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ろう者はガマンするだけ


Cさんと話した。
昨日、人事部Mさんとの相談のことを話した。
話を聞いたCさんは

「健聴者は、そういう反応が当たり前。
障害者のことなんか、相談しても、聞いてくれない」

と言っていた。
だからやはり、昔からろう者はガマンしているのだという。

ガマン以外に方法はない、という感じだ。
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by bunbun6610 | 2014-11-10 18:30 | Z1.クレジットカード会社

『言葉しか聞こえない補聴器はなぜできないのか』

『言葉しか聞こえない補聴器はなぜできないのか』
 - 難聴者にとっては、夢の補聴器?


L.S.B.information

『言葉しか聞こえない補聴器はなぜできないのか』
〔2014年8月12日〕





「これを書いた人は、やっぱり健聴者なのでは
ないだろうか」

と思う。

読んでみて、予想通りというか、それが普通の
考え方だろうな、と思った。

もし、人の話し声だけをうまく聞き取れる補聴器
があったら、あなたならどうしますか?

私だったら

「何としてもその補聴器を手に入れたい」

と思うだろう。

健聴者にとっては

「かえって危険だ」

と思うよなものでも、難聴者にとってはノーベル賞
モノだろう。
おそらく、世の難聴者から話題にされ、爆発的に
売れるに違いない、と思う。
きっと社会の各方面で反発はあるだろうが、
それでも、発明者は巨万の富を得られるだろう。


勿論、使うほうにもリスクはある。
そのリスクは、命と引き換えになるほど大きくなる
場合もある。

それでも、想定内だ。
だから、それでも

「こういう補聴器があったらいいな」

と思う。

上手く使えば、どれだけ楽になることか。
自分の人生にどれだけの苦痛をなくし、
そして生きがいを、楽しみを取りもどすことが
出来ることか。
想像に難くはない。

しかし、いつしか、その魔法に酔いしれてしまい、
もはや危険性を忘れて、事故で死ぬことも、
きっとあるに違いない。
(繰り返すが、それも「想定内」だ)

そういう補聴器は、やっぱり麻薬みたいなものなの
かもしれない。
あるいは、シンデレラのようになるだけなのか。

必ず、やめられなくなるだろう。
そして、自分の死ぬ確率を高めてしまうのだ。

それでも、その補聴器が欲しい。
そんな補聴器があったならば。

虚しい人生を100年生きるよりも、
濃密な人生を10年生きたほうがいいと思うのが、
人として当たり前ではないだろうか。

人としての尊厳は、何ものにも代えられない。
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by bunbun6610 | 2014-11-09 18:30 | 難聴・中途失聴

日本語の助詞と音韻と、日本手話

自分は言語学には素人だから、
こういうタイトルでいいかどうか、
よくわからないのだが。

ただ

「日本手話にも音韻がある」

と聞いたことは、確かにある。
つまり、気持ちにより、手話も変化する
(「変形」すると言うべきか?)ということだ。

(音声日本語の場合も同様に、声の調子や、
助詞の使い方が変わってしまう。)

日本語と併せて補助的に使う日本語対応手話とは、
違う性質を持つ。


その日本手話について。

面白いブログを見つけた。
特に、日本手話に関することが、たくさん書いてある。

日本手話を本気で覚えたかったら、
これを読んだほうがいいと思う。

日本語というものは、実はどういうものなのかを
知るための、参考になる。
広く言語研究するにもいい、と思う。


『日本手話を楽しもう』



その中の記事に


日本手話を楽しもう
『ろう者の手話を聴者が評価?』
〔2011/6/26 10:00 | 投稿者: emi 〕



というのがあった。




>「「を」と「が」の違いは?」


う~ん・・・。

例えば、もし要約筆記者が音声日本語を聞き取って、
書き言葉で通訳したら「ご飯食べたい」でも、
音韻があることは分かっていると思う。
手話にもあるように。


(A)「ご飯食べたい!」
(〔もう早く〕ご飯が食べたい!)
(早く食べたい場合など)
(我慢しきれない場合の表現)

(B)「ご飯食べたい・・・」
(〔早く〕ご飯を食べたい・・・)
(腹が減りすぎて、もう元気がなくなってきた場合など)

(C)「ご飯食べたい!」
(ご飯を食べたいっっ!!!)
(怒っているイメージだ)

