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『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(2/2)

『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(1/2)



「友情は、この世で最も説明しづらいものだな。
それは学校で教えてくれるものじゃない。
でもその意味を知らなければ、
実際何ひとつ知らないのと同じだよ。」(P180)

「ジョー・ルイスの生きざまを見ろよ。
もし彼が悪い奴だったら、
悪い奴として名を残しているはずだろ。
ところが、みんなジョーを愛していた。
黒人だけでなくミシシッピの白人労働者までもが
ジョーを愛していた。
みんな泣いていたよ。
それを見ればわかるだろう。
ハワード・ヒューズは億万長者だったが、
あいつが死んでも誰も涙を流さなかった。
でも、ジョー・ルイスが死んだら、
みんな声を上げて泣いたんだ。」(P183)

ジョー・ルイス…黒人ではジャック・ジョンソン以来、史上2番目の世界ヘビー級チャンピオン。親しみやすいキャラクターで、人種を問わず愛された。

「俺には世界一の親友がいるんだ。
ハワード・ビンガムだよ。
彼は何も求めない奴さ。
誰かが彼を必要とするときに、
いつもそこにいてくれるんだ。
彼みたいな奴は一人もいないよ。
彼は最高の奴さ。」(P184)

「バンディーニは街頭詩人であり、アリが絶えず利用した活力のもとであり、ぴったり自分の意味になるように、そしてアリに理解できるように、みごとに言葉を組み合わせた奴だった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」これもバンディーニだ。彼はよくこう言ってたよ。アリとその仲間は、小麦粉、卵、砂糖で作られているケーキみたいなもので、自分は、つまりバンディーニはナツメグで、それにちょっぴり余分の風味を添えるんだとね。ときどきあることだったが、彼が酔っ払っているときは、問題があったかもしれんが、しらふのときは、彼くらい優しく、いい奴はいなかったよ。」(P191 フェルディー・パチェコ)

※ バンディーニ…ドリュー・ブラウンの愛称。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」は、ドリューが口ぐせのがオリジナル。シュガー・レイ・ロビンソンのスタッフもしていた。アリに苦言を言える人物として、数少ない存在だったという。ただし、数多くの問題を起こした人物だという。
※ フェルディー・パチェコ…アリの担当医。白人。

「みんなはアリが人のためにしたことの半分も知らないのよ。彼はキャンプにスパーリングパートナーを抱えていたんだけど、彼がまずやることは、その相手がちゃんとしていない場合は、お金をあげて、新しい服を買いにやらせることだったわ。一度、目を怪我したスパーリングパートナーがいたけど、世界中のどんなプロボクサーだって、そんなことがあったって、ほっとくはずよ。ところが、アリは彼を病院へ連れて行って、勘定を払い、ちゃんと面倒をみてやったわ。」(P193 ラナ・シャバス)

※ ラナ・シャバス…1962年から引退まで、アリの食事の世話をした女性。ある食堂で働いていた時、アリにスカウトされたのがきっかけ。

「動物たちの世界は平和で穏やかだ。
鳥たちの世界も平和で穏やかだ。
自然界のすべては、
人間を除き、完全にうまくいってるよ。
人間が苦しんでいるのは、
自然や神の掟に逆らった生き方をしてきたからだ。
世界中の憎しみ合いは間違っているよ。
国家なんて忘れることだよ。」(P194)

他人のために何かをするのは、
この地球上に住まわせてもらっている
家賃を払うのと同じことさ。
」(P195)

皮膚の色で人間が悪魔になるわけではない。
大切なのは心で、魂であり、精神なんだ。
」(P196)

「子供というのは、
さまよえる天使なんだ。
子供はとても神に近いんだ。
神のもとを離れてから、
あまり時間がたっていないからな。」(P197)

「俺たち人間どおしに、違いなんかないんだよ。
ヒンドゥー教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、
どんな宗教にも真実はある。
それに、ただのおしゃべりにだってな。
大切な宗教はたったひとつなんだ。
それこそ本物の宗教――愛だよ。
」(P198)



聖書の「神は愛」を思い出す。違う宗教といえども、もともとは同じ神を崇拝していたことは事実だ。


「人間の心ほど偉大なものはない。
何もないんだ。
金のように善良な心を持つ人間がいる。
金は銀よりきれいだが、銀はもっと役に立つ。
それに鉄のように不屈の精神の持ち主もいて、
鉄は頑丈だが溶かすこともできる。
石のようにタフなやつもいるが、石は割れることもある。
紙のような薄っぺらな心のやつは、
まるで凧のように吹き飛ばされちまうが、
それはちっともかまわない。
強い糸がついている限りはね。」(P199)

「我々がロサンゼルスにいたときのことだが、一人のベトナム帰還兵がビルの9階にいたんだ。その男はフラッシュバックを起こしていて、飛び降りそうな気配なんだが、警官は近づくことができないんだ。路上では見物人が「ジャンプ、ジャンプ」と叫んでいたよ。男は泣いていたな。彼はバルコニーにいたんだ。アリが男に近づいて、両手で抱きかかえて、連れ戻した。それから彼は男に服とアパート用にと1800ドルを与え、生きる場を与えてやったよ。」(P200ハワード・ビンガム)

