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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

タグ:テレビ・映画 ( 49 ) タグの人気記事

ビューティフルレイン

『ビューティフルレイン』というテレビドラマを見ています。

進行性の病気である若年性アルツハイマー病は、
周囲の人の目には見えないし、自分では幾ら頑張っても、
どうにもならない病気。
それは難聴障害と似た面があります。

圭介は、本当は父親として美雨と一緒に暮らしたいが、
美雨の将来のためにも、別れて暮らすことを選択した。
しかし、本当は自分で育てていく自信がなくなってきたので、
別れることにしたのだと、私は感じています。
主体性が持てなくなってゆきます。
病気が彼のそれを奪おうとするのかもしれないが、
本当は病気なんか関係ない。
障害や病気が、人間の主体性を奪うようなことは、
実はないのだ。
障害と同じように、誰だってそんな病気になってしまう
可能性はある。
むしろ、障害や病気についての、社会全体の理解が進んでいない
ことのほうが問題なのだろう。

こういう心理って、難聴などの聴覚障害
(「聾(ろう)ではなくて)と似ているような気がしました。
ろう者や健聴者にはわからないだろうが…。

難聴者は、健聴者との会話をわざと避けることがあります。
しかしそれは、その人が嫌いだからではありません。
話したくないからなのでもありません。
避ける以外に、どうしようもないトラブルを防ぐ方法がない
からです。
それは決して最良の方法ではなく、
自分だけが我慢した結果です。

特に複数の人との、盛り上がりやすい会話のときに、
話についていく自信がないとき、
自分から離れていくのだ。
たとえ、本当は話したくても、
たとえ、好きな人とでも…。
その辛さは、圭介と同じではないだろうか。
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by bunbun6610 | 2012-08-26 22:44 | 雑談
健聴者だけでなく、聴覚障害者にも、
誰にでも伝える手段を考える映画、
でもあるんじゃないかな。

白黒&サイレント映画『アーティスト』

 →http://gqjapan.jp/2012/04/06/artist/

 →http://www.cinematoday.jp/movie/T0012174

俳優はもちろん、犬の演技力にも驚きました。
この映画はシンプルに、俳優、犬それぞれの演技が
素晴らしいですよ。
セリフがなくても感情が伝わる映画です。
今時、サイレント映画があるなんて珍しい。

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by bunbun6610 | 2012-05-03 09:51 | 雑談
ドラマCD『Two of Us(トゥー オブ アス)』

 →http://www.girls-style.jp/news/201201/24/11rel_gs.php

 →http://otomen.jp/archives/2012/04/09184230.php

こんなラブ・ストーリーのアニメが
作られたなんて知らなかったけど、
主人公・聾女性のパティシェという設定は、
職業適性としてぴったりじゃん。

実際いると思うよ、たぶん…。

取材協力に、社団法人東京都聴覚障害者連盟が
加わっているという。

2012年7月発売予定だそうです。

==================================

<『Two of Us』シリーズの概要>
レーベル第2弾は、「泣ける」「切ない」「大人」を
キーワードにシリーズ展開。

たくさんのコミュニケーションツールであふれる
現代社会で今、この瞬間にあなたの、私の大切な人に
伝えなければいけないことがある。
それらのメッセージを二人のラブストーリーを通じて
発信していきます。

第1弾は先天性聴覚障害者のパティシエと声優の
ラブストーリー。

特設サイト上でドラマの世界観、タイトル詳細、
イラストレーターなどを順次公開予定です。

またリリース開始は7月を予定しています。

<あらすじ>
生まれつき聴覚と言語に障害があるみのり。
しかし幼い頃からの夢を叶えてパティシエとして明るく
元気に活躍中。
そんな彼女は声優の和泉(いずみ)と付き合っている。
ある日、和泉にプロポーズされるが、それがきっかけで
二人の関係に徐々に変化が……。

<登場人物>
●主人公:上条 みのり
(パティシエ/27歳/女性/先天性聴覚障害、言語障害者)
生まれつきの障害をもつ女性。
性格は非常に明るく前向き。
お酒大好き。
映画、小説、歌わないがカラオケ大好き。
シュクル・フィレ(飴細工)が得意でパティシエとして
洋菓子店で活躍している。
基本楽天家だが、彼と付き合っていく中で
(本気の恋愛をすることで)、
生きることに臆病になっていってしまう。

