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聴覚障害者を疑似体験する方法

健聴者が聴覚障害者を疑似体験してみる、
最も良い方法と思われるものは何だろうか?

ある方が書いた下の記事に、
それについて触れているものがあります。


http://ameblo.jp/bcs33/entry-10077772774.html


耳栓をしても、それは自分でしただけのことなので、
別に苦痛ではないのです。
耳栓をしたら聞こえなくなるのは当たり前のことなので、
苦痛に感じるはずがない。
それでは、聴覚障害者の疑似体験にはならない。

テレビのボリュームを絞ったって、それは同じ。
それは、本当の聴覚障害者ではありません。

音が聴こえないという、単なる「聴覚障害」の実験と、
人間の障害として起こる聴覚障害者の体験は、
決して同じではない。


聴覚障害者とは

「単に耳が聞こえなくなっただけの人」

とは、全く違うのです。
それは人間に起こることなのですから、
様々な影響があります。
耳栓などは、物理実験と変わりありません。

水の中に入ってみても、
健聴者は音声会話はできなくなります。
スキューバダイビングの世界がそうでしょう。
でも、ろう者たちは手話で話せるので全く平気です。
水の中では音声言語に依存する健聴者のほうが、
コミュニケーション障害に陥ります。
環境により、両者の立場は逆転するのです。
でもこれだって、やはり聴覚障害者の
コミュニケーション障害とは違います。


まだ手話も全く知らない健聴者ならば、
聴覚障害者団体主催の行事に出かけてみると
いいでしょう。
そうすると、ほとんどの健聴者が、皆嫌がって
行かなくなります。
でも、それが疑似体験になるのです。

「環境が変われば誰でも障害者になりうる」

という例になるでしょう。(※)


(※)当ブログ
『日本のダメな障害者雇用を変えろ!!』
〔2013-01-12 18:00〕

『強い国を作った「人を切らない」思想
“障害者集団”、スウェーデン・サムハルの驚愕(最終回)』
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/

参照。


「環境が変われば、誰もが不自由な状況に置かれ、
誰でも障害者になり得る。
これは、裏を返せば、個人の差異は何も特別なことでは
ないということでもある。
障害を持つ。
それは特別視するようなことではない。」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/


当ブログ
『障がいは、特別なものではない』
〔2011-10-13 21:22〕
参照。



そこでは、耳に頼った生活をしてきて、
手話も知らない健聴者のほうこそ、
障害者になるのです。

あなたはその手話を見ても、さっぱりわからないだろう。
手話で話すだけの、ろう者ばかりの世界で、
誰とも話せないだろう。
必要な情報を得ようとしても、いつものように、
容易にはできないだろう。

一体誰が、そこにいるろう者が障害者に見えるだろうか?
むしろ、そこではあなたのほうこそ、
コミュニケーション障害や
情報障害に陥っていないだろうか?

逆の立場に立たされて、初めて知ることもあるに違いない。
聴覚障害者バリアフリーを知れば、
自分で気がつかなかった聴覚障害者バリアの存在も
わかるはずです。
あなたから初めて見た、その異常な体験こそ、
聴覚障害者が日常で耐え続けている
生活風景なのです。

聴覚障害者の周囲には、健聴者がつくり出している
バリアもたくさんある、ということを、
自分の身をもって思い知らされることでしょう。

音が聞こえないから障害があるのではない。
音が聞こえなくても方法はあるのに、
そうした配慮をしなから、バリアがあるのだと知る。
それこそが聴覚障害の疑似体験になります。
そして、手話講習会でも、本気で手話通訳者を
目指す健聴者だけが残り、
その体験を通して手話を真剣に学ぶのです。

聴覚障害者バリアに挑むということは、
そういうことだと思う。
バリアを知らないで、バリアをなくす仕事が
できるわけがないだろう。
だから聞こえる人も、聞こえない世界とは
どういうことなのかを、
その疑似体験を通して知ります。

