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六本木ヒルズ回転ドア事故から9年

事故から9年。
事故現場付近に設置されている告知板のところには毎年、
献花が置かれていましたが、今年はありませんでした。

すでに社長が交代していることもあり、
事故のことは忘れ去られようとしているのかもしれません。
しかし現社長は、事故当時、六本木ヒルズ・タウンマネジメント室
室長の人です。


当時のことです。
事故が起きる数日前までは、警備員が、
まだ人の少ない朝から厳重に見守っていました。

やはり、このドアには何か危険性があるのだな、
と感じてはいました。

ところが事故当日になっては、警備員がいませんでした。
ビル管理側が警備の手を抜いた途端に、事故は起きたのです。

私は当時も、そして今も

「事故が起きる根本原因が未解決であっても、
あれさえなければ、おそらく事故は防げただろうに…」

と思ったものです。

涼君の小さな頭は、重さ1トン以上にもなる
回転ドアが加速中に、挟まれてしまいました。

一部の報道では「ほぼ即死状態だった」という。

しかし実際には、涼君は病院に運ばれた後も、
約3時間生き続けたという。

それは社内通知で、全社員が知っていました。

その間、涼君は一体、どんな痛みに耐え続けて
いたことだろうか。


警察の捜査が終わった後の事故現場には、
大勢の人が献花に訪れて、
そして数え切れないほどの献花が並べられました。

花だけでなく、オモチャやゲームソフトなども
置かれました。

その、ある献花に添えられた一文を思い出します。

「涼君、痛かったでしょう。
でも、よく頑張ったね。
天国に行ったら、いっぱい、いっぱい遊んでね」


事故の関係者は、皆こう言いました。

「想定外だった」

いやいや…。
わからないほうがどうかしているんだ…。

しかしそれ以来も、この言葉は、
その後の企業リスクが起こるたびに、
企業が言い訳として使うようになった気がしたものです。

この事故のことは、決して風化させてはならないものです。



〔参考情報〕
http://www.asahi.com/special/doors/TKY200403290106.html

http://www.asahi.com/special/doors/OSK200403290028.html

当ブログ『六本木ヒルズ回転ドア事故から8年』〔2012-03-26 21:26〕


2013年3月26日午後6時15分撮影
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by bunbun6610 | 2013-03-26 22:13 | 六本木ヒルズ回転ドア事故

「フツー」って、何?

 『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997


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「『優作、覚えてるか?
オレ、担任の岩本に頼みに行ったんだよ。
職員室まで行って。

『明日の学級会、校庭に出て、桜の下でやらせてください』
って』

『岩本、何だって?』

『それが、つまんない答えでさ。
『よく考えてみろ。フツーに考えてムリだろ』
って』

『まあ、岩本らしい答えだな』

『でもさ、それ以来、オレのなかでずっと
引っかかってたんだよな。
なんでフツーに考えてムリなんだろうって』

『それはさ、こう、いろいろと……
んー、何でだろう』

『な。べつに学校の敷地内だし、
雨さえ降ってなきゃかまわないと思うんだ。
そう考えると、世の中、“フツー”がじゃましてる
ことって、いっぱいあると思わないか。
フツーはしないからダメ。
フツーはこうだから、こうしなさい』

白石は、赤尾の言うとおりかもしれないな、
と思いながら耳をかたむけていた。

『オレは、他人から見れば重度の障害者。
だから、『障害者は、フツーこうだ』っていう
世間の決めつけに縛られてたら、何もできなくなる。
そう思わないか。
だって、フツー、車いすに乗った障害者が
小学校で先生やるか?』

『やらない』

白石は、素直に笑った。

『だろ。
どうせ、スタートラインからフツーじゃないんだ。
だから、オレの教師生活、“フツー”をものさしに
することはやめようと思って。
子どものためになるのか、ならないのか、
それを第一に考えていこうと思ってさ』」


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そういえば「フツー」とか「フツーじゃない」
とかっていう議論、身近なところで、
たくさんありますよね。

「健常者」「障害者」というくくりで考えたり、
健常者の特権とか、障害者の聖域とかというくくり。
それが邪魔して、本当の絆ができていなかったり。

障害者雇用枠で雇用された障害者は、
“職場内障害者授産施設”に閉じ込めるのが
フツーだと思っていたり…。

でも本当にそれがフツーのことならば、
何で当事者が「おかしい」「ヘンだ」と、
疑問に思うだろうか。
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by bunbun6610 | 2013-03-26 18:00 | だいじょうぶ3組

