか載っていない…。


====================================


「※「要付添」のアトラクションは、お付き添いが必要な方
  1名に対し、付添者1名の同乗をお願いします。

※付添者とは、精神的・身体的に健康で、各種規定を
 クリアしている中学生以上の方となります。
 (介助のできる方)」


====================================




「でも、聴覚障害者は大丈夫だろう」と思って
行っても、遊園地側には細かな規定があるため、
実際には乗れない乗り物もある、
というわけだ。

さて、これは聴覚障害者バリアなのか、
それとも合理的安全配慮なのだろうか。

あるいは

「●×▲□……」

という発想なのだろうか。

参考に西武遊園地のホームページを調べてみたら、
障害別の細かい規定はないようです。


≪遊園地一覧≫
http://kozaru98.fc2web.com/kouen/mokuteki/yuenti_temapaku.htm

≪西武遊園地≫
http://www.seibuen-yuuenchi.jp/index.html



【終わりに】
今回もいつものように長いだけの、
まとまりのない文章になってしまいましたが、
お店をされている方にはバリアフリーと
コミュニケーションの両方の勉強が必要、
と思える事件だったと思います。

障害者もまだまだ、社会に出て働いている人は
決して多くはなく、社会経験が少ない(かなりの制限がある)
場合も多くて、健常者への理解不足があるかもしれません。
民間の飲食店で、健常者と一緒に働けた障害者など、
少ないのですから、その事情を知らない場合が多い
と思います。

解決には障害者の社会参加促進と
バリアフリーの両方が必要だとも感じます。

健常者の中には

「心のバリアフリー」

とか言って、
障害者問題をうやむやにしてしまう人もいます。
しかし、私は

「何になるの? それって」

って思います。
これについては、また後で書くことにします。



====================================



【追記】(2014年8月15日)
8月13日に、東京ドームシティアトラクションズへヒアリングに行った。
詳細は、下記記事をご覧下さい。



『某遊園地での聴覚障害者バリアフリー化について(朗報)』
〔2014-08-15 08:36〕

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by bunbun6610 | 2013-06-10 18:15 | バリア&バリアフリー

車椅子障害者の入店をお断りしたレストラン -私はこう思う



〔関連記事〕当ブログ

『乙武氏がレストランで入店拒否されたことで…。』
〔2013-05-21 23:08〕



『乙武氏がレストランで入店拒否されたことで…。【情報追加】』
[ 2013-05-23 23:30 ]



『乙武洋匡氏の「入店拒否」で波紋』
[ 2013-05-24 22:49 ]



『乙武さんの責任と心のバリアフリー』
[ 2013-05-25 00:31 ]



『乙武・店主のやりとりは水掛け論。第三者が論じるのは無意味』
[ 2013-05-25 00:38 ]



『ツイッタートレンド「イタリアン入店拒否」TOPに!』
[ 2013-05-25 07:28 ]




『乙武洋匡氏『車椅子入店拒否“銀座の屈辱事件”の大波紋』』
〔2013-06-07 00:03〕





「…車椅子の彼女はひたすら恐縮していた。
『すみません。すみません。すみません。もういいですから』。
彼女の言った一字一句は覚えていないが、
『これ以上皆さんにご迷惑をおかけしたくない。
私さえあきらめればいいのですから』
というニュアンスが感じられた。
私は思わず怒った。
『なんでそこまで皆に謝る必要があるの?
バスの機械が壊れているだけよ。
謝る必要ないよ!』
私の頭からは湯気が立ち上っていたに違いない。」

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』
(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
「訳者(秋山愛子)あとがき」より。


読者の皆さんも、考えてみて下さい。
この出来事の意味を。
健常者にはわからないであろう、
この障害者心理というのを、
どれだけの人がご存知だろうか。

これも

「言わない障害者のほうが悪い」

で片づけられてしまう問題なのだろうか。




5月下旬、乙武氏がツイッターで発した一言が波紋を広げ、
大騒動に発展した。

その騒動のなかに乙武氏は自身のオフィシャルブログで

『イタリアン入店拒否について』

を載せ、事態はさらに大きくなっていたようです。

ツイッターの原文
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65747814.html 参照)
を読むと、後になって乙武氏と店の双方が謝罪している
様子が見え「双方はすでに和解した」ように思えた。

しかしその後、乙武氏は自身のブログで

『イタリアン入店拒否』

という記事を発表していて、その内容を見るや

「これでは本当の和解にはなっていない」

と感じる。
むしろ、乙武氏のこうした行為は「火に油を注ぐ」事態に
なってしまった。

だが乙武氏は

「考えを変えてもらうつもりはない」

と述べているように、彼自身の本当の意図は別にある
ような気がします。

障害者問題がわからないで乙武氏を批判している人たちに
釈明なんかしたって、相手にはわかるわけがない。

そもそも「歩み寄り」は、そうやってするものではないだろう。

ところが、批判派の多くは、そう考えていると思う。


それでも、乙武氏はあえて、ああいう記事を投稿しているのだから、
批判派の単純すぎる見方とは別の意図があることは明らかだ。


ともかく、この問題の発端は乙武氏にあった。

最初のツイッターで乙武氏は
予約して出かけたはずのレストランに

「入店拒否された」

と思っています。
その後も『イタリアン入店拒否』という言葉を変えていません。

しかし、その後に出てくる、他からの情報からわかってくのは、
拒否とは言いがたいのではないか、
という論争にも発展しています。

店には、お断りするのもやむを得なかったと言える、
正当な理由があったのだ。

この店には、従業員がシェフと1、2人の店員しかいないらしい。
接客をする人は店員(1人か、2人なのかよくわからないが)
だけしかいないらしい。
乙武氏を抱え上げて、あの狭い階段を昇り降りするのは
危険だと思う。

無理を承知ですれば事故が起きる可能性も大だ。
もしも乙武氏に、さらに店主あるいは店員も怪我をするような
ことがあれば、店だってどうなるか。
営業できなくなることは必至だろう。

それでなくとも、店主や店員の心身にはかなりの疲労が
蓄積してしまうだろう。
その疲労は料理人ならば料理の味、接客係ならばサービス
の質とスピードへも影響するのは必至である。


私は飲食業界で長く働いた経験があるので、
そういうことも容易にわかる。
飲食店で働くことの過酷さを知らない一般客は、
接客業といえども、彼らがどんなに大変な仕事を
していることか知らないのだろう。(※1)
だから軽々しく「車椅子障害者を拒否した」という
言い方をする人もいるのかもしれない。


