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今年の24時間テレビを観て

24時間テレビは全然観ないのだが、
たまたま、ある場所に行ったとき、
そこのテレビに映っていたので観た。

どうやら、これはもう、どこの人も観ている、
国民的テレビ番組になっているらしい。

番組に珍しく興味を持ったのは、たまたまその時間に、
ろう学校のろう児たちが出ていたからだ。

ろう学校は現在、「特別支援学校」という名称に
変わっている。
その学校に通う児童の聴力損失の度合いは
さまざまだと思われるが、
その学校の生徒を“ろう児”と呼ぶ場合が多いようだ。

学校を訪問した『嵐』というメンバーの松本潤が、
この学校のろう児たちに、将来の夢を尋ねていた。

よく憶えていないのだが、その答えには例えば

「ダンサーになりたい」

「女優になりたい」

「ろう学校の先生になりたい」

「お蕎麦屋さんになりたい」

などがあったと記憶している。

途端に私は

「耳が聴こえないのに、ダンサーなんて、
どうやってなれるのか?」

と考え込んでしまった。

自分は、世の中の辛酸を嘗(な)め続けてきたから、
その夢を叶えるのはかなり厳しいことがわかる。

「この子はまだ、障害の程度が軽い難聴なのだろうか?」

それとも

「ろう学校の中で育ってきたから、
現実の厳しさを知らないのだろうか」

真相は何だかわからない。

蕎麦屋やろう学校の教師だったら、わかるが・・・。

女優も厳しいが、実例はある。
アメリカのろう者マーリー・マトリンは、
愛は静けさの中に』で、
アカデミー主演女優賞を受賞している。


番組で松本と一緒に何をやるのか、それを松本が
発表したと思うが、驚いてしまった。
タップダンスだというからだ。

タップダンスの指導者も

「聴こえないというハンディがあって、
タップをする踊りは難しい」

というような話をしていた、と思う。
それなのになぜ、タップダンスなのだろうか。
松本には何のハンディもないのに、
ろう児たちにはハンディがあるものを課されている
のは不可解に思う。
これがなぜ「共生社会」のありようなのだろうか。
「強制社会」の間違いなんじゃないだろうか?

もしかすると、アレは番組が勝手に決めて、
学生たちにやらせたのではないだろうか。

世間一般が「聴覚障害児には難しい」と思っていることに、
テレビ史上で挑戦させたかったのかもしれない。

「健聴者と同じことを、努力してできないことはない」

というメッセージのつもりなのだろうか。


確かに、発表されるまで、学生たちもどんなダンスを
やるかまでは、知らなかった様子であった。

もしも、ろう児だったら、ダンスをやるにしても、
別のダンスをやると言ったかもしれない。
最も得意なもので、しかも人々を感動させることができるような、
ハンディのない手話ダンスとか。

もしもアレが見せしめの番組だったら、
怒るのではないだろうか。

そんな疑問も感じたから、あのタップダンスを観ても、
私は全然、感動しなかったのです。

「なぜタップダンスなの?」

タップダンスの最大の魅力は、あの靴音であるはず。
かつては音の素晴らしさを知っていた私には、
それぐらいのことは知っている。
それが私には、あのテレビ番組を観ていたろう者の
耳には聴こえない。

タップの音が魅力である踊りを聴覚障害を持つ
視聴者が観たら、本当に楽しめるだろうか。

番組プロデューサーは、それを考えただろうか。
だから、あれは健聴者中心の番組だと思っている。
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by bunbun6610 | 2013-09-22 18:00 | バリア&バリアフリー

がーまるちょば(サイレントコメディー・デュオ〔日本〕)

がーまるちょば(サイレントコメディー・デュオ〔日本〕)

http://www.gamarjobat.com/


言葉が違う人も、聞こえない人も、
こんな面白くて笑えるのがあるなんて、
知らなかった。
最初からバリアフリーを意識してつくった
わけでもないだろうに、
すごいねぇ。

パントマイムやマジックをコメディ版に
アレンジしたようなものだけど、
見てるだけで笑える。


 http://www.youtube.com/watch?v=21AUNYINNaQ
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by bunbun6610 | 2013-09-21 09:11 | バリア&バリアフリー

JTBの聴覚障害者バリアフリー

旅行会社のJTBが手話言語により、
聴覚障害者に旅行相談等をするサービスが
あります。

東京都豊島区・JTB池袋支店の店内の案内板です。

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また、下記のページなどでも、
JTBの手話への取り組み状況がわかります。


新橋支店 バリアフリーのページ


これを見て思ったのですけれども、
このコーナーの担当者は、
聴覚障害をお持ちのお客様に、
手話で旅行の相談を承る仕事ですよね。

ということは、そういう仕事は聴覚障害者には
最適だと思ったのですけれども、
現状はどうなのでしょうね。


以前に、Eテレビ『ろうを生きる 難聴を生きる』
で紹介されたHISの事例を見たことがあるのですが、
障害者雇用の面でもいい作用になるのではないかと思います。

http://www.his-barrierfree.com/blocks/index/00155

しゅわスタ担当・片桐さんがテレビでも紹介された聴覚障害者です。
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by bunbun6610 | 2013-09-18 18:30 | バリア&バリアフリー

『麺屋 うえだ』 -焦がし醤油ラーメン

『麺屋 うえだ』

 埼玉県新座市東北2-12-7 マンションプルミエ 1階

http://www5e.biglobe.ne.jp/~kunisura/ueda/

http://tabelog.com/saitama/A1103/A110302/11000286/


このお店が「ご当地ラーメン」としている
「焦がし醤油ラーメン」は、
ラーメン評論家として著名な石神秀幸氏と
相談して、店主が創作したラーメンだそうです。

スープは食券を渡すとき、店員に「鶏」か「豚」の
どちらかを選んで伝えます。

味をより濃くしたければ「特濃」を注文すると
よいそうです。

ここの「焦がし醤油ラーメン」の調理風景を見ていて、
ビックリしたのはバーナー2本を使って、
その強烈な炎を丼に入れたスープめがけて、
一気に焦がしていくことです。

当然、丼は熱くなっています。
スープも普通のラーメンより熱いです。
ですから、やけどしないように、
丼は二重にしています。


実は、以前によその店の焦がし醤油ラーメンを
食べたことがあるのですが、
そこはおいしくありませんでした。

でも『麺屋うえだ』のものは個性が強く、
おいしかったです。
その秘密は、提供する時に強力な炎で、
しかも短時間に醤油スープを焦がすことにありそうです。

焦がしてから時間がたってしまうと、
その香りがどんどん飛んでいってしまうと思います。

これだけインパクトのあるラーメン・スープは
珍しいと思います。

麺はやや太めのストレート麺で、
この男性的な風味のスープとよく合っています。

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by bunbun6610 | 2013-09-17 18:30 | 食べ物(ラーメン)

東電と安倍首相に怒り

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130916/Jiji_20130916X172.html

セシウム濃度測らず排水=7タンクエリアの
滞留水 ―福島第1「緊急措置」・東電


時事通信社2013年9月16日 19時00分 (2013年9月16日 23時41分 更新)

東京電力福島第1原発で高濃度の放射能汚染水が保管されている
七つのタンクエリアで、放射性物質を外部に出さないために設置した
せきの水位が大雨によって上昇し、あふれる恐れがあるとして、
東電は16日、排水を行ったと発表した。

東電はセシウム濃度を測らず排水しており、汚染水への懸念が高まる中、
さらなる批判を招く可能性もある。

東電は今回の対応について、急激な水位上昇を受けた「緊急措置」と
説明している。

ただ、台風18号による大雨は事前に予想されていたのに、タンクエリア
における放射性物質を含む水の排出基準も定めていなかった。

東電によると、今回排水したエリアでは、これまで高い線量は確認
されていない。
エリア内にたまっていた水を調べたところ、ストロンチウムなどの
ベータ線を出す放射性物質濃度は最も高いところでも1リットル
当たり24ベクレルだったという。

東電はこの結果を基に、エリア内での汚染水漏れはないと判断。
ガンマ線を出すセシウムの濃度も十分低いと予想できるとして、
測定せずに排水した。

排水した量は不明で最終的に海へ流出する可能性もあるが、
東電はベータ線を出す放射性物質濃度の値を根拠に
「雨水であることを確認している」と話している。 



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東電と安倍首相に怒り


東電はまた

「想定外の雨量だったので、緊急措置をとりました」

とか言い訳するつもりではないだろうな。

東電は、いつまで「想定外」を自社に都合よく
利用するつもりなのだろうか。

安倍首相がオリンピック招致演説で

「汚染水はコントロールされている」

とか言ったそうだが、できてないじゃん。
何いい加減なこと言って、いい加減なことやってるの?

