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タイの保険会社の感動CM 耳の聞こえない父・・・娘への愛【TVウォッチング】




『タイの保険会社の感動CM
耳の聞こえない父・・・娘への愛』
【TVウォッチング】
〔2015年9月21日 配信〕




「コーダの悩み」といった手話講演でも、
よく聞く話だなぁ。

映画『ゆずり葉』にも、ちょっと似ている
気がする。
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by bunbun6610 | 2015-11-08 07:45 | ろう者世界

『誰からも愛されるパンを』(Eテレ『ろうを生きる難聴を生きる』)

http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/backnumber/2015/09/0919.html#contents


Eテレ『ろうを生きる難聴を生きる』
『誰からも愛されるパンを』

 ·2015年9月19日(土) [Eテレ] 午後8時45分~9時

 ·[再放送]
 2015年9月25日(金) [Eテレ] 午後0時45分~


熊本で人気のパン屋がある。
作っているのは難聴のパン職人・東園子さん(37)だ。
幼い頃から料理が好きで短大を卒業後、一度は銀行
に就職したものの退職。
専門学校に通い、フランス料理店に就職した。
しかし、聞こえないことを理由に料理をさせてもらえず、
皿洗いしか出来なかったという。
やむなく郷里に戻り結婚、2人の子どもを授かるが、
再び料理への挑戦を始める。
姉が経営していたカフェの一角で、パンを売ることに
したのだ。
障害が原因で店のスタッフとコミュニケーションが
うまく取れず、一時は店をやめざるを得なかったが
努力を重ね、シンプルで毎日でも食べられるパンをと、
50種類ものパンを考案、人気店となる。
スタッフとの接し方にも工夫を凝らし、今や3店舗目を
出すまでになった。

番組では、何度も壁にぶつかりながらも、前へ進み
続ける東さんの姿を見つめる。


【東さんのパン屋】
まどパン(本店)

住所:熊本市東区下江津3-15-7
電話:096-285-3987



=======================




〔参考情報〕


『聴覚障害者にできる仕事』
〔2012-01-18 22:25〕



『料理人志望の聴覚障害者の現実』
〔2012-06-18 20:36〕



『必携製菓道具 ―3つの計測機器』
〔2013-03-03 09:00〕



『障害者雇用 - 日本ホテル株式会社』
〔2014-12-20 18:30〕



下のように、聴覚障害者が面接で
合理的配慮を求めたら、
不採用になった事例もある。

『就労前の聴覚障害者問題
 - 音声コミュニケーション妥協は
「歩み寄り」ではない』
〔2015-02-01 20:00〕





【追記】

あれだけ速く動けるのに、

「耳が聞こえない」

という理由だけで排除してしまうのは、
勿体ない。



(ナレーション)
「幼い頃からパンが大好きだった東さん。
いつか料理人になりたいと思い続けていました。
その道を実際に歩み始めたのは、
短大を卒業し銀行に勤めていた24歳の頃。

仕事に不満はありませんでしたが、
長年の夢を叶えたいと一念発起したのです。

貯めたお金をつぎ込んで料理の専門学校に進学。
横浜のフランス料理店に就職しました。
しかし3年半、皿洗いしかさせてもらえません。

『耳が聞こえないと客に料理を出すタイミングが
分からない』

というのが、その理由でした。」

(東さん)
『料理はさせてもらえなかったけど、
どんなことでも引き受けました。
でも、朝早くから夜遅くまで、皿洗いだけ
やって帰る。
こんなことが、私のやりたいことなのかな?
 と思うようになって・・・・。」


現在働いている『まどパン』では、
問題が起きる発端となったのも、
それを解決する発端となったのも、
コミュニケーションだったようだ。

秋に出すための新作パンの試作を見たが、
確かに他のスタッフの言う通り、
東さんが切って乗せた野菜が小さかった。

東さんは、それを他のスタッフの意見も
よく聞くことによって、解決していった。

味の基本は天然酵母と自家製低温殺菌牛乳
にあるらしく、その部分は東さんの専門領域
になると思う。
だが、それだけに自惚れることなく、
東さんは

「お客様とスタッフは気持ちが一番近いので、
(意見を)大事にしたいと思います」

と言う。

飲食業界ではよく、自分だけで考えた料理を
自画自賛するシェフがいて、チームワークを
無視したり、店を潰してしまったりするケース
がある。


お客さんの反応が、スタッフの意見と的確に
マッチしている。

「野菜がいっぱいのってて、見た瞬間、気になる。
秋っぽいし、おいしそう」


「レジに来たら目について、おしそうだったので、
野菜たっぷりで、買ってみようかなと思いました」





>「しかし3年半、皿洗いしかさせてもらえません」


このような話は、以前から聞いたことがあった。
私の料理経験でも、確かに洗い場の経験が
多かった。

予想はしていたけれども、次から次へと
出てくる話に、私も

「まだ、そんな時代が続いているとは・・・」

と、少し驚いている。

健常者でも、未経験者や、それに近い人なら、
まずは洗い場から始める、というのが当たり前
の世界だ。

だが、聴覚障害者となると、例え経験者であっても
「洗い場担当」になってしまことが少なくない。
ずっとそのままだって、珍しくはない。
健常者の場合にもあるけれども、健常者は誰か
後輩が入ってくると、ほぼ必ず交代する。
上へ上がれるので、いつまでも洗い場、
ということはない。

けれども、もしかしたら名門・名店と言われる
ほどの職場なら、健常者にもあることはある。
特に有名な話が、下の例だ。


『三國清三 - オテル・ドゥ・ミクニ
〔東京・四谷〕オーナー・シェフ』
〔2015-04-05 18:30〕




漫画の『包丁人 味平』だって、修行時代には
それなりにイジメや差別を受けている様子が
描かれているし、あれは漫画だから、という
単純な理由だけではない。
現実に、そういう世界なのだ。
原作者は取材で、ある程度のことは知って
いたのだろう。

『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕



だから、この世界に入るならば、
どこの職場に行こうと、差別的取扱いをする
人間が一人ぐらいは必ずいる、と思って
おいたほうがいいだろう。
その上で、そうした差別にも負けないで、
技術を盗むタフな精神力を培うことが必要だ。
それが自立に必要な経験でもあることは、
健常者、障害者を問わないと思う。

