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健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要

『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要』

当ブログ

『健聴者には気づかれにくい障害』(2012-02-05 23:38)

を読まれた方のなかには、もしかすると

「聞こえたんじゃないのなら、あなたが勝手に想像して
書いているだけなのか。
それじゃ、書いたって、誰にも信用されないよ」

という方も多いのでは、と思います。

周りの健聴者からよく言われることは、
私の書くものは、とにかく主観的だということです。
周りの健聴者から見ると、そう見えるというわけです。

これは、健聴者から見た客観的事実というとこになるでしょう。
しかし、聞こえない私は聞こえないゆえに、
相手が何と言っているのかは、確実にはわからない、
ということは客観的事実です。
また、本当のことはわからないのに書いていることも、
客観的事実です。

ちょっと話がそれてしまいますが、
今のことを考えるにあたって、
参考になる話です。
聖書には読み方があるそうです。

ある歴史学者が言っていたことなのですが、
詳しいことは私もよく憶えていません。
しかし、意味は同じだと思うので、それについて、
このまま書き進めていきたいと思います。

聖書には歴史的事実(客観的)と、
信仰的事実(主観的)があるのだという。

事実もあるし、事実ではない部分もある、
ということです。

(二つとも「事実」という言葉を使っているが、
この意味の違いについて、後述を読まれて、
よく考えてみて下さい)

大事なのは、事実でない部分があるからといって、
読む価値もなしとか、信仰に値しない、
とは言えないということでしょう。

たとえば

「イエスはメシア(救世主)だった」

とか

「イエスは神だった」

という部分については、聖書には確かに書かれてはいますが、
歴史上においても、誰もが認める客観的事実(証拠)が
残っているわけではありません。

聖書は、イエスの弟子たちが信仰したという
(信仰的)事実が書かせた本なのです。
この信じた、書かせた、という部分は、事実ですよね。
それが重要です。
聖書自体に価値があるのとは違うのかもしれません。


同じように聴覚障害者の、
相手が何と言っていたのかを理解する場合にも、
聴覚障害者は自分の中で客観的事実(状況証拠)と、
そうでないもの(主観的と言われようが、自分の想像力)を総合して、
理解しようとする場合があります。
もともと低い情報量に、自分の想像力を加えて補い、
理解するしか、方法がありません。
だから、どうしても主観的にならざるをえなかったりします。

客観性が高い、それとも主観性が高い、
という言い方のほうが合っていると思いますが、
それ以外に、相手を理解する方法がないからです。

「聞こえないからといって理解できない」

と考えていたら、
いつまでたっても理解などできないし、
それは間違いだと誰にでもわかるはずです。

「手話はわからないから、理解できない。
ろう者とコミュニケーションできない」

と言っている手話初心者と同じになってしまいます。

聴覚障害者はおそらく、相手が何と言っていたかを知らなければ
(聞き取れなければ)
コミュニケーションができない、とは信じていないと思います。
よく

「手話は心で通じ合うもの」

とも言われるように。
私の場合で言うと、コミュニケーションとは、
言葉として聞くことではなくて、感じるものなのです。

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』を
書いた金修琳氏も、あとがきのほうで母の記憶との
食い違いを少し書いていますが、親子であっても、
健聴者と聴覚障害者とではそれが当たり前だと思います。

だから、私が前述した作文でも、例えば

「目をつぶれと言っているだろう!」

という部分は、私の主観に基づく想像で書いているに過ぎません。
それが客観的事実だった、と主張するつもりは全くないのです。
しかし、もしも本当は

「目をつぶりなさい」

と優しい言葉遣いで言っていたのだとしたら、
健聴者のほうでは、この食い違いを見て、どう思うだろうか。
おそらく、

「あなたの書いていることは、言葉のニュアンスが違って、
他の人に伝わってしまっているわよ」

などと言うのではないでしょうか。
もしそうならば、私もそれで納得します。

でも、そうなのかどうか、私自身はまったく知りません。
私が強く受けた印象が、先生が

「怒鳴り、私の頭を叩いた」

から

「先生は怖い人だ」

というイメージを持ち、

「目をつぶれと言っているだろう!」

と想像したわけです。
聞こえない私は、それ以外に、
そのコミュニケーションを理解する方法がないからです。

もしも、そのコミュニケーションに手話など、
視覚できちんと理解できる方法があったならば、
違った受け止め方になっていたでしょう。

聴覚障害者のコミュニケーションには、そんな部分もある、
ということです。

ですから、

「聴覚障害者は、自己中心的な人が多い」

と言われるのも、もしかすると、
この辺りに原因があるのではないかと思ったりします。
しかし、わからないなりに自己努力で頑張り、
理解しようとした結果であることも、
理解してほしいと思うのです。

反対に健聴者は、失敗を恐れずに私たちを
理解しようとしたことがあったでしょうか。

その聴覚障害者の心の状態にもより、
受け止め方は変わると思いますが、
それだけだったら健聴者も同じだと思いますので、
聴覚障害者には複雑な事情がまだ解明されて
いないのかもしれません。