これが、原発事故の二次、三次被害なのだろうな。
もう「天災が原因で起きた事故だから」という言い訳も
通用しない。
被害は確実に、まだ拡大し続けている。
そういうリスクを背負って、これからも原発で
電力供給をし続けていくのだろうか。
危ないよ。


安倍首相にも騙されて、2020年東京オリンピック開催を
日本中が喜んでいるが、日本人も、とうとうここまで、
おめでたいバカになったんだな。

あの太平洋戦争の時代の行進みたいに、
国民皆で喜べというのか。

何が「お・も・て・な・し」だ。
汚染水を海に垂れ流して、全世界をおもてなししようというのか。



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http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20130908-00027937/

安倍首相が五輪招致でついた「ウソ」
 “汚染水は港湾内で完全にブロック” 
なんてありえない


水島宏明 | 法政大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
2013年9月8日 11時44分


2020年の夏の五輪・パラリンピックの開催地が正式に「東京」に
決まった。
1964年以来、56年ぶり、2回目の五輪開催。日本時間午前5時
の発表の瞬間をテレビの前で見守った人たちも多いことだろう。

テレビ各局は朝から開催を喜ぶ特集を放送している。
長い経済的な低迷からなかなか抜け出せなかった日本社会に
あって、早くも「経済効果は3兆円」などという皮算用もはじかれている。
また「アベノミクスの第4の矢が放たれた」などという経済界の声も
伝えられる。
アベノリンピクスなる造語も報道されている。
「自信と夢を取り戻す」という喜び一色のムードに水を差すつもりはない。

だが、東京開催決定を伝える朝のテレビニュースを見ていて、
仰天したことがある。
最終プレゼンテーションにおける安倍首相のスピーチだ。
福島の状況を「The situation is under control」
(状況はコントロール下にある)と発言したのだ。

「私が安全を保証します。
状況はコントロールされています」。

「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に
完全にブロックされている」。

「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO
(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。

「健康に対する問題はない。
今までも、現在も、これからもない」。
 
東京五輪開催を望んでいる国民が大多数だとしても、
首相の発言を聞いて「おいおい、いくら何でも言い過ぎでは?」
と思った人は少なくないだろう。
福島の人たちや原発事故のその後に注目している人たちから
みれば、明らかな「ウソ」があるのだ。

汚染水に関していえば、現在「打つ手がない」ことは明らかだ。
安倍首相が自信満々に言ったことはこれまで東電が汚染水に
関して発表してきた事実とも完全に異なる。
安倍首相が言及した福島第一原発の専用港内の
「0.3平方キロメートル」は、確かに堤防や水中カーテンで
仕切られている。
様々なルートから外洋に出ようとする汚染水をこうした堤防
などがどこまでを「完全にブロック」できているものかあやしい
ものだが、いろいろな議論があるのでここでは問わないこと
にする。

ちなみに新聞報道などを見る限り、東電も

「港湾内と外洋を水が行き来していること」

を認めているという。

最近、問題になった地上タンクから漏れた高濃度の汚染水も、
もしも流れ出た先がこの「0.3平方キロメートル」ならば、
水はひとまず港内にとどまっているように思えるので
首相の発言にも多少は根拠があるように聞こえそうだ。

ところが実際には、汚染水が流れ出た先は

「0.3平方キロメートルの港内」

ではない。
その外の海なのだ。

タンクからの汚染水漏れに関する東電のこれまでの会見
によると、地上タンクからの排水路の側面に水の流れた
跡があり、そこから高濃度の放射線が観測されていて、
そこから水が流れた可能性があることを東電も認めている。

その排水路がつながっている先は

「0.3平方キロメートルの港内」

ではない。
外の海と直接つながっているのだ。

この点で安倍首相の説明は間違っている。
さらに「完全にブロック」がありえないことは傍証からも明らかだ。
いろいろな調査で福島沖の海底には40カ所の放射能の
ホットスポットが見つかっている。

「0.3平方キロメートルの港内」ではこれまで1キロあたりの
セシウムが74万ベクレルというアイナメが見つかっているが、
その港の外の20キロ先で捕れたアイナメからも2万5800
ベクレルが検出されている。
また、東京湾でも原発20キロ圏内と同じレベルの汚染箇所が
見つかっている。

こうした事実からみれば、安倍首相の発言は「よく言うよ」という
感じなのだ。
歴史的に見ても、これほど大量の高濃度の汚染水が長期間
漏れ続けている事態は過去に例がない。
当の安倍政権が政府主導で汚染水対策の「基本方針」を
打ち出したのは最終プレゼンテーションのわずか5日ほど前に
過ぎない。

五輪招致に合わせて付け焼き刃で作成した基本方針なのだ。

こうした現実を直視すると、誠実な人ならば「状況はコントロール
されている」などという表現を安易に使わないだろう。
歴代首相で比較するなら、原発問題にもともと詳しく、かつ、
ウソをつこうとすると顔に出てしまうタイプの菅直人元首相なら、
同じ表現はとてもできなかったか、すぐにばれてしまっただろう。
その意味では笑顔さえ浮かべて「私が安全を保証します」と
言い切った安倍首相の厚顔はなかなかのものだ。

一国のリーダーは、たとえ多少ウソが混じっても国益を守る
責務がある。
今回のプレゼンテーションでは、日本という国、その首都・東京
の対外的なイメージを印象良いものにしていく責務があった。
五輪が開催されるかどうかは日本という国にとっても大きな
岐路になることは間違いない。
人として、というより、国を率先してアピールするリーダーの
立場として、安倍首相は厚顔無恥なプレゼンテーションに
よって役割を果たしたという皮肉な見方もできる。

五輪開催の決定にはさらに皮肉な効果もある。
それは首相が国際的についた「ウソ」を2020年に向けて
「マコト」にしなければならない宿命を背負った、ということだ。

これまで政府が本気で取り組んでこなかった汚染水や
放射能汚染の広がりについて、今後、解決できければ、
「首相の大ウソ」が国際的に批判されかねない。

東京五輪に向けて福島の問題は世界のメディアからますます
注目される。
もうこれ以上、ウソを上塗りすることはできなくなる。

また、東京都の猪瀬直樹知事らがメンバーとなる東京五輪
招致委員会は「被災地の復興のため」にも東京で五輪を、
と訴えてきた。

ところが招致委員会の竹田恒和理事長がIOC総会の開かれる
ブエノスアイレスで会見した際、

「東京は福島から250キロも離れているから安全」

と発言。
まるで

「東京が安全ならばよい」

とも聞こえる差別的な発言だとして福島の関係者から強い批判
を浴びた。

開催が決まった以上、原発事故の収拾に加えて、被災地の復興
にも本腰を入れてもらう必要がある。
もしできないなら、日本という国への国際的な信用が地に落ち
かねない。
五輪開催を喜ぶだけにみえるメディアの反応を見て、マスコミの
あり方もすごく気になる。

安倍首相は最終プレゼンテーションでIOC委員から福島の汚染水
問題について質問を受けた際、「新聞のヘッドラインではなく、
事実を見てほしい」と答えている。
つまり、日本のマスコミ報道を信じるなというようなことを国際的な
公式の舞台で発言している。
このことに日本のメディアはもっと怒るべきではないか。