そのために私は『あしたのジョー』『アントニオ
猪木』『タイガー・ジェット・シン』からも、強い
影響を受けていた。



『『あしたのジョー』(高森朝雄/原作、
ちばてつや/画)』
〔2015-04-02 18:30〕



『燃える闘魂 - アントニオ猪木』
〔2015-04-03 18:30〕



『インドの狂虎 - タイガー・ジェット・シン』
〔2015-04-04 18:30〕




ただ夢を持っているだけでは、あの厳しい
世界に耐えてゆくことなど、出来なかったと
思う。
夢に対する強い気持ちも大切だが、
実現するには強い自己実現力を持つことが
必要だ。

だまされることもよくある世界なのだから、
技術を盗むためには、

「どんな手を使ってでも」

という、ずる賢さも必要だ。

東さんが、お店とどういう話し合いをして
入店したのか不明なので何とも言えない
ことだが、永久に洗い場担当というのは
当然に、東さんの本意ではなかった。

しかし、それはどうして、そうなったのだろうか。
入店する時の条件として、店が最初から

「洗い場で良ければ、雇ってもいい」

と言っていて、東さんもそれに文句を言わ
なかった可能性もある。
あるいは、

「聴覚障害者でも洗い場の仕事を覚えたら、
料理の仕事もやらせてもらえるようになる」

と、東さんだけが思い込んでいたのかも
しれない。
そういうズレは、現実によくある。

結局、東さんはうまいことを言われて騙された
のかもしれないし、会社としては障害者雇用率
と助成金目当てだったのかもしれない。
残念だが、障害者雇用ではよくあることなのだ。
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by bunbun6610 | 2015-09-24 23:29 | 就労後の聴覚障害者問題B

日本映画は聴覚障害者差別映画

Eテレ『オイコノミア』
毎週月曜 午後10時~10時45分
毎週金曜 午前0時30分~1時15分(再)(木曜深夜)

http://www4.nhk.or.jp/oikonomia/



7月13日(月)放送
午後10時00分~午後10時45分
オイコノミア
「どう選ぶ?お酒の経済学」

http://www4.nhk.or.jp/oikonomia/x/2015-07-13/31/10710/




コトバンク
『情報の非対称性』
(じょうほうのひたいしょうせい)

https://kotobank.jp/word/%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%81%AE%E9%9D%9E%E5%AF%BE%E7%A7%B0%E6%80%A7-178907




「取引を行う際、商品等に関して当事者がもっている
情報に当事者間で格差があること。

例えば、新品の商品が取引される場合、品質や
性能がカタログ等によって示されており、価格を決定
する情報は、売り手と買い手との間で「対称」であると
いえる。

それに対し、中古品の場合は、個体ごとに使用年数、
摩耗や損傷の有無・程度などの情報が異なるため、
価格を決定する品質情報に関して、売り手と買い手
との間に「非対称性」が生じるといえる。

後者の場合、買い手は価値の低い中古品を、
そうとは知らずに高い価格で買ってしまうおそれがある。
しかし、後になって自分が損な取引をしたことに買い手
が気づき、他の買い手も購入に対して慎重になると、
中古品が売れなくなる可能性が出てくる。
そこで売り手は、情報公開や何らかの品質保証を
求められることになる。

このように、市場に情報の非対称性が存在する場合、
その市場ではさまざまな問題が生ずる。
逆選択やモラル・ハザードなどはその代表例とされて
いる。」






健聴者と、次のような会話をした。

私;
「今は暑いから、仕事が終わっても、
すぐ家に帰りたくなくなってきた」

健聴者;
「そうだね」

私;
「そんな時期だから、勤務時間は早番のほうが
いいよ。
家に帰ると暑いから、クーラーをつけっぱなしに
しなきゃならない。
早番なら、仕事が終わってからも真っ直ぐ帰らず、
涼しい映画館に行く余裕がある。
障害者は割引があるから千円で観れる」

健聴者;
「それはいいですね」

私;
「でも、千円でも日本映画は観ない。
字幕がないからね。
字幕付きの上映日・劇場もあるけど、
フィルムが少なくて、それを全国の映画館で
使い回ししている。
だから、そのフィルムがある時しか、字幕付き
で上映されないんだよ。
その都合に合わせるのが面倒なので、
結局観ない。
寅さんや、山田洋次監督の良さも、
僕は全く知らない。
ゴジラなら、字幕がなくても観るかもしれない
けれどもね。」

健聴者;
「・・・・(笑う)」

私;
「この前、あるテレビ(オイコノミア「どう選ぶ?
お酒の経済学」
)を観て、『情報の非対称性
という話を聞いた。
経済学も、いろんな応用が出来て、いろいろな
物事を考えるのに役立つことがある。
そのテレビ番組ではワインに付くべき情報と
市場価値の関連性ついて、語っていた。

例えば、5500円のワインと3500円のワイン
とが、それぞれの生産者側から持ってこられた
とする。
買い手は、値段の違いがなぜなのかが分からない。
分からないままでは、最初はとにかく安い3500円
のワインにしてみようかと、皆考えたとする。
そうすると、5500円のワインは売れなくなる。
その結果、5500円のワインの生産者も

『売れないから、もうつくるのをやめよう』

と決めてしまう。
市場には二度と、そのワインが出回ることはなく
なってしまう。
しかし、もしもそのワインが、実は良質で美味しい
ワインだったとしたら・・・。
その価値を知らないまま消えてしまうのは惜しい
ことだ。
それが情報の持つ価値だという。

品質の差は「差別化」になるが、それは別の視点
で見れば、多様性を生み出す。
多様性は自然界には当たり前に存在するが、
人間社会にとっても、非常に重要だと思う。
そういうことを、テレビで話されていた。」

健聴者;
「ふ~ん・・・」

私;
「映画にも、そんな面がないだろうか?
日本では日本映画に字幕はつけていない。
しかし、日本語がまだ十分に理解できないまま、
日本で暮らす外国人が増えているとしたら、
どうなるだろうか?
聴覚障害者と同様に

『日本映画を観たくても、英語字幕がないから
わからない』

と言い出す人が増えてこないのだろうか。

日本ではアメリカ映画に日本語字幕がついていて、
楽しめる。
なのに、外国でもし、英語字幕のない日本映画が
上映されたら、外国人は不満を言わないだろうか。
日本で上映するアメリカ映画に日本語字幕が
付いているのは、多くの日本人も観るからだが。
それがたまたま、聴覚障害者にも対応していた
からだとも言えなくもない。