※本稿で伝えたいことに関連する記事を、

 『変わらなければいけないのは社会』(2012-02-07 22:44)

に掲載しました。
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by bunbun6610 | 2012-02-07 22:54 | コミュニケーション能力

変わらなければいけないのは社会

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)
 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html

『変わらなければいけないのは社会』
変わらなければいけないのは社会であり、障害者ではない。障害者権利運動の哲学は、まさにこの点を強調している。車椅子に乗っている人は動けないし、仕事ができないと私たちは思いこんでいるかもしれない。ブリーフケースを抱え、かなり聡明そうな出立ちの弁護士でも、車椅子に乗っている女性だったらお恵みが必要な人に見えてしまうかもしれない。
が、多くの職場で元ガン患者やてんかん患者が雇われないのは、雇用者側の拒絶感の方が理由なのかもしれない。オフィスビルや家屋、ホテルや商店などが車椅子使用者にとって使いにくいのは、社会の犯している大きな間違いかもしれない。
障害者権利運動家、ジュディ・ヒューマン(訳注:二章参照。1993年より合衆国教育省特別教育・リハビリテーションサービス局次官)は言う。
「私たちが生活に必要なこと(雇用の機会やバリア・フリーの建物など)を社会が提供しないとき、そこで初めて障害は悲劇となります。車椅子で生活していること自体は悲劇でも何でもありません」障害をもっていることは別にたいしたことじゃない。以前より多くの障害者自身は、こう自分たちのアイデンティティを主張している。障害者権利運動家で、『ディサビリティ・ラグ(The Disability Rag)』という雑誌の編集長、メアリー・ジョンソンは特に、障害者運動と同性愛者運動との共通点を分析する。彼女によれば、障害者は1970年代の同性愛者のように、社会が押し付けてきたアイデンティティに拒否感を示すようになった。悲しむべき恥ずべき障害者、「汚点」としての障害者というとらえ方をやめ、障害者であることを誇りに思うようになったそうだ。」



聴覚障害者の立場からも、ひとこと言います。
すでに何回か紹介していますが、
下の掲示板を読まれた方はいますでしょうか?

 →http://jbbs.livedoor.jp/sports/30250/

彼ら難聴者は本当に

「聴覚障害が悪いからなんだ」

と言っているでしょうか?

いや、むしろこれは、
社会のほうの無理解が原因で起きている問題です。
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by bunbun6610 | 2012-02-07 22:44 | 哀れみはいらない

健常者は特権階級

障害者雇用といっても、仕事の内容は他の
健聴者と同じものもあります。
そういう場合は

「障害者枠(雇用)と一般枠との違いは何か?」

という疑問が出てくることもあります。
反対に、仕事内容が違えば

「職域差別ではないのか?」

と思うこともあります。

そういう疑問が、仕事中にも出てくるのはなぜなのだろうか。
これは果たして、本当に聴覚障害者のワガママなのだろうか。

周りを見ると、障害者は私一人だけだということに気づくのです。
これも一体、なぜだろう? と思う。

働きたい障害者が世の中にはたくさんいるわけだから、
ここにはもっと障害者がいてもいいのではないか? と思う。

無論、会社は障害者授産施設ではありません。
職域差別は実際にあります。
しかし、どの仕事だって難しい内容ではありません。
ちょっとした配慮があるだけで、
いやその仕事をするために
配慮も全然必要ない仕事であっても、
障害者も健常者と一緒に働くことができる仕事は多い。

彼らの経済力、生活力をアップさせることによって、
社会全体の生産性をアップさせるなら、
それが社会全体の経済活性化にもつながるだろう。
(当ブログ・カテゴリー『障害者の経済学』を参照)

それなのに、職場にいるほとんどの人は、
真面目に働かない健常者とは、
一体どういうことだろうか?

昨年12月上旬、障害者週間のとき、
毎日新聞に次のような意味の文言を見ました。

「健常者に便利なものは次々につくられ、
わたし(健常者)たちの暮らしはより便利になっていきました。
けれども、障害者に使えるものは少ない。
なぜでしょうか?

とどのつまり、私たち(健常者)は特権階級にいる人間だからです」

原文を憶えていないので、これはそのままではありませんが、
その筆者は「特権階級」という言葉を使っていたことは
間違いなく覚えています。

私は当ブログでは、そのことをそんな言い方はしません。
ハッキリと「障害者差別社会」だと言っているのですが、
健常者、あるいは健聴者だとその言い方を、
やっぱりソフトな表現に変えているのだと思いました。

会社は勿論そうだし、労働組合も、
差別という言葉は決して使いません。
差別は結局、「職場環境」という言葉に置き換えられてしまい、
常に問題点を曖昧にされてしまうのです。

しかし、職場環境の問題なんて、健常者だけのところにも、
どこにだってあります。
障害者問題ではないし

「それならば障害者問題との違いは何か?」

ということになりはしないだろうか?