「アリはどんなチャンピオンとも違っていたよ。彼のキャンプは世間に解放されていたんだ。フロイド・パターソンはチャンピオンだったとき、ライフルで武装した護衛付きでトレーニングしていた。ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアーノ、ラリー・ホームズ、彼らはみな他人をシャットアウトしていた。だが、ディア・レイクには誰でもいつでも入っていけたよ。ある日、ハリーラがロープを張ったのを覚えているよ。人々は向こう側でアリに手を振っていてね、アリが彼らに「入って、こっちに来てくれ」と言ったんだ。誰かがロープを指さした。アリは、「誰がそんなものを張ったんだ?」と聞き、ハリーラが「私よ」と言った。そこでアリは彼女に、「そいつを外せ。二度と張るんじゃないぞ」と言ったんだ。まさにそれが彼のやり方だったね。まったく誰でも歓迎だったよ。」(P200~201 ブッカー・ジョンソン)

※ ブッカー・ジョンソン…アリの取り巻き。
※ ロッキー・マルシアーノ…世界ヘビー級王者史上、唯一全勝無敗のまま引退した、イタリア系ボクサー。
※ ラリー・ホームズ…アリの元スパーリング・パートナー。世界ヘビー級王者。
※ディア・レイク…1972年、アリがペンシルバニア州ディア・レイクに開設したトレーニング施設のこと。
※ ハリーラ…アリの2番目の妻。ベリンダ・ボイドのこと。「ハリーラ・アリ」はムスリム名。

「12歳くらいのある少年がいたんだ。その子は地元の病院に入院していて、白血病で死にかけていたんだが、父親と一緒にディア・レイクを訪ねて来たんだ。父親自身はアリが好きじゃなかったんで、そんなことはしたくなかったんだが、息子のたっての願いだったし、息子は死にかけていたんだ。父親が車でやって来たとき、私はたまたまキャンプの前にいた。彼は息子を車に残して、私に近づき、こう言ったよ。「失礼します。こんなお願いできるかどうかわかりませんが、チャンプがこちらでトレーニングしていると聞いたもんですから。チャンプにお願いして、何とか息子に会ってもらうことはできないでしょうか? 息子は白血病で死にかけているんです。医者の話では、もうあまり長くなさそうなんです」。私は「大丈夫、彼は会ってくれますよ」と言った。ところでその少年だが、治療のため髪の毛はなくなり、ひどく痩せて棒みたいだった。いかにも死にそうな感じだったよ。私はドアをノックし、なかに入って、事情を説明した。チャンプは「その子を連れておいで」と言った。彼はその日の午後はずっとその子と話したり、遊んだり、ふざけたりして過ごしたよ。そのあと、少年は病院へ戻って行った。だが、父親があとで私に会いに来てね、ほとんど泣いていたな。彼はこう言ったよ。「実は私はアリが好きでなかったんです。彼のことを知ってからずっと嫌っていたんです。誰かが彼をやっつけて、ぶちのめしてくれればいいといつも思っていたんですよ。だが、彼が私の息子にしてくれたことを私は決して忘れないでしょう。彼はいい人です。彼をあんなふうに思っていたことを申しわけなく思います」。」(P201~202 ラルフ・ソートン)

※ ラルフ・ソートン…ディア・レイクで雇われていた人物。無一文になっていたところでアリに救われ、施設の掃除係を任された。

「50になってもまだ20歳のガキと
同じようなことを言っている奴は、
人生の30年間を無駄に過ごしたってことさ。」(P205)

「年齢は、自分がどう思うかだ。
まだまだ若いと思えばまだ若いし、
もう遅いと思えばもう遅い。」(P206)

「ああ、本当に、俺はこれまで苦しかった。
苦痛を感じるんだ。
これからは新しい生活を送っていきたい。
俺は25年間もボクシングをやってきて、
身体を酷使してきただけなんだ。
それは人間を変えてしまうんだ。
俺も変わってしまった。
俺にはそれがわかるんだ。」(P209)

「俺は世界中を旅してきた。
どこに行っても、人々から何かを学んでくる。
子供を見れば、そんなに昔ではない自分の姿が見える。
老人を見れば、俺が彼らの仲間になるのは
それほど遠くないことだとわかる。
そして考えるんだ。
「俺はもうすでにこの人たちの一員なんだ」ってな。」(P211)

「どうしてこうなったのか、わかってるよ。
神さまがお示しになってるんだ。
俺がただの人間だと。
他のみんなと同じなんだと。
」(P213)
(パーキンソン症候群を患ったことについて、アリ自身が語ったこと)

「俺にとっての最もタフな試合は
ボクシングを引退した後にやってくる。
仲間を助けるという終わりのない戦いだ。」(P216)

「新しいタイプの黒人がどういうものか、
それを世界に証明する必要があったんだ。」(P217)

「俺は自分が最も偉大だと言ったが、
最も頭がいいとは言わなかったぞ。」(P218)

「モハメドはおそらく白人既成勢力と争って生き残ることのできたアメリカ史上最初の黒人でしょう。」(P225 アンドルュー・ヤング)