だが、聴覚障害者の場合は、それに比べたら、
はるかに少ない人たちなのであろうから、その人
たちのためだけに、わざわざ日本語字幕を製作
するのは割に合わない。
つまり、コストバランスの問題だと映画製作会社
は思っているのだろう。
しかし、私は

『同額のお金を払って鑑賞券を買っているのに、
なぜ聴覚障害者にだけ、字幕のない不便な
日本映画になっているのだろうか』

と思った。
聴覚障害者以外の障害者にも、不便はない。

(しかし、障害者手帳のない難聴者にも、
もしかすると聞こえづらい人はいるかもしれない。
ギリギリ6級未満の人なら、間違いなくいるはずだ。
それと、感音性難聴障害の人には、聴力に関係
なく、言葉の聞き取りづらさはあるものだ。)

これはどうもヘンだと思うのは、私だけだろうか。」


この辺は、聴覚障害者向けの字幕を付ける運動を
積極的に推進している松森果林氏に、是非とも
意見を聞いてみたいものだ。

http://d.hatena.ne.jp/karinmatasumori/


同額の料金を払って観るのに、なぜ日本映画には
字幕が常時付けられないのか。
そして、私ならばこう言いたい。
聴覚障害者の立場から言えばコストバランスうんぬん
の問題ではない。
字幕がない日本映画は、あくまでも聴覚障害者差別
映画なのだと。
それがわからないのは、制作会社が鈍感だからである。





【追記】(2015年9月11日)
〔関連情報〕

松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して~
『視聴覚障がい者も一緒に楽しめる
バリアフリー上映のお知らせ 』
〔2015-09-06〕

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by bunbun6610 | 2015-08-11 18:30 | バリア&バリアフリー

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/



この映画は奇妙だ。
こんな極限状態、社会が荒れた世界に、
何人もの障害者が登場する。
しかも、障害者の中には、社会の底辺にいる者から
組織のボスや上官にいたるまで、様々な地位にある
人がいるのだ。
何よりも驚いたのは、彼らも健常者に混じって、
生きるために必至で戦っている姿だ。
自分の権利を得るために、そして守るために。

日本では障害者が出る映画というのはほとんど
ないし、出ても視聴者に同情を誘うような、
極めて地味な役柄が多かったりする。
こんなシチュエーションは普通、あり得ない。

だから、ジョージ・ミラー監督の映画構想には
本当に驚く。
この映画では障害者も健常者と対等に扱って
いるのだ。

この映画のストーリーのようなことは、
実際に起きてほしくはないことは勿論なのだが、
いい面をあえてよく言えば

「障害者も社会参加を果している人間社会」

と言えるかもしれない。
そういう意味で、この映画は障害者、健常者とに
関わりなく、どんな環境の中でも生き抜く、
たくましい人間性を描いている、と思う。


障害者を描いた映画には『フリークス』があるが、
それは上映禁止になった映画だ。

『映画『フリークス』(1932年制作・公開)』
〔2014-11-06 18:30〕


しかしそれに対して、本作はエンターテイメント
作品として成功している。
障害者が活躍し、そして健常者にも称えられる
英雄になるのである。

大悪党のボス、イモータン・ジョーは、呼吸器を
つけていなければ活動できないらしい。
大悪党のボスが何と! 障害者なのだ。

ジョーに反逆し、希望と平和を求める大隊長
フュリオサ(シャーリーズ・セロン)も、義手の女性だ。
本作はフュリオサがジョーの支配を終わらせ、
英雄になるまでの物語だと言ってもいいくらいだ。

他にも、何らかの障害や病気を持つ、
つまりハンディを持つ人々が登場する。
さらに、高齢女性も兵士として、男と戦っている。
そんな誰もが“平等な”人間社会を、
たくましく描いているのだ。
暴力で支配する社会でありながら、
障害者も活躍できていた社会だったから、
私は「奇妙だ」と言ったのである。

彼らは、自分に障害などがあっても決して
卑屈にならず、むしろ堂々と自己主張していく。
それが、この社会では当たり前になっているのだ。
そういう意味では、素晴らしいではないか。

そんな映画をつくったジョージ・ミラー監督の
映画構想には、本当に驚かされた。

個性的でビジュアル的に強烈な印象を持つ障害者
を主役級に多数起用しているためか、
主人公マックスの存在感すら薄れてしまっている
ように思う。
しかし、それも監督の計算のうちなのだろうか。


以前に、ろう者も兵士になれるイスラム圏の国に
ついて話したろう者が、こう言っていた。


「ろう者も兵隊になれる国は、幸せだろうか?
日本では、なれないよね。
あなたなら、この国をどう思うだろうか?」



『ろう者の「幸せ」とは?
(花燃ゆ - 第23話 『夫の告白』)』
〔2015-06-10 19:00〕



障害者だから兵士にはなれないというのも、
実は差別なのである。
それがこの映画に描かれている世界では、
いいかどうかは別として、
そうした差別は全くない、ということになる。

障害者も健常者も関係なく、誰もが皆、
生きるために自分の権利を得るために、
守るために、自己主張をしている。
実際にこんな社会が実現してほしいなどとは
思っていないが、いいところだけを取り上げれば、
まさに障害者や高齢者のみならず、
ハンディを持つ全ての人々も社会参加している、
理想的な人間社会だと言えるのかもしれない。

そんな構想は、映画とはいえ、やはり大した
ものだと思った。
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by bunbun6610 | 2015-07-29 18:30 | 雑談

実在した盲ろう者の映画『奇跡のひと マリーとマルグリット』

フランス映画
『奇跡のひと マリーとマルグリット』


フランスに実在した、盲ろう者の実話物語だ。
勿論、「手話」と「触手話」が出ている。
マリー(盲ろう者)役には、本物のろう者を
起用している。

2015年6月から、東京などを初め、
順次、全国公開される。






〔参考記事〕


『「盲ろう者」について』
〔2011-04-09 09:34〕




『コミュニケーションは、人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕




『『ヘレン=ケラー自伝』
(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(1/5)三重苦』
〔2014-05-01 20:00〕






【追記】(2015年6月21日)

映画館の入場券売り場には、
鑑賞券を買う人の列が出来ていた。
そのなかに、カトリックの修道女もいた。
日本語で誰かと話しているようだった。

その時私は、昔、中途失聴者・難聴者対象
手話講習会で出会ったKさんを思い出した。
Kさんはカトリックの修道院で奉仕活動を
していた。

Kさんが手話の勉強を始めた理由は、
まず自身が難聴になったことと、
もう一つの理由があった。
それは

「カトリックのろう者に、聖書を手話通訳して
ほしい」

という修道院からの要望に応えるためだった。

ところが、最初は挫折してしまう。
Kさんは山登りが好きで、手話を覚えるためにも、
ろう者の山登りの会に入会しようとする。
しかし、「難聴者です」と自己紹介しただけで、
あっさりと無視されてしまったのだという。
それで最初はショックを受けてしまった。