(D)「ご飯食べたい?」
(ご飯を食べたくなった?)
(平常の質問文)

(E)「ご飯食べたい?」
(ご飯を食べたいの?)
(ちょっと優しく語りかけて)

(F)「ご飯食べたい?」
(ご飯が食べたい?)
(ご飯は食べたいかな?)
(ご飯食べたくなってきたかな?)
(食事デートに誘う場合に、わざと優しく使う質問文。
下心がある場合)



今は便利な絵文字が入ったほうが、わかりやすいが。

おそらく、頭の中では違いがあるとわかっているはず。
聞くほうからすれば、「が」のほうが、
一般的には意味が強いように感じるかもしれない。

しかし、それでも要約筆記の通訳文は聞いた通りに

「ご飯食べたい」

だけになるのだろう。
読み手は、文の前後関係で意味や意図(本心)を
つかむしかない。

健聴者はおそらく、「を」や「が」を省いて言っていても、
そこ(つまり「意味の微妙な違い」「ニュアンス」)が、
聞いてわかっていると思う。

けれども、その音韻までは、要約筆記者も表せない。
要約筆記通訳にも、そういう限界がある。


そこは、読み手である利用者(聴覚障害者)には、
わからないかもしれない。
だから、通訳文を見ながら、ときどき相手の顔も見る
ことが大切だとか、言われたりする。


「ご飯食べたい」

か・・・。
もし、これを読むだけだったならば、
気持ちはあまりよくわからない。

その点、日本手話のほうが、一発でよくわかる。
こういった言語的性質は、日本手話のほうが
優れている、と思う。
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by bunbun6610 | 2014-11-08 19:00 | 手話

石狩魚之助の『ほほほの北海道』 日野駅前店 - 生サーモンが美味しいお店

石狩魚之助の『ほほほの北海道』 日野駅前店

 東京都日野市日野本町3-11-10 中村興産ビル B1F


ここのおすすめはサーモンの刺身だ。


『石狩海鮮丼(サーモン&イクラ)』(1080円)
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小さめの丼には少し不満ながらも、
サーモンは、とろけるような食感だ。
イクラの味もいい。

他店の700~800円ぐらいの安いランチ丼だと、
サーモンは外国産冷凍サーモンだ。
イクラだって、おそらくテレビでも紹介された
「ニセイクラ」だろう。

でも、ここのは生サーモン使用か?
空輸した北海道・石狩産の生サーモンを使用して
いるのかもしれない。
イクラも本物を使用しているようだ。

食材がいいから、値段もこれだけするのだろう。
納得だ。



『お刺身定食(おすすめ)』(980円)のお刺身
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この中でも、やっぱりサーモンが一番美味い。



【お昼のメニュー】 (一例) ランチは税込価格

 ・ザンギ(ご当地の唐揚げ)定食 690円

 ・お刺身定食(おすすめ) 980円

 ・ジンギスカン定食 880円

 ・チャンチャン定食 880円 

 ・石狩海鮮丼(サーモン&イクラ) 1080円
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by bunbun6610 | 2014-11-08 18:30 | 食べ物

新宿 栄寿司 (西口店)


新宿 栄寿司 (西口店)

 東京都新宿区西新宿1-18-16

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激安寿司というと、埼玉県大宮駅近くにありますよね。
テレビ・雑誌でも紹介されているらしい。
14~15貫とかで1000円だったでしょうか。
2回食べてみたのですが、安いとはいえ、
また食べたいとは思わなかった。
だから、そこへはもう、行かない。

しかし、ここは数が少し減るが750円で提供している。
握りは・・・本当はまあ、注文が入る前から大量に
握ってあるのですけれどもね。

でも、味は悪くない。
忙しい仕事の合間でも「寿司ランチ」という場合には、
十分使えるお店だ。
安い割には、味は結構いいのである。


食べログ東京の評価もまずまずで、
及第点(きゅうだいてん)だと思った。


『ランチ握り(1.5人前)』(750円〔税込〕)
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by bunbun6610 | 2014-11-07 18:30 | 食べ物

映画『フリークス』(1932年制作・公開)

映画『フリークス』をご存知だろうか。


『30年間上映禁止。ハリウッド史上屈指の怪映画『フリークス』とは ...』
〔更新日: 2014年06月13日〕



『ロオク映画館『フリークス 怪物團』 - Zero』
http://orange.zero.jp/floyd.boat/movie/hawkeye03-2.htm