五輪開催の喜びに沸く報道一色のなかで、安倍首相の一連の
発言に「?」をつきつける報道がテレビにも新聞などのメディアに
見られないのはどうしたことか。
8日午前中の各局のテレビ番組や新聞社のホームページを見ている
限り、テレビは歓迎ムード一色。

「経済効果は抜群」

「若者に夢を与える」

「被災地に元気を与える」

などと肯定的な評価ばかりが目につく。
他方、ツィッターの反応などを見ると、ネットではややシニカルな
見方が多いように感じる。

「五輪よりもっと先にやるべきことがある」

「浮かれるなかで福島の問題を忘れてはならない」

という論調だ。
私もそう感じている。

今も15万人近い福島の人たちが自宅に戻ることができない生活を
強いられている。
その人たちの帰還にも影響を与える汚染水の問題が、五輪招致を
目指す最終段階になってやっと政府が対策に乗り出すという後手後手
の対応が明るみに出たのだ。

東京開催決定で浮かれた報道をしている陰で、本来、報道すべき現実
が報道されないままに放置されている。



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【9月19日(木)追記】

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130919/Postseven_212502.html?_p=1

京大研究者 安倍首相の「コントロール発言」
に「恥知らず」


NEWSポストセブン2013年9月19日 16時00分 (2013年9月19日 16時33分 更新)

安倍晋三首相(58才)は五輪招致の最終プレゼンテーションで、
汚染水について、

「私が安全を保証します。
状況は完全にコントロールされています」

と世界に宣言した。
しかし、福島第一原発の高濃度汚染水漏出問題は日々、
その深刻度を増し、16日には上陸した台風18号による
大雨を受けて、放射性物質のセシウムの濃度を測らずに
汚染水を海に放出したことが明らかになった。
世界からも批判の目が向けられつつある。

 私たちは今、何を信じればいいのか──
「原発事故はいつか必ず起きる」と警鐘を鳴らしてきた
原子力研究の第一人者・小出裕章さん(64才)の元を
訪ねた。

 小出さんの勤務先である京都大学原子炉実験所は
和歌山県との県境に近い、大阪府南部の熊取町にある。
敷地内に入るには、身分証明書の提示など厳重な
チェックを受けねばならない。
そこには研究用原子炉があるからだ。
いかに厳重な管理が放射性物質には必要なのかを
思い知らされる。

 1974年からここで研究を続ける小出さんの肩書は、
「助手」を意味する「助教」だ。
40年もの間、助手の地位に甘んじるのは

「誰かに命令されることもなければ、命じることもない
研究と発言の自由を獲得するため」

と小出さんは言う。
 孤高の研究者である小出さんは、

「汚染水はコントロールされている」

という首相発言をどう聞いたのだろう。
改めて話を聞いた。

「率直に言えば、『一国の首相がこんな嘘をついて
いいのか』と呆れ果て、本当に情けなく思いました。
原発事故が福島の人から故郷を奪っている状況で、
五輪どころではないはず。
福島の人の生活を成り立たせるため、事故を収束
させることが何よりも先だと思います」
(小出さん、以下「」内同じ)

 福島第一原発では原発事故で熔けた核燃料を
冷却するため、大量の水を原子炉に注入している。
核燃料と接触した水は汚染水となり、建屋内
コンクリートのヒビなどから漏出する。
毎日増え続ける汚染水を貯蔵するタンクからも
汚染水が漏出し、地下水と合流して海に流れ込んでいる。

 これらの汚染水を完全に制御していると胸を張る
安倍首相だが、13日に民主党の汚染水問題対策本部
が開いた会議に出席した東京電力の幹部は、

「コントロールできていない」

と発言。
その後、東電がこの発言を撤回したとはいえ、
首相発言が早くも揺らぐ状況に、小出さんは

「そもそも、なぜ今頃になって騒ぐのかが不思議」

と首を傾げる。

「2011年3月末には原子炉建屋地下、タービン建屋地下、
それを結ぶ坑道(トレンチ)に汚染水が10万トン溜まっていました。
同年4月に汚染水がピット(立て杭)経由で海洋に流れて
いるとわかり大騒ぎになりましたが、東電がピット内の
ヒビ割れを塞いだことで、“この問題は終わり”と、
報じられなくなった。

 しかし、あれだけの大地震です。
建屋内やトレンチ、ピットのあちこちで基盤が壊れるのは
当然で、たまたま見つかった1か所を塞いでも解決になりません。
要するに、事故当初から今に至るまで、汚染水はずっと
海に“ダダ漏れ”していたのは明らかだったんです。
それを『コントロールされている』と言った安倍さんは
本当に恥知らずです」
※女性セブン2013年10月3日号

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by bunbun6610 | 2013-09-17 00:54 | 原発問題

有害図書、閉架図書について

(※)[用語]閉架 - 図書館で、利用者が読みたい本や
資料を請求して書庫から取り出してもらう方式。Yahoo!辞書



図書館で小山内美智子さんの本が閉架に
なっているのを知って、なぜなのだろうと思った。

本は在庫ありだが、本棚には置かれていない。
それでは一体、何のためにその本は在庫扱いに
なっているのだろうか。

私は以前に読んだ小山内さんの本から、
閉架になっている本のことも知ったので、
図書館のインターネット検索した。
それで在ることがわかり、受付へ頼んで借りました。
だがこれでは、普通は手にすることができない本だという
ことになってしまう。
意図的に市民から、なるべく遠ざけるようにしている
のではないだろうか。



はだしのゲン閉架問題

島根県松江市教育委員会に昨年春、「はだしのゲン」を小中学校図書館に
置くには問題があると抗議が寄せられた。
市教委幹部らは、旧日本軍の戦場での行為にかかわる描写について問題視。
同12月と今年1月、小中学校の各校長に閉架措置を求めた。
8月、閉架措置が報道された後、市教委は閲覧制限を撤回した。
( 2013-09-04 朝日新聞 朝刊 朝文化1 )

http://kotobank.jp/word/%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%B3%E9%96%89%E6%9E%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C



=================================



http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130911/Kyodo_BR_MN2013091101001988.html

つくる会、「ゲン」撤去を要望 有害図書として

共同通信2013年9月11日 23時45分 (2013年9月11日 23時47分 更新)


「新しい歴史教科書をつくる会」は11日、漫画「はだしのゲン」を有害図書
として教育現場から速やかに撤去するよう求める要望書を文部科学省に
提出した。
要望書は、太平洋戦争中に旧日本軍人が

「各国で約3千万人以上の人を残酷に殺した」

などの記述について

「根拠のない誤った歴史が事実かのように書かれている」

と主張。
主人公のゲンが、天皇や君が代を批判している内容も

「学習指導要領に明らかに違反する」

とした。



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『「はだしのゲン」でくすぶる残り火(1)読者が子供であるということ』
http://www.asagei.com/15400


『「はだしのゲン」でくすぶる残り火(2)指導要領に合致しているかが問題』
http://www.asagei.com/15382


『「はだしのゲン」でくすぶる残り火(3)歴史の負の部分を知ることが反面教師になる』
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130911/Asagei_15416.html

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by bunbun6610 | 2013-09-16 19:30 | バリア&バリアフリー

『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』(2/2)


『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』
(小山内 美智子/著 1988年9月16日/第1刷
ネスコ/発行 株式会社文芸春秋/発売)



この本は、最近話題になっている『はだしのゲン』と同じく、
閉架図書(※)になっている書籍です。


(※)[用語]閉架 - 図書館で、利用者が読みたい本や
資料を請求して書庫から取り出してもらう方式。Yahoo!辞書






「どうしてもおねしょがなおらない女の子がいた。
どうしておねしょをするんだろうと、みんなで考えると、
実は、その子は夜中に、

『おしっこ、おしっこ』

と小さな声で叫んでいることがわかった。
職員はずっと離れた職員室にいるので、
その声が届くはずがない。
いまのように、ブザーもなかった。

彼女はがまんできなくてその場でおしっこを
してしまうほかなくなり、朝、職員にみつかって
お尻をたたかれたり、寒い戸外に出されたり
してしまうのだ。

そこでみんなで話し合って、当番を決めることにした。
当番とその子の手を紐でつなぎ、おしっこをしたく
なったら、紐をひっぱって当番を起こすことにした
のである。
そして起こされた当番が職員を呼びにいく。