しかし、使命感のある人だったので、
ろう者に手話通訳をすることは、諦めなかった。
そしてとうとう、ろう者の手話を覚え、
使えるようになるまで上達した。

50歳を過ぎてからの手話学習・修得だったから、
相当の努力家だったと思う。
普通の難聴者だったら、ろう者の手話からは
逃げてしまう人がほとんどだというのに。



〔参考情報〕

『『ヘレン=ケラー自伝』
(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(1/5)三重苦』
〔2014-05-01 20:00〕




『コミュニケーションの神秘性』
〔2011-08-30 00:40〕



「誰かとある形のコミュニケーションを保つこと、
友情をともにすることは、
絶望に身を任せるか、
限りない希望へと導くか、
二つの違いを生じさせるのである。」


          (スーザン・シャラー)



『言葉のない世界に生きた男』
(A Man Without Words)
【序文】オリバー・サックス
スーザン・シャラー(Susan Schaller)著
 中村妙子訳
(1993年6月25日発行,晶文社)より引用。

 →http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre4/schaller.htm





『狼にそだてられた子』
(アーノルド・ゲゼル/著 生月雅子/訳
 家政教育社/発行)
1967年5月20日第1刷発行
アーノルド・ゲゼル
(元イエール大学教授ゲゼル児童研究所長)


「孤立児にはそのほか、社会学者のギングスリ・ディビス
が報告した二例がある。
一例は先天性の精神薄弱らしいが、もう一つの
例は興味がある。
これは耳も口も不自由な母親といっしょに、
暗い部屋のなかに、六年半も入れられていた
コドモであるが、発見されたときには、
まったく人間らしさがなく、白痴のような状態で
あった。
しかし、じゅうぶんに学習させた結果、
二年後にはじゅうぶんに話をすることが
できるようになり、知能指数(I・Q)は三倍にも
達し、十四才にはまったくふつうの頭のコドモ
になっていた。」
(P10~11)



この本の話は、現在では「ウソ」だとされている
らしい。


『世界が騙された「オオカミ少女」というウソ』



しかしそれでも、人間が人間社会で生きていく
ためには、適切な教育が必要だということは
確かだろう。

ヘレン=ケラーも、サリバン先生からの教育を
受ける前は、野生児のように暴れていた、
という自伝記録がある。


耳の聞こえない赤ちゃん』
〔最終更新日 2004.01.26 08:48:19〕



『【感動の話】 あるろう者の苦悩と、幸福観』
〔2015-04-02 23:06〕




マリーは36才の生涯ながらも、マルグリットとの
物語は映画『ゆずり葉』(※)を思い出させるものだった。
マルグリットからマリーへ、そして次の盲ろう者を
この修道院が受け入れ、手話で教育していったそうだ。
そのあたりは、映画『ゆずり葉』を思い出す。


(※)
全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画
『ゆずり葉』




また、手話言語法の必要性を強く感じさせる
映画でもあった。


『「教育をしない者の罪」
 教育に捧げた人生 ―古河太四郎 生誕170年―』
〔2015-05-21 19:30〕



聖書に

「光があるように」

といった言葉がある。
マルグリットの人生にとって、マリーが「光」
となった。
マリーにとってもマルグリットが「光」だった
ようだ。

では「言葉」は何だ?
それが「聖霊」の働きの一つなのだろうか?
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by bunbun6610 | 2015-06-02 19:44 | ろう者世界

ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?

『聴覚障害者と音楽』


本題の話をする前に、ちょっと別のところから
入ってみたい。

以前に、『ろうを生きる 難聴を生きる』という
テレビ番組で、若い聴覚障害者が手話ソング&
ダンスに取り組む様子が放送されていた。

耳が不自由でも、なぜか音楽が好きな人はいる。

そればかりか、聞こえづらい音楽に合わせて、
歌を手話で表したり、ダンスをする聴覚障害者も
いる。

音が聞こえなくても、リズムを身体で覚えて、
踊るのだという。
聞こえなくても、そういう方法で音楽を楽しむ
聴覚障害者がいることは事実だ。

勿論、こういうものには、好きな人と嫌いな人が
いるわけなのであるが。
それと、音楽をどのように楽しむかは、
その人の自由だろう。

私は、本当は音楽が好きなのだが、
そんなことはもう決して、したくないほうである。



映画『愛は静けさの中に』(※1)にも、
それが描かれている。



(※1)
『手話パフォーマンスをどう思うか?』
〔2014-06-24 18:30〕




『心の叫び (3)『愛は静けさの中に』』
〔2014-11-03 18:30〕




この映画では、ジェームズ先生の指導により、
ろう学校の生徒が学園祭で、手話ソング&
ダンスを披露した。
しかし、生徒のリディアたちを見たサラは、
否定的な反応を見せる。

理由はハッキリ分からないが、サラの劣等感
かもしれない。

その原因となる、リディアとサラとの違いは
何だったのだろうか?

リディアは、もしかすると難聴だったのかもしれない。
一方、サラは、ろうあ者だ。

その違いが、声も出して歌えるか、そうでないかを
分けていたのかもしれない。

この場合は確かに、聴力と発声能力は正比例すると
いえるかもしれない。

しかし、中途難聴・失聴者の場合は、完全に正比例
するわけではない。
そこが、健聴者の知らない聴覚障害の領域であり、
誤解が広く行き渡ってしまっているようである。

その証拠に、中途難聴・失聴者には手話歌が好きな
人が結構いるものだ。

もしそれを見たら、健聴者は

「偽聴覚障害者だ」

と言うのだろうか。


だから、それについての話をするために、ベートーヴェン
の例を出してみたい。





『ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?』



テレビ朝日『林修の「今でしょ!講座」』



2015年4月28日(火)放送
『科学で料理が美味しくなる
 &葉加瀬太郎の音楽講座3時間SP』

http://www.tv-asahi.co.jp/imadesho/backnumber/0030/



『NPO みみより会』



みみより会 丸山一保氏
『ベートーヴェンの耳』




〔参考情報〕

マンガの中の聴覚障害者
『ベートーベンの耳は聞こえていた』




>「自分の作った音楽を確認することができなかった
というベートーヴェンの悲劇は、そんなことは実際に
はなかったはずなのですが、お茶の間の視聴者に、
改めて深い同情を呼んだのに違いありません。」