※ アンドルュー・ヤング…公民権運動家。マーティン・ルーサー・キングの最も親しい協力者のひとりで、南部キリスト教指導者会議(SCLC)の事務局長として活躍した。

「哲学的に言って、アリは自由な人間だった。おそらく史上最高のボクサーであるうえに、彼は自由だった。どんな人間でも自由でいることが歴史的にきわめて難しかった時代に、彼は自由だったのだ。アリはアメリカ史上最初の真に自由な人間のひとりだったよ。」(P226 ビル・ラッセル)

※ ビル・ラッセル…1950年代から1960年代にかけて活躍したバスケットボール選手。同じくNBA選手のカリーム・アブドゥル=ジャンバー、ジム・ブラウン(NFL)、ウィリー・デービス(MLB)らとともに、兵役を拒否するモハメド・アリを支持する、1967年のアスリート・サミットに参加した。

「彼はわが国で非常に敬愛された。スポーツマンとして、ボクサーとして、そしてひとりの人間として。彼の評価は常に高かった。しかし、彼とこんな形で会えるとは、想像したこともなかった。医療援助を携え、わが国の子供たちを励まし、病院を訪問してくれるとは。直接会えてたいへんうれしい。こうして会って、感謝を伝えられて喜んでいる。彼が強いことは見てわかった。またとてもやさしい顔をしているのもわかった。」(P227 フィデル・カストロ)

※ フィデル・カストロ…キューバ国家評議会議長。チェ・ゲバラらとともキューバ革命を成功させた立役者。アメリカの経済制裁を受けて物資に乏しかったキューバに、1996年、アリは50万ドル相当の医療品を持参して彼の地を訪問。カストロ議長と対面した際には、アリは特技の手品を披露。お互いに体を触れ合い、じゃれあったが、アリはカストロを前にして一言も喋らず、終始暖かい眼差しを向けていた。

「逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。最近では、体調を崩されているということを聞いて心配しておりましたが、こうして、かつてのライバルたちを見送ることは非常に辛いものです。あの戦いから今年で40年。6月26日が『世界格闘技の日』と制定された矢先の訃報でしたので残念です。」(P262 アントニオ猪木)

※ アントニオ猪木…アリの「東洋の格闘家で誰か私に挑戦するやつはいないか」の発言で、最初に名乗りを挙げたプロレスラー。力道山の弟子でジャイアント馬場と並び称される名レスラー。

「俺を英雄だと考えた人もいた。
俺がしたことは間違いだと言う人もいた。
だが、俺はすべて自分の良心に従ってやっていたんだ。
俺はリーダーになろうとしたわけじゃないよ。
俺はただ自由になりたかっただけだよ。
俺がやった抵抗は、黒人だけでなく、
すべての人が考えるべき抵抗だったんだ。

黒人だけが徴兵されたわけじゃないからね。
金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く、
というシステムを政府は作っていたんだ。
そして、金持ちの息子が大学を出たあとは、
徴兵年齢がすぎるまで、
軍隊に入らないで済むようなことをしていたよ。
だから、俺がやったことは自分のためだったが、
それはすべての人がやるべき決断だったんだ。
自由とは自分の信念を守ることができるということだが、
また善悪の選択に責任を負うということでもあるんだ。
だから、軍隊に入るかどうか俺が決断を迫られたとき、
俺はベトナムで人々が無益に死んでいるのを知って、
自分が正しいと思うことに従って生きるべきだと考えたんだ。
アメリカにアメリカらしくなってもらいたかったんだよ。

そして、いま、世界中の人々は、俺の信念に関する限り、
俺が自分にとって正しいことをしたと思ってくれているんだよ。」(P264~265)






『踏出力(とうしゅつりょく)』(著者;アントニオ猪木 発行所;創英社/三省堂書店)
より引用。


「更に追い打ちを掛けたのが、モハメド・アリの言葉だった。
「あれ(新日本プロレス『格闘技世界一決定戦』への参戦)はお遊びさ」
それを知った私はモハメド・アリを恨まないわけにはいかなかった。
モハメド・アリを蹴り続けた私の右足は剥離骨折していたが、モハメド・アリも試合直後、ホテルのエレベーターの中で倒れて、帰国後左脚血栓症で1ヵ月入院したのだ。それほど本気で闘ったにも拘らず、そう言ったのだ。
いくらビッグ・マウスとは言え、モハメド・アリの一言は世界中に配信され、影響力が大きい。ただ悔しかった。モハメド・アリへの恨みと、悔しさは長い間ダメージとして残り、モハメド・アリを思い出すたびに、私を苦しめた。
だが、ある時私はモハメド・アリのことを思い出しながら、こう思ったのだった。
私はモハメド・アリを3ラウンドで捕まえられると思っていた。
ところが、15ラウンド使ってもモハメド・アリを捕まえることが出来なかった。あれだけ蹴ったのに、モハメド・アリは最後まで立っていた。私が捕まえられなかったのではなく、モハメド・アリが捕まえさせなかったのだ。私も怖かったが、モハメド・アリも怖かったろう。それでもモハメド・アリは逃げることなく私を終始挑発し続けたのだ。
その時初めて私はモハメド・アリを認めることが出来たのだった。そう思うとモハメド・アリへの怨念は私の中からスーッと消えてなくなって行くようだった。私はこの時モハメド・アリを受け入れたのである。「試合をやれたことが最高。モハメド・アリに感謝しなければ」と思えるようになったのである。
その後、私がロサンゼルスに居を移してモハメド・アリと再会した時、「あんなに怖いことはなかった」とモハメド・アリも率直に語ってくれたのだった。
モハメド・アリ戦は私に多くのものを残してくれた。
モハメド・アリとの前哨戦で生じた心の葛藤は、人間的な成長をもたらしてくれたし、目前の敵との戦いは自分との闘いであることを私の中でより明確にしてくれた。モハメド・アリと闘った男として、世界的に知られるようにもなった。そしてモハメド・アリとの友情も手にすることとなった。」(P150~151)

