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蒼穹 -そうきゅう-

<   2012年 07月 ( 19 )   > この月の画像一覧

長谷寺 (神奈川県鎌倉市)

紫陽花の名所として知られる長谷寺は、
散策コースがあります。
そこが、もしまだ紫陽花が咲いていたら、
紫陽花の階段を歩くようなところなのだな、
とわかりました。
紫陽花の季節に行ってみたいと思いましたが、
かなり混みそうですね。
散策コースの道は山で狭いので。
ここは、三脚使用での撮影は禁止です。


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by bunbun6610 | 2012-07-30 19:00 | 観光(関東)

極楽寺 (神奈川県鎌倉市)

撮影禁止のスポットで、
小さなお寺です。

入口の門を抜けると、
本当に極楽気分になるような、
不思議な世界に足を踏み入れた気分です。
撮影できないのが残念なくらい…。

あと、ここも毎年、紫陽花が咲くそうです。

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by bunbun6610 | 2012-07-30 18:45 | 観光(関東)

龍口寺 (神奈川県藤沢市片瀬)

おっと。
紫陽花君がまだ頑張って、
訪問者に挨拶をしています。
「おはよう」と。
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神奈川県で唯一の木造本式五重塔で、
「神奈川建築物百選」にも選定されている
剛健優美な五重塔です。
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苔がいい空間景色をつくっています。
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朝6時以降ならば、この大きな鐘が鳴らせます。
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by bunbun6610 | 2012-07-30 18:30 | 観光(関東)

江ノ島(神奈川県)

江ノ島(神奈川県)

関東に住む人には、
家族の夏の思い出をつくっている場所だろうな、
と思います。

しらすの産地で、生シラスや釜揚げシラスが食べられます。
サザエも有名ですね。

旭屋のたこせんべい(1枚300円)を食べてみましたが、
熱いうちがおいしいです。
極薄だから冷めるのが早く、
一気に味が落ちていきます。
なので、1分以内に食べたほうがおいしく
食べられます。

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by bunbun6610 | 2012-07-30 18:15 | 観光(関東)

ある健聴者は、次のように言いました。

「聞こえたかどうかは、あなた(聴覚障害者側)
にしかわからない」

これを言った健聴者は聡明な方かもしれません。


聴覚障害者でも補聴器をして、仮に10%でも
聞き取れれば、そのまま話し続けるのが
普通の健聴者です。

10%の音声情報からでも、聴覚障害者が

「つまり、あなたの言っていることは、
こうですね」

と結論を言い返せれば、もうそれで

「十分聞こえている」

と思っているのが健聴者です。
健聴者は要するに結論さえ分かってもらえれば
いいと思っているから、どうしてそうなるのか
までは、理解していなくてもいい、と思っています。
だから後になって、また問題が起きたりする。

そのとき健聴者は

「だからさぁ、前に言ったじゃん!」

と言って誤魔化します。
確かに、健聴者は事前に詳しく説明したのかも
しれないが、それが聞こえたかどうかはどうでも
よいことにしていて、結論だけ分かればいい、
と思っている。
実は、このことのほうにこそ、本当の問題点がある。


健聴者;「これ○▲■だから、○□▲×に入れ…」

私;「入れるんですか?」

健聴者;「そう」

私;「分かりました」

数日後、

健聴者;「何で毎日入れないんだ!
 前に言っただろう!!」

私;「入れろとは前に言われましたが
『毎日』と言いましたか?」

健聴者;「言ったよ!」

私;「すみません。
今度から毎日やります」


健聴者がコミュニケーションで手抜き(※)
したことが原因で、聴覚障害者との間で

「言った、言わなかった」

の論争が起きる。

(※)筆談、手話など視覚で理解できる方法
で確実に伝える合理的配慮を行わないこと。


その責任を取らされるのはいつも、
聴覚障害者のほうです。

聴覚障害者にとっての「通じた度合い」は10%
くらいだ、と思っていたとしても、健聴者は

「80~90%は通じただろう。
これでまぁ、大丈夫だ」

と、とんでもない大バカな勘違いをする。
(残念なことに、この間違いは幾ら指摘しても
直らない)