『意味がなければサブカルはない
フリークス』
〔2012.05.10 Thursday〕



『映画大陸 : 『フリークス』 - ライブドアブログ - Livedoor』
〔2006年04月28日00:51〕




『フリークス - 遼東の豕』
〔2014-03-30〕




『YouTube - 世界の衝撃映像集
今では絶対作れない不思議な映画「フリークス」』
〔2012年12月10日〕





かなり古い映画作品だが、物語は現代社会と同じように、
健常者と障害者がそれぞれ、仮面芝居で互いにごまかし
合いながら生活を営んでいるところから始まる。
(そういう人たちばかりではないが)

だが、ある日、健常者が酒の勢いで本性を表すと、
障害者も仮面を捨てて本性を表す。

ただし、この映画物語が現代社会と多少事情が異なる
ところは、そこが、多くの障害者

(映画の中では「フリークス」と呼ばれる)

を集めたサーカス団であったことだ。
そこでは、フリークスがマジョリティであり、
健常者がマイノリティだったのである。

フリークスと、その仲間の健常者まで殺害しようと
する健常者がいた。
クレオパトラとヘラクレスである。
その醜悪な本性を表した健常者に報復しようとする
フリークスは、団結して逆襲し、二人を処刑する。
その結末がラストシーンとなるのだが、この意味は
恐ろしい。

クレオパトラの最後の姿は「醜い」とか「化け物」
とかいう意味よりも、人間にとって最も恐ろしいこと
を意味しているのではないだろうか。
それは「絶望」を象徴しているのだと思う。

誰もが虜になってしまう美女から、醜いアヒル女
(フリーク)にされ、その姿を見世物小屋でさらされ、
しかも誰とも話すこともできない。

つまり、フリークスに襲われた時のことも、そして
自分の気持ちを伝えることもできない。
自分のことを、誰にも理解されなくなってしまったのだ。
つまり、彼女は自分がかつて侮辱したフリークスの立場、
そのなかでも最低最悪のフリークにされてしまった。

「その罪深さゆえに心が顕れたので、なってしまった」

と言うべきだろうか。

クレオパトラは、仮にフリークスたちに懺悔したくても、
できない。
誰にも理解されないということは孤独であり、
それでは人間のあるべき姿(外見のことではなくて)
とはいえない。
だから、その姿を見て、誰もが「苦しくて、辛い」
と思うはずだ。

姿だけならば、フリークスだってクレオパトラと、
そうは変わらないはずだ。
実際、四肢がない、イモムシのような姿をしたフリーク
もいた。

だが、クレオパトラとフリークスの最も大きな相違点が、
フリークスは仲間を形成して営んでいた、のに対し、
クレオパトラは孤独だった、という点だ。
どちらが人間らしいかは、言うまでもない。

クレオパトラが、なぜあのような姿になってしまった
のかは、この映画には描かれていない。
(原フィルムには、その残虐なシーンがあったのかも
しれないが)

天罰だということにしたとしても、観る者には

「やり過ぎ」

だと感じるほどのショッキングさがある。

この映画が直ちに上映中止に追い込まれたのも、
そこにあるんじゃないか、と思う。

クレオパトラとヘラクレスが悔い改める可能性を、
フリークスが信じなかったところが、観客側からすれば、
残念に思う。
だから、観客受けするためにつくった映画ではないだろう。
しかし、それがこの映画の発したいメッセージだったの
かもしれない。

ともかく、観る側には

「そこまでしたら、一体、どっちが本当の化け物なのか?」

と思うだろう。


「確かに、クレオパトラは醜悪だな」

と思ったが

「それはフリークスのハンスだって、大して違わないじゃないか」

とも思った。

つまり、この映画は健常者も障害者も同じ人間として、
対等に描写しているように思える。
そのため、障害者を特別な存在として扱っている映画
とは違い、全く自然である。
障害者も健常者も関係ない。

そして、この映画の冒頭と最後のほうに出てくる、
サーカス団ガイド役の

「私たちも、一歩間違えれば、こうなっていたかも
しれない・・・」

というふうな言葉は、この映画を観る者すべてへ
投げかけている、と思う。

障害は決して、特別なものではない。

そして、人間のなかに潜む、神と悪魔も同じだと思う。
人間は、そのどちらにもなれない。
皆で力を合わせて、調和の世界を築くことが大事なのだ。
その調和を壊した元凶が、クレオパトラとヘラクレスなのだ。
だから、ああいうことになった。