果たして、健常者と同じ職場環境問題と、
障害者に関わる障害者就労後問題とは、
本当に一緒なのだろうか?

それでは、東京都『みんなの人権』の言う

「『障害があるからといって特別視しないで!』
でも、バリアはなくそう」

とは、一体何だろう?

障害者の前にあるバリアは、健常者には見えないから、
配慮する必要がないのだろうか?

職場には「女性差別」だってあるのだから、
障害者差別だってガマンするのが当たり前だ、
という論理は、筋が通るのだろうか。

健常者の考え方が気分次第で変わるまで、障害者は待て、
とでも言うのだろうか。

本当のことを言えば、健常者が特権階級だなんていう話は、
障害者側から見たら憎たらしいのではないだろうか。

でも、先の発言は障害者側を擁護している意味の話だから、
文句は出てこないのだろう。
本当は「特権階級」は「差別意識」なのです。
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by bunbun6610 | 2012-02-07 21:36 | 国連・障害者権利条約

手話か日本語か? ―言語の違いからくる問題点―

〔参考資料〕
『ろう者を雇用しているのに、手話通訳がつかない』 ~ろう者の証言から~

「私は、ろう者です。
会社では筆談で仕事の説明をしてもらっています。
でも、健聴者の筆談はよくわかりません。
それで『手話通訳を用意してほしい』と頼むのですが、
そう言うと

『キミはもう、あっちへ行っていい。
他の人に頼むから』

と言われ、相手にしてくれなくなります。
こういった問題は、何とかならないものでしょうか」



実は、筆談がわかる私でさえ、時折、
似たような経験をさせられます。

上の例を、私の考えられる限りですが、
なるべく客観的に考察してみましょう。

このろう者は比較的若い人でした。
ただ「ろう者」といってもいろいろな人がいて、
そのろう者がそれまで受けてきた教育的、
家庭的背景により、日本語もOKという人もいれば、
そうではない人もいます。

これは健聴者でも同じことが言えるはずです。
実際、私の両親は健聴者ですが、
文盲に近いくらい、読み書きが苦手です。

このろう者の場合は、日本語文章が
苦手なのかもしれません。

逆に、筆談でも問題なくコミュニケーションが
できるろう者もいます。

例えば、ろう学校に通わず普通学校だけで育ったろう者、
早くからインテグレーション教育を受けてきたろう者、
家庭環境が日本語教育にもあふれ、
豊かな言語環境で育ったろう者は、
筆談も問題ない人もいます。

こう言うと、私は日本手話を母語とするろう者の
敵対者のように思われてしまうかもしれませんが、
正直に、これは客観的事実ではないか、
と思うのです。

だからといって、上の例のろう者は日本語が
通じないから筆談は無理なのだ、
と決めつけるのも早計ではないかと思う。

私のブログをこれまでずっと読まれてきた方には、
筆談の問題点を分かっている人もいるかもしれません。

そのことを繰り返すように話しますが、実際に私も、
会社の人が筆談してもわからなかったとか、
通じていなかった経験が何度もあるのです。

この原因をまず簡単に幾つか列挙しておきましょう。
それから、その幾つかを具体例で説明することにします。

「上の筆談が通じなかったろう者も、
これらのどれかにぶつかったからではないか」
という可能性も否定できない、と思います。

別の視点で考えると、この問題はやはり、
(仮称)情報・コミュニケーション法や
手話言語法への理解も必要だという
根拠にもなると思います。

手話を言語と認めたのに、それを使うことが
“実質的に認められていない状況”
があるというのは、遺憾なことではないでしょうか。


枝野長官会見で「手話を初めて、言語と位置づける」
(2011年4月22日)

枝野幸男官房長官が22日午前9時44分から、
首相官邸で行った記者会見の中での注目発言。

「閣議決定した法律案の中には、障害者基本法の
一部を改正する法律案がある。
障害者施策の推進について、関係者の皆さんから
まだまだという声もあるが、特に今回、わが国の法制上、
初めて、(記者会見中の私の)お隣で手話通訳も
いただいているが、手話を法律上、
言語として位置付けるということに
踏み込むことができた。
大きな前進だというふうに考えている。」


手話言語法の必要性については、
当ブログの下の記事を読まれても、
同じように日本手話での通訳のほうがわかりやすいという、
ろう者の合理的理由となる実例が載っています。

→『健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (2)』
(2011-11-17 22:17)

「しかし、その手話通訳は私には、
半分くらいしかわからなかったので

「隣のろう者は、この手話通訳で大丈夫なのだろうか?」

と、少し心配しました。

ところが、講演が終わってみると、
そのろう者は手話通訳者に、

「あなたの手話通訳は大変、分かりやすかったです。
ありがとう」

と言っていたので、私は「えっ?!」とビックリしたものです。
そのろう者にとっては間違いなく、
手話通訳は日本語対応手話ではないほうが分かりやすい、
ということです。」


→『職場における、ろう者への手話通訳の問題点』
(2012-02-03 00:12)