(※1)〔参考情報〕
http://anond.hatelabo.jp/20130519044709



よって、その時点までは、店も乙武氏も悪くはない、
と私は思うのである。


ここまでならば、障害者のほうだって「入店拒否」
とは捉えず、「事情でお断りされることになった」
と解釈しただろう。


しかし、批判派に多かった見方の一つが

「予約のときに車椅子障害者であることを
伝えていなかった乙武氏が悪い」

というもの。
本当にそうだろうか。


私の論も強引なほうだから、あまり強くは言えませんが、
バリアフリーやアクセシビリティというものの、
本来の考え方をよくみてほしい。

車椅子障害者の例ではありませんが、
例えば、障害者団体の講演会などへ行くと、
会場の最前列に手話通訳者やパソコン文字通訳の
スクリーンを見かけることがあるだろう。

そこに、それを利用する聴覚障害者の席も、
予め準備されています。
その席を見ると、最後まで誰もいない場合もあります。
障害者専用の駐車場と同じ状況です。

ではいったい、その席や、通訳者、パソコン文字通訳の設備は、
どうして準備されているのか、健常者はわかりますか?

主宰者によっては、聴覚障害者がそれを利用したい場合は、
参加申込みのときに、必要な情報保障(手話通訳または要約筆記等)
も併せて伝える、というルールを採用しているところもあります。

健常者ならば、後者のほうがいい、と思う方が圧倒的支持でしょう。

ではなぜ、障害者団体ではそうしないで、
前者の方法を採用するところもあるのでしょうか。

私では力不足というか、正しく説明できないかもしれませんので、
これを本当に知りたい、と思う方はDPI日本会議や
東京大学教授の福島智氏へ聞いてみるとよい、と思います。
理由はちゃんとあるのです。

そういうことで、バリアフリーやアクセシビリティの
本来の考え方までは、健常者はまだ知らない方が
ほとんどなのではないだろうか、と思います。

健常者の場合は、わざわざ何も用意や配慮をしなくても、
困ることはありません。
だから

「障害者って、来ると面倒だな」

と思う方もいるかもしれません。
別に思っていたらいたで、その気持ちはこちらにも
読めますから、隠してもウソをついても、
言い訳をしてもムダだと思いますけどね。


話を戻します。

「予約のときに車椅子障害者であることを
伝えていなかった乙武氏が悪い」

これは当然だ、と思っている健常者がいます。

しかし、障害者の側から見てみますと、
このいつでもどこでも自由に利用できる健常者とは違い、
車椅子障害者との間に差があることは事実です。

つまり、誰もが平等に利用できるわけではない、
ということです。
方法の違いではなくて「対等」ではないということが
差別になるということだ。

バリアフリーも、全てのところで理想通りにとはいかないものだが、
健常者との間には差があることは事実なのです。

これは障害者だって心を持っている人間なのであるから、
対等に扱われていないと感じれば、差別と思ったりするのは
当たり前だろう。

健常者のほうはそれでも不自由していないから、
わからないだけだ。

そういう「鈍感」「無知」「無関心」は果たして、
正当な拒否理由になるのだろうか。

これを障害者にだけ我慢しろ、と言うのならば、
障害者問題はいつまでたっても解決しない。

とはいえ、この事例は、店主が「乙武氏の要望を
聞き入れたい」と思っても、
非常に大きなリスクを伴うので、
お断りすることも視野に入れるのはやむを得ない、
と思います。

一方、乙武氏のほうでは「それはそうだろう」とは思いながらも、
このときばかりは何とか入れないものだろうか、
という気持ちも強かったようです。

批判派の一部の人が言うような

「店の障害者に対する良心を試すような行為」

ではなく、ごく自然な、人間らしい気持ちからだと思う。
ワガママに聞こえるとは思っても、
人間同士のコミュニケーションなのだから、
そういうことも当然ある。
それは想定内の出来事だと思う。
それがわかるのは、もっと後になってからだ。

ここで、読者にも聞いてみよう。

「予約のときに車椅子障害者であることを
伝えていなかった乙武氏が悪い」

――健常者は

「こう言う場合も正当である。
当然」

だと思っている。

しかし、言われた障害者からすれば、どんな気持ちになるかを、
考えたことがあるだろうか。

たしかに、障害者のほうにも至らなさはあったのかもしれない。
そういう考え方もある。
でも「悪い」は間違っている。

店は明らかに客である乙武氏に対して

「予約のときに車椅子障害者であることを伝えない客が非常識」

とでも言いたいようなコミュニケーションのしかただった。
このような考え方が伝わってしまうことで、
そんな拙いコミュニケーションのしかたで、
健常者と障害者の関係に溝が出来てしまうのだろう。

ここまでわかってくれば、もう乙武氏が
『イタリアン入店拒否について』を書いた理由も
わかってくるだろう。

乙武氏が納得できていないのは、
店主のコミュニケーションに、である。

私もこれを読む限り、到底納得できないし、
乙武氏が怒るのも無理はない、と思う。

これでは「(正当な)お断り」ではなくて「拒否」と
受け止めるのも無理もない。

店主もツイッターで「(自分の)無礼」と書いているように、
事後になってそれを認めている。

http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65747814.html

もし私だったら、レストランで不快な思いをしたならば、
それをブログに出来るだけ詳細に書くだろう。

あまりにひどいと思えば、店名を書く場合もありえるだろう。

今は、それがいいとか悪いとかばかりで、
障害者問題に関しては、いつもうやむやにされて
しまう世の中だ。

私ならば店主を殴っていたかもしれない。
これは暴力沙汰になっていたとしても、
おかしくはなかった、というわけだ。

少なくとも、障害者である、ないとに関わらず、
不快な思い、許せないと思ったならば、
誰だって怒りたくもなる。

そして、いつも障害者の側が黙って引き下がる
だけのケースが何と多いことか。

怒りに任せて手を出せば、こっちが犯罪者になるだけだ。
だから私は、ブログに暴露するのだ。

障害のある人も、ない人も、
まず同じ人間であることには変わりないのに、
健常者は障害者に我慢を強いるだけで、
社会にある不平等は一向に是正されない。

なのに、批判派のなかにはそれに無理解で

「車椅子障害者が予約のときに障害のことを
伝えていれば、この問題は起きなかった」

と、この一点ばかり主張している。
果たしてそうだろうか。


もしも人格的欠陥のある店長だったら、
そうでなくてもやりかねなかったかもしれない。

だからこの場合、障害者差別とコミュニケーション問題とを、
最初は切り離して考えたほうが、わかりやすかったと思う。
(とはいえ、これはれっきとした障害者問題でもある)