疑似体験といえども、ずっと関わっていく過程で
手話も覚えられないと、
その人にとってはかなり苦痛なものとなります。

私も、途中で手話学習を止めたことが何度もありました。
でも、なかなか覚えられなかったからこそ、
障害とはどういうものかが、わかるのだと思います。

その体験を通して、聴覚障害者の精神的苦痛を
幾らかでも知ることになり、
ようやく本当の聴覚障害者との関わり方を学ぶのです。
手話が出来るからといって、手話通訳者の試験に
合格できると思うのは間違いだそうです。

その疑似体験を一般の人でも、誰にでもできるのが、
毎年の「耳の日(3月3日)」に行われている、
耳の日文化祭でしょう。

東京では、今年は3月2(土)~3日(日)の
2日間に行われます。

 http://www.tonancyo.org/chirasi/121218miminohi1.pdf

健聴者で、これから聴覚障害者への手話通訳や
要約筆記通訳を学びたい方、福祉の仕事などを
されたいと思っている方、
聴覚障害者バリアフリー、聴覚障害者問題を
研究されている学生の方などは、
是非出かけてみて下さい。

社会にある本当の障害とは何か、わかることでしょう。

障害には二つあることに気づくでしょう。

耳の不自由など、誰にだっていずれは起こりうるものであって、
特別な障害ではないのです。
むしろ、そうした社会的弱者を排除するような傾向(差別)、
システムこそ、人間社会として異常だと認められます。

障害者のみならず、女性、老人、子どもまで含む、
あらゆる社会的弱者にやさしい社会とは、
どうあるべきかが、わかるでしょう。

国連・障害者権利条約がなぜ必要なのか、
わかることでしょう。

日本にも障害者差別禁止法がなぜ必要なのか、
わかることでしょう。



【その他の、疑似体験についての参考資料】

http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_f/f-137/f-137_9.pdf

http://zaq.ne.jp/users/hoshinositahe/article/9/

http://www.tsukuba-tech.ac.jp/repo/dspace/bitstream/10460/282/1/Tec02_0_24.pdf


【私がおすすめする本】
『言葉のない世界に生きた男』(A Man Without Words)
スーザン・シャラー(Susan Schaller)著 中村妙子訳
(1993年6月25日発行,晶文社)




〔参考記事〕

当ブログ
『「コミュニケーション力」とは』
〔2011-04-12 21:04〕




『コミュニケーションの神秘性』
〔2011-08-30 00:40〕






【追記】

『『聴覚障害者を疑似体験する方法』(補足説明)』
〔2016-11 -11 21:00〕

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by bunbun6610 | 2013-02-28 18:00 | 聴覚障害

会社には、聴覚障害者差別を洗脳でごまかされていた

毎朝思うことだが

「聴覚障害者には配慮なんていらないさ。
あなたは聞こえないんだろ。
それが当たり前なんだから、
聞こえているふりをしていてくれれば、
いいんだよ」

と思われているような状況に我慢している。
勿論、他人は誰もそんなことは思っていないし、
気にしてもいないだろう。
でも自分の立場からは、そうは思えない。
そういう状況になってしまっているのだ。

私は子供の頃から、ずっとこんな状況に我慢してきた。
昔の私の考えは

「障害者は不具者(この言葉は、
現在では差別語となっている)だから、
迷惑をかけないように生きなければならない」

と思っていた。
でも今これを思い返すと、
実はこの考えこそ差別であり、
自分がそういう考えに疑問すら持たずに、
持っていたんだと思う。
そうして他の障害者の差別を見ても

「それはやはり仕方がないのだ」

と思っていた。
でもそれは

「本当は間違っている」

と、今の自分にはわかる。
そう気づくのに、一体何年かかっただろう。

自分は、親や、当時の大人の、
障害者に対する考え方に洗脳されて、
正しく考える思考を麻痺させられて
いたんじゃないか、と思う。
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by bunbun6610 | 2013-02-26 18:30 | Z1.クレジットカード会社