健聴者からはよく

「「手話が言語として認められた」
といっても、日本語中心の社会なんだから、
ろう者も日本語の勉強をすべき」

という声もあります。
それはそれで確かに言えるとしても、
手話を実質的排除するようであってはならない、
と思います。

言語差別も人種差別と同じように、
差別であることに変わりはありません。

このことは、いずれ『言語の多様性の尊重』という
テーマで、後にさらに詳しく取り上げてみたいと思います。

ところで、筆談が通じない場合とはどんなケースか、
簡単に述べてみます。
例えば、

(1)字が汚くて読めない。
読み手は、読み間違いをしてしまったり、
「まぁこのぐらい、ガマンしなくちゃ」と考えたりしてしまう。
例えば、私は

「読み進んでいくうちに、内容ぐらいわかってくるだろう」

とか、

「自分で推測してわかればいいじゃないか」と思ったりします。

本当はこれは、読み手にも責任があることなのですが…。


(2)書き手が整理して書かないので、何を言いたいのかわからなくなる。
文章力の問題。まとめ方が下手。


(3)用紙のあっちに書いたりこっちに書いたり、
読んでも分からなくなり、さらに音声も交えての筆談では、
わからなくなるのが当たり前。
こういう健聴者は、筆談によく集中して書いていない。


(4)筆談だと音声での説明に比べ、情報量がグッと減る。
そのため、健聴者は筆談と音声の両方で丁寧に説明している
つもりでも、聴覚障害者側には、書いたことしか伝わっていない。

健聴者は、これに気づいていないのではないだろうか。
つまりこれは、この健聴者の説明(筆談)の仕方に問題がある。

その逆に、筆談だけでも上手く説明できる健聴者もいます。
しかし、誰でもそれができる、というわけでもないようです。
できる人と、できない人とのバラツキがひどい、
という事実は確かにあります。
ですから、私は筆談を完全否定しているつもりはありません。

抜け落ちてしまっている筆談の仕方に問題がある、
と言いたいのです。


長くなりましたので、今回はこのくらいにしておきます。

具体例は、また書くのは大変なので、
当ブログ下記の記事を読まれてみて下さい。
筆談を否定するわけではありませんが、やはり、
筆談では通訳と同質には内容を理解できません。

筆談で聴覚障害者に伝えられるようにするには、
かなりの筆談力が必要であり、
それは誰にでも容易にできるのではない、
ということも知っておきましょう。

 →『通訳と筆談、筆記との違いについて』(2011-10-27 22:07)

 →『飲み会での筆記通訳』(2011-10-31 22:29)

 →『筆記通訳?』(2011-10-29 22:36)

「「筆記通訳」という言葉は、本当は存在しないと思います。
しかし、健聴者は聴覚障害者への合理的配慮として、
筆記をして情報保障(通訳)しているつもりのようです。」

筆記は、それでも情報保障として認められるものなのでしょうか?

法律での聴覚障害者への合理的配慮(情報保障、通訳など)
とは何なのかを、きちんと明記する必要があると思います。
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by bunbun6610 | 2012-02-06 19:50 | 就労後の聴覚障害者問題B

『らーめん 渋英』(東京都渋谷区道玄坂2-4-5)

場所は、渋谷マークシティ横といえばいいのか、
パチンコ・エスパスに囲まれた立地といえばいいのか、
まぁその辺です。

ランチタイムにはサラリーマン、若者がどっと来て、混むラーメン店です。

私は角煮キャベツめん(900円)と博多明太子ごはん(300円)を注文、
でもランチタイムはセット料金で1000円にしてくれました。

ラーメンは麺とスープを好みに選べます。
注文時に店員に言って下さい。

 ①麺の茹で加減 →①ふつう  ②かため  ③バリかた

 ②スープの味の濃さ →①ふつう  ②あっさり  ③こってり


厳選素材とオリジナル製法によるラーメンづくりだそうで、
確かに、久々に美味いラーメンを食べました。
キャベツには、特製ドレッシングがかかっていて、
このラーメンに合うように調味されています。

ラーメンに生キャベツなんて…、
と思うかもしれませんが、
これはすごく合います。
角煮もキャベツと合います。

細長くて歯触りがよいメンマも、
相性よくて美味しいです。

かなり高レベルの味だと思います。
ただ店内が狭いのは、
女性客を集めるにはちょっとマイナスなのかも。

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by bunbun6610 | 2012-02-06 19:23 | 食べ物(ラーメン編)