このようなことは現実の世界でも、十分起こりえることだ。
障害者にも健常者にとっても、その普遍性は共通して
いるのだ。
この映画は、それを見事に語っていると思う。

そう思ったから、ユダヤ人哲学者マックス・ピカートの

『われわれ自身のなかのヒトラー』


を思い出した。



おそらく、ブラウニング監督は、当時の障害者差別に
ついて、よく知っていたに違いない。
彼は、人間を信じることができなくなるほど、そういう
現実を見てきたのかもしれないが、それでも“祈りの力”
を信じていたのではないだろうか。

物語の最後を、クレオパトラを殺さないで、
あえてあのような姿に変えて残したことが、
それを意味しているのかもしれない。

あのような姿になってしまったクレオパトラにできる
唯一のことは、神への懺悔、そして祈り以外にない。
だからその絶望に突き落とすことこそが、
クレオパトラの心を浄化し、真の希望へと導く
のかもしれない。

人間を外から見ただけでは見えないが、それが、
人間の高貴な内面性だと信じたい。

ブラウニングは彼なりに、フリークスだけでなく、
外見だけで判断されがちな人々の、代弁者の一人
になろうとしていたのかもしれない。
フリークスにも、内面の世界があるはず。


ブラウニングは、なぜこのような映画をつくったのだろうか。
社会からの批判も覚悟した上で、それでもこの映画をつくり、
世に送り出しているのだ。

この一作でブラウニングは、映画界から追放されたという。
それもまた、当時の人々の障害者への見方、差別の状況を
物語っているのだろう。

それにしても、あんなに様々な障害者たちが主役で、
あんなに生き生きと演じている映画、そして、
障害者差別にも正面から描いている映画は、
今もないだろう。

「二度とつくれない映画」だとも言われているのも、
うなずける。
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by bunbun6610 | 2014-11-06 18:30 | 雑談

ステーキ店長過労自殺 パワハラ、半年で休日2日だけ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141104-00000118-mai-soci


<パワハラ自殺>元店長側訴え認定
 両親「息子の名誉回復」


毎日新聞 11月4日(火)21時29分配信

飲食チェーン店「ステーキのくいしんぼ」の店長だった男性
(当時24歳)が自殺したのはパワーハラスメントと長時間
労働が原因として、男性の両親が経営会社や当時の上司
に賠償を求めた訴訟の判決。

東京地裁は4日、両親の主張をほぼ認め、約5800万円の
支払いを命じた。
男性の両親は判決後に記者会見し

「息子の名誉回復になった」

と高く評価した。

 「社会通念上の限度を明らかに超えている」。

判決は男性の被害をこう表現した。自殺前の7カ月で休み
はわずか2日。
月の労働時間も平均約370時間に達した。

上司から受けたパワハラは執拗(しつよう)で、日常的な
暴言や暴行に加え、休日に呼び出され仕事をさせられたり、
客のクレームで負担することになったクリーニング代を
肩代わりさせられたりした。

 同種事案を巡っては、他にも大手居酒屋チェーンで働き
自殺した女性従業員の遺族が経営会社に賠償を求める
訴訟などが、東京地裁で審理されている。

両親の弁護士は

「苦しんでいる人たちに勇気を与える画期的な判決だ」

と述べた。

【山本将克】




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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141105-00000104-san-soci



ステーキ店長過労自殺
 パワハラ、半年で休日2日だけ


産経新聞 11月5日(水)7時55分配信

「ばかだな」「使えねえ」。
24歳で自ら命を絶った男性は、上司による職場での暴言
に加え、しゃもじで殴られるなどの暴行も受けていた。
また、自殺直近の半年間での休日はわずか2日だけ。
裁判所は、度を越した労働環境が、男性を追い込んだと
認定した。

 さらに社長が出席する本部での朝礼でも、この上司は
パワハラを行ったことがあり、裁判所は

「会社側はパワハラや長時間労働を認識できた」

との立場だ。

 いじめは時間外にも及んだ。
貴重な休日には上司から、「ソースを買ってこい」などと
命じられることもしばしばあった。
裁判所も判決で「日常的使い走り」と指摘している。
さらに、仕事後には渋る本人を釣りやカラオケに付き合わ
せるなど、上司は日常的に負荷をかけ続けた。
こうした悪質性が、過失相殺の判断に影響を与えたと
みられる。