「モハメド・アリと会えば、言葉をそれほど交わさなくても、眼と眼で分かりあえる部分が多い。私のテーマ曲『炎のファイター』は、もともとモハメド・アリの評伝映画『アリ・ザ・グレイテスト』のテーマ曲で、モハメド・アリが私にプレゼントしてくれたものだ。私の引退試合にモハメド・アリを呼ぶことになった時、彼のマネジメント会社は「私たちには理解できない、二人で勝手にやってください」と言ったそうだ。」(P151~152)

「(1995年4月28日から30日までの北朝鮮『平和のための平壌国際体育・文化祝典』で)
私はモハメド・アリを立会人として招くことにした。
しかし、アメリカ政府の許可が下りない。モハメド・アリはわざわざ断りを言うために来日した。
久し振りに会ったモハメド・アリは、パーキンソン病が悪化していて、夫人の手を借りなければバスのステップさえ昇り降り出来ない状態だった。
アメリカの政治判断が変わったのか、結局モハメド・アリにも北朝鮮に行く許可が下り、二人して北朝鮮の地を踏むことが出来たのだった。私たちは熱烈な歓迎を受け、報道陣のフラッシュを受け続けた。
するとモハメド・アリは、シャキッとなった。特に壇君窟(だんくんくつ)と言う名所で、百数段もある階段を夫人の手も借りずに登った時には驚かされた。スターと言う人種は人に注目されれば蘇るのだ。
私が何よりも嬉しかったのは、北朝鮮が3万人の外国人を招じ入れたことだ。国の門戸を閉ざしていれば、いらぬ誤解を招くだけだ。門戸を開いて交流が深まれば、可能性が広がる。このイベントは外交的に見ても画期的だったと思っている。
プロレスが行われた2日間で38万人もの観客が会場を埋め尽くした。北朝鮮国内のテレビ視聴率は99パーセントだったと言う。ある政府高官は「一夜にして反日感情がなくなった」と言ってくれた。
イベントに参加したのは、新日本プロレスをはじめアメリカのWCW、全日本女子プロレスである。私たちへの声援も凄かったが、それを上回る熱烈な声援を受けたのは全日本女子プロレスだった。
私はNWAの元チャンピオンであるリック・フレアーと闘った。彼は私が求めた激しく厳しい闘いに精一杯応えてくれた。」(P244~245)

「(1998年4月4日の引退試合〔対ドン・フライ戦〕で)
リングに立った私は、これから7万人の観客に向かって何を喋ろうかと考えていた。そこに、ウィレム・ルスカ、アンディ・フグ、ボブ・バックランド、勇利アルバチャコフと言った人たちやキラー・カーンやアニマル浜口、天龍源一郎、前田日明等が花束を持って上がり、労いの言葉を掛けてくれた。そして最後にモハメド・アリがリングに上がって来て、花束を贈ってくれた。その後、モハメド・アリのメッセージが読み上げられた。モハメド・アリ戦の時の通訳だったケン・田島が代読してくれたのである。心に沁(し)みるメッセージだった。」(P253)

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by bunbun6610 | 2017-08-11 13:55 | 人権、差別

『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(1/2)

『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』
(N. U. D. E. /(編集) ゴマブックス/出版社)

http://www.goma-books.com/archives/49043


https://www.amazon.co.jp/dp/4814913680



俺はアリの“言葉の力”を信じる。
アリは信念を持った男だからだ。
本物の信念を持った奴は、人が見ていようが見ていまいが、
それを曲げたりもしない。
そういうものが、真に“信じる”に値する。
(bunbun6610)


全米の障害者にも勇気を与えた、黒人の公民権運動。
黒人の起こした運動の影響を受けて、
全米の障害者も立ち上がり、そしてADA法ができた。
カテゴリ『哀れみはいらない』参照)
そんな伝説を聞いて、私も思った。

「私にとって、そんな黒人こそ友だ。
差別を差別と思ってもいない、日本人健常者なんかクソだ」
(bunbun6610)