丸山氏のこの話を読んで、気がつく人もいるだろう。
佐村河内守氏が著した『交響曲第一番』だ。
そこには、次の文章がある。



>「「『死んだ“作曲家”』
指揮者のもとに行くと、彼は楽譜のある小節を指差し、紙にペンで記しました。

〔この一小節は実際に鳴らして(演奏して)みると、一つのパートがほかの
楽曲群にマスキングされてほとんど聞こえなくなるのですが〕

「このパートは瞬間的なサブリミナル的効果をねらったものだけれども、
あなたの指摘も否定できない」

私はそう答えながら、まさかこの箇所の不具合を鋭く指摘してくるとは、
と内心思っていました。
じつは作曲中、この部分の実験的試みを行うべきか否か、一度悩んだのです。
しかし、あまりに時間がなかったので、頭の中で時間をかけてしっかり響きを
確認するということを怠ったまま、見切り発車的に記譜していました。

〔このパートが入ることで全体の響きが一瞬にごって聞こえるので、
これをカットしたバージョンを聴いてもらって気に入っていただけたら・・・〕

指揮者はそこまで書き、瞬時に顔を青ざめさせ、

「聴けないんでしたね。
すみません」

と謝罪しました。
私も瞬時に青ざめました。」


『『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 4/11』
〔2014-02-04 18:30〕



(実際は佐村河内氏が作曲したのではなく、
しかも難聴者だったので、この話はあくまでも

「交響曲というものはどういうものか?」

ということを理解する意味で、読んでいただきたい)


これほど複雑な曲だったならば、なお一層のこと、
聞こえていなければ作れるわけがないのではないか。

だから健聴者は

「重度聴覚障害にあまりにも同情してしまって、
この矛盾に気がつかなかった」

ということになる。

あるいは、もしかしたら世界中の健聴者は、
ベートーヴェンに引っかかり、それで
佐村河内氏にも騙されたのかもしれない。

それほど、健聴者は聴覚障害について、
ほとんど知らないということではないだろうか。

医学では

「後天性難聴から全聾にまで聴力が失われる
ようなことは稀だ」

と言われているのだから、それは十分ありえる
と思う。
伝音性難聴だけで、全聾になるまで悪くなることは
珍しいそうだ。


>「天才少年演奏家として、デビューしたベートーヴェン
が、中耳に病気のある伝音系の難聴者だったという
ことは、同じ病気のために孤独な少年時代を送った
ぼくには、だれよりもよくわかるのです。」


おそらく、ベートーヴェンは伝音性難聴障害なのでは
ないかと思う。
現代医学でも、後天性難聴者には多い難聴障害と
考えられているからだ。



>「ベートーヴェンは、生涯にたくさんの恋をしますが、
その恋は一つとして成就しませんでした。
彼は、生涯独身でした。
・・・(中略)・・・
しかし、このことは、ぼくにとっては不思議でもなんでも
ないことでした。
 ベートーヴェンの耳が、実は、少年時代からの
難聴だったと考えれば、そこにはまったく謎が
ないのです。」


この部分も、私は非常によくわかる。
難聴を経験したことのある人ならば、
間違いなくわかるだろう。

おそらくベートーヴェンも、非常な難聴コンプレックスを、
心の内に抱いていたのだろう。

シラノ・ド・ベルジュラックがデカ鼻のコンプレックス
から純愛を貫き、過ちを犯し、それを償うために、
生涯独身だった物語と似ているように。(※2)



(※2)
『シラノ・ド・ベルジュラック(エドモン・ロスタン原作)』
〔2011-04-13 22:56〕





ムーラン・ルージュで有名な画家・ロートレックも、
本命の相手と恋をしたが、コンプレックスに苦しみ、
そのことが理解されなかった。
異常な面があるのは、果たして天才ゆえの人格的
欠点だけだからだろうか。


Movie Walker
『赤い風車』(1952)
〔1953年5月28日公開〕



ベートーヴェンも、難聴に苦しみながら、
ひとすじの生き方を通したかったのだろうと思う。
ひょっとしたら、その苦しみと祈りに満ちた難聴体験
こそが、世界中の人々を感動させる名曲を生み出す
源泉だったのかもしれないのだ。

他の人とは違う仮説になってしまうが、
難聴体験は必ず精神に影響を及ぼす。
ベートーヴェンの音楽がもし、精神性溢れる作品
だとしたら、その影響を受けて作られたものに
違いないと思う。

あの突然の「ジャジャジャジャーン!」で始まる、
ドラマチックな楽曲も、己の難聴・失聴の運命を
衝撃的に表していると言えないだろうか。
あれこそ、難聴、そして失聴と闘いながら曲を
作り続けた、彼の運命を鮮明に表していると
思うのだが。
彼は己の悲運と、独りで闘った男なのかもしれない。


〔難聴者の恋愛・参考情報〕

『レインツリーの国』
(有村浩/著)


この小説では、女性のほうが難聴なのだが、
この女性は自分が難聴であることを隠しつつ、
恋をしている。

実はこの作品は、有村氏が実際に難聴者協会の
難聴者から取材して構成した作品で、モデルが
あるのだという。

今年11月に実写化するという情報もある。
難聴者を主人公にしたドラマや映画は珍しい。

http://raintree-movie.jp/



ちなみに

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』

の著者・金 修琳氏も、インターネットの「お見合いサイト」
で相手探しし、結婚しているという。




葉加瀬氏はベートーヴェンを「偏屈な男」と評して
いたが、難聴コンプレックスに苦しめば、
誰だってそうなる。


「ベートーヴェンは79回も引っ越した」

という理由だって

「掃除ができないから」

という説だったが、これも、それだけではなかった
かもしれない。
つまり

「近所の人に難聴を知られたくなかったから」

という理由もありえる。
これも、実は難聴者にはよくあることだ。

障害者にネガティブな見方をするのが当たり前の
時代にあって、類稀な才能で名声を得ていた人
ならば、なおさら隠しておきたかったのではない
だろうか。
少なくとも、必要以上には知られたくないことだ。
結婚相手も探していたのなら、なおさらそうだろう。

