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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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仕事をしないでお喋りばかりしているのは健聴者だ。
そんな人たちに残業までやらせて、
障害者には定時で「帰っていい」と
言う上司は、頭が変だとしか思えない。

給料も低く、情報保障もなく、業務指導もない。
これじゃ、スキルアップも無理だ。
これでは、障害者を

「(法定雇用率を達成して助成金をもらうための)数合わせ」

にだけ雇用していると見られても仕方がないのでは? と思う。
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by bunbun6610 | 2013-08-27 18:30 | 就労後の聴覚障害者問題Z1
昔から、私は24時間テレビ『愛は地球を救う』
が嫌いでした。

私は周囲の健常者からは

「お前の障害は軽い。
というより、障害のうちに入らないよ」

「あなたは障害者には見えない」

などと言われてきました。

そのため、障害者手帳も取得せず、
健常者に混じって生きてきました。

けれども大人になると、社会はそんなに
いい加減ではなかった。

あっという間に、就職に困るようになったので、
障害のことはごまかして働くようになりました。

だまして生きようなんてつもりはなかったが、
もはや苦渋の選択をするしかなかった。

そして、どうにかして、ここまで生きてきた。


「明らかに障害があるのに『障害者だと思わない』なんて、
健常者って勝手だな」

と思った。

それは、やはり

「非常に無責任な言葉」

だろう。

その言葉のどこに、信頼できるだろうか。


それでも、私は24時間テレビに出てくる重度障害者とは全然、
違うのだろう。
だが、私も今は重度身体障害者なのだ。


あのテレビを観て募金をする健常者たちは、

「障害者にはまともな仕事なんか、できっこない。
だから、こうするしかないのだ」

と思っているのではないだろうか。

彼らは障害者を信頼するのではなくて、特別扱いをする。
自分たちの慈善行為に酔いしれていて、
やめられないのだ。

それが障害者の自立を阻む最大要因なのだということを、
愚かな彼らには理解できない。

無意識にそう思い込んでいるからこそ、障害者に対しては、
そういう慈善行為を真っ先にするのではないだろうか。

本当は募金なんかよりも、誰もが社会参加できる社会にする
ことのほうが、ずっと大切なことであるはずだ。

なのに、彼らは本当の意味での障害者支援には消極的で、
慈善活動ばかり一生懸命にやる。

これが許せない。
こんなことは絶対許せない。

24時間テレビなんか、早くなくなればいい。
そんなテレビ番組が要らない社会になってこそ

「日本も、ようやく真に障害者を受け入れる社会になった」

と言えるようになるのではないだろうか。
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by bunbun6610 | 2013-08-26 21:03 | バリア&バリアフリー
『車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性』
(小山内 美智子/著 1995年4月26日/第1刷
ネスコ/発行 文藝春秋/発売)


「障害者が一番しなければいけないこと、
それは、自分の障害を主張することです。」

     (シンディ〔米国の車椅子障害者〕)

当ブログ
『障害はあなたという人間の一部です』
〔2011-11-17 22:30〕

より。




〔参考情報〕
『書評で人と本をつなげるブログ/ブックハウス』




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【T・M〔匿名〕さんとの文通】


「私は今、親元で何不自由なく生活しています。
欲しいものがあれば買って来てくれ、行きたいところが
あれば出来るかぎりは連れて行ってくれます。
家に居れば何ひとつ困ることなく楽な人生がおくれると
思います。
親が死ねば施設(国)が第二の人生を与えてくれます。
でも、何かが足りないのです。
これまで、両親は私を育てるため自分の人生を犠牲に
して来ました。
普通に子供を育てるのとは違い、私が思っている以上
にたいへんだったと思います。
心から感謝しています。

でも、私も成人して自分の生き方を持ち始めました。
このまま、他人が与えてくれる楽な人生を歩みたく
ありません。
出来るかぎり自分のことは自分でやって、
自分の意思で行動し、
何にでもチャレンジしたいのです。
その可能性が1%でも、私は自分の人生を自分の力
で切り開いて行きたいのです。」
(1989.5.30 T・M)


「一所懸命歩いて、ドアを何度もたたき、
自分の考えをぶっつけなければ、
自立は0%で終わってしまうかもしれません。
あきらめなければ100%です。」
(1989.6.22 小山内)


「先週の土曜日、札幌行きを親に切り出したのですが、
予想どおり猛反対を受けました。
とくに母親には参りました。

母親の言い分は

『理想と現実は違う。
理想を追い求めているとかならず失敗して自分が
惨めになるだけ。
お前は自分のおかれている立場をよく考えて
行動しなさい』

と言われました。
また、

『これからおまえがやろうとしていることは
日本の障害者のトップ・レベルを歩むことで、
けっしてお前の出来ることじゃない』。

私もそう思います。
ただ、経済力が低いことで諦めて良いのでしょうか?
小山内さんのお母さんも同じだと思いますが、
これまで私をどのように育ててきたか私だって
わかります。
その話を泣きながらされるとすごく弱いのです。
あとの問題はお金です。」
(1989.6.30 T・M)


「お金が苦しいと言いますが、あなたは自分に
月どれくらいの障害基礎年金が出ているのか
知っていますか。
地方によってもちがいますが、いろいろ加算すれば
八万円くらいは出ているはずです。
自分の年金(給料)をいくら家に入れるか、
いくら自分の小遣いにするのか、
いくら貯金するのか自分でやっていますか。
きっと親にまかせっきりではないでしょうか。

私も二十歳ごろまで、なんでも親まかせでした。
私の生きる道は、親が作ってくれると思いこんで
いました。
でも私のほうが若い。
同じ日にはお墓には行けないことを知りました。

親まかせの生き方はやめようと決心した日から、
毎日親とけんかでした。
しかしそのうち親も根負けし、
(言っても無駄だ! ほおっておけ!)
というふうになればしめたもの。
障害をもたない人たちも、親に逆らいながら大人に
なってゆく。
そして自分が親になったとき同じことを繰り返す、
というのが人間の歴史です。
ただ障害者は、今の世の中の仕組みのままでは親に
抵抗できない。
親に捨てられては生きられないという恐怖があるから
夢を捨ててしまうのです。