このコミュニケーションの取り方が原因で結局、
乙武氏は「拒否」と感じたのだろう。
私もそう思う。
あんな言い方は、どこにもないだろう。

店主の「忙しいから無理」という事情説明は
確かに理解はするが、客に言う言葉としては適切なのか。

あまりの忙しさでイラついていたのだろうが、
それは店側の都合であって、
あんなふうに客に不快な思いをさせていいわけがない。
日本の飲食業界は大体そうだが、
ブラック・レストランだから、そんな劣悪な労働環境
だったのではないだろうか。
となれば当然、経営者にも責任が伴う。

車椅子障害者、あるいは他の障害者であっても、
聞いたらどんな気持ちになるかを、想像しただろうか。

私なら憤慨する。
なぜなら、障害を持つ立場の人間として聞いたら

「障害者の面倒を見るのは、
ヒマな時ならやってあげてもいいですよ」

とでも言いたげな態度じゃないか、
というふうに聞こえるからである。


店主のツイッターでの発言は以下の通りとなっている。


「事前に事情がわかっていれば入り口に近い
お席にご案内して入店のストレスを軽減したり、
ほかのお客様の入店時間をずらしてスタッフが
ご案内できる余裕を持たしたり対応させて
いただきました。

本日は他のお客様のご案内が立て続いて
おりまして乙武様には大変ご無礼でしたが」


「ご案内が困難と判断しお断りさせていただきました。
お気分をがいされたと思いますが申し訳ありませんでした。

もし次回タイミングが合いましたら
是非宜しくお願いいたします。」


この「次回タイミングが合いましたら」

電話予約のときに車椅子障害者だと伝えるだけでなく、
という条件付きで入店を認める、という発言も、
私ならばガッカリしてしまう。
「この店のスタイル」とは、要するに障害者だとこうなる、
ということなのだろう。

こんな店では客が聴覚障害者だったら、
接客係からサービスを受けるときに、
メニューの説明とかで筆談を頼むが、
これも「忙しから無理」と言われかねないだろう。


たとえ、本人はそんなつもりで言ったのではないとしても、
障害者には気分を害することは必至だ。

他の健常者の予約客は忙しくても対応しているのに、
車椅子障害者には予約済みであったにもかかわらず、
拒否されるとは…。
これでは、健常者が優先だと感じる…。

それだけではなく、後になって次第に

「予約のときに車椅子障害者であることを
伝えていただかないと…」

というふうに、客に文句を言い出す店主なんて
聞いたことがない。

このいい加減な対応は一体何事なんだ?
客が障害者だからか?

たとえ、店主にそのつもりはなかったとしても、
障害者がそう感じたのは事実なのだということを、
レストランやホテルなど、接客業で働く全ての人は、
この事例から理解しなくてはならない。

店主の言っていることは結局

「もし乙武氏に障害がなかったら、
こんなことは起きていなかった」

と言っているのに等しい。
なぜならば、店主の言っていることは、
相手の障害に起因する発言ばかりだからだ。

こういう人間は、東北の被災者にだって

「津波がなければ、こんなことにはならなかったのにね」

とか言うだろう。
だがその言葉は被災者には

「人災ではなくて、天災だったから、仕方がない」

という意味に聞こえるはずだ。
それと、障害者問題も似ている。

でもこの問題の原因は、津波でも障害でもなく、
その人とのコミュニケーションであり、
その動機が問題なのだ。

そこを取り違えてはならない。

障害に無関心な人間を除いて

「乙武氏に障害がなけりゃ、
こんなことにはならなかった」

とでも言いたいような態度をされて、
不快にならない人間(障害者やその関係者)
はいないはずだ。

実は、障害も障害者自身の人格を形成している、
一部分なのだから。



30年前に起きた、車椅子障害者を乗せたタクシー事件も、
車椅子障害者拒否ではなかったが、
運転手のコミュニケーションに重大な人権侵害があった。
そのことを今の若い読者は知らないだろう。

このように、障害者が不当な扱いを受けて反発する例は、
イギリスの場合(※2)もそうだが、日本にもある。


(※2)当ブログ
『乙武さんの責任と心のバリアフリー』
[ 2013-05-25 00:31 ]

参照。



一つは、聴覚障害者がバイクを無免許運転して逮捕、
裁判で争った事件。(※3)

もう一つは車椅子障害者が国鉄の電車に乗車しようとして、
ホームまで自力で集団突入しようとした事件です。(※4)


(※3)
http://takenokomiyagi.fc2web.com/education8.htm


http://www.dpi-japan.org/friend/restrict/shiryo/menkyo/track50.pdf



(※4)
http://sashimie-wakuwaku.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_84d4.html




こういう障害者は、健常者から見れば不良障害者、
犯罪者としてしか見られていないかもしれません。

しかし、実はこうした障害者の勇気ある行動がきっかけで、
今では聴覚障害者の多くが運転免許を取得できるようになったし、
車椅子障害者のための駅などでのバリアフリーも進んだのです。
地方ではまだまだなのかもしれませんが、
関東では、あちこちでエレベーターが設置されているでしょう。


イタリアン・レストランの件を見ると、
店長は

「今日はお断りせざるをえなかった」

と思っているだけだろうが、
客側としてはそれだけだったとは思っていない。

そのコミュニケーションの仕方を直してもらわないと、
二度と訪れたくない店だと思う。
もちろん、店にだって

「二度と来ないでほしい」

と言う権利はあるが。



忙しい合間でイライラしたのだとは思うが、
それでも店長は、どうしてこんなにレベルの低い
コミュニケーションの取り方をしたのだろうか、
と思う。
単純に考えれば、人格が問題だということだろうが。

でもそれだけでなく、比べるのは酷なことだが、
これがもし格式の高いホテルやレストランだったならば、
責任者はこのようなコミュニケーションはまずしない。

それくらい、この店長にはコミュニケーション力(スキル)
がなかった、ということなのだろう。

乙武氏と一緒に行くはずだった女性が泣きながら店を出てきた、
という様子に、
ただ事ではないことがすぐに理解できる。
客側にそんな思いをさせてしまう店とは、
どんな店なのかと思う。