だから、葉加瀬氏の評は「的を射ていない」と、
同障者である私ならば思う。


それでも、葉加瀬氏がベートーヴェンを第一位に
選んだ理由は

「聴こえないのに、曲を書こうとする意志が驚き」

としている。

これも確かに、本当に全聾であったならば、
それは「驚き」かもしれない。
しかし、この場合も、医学的な意味での「全聾(deaf)」
と、ろう者(Deaf)とを、混同していないだろうか。(※3)


(※3)
『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕



それと、障害を持つ人を、何だか“哀れみの対象”
としてしか、見ていないようにも思える。
本当は障害ゆえに、恋も激しかったのかもしれないし、
あのような名曲を数多く作れたのかもしれないのだ。

「恋愛は、二人の間に障害があればあるほど、
激しく燃えあがる性質がある」

ということは、遠藤周作が書いた『恋愛論』を読んで
もわかる。
シラノがまさにそうだった。

残念ながらそこ(障害と恋愛との関係や、障害と
精神的活動力との関係)には、全く注目されて
こなかった。
昔も今も。


中途難聴者や中途失聴者も聴覚障害者(deaf)
である。
中途失聴者には「全聾(deaf)」の人もいるだろう。
しかし、だからといって、「全聾者」は「ろう者(Deaf)」
と全く同じなわけではないのだ。
音の世界を持ってきた彼らにしてみれば、
第一言語は当然ながら日本語であり、
音のイメージ力も十分、ないし、ある程度は残って
いるのは当然だ。
そこは、生まれつき聴こえないろう者(Deaf)
とは決定的に違っていて、当然である。

テレビ番組では、ベートーヴェンの聴覚障害を

「20代できこえづらくなり、30代で難聴になり、
40代でほとんど聴こえなくなった。
名曲『第九』は聴こえなくなってから作られた」

と、説明している。
これでは、ゲストも視聴者も感銘を受けるのは
当然だろう。

しかし、本当にそうだったのかどうかは、
疑問が残るかもしれない。
「聴こえない」という意味は、当時でも聴覚障害者
の言うように

「言葉が聞き取れない」

という意味であって

「音声が全く聴こえなくなった」

という意味ではないかもしれないのだから。
だとすると、聴覚障害者の実情と健聴者との
解釈との間には、かなりのズレがあることになる。

ベートーヴェンの音楽に、高い芸術性を認める
ことができ、音楽に初めて物語性を取り入れ、
ロマン派の先駆者になった、という点では、
評価できると思う。
それまでBGM的なものとして用いられ、
そのために作曲していた音楽に、革命を起こした
のだから。
誰もが立ち止まって、聴き入ってしまうような音楽を
初めて作った人、という点で、ベートーヴェンは
高く評価されて当然だろう。

しかし

「『聴こえないのに『第九』を作曲した』

と解釈するのは、果たして正確なのだろうか?」

と思わざるをえない。

歴史上の偉大な人物ほど、誇張されてしまうことは、
よくあることだ。

さらに、作曲家としての偉大さに、あれほどの脚光を
浴びても、難聴障害の苦しみについて、何も語られて
いない点についても、疑問に思わざるをえない。

難聴でもあそこまで苦悩に耐えて名曲を残していった、
ということがもっと語られていて、同障者にも知られて
いたなら、同障者の励みになっていたかもしれないし、
ベートーヴェンも喜んだに違いない、と思うのだが。
それを誰も研究してこなかったことが、残念である。

やはり音楽とは、そしてベートーヴェンの功績とは、
ただ健聴者のためだけにあるものなのだろうか。

それ以外の部分、特に難聴障害については、
誰にも顧みられなかったことは、
同障者から見ると寂しいことだと思う。
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by bunbun6610 | 2015-04-29 09:33 | 難聴・中途失聴

花燃ゆ - 第17話 『松陰、最期の言葉』

花燃ゆ - 第17話 『松陰、最期の言葉』



NHK大河ドラマ
 『花燃ゆ』

http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/



花燃ゆ 白熱教室
第21回 友に綴った最後のメッセージ!『留魂録』





〔参考情報〕

日本の歴史をわかりやすく解説
『安政の大獄とは?』
『吉田松陰とは?』



松陰神社
(東京都世田谷区)





安政6年(1859)10月26日
前原一誠が小田村伊之助に『伏見要駕策』を
漏らしたために、寅次郎は江戸の伝馬町牢に
入れられていた。
入江や野村も、岩倉獄に入れられていた。

高杉は江戸の牢に入れられている寅次郎に、
硯を届けた。
これで、友たちへの「最期の言葉」を、寅次郎が書く。
それが『留魂録(りゅうこんろく)』という文書だった。
寅次郎の、最期の言葉だ。


7月9日

梅田雲浜(うんぴん)と密会した目的、理由、
及び、京の御所にて、ご公儀を批判する落とし文が
あったことについて、寅次郎を取り調べる。

この時に、寅次郎は「死罪に当たる罪を犯している
ことを告白した。
それが、ご公儀には引っかかったが、それは寅次郎
が井伊大老をおびき寄せる作戦だった。

引っかかったご公儀は、その罪について知りたがった。
そこで寅次郎は


寅次郎;
「ご老中、間部(まなべ)様を京にて待ち伏せ、
死を覚悟して、おいさめしようとした事でございます」

ご公儀;(びっくりして騒ぎ出す)
「なんと! 間部様を!?
待ち伏せて・・・おいさめ?」

寅次郎;
「いかにも。」

ご公儀;
「おいさめし、ご老中が聞く耳を持たなかったら、
どうするつもりであったのだ!?
刃(やいば)を向けるつもりであったのか!」

寅次郎;
「ふっ。
そこまでは考えておりませなんだ。」





その話を家臣から聞いた井伊は、
寅次郎をさらに厳しく取り調べることを命じる。



10月5日

寅次郎への取り調べが再び行われた。
奥の部屋に姿を隠した井伊がいた。


ご公儀;
「重ねて尋ねる。
その方、ご老中・間部様と刺し違えようとした
のではないか!」

寅次郎;
「刺し違えるなど申した覚えはございませぬ!
おいさめしようとしただけでございます!」

ご公儀;
「ご老中をおいさめしようなどと、そもそも、
ご公儀に対して不敬とは思わぬか!」

寅次郎;
「なれば、天子様のお許しも得ず、メリケンとの
条約を結んだ井伊様こそ、不敬の至りでござる!」

ご公儀;(激怒して)
「貴様、何を申すか!」
「無礼であろう!」

井伊;
「控えよ!」

ご公儀;(静まり)
「申してみよ」

寅次郎;
「徳川家が200年以上の長きにわたり、
この日本国を太平に保たれてきたは、
公方(くぼう)様が徳をもって治められてきた
からに相違なく。
しかし今、幕府は、この国の未来を憂えて
立ち上がった者たちを、次々に捕らえ、
拷問し処刑している。
徳ではなく、力で政を押しつけんとする
井伊大老に、この国の未来を託す事が
できましょうや!」