でも、やっぱり親は先にあの世に逝ってしまうのです。
一生あなたの生涯にはつきあえないのです。
親が障害者のわが子にやりたい事をやらせないことは、
非常に無責任な愛だと思います。
一年、一ヵ月、一日でも若いうちに社会の厳しさを知らせる
ことが親のわが子に対する最大の子育てだと思いますが、
いまの親は間違っています。
子供が親の生きがいになってはいけないのです。
それは障害者でも、そうではない人でも同じです。

『ピア・カウンセリング』とは何かといえば、あなたと私の
この手紙のやりとりがまさにピア・カウンセリングなのです。
私はあなたと同じ障害者、私の経験したことをあなたに
言っている。
もうこの手紙で私はあなたにカウンセリングを
しているのですよ。

札幌に来ることの意味は、カウンセリングの会場に
来ることではなく、あなたが親と戦い、勝利し、
ひとりで汽車に乗ったり、飛行機に乗ること。
そしてあなたが夢と勇気を持てるようになることです。
途中で言葉がうまく通じなくて、警察に保護されて
家へ帰されるかも。
それでもあなたの行動は間違っていないのです。」
(1989.7.7 小山内)


「結論から言います。
今回の札幌行きは諦めようと思います。
これは言い訳かもしれませんが、私は親に負けた
のではなく、お金に負けたのです。
・・(中略)・・・もし親に経済力があり、
私にお金があれば、親に殺されても冒険をしたいです。
・・・(中略)・・・
実は父親も軽度ではありますが、障害者手帳を
持っています。
・・・(中略)・・・
家で障害者じゃない男は弟一人です。
両親はその弟だけは一人前にしたいというのが
願いです。
両親は『弟の幸福はお前の幸福』と考えています。
でもそれは違うと思います。
・・・(中略)・・・
そんな訳で両親は今は頭も金も弟のことでいっぱいです。
家の経済力では私の年金でさえ使わなくては弟を
大学へはやれないのです。
私としても大学ぐらいは出してあげたいと思います。
・・・(中略)・・・
今私が自由になる金は、今年の一月から通っている
作業所の給料、三千円前後だけです。
その金をためて札幌にどうどうと行きたいと思います。
その時はよろしくお願い致します。」
(1989.7.13 T・M)


「それぞれの家庭の事情があると思いますが、
やはりあなたは自分に負けたような気がします。
大の男が一ヵ月自由になるお金が三千円では、
何年たてば札幌に来られるのでしょうか。
煙草や酒をやめたくらいではあなたは若いうちに
自由にはなれませんね。
弟さんにご家族の皆さんが期待するのは
よく分かりますが、弟さんの荷が重過ぎると思います。
あなたの年金までつぎこんで大学に進学するという
考えは絶対にやめたほうがいいと思います。
そうしたほうが弟さんも自分の人生の選択権が
ひろがるのではないですか。

親が子供の将来を縛るのは、日本の福祉が貧しい
からです。
親も子もそれぞれ独立した人間です。
年金を生活費に入れているということには、
そこの家庭の事情があるのでしょうが、
弟の学費まで年金からというのはおかしいと
私は思います。
やっと弟さんが大学を出て、就職をして結婚したとき、
それからあなたの旅立ちですか?
それは悲しすぎます。
たくさんの仲間たちと接し、障害が重ければ重いほど、
一ヵ月、一日でも早く若いうちに自立したほうが
いいのでは、と思います。
『鉄は熱いうちに打て』ということわざ通りです。
でも命がけで育ててくださった親にはなかなか
逆らえないという気持ちも痛いほどわかります。
でもまず自分を真剣に愛することから始めてください。
きっと何かが見えてくると思います。
・・・(中略)・・・

私も若い頃、自分が嫌いでした。
でもたくさんのことを経験したとき、少しずつ自分が
好きになってきました。
そんなとき少し惚れてくれる人が現れ始めたのです。
せっかく引っかかった男にふられたとき、
また自分の障害を呪いました。
でもまたチャレンジしました。
失敗は人を成長させてくれます。
あなたもこれから失敗の旅が始まるのですね。
何度失敗するか競争しましょう。
失敗の数が多いほどあなたを大きくさせます。
親の言うなり、施設にいれば、あなた自身の失敗は
一度も経験できないでしょう。
失敗は親や職員が後片付けするからです。」
(1989.7.18 小山内)


「・・・その時私が泣いたのは、彼女が結婚することも
ありましたが、いつまでも親の言いなりで、
他の同じ年代のやつらは親になっているのになぜ、
俺だけが親の支配下の中で子供でいなくては
いけないのだろうと思ったからです。

その日、私は酔いつぶれるまで飲みたかったのですが、
親に買ってもらったのは缶ビール一本きりでした。
一本なんてコーラを飲むのと同じです。
二十四歳の男が失恋したのですから、悪友と夜通し
飲み明かすでしょう。
結局私たちは、親から離れない限り、金も、酒も、
タバコも、恋愛も自由にはなれないのです。
小山内さんの言うとおり一日も早く自立したいです。
弟の大学ももちろん夜間部です。
昼間はバイトをしています。
母親は

『自立には反対じゃない。
ただ弟は今しか時間がない。
今やってやらないとだめ、お前には時間がたっぷりある。
弟のことが終わるまで待ってほしい』

といいますが、私は待っていいか疑問に思います。
私だってこんな身体です。
あまり時間がないと思います。」
(1989.7.25 T・M)


「私のそばにはいつも誰かがいました。
介護してくれる方は私の言うとおり動いてくれます。
でも、何かが違うんですよね。
何が違うかは分かりませんが、もちろん我々障害者にとって
介護者は命の次に大切です。
でも、時には介護者から離れるのも必要だと思います。」
(1989.9.15 T・M)


「あなたが、初めて一人で物を買った喜びよくわかります。
私も初めて一人で喫茶店に行ったとき本当に生きるって
いいなーと思いました。
一人になることはとても大切です。
グループホームに住みたいという気持ちわかります。
けれど、そこに住んでしまうとなかなか出ていく人が
いないのが現実です。
横浜からも、あまりいい返事は来ないと思いますよ。
一人暮らしをする前に、一人で出かけること、
料理をおぼえることなど、社会のルールを身につけることから
始めなければ、一人暮らしを始めてもボランティアや
介助スタッフにふりまわされて、自立ではない生活をしている
人を私は何人も見ています。
精神を強くすることから始めてください。
たくさん冒険をしてください。」
(1989.9.27 小山内)