さらに、いったんは乙武氏を抱え上げることを
オーケーしているというのに、迎えに来たはずの店長が、
障害者に文句を言い出すというのは…。
接客のプロたる人間が、こんな不器用なコミュニケーションを
するというのは、聞いたことがない。

「できない」のならば「できない」と、
なぜ店長は最初からハッキリと、
丁寧にお断りしなかったのだろうか。
そこが残念だったと思う。



〔参考〕
車椅子障害者の(乗車や入店など)拒否には、
次のような事例があることがわかる。

(1)車椅子障害者を相手にしない、完全無視する方法。

当ブログ
『ADAと『障害者の経済学』』
〔2011-10-29 21:36〕

参照。


(2)直接拒否はしないが、車椅子障害者に諦めてもらいたくて、
   悪あがきのような嫌がらせをする方法。

当ブログ
『ツイッタートレンド「イタリアン入店拒否」TOPに!』
[ 2013-05-25 07:28 ]

(タクシー運転手の嫌がらせ発言行為)
参照。


(3)直接拒否はしないが、ナンタラカンタラの言い訳をして、
   最終的には拒否する方法。
   二枚舌を使って、本心をごまかすタイプ。




今後、他にも新種の「合理的配慮の合理的な拒否理由」が
出てくるかもしれない。
悪質クレーマーが進歩しているように、障害者拒否者も、
いろいろな拒否理由を編み出すかもしれません。

(続く)
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by bunbun6610 | 2013-06-10 18:00 | バリア&バリアフリー

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130606/Asagei_13976.html?_p=2

===================================


乙武洋匡
「車椅子入店拒否“銀座の屈辱事件”
の大波紋」


アサ芸プラス 2013年6月6日 10時00分 (2013年6月6日 23時09分 更新)


「五体不満足」などの著作で知られる乙武洋匡(ひろただ)氏(37)が

「車椅子のため入店拒否された」

と有名イタリアンをネット上で名指し批判。
その波紋は広がるばかりで‥‥。

「お騒がせしてすいません。
今は乙武さんとは和解し、わだかまりもありません。

騒動については、今後は当店の課題としてはもちろん、
お客様と飲食店のあり方を考えていただくキッカケに
なればと思っています」

 そう話すのは、くだんの東京・銀座のイタリア料理店店主。

古い雑居ビルの2階で席数は12。
店員2人で切り盛りする小さな店だが、グルメサイトでも
高評価を得ている人気店だ。

 乙武氏のツイッターによれば、コトの発端は、5月18日。

知人女性と夕食を楽しもうと同店を予約し訪れた乙武氏が、
店のある2階にエレベーターが止まらない仕組みになって
いるため、店側に相談。
すると店主に

「車椅子なら、事前に言っておくのが常識」

「他のお客の迷惑になる」

「これがうちのスタイル」

などと告げられ、入店を拒否されたというのだ。

しかも〈銀座での屈辱〉という言葉とともに、
店の実名も公開。
フォロワー数約61万人というだけに、

ネット上では〈店が100%悪い〉

〈有名人に店名まで公表されたら店潰すよ?と
言われているようなもの〉

などの声が飛び交い、賛否両論の嵐となった。

くだんのイタリア料理店には連日無言電話が相次いだという。
 多くの企業研修を行い、マナー問題に詳しい
株式会社ミントス代表の大石敏夫氏はこう話す。

「マナーという観点では

『相手に対してどんな気持ちで接するか』

が基本。
一流のサービスとは『安心感』やスタッフの
『チームワーク』の他、『平等感』『思いやり』が
重要なので、その点、お店側のマナーはよくはなかった。

ただ、マナーはコミュニケーション。
乙武さんも予約時に自分の状態をしっかり伝えなかった
ことはコミュニケーション不足だったと思います」


 一方、乙武氏と同じく両手両足が不自由で電動車椅子を
使用し、この件を自身のブログで言及しているお笑い芸人
のホーキング青山はこう話す。


「お互い少々ヒートアップしすぎたんじゃないですか。
ただ、まだまだ障害者は世間で受け入れられてなく、
交通機関等はバリアフリーになってきたけど、
店舗などはまだまだ障害者を想定した造りじゃない。

だから事前問い合わせをしておいたほうが円滑に
コトが進むというのは自分の経験からも確かだと思う。

オレはもともと両足が左右に開いていて、
建物の間口が広めじゃないと厳しいから、
自分の身を守るために事前に電話確認している。

もっとも、健常者は問い合わせの必要がないのに
障害者にかぎり常識とするのは、どうしても『排除された』
という印象を持ってしまうのもしかたがないと思う」


提出中の障害者差別解消法案に関し、
国会でも話題に上ったこの騒動。
乙武氏の行動は、今後にどう生かされていくのか。



====================================





乙武氏のように断られたことがない健常者は、
このレストランに入ってみて、
どう感じたのか?
参考となる情報があった。


小鳥ピヨピヨ
『あの「Trattoria Ganzo」に行ってきた』
〔2013/06/04〕

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by bunbun6610 | 2013-06-07 00:03 | バリア&バリアフリー

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997



「『障害者に対する差別や偏見をなくそう』という言葉が
ありますけど、僕は三十六年間生きてきて、
差別や偏見ってあまり感じたことがないんです。
それは僕がすごく恵まれているか、ものすごく鈍感なだけ
かもしれないですけどね。

ただ、街中を歩いていると、小学校に入るか入らないくらい
の子が僕を見て、『なんだあれ?』『気持ち悪い』と言われる
ことはあります。
それって自然な反応だと思うんですよ。
見たことのない、得体のしれないものを目の当たりにしたとき
に思わず身構えてしまう。
それって偏見ではなく、“本能”だと思うんです。」


=============================



>「僕は三十六年間生きてきて、
差別や偏見ってあまり感じたことがないんです。
それは僕がすごく恵まれているか、ものすごく鈍感なだけ
かもしれないですけどね。」



私も

「乙武氏の場合はそうなのだろう」

と思います。

差別をあまり感じたことがない、というのは、
主に直接差別のことを言っているのだと思います。

では間接差別のほうはどうなのだろうか。
障害者本人でさえ、よく気づいていない場合さえあります。
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by bunbun6610 | 2013-05-27 18:00 | だいじょうぶ3組