「アリは稲妻だ。信じられないほどの反射神経で相手のパンチをよけ、電光石火の一撃を喰らわせた。全盛期のアリと対戦したボクサーたちは口をそろえて言う。
「触れることさえ、できなかった」と。
そんなアリも相手のパンチを浴び、数回マットに倒れたことがある。しかし、彼の長いボクシング人生でキャンバスに這いつくばりテンカウントを聞いたことはなかった。倒されたとしても立ち上がり、ファイティングポーズをとった。とは言うものの、彼は五回ほど負けている。1971年、徴兵問題が片付き、復帰後に初めて世界ヘビー級王座をかけて挑んだジョー・フレージャー戦では、プロデビューから11年目にして始めて敗北を味わった。〈アリはいつものように吠えるのだろう〉と予想する記者の前で、極めて冷静にこう語り始めたという。

「どんな試合でも、誰かが勝って、誰かが負ける。俺たち黒人もそうだ。勝利の時もあれば、失意の時もある。負け方と、それでも立ち上がる姿を俺は同胞に見せなければならないんだ」」(P8 『まえがき』ブラックパワー研究所代表N.U.D.E.)

「アリは稲妻だった。稲妻を殴りつけたり、牢屋に放り込むことなどできなかったのだ。それにしてもなぜ彼はこれほどまでに不屈だったのか。
「勇気を失ったのはすべてを失ったことだ。そのくらいなら生まれなかったほうがいいだろう」と言ったのはゲーテだった。哲学者のエリック・ホッファーは、この格言を引用しながら「絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になる」と語っている。
財産や名誉を失くしたら取り戻せばいい。だが、それには勇気が必要だ。立ち上がるか、立ち上がらないか、すべては勇気の問題だ。アリの生涯と、彼の残したことばは、そのことを教えてくれる。」(P11 『まえがき』ブラックパワー研究所代表N.U.D.E.)

「アリは若くして、自身の物語を綴っていこうと決心した男だった。
運命や時間に定まれるのでなく、権力に屈するものでない。
人権問題、周囲の意思、そのどれにも自身の物語は
変えられないと心に決めて前に進んだ男だった。」(P19 ビル・クリントン〔第42代アメリカ合衆国大統領〕)

「アリは人々の間に壁を作るのではなく、架け橋となることが生きる最善だと示してくれたんだ。」(P20 ビリー・クリスタル〔俳優・コメディアン〕)

「彼はどんな代償が伴おうと、自分の信条を貫き続けた。」(P24 デレク・ジーター〔ベースボール・プレイヤー〕)

「アリは自分が本当に思っていることを話そうとした
最初のアスリートの一人であり、
後に続くものたちが同じことができるように扉を開いてくれた。」
(P25 デレク・ジーター〔ベースボール・プレイヤー〕)

「何が起こっているの??!!
私たちはこの国の宝物を
失くそうとしている。
私たちの精神的支柱。
彼は最も偉大な男だった。」
(P28 マドンナ〔ミュージシャン〕)

「自分のなかで、
最も大切な一部が逝ってしまった。」
(P32 ジョージ・フォアマン〔ボクサー〕)

「彼が、アトランタ・オリンピックで聖火を掲げたときに、
彼は私にとって本当に高貴な存在になった。
考えてみてくれ。
もし、何らかの病気で苦しんでいるとしたら、
この国で暮らすほとんどの人々は、
とりわけ名の知れた有名人ならばなおのこと、
ひっそりと隠れたがる。
人前に出てこない。
パーキンソン病症候群などに侵されたら、
誰だって家でひっそりと隠れていることだろう。
そして、彼らは言うんだ。
「こんな姿を人前にさらしたくない」と。
それなのにあの男は、
震えながらも聖火を持って点火したんだよ。」
(P33 ジョージ・フォアマン〔ボクサー〕)


「蝶のように舞い、蜂のように刺す。」(P38)


漫画『あしたのジョー』の名セリフとしても、出ている。
もともとは、アリの言葉だったんだ。


「俺ぐらいグレートになると、謙虚でいることが難しいんだ。」(P46)

「家では俺もおとなしくしているさ。
でもそんな姿は世間に見せたくない。
おとなしい人間は大成しないってことを悟ったのさ。」(P47)

「言っていることをやってのける
力の裏づけがあるのなら、
それは自慢じゃないよ。」(P49)

「郵便切手にでもならない限り、
俺をナメることはできない。」(P51)

「俺は最強じゃない。
最強の二倍強いんだ。
ただ敵をノックアウトするだけでなく、
どのラウンドで倒すかを決められるんだ。」(P52)

「モハメド・アリのようなファイターはもう出ないと思うね。
別に他のファイターをけなしているわけじゃないよ。
全盛期のアリを倒せたのもいるかもしれないが、
そういうことを言っているんじゃないんだ。
彼のようにリング上で美しいファイターは他にはいない
ということだ。
あれだけの大きな体で、彼のように動くのは、
それはまさに音楽か詩のようなものだったよ。」
(P54~55 ハンク・アーロン〔野球選手〕)

「クレイ(アリの改名前の本名)の自慢話は、
「やると言ったことは実現できる」と自分に言い聞かせる
ための手段だったんだ。
そのことに僕は気づいた。
僕は彼の自慢話が嫌いだったし、クレイが誰に向かって
言っているのか気づくのに長い時間がかかった。
クレイは自分に言いきかせていたんだ。」
(P55 フロイド・パターソン
〔世界ヘビー級チャンピオン。アリとは2戦2敗〕)