「私は今自立という夢に向かって走っています。
しかし、多くの障害者が夢や自分自身の感情や怒りを
捨てて親や施設のいいなりで暮らしています。
最近親の会で知りあった障害者もその一人でしょう。
彼は生まれて間もなく施設に預けられてから三十五年間
ずうっと施設生活でしたが、施設の管理、職員の態度に
耐えられなくなり、施設から逃げ出し自宅へ帰ってきました。
その彼が涙をこぼしながら私に言うのです。
『好きな時間にテレビが見られ、好きな物が食べられ、
自分の意思どおり生きられる。
家に帰って来て良かった』と。
私は施設生活の体験は子供の時しかありません。
子供心にも施設がイヤでイヤで仕方がありませんでした。
大人の施設がどういうところか分かりません。
でも、彼の話を聞くと人間として生きる気力がなくなる所と
思われます。
彼は今、本当に幸せと言いますが、それでいいのでしょうか。
彼の家は障害を恥ずかしいと思っているようです。
弟の結婚式にも出られないのです。
弟の結婚式に出席するのは当たり前でしょう。
彼自身も『俺がいるとみんなに迷惑をかける』という考え方で
外へ出ようとしません。
親も彼を人間として扱っていない証拠です。
買い物にも行けず、頭は丸坊主。
毎日毎日テレビとにらめっこの人生が幸せという彼が
かわいそうでたまりません。
彼と小山内さんを比べると、雲の上を跳び越して宇宙の
果ての遠い星の人のようです。
でも私はその星に昇って行くのです。
親も私の自立に徐々にではありますが、関心を持ち始めました。」
(1989.10.6 T・M)


「確かに私は、今まで親の顔色を見ながら生きてきました。
買い物に行きたいときやお金が欲しいときなどは、
親の機嫌のいい日を見はからって言いだします。
情けないと思いません?
二十五歳にもなる男が、たかが三千円や五千円の金を使うのに、
いちいち親の顔色を見なければ使えないのです。
これは親が私を子供の感覚で見ているからではないでしょうか。
普通の人なら、高校にでも行けばバイトもでき、自由なお金も
手に入るでしょう。
しかし、我々障害者はいつまでたっても、自分の自由になる
お金はできないのです。
私もそれを変えようとしましたが、どうにもなりません。
親としても精一杯苦しい生活の中で育ててくれたのです。
ストライキを起こしても、結局は負けてしまうのです。
親の顔色を見るのは、まさしく障害があるからです。
健常者ならば、親に捨てられても自分で働いて食べて行けます。
家にいる限り、親に見放されたら生きて行けません。
何も目標のない施設で、動物園の動物のようにただ餌だけを
楽しみにいきていかなければなりません。
その恐怖感で親に逆らえないのです。
その状態を変えるために自立を決意したのです。」
(1989.12.7 T・M)


「ヒューマンケアの中西さんと話ができてよかったですね。
彼があなたに対して、一時的にでも施設に入ってみたらと
言ったのは、あなたはまだまだ精神的に自立ができてないと
思ったからかもしれませんね。
施設や親から独立したら、即自由が手に入るわけではありません。
自由になる裏には辛く厳しい生活や人間関係、精神のトレーニング
が必要です。
札幌でも、まだ指折り数える人しか一人でアパート生活をしている
人はいませんが、真に自分自身で生きているかというと、
首をかしげるケースもあります。
部屋に閉じこもり、テレビとにらめっこしたり、ボランティアに去って
いかれては困るという恐怖から、物を取られても、
自分の意に反したことをやられても、我慢している
人もいます。

自由とは、たえず自分を厳しく律することだと思います。
・・・(中略)・・・
施設は大きくなればなるほど、職員たちの意見に対立があり、
それが一番障害の重い者にふりかかってくることは
悲しむべきことです。

『あの看護婦さんは、怖いからちゃんとしなければ』

『あの保母さんは優しいから甘えてもいい』

などと、子供たちは毎日カメレオンのように暮らしている
のですものすね。
でもね、これは普通の社会や会社に行っても、
みんなカメレオンで生きています。

施設に入ってしまうと、夢を捨ててしまう人がいますから、
施設はあなたにとって人生の階段だと思ってください。
施設の建物が立派になったり、職員が多くなっても、
私たちが子供の頃経験してきたイヤな思い出が、
今も繰り返されているのでしょうね。
施設は社会へ出るためのトンネルでなければなりません。
でもトンネルから一生出られない人たちが、あまりにも
多すぎることは悔しいことです。
何としてもこの現実を壊すことは、私たちにしかできない
仕事なのです。
施設に入ったら、思いっきり年金でやけ酒を飲んでください。」
(1989.12.13 小山内)


「親ともめていて手紙が書けない状態でした。
本当にごめんなさい。でも、けっして自立を諦めた
訳じゃありません。
もめた原因は今年の三月の衆議院選挙でした。
私はこれといって投票したい候補者はいませんでしたが、
親に逆らう意味で投票に行きました。
私の地域の投票所は土足では投票出来ません。
従って私が投票するには係員が抱いて行かないと
投票できません。
それが親にとっては恥ずかしいことに思えたのでしょう。
係員も地元の人だし。
投票から帰ってくると凄いけんまくで言われました。

『あんな思いをして一票入れたってしょうがない、
世間に後ろ指をさされるだけだ』

またこんなことも言われました。

『おまえがいくら自立自立と叫んでも普通の人間としての
人生は歩めない。
障害者なりの人生を歩めばきっと幸福になる』

障害者なりの人生とはなんでしょうね。
また同封した手紙は母親にあてた手紙です。
いちご通信に載せてください。
あれだけの手紙を書いても分からない親たちが憎いです。」
(1990.7.5 T・M)


