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サロン・ド・テ・アンジェリーナのモンブラン

サロン・ド・テ・アンジェリーナ

 →http://r.gnavi.co.jp/g999000/

 ・モンブラン・オリジナル    750円+税5%
 ・モンブラン・ブリュレ      580円+税5%

モンブラン・オリジナルは1903年創業以来、
パリ本店と同じレシピでつくっているらしいです。
ホントかいな?(私は信じていません)

昔、フランス菓子を学ぶためにパリ研修に行ったとき、
パリのフランス菓子のサイズの大きさ、
甘すぎる味つけには参ったことがあります。

しかしこのモンブランは、
その味とは違う、日本人に合わせた味、
という感じがしないでもありません。

大きさのほうは、向こうと同じ考え方を捨てていないのか、
大きめでした。
それでも味が向こうとは違い、控えめだったから、
大きくても食べられたのです。
あっちで食べたときは、残して捨てていました。

日本女性は経済的理由やお腹に入る量の他に、

「小さいのを何種類か食べたいから」

という要望も多いので、大きくて値段も高いプチ・がトーを
ショーケースに堂々と置いているお店は珍しいです。

ここは、できるだけパリ本店にならっているのでしょうか。

モンブランは、日本では店によって、かなり違う製法です。
アンジェリーナではムラングのフォンを底に使いますが、
日本のパティスリーだと、お店のシェフの考え方により、
ダックワーズやスポンジ、パート・シュクレだったり、
クレーム・ダマンドだったりします。
また副材料にショコラを使ったり、
シロップ、酒もいろいろと加えたり、
クレームもクレーム・パテスィエールを使ったり、と。

要するに、フランスの元祖モンブランとは全然違います。
正統派好きの人が食べたら、きっとガッカリするでしょう。

フォン・ド・ムラングは歯にくっつくのと、
日本人には甘過ぎるという理由から、
昔の日本ではかなり嫌われて、
仕方なく別のもので代用していました。

しかし、本場の正統レシピでは、
ムラングを乾燥焼きしてつくった
フォンと呼ばれるパートを、底に使います。
あとは生クリーム、特製のクレーム・ド・マロン、
そして仕上げに粉糖、というシンプルさ。


アンジェリーナの「モンブラン・オリジナル」は
正統派ですが、「モンブラン・ブリュレ」は底に、
クレーム・ブリュレを使用していました。

買うなら、やはり本場直伝のオリジナルのほうが
いいと思います。

やっぱり、モンブランで名をあげた店ですから、
シンプルなお菓子でも素材と製法にはこだわっています。


●モンブラン・オリジナル
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●モンブラン・ブリュレ
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by bunbun6610 | 2012-02-29 20:02 | sweet

日本の障害者の性格

無知、無関心、無視は誰にでもある、と思います。
それが原因で起きてしまう差別が、
なぜ国連・障害者権利条約で違反なのか、
わからない人もたくさんいると思います。

だから、それがあったからといって、
直ちに責めることはできない、という思いが、
日本の障害者には特に多いのではないか、
と思います。
私もそう思います。

それと、合理的配慮は、かならずしも理想通りには
いかないと思います。

政府案は「可能な限り」という言葉を合理的配慮の前に
入れようとしていますが、それだとその解釈が問題になってきます。

そうすると、運用や紛争が起きた場合にも、
同様に混乱が生じる恐れがあります。

差別的状況を指摘するよりも、
合理的配慮があることによって、
差別からの根本的救済になるならば、
合理的配慮を曖昧にしてしまってはよくないと思います。

差別を指摘するだけでは、解決にはならないという事実が、
今までの教訓だったはずです。

 →当ブログ『合理的配慮の実施が「可能な限り」では…』
(2011-10-24 20:30)参照。

争うことを嫌う日本社会の性格から、
障害者もまたガマンしてしまうことにならないとも限りません。

しかし、それでも日本の障害者団体は、国内法整備に向けて一生懸命です。
多くの国が「まず批准してから、国内法を変えていく」タイプであるのに対し、
日本はその逆の手法をとる、数少ない国です。