健聴者には気づかれにくい障害

聴覚障害者には、相手の健聴者が何と言ったのか、
正確な確認はできない場合があります。
そんな時は、健聴者の言いなりになってしまうこともあります。

【実例】
私の作文
「私が中学生のとき、授業中に先生が生徒全員に

「目をつぶれ」

と言いました。
皆は目をつぶったのですが、私だけ聞こえないので

「目をつぶらなければいけない」

とは知りませんでした。
その時、先生は私だけ目をつぶっていないことに気づいて

「目をつぶれ!」

と言いました。
しかし、それでも私は目を開けたままでした。
そして先生は怒った顔をして私に近づきもう一度

「目をつぶれと言っているだろう!」

と怒鳴り、私の頭を叩いた。
それで私はびっくりして目をつぶりました。
それからしばらくして目を開けてみると、
皆は目を開けていて、先生は話をしていました。

その話とは、言うことをきかない私の頭を叩いたら、
目をつぶった、という話でした。

なぜそれがわかったのかというと、
その状況を見聞きしていた皆が大笑いしていたから
です。」



さて、読者の皆さんは(特に健聴者の方)、
これを読んで何か思うことはありましたでしょうか。

多分、

「聞こえないあなたが、ここまで状況を
文章にして書けるのはなぜ?
おかしいではないか?」

と思う方もいると思います。
私も、健聴者からそういう疑問が出てくることは
自然なことだと思っています。
なぜなら、この文章は完璧で矛盾点が見当たらない、
と思うからです。

別に、自慢しているわけではありません。
正直に言って、この文章はよく書けているとは思っていても、
本当にこの通り(つまり事実)であったかどうかは、
私にはわからない
のです。

自分の人生経験に基づく、推測で書いているに過ぎないのです。
それにしても、よく書けていると思いませんか?
あたかも、私は聞こえる人間のように、です。
この特殊能力こそ、私が今まで、
健聴者から誤解をもらってしまう原因だったのです。

私の特殊能力の種明かしをしてみましょう。
(「特殊能力」はオーバーかも?)


(1)先生がだんだんと怒ってきて、私に近づいてきたので、
指示とか注意を言われているのだとわかった。

(2)先生がたまたま、私の頭を叩いたので、
怖くなって目をつぶった。
そうしたら、先生に怒られなくなった。
だから「目をつぶれ」と言ったのだとわかった。

(3)聴覚障害者には、口パクの数と口型を見ただけでも
「目をつぶれ」と言っていたのだろう、と推測が可能だった。
私の場合でも、後になって推測し、わかった。

(4)事が終わった後、なぜ皆が目をつぶっていたのか、
その理由が上のことを体験して、わかったから。

(5)その時には、何が起きていたのかわからなくても、
後になってみると、状況を分析できる。
それで、わかっていた情報に自分の推測を加え、
ストーリーを論理的に組み立てることが可能である。
だから、このような作文は、完全に聞こえていなくてもできる。


というわけで、頭の良い難聴児だったら、
親も先生も気づくのが難しくなるのかもしれません。
これでも、聞こえているのとは違う、というわけです。

聴覚障害は気づきにくい障害だということが、
この例でもおわかりになると思います。
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by bunbun6610 | 2012-02-05 23:38 | 聴覚障害

真実と名誉毀損うんぬん

→http://www.excite.co.jp/News/society_g/20120202/Mainichi_20120203k0000m040068000c.html

<訴訟>清武氏対巨人・読売G…双方が請求棄却求める
2012年2月2日 21時10分 (2012年2月3日 01時32分 更新)

プロ野球・巨人の人事を巡り、球団代表兼ゼネラルマネジャーだった
清武英利氏(61)が内部告発の記者会見を開いて解任された問題で、
お互いに損害賠償を求めて提訴した清武氏と巨人・読売新聞グループ
本社側の各訴訟の第1回口頭弁論が2日、東京地裁(大門匡裁判長)
であった。
清武氏側、読売側双方が相手の請求棄却を求めた後、
各訴訟は併合審理となった。

 清武氏側は

真実を述べただけで、取締役の忠実義務に反したことはない」、

読売側は

ありもしない事実を広めた清武氏を解任したのは正当な理由がある

と主張した。

 清武氏は昨年11月の会見で、渡辺恒雄球団会長(85)がコーチ人事に
不当に介入したと告発し、1週間後に解任された。
各訴状によると清武氏は慰謝料を含めた計6220万円の賠償などを求め、
読売側は

球団と同社の名誉を毀損(きそん)された

として計1億円の賠償を求めている。【野口由紀】

 ▽白石興二郎読売新聞グループ本社社長・巨人オーナー 
この裁判を通じ、清武氏の言動が取締役の忠実義務などに違反した暴挙
であり、名誉や信用を傷つけられたのは読売巨人軍と読売新聞グループ
本社の方であることが明らかになると確信しています。

 ◇渡辺恒雄会長を証人申請の方針…清武氏代理人

 清武氏側と読売側双方は閉廷後、司法記者クラブで記者会見し、
清武氏代理人の吉峯啓晴弁護士は、渡辺恒雄球団会長を証人申請する
方針を明らかにした。
吉峯弁護士は「証人として被告として出廷は不可欠」と述べた。
原辰徳監督や桃井恒和球団社長についても「必要かもしれない」と
申請の可能性を示唆した。