ご公儀(石谷);
「それ以上申せば、ただでは済まさんぞ!」

寅次郎;
「己の命など!」

寅次郎;
「若き日、私は日本国中、あらゆる土地を
歩き回りました。
どの地にも人がいて、暮らしがあり、皆、
己の幸せを信じて、懸命に生きていた。
その営みを脅かすものがあるならば、
異国であろうとご公儀であろうと、
私は戦いを挑む覚悟にございます!」

井伊;
「吉田寅次郎。」

(井伊が寅次郎の前まで出てきて、姿を見せる)

井伊;
「ならば言おう。
国を混乱に陥れているのは、お前たちの方では
ないか。」

寅次郎;
「我らはただ、我らの思う一歩を踏み出し、
国を救いたいと思うておるのみ。」

井伊;
「その一歩とは、攘夷か?」

寅次郎;
「異国の大筒に脅され国を開いては、
いずれ日本国は、異国の思うがままに
されてしまいます。」

井伊;
「なればこそ、国は強くならねばならん。
異国に国を開き、異国の手を借りてでも。」

寅次郎;
「草莽(そうもう)の声に耳をお傾け下され!」

井伊;
「秩序を欠いては、国は国でなくなる。」

寅次郎;
「もはや、この国は、ただ一握りの者たちでは
持ちこたえられませぬ!
万人が力を尽くし、守らねば。
徳をなくした政の果ては亡国にございます。」

井伊;
「許さぬ。」

寅次郎;(不敵に微笑み)
「もとより。
命など惜しんではおりませぬ。」

ご公儀;
「引っ立てい!」

獄吏たち;
「はっ。」

獄吏たち;
「立て。
こっちだ。」

(寅次郎は井伊をずっと睨んで、
引っ立てられていった。
井伊の表情には屈辱感がにじみ出ていた)



10月27日

寅次郎は、万が一のために、『留魂録』を2部作成した。
そのうちの一部は、同じ獄の囚人・沼崎吉五郎に

「長州の者に渡してほしい」

と頼んだ。



(一方、萩の村塾で)

前原;
「時々、考えておったんです。
17の時、馬から落ちておらんかったら、
私はどのような道を歩んでおったんじゃろうかと。
じゃが、今日、分かった。
つまずきも苦しみも、皆、己じゃ。
じゃからこそ、先生と巡り会い、こうして、
皆とも出会えた。
ただ言葉を交わし、顔を見合わせるだけの事が、
これほど力になるとは。」

文;
「前原さん・・・。」

前原;
「できれば、これからも皆さんと共に。」



10月27日

寅次郎、江戸で処刑される。
しかし、井伊大老の前で、思う存分に語った
寅次郎には、もう何の悔いも迷いもなかった。



寅次郎;
「今私は、死を前にして、心安らかです。
今更、誰を恨もうという気もありません。

それは、命について、こう悟ったからです。
春には種をまき、夏に苗を植え、秋に実り、
冬には蓄える。

人にも、同じように四季があります。

人の命とは、歳月の長さではない。
10歳で死んでいく者は10歳の中に。

20歳で死んでいく者は、20歳の中に。

それぞれ春夏秋冬があり、実を結んでいる。

私は30歳ですが、収穫の時を迎えたと
思っております。

もし、同志の中で、私の心を継いでくれる人が
いたら、私の実は空ではない。
どうか、一粒の籾(もみ)として、次の春の種
となれますよう。」


「井伊直弼(いい なおすけ)による安政の大獄は、
吉田寅次郎の処刑をもって、幕が引かれる事と
なった。(終)」


「松陰の最期は堂々たる態度で、幕府の役人も
感嘆したといいます。
死ぬ直前まで、家族や友人、そして国を案じて
いた松陰。
その志は多くの志士たちに受け継がれ、
維新の原動力となるのです。」




家族に残した『永訣(えいけつ)の書』には

「親思ふ こころにまさる親ごころ
けふの音づれ
何ときくらん」
(寅次郎の、故郷で自分の帰りを待つ両親を思いやる歌)



新約聖書の、ある話を思い出す物語だった。
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/spirit/chapel/chaplain/2006/04/0417.html

なぜ、こんなことができるのかと思う。

本当に「信じる」だけで、ここまでできるか?
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by bunbun6610 | 2015-04-27 18:30 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』

花燃ゆ - 第16話 『最後の食卓』

花燃ゆ - 第16話 『最後の食卓』



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〔参考情報〕

日本の歴史をわかりやすく解説
『安政の大獄とは?』
『吉田松陰とは?』




百合之助;
「標(しるべ)やったんじゃ。」

亀;
「標?」

百合之助;
「文にとって寅次郎は、道を照らす掛けがえのない
明かりじゃった。」

亀;
「塾のお世話も賄いも、文さん、それは楽しそう
じゃったもんねぇ。」

百合之助;
「今、文は何より、己のよりどころを見失うとるん
かもしれんな。」





標。
道を照らす、掛けがえのない明かり。
それが、光のことではないだろうか。
証しではないだろうか。

文が寅兄に


「ならば、証しを見せてつかぁさい!」

『花燃ゆ - 第5話 『志の果て』』
〔2015-02-08 10:25〕


と叫び、求めていたものではなかったか。
それがいつの間に、すぐそこにあったではないか。

それを思えば、松下村塾は教会にも似ている。

聖書の中にも、似たようなことが記されている。
神の栄光を見たいと、しきりに民が神に求めていた。
それに対し

「私の栄光は、それで十分である」

と、むしろ民に満足させられない部分があった。
そういう、目立たない、目には見えない何か
なのだと思う。
だから寅次郎は

「花が・・・、花の香りがする・・・」

と、しきりに言っていたのではないか。

高須は

「その花は、高いところで咲いているので、
隠れて見えない。
けれども、香りを感じることはできる」

と語っている。

あの物語には、そういう意味があるように思う。
この物語は、極めて聖書的だ。




江戸奉公所から召喚状が来たことを知らされた
寅次郎は、自分の意見をぶつけるチャンスと考え、
進んで受け入れた。


百合之助;
(文に)「お前の叫びごときで揺らぐ兄ではない。
寅次郎はとうに覚悟を決めておる。
この上、お前が背負うことではない。」

文;
「ですが・・・。」

百合之助;
「お前は、兄ではない!
我らは、我らを生きねばならん。
たとえ、寅次郎をなくしたとしても。」







梅太郎;
「できんと言うた兄を恨むか?」

文;
(「いいえ」と、首を横に振る)