悪いことを悪い、差別は差別、と相手にハッキリと言う、
外国人とは違う日本人の民族的性格が、
かえって日本の障害者の環境をよくないままにしてきたし、
それは反省すべきなのかもしれません。

あまり遠慮しすぎて、
海外の障害者団体から日本の障害者の消極的な姿勢が批判されたりと、
国際的な批判にまでならなければいいのですが。

〔参考〕
 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%A8%A9%E5%88%A9%E6%9D%A1%E7%B4%84

(Q1)国連・障害者権利条約って、何ですか?
(Q2)日本にも関係があるのですか? 守る義務があるのですか?

(A)署名した以上、条約批准に向けて最大限努力しなければなりません。
   今はまだ批准していないので、守る義務がありません。

「この条約は21世紀では初の国際人権法に基く人権条約であり、
2006年12月13日に第61回国連総会において採択された。
日本政府の署名は、2007年9月28日であった。
2008年4月3日までに中華人民共和国、サウジアラビアも含む
20ヵ国が批准し、2008年5月3日に発効した[1]。

2011年12月3日現在日本国は批准していない。

2012年2月8日現在の批准国は110カ国である。
なお欧州連合は2010年12月23日に組織として集団的に批准した[2]。」


(Q3)選択議定書って何ですか?
(Q4)日本は署名していますか?

(A)日本は選択議定書に未署名、未批准です。

「当条約には、この条約に反した人権蹂躙を受けた個人が、
国連連合の障害のある人の権利に関する委員会に通知できることを
定めた「障害者権利条約選択議定書」
(en: Optional Protocol to the Convention on the Rights of Persons with Disabilities)
もある。
これは国際人権規約や女子に対するあらゆる形態の差別の
撤廃に関する条約といった国際人権条約に関する選択議定書を
参考に制定されたもので、2012年2月8日現在の署名国は90カ国、
批准国は63カ国である。
とりわけ米州機構加盟国の多数(18カ国)は集団的に批准している
(日本は2012年2月8日現在未署名、未批准)。」

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by bunbun6610 | 2012-02-29 19:35 | 国連・障害者権利条約

盲ろう者への就労支援のあり方から

「盲ろう者」とは何ですか?
これも「聴覚障害者=ろう者だけ、ではない」のと同様、
「全盲プラスろう(ろうあ)者」という意味ではありません。

社会福祉法人 全国盲ろう者協会

 →http://www.jdba.or.jp/index.htm


当ブログ
『精神障害者への就労支援のあり方から』(2012-02-13 22:05)

『第4回労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会議事録』
(平成20年8月7日)
議題; 障害者関係団体からのヒアリング
より。

に続く、盲ろう者側の意見です。

これも
社会福祉法人全国盲ろう者協会 理事 福島智氏のお話は非常に長いので、
一部抜粋(青字部分)させていただきました。
ただ、福島氏の説明は具体例をよくあげているので、私の抜粋文ではなく、
本文を読まれたほうが理解できると思います。

これまで通りに、私の思ったことも後で加筆してみました。

○福島氏
>「盲ろうという障害者、障害種別の特殊性、非常に独自のニーズをもっている、
そういう人々がいますのでよろしく…」



 →当ブログでは「聴覚障害者には、いろいろな人がいます」という
メッセージも発信してきました。
盲ろう者は、さらにいろいろな人がいるのでは、と思います。

福島氏の講演でトイレの場所での話を聞いたことがあるのですが、
出会った健常者にはトイレの出口が分からないのだと勘違いされたらしく、
トイレからすぐ連れ出されたそうです。
福島氏は「手を洗いたかったのに」と思っていたそうです。
だから