 法廷で「コーチや選手を守りたい一心で(11月11日に)記者会見を
開いた。
渡辺会長への私怨(しえん)という小さな動機ではない」などと意見陳述した
清武氏は、「粘り強く訴え続けないといけない」と決意を語った。

 読売側代理人の喜田村洋一弁護士は、答弁書で「清武氏が監督らの
不信を招いている」など新たに二つの解任理由を公表したことについて

「裁判になったので明らかにした。追加ではない」

と説明した。【立松敏幸】

==================================

清武氏の心情は、昨年起きた、あの中国漁船衝突事故映像の
流出事件と似ていなくもないような気がする。

そりゃね、会社は裁判で負けたらとんでもない痛手を負うのだから、
勝つために何でも持ってくるよね。
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by bunbun6610 | 2012-02-05 21:14 | 社会

沈黙の難聴者

日本の難聴者人口は600~2000万人もいると
言われています。
この数字がなぜ、こんなに曖昧なのかというと、
難聴者は、非常に幅広い人たちだからです。
そして、国がきちんと調査していないということもあります。

同じ難聴者でありながらも、障害者と、
そうでない人とに分かれているのは、
日本の障害者認定基準が異常に高過ぎるからで、
これは日本社会の難聴者の現状を決定づける、
特徴的な理由だと思います。

600~2000万人という数字は、
補聴器メーカーによる推計です。
つまり日本には、補聴器を必要とするほどの
難聴者がこのぐらいいるのだと。

補聴器がないと聞こえないというのは、
その人たちは間違いなく、
人の話し声がよくきこえないということです。
補聴器なしでガマンしている人もいます。
その人たちも難聴者です。

実を言うと、聴覚障害者の手帳を持っている
人の数は現在、約36万人しかいません。

ということは、
「聴覚に障害を持つ人」
(これを、国の認定する「聴覚障害者」とは区別します)
のほとんどが、国の障害者支援を受けられていない、
ということなのです。
日本は、恐るべき福祉後進国ではありませんか。

この事情に大きく関係のあることが、
日本人という、民族的性格ではないか、と思うのです。

今でもとにかく

「日本人は真面目でおとなしく、
勤勉・勤労、誰にでもやさしく、従順である

という賞賛を、世界中から受けています。
しかし、それが逆に、日本人の欠点にもなるようです。

国(政治家や官僚)の言いなりになりやすい
という国民性は、太平洋戦争の時代から、
あまり変わっていないのではないかとさえ思われます。

30年前に公開された日中合作映画『未完の対局』

 →http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AA%E5%AE%8C%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%B1%80-VHS-%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%B4%94%E5%BD%8C/dp/B00005GE83

 →http://japanese.china.org.cn/jp/archive/zryhhj/node_2185478.htm


の、ラストに近づくシーンでは、
日本人の性格が戦争を止められなかったのだ、
とでも受け取れるような松波の孫娘のセリフに、
説得力がありました。

国家を信じることと、盲信・盲目になることとは
紙一重の差です。
その意味で、日本人は明らかに盲信・盲目にも
なりやすいと思ったのですけど、
考え過ぎでしょうか?

自分で国家(というより、隣人のため)に投資し、
意見を言い、その上で信じること、
これが本当の「国家を信じること」であり、
アメリカのケネディ大統領の有名な言葉(※)は、
そういう意味だと思うのです。

これはまさに、民主主義社会そのものの実践方法ではなか。

(※)「国が諸君のために何ができるかを問い給うな。
諸君が国のために何ができるかを問い給え」

→http://www.maedafamily.com/enzetu/j-address01.htm
 
→http://yusan.sakura.ne.jp/library/john_f_kennedy1/

日本とは異なる、キリスト教の影響を受けた「契約思想」が、
欧米では流れています。
日本はそうではありません。

法でも税金の使い方も何でも、
それらは全て自分にはわからないこと、
上(政治家など)がつくるものである、
私たちはそれに従って生きていればいいんだ、
というような考え方です。

国のために爆弾を積んだ戦闘機ごと
玉砕する日本人は、外国人から見れば
「クレイジー」と思うのが当たり前だと
思うのです。

それと同じことを、未だに日本人はし続けている、
ということなのではないでしょうか。

沈黙の難聴者たちも、それと同じなんじゃないか、
と思うことがあります。

この人たちが現実にしていること、つまり沈黙も、
加害者側と同じでしかないのです。

この人たちがもしも健聴者だったら、
聴覚障害者問題など完全に知らん顔をしたでしょう。
それに気づいていないと思います。

ろう者と難聴者が未だに仲良くできないのは
当然の結果だった、と思います。

『未完の対局』という映画は聴覚障害者の私にとって、
そういう意味を知る上でも、
考えさせられました。

それが国家全体に関わることでは、
あの太平洋戦争の罪だったと思うのです。
そこまででなくとも、日常のいたるところに、
日本人の、そんな罪はあると思う。

あなた方の無理解ゆえに、
あなた方よりも重い聴覚障害者は、
もっと苦しんだ。
その罪は、人類の子孫にも続く。

私たち人間はすべて、ろう者と完全に無関係だなんていうことは、
ありえないのです。


ソクラテスの

「無知の知(私は知らないということを知っている)」

を知っただけでは、何もなりません。
今度は知ろうと行動することが大切です。
無関心でいいのではなく、知ろうとすることです。
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by bunbun6610 | 2012-02-04 09:20 | 難聴・中途失聴