 「ブラック企業」という言葉が世間で認知される中、民事
裁判で過労自殺に対する賠償が認められる判決は
「年々増えている」と、ある弁護士は指摘する。
今回の裁判では、労基署による労災認定が先行したが、
この弁護士は

「労災認定されなくても、賠償が認められるケースも出て
いる」

としており、過労自殺への行政、裁判での認定基準は
そろいつつあるという。




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〔補説〕

株式会社サン・チャレンジ(代表取締役; 上田 英貴)


 →http://www.kuishinbo.jp/


 →http://www.kuishinbo.jp/company/company2.html




この記事にある事件は、ひどいパワハラ、いじめだと思う。

これでも、パワハラをした本人の責任より、まず会社責任
を問われるとは。
パワハラをした上司には、責任を問わないのだろうか。

当ブログの、下の記事を思い出す。

『職域差別の法律相談(1)』
〔2011-09-13 21:20〕



それから、炎のジョブコーチさんの記事も思い出す。


『いじめパワハラ、みんな当事者』
〔2014/9/29(月) 午後 11:18〕



その通りだと思う。


「(イジメ、パワハラをしている)あいつが悪い」

「会社が悪い」

「オレは給料がほしいだけ。
関わってクビになりたくない」


で済ませてはならない問題だし、それで済ませていると、
後で大きなリスクとなって、自分の会社に返ってくること
になる。
それを肝に銘じておくべきだろう。




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http://blogs.yahoo.co.jp/uchayamamingkun2000/36164987.html


炎のジョブコーチ
『いじめパワハラ、みんな当事者』
〔2014/9/29(月) 午後 11:18〕


先日、テレビで不当解雇やいじめパワハラをテーマにした
番組があり、当事者の方が苦悩されていました。
ちらっと映っていた会社は誰もが知る大手企業です。
(ああこの会社か・・・)

福祉系なので、どうしても出来事をシステム的・生態的に
見てしまうのですが、いじめの問題は当事者間の問題だけ
ではなく、当事者間を囲むその部署の問題、そして、部署を
囲む会社の問題、さらには会社を囲む社会の問題である
ことを考えてしまいます。

教室でのいじめも同様に、子ども同士の問題だけでなく、
子ども同士をとりまく教室や担任の問題、担任を囲む教員
集団の問題、教員集団を囲む教育委員会やPTAの問題、
さらにはそれを囲む地域社会の問題、そしてそれを囲む
社会全体の問題と、何重かの円の中で起こっていることが
感じられます。
外側の円に行くほど当事者意識は希薄になります。

もし、会社でいじめがあったとしたら、例え他部署であっても
誰もが当事者です。
関係ないと無関心なら、その無関心の総体こそ、そのいじめ
の事実でもあります。

(いい会社とそうでない会社の見分け方)
そして、さらに関心があるのが、いじめなどの問題などが
発生した時の対応についてです。
周囲がどういう対応をしたか、トップがどのような対応をしたか、
そのことでおおよそ組織の経営のレベルや雰囲気が感じら
れます。



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by bunbun6610 | 2014-11-05 21:11 | ブラック企業と障害者雇用

人事部障害者担当者との話し合い

やっぱり、健聴者に聴覚障害者職域差別や苦悩を
理解してもらうのは、大変なんだなぁ、と思います。

大変だというだけなら、まだいい。
聴覚障害者は

「理解を得るのは無理だ…」

と絶望感を味わうほど、
どうしようもない気持ちを味わわせられるのだから。

例えば、健聴者でも自分の問題を理解してくれる人が
5割か4割いればいいほうだ、としよう。
それが聴覚障害者の問題を理解してくれる健聴者は
どれくらいいるのかというと、1割もいないのが
当たり前なのではないか。

その状況で、相談相手になってくれる人が一人しか
いない状況で、しかもその人が理解者になってくれる
確率というのは、コンマ1以下という、非常に低い確率
になってしまうことは想像に難くない。

なぜそうなるのだろう?