●ヒーロー:藤崎 和泉(声優/35歳/男性)
みのりの彼氏。
アニメや外国映画で活躍する、中堅声優のひとり。
親に大反対されたが、親友のひとことで声優を目指す。
そろそろ彼女との結婚を考えている。

【タイトル】ドラマCD Two of Us
【ブランド】ステージエンターテインメント
【発売日】2012年7月
【税込価格】未定
【備考】取材協力:東京都聴覚障害者連盟

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by bunbun6610 | 2012-04-25 23:47 | 聴覚障害

自殺者と自殺願望者の数

聴覚障害者だと、自殺したいと思ったことがある人は、
おそらく多いのではないか、と思います。
特に中途失聴者、難聴者が多いのではないか、
と思います。

私も考えたことがあるし、やってみようとしたことも
あります。


当ブログ

 『映画と聴覚障害者』
〔2012-02-18 12:02〕

で紹介した『セント・オブ・ウーマン』も、
主人公の視覚障害者が自殺ツアーを計画して
いますが、未遂に終わりました。

あの気持ちは、私も本当によくわかります。
中途障害者の場合は、先天性の障害者とは違い
『喪失の過程』を辿るので、
その苦しみには相当なものがあります。

日本人全体で「50人に一人」の確率というのなら、
日本人中途失聴者、難聴者は「30人に一人」は
自殺しているのかもしれないし…。

ハインリッヒの法則を使えば、自殺したいと思った人、
そこから抜け出せず、苦悩し続けている人の数は、
数人に一人という確率だということも十分ありえると
思います。



==============================


→http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120224/Sinkan_index_2535.html

日本では50人に1人が
“自殺”する?


2012年2月24日 18時00分

春は別れと旅立ちの季節。
しかし毎年3月は、日本では自殺者が急増する時期でもあります。
内閣府は3月を「自殺対策強化月間」としてキャンペーンを
展開していますが、今年1月、発表されたキャッチフレーズが
「不謹慎」であるなどとして多くの人たちの怒りや批判を浴び、
2月、岡田副総理が撤回するに至ったというニュースを
ご記憶の方もいるでしょう。

警察庁発表の「自殺の概要資料」によれば、
2010年の年間自殺者数は31,690人(確定数)。
2011年の推計も3万人を超えています。
1998年以降14年連続で3万人を超えたことになる、
と言ってももうそれほど驚かないかもしれません。

しかし、次の数字はどうでしょうか。

 「日本では50人に1人が自殺する」。

そんなわけないじゃないか、と思う人がほとんどでは
ないでしょうか。

自殺にはもう1つ、厚生労働省による「人口動態統計」
があります。
こちらは日本人のみを対象とするなど、警察の数字よりは
やや少なくなりますが、これによれば、2010年の年間
自殺者数は29,524人。
いずれにせよ年間約3万人が自殺するという事実に
変わりはありません。
そこから、普通に計算をしても「50人に1人」という数字は
出てこないはずです。

ところが、これを「1人の人が生涯の中で自殺によって
亡くなるリスク」という視点で計算すると、
50人に1人となるのです(*1)。

医学博士の小田切陽一氏が執筆した『昭和30~40年代
生まれはなぜ自殺に向かうのか』(講談社+α新書)は、
この衝撃的な事実を明らかにし、年齢、性別、地域、
日照時間などさまざまなデータを通して
日本人の自殺の実態に迫っていきます。


■一番危ない世代は?
本書のタイトルは『昭和30~40年代生まれはなぜ自殺に
向かうのか』。
これは、世代別自殺リスクのデータ分析から明らかになります。

1995年から2009年にかけて、生誕年代別の自殺率の
推移を見ていくと、1955年生まれ以降、すなわち昭和30年代
以降の世代が高くなりつつあるのです。
1995年のデータを見ると、昭和10年代生まれが最も自殺率
が高く、昭和30年代生まれは現在ほど高くはありません。
しかし、この15年間で昭和30年代、そして40年代生まれの
自殺率が上昇。
昭和10年代生まれが低下傾向を示したところで上回っている
のです。