ところが、他の子どもたちも、昼間の訓練や勉強、
掃除、洗濯で疲れているから、紐をひっぱられても
起きられない。
私も、最初のうちは起きていたけれど、そのうち、
いくら『おしっこ、おしっこ』と言われても、
もうおしっこなんてしてもいいや、眠いんだから、
というふうになってしまった。

次の日、やっぱりおねしょをしているのがみつかって、
職員にお尻をたたかれたり、どなられる。
それをみているのは、自分がそうされているのと
同じようにつらかった。

もう一度、みんなで考えて、疲れていない子が
めんどうをみることにしたら、うまくいくようになった
のである。

忘れることのできない友だちのひとりに、
ルミ子ちゃんがいる。
ルミ子ちゃんは私より一歳下で、歩行器にぶら下がり、
片足でスイスイとこぎ歩く。
しかし、自分で歩行器をはずして部屋に入ることが
できなかった。

職員が介助に来てくれるまで、どんなに寒いときでも、
廊下にじっと立って待っていなければならなかった。

施設の廊下は暗くて寒く、まるで冷蔵庫のようである。
ある日、私が遅くなってから部屋に帰ると、
ルミ子ちゃんが廊下にぽつんと立っていた。
歩ける子はさっさと部屋に入って、暖かいスチームの
前で遊んでいるようだった。

『寒くないの?』

と声をかけ、ルミ子ちゃんの手にさわってみると、
氷のようだ。

かわいそうになって、ルミ子ちゃんの冷たい手に
ハーッと息を吹きかけた。
ルミ子ちゃんは私の手をつかんで泣きべそをかいた。

ルミ子ちゃんも早く部屋に入って、みんなと遊びたいんだ
と思い、自分が歩行器に乗っていたころのことを思い出
してみた。
あのときは、どんなふうにして部屋に入ったのだろう。

まず、入り口に対して後ろ向きになる。
そして少し高くなっている床の段差に歩行器をつけ、
がっちりおさえたところで歩行器からからだを離して
お尻から部屋に入ればいい。
私は歩行器を足でおさえて、ルミ子ちゃんにやりかたを
教えた。

『はい、がんばって!』

でも、ルミ子ちゃんは恐ろしがって、歩行器からからだを
離そうとしない。
首を横に振って、またべそをかいた。
私は腹が立ってきた。

『こんなことぐらい、できないの』

と、ルミ子ちゃんの胸を押すと、ルミ子ちゃんは突然怒りだし、
私の髪をひっぱってギャーとわめいた。
すると、部屋でままごとをしていた手のつかえる友だちが、
私たちを見にきた。
そして、ルミ子ちゃんがお尻をつくあたりにすわって
手をひろげてくれた。

『大丈夫。私がいるから痛くないよ』

ルミ子ちゃんのお尻がストンと床に落ち、
友だちがそのからだを抱きとめた。
部屋にいたみんなが、

『わーっ、ルミ子ちゃん、できたできた』

みんなで大拍手をする。
その日から、ルミ子ちゃんは廊下に立っていなくて
よくなったのである。」


「それから、しのぶちゃんの機嫌の悪いときは、
みんなで声を揃えて

『しのぶちゃんのおかあさん、きれいだものね』

と言うようになった。
しのぶちゃんはたちまちおとなしくなって
いい子になるのだ。
母がときどきかくれてお菓子を持ってくる。
手のつかえるしのぶちゃんに取ってもらい、
口に入れてもらう。
お菓子は半分、しのぶちゃんにあげる。
頭のいい子はすぐにごまかして、
私より多く食べてしまうが、
しのぶちゃんはそんなずるいことはしない。
しょっちゅうおねしょをしたころは、
夜中に私がしのぶちゃんを蹴とばして起こし、
一緒にトイレに行った。
しのぶちゃんは重い知恵おくれ。
私も知能指数60と決めつけられ、

『言ってもわからない子、知恵がおくれているから』

と言われてきたが、知恵おくれとは、
いったいなんだろうかと考えてしまう。
しのぶちゃんは確かに字も読めないし、計算もできない。
しかし、おかあさんを思う心、親切を素直に受け取る心、
頭のいい子といわれる子にくらべて、
決して裏切らない本物の心を持っていた気がする。

ルミ子ちゃんもしのぶちゃんも、よくおねしょをして
叱られていた。

ひとりの看護婦さんが、自分の布団を私たちの
部屋に持ってきて、一緒に寝てくれたことがあった。
すると、看護婦さんが一緒のあいだは、
だれもおねしょをしなかった。
部屋のみんなもとても安心して眠れたのである。

ところが、それが上の人にみつかって注意され、
看護婦さんは一緒に寝てくれなくなってしまった。
たくさんある部屋のなかで、一部屋だけ甘やかす
ことはできないというのが、施設側の言い分だった。

ルミ子ちゃんもしのぶちゃんも、夜中に看護婦さんを
起こしたわけではない。
一緒に寝てくれている、いつ呼んでもすぐに起きてくれる
という安心から、おねしょが止まったのだと私は思う。」


「母が面会にきたとき、毛糸とかぎ針を持ってきてくれる
ように頼んだ。

『そんなのつかえないだろ。だめだよ』

私が泣いて頼むので、母はしぶしぶ買ってきてくれた。
母の目のまえで、両足をつかって得意のくさり編みを
してみせると、母は両足を強くにぎりしめた。
足のうえに冷たいものがポットンポットン落ちてくる。
九歳だった私は、母の涙の意味がわからなかった。
また足をつかったので、あきれて悲しんでいるのかなと
思ったものだ。
その日から、母は私が足をつかっても、
なにも言わなくなった。

現在、歩行訓練や手をつかう訓練はあるが、
足をつかう訓練が行われていないことを、
私は残念に思う。
健常者と同じところを同じように動かそうという
訓練だけでは、絶対にだめだ。
動かないところはいくらやっても、動かないのだから。

それより、足でどうやって鉛筆を持つかとか
口でどうしたら字が書けるとか、残された機能を
生かすリハビリのしかたを発明してほしい。


高校に通いはじめ、足を自由につかうことを許されて、
私の足は手でもあるのだということを、
私は自信を持って考えることができるように
なったのである。」


「高校も卒業が近づいて、いよいよ職場実習がはじまった。
比較的障害の軽い人は、お菓子屋さんや洋裁店、
印刷屋さん、クリーニング工場などに実習に行くことになった。
私のような重度の障害になると、行き先がない。
できることといえば、足で絵を描くことと、足でカナタイプを
打つことだけである。

そのころ、テレビで老人ホームの番組をみた。
そうだ、老人ホームには寝たきりの老人がたくさんいて、
手紙を書きたくても書けない人がいるにちがいない。
目が悪くなったとか、口では言えても文章になると
どうやって書いていいかわからない人もいるはずだと
思って、先生に相談してみた。

『お年寄りから話を聞けば、タイプで代筆できる。
それを仕事としてやりたい』

先生は『そうか』と言って、真剣になってあちこちさがしてくれ、
ある老人ホームをみつけてくれた。
自分にもできることがあったという喜びでいっぱいだった。

私は毎日老人ホームに通った。
最初、バカにされたり、

『あっちへ行け』

と言われたり、頭をたたかれたりしたときには、
大きなショックだった。
やめてしまおうとも思ったけれど、学校のみんなが
仕事の話しをしているのに、私だけ黙っているのが
くやしくて、毎日行きつづけた。

行くときは千葉先生が送ってくれ、帰りは父が
迎えに来てくれた。
ホームの寮母さんや看護婦さんが食事や
トイレのめんどうをみてくれた。
いい人がたくさんいて、私を励ましてくれた。
ホームに通いはじめて四日目に、
やっとひとりのおばあさんが、