サッカー日本代表の本田圭祐と共通する部分だ。


「彼が目立っていたのは、他の子たちより意思が強かったからじゃないかな。それに、将来ものになりそうな動きの速さを持っていた。苦労をいとわない子供だった……あいつにやる気をなくさせることは不可能だったろうな。私が教えた子供たちのなかでは、文句なくいちばん練習熱心だった。」(P57 ジョー・マーティン〔アリにボクシングを勧めた元警官。アリの最初のトレーナー〕)

「俺は他のボクサーとは違うんだ。
俺は、いつ下がるべきか、
またいつ前に出ていけばいいのか、
直感でわかるのだ。
俺には、そのような、
たぐいまれなボクサーの技術があるのさ。」(P58)

「誰も見ていないジムやロードでの
トレーニングで勝負は決まるんだ。」(P61)

「腹筋は数えないよ。
痛みを感じ始めたら、
そのときに数え始めるんだ。
意味があるのはそこからさ。」(P62)

「人は世界一のゴミ収集人になれるんだ。
世界一のモデルにだってなれる。
たとえ何をやろうと、
それが世界一なら何も問題はないぜ。」(P64)

「彼はあらゆる能力に長けていた。相手との間の取り方や攻撃を仕掛ける時の動作は、最初から信じられないほど俊敏だった。モハメドには、ルイス・サリアというマッサージとエクササイズを担当する人間がついていて、彼は暇さえあれば、モハメドに柔軟体操をさせていた。それがボクシングに大いに役立ったんだ。だからモハメドは、少年のような華奢な身体つきから、あっという間に立派な身体に成長した。彼がここにやってきた時は189ポンド(約86キロ)だったが、瞬く間に200ポンド(約91キロ)を超えたよ。それも全部筋肉なんだ。自然なことであるけど、ウエイトトレーニングは一切やっていないし、その変身ぶりにはびっくりさせられたな。モハメドはライトバッグとヘビーバッグを叩き、たいてい3マイル以上はロードワークをこなしていた。彼はロードワークを重視していて、それでガゼルみたいに走ることができたんだ。」(P68 アンジェロ・ダンディー〔アリのプロ第2戦から引退までのトレーナー。シュガー・レイ・レナードなど世界王者15人を育てた名伯楽。〕)

「彼に何かをやらせようとするのは無理だ。そういうふうに仕向けないとだめなんだ。彼は直接的に命令されることを何よりも嫌った。自分の独創性を大切にしたがっているんだ。」(P69 アンジェロ・ダンディー)

「俺には俺の信じる道がある。
他人が思うような人間にはならないよ。
俺は俺の道を行くんだ。」(P70)

「ガードを下げるなという
ボクシングの基本とやらには意識的に抵抗したね。
俺がガードを下げたのは、それが相手をはめて、
打って出る気にさせるからさ。
フェイントだったんだ。
隙だらけの格好をしてても、素早く後ろにかわせるんだ。
レーダーみたいに相手の距離を判断して、
相手の手の届く範囲から1インチ離れる。
パンチが飛んできたらもう1インチ離れる。
2インチの差で相手のパンチが届かないところで、
カウンターを狙うんだ。
今までそうしてきたし、
これからもうまくやるさ。
だけどこれは誰にでもできるわけじゃない。」(P71)

「俺はアーチ・ムーアではなく、ヘビー級のシュガー・レイみたいになりたい。」(P71)
※アーチ・ムーア…世界ライトヘビー級チャンピオン。アリにボクシングを教えた恩師。
※ シュガー・レイ…世界ミドル級&ウェルター級チャンピオンのシュガー・レイ・ロビンソンのこと。「パウンド・フォー・パウンド」(仮に体重差がなかった場合の最強を決める評価基準)と称された元王者。




想像力のない奴に、翼は持てない。」(P73)

そのことをあなたの精神が思い描き、
心がそれを信じられるなら、
達成することは可能だ。
」(P74)

チャンピオンはジムで作られるものじゃない。
彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。

例えば願望、ビジョン。
そのためにはどんな土壇場でも耐えるスタミナと、
少しばかりのすばしっこさ、
そして技術と意思が必要だろう。
だが意志の力はどんな技術よりも
更なる強さを与えてくれる。」(P76)

今考えていることが、将来の自分の姿だ。」(P77)

自分はダメだと思えば、
その時点から自分はダメになるぜ。
」(P78)

肯定の繰り返しが信念につながる。
その信念が深い確信になると、
物事が実現し始めるんだ。
」(P79)

不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを
放棄した臆病者の言葉だ。
不可能とは、現状に甘んじるための
言い訳にすぎない。
不可能とは、事実ですらなく、
単なる先入観だ。

不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない。」(P80)