■自殺者に女性が少ない、その理由は?
警察庁発表の「平成22年中における自殺の概要資料」によれば、
男性の自殺者数は全体の70.3%を占めており、
圧倒的に男性の方が自殺者が多いのですが、
小田切氏はその裏にある「自殺企図者」のデータに注目し、
自殺における男女差の実態を分析します。

岩手県の高度救急究明センターに収容された自殺企図者
285人の分析の結果、自殺企図によって収容されたのは、
男性117人で女性が168人と女性の方が多かったのです。
ただし、既遂者となると男性が24人、女性が19人と男性が
多くなります。

これは、男女で自殺手段に違いがあるからです。
男性は「首つり」や「排気ガス」「焼身」など自殺完遂率の
高い手段を選択することが多いのですが、
女性は致命的になりにくい「大量服薬」の割合が高く、
未遂に終わることが多いからだといいます。


■「職場」が人を自殺に向わせる?
「うつ病」という言葉が一般的に定着し、現在では様々な
「うつ病」の症状が指摘されていますが、「自殺」への経路の
一つとして、職場であまりにも働きすぎた結果「うつ病」に
なってしまうケースがあります。

NPO法人ライフリンクと東京大学のメンバーで構成された
「自殺実態解析プロジェクトチーム」が、自殺に対する危機
の進行度を数値化し、自殺の危険複合度を5.0としたところ、
「うつ病」は3.9と、自殺の一歩手前にある重大な危機要因
であることが明らかになりました。

また、主な危機要因の中には職場環境の変化(1.8)、
過労(1.9)、職場の人間関係(2.5)も含まれており、
職場の中における不協和音が自殺に向かわせる要因である
ことが明らかになっています。

では、こうした自殺に対してどのような予防対策が行われて
いるのでしょうか。

例えば「過労自殺」は長年日本が抱えてきた問題であり、
「KAROSHI」はそのまま英単語になっています。
近年になってようやく対策が本格化してきており、
時間外や休日労働が一定基準を超えた労働者への、
医師の面接指導を義務付けるなどの対策が取られています。

また、市民運動の高まりから2006年に「自殺対策基本法」
が施行され、社会に向けた啓発活動が柱の1つとなりました。
しかし小田切氏は、1990年代から自殺問題に取り組んできた
国連や欧米諸国と比べれば、日本の自殺問題への対応は
遅いとし、「基本法」の成立で

「ようやく近代福祉国家として、同じスタートラインに立つことが
できた」

と述べています。

『昭和30~40年代生まれはなぜ自殺に向かうのか』には
こうした自殺の実態が膨大なデータを通して分析されています。
そこにあるのは日本の自殺の真の姿であり、自殺者数だけでは
知ることができない現状です。

どうして人は自殺に向かうのか、どうすれば予防できるのか。

その問いについて考える上で、重要な示唆と情報を私たちに
もたらしてくれる一冊です。
(新刊JP編集部)

(*1)一人の人間がその一生のあいだに、ライフイベントに遭遇
もしくは起因して生命を落としてしまうリスクについて確率的に
表現したものを「生涯リスク」と呼ぶ。
人間はいつか必ず何らかのライフイベントで死を迎えるが、
その生涯リスクは100%。
たとえば年間に約20人がハチに刺されて死亡しているが、
仮に日本の人口を1億人、日本人の寿命を100年とした場合、
計算式に当てはめると、
P=20/1億×100=0.00002(0.002%)
となる。
つまり、5万人に1人はハチに刺されたことがきっかけで亡くなる
ということになる(ただし、多くの場合年齢や性別、体質などの
条件によって確率の高低がある)。

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by bunbun6610 | 2012-02-25 21:39 | 社会