どうしようもない健聴者の怠慢がそこにあることも、
当のご本人は知らずに。

実は、それが仕事ではミスにつながることが、
会社ではしょっちゅうあるのです。

しかし、このことできちんと話し合っても、
何も解決しません。
それで運良く、決め事ができたとしても、
しばらくすると健聴者はまたまたその
コミュニケーション・ルールをすぐに破ってしまう
のです。

破ってしまう、と言うより「忘れてしまう」のだが、
結果的には破ったのと同じです。

それで仕方なく、私は怒られ続け、失敗しながら
仕事を覚えていくことで我慢することにしています。
一体、このような人に聴覚障害者を
正当に評価できるのだろうか。
この精神的ストレスは相当なものです。

健聴者に比べ、聴覚障害者のほうが仕事を覚える
のが遅いと言われる理由の一つには、こうした事情
があると思います。
それすら分からずに、健聴者の中には

「聴覚障害者はバカだ」

と言う人もいます。
しかし決して、聴覚障害者が馬鹿だからなのでは
ありません。
目に見えないハンディがたくさんあるからなのです。

本当にバカなのは、それを理解できない健聴者の
ほうなのです。
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by bunbun6610 | 2012-07-28 10:21 | 就労後の聴覚障害者問題B

『どうしようもない健聴者の無知、無理解』

 「聴覚障害者」とは
 「聴覚障害」とは

 ―これらについての健聴者の無知、無理解について―


私はよく

「あなたは、聴覚障害者には見えません」

と言われます。

確か、聴覚障害者である金修琳氏も、

 →http://japanese.joins.com/article/792/140792.html?servcode=A00§code=A10

自著『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』で

http://www.amazon.co.jp/%E8%80%B3%E3%81%AE%E8%81%9E%E3%81%93%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E7%A7%81%E3%81%8C%EF%BC%94%E3%82%AB%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%B9%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1-%E9%87%91%E4%BF%AE%E7%90%B3/dp/4591124142

「言葉が喋れるから、よけいに聞こえないとは
理解されにくいのかもしれない」

というふうに語っていたと思います。

確かに私も、健聴者に聞いてみると

「あなたは普通にしゃべれるから。
でも、ろう者(Deaf)は喋れないし、喋れる人でも発音がおかしい。
それでろう者(Deaf)なら『聴覚障害者』だとわかる」

と、ろう者と比較されてこう言われます。

これじゃあ、

「聴覚障害者=言語障害者」

という勘違いじゃないのか?
それでなのか、健聴者には、
ろう者(Deaf)だけが「聴覚障害者」で、
難聴者や中途失聴者は

「聴覚障害者ではない」

という、誤った固定概念があるようです。

見分けがつきやすい聴覚障害者

(この場合、健聴者は「ろう者(Deaf)」を指して言っている)

は「聴覚障害者と思う」が、
見分けがつきにくい聴覚障害者

(この場合、健聴者は「難聴者や中途失聴者など」を
指して言っている)



「聴覚障害者とは思えない」

のだという。

下の資料を読むと、難聴者や中途失聴者等は医者でさえ、
外見だけでは見分けがつきにくいようだとわかります。


〔参考〕
『「目に見えない障害」について思うこと』
 
 →http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No313/1_story.html


そういえば、毎年、日本各地で行われている
地域の手話講習会でもよく、
カリキュラムに入っている「聴覚障害」についての
勉強では、ろう者のことばかり詳しく説明しているが、
難聴者や中途失聴者等のことについては
「ついでに」という程度しか説明されておらず、
明らかに不十分な内容です。
さらに「聴覚障害者」を「ろう者(Deaf)」と手話に訳している、
というお粗末さもあります。