「なぜ俺が家を出たいか、思っていることを全部書きます。
お母さんが言うように、異性を求めていることは確かです。
結婚はいずれにしても

『一度でいいから女を抱きたい』

『このまま女を知らずに死にたくない』

という気持ちが強いのです。
それが自立したい理由の半分以上です。

でも、それだけではありません。
他にもいろいろあります。

いつか弟がこの家にお嫁さんを連れてきた時、
俺はどんな顔でそのお嫁さんに会えばいいのですか。
弟の兄貴としてではなく、単なる『この家の子供』でしか
会えないでしょう。
結婚式にも出席できずこの家に取り残され、
ただ一人結婚式が終わるのを待っている俺を想像すると、
惨めな気持ちになります。
たかが一日と言うかもしれません。
だけど、その一日が来る日が怖いのです。
恐ろしいのです。
この気持ちは誰にも分からないと思います。

その後も、ずうっと弟は大人の立場で、
俺は子供の立場でつきあって行かなければ
ならないのです。
お嫁さんとも対等には話ができないでしょう。
障害者は親のそばにいる以上、大人には
なれないのです。
また、世間からも大人として認められないのです。

この前、従兄弟のサッちゃんが来た時、本当に
悔しかったです。
本当なら一緒になって話ができるはずです。
サッちゃんとは遊んでもらった思い出があるし、
年だって違わないのです。
なぜ、あいさつだけしてコソコソと奥へ逃げなくては
ならないのでしょう。

小さい頃から、弟の成長が怖かったのです。
それは俺とは違う人生を歩み始め、
俺からだんだんと離れて行くからです。
チョコレートが多いの少ないのととっくみあいの
喧嘩をしていた相手が高校へ行き、
大学へ行き、お嫁さんをもらうのですよ。
こっちは相変わらずチョコレートが多いの
少ないのとやっているのに。

お母さんはよく俺が施設に入れば、弟が面会に
来てくれると言いますが、
それを心から喜べると思いますか。
行きたい所へも行けず、食べたい物も食べられず、
自分より年下の職員を先生と呼び、
いつも拘束された生活をしているのです。
弟は、お嫁さんと子供を連れてしあわせそうに
来るのです。

『兄ちゃんこれ食え』

と言ってくれて、嬉しいと思えるほど俺は立派
じゃありません。
どう思いますか。

俺が自立したいのは、異性だけのことではなく、
人間として大人として生きたいのです。
応援してください。」
(お母さんへ T・M)(1990.7.5 T・M)


「・・・親の強い愛に負けてしまい、家や施設に
閉じこもってしまった人をたくさん見てしまったので、
またあなたもかとがっくりしてしまいました。
選挙よく行きましたね。
一票をあなたが入れたこと、それは人間としての夢です。
私も誰に入れてみようかという思いがない時も、
選挙には行きました。
私たちはみにくい体を見せて、

『私はここで生きてるぞ!』

と言うことが、もっとも大切な仕事です。
あなたのとった行動は正しかったと思います。

葬式、結婚式に出られない悔しさは、言葉では
いい表せません。
従兄弟の結婚式に姉に声がかかっても、
私には声がかかりません。
子供の頃、なぜ自分だけ取り残されるんだろう?
と不思議でした。
でも、だんだん年をとってきて、私の存在を隠したいんだ
ということが分かった時、ショックで誰にも言えませんでした。
親の葬式さえ、家に鍵をかけられた友人もいます。
あなたは何があろうと、弟の結婚式に出てください。
出たからといって、何も変わらないけれども、あなた自身が
変わってきます。
あなたのお母さんはあなたを産んだことで親戚友人から
白い目で見られ、障害を持つ子を産んだことは全部
お母さんの責任にさせられたのでしょう。
女は健康な子を産む一つの道具に過ぎないという考えも、
今もってなくなっていないのだと思います。
お母さんが悪いのではなく、そうさせてきた周囲の人たちが
悪いのです。
あなたが自立した時、お母さんは女としてのプライドが
持てると思います。

私がスウェーデンに行って、あるスウェーデン人に

『あなたのお母さんはあなたを産んでよかったと
思っているでしょう』

と言われた時、私は涙が出たことを思い出しました。
どんな子を産んでも女は偉いという社会になるといいですね。

サッちゃんとチョコレートのお話いいですね。
あなたはチョコレートではなく、恋人が欲しいのでしょう。
私は欲しいものはまず手に入れたので、チョコレートも男も
似たようなものだと思います。
でもやっぱり味見をしなければ死にきれませんよね。
どうしたら恋ができるかなあと考えています。
やっぱり失敗を恐れないこと、数打てば当たる!
という根性でしょう。
女を抱きたい!! と思いながら生きること、
それがエネルギーになり、あなたの人生が変わってくると
思います。
プライドを持った人間として、エッチな男として生きましょう。」
(1990.8.15 小山内)


「今回東京へ行き、一番感激したことは、いちご通信で
登場していたT・Mさんに会えたことだ。
あまりにも言葉がはっきりしており、スマートな雰囲気もあり、

『この人が本当にあの暗い手紙を書いていた人かなー』

と、自分の目を疑った。
三、四年前電話が来ても、ひとつの言葉を聞き取るのにも、
三、四分かかった。
まったく奇跡である。

『どうしてそんなにスラスラ話せるようになったの?』

と聞くと、

『独り暮らしをしたら介護者が来てしゃべらなければならない、
家に居た時は何もしゃべらなくても一日が終わっていた』

これこそ真のリハビリテーションであると思った。

『姉が来たので町を案内したんだよ。
両親も諦めたらしく、いまでは喜んでいる』

と、彼の目は太陽のように輝いていた。
私が手紙を書き続け、そしてヒューマンケア協会が、
彼を受け入れた。
すばらしい連携プレーではないだろうか。」
(小山内)

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by bunbun6610 | 2013-08-26 18:00 | バリア&バリアフリー
『車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性』
(小山内 美智子/著 1995年4月26日/第1刷
ネスコ/発行 文藝春秋/発売)


「障害者が一番しなければいけないこと、
それは、自分の障害を主張することです。」

     (シンディ〔米国の車椅子障害者〕)

当ブログ
『障害はあなたという人間の一部です』
〔2011-11-17 22:30〕

より。




〔参考情報〕
『書評で人と本をつなげるブログ/ブックハウス』




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「デンマークから来たデンマーク筋ジストロフィー協会
の会長エヴァルド・クロ氏は、日本全土をまわり講演
をした。
彼は歯切れのいい口調で、