障害者雇用と、企業として営利活動を両立させることの難しさ

株式会社FVPのホームページ ~東京都障害者雇用優良企業の実力とは?~

『飲食店激戦区の恵比寿で16年! 障がい者、健常者、外国人がともに働くスリランカ料理店』

http://www.fvp.co.jp/report/otsuka_detail.html?id=510



『スリランカ料理&BEER PALETTE』

http://homepage1.nifty.com/koshinshubo/index.html



この記事に関心のある方は必見!
『ソーシャルビジネス(株式会社)としてのぱれっと』

http://homepage1.nifty.com/koshinshubo/page5.html



そこで、どんなお店なのか知りたく、行ってみました。
しかしこの店は、2012年12月26日を最後に、
閉店したという。
詳細は下記参照。

http://www.npo-palette.or.jp/news/121228-7.html


知的障害者を雇用しての、22年間の飲食店営業に終止符を
打ったことは、非常に残念です。


口コミではどんな評価だったのでしょうか。
それが下記の情報です。

http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13009467/
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by bunbun6610 | 2013-02-24 22:09 | 就労後の聴覚障害者問題B

一口餃子の『赤坂ちびすけ』新宿店

赤坂ちびすけ 新宿店

東京都新宿区西新宿1-15-13 西新宿島田ビルB1

 http://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13094669/


一口餃子というのは、博多でよく見かけたと思います。
博多では食べなかったのですけど、
一口サイズの餃子というのは、
どうもご飯のおかずというより、
酒場で食べる、おつまみ餃子という感じでした。

『ちびすけ』の一口餃子も、
やはりその類だろうと思います。

こちらは家庭的な味とかではなくて、
料理の鉄人が考案したような、
こだわり餃子、グルメ餃子といった感じです。

いろいろな餃子があって、
それぞれの味を楽しみながら食べる餃子だと
思います。


商品名が「ちびすけ」の一口餃子。
写真を見ればわかるように、小さい餃子のわりに、
パリパリ皮の部分が広いので、
それはスナック餃子かと思うような新しい餃子感覚です。
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中身ふっくら、あったかくて、
ギリギリの柔かさを保つ
「ぽたぽた焼きたまご」
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by bunbun6610 | 2013-02-24 18:00 | 食べ物

難聴者の先輩 (2)高岡 正氏

高岡 正氏

社団法人 全日本難聴者・中途失聴者団体連合会 理事長 高岡正氏

講演会; 『難聴者・中途失聴者の社会参加促進について』


http://www2u.biglobe.ne.jp/~momo1/sub1/new_sub/akemi33.htm



透明人間の話は、ろう者、難聴者、中途失聴者に関わらず、
聴覚障害者全員と非常に関係の深い事象だと思います。

私も過去に下記の関連記事で、このことに触れています。


〔関連記事〕
当ブログ
『聴覚障害者は『透明人間』なのか』
〔2011-09-08 22:07〕


『会社の朝礼でさせられる「聞いているフリ」の辛さ』
〔2011-09-18 01:58〕


案山子というのは、田んぼの中でスズメに稲を
食べられないようにするための見張り番で、
それは見ている側からすると、
いかにも孤独そうです。
その様子が、職場での聴覚障害者に
酷似していると思いました。

透明人間は自分で動けるので、
健聴者から見ると、聴覚障害者が困っていたり、
悩んでいることには全く気づきません。
他の身体障害だったら気づくことも多いのに、
聴覚障害だと気づかれないものです。

聴覚障害者の抱えてしまう問題点に、
健聴者は誰も気づいてもらえない、
ということです。

そいう問題点を、ある難聴者は、
透明人間に例えた話をしてみることによって、
周囲の人に気づいてもらいたいわけです。

ところが、健聴者は聞いても理解しようとしません。

聖書に

「彼らには耳があっても、聞くことができない」

というたとえ話がありますが、
健聴者はまさにそれなのです。

しかし、簡単に理解できることならば、
この問題はとうに解決しているはずです。

彼らに、なかなか理解できない問題だからこそ、
我々は辛抱強く説明してゆかなければならないのです。

例え

「難聴者が愚痴をこぼしている」

といわれようとも、
その問題提起をする聴覚障害者は、
大事なことを話しているのです。

ただ、大馬鹿者の健聴者にはわからないだけです。
そこが問題の根本原因なのです。

難聴者の場合は、自覚がなかったり、
あるいは特に我慢している場合が多いものです。

しかし、それは本当に良いことなのでしょうか?

美徳なのでしょうか?