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997




「ひさしぶりに二十七名全員が顔をそろえた五年三組。
二時間目の授業は、道徳だった。
白石が子どもたちに配る紙には、一篇の詩が書かれていた。

『わたしと……小鳥と……すずと? へんな題名!』

配られたプリントを手にした陽介が、思わず素直な感想をもらす。

『これはね、金子みすゞさんという人が書いた詩なんだけど、
まずは最初にみんなで声に出して読んでみようか』

赤尾の合図で、子どもたちがタイミングを合わせて口を開く。


わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


子どもたちが最後まで読み終えると、赤尾はすばやく
つぎの指示を出した。

『じゃあ、今度はそれぞれ声を出さずに読んでみよう。
そして、読み終わったら、この詩のなかで作者がいちばん
伝えたいことが書かれていると思う一行に、線を引いてごらん』

見てまわると、ほとんどの子が同じところに鉛筆で印をつけている。

『そうだね。
先生も、金子みすゞさんは、最後の
『みんなちがって、みんないい』
ということを伝えたかったんじゃないかと思う。
じゃあさ、みずゞさんは、『何が』ちがっていてもいいよ、
と言っているのかな?』

赤尾の問いかけに、慎吾が『顔!』と答えると、
『そんなのあたりまえだろ!』とすかざず陽介からツッコミが入る。
ようやく復活した掛け合いに、クラスがひさしぶりにわいた。
ひとしきり笑いがおさまった頃、京子があらためて手をあげた。

『みんなの……いいところ?』

『うん。たしかにみんなのいいところ、得意なところは
ちがっていていい。
でも、それだけかな。
もう一度、この詩をよく読んで、みずゞさんが伝えたかったことを
考えてみよう』

しばらくすると、分析力にすぐれた公彦の手があがった。

『できないこと、苦手なこと?』

公彦の言うとおり、この詩をじっくりと読みとっていくと、
『空をとべない』
『地面をはやく走れない』
『きれいな音がでない』
『たくさんのうたは知らない』
と、そこには“できないこと”ばかりがならんでいることに気づく。

『みんなには、それぞれ、『できること、できないこと』、
『得意なこと、不得意なこと』がある。
それはあたりまえのことで、そんなことで友達を
うらやましがったり、自分にがっかりする必要なんてない。
自分には、自分なりのよさがある』

『先生、それ“個性”っていうんだよね』

陽介の言葉に、赤尾が深くうなずく。」



===============================





赤尾先生(乙武氏)は、
このように言っています。

けれども実際には、
自分の持っている障害を、
個性と捉えるのか、そうではないのかは、
その人により、違います。

障害を個性と捉える障害者には他にも、
たとえばろう者(Deaf)の人にいたりします。(※1)


(※1)詳細は、当ブログ

『米国・ギャローデット大学でのろう運動』
〔2013-03-05 18:00〕
『ろうは文化 障害ではない』
参照。


「ギャローデット大学の巨漢でカナダ出身のフットボール選手、
ジョン・リムニディスは、映画『愛は静けさの中に』で端役を
演じたこともあるろう者だが、こう言う。

『耳が聴こえないことは障害ではありません。
むしろ文化です。
手話は別の言語です。
私は、耳が聴こえないことを誇りに思っています。
もし万が一耳が聴こえるようになる薬があっても、
決して飲まないでしょうね。
決して、決してね。
死ぬまで絶対飲みませんよ』」



ろう者は耳が聴こえないことを、別に障害だとは思っていません。
彼らは自分たちのことを

「『ろう者』(Deaf)という種族」

なのだと思っているようです。

ただし聴覚障害者だからといって、
全ての聴覚障害者がろう者(Deaf)なのではなく、
難聴者や中途失聴者もいます。

その人たちのなかには、聴覚障害を個性と捉えることができず、
障害は障害以外の何ものでもない、と考える人もいます。
私もそうなのですから、こういうブログを書いているのです。

だから

「全ての聴覚障害者がこのように考えている」

と思い込む読者がいるとすれば、
それは大きな間違いです。

ある健聴者からは

「『聴覚障害者は…』と言って書くのが良くない。
『自分は…』と書け」

という批判を受けました。

しかし「自分は…」という言葉で書いて、
聴覚障害者の立場の意志が伝わるとは
思えませんでした。
だいいち、私だって聴覚障害者なのです。


本当のことを言うと、健聴者たちが勝手につくった
「聴覚障害者」という用語は、
そこに包括されてしまっている、
さまざまな耳の障害を持つ人たちの個性をも、
そして本当に必要とされる合理的配慮さえも、
見失う用語なのだと思います。(※2)


(※2)詳細は当ブログ

『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕

『聴覚障害者』の定義に関する共同声明(1989年)』
〔2011-03-31 23:19〕
参照。




一方、「全聾の作曲家」と言われる佐村河内守氏は、
自著にこう述べています。(※3)


(※3)『交響曲第一番』(佐村河内守/著 講談社/発行所)

「私には夢があります。
もし何らかの奇跡が起こり、聴力が甦り、
発作も消えうせたときには、迷わず筆を折り、
作曲家以外の道を選ぶことでしょう。

裏を返すならこの淡い夢は、愛する音楽と
引きかえにできるほど、いまの精神的・肉体的苦痛が
耐えがたいことを表しているのかもしれません。」



この対比には、驚く人もいるかもしれません。

耳が聴こえないということだけではありませんが、
聴力が甦ることを夢と思っている彼は、
自分の宿命に誇りを持つことができているでしょうか。


中途失聴者になってもあえて手話を学ばず、
人工内耳装用を受け、長いリハビリに努力する
聴覚障害者もいます。


聴覚障害者=ろう者 とは限りません。

聴覚障害者の言語=手話 とは限りません。

聴覚障害=個性 とは限りません。


自分の個性は、その人自身が決めるものだと思う。
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by bunbun6610 | 2013-05-26 18:30 | だいじょうぶ3組

http://www.best-worst.net/news_aFZYjiLBjS.html

『乙武洋匡氏「イタリアン入店拒否」で釈明記事をブログにアップ!
-ツイッタートレンド「イタリアン入店拒否」TOPに!
炎上に燃料投下か!?』
2013年5月22日 14:00