それは

「健聴者は聴覚障害者を理解しないから」

とか、

「聴覚障害を経験できないから」

とか、いろいろ考えられますが、ほぼ真っ先にあるのは

「障害があるかどうかなんて関係ない。
健聴者の私も、聴覚障害者のあなたも対等関係だ」

という発想で考える健聴者もいます。
こうなってしまうと、障害とは何かということ自体、
考えていないのではないか? と思ってしまう。

さらに

「障害について考えて欲しい、という考え自体が甘い」

と言われてしまうこともある。
こう言われると、もう話したくなくなるのです。

無理ですよね、こんな人事部の人と我慢してまで、
しかも冷静に話し合うなんて。

確かに、少しずつでも理解が進めばいいかもしれませんが、
相当妥協を強いられると思うので、かなりの忍耐力が
必要だと思いました。

午後4時~5時15分までの間、人事部課長・Mさんと相談をした。
S課長と私との話し合いは、2者だけ、あるいは2対1
(S課長&M係長orS課長&Oさん)の場合が多かったので、
Mさんもこれまでの事情を全て知っているわけではなかった。

それで、また経緯についての説明からしなければならなかった。

私は、S課長が

「■さんだけに一つの単純労働しかさせることをしないように」

という指示をしているかどうか、確認した。
最初はOさんに聞いたところ

「上の指示です。私にもわからないので、上に聞いて」

と言われた。
その後、S課長とOさんも同席で私に再説明した。
それが

「■さんはまだ入ったばかりで、力の程度がわからないので、
今の仕事だけをやらせている。
Oさんの指示は、私の指示です」

と説明された。

この後にMさんも割り込んできて、

「■さんの雇用を決めたのは私。
だから私にも責任がある。
ここは一旦、私が中立的な立場で、■さんの話を聞くことにするから」

と言い、S課長とOさんを退席させた。
それでMさんと話をし、妥協点を見出したことはあった
(20■■年■月■日(■) 16:00~17:20)。

ただし、その後も、トラブルは消えなかったので、
コンプライアンス部にも働きかけて、ようやく改善されていった。

今回は、職域差別についてのS課長の考えを聞きたかったが、
この日に本人と面談することは難しかったので、
後日に調整し直すことになった。

上記の話を聞いたMさんも、S課長の指示と理解している
ようであったので、あとはS課長から直に、理由を聞く。

先週の組合との話し合いの後に(▲月▲▲日(▲)午前中)、
S課長が

「■さんの仕事内容について今、Oさんと相談中です」

と言われたが、私は

「二人だけでの話ではなく、今後は第三者も交えての回答に
してもらえるよう、考えています」

と話した。
勿論、私のほうは納得していない。

Mさんにはこれまでにも何度も言われてきたが、
今日も「『~して欲しい』と言うのは子どもと同じ」と言われてしまった。

それだけではない。

「私がこんなに忙しい中、君のために、他の人よりも時間を
かけて相談に応じてやっているのに、君は譲歩しないのか?」

というふうに言われた。
Mさんのこの考え方は違うと思うのだけれども、言おうものなら、
もっと怒り、もう聞いてもらえないような気がしたので、
黙り込んでしまった。

S課長が説明してくれないのを、

「してくれないのはおかしい」

と文句を言ったからといって、なぜMさんにそう言われてしまうのか、
理解できなかった。

人事部M課長に、以下の質問をした。

・「本社は他にどんな部署があるのですか?」

(Mさんの答え)
  →コンプライアンス部(法務)、経営、営業など。

・「常務取締役は、本社の他に、どこにいるのですか?」

(Mさんの答え)
  →答;人事担当の常務取締役は本社にいる。社長も本社)

・「社長か常務取締役と、職域差別について話したい」

(Mさんの答え)
  →■さんが社長や常務取締役と話すことはない。
    Mは■さんを採用した責任がある。
    だから、Mが必ず間に入る。

・「自分だけ、なぜ単純作業ばかりやらされ続けているのか?」

(Mさんの答え)
「■さんはS課長との話し合いができていない(溝を解消していない)。
仕事内容が一年も変わらないのはなぜかという理由を
S課長が評価して決めたのは、それがS課長の判断だから、
しょうがない。
成績評価がなぜ■さんに不満な結果になったのか、
S課長に聞いたらどうか?
聞いても納得できなければ、それはしょうがない。
S課長が決めることだから。
S課長と話し合う気持ちがあるなら、
その日を後日に調整する」