障害者が教師をする意味

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997


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「青柳が、赤尾のほうを見ることもなく話しかけてきた。

『は、はい?』

『昨日の始業式でのあいさつです。
『困っていることがあれば、手伝ってください』
って、赤尾先生にできないことがあるのは認めます。
でも、そのために白石先生がついているのでしょう。
われわれは教師ですよ。
どうして、子どもに手伝ってもらわなくてはいけないんですか』」


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実は、私も高校のときは

「将来は教師になりたい」

と思っていました。
でも、すぐに諦めてしまいました。

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』
を著した金修琳氏も、教師になりたかったそうで、
教育実習まで受けていたそうです。

しかし、聴覚障害者が普通学校の教師になるのは、
おそらく不可能だろう。

ろう学校の教師ならいますが、
当時は手話があるということすらも、
ほとんど知りませんでした。


普通学校なら、この小説に出てくる、
青柳先生のように言う人は、
どこにでもいると思いますし、
一見、正論だと思います。

それだけでなく、生徒の保護者からも、
同様に言われたりするかもしれません。

でもそれが正しいのだとしたら多分、
障害者の普通学校教師なんて、
永遠に無理なんじゃないかと思います。


>「われわれは教師ですよ。
どうして、子どもに手伝ってもらわなくては
いけないんですか」



本当に、子どもの助けなしでしなければ
いけないのだろうか?
もしそうならば、障害者が教師をする
意味は何だろう?

四肢に障害があっても介助者がいれば、
健常者と同じように教師という仕事ができることを、
健常の生徒たちに示すためなのだろうか?

でもそれでは、今までの健常者が
考えていたのと同じように

"障害者も健常者と同じようにできるように頑張るべき"

というメッセージを生徒たちに伝えるだけに
なってしまうのではないだろうか。

少なくとも私には、青柳先生はなぜそう言っているのかが、
理解できません。
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by bunbun6610 | 2013-03-25 18:00 | だいじょうぶ3組

香家(こうや) 三田店 -『汁なし担々麺』が美味しいお店

香家(こうや) 三田店

東京都港区三田2-14-9


私は辛い汁の麺はあまり好きではないので、
汁なし担々麺が好きです。

ここの麺の独特の食感、
程よい辛さのミートソース(?)、
香り高くバランスの良い香辛料やパクチーと
よく混ぜていただきます。

他の料理も美味しく、セットで食べるのもよし、です。

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by bunbun6610 | 2013-03-24 18:00 | 食べ物(ラーメン編)

医療現場でのコミュニケーション・ギャップ

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『とある放射性技師の日常』

放射線技師に触られるとクレームを言う女性被験者


http://blogs.yahoo.co.jp/fssff492/folder/449020.html


「基本的にX線撮影室内では大体どの病院でも
撮影部位にかかる衣類やアクセサリー、貼っているものなどは
可能な限り外し、撮影部位を裸にしない程度(四肢などは別だろうが)
までには露出させる。

そして撮影すべきポジション(体位)へと患者さんを誘導する。

その時、口頭での指示では患者さんが不可能な部分を
技師が触診して動かしポジショニングを行う。」


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レントゲン室という、レントゲン技師が
何でも好き勝手に出来る密室内での、
コミュニケーションの取り方が問題で、
被験者とのトラブルや不信感が起きていても
不思議ではないと思います。

とはいえ、技師側からしても、
ポジショニングへの誘導は大変らしい。

健聴者でも、技師の口頭による誘導よりも、
画像にしたほうがいいのかもしれません。


聴覚障害者だと、無言でいきなり触られる…。
いや実際にはきちんと話しかけているのかもしれませんが、
それが聞こえないために、いきなり触られている、
と錯覚しているケースも、しょっちゅうあるだろう、
と思います。

聴覚障害者はとにかく

「自分が聴こえないから、仕方がない」

と我慢するのですが、だからと言って、
突然触られて、いい気はしません。

男性だろうと女性だろうと同じだと思うのです。


技師は

「仕事でしているだけ」

という感覚で、しかし一方の被験者は

「幾らなんでも失礼なヤツだな」

という感覚だとしたら、このギャップは一体、
病院側として放置できるものなのだろうか?