減税、維新が政策協議へ 河村、橋下両市長が合意

『減税、維新が政策協議へ 河村、橋下両市長が合意』
2012年2月4日 01時17分 (2012年2月4日 01時42分 更新)

政治団体「減税日本」代表の河村たかし名古屋市長は3日夜、「大阪維新の会」を率いる大阪市の橋下徹市長と大阪市内で会談し、次期衆院選での連携に向け、政策協議を始めることで合意した。河村氏は会談終了後、記者団の取材に応じ「衆院選での連携に向けた基礎の基礎ができた」と強調した。

普通なら、今の日本の経済状況では、減税が当然ですよね。
でも、以前のツケをほったらかしにたできなくなって、
与党では増税の必要性が議論されています。
それは私もわかっています。

でも、やっぱり国はおかしくなり過ぎた、と思う。
消費税を上げても、国の税金の遣い方が直らなかったら、
水を注いでも注いでも漏らしてしまう福島原発と同じじゃないか。
それで国民の不信感が消えないのではないか。

国民が立ち上がり、政治家に任せきりでない、
本当の民主主義による社会を実現しなければ、
と思います。

今は税金を減らして、国民皆が自分で考えて遣うほうがよいとしか、
思えません。
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by bunbun6610 | 2012-02-04 09:06 | 社会

職場における、ろう者への手話通訳の問題点

就労後の聴覚障害者問題(Q社)

20■■年■月■日

会社の人事部主催セミナーに初めて
聴覚障害者が参加し、そのときに
情報保障(手話、パソコン要約筆記通訳)
も初めてつきました。

私はパソコン要約筆記通訳、ろう者の
Aさんは手話通訳を利用しました。
セミナーは予想通りに、パワーポイントも
併用しながらの音声説明で、時折、
パワーポイントにはない内容の配布資料
も見る必要がありました。

聴覚障害者の場合、これに情報保障も
見なければなりません。
これは、音声情報が聞こえる健聴者とは
違う点ですので、健聴者の読者は、
よく頭の中に入れて考える必要があると
思います。

手話通訳利用の場合だと、メモを取る
のが難しく、実際にAさんはメモを全く
取っていませんでした。

ただずっと、手話通訳を見ているだけで、
パワーポイントや配布資料までは、
ほとんど見ていないような感じでした。

セミナー終了のとき、手話通訳者たちは、
Aさんに通訳が理解できたかどうか、
聞いていました。

Aさんは正直に私にも

「難しすぎて、わからない」

と漏らしていました。

終わった後、アンケートを書いて提出し
ましたが、Aさんはほとんど書けなかった
し、

「内容が難しすぎて、わからなかった」

を繰り返していたので、これは当ブログ

『健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (3)』
〔2011-11-21 19:48〕

で述べていたことと同じ問題なのだろうと、
思ったりしていました。

数日後に、またAさんと会い、なぜ手話
通訳を利用しても内容がわからなかった
のか、理由を聞いてみました。
これは聞き方も難しいので、私のほうから、
こう聞いてみました。

「セミナー説明者の音声日本語を、
手話通訳者は日本語対応手話ベースで
通訳するから、
(日本手話を母語とする)
Aさんはそれを頭の中で日本手話に
変えて、理解するのが難しくて、
よくわからなかったのですか?」

Aさんは「そうです」と答えました。
そして、さらに自分の話も付け加えました。

「その言い換えには、時間がかかる。
(タイムラグが発生する)

しかし、手話通訳のスピードが速くて(※)、
自分の頭の中での言い換えが追いつけ
なかった」

というのです。

※(というよりも、説明者の話し方が
速過ぎるのかもしれないが、
私たち聞こえない者には、
それはどうなのかわからない)

なるほど。
難聴者だって、日本語対応手話を見て、
それを頭の中で日本語に変換して
考え理解するので、そういう作業は時間
も要し、疲労もします。
手話通訳に詳しい人ならば、これが大変
なことはよくわかるはずです。
手話通訳者が2人いて15~20分ほどで
交代し、休みに入るのもこのためなのです。

ところが、聴覚障害者の場合は交代
なんていません。
2時間の長丁場でも、です。

この理由もあって私は、時々目を離せる、
パソコン要約筆記通訳を選択しているのです。
さらに首痛も、手話通訳が無理な理由です。

Aさんの職場コミュニケーションの方法は
筆談で、手話は全くありません。
普段は、日本語対応手話も目にすることが
ないのです。
そのため慣れていない、ということもあると
思います。

しかし、それにも増して筆談はゆっくりなので、
頭の中で日本手話に言い換える時間的余裕
があります。
しかし、手話通訳は音声説明に合わせて
スピードも速くなるので、そうはいかないの
だと思います。