 →話し合い日を調整してもらうことにした。

M課長も、自分の話をした。

「自分も不満がたくさんあるが、
ガマンして笑顔で仕事をしている」と。
また、「「して下さい」と言うのは、子どもだ。
相手にしてもらうためにはどうすればいいか、考える。
だから、あなたも他の事を考えたらどうか」

と説教もされた。
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by bunbun6610 | 2014-11-05 18:30 | Z1.クレジットカード会社

職場内障害者授産施設 第二篇 (14)度が過ぎた特別扱い

職場内障害者授産施設 第二篇
 (14)精神障害者への、度が過ぎた特別扱い


精神障害者のための「ゆるい就労」と言ったら、
いいことかもしれない。
効果があるのか、疑問だが。

しかし、周囲の人から見れば「ゆる過ぎる就労」
と見えなくもない。
要するに、たるんでくる危惧がある。


私はその日も、午前中から外勤だった。
昼食中の午後1時になって、D上司からメールが
入ってきた。

「次の仕事が入りました。」
(だから、すぐに戻って来て下さい)

という知らせだった。

午後2時に戻ると

「4時に荷物を受け取る予定なので、
そこへ行って受け取り、その後はS店まで
行って届けて欲しい」

という指令だった。

その際、Yさんも同行させろ、と命じられた。

荷物を受け取った後は

「Yさんはそこで帰らせていい」

と言われた。
なぜなのかわからなかったが

「どうせ仕事がないのだから、まあいいか」

と思っていた。
それで予定通り午後4時に指定場所で荷物を
受け取った。
Yさんとの別れ際に、少し話した。


私;「労働契約は5時半までなのに、
何でYさんは4時で帰れるのかな?
オレはまだこの先も、仕事があるよ。
それまで終わらない」

Yさん;「D上司には

『風邪をひかれると困るからと、
今日は同行が終わったら帰っていいよ』

と言われました」

私;「僕は今まで、そんなことを言われた
ことなんて、一度もないよ。
いいなー。
何でだろう?」

Yさん;「夕方には事務所にカタログが届く
のですけど、それはもう、明日やることに
すればいいですよね」

私;「えっ! そうなの?!
そんなこと、僕は聞いていないよ!
なら、どうしてYさんはまだ勤務時間が残って
いるのに『帰っていい』と言われたのかな?」

Yさん;「・・・・」


そして翌日、私は始業時間より15分前に
出社して、カタログの作業を一人でやり始めた。

Yさんと同期入社の障害者Kさんも、
私よりもっと早い時間に来て、事務の仕事をしていた。
ところが、Yさんは相変わらず、9時ギリギリに
来ては、またも坐ったままだった。

Yさんはどうやら、昨日自分が言ったこと
すらも、忘れてしまったらしい。

それでも、

「誰も、何も批判はしない職場は良いのか
悪いのか」

――これをどう考えたらいいのだろうか。

「これじゃあ、あのAさん(※)がまた来た
ようなものだ。
この会社は、変わらないな――」

もう、頭がヘンになりそうだ・・・。


(※)『職場内障害者授産施設』
(2013年9月~2014年6月)
で述べている、オストメイトでうつ病だったAさん。

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by bunbun6610 | 2014-11-04 18:30 | E.大手カー・ディーラー

心の叫び (3)『愛は静けさの中に』

『愛は静けさの中に』


これはアメリカの映画なので、日本のものとはだいぶ違う。
主演女優がマーリー・マトリンという人で、ろう者なのだ。
他にも、本物のろう者がたくさん出ている。

ろう者の文化や、考え方が随所に表された映画なので、
健聴者は理解するのに、とまどうかもしれない。

日本のテレビドラマと違い

「健聴者向けに脚色されたものではない」

と思わせるような、リアルさが見られる作品である。


物語は、あるろう学校で始まる。
このろう学校に赴任した、ろう学校教師ジェームズ(健聴者)は、
ろう者のサラと出会う。
そして、サラとジェームズは結婚する。
だが、二人の間にあるものによって、起こることがある。
それが、映画の物語になっている。
「ろう文化」と「聴者文化」と呼ばれるものだ。
普段、意識しないことだが、結婚生活では無視できない。

その中で、夫婦喧嘩のシーンがある。


日本でも『ろう文化宣言』というのを、聞いたことがあるだろう。
そのことと、深く関係するように思う。
文化(言語)の違い、そして心の違い・・・。
そうしたことを、深く考えさせられる映画である。