よく考えてみて下さい。

それは、本当にあなただけの問題でしょうか?

何世代にもわたる、難聴者やその他の、
聴覚障害者すべてが抱えている問題ではない
のでしょうか?

それをどうやって解決していくかを、あなたは
考えたでしょうか?

もしも考えていないならば、あなたはただの
傍観者です。
健聴者と同じ、大馬鹿者です。
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by bunbun6610 | 2013-02-24 00:13 | 就労後の聴覚障害者問題B

「障がい」表記について

2月19日21:00現在、障害者の持つ障害について、
エキサイトニュースの「コラム&ブログランキング」で
1位になっている記事があります。


『「障がい」表記について』

原文は

はあべ・やすしさんのブログ『hituziのブログじゃがー』
(http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20130115/1358198352)

からだという。


====================================


「社会のありかたが、そのような障害をつくっている。
社会のありかたをかえることで、移動するさいの障害や
情報をやりとりすることの障害をなくしていかなくてはいけない。
この場合の障害は、問題としての障害なわけです。
これを「障がい」と表記するのは、文脈をふまえていないと
感じるわけです。」
(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=1)



「ものごとは、イチかゼロかではない場合がほとんどです。
ただ、まったくみえない(全盲)、まったくきこえない(全ろう)
という場合もあるので、社会のありかたに左右されない視覚障害や
聴覚障害もあるわけです。
ただし、人間が利用できる感覚は複数あるので、視覚以外、
あるいは聴覚以外の感覚をつかって、移動できること、
情報のやりとりができること。
それが大事です。
つまり、視覚障害に注目するのと視覚障害者に
注目するのとでは、みえてくるものがちがってくる
ということです。
全盲のひとにとって、大事なのは視覚情報以外の
ものだということですね。
きくこと、さわること。
聴覚と触覚に敏感だったり鋭利な感覚をもって
いることも あるということ。
それなのに、音声情報や点字資料がすくなすぎて、
情報のアクセスに障害があるということ。

ろう者も、みること、さわることに重点があり、
視覚と触覚に敏感だったり、
鋭利な感覚をもっていることもある。
それなのに、手話による情報や文字情報がすくなすぎて、
情報のアクセスに障害があるということ。

視覚障害がないとか、聴覚障害がないということは、
なにも、五感がすぐれているというわけではないのに、
「わたしは健常者だ」とおもっている。
点字を触読できるほどの感覚もなければ、
手話の音韻を視認できるほどの視覚も言語的知識もないのに、
「わたしには障害がない」とおもっている。
これはたんに、権力関係を反映しているだけで、
能力の差ということではない。
また、「能力の差」というものがたとえあったとしても、
それを優劣と解釈するのはおかしいという倫理観もないということ。

つまり、たいしたことのない人間だということ。」
(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=2)




「障がい」という表記は、障害を個人的なこととして
とらえてしまうという問題があります。
そして、社会がつくりだした障害を問題視する視点に
つながらないという問題があります。
もうひとつは、障害を特定のひとたちにだけみいだして
しまっているという問題があります。

(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=3)



====================================


障害者が持つとされている障害の意味についての解釈が、
医学モデルから社会モデルへと変わりつつあるようです。

〔参考〕
http://plaza.umin.ac.jp/~haruna/icf/med_vs_soc.html

http://www.ab.auone-net.jp/~dannai/rinen/moderu/moderu.html
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by bunbun6610 | 2013-02-19 21:15 | バリア&バリアフリー

聴覚障害者が電話をできないことによる、トラブル

先日、Oさんから無言で手渡されたアンケート冊子
(『コーポレート・アクティビティ・サーベイ(CAS…企業活性度調査票)』)
が、今日になって突然

「提出期限は今日までです」

と言われた。
それで、Oさんがこのことをきちんと伝えていなかったことがわかった。
トラブルはまだあった。

昨日は午後休みの予定が朝から休みだったので、M係長から
パソコン・メールが2度届いたのだった。
1度目では、Mさんは私が休んだ事情を知らないまま、私に

「今日はどうかしましたか?」

というメールを送っていた。
私は朝からOさんとYさんのパソコンに休むことを伝える
メールを入れていたが、Oさんは連休中、Yさんもメールを
見ていなかったので、M係長には伝わらなかった。
Yさんは私のメールを読んだ後に返信したが、
私の携帯はパソコンからのメールを全て拒否設定にしているため、
連絡が通じていなかった。