■とにかくネット炎上は黙っていることが一番
ネットの炎上を鎮静化させる方法はとにかく情報を一切
出さないこと。
経緯説明や釈明を行わないことだろう。

過去のいくつかのネット炎上を見ているとその思いが強くなる。

2013年5月21日、乙武洋匡氏が自身のブログに
「イタリアン入店拒否について」とする記事を掲載した。

これは、乙武洋匡氏が予約した東京・銀座のイタリアン
レストランに車いすを理由に断られたということに端を
発する騒動である。

事前に予約を入れておく時点で知らせるのが常識である
と店側が指摘しているのだ。

この対応に対し乙武氏は店名を上げて批判。
それが乙武氏に対する批判を呼び炎上となった。

今回、乙武氏は、レストラン側とのやりとりの詳細をブログ
に掲載し、経緯を説明しているというわけだ。

■炎上は沈静化するのか?
この件では乙武氏が入店を拒否され、その店名を公開
したという時点で大きな話題となった。

「2ちゃんねる」では関連スレッドが立ち、事前に「車いす」
であることを説明していなかった乙武洋匡氏に対する
批判が巻き起こり炎上状態となっていた。

同スレッドは5月21日現在Part28まで進んでいる。

更に、今回のブログに掲載した経緯説明により新たな
スレッドが立ち、ニュース系勢いランキングのTOPに立った。

新たな釈明は燃料投下にしかならないのである。

■ツイッタートレンドでもTOPに!
ツイッタートレンドでも「イタリアン入店拒否」がTOPに浮上した。

乙武洋匡氏の釈明に対しどのような意見が見られるのであろうか?

いわゆる「乙武洋匡銀座イタリアン入店拒否問題」だけど、
知的障害者施設だからという理由で某ディズニーランド
オフィシャルホテルに宿泊を拒否されたり、スーパーからも
入店を拒否された経験を持つ者としては乙武氏に与するね。

乙武氏「イタリアン入店拒否について」 同伴女性が泣いた
ので私怨で店名を晒したことを認め、店を批判
http://gahalog.2chblog.jp/archives/52195171.html …

キチンと自分を省みれる乙武さんかっこいい。
>イタリアン入店拒否について(乙武洋匡) - BLOGOS(ブロゴス)
http://blogos.com/article/62738/

乙武氏の「イタリアン入店拒否」 http://ototake.com/mail/307/  
よくある話、有名人だから問題になった。
この論争の顛末や真偽、善悪は当事者の問題で触らなくていい
と思うけど、「大事なのはお互いの配慮」という教訓だけは、
心にとどめておきたいものだ

事前に知らせることは常識か否かの問題だったのですね
(始めからそうじゃね?)
>イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト
http://ototake.com/mail/307

トレンドに「イタリアン入店拒否」ってあるけど、たぶん乙武さんの
例の話だよね。
あれは、絶対に乙武さんに落ち度があるよ。
障害者だからすべての人が味方してくれるわけじゃないし、
車いす持ち上げてって言っても乙武さんのは電動だから重いはず! 
無理でしょう!! 
人の善意を試すことはどうなの?

正直どっちもどっちだけれど、店主も外に出てきてなんだかんだ
言う時間があったのなら、その時間の間に抱えていけたのではない
かとも思う。
しかし私の職業柄、この店の対応はありえないとも思う。

twitterへ行こうぜ……久しぶりに…………キレちまったよ……
/ “イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト”
http://htn.to/6XENYa

「イタリアン入店拒否について」http://ototake.com/mail/307/
 あくまでも私の価値観ですが、完全に乙氏の負け。
事前に車いすの事を連絡しなかった落ち度と、店主の拒絶を
障害者差別と結び付けて泣くような頭が悪く冷静さを欠く友人が
同行したってことがアウトでしょ。

んー!嘘をついて居るのは店主か、乙武さんか、どちらかだけど、
メディアの怖さを知ってる乙武さんが真実っぽいね
RT “@BurnNews: イタリアン入店拒否について | 乙武洋匡オフィシャルサイト
http://bit.ly/16HAF3F #enjo”

「イタリアン入店拒否について」http://blogos.com/article/62738/
 ようするに「むかつく態度をとった店を晒しあげた」だけで、
障碍とか弱者とかあんまし関係ない。


今回の釈明に納得する人もいないではない。

しかし、最初から結論が決まっている人にとっては釈明や経緯説明など
あまり意味が無いのである。

ネットに問題を持ち込まず当事者同士で解決するのがベストだったの
はないだろうか。




===================================





あえてツイッターやブログにこの問題を語るのは、
いかにも乙武さんらしいと思う。

しかし、この世間の大騒ぎは、一部の人たちによる
障害者問題への勝手な解釈で、核心部分から
大いに離れてしまい、一人歩きしてしまっている
ように思える。

このような障害者問題は、今までにもずいぶんと
あったはずだ。(※)


(※)もう30年も前の話ですが、
ある車椅子障害者とその友人が、
タクシーには一緒に乗車できたが、
その運転手のコミュニケーションの、
あまりのひどさに怒り、
目撃証人である友人が新聞に内容を投稿した。

読者からは

「これはもはや、犯罪だ」

と。

それで警察で捜査するということになったが、
情報不足で運転手は見つけられなかった、
という。

その新聞で何度か、この問題が取り上げられていました。





それが今回は、今までのような無関心で放置される
のではなかったというのは、いい方向でもあるという
ことなのだろう。

それは乙武さんでなければ、できなかったかもしれない。


それにしても、炎上したツイッターやブログを読んでいると本当に、
橋下さんの

「日本人の読解力不足」

という言葉が、思い出されるものです。

こういう人たちって、一日中、自分の言いたいことばっかし
言っている人なんだろうな。

何て不毛な人たちなんだろう。
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by bunbun6610 | 2013-05-25 07:28 | バリア&バリアフリー

http://kasakoblog.exblog.jp/20531470


『乙武・店主のやりとりは水掛け論。
第三者が論じるのは無意味』


(2013年 05月 22日)


乙武氏と店主とのやりとりについて、
乙武氏が言っていることが本当なのか、
店主が言っていることが本当なのか、
そこに未だにこだわっている人がいるが、
それは無意味なのでやめた方がいい。