梅太郎;
「己を偽り、思うところを語れん寅など、
それはもう寅ではない。」







高須 久子;
「至誠 而 不動 者 未 之有也
二十一回猛士」
(至誠にして動かざるは、いまだ、これ、あらざるなり
孟子)

至誠を尽くせば、人は必ず動く。
変わることができる。

あのお方(寅次郎)は、何も揺らいでいないのです。
獄にあっても、家にあっても、あの人の魂は、何も。」

文;
「そのために、身を滅ぼす事になっても?」

高須;
「誰も、あの方を滅ぼす事なんて、できませんよ。
己の志を、江戸のほかならぬ、ご公儀の面前で、
思いの丈、述べることができるのです。
あのお方にとって、それ以上の幸せがありますか?」

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by bunbun6610 | 2015-04-20 18:30 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』

花燃ゆ - 第15話 『塾を守れ!』

花燃ゆ - 第15話 『塾を守れ!』




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(寅次郎が閉じ込められている野山獄にて)

敏三郎;
(手話)「僕がやる」

寅次郎;
「何を・・・。」

(敏三郎は自分で持ってきた、寅次郎が教え子たちに
送った手紙『伏見要駕策』を見せる)

寅次郎;
「伏見要駕策・・・。」

敏三郎;
(手話と筆談)「僕も塾生だ。
兄上の味方だ。」

寅次郎;
「味方・・・。」

敏三郎;
(手話と筆談)「みんなが寅兄に背を向けても、
僕は寅兄を信じる。」

寅次郎;
「信じる・・・」

敏三郎;
(手話)「(僕が)一番悲しいのは、声が届かん事。
(僕が)一番悲しいんは、(みんなに)伝えようと
しても、受け取ってもらえん事。
寅兄の声は、僕が受け取る。
僕が行ってくる。」

寅次郎;
「敏・・・。」

敏三郎;
(手話)「きっとうまくやれる。
せわぁない。」

(敏三郎の表情が固くなり、そして立ち上がって去る)

寅次郎;
「待て・・・。待て。
待て! 敏三郎!」

(後ろから呼びかけても、敏三郎には分からないので、
急いで)

寅次郎;
「福川様! 福川様!」

福川;
「何じゃ?」

寅次郎;
「弟を止めて下され!
敏三郎!」

(敏三郎が戻ってくる)

寅次郎;
「敏・・・。
行ってはならん。

敏三郎、大事な仕事を頼む。
家に戻って、母上に伝えてくれ。
差し入れのつるし柿、ありがとうあんしたと。

さあ、柿を一緒に食べよう。
ほぉべたがほろけるぞ。」

(しかし敏三郎は、尊敬する兄にもそう言われた
ことに残念そうで、涙を流した)






まるで、聴覚障害者がよく使う「オウム返しのマジック」
みたいなコミュニケーションだな。

兄の立場の苦しさを理解していたのが、
同じ経験をしてきた敏三郎だったのだ。
なるほど、それならば

「松陰は弟・敏三郎から精神的影響を受けていた」

という話は、理解できる。





文;
「・・・英雄になんか、ならんでええから・・・。
そのまんまの、ただの兄として・・・。
どうか・・・どうか、どうか、帰ってきてつかぁさい。」

寅次郎;
「ただの・・・兄として・・・」

文;
「みんな、寅兄が大好きなんです。
どうか帰ってきて・・・。
生きてつかぁさい。
私たちと一緒に。」

寅次郎;
「酷な事を言うのう・・・。
それは、僕の人生ではない。

文。
兄は死にたいんじゃ。
こねな僕でも、死んでみせれば、心を動かして、
立ち上がる人間もおるじゃろう。
僕がそうしてみせなければ、どれだけ待った
ところで、志を持った者たちが決起する事は
永遠に来ん。
僕はもう・・・死ぬ事でしか生きられん。」

(伊之助に)
寅次郎;
「いつになろうと、君は僕を止める事しかできん。
死ねん人間だからじゃ。
君も、久坂たちも。

『死ぬ覚悟はある。
じゃが、むだ死にはせん』。

そねな事はうそじゃ。

『時が来る。
今ではない』

そう言い続けて、何をなす事もなく、
人生が終わるんじゃ。
声をあげん者に、声が届かん者の気持ちは
分からん。
事をなさん者に、失敗した者の気持ちは分からん!
伊之助! いつだって、お前は、はたで見物する
だけじゃ。
お前など、友ではない。
藩の犬め。
お前など、友ではない!
口先だけは立派なことを言うて、何の行動もなせず・・・。
そういう人間を、僕は最も憎む・・・。

僕も同じじゃ。
僕は、僕を憎む!
何の役にも立たん!
世のため、人のために・・・何も!」




まるで、旧約聖書の預言者たちみたいな人生だ。
預言者たちは、神の命令に嫌々ながらも従い、
預言者としての働きをなそうとした。
周囲の多くの人から、嫌われたりもした。
そして、死んでいった。

だが、それが世を変える者たちの宿命―。


日本にも「天命」という言葉がある。
寅次郎たちのような苛酷な天命は、
誰にでも与えられているのではない。

暗殺されたリンカーンもそうだと思う。
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by bunbun6610 | 2015-04-12 22:52 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』

花燃ゆ - 第10話 『躍動! 松下村塾』




花燃ゆ - 第10話 『躍動! 松下村塾』




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小田村伊之助;「何かできるというんなら、
いつでもやってみたらええ。」



吉田松陰(寅次郎);「吉田(稔麿〔としまろ〕)
君の志、しかと受け止めた。
身分の上下、くだらん建前・・・。
すべて、この志の前では一文の価値もない。
古い考えに縛られてはならん!
思うように、あらがえ。
諸君! 狂いたまえ!」



松陰;「僕が、この世で一番恐れているもんが
何か分かるか?
・・・何事もなさん事じゃ。
そして、なそうとせん事じゃ。
志の果てに迎える死以外で死にとうはない。
断じて。」
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by bunbun6610 | 2015-03-10 22:58 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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