『手紙を書いてくれないかい』

と声をかけてくれた。

『なにを書きたいの?』

おばあさんは自分の身の上ばなしをはじめ、
私はそれを全部聞いてから、
『お元気ですか』ではじまる、手紙を書いた。
書き終わったものを読んであげたら、
おばあさんはたいへん喜んでくれた。

『わたしの言ったこと、こんないい文章にしてくれた』

そしてホーム中に見せて歩いた。

次の日から、みんな私をバカにすることをやめ、

『わしも手紙を書いてくれないか』

『わしにも』

『わしにも』

と、たくさんの注文が集まりはじめたのである。
楽しくておもしろい仕事だった。
私はそこに三週間通ったが、そのあいだに三人の人が
亡くなった。」


「そのころ、障害者の親たちが役所を相手に、

『北海道に福祉村を』

『この子たちが生きているあいだに、
一日も早く福祉村をつくってください』

と訴えつづけていた。

『小山内さん、あれが本物だと思うかい』

と西村さんが言った。
西村さんのその一言が、『いちご会』をつくるきっかけに
なったのである。
西村さんの言葉を私なりに考えた結果、
自分たちの願いは自分たちの声で訴えなければ
夢をつかむことはできないのだということがわかった。



「ケア制度が確立していないカナダで、
障害者の75パーセントが独立して職業を持ち、
地域で暮らしていることを聞いて驚いてしまった。
職場では、女としての差別はあるけれど、
障害者としての差別はありませんと、
キャサリンさんははっきり言った。

『私はひとりで暮らしはじめて八ヶ月になります』

そう言うと、キャサリンさんは、

『あなたのご両親はあなたをとても誇りに思っているでしょうね』

と言った。私は返事に困った。
まだまだ日本では、私のような重度の障害者が
親や施設に頼らないで、自主的に暮らしたいと考えると、
まわりの人は誇りに思うどころか、顔をしかめるのだ。
親もとや施設で暮らすほうが、危険がなくて楽でいいではないかと
言うにきまっている。

『そうか、おまえもおとなになったな』

と祝福して送り出してくれる親が、日本には何人いるだろうか。」


「一日おき、しかも三時には帰ってしまうヘルパーの
介助だけでは、私は生きていけない。
もちろん、施設にいれば生きていくことはできる。
施設では最低限必要な介助は保証されるが、施設には、
障害者のほんとうの自立生活はないというのが私の考えだ。
障害者は施設を出て、自由と自立を手にしなければならない。
私たち障害者が街なかでふつうの人に溶けあって
自立生活をすることには、ふたつの意味があると思う。
ひとつは、障害者が社会から隔離されないで、
ふつうの町でふつうに暮らすこと
――人間らしく生活することだ。
そしてふたつめは、ふつうの人たちが私たち障害者を
毎日の生活のなかに受け入れ、
みんなで一緒に力と心を寄せ合って生きることを
学ぶことである。
そのためにも、私たちは『施設の充実』ではなく、
『安心して地域で暮らすための介助システムの充実』を、
役所に要求しつづけている。


ところが現実はどうだろうか。
不充分なヘルパー派遣を補うために、私たちは、
自発的に自分の時間をさいて無償で介助にきてくれる、
ボランティアの手を頼らなければならない。
私たちにとって、ボランティアの確保は、文字通り、
生命にかかわる問題なのだ。
私たちは生きていくために、夜も眠れないような思いをして、
自分の手足でボランティアをさがさなくてはならない。」


「こうして来てもらったボランティアにも、
やってもらえることには限界がある。
あくまで自発的な意思に基づくボランティアが、
それぞれの事情でやめていくのを、
私たちはとどめることはできない。
卒業、結婚、就職、転勤など、事情はさまざまだ。

『私、来月結婚するから、もう来られません』

という若いボランティアを、

『おめでとう、よかったね』

と明るい声で送り出すのだが、心の中がまっ暗になり、
顔がひきつり、冷や汗が出てくるのをどう隠そうかと
苦労する。
代わりの人をどうやってみつけようかと、不安でいっぱいなのだ。
不安はときには怒りにさえなってしまう。
しかし、この不安や怒りをボランティアにぶつけるのは
まちがっている。
私たちの生活の安定と保障は、ボランティアの責任では
ないのだ。
私が望むこと、実現させるように努力しなければならないのは、
役所の行うヘルパー制度の充実なのである。
・・・(中略)・・・
もうひとつ、つけ加えれば、ヘルパーの層がなるべく厚く、
私たち障害者が、ヘルパーを選べるようになったらいいなと思う。
わがまますぎると誤解されそうだが、からだを他人に預けることは、
介助者も気をつかうだろうが、私たちにとっても、
かなり気をつかう微妙なことなのである。
介助者と気が合うか会わないか、ささいなことのようだけれど、
思いのほか、ストレスの原因になったりするものだ。
私たちにとっては、食べたり飲んだり、入浴したりすることは、
全身の力をふり絞らなければならないたいへんな労働でもある。
微妙な気持ちのズレが、大きな負担になることもあるという現実を、
わがままだと決めつけられることなく、少しでも多くの人に
わかってもらえたらと思う。
ヘルパー制度が理想的な形で充実したとしても、ボランティアが
私たちにとってたいせつな存在であることに変わりはない。

たとえば、福祉の先進国であるスウェーデンでも、
ボランティアたちは活躍している。
・・・(中略)・・・
とにかく、現状ではボランティアへの負担が大きすぎる。
役所がやるべきことまでボランティアの手に押しつけられている。」


実際の問題として、障害者のケアはどうあったらいいのだろうか。
これには現在、ふたつの考えかたがある。
ひとつは、介助者がいつも障害者のそばにいて、
必要なときにケアを行うというもの、
もうひとつは、障害者はできるだけ介助者との接触を
少なくして、基本的にはいつもひとりで生活し、
決まった時間あるいは必要な時間にだけ、
介助者がやってくるというものだ。


私の考えでは、後者の『コマ切れケア』がいいと思う。
とにかく、障害者は自立しなければならないと
思うからである。


私たち障害者は、長いあいだ、人から世話を受けること、
だれかしらと一緒にいることに慣らされている。
ともすれば、介助者に際限なく依存してしまいがちだ。
その結果、いま、なにをしてもらいたいのか、
自分で考え、自分で決めて相手に伝えることさえ、
しなくなってしまう。
介助の人のいうまま、されるままにはならないまでも、
親切で気ごころの知れた介助者の先まわりケアに
全部をあずけてしまったり、自分ひとりで決めるべきことまで、
相談して決めるようになってしまう心配がある。
これは必ずしもいいこととは言えない。


したがって、私はあくまで『コマ切れケア』にこだわって、
障害者がひとりでいる時間をたいせつにしたいと
考えている。

いま、私のところには何人かのボランティアが
交替できてくれているが、ケアをすませたらすぐに
帰ってもらうことにしている。
トイレだけ、五分のこともある。
夕食の下ごしらえや入浴など、やってもらうことに
よっては三十分のこともある。
もちろん、ずっとそばにいてもらいたい気分のときや、
ひとりでいることが淋しい日もないではないが、
ふつうの人と同じように、淋しさや孤独に耐えることもまた、
自立生活ではないだろうか。

淋しかったら、ケアの人に甘えるのではなく、
自分で友だちをつくっていくべきだと思う。
介助者と友だちになってもいい。
しかし、それはケア・システムとは切り離して
考えなければならないことだ。

また、五分、十分、三十分というコマ切れケアには、
ボランティアの負担を軽くするという利点もあると思う。

『べったり三時間は無理だけど、出勤前の十分ならできるよ』

という人もいるのではないだろうか。」


「食事の支度にしても、私がいろいろ指示をして、
その通りに手を動かしてもらう。
ニンジンを千切りにしてくださいとか、
大根はイチョ切りにしてくださいとか、
もっと厚く、もっと細かくなど、ひとつひとつ、
自分でつくるときと同じように指示をする。
できたものが失敗だったら、それは私自身の責任だ。
夫や子どもに、