(本当は「聴覚障害者」という意味の手話は、
「ろう者」という手話とは区別して存在します。)

その上、難聴者等は自身の聴覚障害を自己申告したがらない、
ということも、理解不足へと影響しているのだろうと思います。

それでは、お年寄りの人で補聴器を装用しなければならない
ほどの人でも「聴覚障害者」ではないのでしょうか。

「耳が遠くなったお年寄り」であって、
「聴覚障害者」ではないのでしょうか。

おそらくは、ほとんどの健聴者は

「お年寄りの難聴は『聴覚障害』ではない」

と考えているのでしょう。
だから病院などでさえ、難聴になったおじいさんや
おばあさんに対する配慮も、まだまだ少ないのだと
思われます。

「聴覚障害者」とは、国の身体障害者認定基準で
認められた人に対して使われる用語と考えられがちですが、
「そうではない」というほうが事実と言えるのでは
ないでしょうか。

国際的にはどのような基準が採用されているのか、
というと、日本よりはるかに低い基準に
なっているそうです。


〔参考〕
 →http://blogs.yahoo.co.jp/ding_dong_ditch_2000/5990984.html




『スウェーデンの聴覚障害者 - 日本との比較を通じて /水野映子』
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/watching/wt1009.pdf#search='ã‚¹ã‚¦ã‚§ãƒ¼ãƒ‡ãƒ³é›£è´æ°´é‡Žæ˜ å­'



『難聴者が暮らしやすい環境づくりを /水野映子』
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/watching/wt0309a.pdf



『世界の難聴者、アジアの難聴者』(WHO資料を引用)
http://www.zennancho.or.jp/archive/h16inter-3.pdf#search='%E8%81%B4%E8%A6%9A%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%9F%BA%E6%BA%96'



現実には日本語を知っている聴覚障害者

(日本語を第一言語とする聴覚障害者や、
第二言語に日本語も獲得している聴覚障害者)

と、
日本語を知らない聴覚障害者も

(手話を母語〔第一言語〕とし、第二言語に日本語を
獲得していない聴覚障害者)

いるのですが、
それを健聴者は誤解して、聴覚に障害のある者に対して、
そういう分け方をして見ているのかもしれません。
私などは

「本当は聞こえるのに、
聞こえないふりをしているのではないか?」

というふうに見られている場合もあります。

正直、自分の聴覚障害以上に、健聴者のこうした無知、
無理解が原因で、私はしばしば傷つくのです。

当ブログ

『言葉が聞き取りにくくても、会話が出来る理由』
(2012-05-06 18:55)


参照。

健聴者は次のようにも、言いました。

「ろう者でも話す人はいるが、
日本語になっていないので、
私には何て言っているのかわからない。
しかし、あなたの日本語はきれいです。
だから、ろう者は聴覚障害者だと分かるが、
あなたが聴覚障害者には見えません」

どうやらこれは、正しい知識に基づいての判断でなく、
健聴者の主観的判断のようです。


耳が聞こえなくても、日本語力がある聴覚障害者だったら、
会話は可能な場合もあります。
つまり、聴覚障害と言語障害は別であるという事例も、
多々ある。

当ブログ

『耳が不自由でも会話をする方法』
(2011-07-25 21:18)


参照。

この他にも、聴覚障害者の松森果林氏は
「オウム返し」という会話術を使うそうですが、

当ブログ

『『ゆうことカリンのバリアフリーコミュニケーション』』
(2012-04-05 22:19)


参照。

それも私はよく使います。

例えば、

健聴者;「れい○うこから、□□もってきて」

私;「(「れいぞうこ」かな? たぶん…、と思って)
れいぞうこからですか?」

健聴者;「違う」

私;「(それじゃ、冷凍庫か、と思って)
冷凍庫からですね」

健聴者「そう」

このような言葉のやり取りが可能だから、
コミュニケーションが通じている。

実際は補聴器を装用すれば全く聞こえないのではなくて、
ある程度不自由(難聴状態)になっているだけなので、
状況など全体的に見て、相手の言いたいことが何なのか、
聴覚障害者である自分でも
判断が可能になっている場合が多い。
それを健聴者は、いつの間にか勝手に、
私が聞こえると勘違いしているのだ。