「いや、そうではなくて、何をしたらよいのかは、
障害者とまず、コミュニケーションをとってほしいんだ」

というふうに思ったそうです。
ですから福島氏のまず言いたいことも、まず盲ろう者を理解し、
それから、それぞれの人に合った支援をお願いします、
ということだと思うのです。

難しいと思うかもしれませんが、聴覚障害者の立場からも、
健常者はまず、障害者とのコミュニケーション方法の確立からやってほしい、
と思っています。
日本人はコミュニケーションが苦手だからなのか、これができていません。
しかしこれは、障害者に限らず、どの人であっても大事な基礎であるはずです。



>「これは極めて例外的ケースで、私がたまたま周りのサポートを受けられたから
ここまでやって来れたという背景があります。
もしサポートがなければどうなっていたか。
おそらく職業ということ以前に、生きていくエネルギーも十分もてなかったでしょうし、
もちろん私自身の能力を発揮することもできなかったであろうと思います。
盲ろう者というのは、その意味で、サポートがあるかないかで、人生が劇的に
変わってしまいます。これほど劇的に変わる障害の種類もめったにないのでは
ないかと思っています。




 →確かに例外的なケースですよね。
ヘレン・ケラーが「努力の人だから、あそこまで立派になった」と思う
健常者もいるかもしれませんが。
彼女自身だけでなく、サリバン先生の支援がなければ、無理だったのでは
ないでしょうか。
それと同じかもしれません。
大体、愛のなせる業というのは、誰か一人が、ではなくて、共同作業によって
生まれるものだ、と私は思います。
私は福島氏の話を聞いて、よく感動します。
どんな人も可能性を持っており、それを生かせるかどうかは、
この世で自分も誰かと結びついて互いの能力を発揮できるか、
ということにかかっているように思います。
それが人間、存在する意味なんだと思います。
健常者は、「自立」の意味を勘違いしているように思います。



>「盲ろう者の場合は、スピーカーを消して、画面も消してしまうわけですので、
これは何もない。
何も心に届かない。
自力でどう頑張って、どう逆立ちしても、どう努力しても、
情報がキャッチできないという状態に置かれます。



 →情報は、コミュニケーションと同じように、相手の努力というか、
配慮も必要だと思います。
聴こえる人でも、聞き取れる声でしゃべってくれないと、聞き取れません。
それと同じことで、その人にきちんと伝わる方法でコミュニケーション、
情報伝達をすることが大事なんじゃないか、と思います。
そのために支援者が必要ならば、それも当然、合理的配慮になる、と思います。


>「盲ろう者の困難は3つあると思っています。1つ目が情報を得るということで、
もう1つは、コミュニケーションをする上での困難、3つ目が移動です。




 →時任氏のお話で情報障害はすなわち移動の障害というふうに思ったのですが、
盲ろう者でもやはり同じことが言えますが、耳も聴こえないわけですから、
もっと危険な状況に晒され続けている、といえると思います。
支援者がいなければ、施設から一歩も出られないという孤独な生活でしょう。
これは本当に「生きる権利」の保障なのだろうか。



>「1つのアクシデントが起きても、このように多重的派生的に困難が重なるのが盲ろう者



 →障害の多重性、二次、三次障害が重なっていく状況というのは、
自分の無力感をさらに大きくしていく、と思います。
だから、このような人には、一刻も早く助けが必要なんだと思います。



>「盲ろう者の特徴は、それらがバラバラにあるのではなく、みんな重なってしまっている
ということです。
集中しているということです。







>「自暴自棄になってしまって、飲み屋に通うようになって、本当は1人で歩くのは
難しいんだけれども、歩いて飲み屋通いをして、ある日、トラックにはねられて亡く
なるというようなケースもあります。



 →絶望すると

「自分なんか、世の中にはいらないんだ!
働けないし、誰も相手になってやろうという人もいない。
もう死んでしまったって、かまわないじゃないか」

というような思いがよぎるのだと思います。
これでも、死ぬまで人を信じ続けるというのは、難しいと思います。

話がそれてしまうかもしれませんが、セーレン・キルケゴールの
『死にいたる病』を読まれた方はいますでしょうか?