『今日の味噌汁、しょっぱいね』

と言われて、

『ケアの人がつくったから』

と答えるのでは、家政婦さんや手伝いの人がつくった
ことになってしまう。
ケアを受けることと、家事の手伝いをしてもらう
こととはちがうのだ。

ボランティアのなかには、そのちがいがよくわからなくて、
なんでもやってあげることがいいことだと思っている人がいる。
親切心からしてくれていることがわかるだけに、
断るのに困ることがある。
・・・(中略)・・・
忘れてはいけないのは、ケアを受ける側が決定権を持つことだ。
つまり、私は自分の手で家事をすることはできないけれど、
セーターの洗濯を頼むときも、お湯の温度や量、
洗剤の量や干しかたまで知っていて指示できなければ
ならないのである。
ただでさえ不足しがちなボランティアに対して決定権を
主張することは、実際には恐ろしいことである。
気分を害されて逃げられてしまったら・・・という恐怖と
闘わなければならない。

しかし、ボランティアとの触れ合いは、緊張だけではない。
楽しいことや教えられることも多い。
家事のプロフェッショナルのような奥さんが来てくれることもある。
そんなときには、自分のやりかたを押し通すだけでなく、

『教えてください』

と素直に言葉が出てくる。

反対に、包丁を持ったこともない学生が来てくれることもある。
そんな女の子の場合は、見ているほうがヒヤヒヤする。
この子はできないな、と思ったら、メニューを簡単なものにする。
大根は千六本に切るつもりだったのをイチョウ切りにしたり、
煮つけをつくるつもりだった魚を、塩焼きに変更したりする。
・・・(中略)・・・
そのあたりは、相手に合わせる柔軟性も必要だと思う。」

「不十分なヘルパー派遣と、不足しがちなボランティア
――必然的に、家族に頼ることが多くなってしまう。
私の場合も、夫の手を借りなければ、生きていくことができない。
夫は結婚して大学を中退した。
何ヵ月かはアルバイトをして、その収入と私の障害者年金で
暮らした。
しかし、ヘルパーやボランティアが休むと、私のケアをするために、
夫はアルバイト先とアパートのあいだを、一日のうちに何度も
往復しなければならず、アルバイトを続けることは無理だと
わかった。
結局、夫はアルバイトをやめ、現在、私たちは生活保護の
給付を受け、障害者年金と合わせて、月額十五、六万円の
生活費で暮らしている。
年金と生活保護による収入のうち、毎月のアパート代に四万円、
そしていちご会が雇っている職員にかかる費用の分担金が二万円。
残りが日々の生活費ということになる。
決して楽ではないが、ぜいたくをしたいとも、貯金をしたいとも
思っていないので、親子三人、つつましく暮らすことができる。
仕事を持たない夫が、毎日、いったいなにをして過ごしているのか、
不思議に思う人もいるらしく、そのまま私たちへの非難となって、
耳に入ってくることもある。

『働かないで生活保護をもらうなんて、ゴキブリみたいなヤツだ』

などという内容の匿名の手紙を何度か受け取ったこともある。
社会では、生活保護を受けることを、まるで人間失格のように
考える人がまだまだ少なくはないのだ。
まず、給付する側の役所が、私たちの事情と夢を、
全く理解してくれようとしない。
親もとを離れ、ひとりでアパート住まいをすることに決めたとき、
私はまず自分の両親を説得した。

『台所をべつにするんだから、もっとお金がいるようになるよ。
いまもらっている障害者年金だけじゃひとりで暮らせないから、
私、生活保護を受けるつもりなの』

昔風の両親もやはり、生活保護を受けることを恥と考えていた。
私は必死だった。

『いまはいいよ。とうさんやかあさんに頼ることもできるけど、
私はこれから何年も何十年も生きていくんだよ。
ずうっと、私のめんどうをみられるかい。
毎月、十万も十五万も出せるかい』

両親は私の言うことをわかってくれたが、
私はさらに念を押さなければならなかった。

『役所の人が来て、きっと両親が面倒みろっていうだろうけど、
なにを言われても、『うん』とは言わないで』

私の予想通り、私が生活保護を申請すると、
役所の人間が、毎日のように、両親のところにやってきた。
娘ひとりの面倒くらいみられないのか、と言う。
しかし、両親は、

『あの子の決めたことだから』

の一点張りで、とうとう首をたてには振らないでいてくれた。
そのあと、菊之進さんと結婚して、おなかに大地がいるときも、
役所から厳しい追及を受けた。
妊娠六ヵ月のときだっただろうか。
役所の担当員とケースワーカーが同時に四人もやってきた
ことがあった。
夫と大きなおなかを抱えた私をまえに、
生活保護を打ち切る相談をしたいという。
とにかく、夫は若いし健康なんだから働け、という。
それは不可能だと言うと、私に施設に入れと言う、
子どもが生まれたら、乳児院に預ければ、
夫は働きつづけることができるというのだ。
それを聞いたとき、私は怒りを通りこして、
悲しくなってしまった。
どうやら、役所では自分の管轄地区から、
生活保護給付家庭を一軒でも減らしたいらしい。
よその区に引っ越したらどうか、と言われたこともあった。

『きちんと態勢が整ってから、自立すればよいのではないか。
生活保護を受けてまで、いまやる必要はないではないか』

と、お役所は全く無責任なことを言うが、

『何十年待てば準備ができるのですか。
その準備はだれがしているのですか』

と、言葉にならないくやしさが胸にこみあげてくる。
私たちは、たったいま、生きているのだ。
自立も結婚も出産も、いつまでも待てるものではないのだ。

『一人前の男が働きもしないで生活保護で暮らしている』

と思われている夫は、多分、ふつうのサラリーマンと同じくらい、
あるいはそれ以上に忙しい毎日を過ごしている。
・・・(中略)・・・
つまり、いまの地域ケアの貧弱さを、全部、夫が埋めているのだ。
・・・(中略)・・・
私たち障害者が受ける生活保護は、一般的に考えられている
生活保護と、意味がちがっている。
病気などの理由で一時的に働けない人は、病気が治れば
働くことができるが、私たちの場合は福祉行政そのものが整備され、
十分なケア制度が実現しない限り、障害者の家族の負担は減らない。」

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by bunbun6610 | 2013-09-16 19:00 | バリア&バリアフリー

『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』(1/2)


『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』
(小山内 美智子/著 1988年9月16日/第1刷
ネスコ/発行 株式会社文芸春秋/発売)



この本は、最近話題になっている『はだしのゲン』と同じく、
閉架図書(※)になっている書籍です。


(※)[用語]閉架 - 図書館で、利用者が読みたい本や
資料を請求して書庫から取り出してもらう方式。
Yahoo!辞書




「『大地、バイバイ』
夫が手を振って出ていくと、大地は手をのばして
大声で泣きはじめる。
大地はすっかりおとうちゃん子になってしまったようだ。
ちょっとさびしい気がする。
両手で抱いてやりたい気持ちでいっぱいだ。

『おかあちゃん、抱けないんだ。ごめんね』

私は足で大地の頭をなでる。
なんとかなだめようと、足でおなかをくすぐると、
大地はやっといつもの笑顔に戻った。
そして私の足にからみついてきた。
私の口から自然に子守唄が出てくる。
はっと気づいて歌うのをやめる。
私の歌を聞いて育ったら、大地が音痴になってしまう。
十一年まえ、姉が男の子を生んだ。
私がかたわらで子守唄を歌っていると、姉が、

『あんたが歌を教えたら音痴になるからやめて』

と笑いながら言った。
身内の気やすさが言わせた悪気のない冗談だったのだが、
私は深刻に悩んでしまった。
私は手のつけられないほどの音痴で、しかも言語障害がある。
いつか自分の子どもが生まれたら、どうやって言葉を教えようか、
言語障害がうつったらどうしようと考えた。
それから、私は赤ちゃんのいるところでは歌わないことに決めた。
しかし、八ヶ月になった大地は、ある日、

『だいちゃん。まんま。ぱっぱ』

と、三つの言葉をはっきりと正確に口にした。
たとえ大地が音痴になったとしても、生活にはそう困らないだろう。
眠りかけた大地の邪魔をするように、私は子守唄をふたたび
歌いはじめた。
少しのあいだ、大地は眉をひそめたが、次第に安らかな
寝顔になっていった。」