映画と聴覚障害者

★今村彩子(ろう者)/監督作品
 ドキュメンタリー映画 『珈琲とエンピツ』

 →http://coffee-to-enpitsu.com/news/index.html


★氏のプロフィールに関する記事から。

 http://joblabo.asahi.com/articles/-/978

「聴覚障害者は全国に約35万人。
会話を交わさなければ相手は障害に気付かない。
障害者は居心地の悪さを感じ、健常者は接し方に戸惑う。

愛知教育大学を1年間休学し、ドキュメンタリー映画を学ぶため米国へ。
講義には無料の手話通訳者がついた。
驚いていると、同じ障害の米国人学生に言われた。

「健常者の学生と同じ受講料を払うんだから、
同じ内容を理解するための支援は当たり前」。

目が覚めた。
それ以来、支援を遠慮しない代わりに、障害を言い訳にするのをやめた。」

               (朝日新聞2010年9月2日付朝刊「ひと」欄から)



今村氏は、スピルバーグ監督の『E.T』(字幕付き)をビデオで観て、
映画が好きになったそうです。

======================================

私も、映画館へ映画を観に行くことは
しませんでしたが、
字幕付きのビデオが出てから、
洋画だけは観るようになりました。

私の好きな映画は3本あります。
そのなかには唯一、字幕がない日中合作の
『未完の対局』があります。

 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E5%AE%8C%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%B1%80

映画では主人公・易山の友人が、
戦争が終わった後も

「彼(易山)の碁盤は、今でも血染めなんだ!」

と言っていました。
怒りと悲しみが詰まっているのがわかりました。

私の、このパソコンを打つ指も、そうかもしれません。
パソコンの前で、
このブログには怒りと悲しみのメッセージしか、
打てません。

そういう意味では、私もやはりまだ、
心の障害者なのかもしれません。

でも、今はそれでもいいと思います。
無理しなくてもいい。
これから変わってゆけば、
いいのだと思っています。


もう1本は
『セント・オブ・ウーマン』です。

 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A

中途盲人になった元軍人の話です。
これがまるで、障害受容までの
4段階の縮図を描いているような
作品なのです。

初めて観たときは、

「クソ面白くもないジジイの映画」、

という感じでした。

しかし、だんだんと自分の難聴障害も重くなり、
その障害受容に苦しむ自分の姿と、
盲人の人生に絶望し自殺ツアーを企てた
主人公・フランクがだぶってきたのか、
何度も観てしまい、彼の心理過程を理解する
ようになってゆきました。

そこには、経験した者にしかわからない苦しみ、
心の葛藤があると思ったのですが、
パチーノはどう工夫してそれを演技したのか、
気になりました。

ですから、この映画でアカデミー賞を受賞したのは、
わかる気がします。


※『障害受容についての段階説』
 →http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/z12020/z1202001.html

※ これは勿論、中途聴覚障害者にも、
同じようなことが起こりえます。


最後の1本が『ブルベイカー』です。

 →http://movie.walkerplus.com/mv7963/

これも、自分に勇気を与えてくれた作品だった
と思います。
世の中の障害者差別という悪に立ち向かうにも、
自己犠牲は当たり前なんだと思います。
私は、そのための人生なんだと思う。


これら3つの映画が、私の精神形成に重要な影響を及ぼし、
現在の私の精神的支柱となっているのです。

このブログを書くようになった伏線にも、
必ずこの3本の映画の影響があります。


聴覚障害者の皆さんの好きな映画、
精神的支柱になった映画、
で多いのは、一体何でしょうね?
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by bunbun6610 | 2012-02-18 12:02 | 聴覚障害

手話が出てくる映画

洋画は邦画と比べると、聴覚障害者に断然、人気があります。
演技者の表情、ジェスチャーなどが非常に豊かで見てわかるし、
セリフの字幕も短くて読みやすく、わかりやすいからです。
テレビの字幕とは違う翻訳工夫がされているそうです。

さて、私にしては珍しく、映画館へ行って新作洋画を観ました。
正直、2時間もあの狭い席に座りっぱなしなのは、苦手なのですが。

テレビで『ミッション;インポッシブル』1作目、2作目を
観て面白かったので、4作目を観たのです。

 →http://www.mi-gp.jp/

この映画は、主人公イーサン(トム・クルーズ)が
刑務所から脱獄するシーンから始まっていますが、
そこでイーサンがモニター越しの仲間に
手指によるサインやジェスチャー(身振り)で指示したり、
コミュニケーションをしているシーンがあります。