だって水掛け論でしょ。
「両者に取材して何と言ったか真相を暴け!」
と言う人もいるけど、そんなの無理だから。
現場に居合わせなければ、後から本人に聞いても真実はわからない。
どちらかが嘘をついているかもしれないし、
両方が嘘をついているかもしれない。
故意であろうとなかろうと。

本人だって詳細に記憶を覚えているとは言い難い。
お互いいいように改変している可能性もある。
偽造されていないと確証が持てる、
録音データなり動画データなりの客観的証拠ない限り、
言った言わない論争を当事者に聞くだけで調べてもわからないし、
第三者が推測でああだこうだ言っても、意味がない。

そもそもこのやりとりの部分については、
今回の問題の本筋ではない。
なぜなら、このような不幸な行き違いが生まれた原因は、
乙武氏がたった一言、車椅子で行きますと言わなかったことにあるからだ。
それさえいえば、お互い後味の悪い思いしなかったですよねと。
ただそれだけの話なんです。
なんも難しい話じゃない。

ただ私が「店主に話を聞いた」というのを、
誤解して捉えている人が一部にいる。
店主に話を聞いたのに、乙武氏に話を聞いていないから、
店に肩入れした記事を書いているのではないか、という人が何人かいた。

私は店主に話を聞き、店主はその日のやりとりを語ってくれたが、
そのことはブログには書いていない。
理由は3つ。

1:店主が乙武氏とはネット上で和解しているので、
書かないでほしいといったこと。
(そう思っていただけで、翌日乙武氏は謝罪のふりした、
自己援護記事を書いているので、和解はしていなかったのだが)

2:店主の言っていることが本当なのか確かめようがないこと。

3:どう対応したかが今回の本筋ではないこと。

あくまで現場に行ったのはバリアフリーではないビルの構造確認が主。
でも確認に行ったら店主がたまたま店にいたので、
それならと思って話を聞いただけに過ぎない。

店主に話を聞いたから店を擁護しているわけではなく、
店主に話を聞く前から、乙武氏が事前に言うべきだ、
というスタンスは変わっていない。
ただ現場のビルの構造を見て、よりその思いが強化されただけの話。
さすがにこのビルの造りじゃ、
いくらなんでもいきなり運べというのは無理でしょと。

それと中立な記事を書くべきという指摘もあったが、
中立の記事なんてあり得ない。
誰か人間が書く以上、何かしらのバイアスがかかっている。
メディアに中立を求めるから、メディアに騙される。

また大手メディアのように、さも中立を気取って、
こっちも悪いですけど、あっちも悪いですし、難しい問題ですね、
みたいなどっちつかずの中途半端な記事を個人ブログで書いても意味がない。

今回の件について個人ブログなのに両者の批判を恐れて、
中立気取って、毒にも薬にもならない、
どうでもいいコメンテーターずらした記事を時々見るけど、
ああいうの見ると情けないなと思う。
読者に嫌われたくないけど、話題になっていることを書けば、
アクセスかせげるみたいな、小賢しさが感じられる。
で、あなたの意見は何なんですか?と。

だから私の記事は中立ではないし、
はじめから乙武氏が事前に一言言わないのが悪い、
という主張は変わっていない。

未だに乙武氏と店主のやりとりを問題にするのは不毛だと思う。
その場で撮った録音データでも出てくれば、
それは議論の余地がわかるかもしれないが、
第三者がああだこうだいってもそれはすべて推測にしか過ぎない。

今は巧妙な狂言だってあるし、
それを見抜くのはかなり難しい。
録音データだって改ざんは容易だし、
以前、大手メディアがやったようにでっち上げた捏造テープを流し、
サラ金を一方的に叩いた挙句、
実は後日、裁判で「それはサラ金とは関係ない」とわかったこともある。

※マスコミ捏造のアイフル脅迫テープ
http://kasakoblog.exblog.jp/12002446/

水掛け論の真偽はまずわからないし、
今回についての論点はそこではないことを、
あらめて記しておきたい。

・乙武氏ツイートの銀座の店に行き、店主に取材しました
http://kasakoblog.exblog.jp/20523301/

・弱者を気取った強者=車椅子の王様・乙武氏の横暴極まれり
http://kasakoblog.exblog.jp/20514356/

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by bunbun6610 | 2013-05-25 00:38 | バリア&バリアフリー

http://kimumasa2012london.blog.fc2.com/blog-entry-266.html

『木村正人のロンドンでつぶやいたろう』より。


『乙武さんの責任と心のバリアフリー』

(2013年5月21日)


予約していた人気レストランで入店を拒否された
乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さん(37)が
レストラン名を入れて「銀座での屈辱」とツイート
したことをきっかけに、「レストランの対応が悪い」
「いや、障害を告げずに予約した乙武さんが
常識はずれ」と大論争が起きている。


ロンドンのバリアフリー度

東京都は2020年五輪・パラリンピックを招致している。
今やパラリンピックは五輪以上の意義を持つ。
12年にパラリンピックを大成功させたロンドンの
バリアフリー度が気になって、調べてみた。

僕は、パラリンピックで金メダル11個を獲得した
車いすの英国人女性タニー・グレイ=トムプソンさん(43)
が大好きだ。
昨年、ロンドン・パラリンピックの聖火リレーに参加したときは、
ひと目見ようと応援にはせ参じた。