そういう問題があったので、M係長とメール・アドレスを
交換することにした。
OさんとYさんは残念ながら、理解がないので、
今後もそういう協力には期待できない。
M係長は9:45出社なので、9:00前にM係長にメールを入れても、
現場には伝わらない。
現場は9:00に業務開始になっている。
M係長が出社してから伝えるのでは間に合わないということだ。

だから、Oさんには

「前の会社では上司と携帯メール・アドレスを交換していたので、
問題は起きなかった」

と、事情と方法を説明していた。
しかし、この方法でなく、会社パソコン・メールだったので、
今回の問題が起きた。
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by bunbun6610 | 2013-02-19 18:00 | Z1.クレジットカード会社

字幕のないテレビ生討論会?

NHKスペシャル『シリーズ日本再生 「どうするエネルギー政策」』
(2013年2月16日〔土〕放送)

 http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0216/index.html


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この番組は生討論会なのか、
字幕がありませんでした。
視聴者からのいろいろな声が寄せられていて、
それが画面下のところにずっと出ています。
それを見て、原発直後でもあった、同様の討論会のときと、
現在の討論会とでは、
視聴者の意見が変化してきているように思いました。

以前と比べて

「(原発再稼動は)しょうがない」

といった妥協的意見は減ったように思います。
原発肯定派も減ったように思いました。


私は聴覚障害者なので、
テレビを観ても討論の内容はもちろん、
わかりませんでした。
ですから、他のチャンネルに回したりしていて、
この番組は結局、あまり観ませんでした。

でも本当は観たい番組だったかもしれません。
決して、無関心なわけではないのです。
ただ字幕がないから観るのをやめたとは、
確実に言えると思います。

聴覚障害者視聴者のために、
字幕をつけての再放送はあるのかと思いましたが、
そういう知らせがあるわけでもありませんでした。

聴覚障害者が見たい番組を自由に選んで観るのではなく、
仕方がなく字幕のつくテレビ番組だけを、
無意識に選択していくということはやるせないし、
ある意味では恐ろしくも感じます。

聴覚障害者が、こうした、いわば

「少数の善意への依存からの脱却」

ができないのは、
社会がつくりだしている障害も原因ではないでしょうか。

今は昔と比べて、ほとんどのテレビ番組には
字幕がありませんでした。
でも今ではバラエティー番組にも字幕がつくものもあり、
笑えるようになりました。
以前は、バラエティー番組のテレビを観ても、
ほとんど笑ったことがありませんでした。

国民的人気だというビートたけしさえも、嫌いでした。
今思えばおかしなことなのですが

「字幕のないテレビが嫌いだ」

と言うべきところを

「たけしが嫌いだ」

と言っていて、皆の反感を買ってしまっていました。


話は戻りますが、原子力発電は核施設の平和利用といわれます。
しかし、本当に安心してもよいものだろうか。
使用後の核廃棄処理が大変だそうですね。
国民に対しても、そこまで説明が十分に尽くされていません。

アメリカでも、次のような記事が出ています。
日本もいざ廃棄という段階になっても

「お金がないから」

とか、様々な障害が起きたりして、
放置されたり遅れてしまったりする可能性が
あると思います。

安全よりも経済成長のほうが大事なのでしょうか。

でも、それをし続けるなら、人間として一番大事な
責任をまっとうできるという保証はないと思います。


================================


http://www.excite.co.jp/News/science/20130217/Fujiyama_water_3752.html


米ワシントン州のハンフォード核施設で汚染水漏れ
2013年2月17日 02時05分

米ワシントン州インズリー知事の発表により、2013年2月15日、
同州のハンフォード核施設で放射性廃棄物の貯蔵タンクから
汚染された水が漏れ出していることが明らかになった。
(参照:福島県国見の県北浄化センター、放射線汚泥の
新たな受け入れ先を確保)