ナポレオンの有名な言葉「余の辞書に不可能という文字はない」を思い出す。
ウィキペディアには次のような解説が載っている。

「同じ意味で別の言回しとして「余の辞書に不可能という文字はない。」「不可能という文字は愚か者の辞書にのみ存在する」「不可能は小心者の幻影、卑怯者の避難所」などがある。ナポレオンが日常よく口にした言葉で、一般には「余の辞書に不可能の文字はない」として知られる。「不可能と言う文字は愚か者の辞書にのみ存在する」という言葉から、変わったという説もある。」(2017年7月18日時点での調べ)



人間が困難に立ち向かう時、
恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ。
俺は自分を信じる。
」(P81)

「俺はジャック・ジョンソンのイメージに憧れて育った。
俺は白人の連中に嫌われるような、
荒々しくてタフで傲慢な黒人になりたかった。」(P83)

※ジャック・ジョンソン…黒人初の世界ヘビー級王者。映画『ボクサー』(1970年)のモデルになった。

「兄弟姉妹が腹を空かせて給食センターに
並んでるのを知りながら、
ロールスロイスに乗って丘の上に住んでも、
俺は嬉しくない。
俺は世界チャンピオンだが、
俺とファンに違いがあるとは思わない。
俺は今でもスラムを歩き、
質問に答え、
赤ん坊にキスしている。
俺は絶対に仲間を忘れない。」(P99)

「俺はリングに上がるとき、神を思い、
また、アメリカのあらゆる
都市のスラム地区に住む人々のことを思う。
そして俺は、権力を握っているすべての偽善者どもを
なぐってやるつもりで相手を攻めるんだ。
俺は、自分の自由のために戦っているのだが、
また、この国の三千万人の黒人の希望も、
背負っているんだ。」(P100)

「俺は白人が手を出せない
黒んぼとして生きることに決めた。
白人のあんた、
あんたが手に入れられなかった、
ただひとりの黒んぼだよ。」(P101)



この点では、歌手マイケル・ジャクソンと比較してしまうところだ。
両者の違いは、思想なのだろうか?
黒人としての誇りは?
障害者も、もっとプライドを持って生きていいと思う。



「俺が自分の感じたままを
思いきって言う初めての黒人アスリートだから、
何だっていうんだ!
他の人たちを助けるために自分を犠牲にする
日本人の特攻隊員と同じかもしれないじゃないか!」(P102)

「雄鶏は光が見えて初めて鳴くんだ。
暗闇のなかでは決して鳴かない。
俺は光を見たからこうして鳴いているんだ。」(P103)

「アリは入隊拒否によって金銭だけでなく、もろもろの損失を被り、その額は1000万ドルに及ぶものと想像する。」(P107 ゴードン・ダビットソン〔ルイビル・スポンサーリング・グループの弁護士〕)

「お前たち白人は
「国のために命を捨てて戦え」
と平気で命令する。
そのくせ俺の名前も宗教も尊重しようとはしない。
そればかりか不当なやり方で
俺から職業を奪い、
収入の道さえ閉ざす。
すべては、お前たち白人がやったことだ。」(P116)



障害者である俺も、日本人健常者に、こんな言葉を一発ぶちかましてやりたいものだ。100発でも1000発でも、物足りないくらいだ。


「これからこの国がどうなるのかは、
君たち白人の双肩にかかっている。
よく考えて欲しい。
答えは君たち自身の中にある。」(P117)



日本にも言えることだと思う。在日外国人や障害者を差別する、右翼やレイシストの運動激化で今、この国も揺れ動いていると思う。少し違うが、小松左京の『日本沈没』を思い出す。政府と民衆が奴らをコントロール出来なくなった時、「日本沈没」となろう。


「ブラザー、君らにはわかっちゃいないんだ。
これからどこに行くのか、
腕や目をなくして戻ってこられる可能性がどれだけあるか、
他人の土地で現地の人たちと戦い、
君らが彼らを撃たなければ知らないんだ。
彼らはニガーと呼んだことも、犬をけしかけたことも、
君たちの指導者を撃ったこともないんだぜ。
そんな彼らと戦ったあげく、故郷に帰ってみれば仕事もない。
それに比べれば、刑務所に何年か入っていることなど
何でもないぜ。」(P119)

「俺を自由の身にするか、さもなければ刑務所に入れろ。」(P120)

「人生はボクシングと似ている。
問題は倒れることではなく、
立ち上がろうとしないことだ。
」(P121)

「そのとき私は、こう思ったのを覚えているよ。この男はとてつもなく強い男なんじゃないかってね。彼は、合衆国政府の激怒にさらされていた。投獄の危機に瀕していた。ボクシング界からの追放の危機に瀕していた。それなのに彼はたじろかずに、権力を持った人々に対峙していたんだからね。」(P122 ジョージ・シュバロ〔アリが「洗濯女」と呼んだカナダ史上最も有名なボクサー〕)

「「俺をニガーと呼んだベトコンはいない」アリのこの一言に全米の黒人たちが敏感に反応した。ベトナム戦争や公民権運動に無関心だった白人たちにまで影響を与え、多くの一般市民が深い関心を持つようになった。」(P123 ジュリアン・ボンド〔公民権運動家。全米国人地位向上協会(NAACP)の執行委員長で、ジョージア州議会議員。近年はNAACP会長として黒人の地位向上につとめた。〕)