これを手話と呼べるかどうかはわかりませんが(その話はさて置き)、
アメリカ映画にはこういうシーンが時々あるものです。

昨年12月4日の日曜洋画劇場に登場した『ノウイング』も、
ニコラス・ケイジが難聴児役と手話でコミュニケーションを
するシーンがあります。

あと、それ以前のテレビ放映されたアメリカ映画で、
確かブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが
出ていたと思うのですけれど(もしかしたら、違う俳優&女優かも?)、
それもアクションの最中に手話なのかサインで、
作戦を話し合うシーンがあったと思います。

銃や爆発音でうるさく、しかも敵の近くて音声会話が使えない状況では、
サインや手話は有効な方法なので

「こんなことをとっさにできる彼らは、頭がいいな」

と感心して観ていたものです。

日本人は残念なことに、
こうしたコミュニケーションが苦手な人が非常に多いです。
ただ、どうしたことか、オランダのろう者から聞いた話によると

「日本のような手話学習のテレビ番組や、
手話サークルは、ヨーロッパにはないよ」

と聞かされました。
そのオランダのろう者は、日本のそういう状況に驚いていたのです。
しかし、それなのに、日本だと手話学習の機会はあるのに、
手話アレルギーの人が随分います。
手話サークルのメンバーのなかにでさえ、です。

反対に外国では、手話習得の機会といえば、ろう者に直接会って習得する、
あるいは専門の学校に行って勉強し手話通訳者になる以外に、
ほとんど方法がないようです。
それでも、外国のろう者は手話を全く知らない健聴者とでも、
何とかなるのだという。

日本の手話アレルギーの人が多いという現象は、
役に立たない英語教育の実態と、うりふたつだと思います。

これは国民性、民族性の違いだと言えるだろう。
日本のほうが、聴覚障害者は健聴者とは別だ、
と切り離して考えている傾向が強いのではないでしょうか。

日本のろう・難聴児たちは、ろう学校を卒業した後は、
そんな社会に入ってからはバラバラになり、
その後は孤独に、一匹狼のように生活してゆかなければなりません。
それがどんなに大変で、つらいことだろうか。
無論、私もつらいです。

この問題を解決に導いていくための方法が、
おそらく手話言語法なのだろう。

 →http://www.jfd.or.jp/2011/12/27/pid7106

 →http://www.jfd.or.jp/2011/08/05/pid6302

いや、それだけではなく、日本人の国民性を、
そのコミュニケーション能力をグローバル化する
切り札になる可能性があると思います。

日本には、手話を知らない聴覚障害者が大変多いですが、
これからの聴覚障害者は、手話も覚えて、
幅広いコミュニケーション能力を身につけて、
人間関係構築に役立てていって欲しい、と思います。
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by bunbun6610 | 2012-01-09 00:13 | 手話
毎週土曜日夜9:00から、
日本テレビ放送で『妖怪人間ベム』
が放送されています。

 →http://www.ntv.co.jp/bem/

それと中途失聴者や難聴者の心情は、
共通点がありそうに思います。

以前、当ブログで「透明人間」の話もしましたが(※)、
妖怪人間とも、中途失聴者や難聴者と、
心情が通じる点があると思います。

 (※)→『聴覚障害者者は『透明人間』なのか』(2011-09-08 22:07)参照

私は

「自分は本当に、健聴者と同じ人間なのだろうか?」

と思わずにいられない時があります。
差別を受けるたびに、そう思います。
自分の姿は、健聴者と変わりなく人間でも、
ごく当たり前のように差別を受ける時、
自分はそうではないのだということを感じます。
差別が、人格的存在であることを否定されている、
と思うからです。

また、ろう者の場合は最終的にろう社会に入って、
そこで初めて「自分は、ろう者だ」と認識できるそうです。

しかし中途失聴者や難聴者は、
健聴者のなかに混じって、
共存し続けようとしている存在であるがゆえに、
ハッキリとせず、自身はその中で違和感を持ち、
悩み続けています。

先日、ろう者には手話通訳があるのに、
中途失聴者や難聴者には、
それに適した通訳がないことを話しました。

中途失聴者や難聴者に合った通訳がないと、
その人たちに、
「自分は違うのだ、そう主張しても良いのだ」
という自覚が持てません。
自分が言うだけではなく、きちんと認められないと、
自分たちに合った通訳がつかない現実があるからです。