『デンマークの福祉と日本の福祉とのあいだには
三十年開きがある』

といっていた。
驚いたというより腹が立った。
なぜこんなにも開きが起こったのか、だれの責任なのか
を考えた。
政治家、行政、教育、障害児の親、そして私たちの
責任だろう。
戦争にエネルギーを使いすぎたのだと思う。
車椅子ひとつを見ても、飛行機の座席でいうと
日本のはエコノミークラスで、デンマークのはファースト
クラスの椅子だ。
十五年前からもう北欧は大規模施設を壊して、
障害者の性の問題に真剣に取り組んでいた。
昨年、十五年ぶりにおとずれたスウェーデンでは、
『車椅子からベッドインまで』
というセックスケアのマニュアルもできていた。」


「人間、皆いくつもの顔を使いわけて生きているのだ。
しかし障害の重い人たちは、いつもいい子で子どもの
ようにふるまうことを要求されている。」


「北海道の障害をもつ中学生の少女が普通学校で
勉強したいと闘ったが、本人にも親にもどこで勉強
するかの選択をする権利はないと裁判所は答えた。
なんと悲しい社会なんだろう。
まわりにいる子どもたちは、彼女を見て何を考えて
いるのだろう。
施設では結婚を許しても妊娠は許されない。
障害があろうとなかろうと、せっかく生まれようと
する貴い命をなぜ消してしまうのか。」


「二十七歳になりコンドームをもっていてもおかしく
はないだろう。
しかしボランティアやヘルパーさんに見つかり、
軽蔑され来てもらえなくなったら困るという恐怖感
がつきまとっていた。」


「二十歳を過ぎたとき、少し知恵の遅れた人がいて、
私は言葉で化粧の仕方、洋服の選び方、料理の作り方、
ことこまかに伝えた。
目やにだらけでボロボロの服を着ていた彼女は、
私のアドバイスでくやしいほど美しくなったのである。

『きれいだね。よかったね』

というと、彼女は『ありがとう』と、はじめて涙を流した。
彼女は恋をしたらしく、料理のメニューを聞きに
しょっちゅう電話がかかってきた。
そして、セックスの仕方もことこまかに教えてあげた。
しかし、施設側はふしだらな知的障害者だといい、

『寝た子を起こさないでくれ』

と私をどなり、彼女は実家に戻された。
彼らが結婚したとき、避妊の仕方、セックスのやり方
などをまわりにいる人たちは恥じらいなくアドバイス
しなければいけない。」


「交通事故にあい、精子が出なくなったという男性
からの電話を受けたことがある。
彼に子どもがつくれないとわかると婚約者は去って
いったという。
それは子どもがつくれるとかつくれないという理由
ではないと思う。
歩けなくなった彼を見たくなかったのかもしれない。
心は離れていく。
相手に子どもをつくる能力がなくなったと知ったとき、
別れを告げる人もいる。
それは死刑宣告にも似たむごい現実である。
日本でも障害者がミニスカートをはき、激しいベッド
シーンがある映画を作りたい。
プレイボーイの車椅子男性を描きたい。
それができたとき、日本の社会もようやく
成熟したといえるのではなかろうか。」


「なぜなら、障害者は夫婦げんかをしたときに、
意地をはっていたとしても、トイレに行きたくなれば
トイレ介助をしてもらわなければならない。
障害をもった側が、

『さっきはごめんなさい』

と先にあやまざるをえない辛さを、私が一番よく
知っているからである。」


「(トイレ便器の)ウォシュレットはもとは障害者の
ために作られたという。
現代ではテレビ、ステレオ、ドアのロック、照明など、
一般の人たちは知らずのうちにリモコンを使って
いるが、これらも障害者のために作られたのだ。
車のオートマチックや、野菜切り器など、障害者の
ために作ったものが、障害をもたない人たちに
とっても便利だということがわかり、
一般に普及している。
電動車椅子の小さなハンドルの箱の発明は、
NASAで研究されたという。

アパートを探しにいったとき、

『玄関にスロープをつけてもいいですか?』

と聞くと、アパートの美観が損なわれる、といわれた。
なぜ階段が美しいものとされているのか。
階段をつけた建築家は、自分が年をとり、
その階段に上れない日がくることに気づかない
のだろうか。
自分の身のまわりのものを見渡してほしい。
だれもが、ひとつや二つ、障害者のために
作られたものを使っている、ということに気づくはずだ。
けっして私たちは邪魔な存在ではない。
わがままをたくさんいって生きていることが、
私たちの仕事なのだ。」


「私たちは美しいプロポーションではない。
美しい顔でもない。
美しく着飾ってもさまにはならない。
殺し文句が一番きくらしい。
自分なりの口説き方を勉強するほか、手だては
ないだろう。
それはだれからも教えてはもらえない。
孤独なマラソンランナーである。
ゴールを見ないで死んでしまう人もいるだろう。」


「障害があるから異性を得ることができないとは、
いいたくない。
が、やはり山奥の施設で健康な男女三百人いても、
赤ん坊の泣き声、かん高い子どものおしゃべりが
ひとつも聞こえてこないのは、奇妙な世界である。

ある講演の最後の質疑応答で、施設を見学した
中年の女性が、

『すばらしい設備の施設でしたよ。
あんないいものを作ってもらい、何が不満なの』

と私に問いかけた。

『じゃあ、あなた一生あそこで暮らしたいですか?』

と彼女に聞くと、低い声で、

『いいえ、暮らしたくありません』

とうつむいた。
五百人くらいいた会場が、一瞬のうちに静まりかえった。
私はあまりにもきつい言葉をいいすぎたのかと思い、
涙が出てしまった。」


「ホストクラブからの帰り際、ハンサムボーイがタクシー
を拾ってくださった。
一台目がつかまったけど、

『あまり感じのいい人ではない』

といい、彼は断った。
そして二台目のタクシーは、とても感じのいい人だった
ので、

『この人なら大丈夫だよ』

といい、乗せてくださった。
もう真夜中の十二時を過ぎていただろうか。
彼の予想どおり、タクシーの運転手さんはとても
親切だった。

『すいませんねえ』

と何度もいうと、運転手さんは、

『こんなこと、当たり前ですよ。
あなたはお客様なのですから』

といい、車椅子を上手に開き、家の玄関まで
送ってくださった。
あれほど感じのいい運転手さんはめったにいない。
会社の名前と本人の名前を覚えておけばよかったと、
後悔している。