聴覚障害者でも残存聴力がある人がいる、
ということも知らないのだろう。

健聴者は、難聴者や中途失聴者は喋れるから、
日本語を理解できるから、
言語が自分と同じだからコミュニケーションが
可能だと思っている。
他方、手話一辺倒のろう者との場合は、
このようなコミュニケーションは成立しない、
と思っている。

(けれども、もう何度でも言うが、
そのようなろう者だけが聴覚障害者ではないのです)

手話が多少出来る健聴者になっても、
日本語対応手話をろう者に要求する人が多い。
それはなぜかというと、彼らにはろう者の
手話は分からないので、結局日本語に翻訳できる
手話、つまり日本語対応手話でないと
理解できないからだ。
だから日本語を理解できない聴覚障害者とは、
たとえ筆談でも話そうとはしないのだろう。
健聴者にとっては聴覚障害とは、
コミュニケーション障害という意味だけなのだろうか。
そんな単純なとらえ方しかしていないように、
私には見える。
「聞こえる」か「聞こえない」かの、どっちかにしろという、
強引な理解力しか持っていないように思える。

それは、ろう者がよく

「あなたは手話が出来る?」それとも「出来ないの?」

と聞くのと同じ、二元論しかできないのと同じだ。

残念ながら、健聴者だけでなく、ろう者にも
難聴者や中途失聴者のことは理解できていないのが、
聴覚障害者の世界の現状でもあるのです。
それでどうして、ろう者と難聴者、中途失聴者などを
「聴覚障害者」という言葉で一くくりにして考えることが
できようか。

極めつけの健聴者の誤解は

「あなたのような聴覚障害者は、珍しい」

です。

(おそらく、健聴者は本当は「珍しい」というよりも

「あなたは健聴者とほとんど変わらないですよ」

ということを一番言いたかったのでしょうけれども…)


でも、いやいや…。
もうそろそろ、事実をちゃんと知って下さい。
私のように日本語もちゃんと喋れる聴覚障害者のほうが、
圧倒的に多いのです。

そればかりか、

「今の若いろう者では、喋れる人が多い」

という、ろう者自身の証言もあるほどです。


『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕



日本語を喋れない聴覚障害者のほうが統計的にも
はるかに少数であって、珍しいのです。
健聴者は未だに、そんなことも知らない人が多いのです。





〔参考〕

なお、当ブログにおける「聴覚障害」および「聴覚障害者」
の用語定義は、下記の記事を参考にして下さい。

 『聴覚障害の用語定義について』
 (2011-03-30 22:03)


ここで言う「軽度難聴者」には、
身体障害者に認定されない難聴者が多いようです。

また、下記の記事も参考にしてみて下さい。

 『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
 (2011-03-31 23:19)

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by bunbun6610 | 2012-07-24 23:25 | 聴覚障害

元記事〔2012-04-13 20:17〕より再掲載。

特例子会社の問題点は、聴覚障害者以外
の障害者にとってもデメリットとなるので、
こうした記事に関心を持たれる方も少なく
ないのかもしれません。

特例子会社のデメリットのほうは、
厚生労働省の障害者就労問題についての
会議で、他の障害者の団体からも、
批判の声が上がっていたものです。

障害者が一ヶ所に固まってしまい、
健常者との距離ができたり、
特定の障害者ばかりが集中雇用される
結果にもなりかねず、
法令遵守で障害者を雇用したといっても、
新たな問題を生んでいます。

特例子会社が増えれば障害者雇用は
増える、と考えられそうですが、
一方で障害者手帳を取得できない障害者は、
会社に就職できる機会がさらに減るのでは、
という不安も大きくなります。