>「ニューヨークにヘレンケラーナショナルセンターという
盲ろう者のためのリハビリテーションセンターができています。




 〔ヘレンケラーナショナルセンター〕
→http://kakaku.com/tv/channel=6/programID=249/page=212/
「1969年に開設されたヘレンケラーナショナルセンターは、
22歳以上の盲ろう者が入所できて、無料で訓練を受けられる。
年間入所者数は約100人で、数ヶ月から1年程度の訓練を受ける。

日本で始めて大学に進学した盲ろう者の福島智教授が、
ヘレンケラーナショナルセンターで公演を行なった。
福島智教授は、ヘレンケラーナショナルセンターは
盲ろう者に生きているという実感を高めていると評価した。」


〔日本の参考例〕
 →http://www.tokyo-jinken.or.jp/jyoho/44/jyoho44_tokushu2.htm


調べていると、本当に日本は障害者に無関心な国であるばかりでなく、
超恩恵型で障害者の社会参加や権利保障をせず、閉じ込めているんだな、
という印象を受けます。
あなたがもし障害者だったら、日本の障害者の生かし方をどう思われるでしょうか?
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by bunbun6610 | 2012-02-29 19:29 | 就労後の聴覚障害者問題B

手話ソングの日本語対応手話と、日本手話について


 『聴覚障害者の方は手話ソングを嫌うって本当ですか?』

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1016957650


ところで、あなたなら上の記事の、
一番下の回答者が言われている、
次の言葉の意味は、どう解釈しますか?

===================================

「歌詞はメロディやリズムとセットなのであって、
歌詞をただ手話にしただけでは、
ろう者には伝わらないものだ。と。

でも、一生懸命手話を覚えて、
何とか伝えようとするその気持ちは嬉しい、
とも仰っていました。

私も、お役にたつことがあればと思い
手話を習い始めて、テキストを見て丸暗記して
いましたが、伝えようという気持ちが大事!と、
講師の先生に教わって、
それを知っただけでも習って良かったなと
思いました。」


===================================

私は、こう思いました。

「一生懸命手話を覚えて、
何とか伝えようとするその気持ちは嬉しい」


 →手話って、覚えるものなのだろうか?
健聴者の場合、手話は第二言語として学習し、
習得するものだから、確かにそう言えるかもしれないけど、
それはだいたい、日本語対応手話を習っているうちの話
だと思います。

ここで言う日本語対応手話とは、
まず手話を初めて習う初心者のためとか、
手話通訳にも必要なため、
習うとかの目的があると思います。

勿論、この手話ができる聴覚障害者もいますが、
ろう者(Deaf)の母語は日本手話になると思います。

ですから、ろう者(Deaf)とのコミュニケーションに最適な言語は、
日本語対応手話ではなく、日本手話ということになります。

そもそも今の年齢が高いろう者(手話指導者に多い年齢層)の
場合は、学校で手話を習ったのではないはずだし…。
(母語は日本語対応手話ではなかった、ということ)


「伝えようという気持ちが大事」

 →でも、この意味はさっきとは違うと思うんですけれども。
丸暗記とは違うことを言っていると思います。

まさに日本語対応手話の上をいく、ろう者と同じ
コミュニケーション法なのですけれども…。

習った手話も勿論使うのですが、手話がわからないとき、
通じないだろうと思ったときは、私は自分で手話を創造してしまい、
伝えようとすることもあります。

この自分で手話を考えて、伝えるという行為こそが、
「伝えようという気持ち」の、一つの具現ではないかな、
と思うのですが。

これはもう、日本語対応手話の手話学習や、
手話ソングばっかりやっている人には身につかない技術というか、
言語(「日本手話」と呼ばれる手話)だと思います。


というのが私の個人的な考えですが、
皆さんの場合はどう思うでしょうか?
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by bunbun6610 | 2012-02-28 20:35 | 手話