ベムたちは、人間になりたいのですよね。
それは実に、今の多くの中途失聴者や難聴者が、
「健聴者と同じようになりたい」
という気持ちと、酷似しているのではないかと思います。
姿だけ人間と同じでも、コミュニケーションができなければ、
真に人間らしくはなれません。
通訳がないというのは、そうした人たちの
「人間らしさの喪失」につながっています。
これは、盲ろう者も同じ問題に直面しています。

案外気づかれていませんが、
これはろう者とも違う、
聴覚障害者の中でも、特異な性質です。
(いや、「特異」と言うよりは、
「知らない人が多すぎる」と言ったほうがいいのかもしれませんが)

私自身について言えば、厳密に言うと

「自分は健聴者でも中途失聴者でも難聴者でも、ろう者でもない」

と言いたいのですが、
そう言うと

「それじゃ、あなたは何者ですか?」

と言われると思います。
その説明は非常に大変です。
無理矢理にどれかに自分を押し込んでも、
理解と問題の根本解決にはなりません。
そういう真の理解への遠さ、孤立した状況も、
ベムたちと似ているな、と思うのです。

聴覚障害者には、今の健聴者の理解をはるかに超えるほど、
いろいろな人がいるということを、
もっと正しく知ってほしいと願ってやみません。

そのためにも、私はこのブログを書いています。

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by bunbun6610 | 2011-11-26 22:51 | 難聴・中途失聴

『母べぇ』

8月14日(日)夜、テレビ朝日放送の日本映画『母べぇ』を観ました。

 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E3%81%B9%E3%81%88

途中から観たので、物語の全体像はわからなかったのですが、
山ちゃん(山崎)という難聴者が出てきて、
その役が映画の物語の中でわりと占めていたので、
その点でも少し興味を持ちました。

「片耳が遠い」という障害程度では、障害者認定はないし、
本人も、どうしてもコミュニケーションに困ったときだけ
カミングアウトする程度なので、これも難聴者っぽいシナリオ、
演技だと思いました。

あと、山ちゃんは映画にあまり登場してこないですが、
子どもを助けるシーンなど、子どもと会話するには、
コミュニケーションに困っていないように見えました。

私はテレビの音声も聞こえないので、子どもの声がどれぐらい
の大きさだったのかわからないのですが、私の子ども時代の
経験では、子どもの声は大抵元気で大きい場合が多く、
話し言葉も短く、内容を理解しやすかったと思います。

そのあたり、健聴の視聴者には、

「難聴には見えない」

と思ったのではないか、と思いました。


だけど、恋愛には、難聴者にもある、どこか億劫そうな性格がにじみ出ていました。
好きな相手はいるらしかったのですが、言えないでいる性格とか。

あるいは、大人しくて、話し好きとは思えない性格とか。

そして、山ちゃんが戦友に託した最期の言葉は、
まさに愛する人へのものだと思うではありませんか。
なぜ、出征する時に相手に言わず、あの時になって言ったのか。
シラノと同じでしょう。

 →当ブログ『シラノ・ド・ベルジュラック(エドモン・ロスタン原作)』(2011-04-13 22:56)参照。

シラノの鼻のコンプレックスも、難聴者の難聴コンプレックスも、
似たようなものです。


この映画の核心的部分ですけど、
「日本はどうして戦争をしたのだろう?」
と思います。
「どうして日本人は国家に従順で、戦争を悪いと思う人があんなにも少なかったのだろう?」
とか、思います。
「あの戦争を止めようとする人がほとんどいなかった日本は、
ある意味で異常な社会でしたが、あれが今でも、日本人の常識なんじゃないか?」
と思ったりします。
「もう過去の話」ですむことではないと思いました。


私の両親もそんな感じです。
ただ国家が決めた流れに向くまま、生きているのだと思います。
今も、何が正しいか、を国民一人ひとりが、自分で真剣に考えていないのではないか。

両親が戦争について語ったことは、ほとんどありません。
多分、ほとんど何も知らないのだろうと思います。


終戦日から66年になりましたが、戦争体験の話を聞くことができずに育った
聴覚障害者もたくさんいたと思います。

逆に言うと障害者が人間らしく生きられる社会こそ、本当の平和なのかもしれません。

平和に見えるけど、平和でない。
それじゃあ、本当の平和とは何か?
どうしたら、そういう社会にできるのか?