「時間が許す限り、夫と一緒に保育園まで大地を迎えに
行くことにしている。
最初、子どもたちは私の姿を見て、

『わっ、あれ、なんだ。
人間か? 怪獣か? おばけだーっ』

とわめきまわった。
なんのことかわからないまま、大地も一緒になって

『おばけー』

とはしゃいだ。
笑おうと思っても、ほおがひきつった。

『私の父は障害者だったんだ』

四、五年もつき合って、やっと話してくれた友だちがいた。
大地ももうすぐ私の存在を隠したがるときがくるだろう。」


「目的地は札幌市内の“芸術の森”だ。
階段が多くて車椅子がつかえず、歩いて登ったので、
足がガタガタになってしまった。
保母さんたちも私のことを気にしてくださり、手をつないでくれたり、
車椅子を運んでくださったりで、たいへんお世話になった。

『来年は階段のないところにしなきゃね』

と言ってくださるのを聞いてうれしかった。
障害を持たない人たちと行動することは、
周りの人々にさまざまな波紋をひろげることになる。
そんななかからほんとうの人と人とのつき合いが生まれてくる。

母親二年生の私にも学ぶことが多い一日だった。」


「友だちのひとりと通りかかったとき、
彼女がなにげなく言ったことがある。

『小山内さん、ここのお医者さん、
すごく上手なんだってよ。
小山内さんも妊娠したら、ここにくればいいよ』

それは悲しい言葉だった。

『そうね。
そのまえに、まず素敵な男をみつけなきゃね』

と、自分を慰めるつもりで答えたものの、
私が産婦人科にくることはないだろうと思った。
玄関までのたった四段の階段が、
私にはエベレストに登るより、高くて遠い、
困難な道のりに思えた。
ふつうの人なら、一秒もかからないで駆けあがって
いく四段きりの階段は、障害者には一生かかっても
登れない階段なのだ。」


「たまに耳にする話だが、障害をもつ娘の
初潮を悲しがる母親がいたり、ひどい場合は、
自分で始末もできないし、どうせ子どもも
生まないのだからと、卵巣や子宮をとられて
しまう人もいるという。
ほんとうにひどい話だ。
幸い、私の場合は、三年おくれで入った高校で、
いい先生に出会うことができ、専門のケアもつけて
もらって、トイレも生理の始末もしてもらえるようになった。
高校生になって、はじめて人生が開けたような気がした。」


「私も女のひとりとして言いたいのは、
女にとってセックスは単に『挿入する』だけではない
ということ、挿入がなくても、十分に幸福になれるという
ことなのだ。
『立つか立たないか』
『挿入できるかできないか』
の点にこだわって深刻に悩んでいる男性障害者に、
ぜひわかってほしいと思う。
愛することは挿入することとイコールではない。
むしろ、どんなふうにでも愛し合うことができ、
快感をわかち合うことができる柔軟性と積極性を
持つチャンスを与えられていると思ったほうがいい。
とにかく、恋をすること、愛すること、愛する人と
結ばれたいと願うことから、はじまるような気がする。
それらをおそれてはいけない。
異性に胸がときめく自分を前向きに認めなければ
いけないと思うのだ。
失恋して傷ついても、恋はしないよりしたほうがいい。
それが結局は『性を持った自分』を生きることに
つながると、私は信じている。」


「養護学校や施設では、脳性マヒの子どもに、
『やればできる』という方針で、
汗水流して自分のことは自分で、
という教育をしているが、
三十代で肉体が衰えることを実感してみると、
あの教育も考えなおさなければならないのでは
ないだろうか。

一時間も二時間もかかって食事をし、
着替えも洗面も、ふつうの人の百倍のエネルギーを
つかってやることが、最善の暮らしかただろうか。
食事の半分を自分で食べ、あとの半分は介助して
もらうとか、着替えにも介助を受けて、あとの時間は
ゆっくり音楽でも聞くというようにコントロールする
方法もあるのではないかと思う。
過去、多くの脳性マヒ者が、授産所で、からだを
すり減らして早死にしてきた。
東京の仲間たちは、いま真剣に脳性マヒ者の
老化について研究している。
そういえば、脳性マヒの老人にはまだ会ったことがない。」


「自由に生きることは、とてもエネルギーがいる。
心臓も強くなければならない。
ポケットからお金を取ってもらう。
ストローをグラスにさしてもらう・・・・・・
そばに手のつかえる友だちがいれば、
簡単にしてもらえることだが、見知らぬ人、
障害者と出会ったことのない人に声をかけ、
手伝ってもらうのは、なかなかたいへんなことだ。
以前、タクシーに乗ったとき、
ポケットからお金を取ってくださいと頼んだら、

『あんた、どうして親と歩かないんだ。
だめじゃないか』

とどなられた。

『困ったもんだ』

『親はなにをしているんだ』

ブツブツ言いつづける運転手に向かって、
私は一生懸命に言った。

『私はおとなです。
いつでも、できるかぎり、ひとりで歩いています。
いけませんか』

障害者を無視する人、拒否する人に、
障害者もごくありふれたひとりの人間であることを
認めさせなければならない。
そのためには、むりやりにでも、
私たちの存在を見せなければならない。
小さな外出にも、そんな意味がある。

運転手は、私の言葉に黙りこんで、
ポケットからお金を取って、
走り去っていった。」


「私は一度も『おとなになったら・・・』という夢を
持ったことがないのだ。
ただ、歩けるようになりたい、手をつかいたいという、
目のまえの現実しか考えていなかった。
醒めきった子どもだったのかなと、いまさらのように思う。
二十八歳になって、ペールくんの質問に答えられない
ことが、私の最大の障害だったのかもしれないと思う。
はじめから私を障害者としかみていなかった
まわりのおとなたちも、障害を持たない子どもには
あたりまえのように質問することを、
私には聞かなかったのだろう。
障害は人間がつくりだすものだということが、
ペールくんの質問ではっきりわかった気がした。
これからは、どんなに障害の重い子どもにも、

『おとなになったらなにをしたいの』

と聞かなければならない。
その質問と答えが、障害を持ったものの世界を
変えていくきっかけになるかもしれないからだ。
今日のペールくんの言葉は神様の言葉に似ていた。
ありがとう。」


「私は、ものごころついたころから、
親に反抗することはほとんどなかった。
とくべついい子だったわけではない。
なにもいわなくても、母がすべてしてくれたからだ。
子どものころはそれで許されても、おとなになったとき、
すでに身についてしまった依存心が
甘えとあきらめだけを増長させて、
自立心をマヒさせていることに気づく。
この子が不憫だといって、親たちはいつも先回まわりして、
冷たい風に当てないようにする。
社会の目にふれさせたくないといって、
養護学校や施設をつくる。
そのかばいかたが障害者にとってマイナスになっているのだ。
子どもは社会や親に対し、さまざまに反抗する。
反抗して、実際に行動してみて、自分でまちがいに
気づいたとき、おとなへの階段をのぼるのだと思う。



「ひとり暮らしをはじめてから二、三ヵ月のあいだは、
不安で不安で、電気、水道、ガス、ドアの鍵などを、
夜中に一度起きて確かめたものだった。
親と暮らしていたときには、戸締りなど、
考えたこともなかった。
お米屋さんがお米を配達してきたときには、
足でお金を払うのが恥かしかった。

『ボランティアの人が来たら払いますから』

などと言ってしまった。
障害者は肉体的には依存して
『助けられて』生きなければならない。
しかし、それがいつしか全面的な依存『甘え』に
なってしまう。
ある朝、ボランティアに来てくれている奥さんと
郵便局に行った。
奥さんは私のポケットから手紙とお金を出して言った。