「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義

日本手話が母語の聴覚障害者は、今は「聾(ろう)」とか
「ろう者(聾者)」と呼び合うようになっていますが、
昔は「聾唖(ろうあ)者」という言葉が使われていました。

「聾唖」は、今では差別語とみなされていて、
健常者社会では禁止用語になっていますが、
60歳以上の聾唖者は確実に存在しており、
自らを「ろうあ者(聾唖者)です」と言う(筆記する)
ことがあります。

要するに「聾唖」は、その時代を生きた人たちへの
差別の事実を象徴する言葉だったんじゃないか、
と思います。
その体験から、彼らに自然に身につけられた言葉
だと思います。

しかし最近では、「ろうあ者」という言葉の使用頻度は、
かなり減ってきています。
35歳以下のろう者となると、聾(ろう)の人でも、
日本語を話すことができる人が増えています。
すると、

「今は『聾(ろう)』ではあっても、『唖(あ)』ではない、
だから『聾唖者(ろうあ者)』は今ではいないし、
そんな呼び方はしなくなったんだよ」

という話を、ろう者から聞かされました。

こうした説明には、ろう社会のなかでは賛否両論
あるだろう、とは思いますが…。

(注;「ろう者」「ろうあ者」の用語について、私の使い方は、

 →当ブログ

『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕


に述べたように、区別せずに「ろう者」と呼ぶことにしています)

「差別語は消えつつある」(だから、差別と認め禁止用語になった)
――そう思っていいのかというと、そうではないというのが、
当事者団体『財団法人 全日本ろうあ連盟』です。

私も、差別は今もあると思っています。

数年前の毎日新聞の調査だったと思いますが、
職場での障害者の意識調査で、
「差別があると思うか?」という質問に対し、
「ある」と回答した障害者は70%を超えていた、という。

しかし、それでも職場で「差別はもう止めて」の
言葉は絶対に言えない。
この新聞発表のデータは、障害者たちの、
「声無き声」なのであろうと思う。

職場で言ったら人間関係がまずくなり、
辞めされられる可能性が濃厚だからです。

これは健常者・健聴者でも同じです。

特に女性も障害者同様、立場が低くされている状況
だと思います。

話を「ろうあ者」について戻しますが、
「聾で生まれた人でも話せる人が増えた」理由としては、
補聴器の進歩や、ろう学校での日本語(口話)教育の
進歩が大きいのではないか、と感じます。

それ自体は差別解消と言うよりも、
補聴器の進歩や、自分の聴覚障害の克服という
自己努力によるところが大きいのです。

差別解消は本来、当事者を取り巻いている社会環境、
すなわち人々が努力すべき部分です。

それとともに障害者の自己努力もあって、
はじめて「歩み寄り」と言えるのではないか、
と思うのです。

ところが障害者に対して、一方的な自己努力を強いて
いるばかりの今の社会では、厚生労働省が掲げる
ノーマライゼーション

 →http://kotobank.jp/word/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

という目標は達成できません。
あるいは逆に社会が合理的配慮

 →http://www.asai-hiroshi.jp/mysite6/homepage/gouriteki.html

へ努力していても、聴覚障害者がそれを

「不要だ、同じでいい」

と言って合理的配慮を拒否していたり、

(信じられないことかもしれませんが、実際にあることです)

何の自己努力もしなかったりするならば、
本当の差別的状況の解消にはならない。

(実は、彼らの言うこの「同じ」のほうが、おかしいのだが)