障害をもった人たちは、タクシーに乗るのが
恐ろしいという。
その意味は、私もいく度か経験しているので
よくわかる。

『なんで、付添人がいないのか。
面倒だ』

とどなる人もいる。
まったく悲しいことである。
北海道の障害者は冬は雪があり、地下鉄に
エレベーターがついても、そのエレベーター
まで行く手段さえない。
秋の冷たい風が吹くと、友人たちは、

『また穴ごもりの季節がやってきたなあ。
つまらないなあ』

という。
十二月、一月に東京に行ったとき、障害者たちは
すいすいと電動車椅子に乗っていた。
あれほどうらやましいと思ったことはないほど、
感激した。
タクシーもチップでも払えば親切にしてくれるの
だろうか。
なぜお客をどなりまくるのか、全国のタクシー会社
を経営している社長に訴えたい。
優しい運転手さんがふえないかぎり、雪国に住んで
いる私たちはどこにも行けない。
この問題をなんとか解決したいものである。」


「女を口説くために年金を使ったほうがいいのでは
ないか。
ところが、年金さえ親が管理し、三十代、四十代の
大の大人が月五千円、一万円のお小遣いという人
もいる。

『それでは女は口説けないよ』

という。
年金を月いくらもらっているかわからない人さえいる。

『一度でいいから喫茶店に行ってみたいなあ、
コンサートにも・・・』

というひとがいるのだ。
女を口説くために借金してもいいのではないか。
それがノーマルな社会だと思う。
障害のない人で女に狂って、身を滅ぼす人は
たくさんいるのではないか。
それがいいとはいえないが、障害者だってそういう
人生をおくる人がいてもいいのではないか。

セックス・ケアはどこまで踏みこんでいいのか。
服を脱がせ、下着をはずし、コンドームまでつけて
あげるのか。
そして、どちらかの体を上に乗せてあげるのか。
むずかしい。」


「秋も終わり、ストーブを買わなければ行けない
季節になっても、

『ストーブを買ってきて』

という電話がない。
副会長兼コーディネーターをしている沢口さんが
しびれを切らして、

『寒くない? ストーブ買おうか?』

と電話しても、あまりいい返事はこない。

『全部やってあげるのは簡単だけど、それでは施設の
ようになってしまう』

という沢口さんは、ストーブのパンフレットを持って行き、
選んでもらったという。

『もし凍え死んだら私たちのせいになるもんねえ。
どこまで手伝おうか、どこまで待っているかむずかしいよ。
プライドの高い保育園生のように見えることもあるよ』

と彼女はつぶやいていた。
施設は寒くなったら黙っていてもストーブが入る。
ご飯が目の前にくる、黙っていても寝る時間がくる。
これではいくら年をとっても社会人にはなれない。
沢口さんは、

『私たちもそういう時代があったんだねえ』

と大きなため息をつき、ケアのことからストーブのことまで
心配している。

『私たちもしかしたら施設の職員になっているときも
あるかもね』

といっていた。」



「(阪神大震災の後で)ニュースでボランティアが豚汁を
作ってもってきた。
ひとりのおばあさんの前に豚汁をおいたが、食べさせて
くれる人がいなかったという。
そんなコメントを聞き、私の幼い頃、食事の匂いだけが
鼻を通り、だれも食べさせてくれなかったことを思い出し、
涙が止まらなくなってしまった。
性のことから、現実めいたことまで書いてしまったが、
豚汁が食べられなかったお婆さんの苦しみと、
バージンで死んでいく障害者たちの悔しさは、
同じものではないだろうか。
被災者の人たちは力強く立ち上がるのにちがいない。
障害者も声を大にして立ちあがり、恋愛をし、
子どもを産み、育て、悔いのない人生を送ってほしい。」


「次はケア・マニュアルの本を書きたいと思っている。
全国で介護学校がたくさんできているが、あれは
私にとってはありがた迷惑なことなのだ。
教科書を作るのはすべてケアを受けたことのない人
なのである。
だから、ケアを受ける立場で、教科書を作りたいと思う。
もちろん私だけの原稿ではなく、看護婦、医師、
ケースワーカー、学識経験者の人たちにも原稿を
書いていただき、本物のケアとは何かということを
書き綴りたい。
原稿の中で、障害をもたない人たちと意見が違って
くるかもしれない。
でも、それでいいのだと思う。
その迷いや答えは、ケアを受ける人、ケアをする人が、
働きながら考え出していけばいいのだと思う。
この夢は実現させたい。
協力してくださる方がいらっしゃったら、
ぜひ手をあげていただきたい。

本当は介護学校なんていらないと思う。
しかし、国が決めたのだから仕方がない。
私の死ぬまでの夢は小さな介護学校を作り、
校長になることである。
生徒さんたちにお風呂にいれていただき、

『あなたは七十点。あなたは八十点』

と手つきや視線を見て思いやりを感じて、
点数をつけること。
そんな学校があってもいいのではないか。
介護はペーパーテストではない。
記憶力でもない。
学歴でもない。
才能なのである。
その才能と優しさを見つけていくことが、
今後私たちの仕事だと考えている。
障害が重ければ重いほど、優れた教師になれる。
本当のケアを教えられる。
厄介者と思われていた重度障害者は、二十一世紀
の高齢社会の財産となっていくのだ。
みんな、プライドをもって生きてほしい。」

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by bunbun6610 | 2013-08-25 18:00 | バリア&バリアフリー
つけそば 『周』


 東京都板橋区板橋2-63-4
 「グローリア初穂板橋」マンション 1階



ここでラーメン屋をやるとは思えないような、
静かな場所にあります。

マンションの一階にはいろんなテナントが
入居していますが、このラーメン屋さんは
なかでも一番見つけづらいテナントです。

探す目印は、袖看板ぐらいです。


店内には専用の製麺室が見え、
製麺機があります。
ご主人は、スープだけでなく、
麺もご自分で作っているのでしょうか。
だとすれば、すごいこだわりようです。
ラーメンづくりのすべてを知っている人
かもしれまんせん。