初めて観る人には、そうした背景が理解できないこともあり、
かなり難解な映画かもしれない。



サラ;「私は心を決めた。
私の気持ちを代弁しないで」

ジェームズ:「それで生きていけると思うか?」

サラ;「今までは周囲が、私という人間を造ってきた。
彼らは私の望みや考えを勝手に想像した」

ジェームズ:「『もういやだ』
当然だ。よくわかる。
ぼくは君を愛しているんだよ!」

サラ;「愛は関係ない」

ジェームズ;「それならぼくらはここで一体何している?!」

(サラは手話で話し続ける)

ジェームズ;「『手を見て』?
見てるよ!」

サラ;「これは『結ばれる』という意味。
とても簡単。
しかし、私がこうする時は大きな意味がある。
この意味は、『2人の人間が一つになる事』。
なのに、あなたは本当の私を無視して『サラのため』
を考える。
私はあなたと暮らし、仕事を辞め、ポーカーをマスターし、
話し方を学ぶ。
あなたの造った私よ!
あなたが本当の私にさせてくれない限り、
私の沈黙の世界に入れない。
私もあなたに近づけない。
それまで――私達はこのように結ばれる事は・・・ない」

ジェームズ;「感動的な話だが、それで生きられるのか?
君は大切な沈黙の城に自分自身を閉じ込め・・・」

(サラが怒り、ジェームズの話の続きをさえぎり、
もうその場を去ろうとする。
しかし、ジェームズは話を続ける)


ジェームズ;「聞いたよ! 君の言葉はしっかり聞いた。
君の手からぼくの頭に入り、口へ回った。
ハッキリ言おう。
君は偽ってる。
君は聾唖で幸せだなどと思ってはいない!」

(サラが無視し、離れようとする。
が、ジェームズは引き止める)

ジェームズ;「君は怖がってるだけだ!
話そうとしないのは、くだらないプライドだ!」

(サラに、一層の怒りの表情がにじみ出る)

ジェームズ;「哀れみを拒否し、自分で生きたい?
なら読唇術を学び、セックスが上手なんて自慢せずに、
マシな事に口を使え!」

(サラが嫌悪感一杯になり、ジェームズの話を
止めさせようとする。
が、ジェームズは話を続ける)

ジェームズ;「唇を読め! ぼくは何と言ってる?!
ぼくと話したい? ならぼくの言葉を勉強したらどうだ!
唇を読んで、読めないフリをしてたんだろ?!
人を操ってたのはどっちだ?!
さあ、話してみろ! 話すんだ! 話せ!」

(サラがついに、ジェームズを押し飛ばして、
奇声を上げた)

サラ;(声で叫ぶ)「行って! こんな声よ!」

(サラは壁に顔を伏せて泣き出したが、すぐ部屋を出た。
初めてサラの声を聞いたジェームズはショックだった
ようで、そのまま動かなかった。
サラは、家を出て行き、母の元に帰った)




この映画字幕は映画用邦訳だし、そもそも全部の手話が
字幕になっているわけではない。
手話も、アメリカ手話だ。
しかし、全部の手話に字幕が付かなくても、大体の意味は
わかる。
(ただし、上のセリフ表示は字幕部分のみにした)


この後、二人は別居状態になり、ジェームズは「聴こえない」
ということを理解しようと疑似体験などをしてみるが、
やはりできない。
というよりも、それは違うと思うが。


テレビドラマ『愛していると言ってくれ』でもあったが、
健聴者はどうしても

「声で伝えて欲しい
(声で聞きたい)」

という気持ちが出てしまう。
そこは、この映画でも描かれている。

ならば、ろう者ならば、やはり手話なのだろうか。

難聴者や中途失聴者だって、よく

「大事なことは筆談で伝えて欲しい」

と言う場合がある。

大事なことなら、そうしてほしいのは、
それぞれの母語・コミュニケーション方法を持つ
人間として、当然のことだろう。


映画のラストシーンは

「どこかにあるかな?
ぼくらの出会える場所が・・・
沈黙の世界ではなく、音もない世界が」

ジェームズの問いかけに、サラは答えた。

「心の中に・・・」

と。
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by bunbun6610 | 2014-11-03 18:30 | 聴覚障害
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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