映画を途中から観たので、よく言えませんが、母べぇにとって、
国家が父べぇを引き離しすという国家暴力から、平和ではなくなったんじゃないか、
と思います。

平和とは、戦争のない時代、という意味だけではないと思います。


 「愛の反対は憎しみではありません。無関心です。」(マザー・テレサ)

この言葉の意味は、人により、いろいろな受け止め方があると思います。
愛も憎しみも、相手と向き合い、影響しあっているのですけど、無関心はそうではありません。

日本人は太平洋戦争のときも、無関心という罪を犯した、と思うのです。
無関心が罪だったと認めているからこそ、忘れないように、残し続けようとするのだと思います。

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by bunbun6610 | 2011-08-15 23:01 | 雑談

「コーダ」と呼ばれる人をご存知でしょうか?

 →「コーダ」(ウィキペディア)を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80_(%E8%81%B4%E8%80%85)

コーダ…コーダ(Coda,Children of Deaf Adults)とは、
ろう者の親を持つ聴者のことである。
ろう者の親から聴覚障害児が産まれている割合は1割
なので、ろう者の親から産まれる子供の9割はコーダとなる。



以前に、あるコーダの方の講演を見たことがあります。
その人の家族は両親がろう者で、両親とは手話で
会話をした、といいます。
普通の家庭とは違うために悩み苦しんだこともあった、
と話していました。
そのなかで出てくるのはやはり、差別問題で、
その方はある人と結婚前提の交際をしていましたが、
なかなか婚約には至らず、不安に思い続けた、
という経験をされました。
その方が理由を知った時は

「ショックを受けた」

と吐露しました。
相手から

「あなたの両親がろう者だから、両親から反対されて
いる」

と言われたのです。
もう悲しいというより、怒りのような感情が湧き起こった
そうです。

普通、反対されればされるほど、2人の間にある結婚
への障害が大きければ大きいほど、
恋も大きく燃え上がるものだ、と言われます。
故遠藤周作氏が、そのように話されていました。

その遠藤氏が絶賛する恋愛戯曲『シラノ・ド・ベルジュ
ラック』(エドモン・ロスタン/原作)をご存知の方は
多いと思います。

私はこの物語を映画でも観ました。
( →http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11112

観終わって思ったのは、
「シラノがしたことは、果たして良かったのだろうか?」
という疑問でした。
私は「(シラノは)良くはない」と思いました。でもそれが
恋というものです。

その次に、シラノはラストシーンで、クリスチャン名義の
恋文の作者が、実は自分だったことをロクサーヌに、
そっと悟らせています。
これだって

「死の直前だというのに言わなければ、生涯の悔いを
残す」

と思ったのかも知れません。
私は、これは

「言って良かった」

と思いました。

人並み外れたデカ鼻を持ち、そのコンプレックスから
起こしたシラノの行動が、ロクサーヌの恋の起点に
なった、と思うのです。
そして戦争で離れ離れになっても恋文を送り続ける
情熱は、ロクサーヌの心に灯をつけたのだと思います。

死にかけているシラノから真実を知ったロクサーヌは

「早く言ってほしかった」

と言っていますが、
自分の罪を深く感じていたシラノには言えるはずも
ありません。

最初はコンプレックスから言えなかったのが、
クリスチャンを悲劇に招いてしまったシラノは罪を感じ、
ロクサーヌの純愛のためにも背負い続けたに違い
ありません。

ロクサーヌの心に、永遠に一人の男性を想う純愛を
つくり上げたのは、間違いなくシラノでした。
あるいはシラノには、クリスチャンとの共同作業無しに、
この両想いの恋は無かったという思いもあったかも
しれません。
それを知るのが怖くて、真実を言えなかったのかも
しれません。

確かに戦争中、クリスチャンに促されて、一度は告白
しようとしたシーンが見られました。

聴覚障害者も、自分から言えない恋はきっと、
たくさんしているのではないでしょうか。

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by bunbun6610 | 2011-04-13 22:56 | 雑談