まずは、中華そばを注文することにしました。
調理作業を見ていると、ラーメン・スープを
つくるときに、時間がかかっても正確に計って
作っているのですよね。
まるでパティシェのような感覚の持ち主ですが、
テレビでもそういうラーメンづくりの職人さんを
見たことがあるのを思い出しました。


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『中華そば』 (並=250g) 680円 
麺はストレートタイプの太麺、
スープは煮干スープのような味で、
濁りがあります。
これは美味かったです。
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中華そばが美味しかったので、
今度はつけそばを食べてみようと思って、
再訪してみました。

ここのつけ麺を見て、変わっていると思った点は、
麺の脇にレモンカルチェが添えられていること。

お客さんのなかには、このレモンがつけ麺には
合わないと思い込んでいる人もいるらしく、
レモンを絞らずに食する人もいます。

しかし、私はレモンが好きなので、
麺の上に回しかけて食べました。
麺が太くて、もっちりとした食感です。
これは予想以上に美味しかったです。

レモンが茹でた麺の臭みを無くすだけでなく、
つけめんスープ独特の香りと濃厚な味が、
レモンの酸味によって、
ほのかにさわやかなイメージになり、
食べやすくなるのです。

この職人は、こういうことを計算に入れて、
このシンプルに見えるラーメンを作り上げて
いるのですね。
それを一人でやっているのですから、
驚きました。


『つけそば』 (並=300g) 680円
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by bunbun6610 | 2013-08-24 18:30 | 食べ物(ラーメン編)

「複合差別」とは

会社で

私;「○社は、女性が多い職場ですね」

Aさん;「女は皆、派遣だよ、派遣!」

私;「全員派遣ですか?!」


こうしたことは、昔から続いている“女性差別”
があるからだ、と思われます。

実は、この会話の場所は、テレビ・コマーシャルにも
出ているほど有名な企業です。

子会社なのですが、それでも非常に大きな会社です。

親会社は世界中で知らない人はいないくらい、
有名な企業です。

それほどの会社でも、女性差別がまだ平然と
行われているのが、この日本なのだろうと
思いました。

日本は、本当に先進国なのだろうか。


女性であるだけではなく障害者でもあったりすると、
もっと厳しい状況です。


「ある企業の面接で、

『うちは本当なら障害者は要らないんだよ。
でも社会的立場上、面接くらいはしないとね。
だから期待しないでね。
まだ男性で見た目に分からん障害やったら
エエねんけどな~。
一応は面接はしてあげたから、もう良いでしょ』

と言われた」
(肢体不自由者)




>「まだ男性で見た目に分からん障害やったら
エエねんけどな~。」



この言葉なんか聞くと、残念ですが

「男性の中度難聴者(身体障害者手帳6級程度)
くらいなら、採用してもいいよ」

ということになるのでしょうか?


「聴覚障害者の場合は男性がいい」

という企業はよくあります。

理由は、聴覚障害者は電話応対や音声コミュニケーション
が苦手です。
そうすると職域が限定されるので、健常者が聴覚障害者に
でも任せたい仕事といえば、力仕事とかが多くなるのです。

実際にこのような障害者雇用目的の会社で、
私も面接を受けたことがあります。(※)


(※)当ブログ
『難聴者の会社面接対策(7) 面接で聴覚障害者が落ちた例』
〔2013-01-02 18:00〕

参照。





この会社の場合、女性の聴覚障害者は応募しても、
書類選考で落とされていた、と思います。

でも、その会社のメール室がビルの一階にあったので、
覗いて見たら女性も働いていました。

他の会社のメール室でも、女性がたくさん働いているのを
見たことがあるので、メール室業務というのは、
女性だからという理由だけで雇用されない、
というわけではないのです。

ところが、女性で、しかも聴覚にも障害がある場合だと、
女性がよく配置されている職場であっても、
難しくなるのではないでしょうか。

確かに、健常者男性もいる職場なのに男性がやらず、
聴覚障害者の女性に重いものを持つ仕事をやらせるのは、
会社としても容認できないと思います。

だからこの場合、その会社が女性の聴覚障害者を
雇用しない(書類選考で落とす)のは、
社内郵便物の力仕事をしてもらえ、
障害者雇用助成金ももらえる重度聴覚障害者(ろう者男性)
が欲しいから、なのです。
あるいは男性の精神・知的障害者でしょう。
これが企業の考える“マッチング”だと思います。

他の仕事は他の人がやるからといって、
聴覚障害者は力仕事ばかりやらされる可能性がありますし、
実際、私はこの会社の面接でそのように説明されました。

それでも給料しだいでは・・・と思ったので、
前向きに考え「給料は幾らになるのか」聞いてみました。

ところが、その肝心のことを教えてくれませんでした。

秘密にしているということは、かなり安いのでは、
と思われます。
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by bunbun6610 | 2013-08-24 00:22 | 就労前の聴覚障害者問題A
会社にはいろいろなタイプの上司がいます。

コミュニケーションには、その人の性格、能力が
見事に反映されるようです。


朝、会社に出勤するといきなり、D上司が


(1回目)「明日は朝から用件があります」


と筆談してきました。

「これはヘンなコミュニケーションだな」

とすぐに思いました。

今日の用事で、至急の件でこう伝えるのならば
わかるのですが、明日のことを、前日の朝一番に
伝えてくるのは、部下に対しヘンな負担をかけて
しまうだけだと思うのです。
私はそんなことより、今朝からやることで頭が
一杯です。