そんな疑問さえ出てくるのです。


〔参考記事〕
当ブログ

『胃レントゲン検査での聴覚障害者問題 (1)』
〔2012-01-02 21:07〕

『胃レントゲン検査での聴覚障害者問題(6)』
〔2012-01-02 22:59〕

参照。
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by bunbun6610 | 2013-03-23 18:00 | 医療バリア&バリアフリー

障害者と障害者雇用促進法

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997



乙武氏のような障害者には、社会から受ける差別的状況
はあまり見えないようにも思えます。

しかし、実際に社会で暮らしている多くの障害者には、
様々な差別的状況があるのではないか、と思います。

差別的状況というのは直接的な差別だけでなく、
欠格条項という法的差別や、
間接差別という合理的配慮の欠如も含まれます。

民間企業で単純労働をし、働く姿は健常者にもあるもので、
一見、何気ない情景を小説に描き込んだだけのようにも
見えます。
でも、障害者雇用促進法で働いてみて、私自身は思ったのです。

「これは、『障害者雇用促進法』ではなく
”障害者奴隷雇用促進法”だ」

世界的にも有名なディベロッパー企業で働いていて、
そう思ったのです。

健常者の奴隷として働くだけの長い年月を経て、
自分は障害があるという理由だけで、
たったそれだけで多くの人権を奪われながら生きている、
と思うようになっていきました。

もし乙武氏がこのまま、単純労働を一生続けていたら、
彼の才能はどうなっていただろうか。
それではもったいないことだと思いませんか。
無論、そのような障害者雇用では経済効果は
生まれないでしょう。

それは障害者が無能だからではなく、
国の失策といえるのです。

おそらく、才能があっても埋もれている障害者は
たくさんいるでしょう。
また才能がまだ開花していなくても、
必要な合理的配慮が整えば能力を
発揮する障害者も、きっといることでしょう。

それが、当ブロブのカテゴリー『障害者の経済学』
関係があるのです。
『国連・障害者権利条約』ともです。

健常者には関係ないと思うかもしれませんが、
障害者問題も経済問題とはやはり、
切り離せないのです。

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「大学卒業後、赤尾は小学生の頃から得意だった
コンピュータの技術を生かし、プログラマーとして
働いていた。

健常者のように指でキーボードを叩くことはできないが、
スティックのような特殊な形をした短い腕は打ちたい
キーを正確にとらえ、またつぎのキーへとすばやく
移動していく。

短い腕がキーボードの上をネズミ花火のように
めまぐるしく動く様子は、ほとんど曲芸に近かった。

『このまま、この仕事を一生続けていくんだろうか』

そんな疑問を抱きはじめたのは、一年前のことだ。
とくにきっかけがあったわけではない。

ただ、入社から五年目を迎え、毎日パソコンの画面と
向きあい、ひたすら英数字を打ち込む無機質な日々に、
『この先、何十年とこの生活が続くのか』と深い暗闇に
もぐっていくゆな不安を感じはじめたのだ。

『もっと血の通った仕事がしたい』

心のすみに芽生えた小さな思いが日に日に育っていく
のを、赤尾は感じていた。」



「『あ、慎ちゃんさあ、たしか大学のとき、
教職取ってたよね?』
『ああ、いちおうな。でも、ダメだったよ。
採用試験、実技で『ピアノ』と『水泳』があるんだぜ。
手足のないオレなんか、門前払い。
そんな教員は必要ないってことだろうな』」



「もし、それが論文と面接だけだとしたら――」
重度の障害がありながら、前向きに社会参加を
果たしてきたひとりの若者。
その経験を教師として子どもたちに伝えていくことは、
文部科学省が提唱する『生きる力の育成』に必ずや
プラスになるはず――。

白石の提案に、教育委員会も前向きに検討を始めた。

黒板への板書はどうするのか。
理科の実験道具はあつかえるのか。
子どもが牛乳びんを割ってしまった場合、だれが
ガラスの破片をかたづけるのか。
赤尾は、白石を交えて何度も教育委員会と話し合いの
場を持った。
電動車いすの教員が誕生した際の「if」(イフ)を
徹底的に洗いだし、解決策を練った。
その結果、介助員という形で赤尾の手助けをする
スタッフがつけば、ほとんどの課題が解決できることが
わかった。

そして、その介助員には当然ながら、気心の知れた
幼なじみである白石が選ばれることになった。」

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by bunbun6610 | 2013-03-22 18:30 | だいじょうぶ3組

耳の病気

耳の病気にもいろいろなものがあり、
また同じ病気であっても、症状も様々です。

難聴は原因がわからない場合もあり、
自覚症状がほとんどないと、
そのまま放置してしまい、
次第に悪くなっていくケースもあります。



『耳の病気』

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by bunbun6610 | 2013-03-22 18:00 | 聴覚障害