ほとんどの企業が、障害者を雇うのは罰金
逃れと障害者雇用助成金目当てなのだと
いうことを、忘れてはならないでしょう。
この点の改善なしに、根本解決はありません。



==========================

障害者の就職というと、障害者採用と一般枠採用、
つまり「クローズド」(自分の障害を隠す)と
「オープン」(自分の障害を伝え、配慮を求める)
がありますが、オープンでは一般企業にするか、
それとも障害に対する配慮が比較的得られやすい
特例子会社にするか、という選択肢もあります。


【参考】
★『特例子会社とそのメリット』

 →http://www009.upp.so-net.ne.jp/machito/empu/toku2003.html

★『特例子会社一覧』

 →http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha02/pdf/20.pdf
 

特定の障害者を多く雇用している一般企業や、
特例子会社もあります。
そのほうが、その障害を持つ人たちにとっても
働きやすい職場環境にしやすく、
また企業にとってもメリットがあるからです。

デメリットとしては、実例では製パン・製菓業種の
特例子会社だと、知的障害者や精神障害者中心に
雇用を進めているところもあり、
例えばコミュニケーション障害を持つ聴覚障害者は
雇用されにくくなっています。

企業側が障害対策を特化してしまうために、
同じ障害者で固まってしまい、
相性の悪い障害種別の障害者は雇用されにくく
なる傾向があるわけです。

また聴覚障害者を多く雇用している職場といっても、
ろう者ばかり雇用している会社では、
就労中のろう者とのマッチングを考えて、

「手話が出来る方」

を採用条件としている場合もあります。
この場合、手話が出来ない聴覚障害者は、
その会社に応募できません。



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by bunbun6610 | 2012-07-23 20:17 | 人気記事(再掲)

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html


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「一方、赤十字のような慈善団体はこの頃、障害者のための
雇用サービスを始めた。
また一九二一年の法律では、母子医療センターが開設され、
母子の死亡率を下げる努力が開始された。
この傾向は大恐慌後も続き、一九三五年、当時のルーズベルト
大統領が社会保障法に署名するに至る。
これで、アメリカ史上初めて、成人障害者対象の恒久的な
社会保障制度が始まった。
ポリオと闘うルーズベルト大統領をアメリカ人は賞賛し、
彼は当時、全米で最も有名な障害者だった。
彼が設立を援助した慈善団体、「硬貨の行進」への寄付は増え、
小さな子どもでさえ、大統領がホワイトハウスで運動をするための
スイミングプール建設に寄付を提供したという。

しかし、歴史家ヒュー・グレゴリー・ギャラファーの

『FDR’s Splendid Deception(フランクリン・ルーズベルトの華麗な偽り)』

によれば、ルーズベルトは自分の障害をできるだけ隠そうと
していたという。
実は歩けなかったのに、一般にはその印象を与えないよう
一生懸命努力していたというのだ。
「ルーズベルトはポリオによるマヒで少し足をひきずるようになったが、
今は直っている。
一般の人々の間ではこう思われていた。
『今は回復したかたわ』とみなされていたのだ」
テレビが今のようになる前だからこそ可能だったかもしれないが、
大統領の車椅子の姿は決して公開されず、プライベートの写真も
撮られなかった。
ルーズベルト自身と彼の息子、護衛の人たちは創意工夫を凝らし、
彼が建物から出たり入ったりする手助けをしていた。
公の立場に出なくてはならないときは息子と護衛が彼の両側に
立ち彼を支え、彼はまるで体操選手が体操用のてすりにつかまる
ようにふたりに運ばれていたに過ぎなかった。
ホワイトハウスや連邦議事堂、陸軍省、国務省、海軍のビル、
そしてラファイエット広場のむかいにある聖ジョン教会には、
当時からスロープが設置され、歩行が困難な人でも移動が
しやすかった。
ルーズベルト大統領が歩けなかったから、そして、首都ワシントンの
中でもこれらの場所に彼がよく行ったから、こんなことも可能だった
のだ。
が、法律でアクセスが広範に義務づけられるようになるまでには、
それから三〇年以上かかった。
第二次世界大戦後、連邦のリハビリ・プログラムがさらに拡張し、
戦争帰還の障害者を国ぐるみで救おうという新しい試みがみられる
ようになった。
まず一九四六年、マヒをもつ戦争帰還者アメリカ人協会が設立され、
翌四七年には、リハビリを終えた障害者を企業で雇用することを
保障する義務から、大統領直轄障害者雇用委員会が設置された。」