それでも私は我慢し

「わかりました」

と返事をしました。

でもその日、D上司はまた次々と、
こんな連絡をしてくるのです。


(2回目)「明日は一日中だからね」

(3回目)「○○さんと一緒に行ってね」

(4回目)「よろしく頼むよ」


筆談はしてくれるものの、
これではうんざりしてきました。

今日やらなければならない仕事のことも、
まだ説明されていないというのに、
明日のことばかりをこんなふうに言う上司なんて
いるだろうか。

そして翌朝になると、またも、こうしたダラダラとした
無駄なコミュニケーションが続きました。


(5回目)「今日は、よろしくお願いします」

(6回目)「▲▲へ行くから。○○さんと一緒に」

(7回目)「○○さんと一緒に▲▲へ行って、
その後、■■へ行って下さい」

(8回目)「終わったら、戻ってきてください」


一度にまとめて言えばいいものを・・・。
終わって戻ったら、他にすることがありませんでした。

よくこんなにコミュニケーションが下手で、
頭の悪い人が上司になれたものだと思う。

D上司がする毎朝の朝礼話は、耳の聴こえない
私から見た感じは非常に上手そうでしたが、

「こんなに下らないダラダラ話を毎日、
健聴者は聞かされているのか」

と思うと、気の毒になってきました。


「耳が聴こえない方が、
いいこともあるんだなぁ」

とヘンに納得してしまいました。

ともかく、こんな人を抜擢する日本の会社の
人事部も、おかしいのではないだろうか。
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by bunbun6610 | 2013-08-22 18:30 | 就労後の聴覚障害者問題E
朝礼だが、この会社にも相変わらず、何の配慮もない。
わずか3分か5分だが、この朝礼は毎日ある。
本日の仕事のことなどを話しているはずだ。
にもかかわらず、情報が入らないということは、
聴覚障害者は別に知らなくてもいい、ということか。

「朝礼の間は、(耳の聞こえない者は)じっと我慢していればいい」

ということか!(怒)
でも毎朝これじゃ、我慢できなくなるのが当たり前だ。
聴覚障害者を、一体何だと思っているんだ! 答えてみろ!!
いつまでも我慢できるわけじゃ、ないんだぞ!!

上司の筆談での年始挨拶は堅苦しすぎるなぁ。
このぐらいの手話は覚えてくれないものだろうか?
歩み寄る気持ちがあるなら、自分で勉強して欲しいものだ。
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by bunbun6610 | 2013-08-19 18:30 | 就労後の聴覚障害者問題Z1
三田フレンズからの最新情報です。

今の大学では、情報保障が付いている大学も増えていますね。

私も行きたかったが、私の時代はそんなシステムもなかったので、
諦めていました。
昔は、大学進学など諦めた聴覚障害者は多かったでしょう。



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◆情報です◆ 

 聴覚障害学生が在籍している日本社会事業大学から
 オープンキャンパスのお知らせです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

************************************
日本社会事業大学オープンキャンパス
ろう・難聴高校生のための特別企画
【ろう・難聴スペシャルデー】
************************************

日時/8月24日(土) 10:00~16:00
場所/日本社会事業大学「清瀬キャンパス」
住所/東京都清瀬市竹丘3-1-30
アクセス/http://www.jcsw.ac.jp/about/outline/access.html

詳細/http://deafhohproject.com/
 下のカレンダーの『8/24(土)ろう・難聴スペシャル』をクリック。
 チラシ(pdf)が表示されます。
    ↓
 ・手話の講義を体験!「特別模擬講義」
 ・ちゃんと知りたい!「情報保障付き個別相談」
 ・社大の情報保障って?「支援プロジェクト室説明会 & 交流会(軽食あり)」
 ・ろう文化に触れよう! 「DVD上映会」

メッセージ/
 通常のオープンキャンパス企画に加えて、
 ろう者の先生による手話の模擬講義や、
 支援室スタッフとの交流会、情報保障付個別相談など、
 特別企画をご用意しております。

 当日は「ろう・難聴高校生の学習塾」についての
 ご相談も受け付けております。

 受験生はもちろん、高校1~2年生も、
 既に大学生になっている方、
 現在、社会事業大学の受験は考えていない方も歓迎です。
 是非お気軽にご参加いただけたらと思います。

 全ての企画に手話通訳・PCテイクが付く予定です。
 (手話の講義には読み取り通訳も)
 
参加申込み・問い合わせ先/
 日本社会事業大学
 聴覚障害者大学教育支援プロジェクト室
 E-mail: projectd@jcsw.ac.jp
 TEL/FAX: 042-496-3064

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(このメールは転送転記自由です)


☆より多くの ろう・難聴学生が
 充実したキャンパスライフを送ることができますように。o(^_^)o

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by bunbun6610 | 2013-08-18 22:31 | 情報保障・通訳
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130817/Mainichi_20130817k0000e040189000c.html


<高齢者虐待>
裸でトイレに行かせる
 施設の女性職員 大分


毎日新聞社2013年8月17日 12時38分 (2013年8月17日 16時41分 更新)


大分県別府市北鉄輪(かんなわ)の高齢者介護施設
「茶寿(さじゅ)苑」の女性介護士(65)が、
入浴介助中の70代の女性利用者を全裸のままトイレ
に行かせたりするなどの虐待行為を繰り返していたこと
が関係者への取材で分かった。

市は高齢者虐待防止法に基づき行政指導した。

県などによると、今年4月、県と市に

「高齢者に対する態度や物言いに問題のある職員が
いる」

と通報があり発覚。

県市が施設を立ち入り調査に入り、問題の介護士を
含む全ての職員、利用者から事情を聴いた。

その結果、全裸でトイレに行かせる性的虐待の他、
別の女性に対しても

「座る場所が違う」

などと脇を持ち上げて激痛を与える身体的虐待

▽行動の遅い利用者には「早くしろ」などと言葉
による心理的虐待−−をしていた。

このような女性介護士による虐待は昨年度中に9件あり、
介護放棄も1件あった。

被害を受けていたのはいずれも70〜80代の
男女6人だった。

同介護士は現在、介護業務から外れている。


同施設の早見明年事務長によると、女性介護士は
2010年11月に採用され、利用者十数人を担当して
いた。
早見事務長は

「言葉がきつく何度か指導していたが、管理不足だった。
再発防止に取り組みたい」

と話した。

【古田健治】



==============================




>「言葉がきつく何度か指導していたが、管理不足だった」


>「同介護士は現在、介護業務から外れている。」



この職員は、今は処分決定待ちの「待機期間中」だろうけど、
多分、懲戒解雇だろうな、これは。

どうして、高齢者や障害者の施設員は、
こんなにモラルが低いのだろうか。

以前から何度か指導していたにもかかわらず、
改められなかった理由とは何だろうか?
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by bunbun6610 | 2013-08-17 19:18 | 人権、差別