「できないこと」に着眼した、支え合う教育

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%B63%E7%B5%84-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4062162997



人にはみな、できることと、できないこととがあります。
そして、人は自分の、あるいは人のできることに
注目するものです。
できないことには、なるべく目を向けたがらないものです。
他人からの目でも、そう願っているものです。

でも彼は子どもたちに、他者のできないことに着眼してもらい、
そこから人間として大切なこと、
すなわち多様性を認め合い、互いに支えあうことを
実践してもらうことを願っている、
と思いました。

健常者ばかりの学校で、障害者として。

実話から生まれたそんな教育ドラマというのは、
見たことがない。


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「『ただひとつ、みんなにお願いがあります』

校庭は静まりかえり、つぎの言葉を待った。

『見てのとおり、先生には手と足がありません』

赤尾が両腕を突きだす。
すると、スーツの袖がだらりと垂れさがり、
柳のようにゆらゆらと揺れた。

『きゃっ』

『気持ち悪い』

低学年の女の子から、痛々しいまでに
正直な乾燥がもれる。
ひじまでしかない両腕。
ひざまでしかない両足。
赤尾には、生まれながらにして四肢が与えられて
いなかった。

あまりに奇妙な身体に、たいていの人は大きく目を
見開いて赤尾のことを振りかえる。
だが、幼いときから何百回、何千回と同じような視線を
浴びつづけてきた彼には、そんな周囲の反応さえも
楽しんでしまうようなところがあった。

赤尾は、にこやかに続けた。

『だから、先生にはできないことがたくさんあります。
これから、先生と過ごしていくなかで、
『あ、先生、困ってるな』と感じたときには、
ぜひお手伝いをしてください』」

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by bunbun6610 | 2013-03-21 18:30 | だいじょうぶ3組

『ユニバーサルマインド?』

これは詳しいですね。

聴覚障害者の福祉などに関する情報が満載です。
覚えておくと、きっと役立つと思います。


『ユニバーサルマインド?』

http://www.wheel-to-wheel.com/

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by bunbun6610 | 2013-03-21 18:00 | 聴覚障害

映画『だいじょうぶ3組』

映画『だいじょうぶ3組』(2013年3月23日公開)


が、もうすぐ公開されます。

乙武洋匡氏の本を読むのは『五体不満足』以来ですが、
原作を読んでみました。


『五体不満足』では、本人の奮闘ぶりがよくわかり、
これほどの障害者であっても、普通の子どもたちと
一緒に頑張れるんだ、と思わされ、励まされた部分も
ありました。
当時は、この本について批判的なことは全く考えませんでした。

しかし、その後の世の中の反響ぶりを見て、
次第に、ある不安を抱くようになりました。

乙武氏や、その著書へではなく、世間の反響が、
障害者や彼らの家族といった人たちに、
そして社会全体に、障害者問題の社会的取り組みに、
どんな社会的影響を与えることになるのだろうか、
という不安でした。

その不安は的中したようです。

当ブログには『哀れみはいらない』というカテゴリーを
設けています。
そこにもポスターチャイルドやスーパー障害者、
頑張り屋障害者といった話が出ています。(※)


(※)詳細は

http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/1/4768434185

を参照。



障害者への哀れみと、それによる慈善活動が障害者を救う、
障害者の自立支援のためになるという、
完全に誤った考え方が健常者の間で勝手に広がりました。

「これって、本当に障害者への理解なのかなぁ?」

「障害者の自立に必要なことって、他にあるんじゃないだろうか?」

そんなふうに疑問に思っていました。

それから、やはり頑張ることのできる障害者ばかりが注目され、
頑張れない障害者の問題については無関心になる傾向に
拍車がかかりました。

頑張れない障害者には魅力がないから興味すらもたれていない、
という現実は、障害者問題を大きくしていると思います。


一方で、障害者は介護してもらうのが当たり前だという、
福祉に従事する健常者の過保護ともいえる、
誤った考え方まで増えてきてしまった、と思います。

これでは、障害者は結局、福祉業界従事者の利権の
餌食になっているだけだ、と思いました。


原作を読んだら、気になる箇所もたくさんありました。

原作者の乙武氏は

「僕は、恵まれていた」

と語っています。

そういえば、あの福島智氏(東京大学教授/盲ろう者)も、
同じことを言っていました。
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by bunbun6610 | 2013-03-20 18:30 | だいじょうぶ3組
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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