『美智子ちゃん、あとは自分で言いなさい』

そしてどこかに行ってしまった。
私はあせって、冷たい人だなあと思った。
でも、郵便局の人とうまく話ができて自分ひとりで
用が足せたとき、心が晴れ晴れした。
奥さんのやりかたは、障害者にとって正しいものだった。
社会や施設に対する不満を陰でぶつぶついいながら、
施設の暖かい部屋のなかで、
決まった時間に食事が出てくるという生活では
『生かされている』ことにしかならない。
それでほんとうにいいのだろうか。
だれもひとりでは生きられないけれど、
私たちは身にしみついた依存心を振り払って
いかなければならないと思う。



「・・・来客だ。
・・・(中略)・・・
やってきたのは、いまいる施設を出て暮らしたいという
希望を持った障害者だった。
三度目の来訪だ。
彼は生まれたときから施設で暮らし、十二年間、
ぞうきんを縫っていた。
施設を出たいが、親や兄弟がいい返事をしないらしい。
彼は脳性マヒで障害は中程度である。

『三十二歳にもなるんだから、親や兄弟のことばかり
気にしないで、自分のことは自分で決めて。
人生は一度しかないんだから』

私は施設を出るようにけしかけた。
彼は自分ひとりでは説得は無理だと思っているらしく、
お兄さんや妹を連れてきた。
彼の兄弟たちは、話もわかってくれ、
彼のことを真剣に考えているようだった。
私がいままで見たり聞いたりした例でいくと、
脳性マヒの障害者でも、自分のことはすべて自分ででき、
学校にも行っているくらいの人は、
健常者の社会でも十分生きられるという希望を持つ。
しかし、たいていは失敗し、脱落してしまう。
何十軒とまわって職を求めても断られるのが現実で、
そのうちきっと働けると思いながら、
結局は施設や家に閉じこもって年老いていく。
希望は持つべきだが、もっと自分の現実を知らなくては
ならないと思う。
字を書いてもミミズがはったよう、話をしてもなかなか
通じないうえ、顔が歪んで相手に不快感を与える・・・
こんな人が、いまの競争社会のなかで生きていけるだろうか。
大きな企業ほど雇ってはくれまい。
私たち脳性マヒは、社会にとっては煮ても焼いても
食えない存在なのだと思う。
煮ても焼いても食えないところからはじまる
開きなおりがなくては、私はこんなに若い夫と
恋はできなかった。
大地を生む決心もつかなかった。
今日、訪ねてきた人も、なんとか開きなおって、
地域で暮らしてほしい。」


「医者はずっとクル病だと言っていたそうだ。
昔はわからない病気はみんなクル病ということに
してしまったらしい。
父と母はそれを信じて、牛乳や卵や砂糖など、
栄養のあるものばかり食べさせてくれていた。
ところが、ある日、婦人雑誌を読んでいた母が
『脳性小児マヒ』という言葉を発見した。
記事を読んでいくと、私の症状によく似ている。
母は

『うちの子はクル病ではない。
脳性小児マヒという名の病気だ』

と直感したという。

そして札幌にきていろんな人にみせたら、
やはり母の直感は当たっていた。
私の病気を最初に発見したのは母だったのである。
昔は脳性マヒはただマッサージをすればなおる、
ほかに方法はないと思われていたので父と母は
毎日毎日私の手や腕をマッサージしたり、
年に何度か札幌に連れて出て訓練を受けさせたり、
いろいろなことをした。
そのころ、両親は農業をしていたので、
冬のあいだは手足の訓練をする時間もあったが、
夏になると忙しくなる。
自然とほったらかすことになり、せっかく動きかけた
手がまた動かなくなる。
毎年、そのくり返しだった。
いまでも母が後悔しているのは、もっと早く農業を
やめていたら、私の手がもう少し動いていたかも
しれないということだ。
夏のあいだ、天気のいい日は毎日畑に行った。
母とお手伝いのお姉さんと手をつないで、
必ず歩いて行った。泣いてもわめいても、
歩かされた。
私がいま歩けるのは、そういうことがあったからである。」


「あるとき、母が内緒で風船ガムを持ってきてくれた。
施設では虫歯予防のためということで、毎晩ガムがでた。
私は悪知恵をはたらかせて、毎日でるガムの包み紙を
取っておき、風船ガムの包み紙と取りかえて
カムフラージュしようとした。
風船ガムを包みなおすときは、少し知恵がおくれている
友だちに手伝ってもらった。
頭のいい子に手伝ってもらうと、そのまま取られてしまう
からである。

『半分あげるから手伝ってよ。
保母さんにも看護婦さんにも黙っているんだよ』

と口止めすると、知恵おくれの子は喜んで手伝ってくれた。
いま思うと知恵おくれの子を利用したみたいだが、
手のつかえない私にとっては生きるための知恵だった。
といって、知恵がおくれているからといって、
バカにしたり、ガムの数をごまかしたりすると、
その子は二度と手伝ってはくれなくなる。
正直にガムを分け、『ありがとう』と言うと、
どんなときでも裏切られることはない。
部屋のたたみのあいだから、
ガムが一枚出てきたことがあった。
みつけたのは手がつかえる子で、
その子は自分ひとりでそのガムを食べようとした。

『ちょっと待って。そのガムはだれのもの?』

みんなで話し合ったがいったいだれが落としたものか、
わからない。
じゃあみんなで分けて食べようということになり、
算数のできる子がものさしで六等分した。
ガム一枚にも、小さな政治や思惑があった。

日曜日には親が面会に来る子と来ない子、
いろんな表情があった。
親が会いに来られない子は、職員や同室の子に
当たり散らす。
消灯後になると、親が来た子は、布団のなかやトイレで、
親が持ってきてくれたお菓子をこっそり食べる。
私は母の持ってきてくれたお菓子を、
ひき出しのいちばん奥に入れておいた。
手がつかえないので、布団のなかやトイレで食べる
ことはできない。
施設に入って三年目で、私は部屋のボスになっていたから、
知恵の遅れている子に命令して、ひとりで隠れて
食べている子からお菓子を取り上げ、
みんなの口に入れるように指示した。
いかにも正義の子どものようだが、実は私自身、
手がつかえないから思いついたことなのだ。
もし手がつかえていたら、食べられない子の悲しみや
屈辱をわかることができなかったかもしれない。

施設の外に一歩出れば、お菓子屋の店先に、
お菓子が山のように積んである。
そのころの私には不思議な光景だった。
施設では、職員の数も十分とはいえなかったから、
ただ責めてもしかたのないことだとは思う。
いまでは、私のいたころのような施設はないと
思いたいが、私には施設はまるで牢獄のようにつらい
ところだった。」

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by bunbun6610 | 2013-09-16 18:00 | バリア&バリアフリー

画像加工ソフト

Adobeのフォトショップを長いこと愛用してきました。
でも、クリエイティブ・サイト2(CS2)からのフォトショップは、
メーカーもライセンス認証をしなくなってきました。

パソコンの買い替えが必要になると、
古いソフトは再インストールしても、
ライセンス認証は受けられなくなってしまいます。

買い換えるにしても、フォトショップは家庭用の
エレメンツからプロ用まであります。

さて、どれにしようか。


【約10年前に購入したAdobeフォトショップで加工した写真】
a0196876_1516911.jpg


【現在の最新版フォトショップ・エレメンツ(体験版)で加工した写真】
 ・スマート補正 80%
 ・コントラスト +20
a0196876_1541850.jpg



上の画像は、同じ原画を2つのソフトを使ってみて、
加工したものです。
画像加工の出来具合は、方法の違いなども
関係すると思いますが、
古いにもかかわらずフォトショップのほうが、
明らかにいいと思います。
でも、そのかわり、フォトショップはプロ用ですから、
価格の違いはかなりのものです。
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by bunbun6610 | 2013-09-15 19:00 | 雑談

鰻千

 『鰻千

  東京都練馬区北町1-46-5 1F

素材の鰻自体がなのか、焼き方がなのか、
それとも両方なのかわかりませんが、
野生的な味のうな丼でした。

鰻料理は、注文してから届くのに
20分以上待ちますが、
これが1300円は安いと思います。


a0196876_10295234.jpg


a0196876_10293496.jpg

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by bunbun6610 | 2013-09-15 18:30 | 食べ物


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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