それに、説明者の説明は、音声日本語だけ
でなく、パワーポイントや配布資料も併せて
見ることによって、初めて完全に理解できる
のではないか、と私は見ています。

ということは、やはり会社のこうした場での
情報保障には、この時にだけ、単に手話通訳
をつけるだけでは、聴覚障害者対策としては
不十分なのだろう。
そう考えると、やはり、三宅氏のあの言葉を
思い出します。

 →当ブログ
『健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (1)』
(2011-11-16 21:13)

参照。

会社側の工夫不足は明らかです。

結局、Aさんは日本語対応手話の通訳も
読み取れるが、それを十分に理解するため
には、やはり自分の頭の中で日本手話に
翻訳しなおさなければならない、
というわけです。

この話を聞いていたBさんは、セミナーに
参加させてもらえなかったろう者ですが、
こう話していました。

「そういう場合は、手話通訳者を変えて
もらったらどうなの?」

しかしAさんは

「いや、それでもムリだ」

と、諦め口調でした。
自分の世代は、ろう学校でも手話で勉強
できなかった(手話禁止だった)から、
日本語対応手話の通訳では
わからなくても当然だと。

これは、昔のろう学校教育の悪いツケ
(差別)が、Aさんたちの世代に回って
いることを意味しています。

セミナーや講演は、この次にもまたある
と思いますが、このままではAさんは
どうするというのだろうか。

黙ってガマンし出席するのか、それとも、
以前に逆戻りして

「自分は欠席で構いません」

とするのだろうか。

他の方法は、そのときの情報保障の
問題点を会社にも派遣センターにも
正直に伝え、改善に動いてもらうこと
だろう。

しかし、Aさん自身は、これをやろうとは
していません。
なぜだかは、私にもわかりません。

私が思うには、Aさんは改善要望を
出したほうがいいに違いないが、
そうすると会社は誤解して、
ガッカリしてしまう心配もあります。

そもそも、会社には、ろう者のことなど、
全くと言っていいほどわかっていません。
それで専門の通訳者派遣センターに
高い通訳費を払ってまでして、自分たちに
はさっぱりわからない手話通訳を、
ろう者のために用意した、というのが
正直なところだろう。

それなのにろう者が

「わからない」

と言ったら、会社としてはもう

「他に方法など思いつかない」

と言うかもしれない。

それだと会社はろう者への評価を
下げてしまい、今後はろう者を雇用しなく
なってしまう可能性もありえる。
こういう心配もあります。

これは、働くろう者全てに関係してくる
問題です。
また、会社での手話通訳の問題点としても、
長いこと考えられてきています。

手話言語法も、もしかして、
こういう問題解決の切り札とするため
なのかも知れません。
健聴者や難聴者と同様に、
言語特性と通訳の関係は当然ありますから。


さらに、ろう者への能力評価などの
差別問題とも、関係があると思います。

言語能力=仕事能力 なのでしょうか?

今までの健聴者社会の考え方は、
まさに言語至上主義ではないでしょうか?

外国人に通訳は使って当たり前なのに、
なぜろう者が手話通訳を使うことはダメ
なのでしょうか?

いろんな疑問が出てくるのではないか、
と思います。

「ろう者への評価が低い」ということとして、
思い当たることは、Bさんが今回のセミナー
に参加していない理由にも考えられる
のではないか、と思います。

Bさんの職場の、健聴者のコミュニケーション
方法にこそ問題があると私は思うのですが、
健聴者のほうは、そうは思っていません。

「上司は上司だから、上司のほうに
合わせるのが当たり前。
上司の言うことが分からなくては、
Bさんは使い物にならない」

と考えているのではないでしょうか。

会社であっても上下関係と、
コミュニケーション問題は別の話だと思います。
封建社会の遺物そのもので、その上司は

「会社では、こっちが上の立場なのだから、
障害者への合理的配慮は別の話だ」

と言っているのに等しい。
Bさんと上司のコミュニケーション状況を、
私は目撃しましたが、上司は筆談ボートに
仕事の言葉を単語だけあちこちへ書いて、
あとは声とわけのわからない身振り
(イライラしているような感じ)
で説明していました。

後で、私はBさんに

「この前、Bさんと上司との筆談コミュニケ
ーションを見ました。
でも、私にはその内容がさっぱりわかりま
せんでした。
Bさんはわかったのですか?」

Bさんは意外にも「わかった」と言っていました。
もしかして、Bさんは読話の達人なのかも
しれません。

しかし、それでもセミナーまで通訳なしでは、
理解することは難しいのではないだろうか。

だから、Bさんも手話・パソコン要約筆記
通訳のつくセミナーに一緒に参加しなかった
のは、理解できませんでした。
そのセミナーは、全社員出席が義務付け
られていたから、なおさらでした。
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by bunbun6610 | 2012-02-03 00:12 | 情報保障・通訳(就労)


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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