地下鉄ウエストミンスター駅近くで、鉄柵を自分で
押しのけている姿を見たときは、その力強さに感激した。

タニーさんが娘を身ごもったとき、見知らぬ人に

「障害者は子供を生むべきではない」

という言葉を投げつけられたという。

ロンドン・パラリンピックで「ディスエーブル(障害)」に対する
理解は一段と深まったが、まだまだ障害は残っている。

今年3月、午後11時前にタニーさんが帰宅すると、
エレベーターが故障していた。

タニーさんの自宅は5階。

故障は昨年7月に引っ越してから6度目だった。

エレベーター管理会社に電子メールを送っても返事がない。


階段120段をはい登る

通りがかる人もなく、他の住民を起こすわけにもいかず、
タニーさんは重さ6キロ以上もする車いすを引きずって
階段を120段のぼって自宅にたどり着いた。

車いす生活を余儀なくされてからというもの、タニーさんは
父親に

「人生は常にアクセス可能なわけではない。
自分で乗り越えなさい」

と言われて育った。

タニーさんはエレベーターが故障するたび、車いすを引きずって
階段を上がっていた。

何度、苦情を言っても管理会社が対応を改めないため、
ついにツイッターで怒りをぶちまけた。

「エレベーターがきちんと動くように要求するのは
悪いことではないでしょう」

とタニーさんは英メディアに語っている。

タニーさんは車掌さんを呼んでも誰も来てくれないため、
車いすを列車から放り投げて、自分で飛び降りたことがある。

障害者用トイレがない列車もある。

スーパー・ディスエーブルのタニーさんだからこそ障害は
乗り越えられるが、他の障害者はタニーさんのようにはいかない。

タニーさんは他の障害者の気持ちを代弁しようと、
ひどい目に会うたびメディアに告発している。

障害に対するバリアが少しでもなくなればと願ってのことだ。

タニーさんほどの有名人になると、行きつけのレストランや
店はネット上で話題になる。店にとってはバリアフリーが
大きな「売り」になるというわけだ。


心のバリアフリー

昨年、ロンドンから列車で2時間弱のパラリンピック発祥の地、
ストーク・マンデビル病院を訪れたとき、隣接するスタジアムで
車いすのアスリートたちと健常者、子供が一緒にスポーツを
楽しんでいた。


英国の車いす団体ホイール・パワーのマーティン・マクエルハトンさん
(木村正人撮影)

車いす団体ホイール・パワーのマーティン・マクエルハトンさんは

「子供たちが車いすの人たちと同じ場所でスポーツを
楽しめるようにしています。
何の垣根も存在しない心のバリアフリーが子供のころから
自然に育まれるようにという願いを込めています」

と話してくれた。

「ディスエーブルの人は助けを必要とするときがありますが、
それは健常者でも同じでしょう」

というマクエルハトンさんに、今回のレストラン入店拒否事件に
ついて電話で尋ねてみた。

「状況が詳細にわからないのではっきりしたことは言えないが」

と前置きした上で、マクエルハトンさんは

「障害者が利用できるようにビルが設計されておらず、
介助の訓練を受けたスタッフがいない場合、車いすの
障害者への対応は極めて難しいでしょう」

と指摘する。

「ロンドンでも古いビルや小さなビルは障害者用のアクセスが
確保されているわけではありません。
事情は東京でも同じでしょう。
私がロンドンに行く場合、事前にスロープや障害者用トイレの
有無を調べて、アクセスが十分に確保されていなければ
別のレストランを予約するようにしています」

ディスエーブルの責任

これをマクエルハトンさんは

「ディスエーブルの責任」

と表現した。

「レストランはすべて障害者にとってアクセス可能と
ふるまうことは傲慢ととられるかもしれない。
介助の訓練を受けていない人が運搬中に障害者を落とせば、
訴訟沙汰になる恐れもある。
彼のキャンペーンはそうしたことへの恐れを広げることに
なるかもしれない。
僕なら介助に慣れた友人と一緒に行っただろう」

英国では、役所や図書館、大学など公共施設は平等法で
障害者用スロープやリフトの設置が義務付けられている。

マクエルハトンさんらはアクセス可能な劇場、映画館、
レストランの数をさらに増やすよう働きかけている。

「インターネットで障害者がアクセス可能なレストランを
紹介するなどのサービスも役に立ったかもしれない。
(乙武さんに)ツイッターのフォロワーが60万人もいるなら、
バリアフリーを社会的な重要人物に求めることもできたでしょう」

バリアフリーは社会全体で取り組むもので、
十分な施設やスタッフが整っていない個人のレストランに
それを求めるのは難しいというのがマクエルハトンさんの
考え方だ。

「五体不満足」の乙武さんがどこにでも行けると思えるほど、
日本のアクセサビリティは進んでいたのだろうか。

今回の事件では、乙武さんも事前に障害者であることを
伝えなかった非を詫び、双方が和解している。


パラリンピック効果

マクエルハトンさんは

「東京が五輪とパラリンピックの招致に成功すれば、
ディスエーブルへの理解が広がり、施設面でも心の面でも
バリアフリーは進むでしょう。
それが一番ポジティブなキャンペーンになります」

と応援する。

車いすのバスケット日本代表主将だったアスリート
ネットワークの根木慎志理事も僕の国際電話に

「ロンドン・パラリンピックでパラリンピアンの露出度が増え、
バリアフリーの意識改革は随分と進みました。
東京への招致が成功して実際にパラリンピックを見れば、
議論も盛り上がると思います」

と声を弾ませた。

今回の事件が、ディスエーブルへの偏見を広げるのではなく、
理解を深めるきっかけになってくれればと願っている。

最後に、僕が尊敬するスーパー・ディスエーブルの女性を紹介して、
締めくくりたいと思う。


ミラクル・レディー

足が不自由な人でも歩けるようになる最先端のロボット・スーツを
身に着けて、12年ロンドン・マラソンを16日間かけて完走した
クレア・ロマスさん(33)。

07年の馬術大会で木にぶつかって落馬し、胸から下が完全に麻痺。
医師は

「もう歩けない」

と冷たく宣告した。
恋人はクレアさんに興味を示さなくなり、3年続いた関係に
終止符が打たれた。

親友が申し込んでくれたデート・サイトに

「今は車いすに乗っていますが、昔はスカイダイビングや
乗馬をやっていました」

と自己紹介し、元気なころの写真を添付した。
すぐにメールを送ってきてくれたのが現在の夫ダンさんだった。

クレアさんは身体障害者スキーを始め、スキー旅行でダンさんから
結婚を申し込まれる。

クレアさんは新しい命を宿していた。長女を出産したとき、
クレアさんは自分の体に奇跡を感じた。

ロボット・スーツが実用化されたのを知ったクレアさんは

「ロンドン・マラソンを歩くことはできるかもしれない」

と決意した。
ロボット・スーツは4万3千ポンド(約673万円)もする。
かつての乗馬仲間はセミヌードのカレンダーを制作。
販売代金をクレアさんに寄付した。

ロボット・スーツはバランスを移せばセンサーが作動して
片方ずつ足が前に進む仕組みになっている。
ロンドン・マラソンではダンさんが後ろから補助した。

今、パリからロンドンまで643キロメートルを自転車で
走破する壮大な計画を立てている。
クレアさんは筋肉の動きでペダルを動かす自転車の
猛特訓中だ。

素晴らしき哉、人生!

(おわり)

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by bunbun6610 | 2013-05-25 00:31 | バリア&バリアフリー