=================================

ルーズベルト元米大統領も障害者でしたが、隠そうとしていたようです。
当ブログでも同カテゴリーに

 『障害イコール恥という感覚』
 (2011-10-22 19:27)

という記事を掲載しましたが、元健常者だからこそ、
障害者というネガティブなイメージで他の人から見られたくない、
という感覚があったのではないか、と思います。
やはり障害というものは、初めからすぐに受容できるものではない
のだと思います。
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by bunbun6610 | 2012-07-23 20:10 | 哀れみはいらない

聞こえる者の側から聞こえない人のことを捉えた視点ではあるが、
この記事は考えさせられるな、と思いました。


『きこえない人ときこえる人』(SILENTSHEEP*NET 羊の本棚 2002-07-30より)
 →http://silentsheep.net/book/kikoenaihitoto.html



『聴覚障害者と窓口業務』(SILENTSHEEP*NET 音のない世界で 2002-06-22より)
→http://silentsheep.net/silent/madoguti.html

======================================

聴覚障害者にはコミュニケーションのない、
もしくはできるだけ少ない業務が
適しているのかというと、
私は「違う」と思う。

健聴者からの、
そのような一方的な押し付けが、
むしろ聴覚障害者問題の解決を、
永らく延ばしてきた。
それを当ブログで書いてきたつもりです。

まだまだ

「仕方がないことだ」

という見方が強い。
しかし、聴覚障害者をコミュニケーション問題から
避けることが良い手段なのではない、
と思います。
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by bunbun6610 | 2012-07-22 20:17 | 就労後の聴覚障害者問題B

『潜在的な聴覚障害者』って、何だろう?
彼らは聴覚障害者ではないのだろうか?
「補聴器ニーズ600万人以上」で検索すると、
結構いろいろな記事がヒットします。

→http://www1.plala.or.jp/t_nishimura/tyoukaku.htm

「日本では、聴力レベル70dB以上から身体障害者手帳の交付ができます。
手帳交付を受けている聴覚障害者は、全国で約36万人とみられています。
しかし、国連の世界保健機構(WHO)では41dBから補聴器の装用が推奨
されるとされており、この基準に基づくと600万人にのぼるとみられます。」



→http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/00256/contents/139.htm

「今や、高齢者人口はわが国の人口の16.2%、2049万人を越えた。
人は誰しも高齢になると聞こえが悪くなる。

わが国では、平成8年度の厚生省の身体障害者実態調査では、
身体障害者としての聴覚障害者は35万人となっている。

この実態調査では、60歳以上の聴覚障害者は何と72.1%にも達し、
70歳以上にかぎっても49.8%と高齢化社会を反映している。

しかし、一方で35万人という数字は、補聴器メーカーや耳鼻科医等で
約600万人と推計されている数字と余りにも隔たりが大きい。

これは、一つには身体障害者福祉法では両耳70dB以上の
聴力損失があると身体障害者手帳の6級に該当するという非常に高い
レベルに基準が設けられているからではないか。

実際には、40dBや50dBくらいから日常生活の会話に不便を来すことが、
東京都心身障害者センターの相談来所者のデータからも実証されている。

もう一つの理由は、現制度は自己申告制のため、自ら「聴覚障害」と
認めたがらない難聴者の心理からして、潜在的な「聴覚障害者」が多いと
思われる。」

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by bunbun6610 | 2012-07-22 20:11 | 聴覚障害