「我々の信じる宗教は違いますが、問題意識は同じです。アリの勇気をたたえないわけにはいかない。」(P123 マーティン・ルーサー・キング)

「君は、恐怖や弾圧に屈しないことを決意したすべての人々を覚醒させた意識の象徴的存在であり、私は全身全霊を傾けて君を擁護する。」(P123 バートランド・ラッセル〔イギリスの哲学者、論理学者、数学者。社会運動、平和運動にも積極的で、サルトルらとともに、アメリカの対ベトナム政策を糾弾する国際戦争犯罪法廷を開廷。イギリスの貴族出身で白人であるが、アリを全面的に支持した。〕)

「アリが入隊命令を拒否した時、私は自尊心の満足をはるかに超える激しい感情を抱いた。黒人としての、いや人間としての名誉をアリが見事に守ってくれたように感じた。彼はさながら龍を退治する偉大な戦士だった。私は都会に住む幼い子供にもかかわらず、自分が偉大な知恵と豪胆さを兼ね備えたアリの家来になった気分だった。アリが入隊を拒否した日、私は部屋で泣いた。私はアリと自分のために泣いた。私はアリと自分の未来を思い、黒人全体の将来を慮って涙を流した。」(P124 ジェラルド・アーリー〔大学教授。作家。〕)

生きていく中でリスクを冒す
勇気がなければ何も達成できない。
」(P132)

「ボクシングは俺を別の人間にしてくれたんだ。」(P133)

「アリのハートは、まるで大自然みたいにでっかいんだ。彼は、絶対に恐怖を口にしない男だ。絶対にね。口にするくらいなら、死を選ぶだろうよ。それこそ、俺が彼のプライドを尊敬している理由さ。」(P135 アーニー・シェーバーズ〔1977年、アリの通算19回目の世界王座防衛戦の対戦相手。〕)


P127の言葉と上の言葉を比較すると、アリの本心(感情)と意思とは逆だということがわかる。世間では「ビッグマウス」と言われていたが、確かに人前では恐怖を口にしなかったようだ。アリは、感情を自分の意思でコントロールしていたんだ。


「アリは精神力の権化だったよ。誰も彼を屈服させることはできなかったよ。多くのファイターは負けるとがっくりきてしまうんだ。彼らは得意になっているぶん、やっつけられるとだめになってしまうんだが、アリは負けてもくじけなかったよ。」(P137 マイク・カッツ〔スポーツ記者〕)

「打ち負かされるのがどういうことか、
というのを知っている人間だけが、
ドン底の状態からわずかながらも
相手より強い力をつけて這い上がり、
僅差の勝負を勝利に導くことができる」(P138)

「負けは頭になかった。
だが敗北を喫した今、
俺を信じてくれた人たちに
きちんと責務を果たしたい。
人生に敗北は付きものであり、
敗北を糧にすることが大切なんだ。
」(P140)

俺たちはみんな人生で何かを失うもんだよ。
妻を失い、母親を失う。
俺たちはみんな失うものを持ってるんだし、
やるべきことは生き続け、
そうした損失を克服し、
そしてカムバックすることだ。
失ったからって、死ぬわけにいかないぜ。」(P141)


障害だって、そうだ!
アリ自身が患ったパーキンソン症候群だって、そうだ。健康も失うが、それでも彼は社会の表舞台にカムバックした。あの最強チャンプと言われたジョージ・フォアマンが驚くこともした。


「俺の人生で最良のことは、
何年かタイトルを失って
普通の男として暮らしたってことさ。
おかげで金の値打ちってものを学んだよ。
買う必要のあるものと、
ないものを見分ける目が持てたのさ。」(P171)

あんたは何も所有しちゃいない。
この世のものは皆、預かりものなんだ。

用心しろよ。」(P173)

「彼がマニラでジュー・フレージャーを倒してから2、3週間後、私たちは国連のレセプションに出るためニューヨークにいた。アリはテレビのニュースを見ていたが、ユダヤ人センターが資金不足のため閉鎖されると報道していた。それは老人用の施設でね。彼らは障害を負っており、その多くはドイツでナチの迫害を受けた人たちだった。次の朝(1975年12月2日)、私たちはそのセンターが入っているビルに行った。アリはあたりを見回し、何人かの人たちに話しかけ、彼らに10万ドルの小切手を与えたよ。彼はそういう人間なんだ。なぜそういうことをしたのかと誰かがたずねると、彼はただ、自分の心には年寄りに対しては弱い部分があるんだ、とだけ答えたよ。」(P175 ハワード・ビンガム〔写真家。アリの親友で黒人。吃音の持ち主だが、アリとは長い友情を持っていた〕)

「アリほど寛大な人間はこの世にいなかった。彼に5ドルだろうが、一万ドルだろうが渡してニューヨークの道を歩かせれば、角を曲がる頃にはポケットにはもう1ドルも入っていなかった。アリがどれだけ大きなハートを持っていたか、誰も信じられないよ。」(P175 ボブ・アラム〔世界二大プロモーターの一人〕)



『『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(2/2)』
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by bunbun6610 | 2017-08-11 13:54 | 人権、差別
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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