今のところ近隣の井戸などで高い放射線量は観測されていない。
しかし、今回の漏洩は年間通じて約570~1,140リットルの
範囲に及び、長期的な地下水と河川の汚染が引き起こされる
危険性もあるという。

同施設は第二次世界大戦の最中であった1940年代、
極秘計画の一部として米連邦政府によって建造され、
長崎に投下された原爆のプルトニウムもここで製造された。
その後、冷戦時代にも活用されたが、今となってはすでに
老朽化の許容範囲を超えているという指摘が以前からあった。
タンクはすでに20年とされた寿命をはるかに超えて運用されており、
数十年にわたる年月が生んだ高い放射性プルトニウムが
大量に保存されている。

漏洩が確認されたのは今のところ全177ある地下のタンクの
うち1つのみだが、他のタンクも同様に老朽化が進んでいるため、
知事はさらなる漏洩について懸念を強め、また連邦政府の
早急な対応と地元州政府の権利行使について要望を述べた。

タンクから汚染水が漏れ出すのは今回が初めてではなく、
1995年にポンプで汚染水をすべてくみ上げる処置がとられている。
以前から老朽化が進むタンクの汚染水をくみ上げ、浄化する
工場の建設が123億米ドルをかけて予定されていたが、
工場の安全性に疑問を抱く従業員らの訴訟などにより計画は
すでに数年遅れ、さらなる予算を必要としている。
2度目の漏洩となった今回、ハンフォードは汚染された核施設
として世界的に知られることとなった。


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by bunbun6610 | 2013-02-17 18:30 | 情報保障(テレビ字幕)

死への準備

死への準備


人間は何のために生きているのだろうか?
人生は、自分のために与えられたと
思っている愚か者は、まだいないだろうか?

だれでも、生まれた瞬間から決まっていることが、
ひとつあります。
死という目的地へ向かう、ということです。

たとえ、それを目的にしたくないという人でも、
そのコースから逃れることは誰もできません。
だから人は皆、平等なのではないでしょうか。
与えられた賜物は一人ひとり違っていても。

神は「すべての人を公平に造った」といえるとすれば、
この点では確実にいえると思う。

死という目的地に向かって、どのように生きるか。
いや、死ぬための準備をするか。
それが一人ひとり考えることだ。

すべての人の最重要課題は、人生をどのように楽しむかではなく、
どのように死を迎えるかである。
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by bunbun6610 | 2013-02-17 18:00 | 雑談

手話通訳の賢い利用方法

『手話通訳者の賢い利用方法』

 http://howtokill.blog.fc2.com/


聴覚障害者対象の通訳利用者(つまり手話・要約筆記利用者)
が、手話通訳について本音を語っているブログは珍しい。
それにしても、表現がかなり過激だ…。
ハッキリ言って、非常に不愉快にさせられるブログだと思う。
それほど我慢がならない、拙い手話通訳をしている
手話通訳者が増えたということなのだろうか。

確かに、通訳者を育てる義務は聴覚障害者の
ほうにあると思うのです。
政治と同じだと思うのです。
今の日本国民、特に若い人たちが、
選挙での投票を放棄したりしていますよね。
それと同じではないでしょうか。


当ブログでも、不満という形では言っていないけれども、
手話通訳を見ても内容が理解できなかった、
というろう者の証言を、過去に紹介しました。(※)


(※)詳細は、一例としては当ブログ

『職場における、ろう者への手話通訳の問題点』
〔2012-02-03 00:12〕


参照。



ろう文化の重鎮的存在である方も、講演会で

「あんな手話通訳者を育てたのは自分の責任、
失敗だった」

と言っていました。


でも、そうは言っても、このブログを読んでいると、
何だか複雑な思いになってしまうではありませんか。
問題点が通訳者だけにあるとは限らない場合も
あるでしょうし…。

異なる言語であればあるほど、通訳の限界だって、
当然にあるはずです。

結局、何でも通訳者だけの責任というわけには
いかないでしょう。

そんな複雑さがあるゆえに、手話通訳の問題は、
私もこれ以上はどう言えばいいかわからず、
書けません。
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by bunbun6610 | 2013-02-16 18:00 | 情報保障・通訳