加えて、健聴者の立場から見たら自己中心的な行動を
している事実も、一部の若い聴覚障害者には目立つ。

最近では健聴者の方から「逆差別ではないのか?」と
言われるケースも出てきています。

この溝の原因には、やはり国の「障害者分離施策」、
言い換えると「差別」があるのではないかと
言えそうです。

障害者の「住み分け」は合理的配慮になりうるが、
「(障害者と健常者の)分離施策」は考え方そのものから、
違うと思います。






【追記】(2014年10月4日)

今ではすっかり、ろう学校に通う聴覚障害児も
激減した。

数年前に都立石神井ろう学校(中高等学校部)を
見学した時は、一つの教室が一学年になっていて、
生徒数は5人ぐらいしかいなかった。

ということは、他の聴覚障害児はみんな、
普通学校に通っているということなのだろう。
授業は補聴器で聞いている、というわけだ。

いや、ろう学校の中でも、ほとんどの生徒が
補聴器を使用していたと思う。
授業では手話も使われていたが、それはろう社会
で使われる手話〔日本手話〕とは違う。
日本語対応手話だ。
だから、読み手となる生徒にもし、日本語が
わからなかったり、苦手だったら、完全に理解
することは難しいのではないか。
学校の先生も、手話よりも日本語でしゃべること
を推奨していた。

このようになったのは、親の判断の前提として、
学校や医者のアドバイスが大きかったのだろう。
昔と比べ大きく変わった補聴器の進歩が、後押し
したのだと思う。

今の若い聴覚障害者ならば、重度の人でも
発語能力はかなり向上しているらしいが、
それは補聴器の進歩が大きな理由だと思われる。
日本語を話せることこそ、卒業後に社会で生きて
いくために必要なことだと判断されたに違いない。

そして実際、話せるようになったろう者は、
確かに増えていった。
それで、ろう学校教育は成功したかに見えた。

今では、ろう者までもが

「もう、聾唖者はいなくなったんだよ」

と言ったのには、やはり驚きであった。

確かに、彼は日本手話も対応手話もわかるろう者で、
ろう者社会の一員である。
でも、その人が言うのだから

「あー、今のろう者は、変わってきたんだな」

と思った。


しかし、そうとも言いきれない。

ろう者による、ろう者学セミナーというのがあって、
そこでは『ろう者は消滅する民族か』という講演が、
今年あったそうだ。


『スペシャル!! ろう者学セミナー2014』




さらに調べてみると、驚いたことに、ろう者による
「補聴器を壊す催し」が、過去にあったらしい。
その情報源は下記のウェブサイトからである。

『今月の話題(2000年6月)
< テレビ・ドラマ「おふくろに乾杯」 >』



私はろう者ではないけれども

「補聴器を壊したくなる気持ち」

も、よくわかる。
私自身も、過去に次のような記事を書いている。


『補聴器を外した理由』
〔2011-01-07 18:00〕



『職場での音声コミュニケーション障害に疲れて』
〔2012-05-19 23:37〕



『バカがいつまでも聴覚障害者差別をしている時代に』
〔2013-04-03 18:00〕



『音声言語世界の中で生きる、ろう者の現実と、手話が持つ可能性』
〔2014-08-25 18:30〕



補聴器を使うということは、健聴者の土俵に
あえて立つ、ということだ。
しかし、それだけでは永遠に、聴覚障害者の
世界は理解されなくなってしまっていた。
その寂しさ、悲しさは、例えようもないものだ。

そんなものは障害の克服でも、理解でもない。
健聴者が、間違っているのだ。

医学的に言うと、生まれてきた聴覚障害児は、
(補聴器を装用したからといって)
昔よりも聴力が良くなったわけではないのだから、
重度の場合、医学的ろうであることには変わりない。

しかし、言語によって属する社会が変わると、
文化や自己認識にも、大きな変化が起きた。
いや、今はもう言語によってと言うよりも、
補聴器によって変わってしまったのだ。

それでろう者も、分裂、あるいはもしかしたら
消滅の危機にあるということなのだろうか。
やがては一方が生き残り、もう一方が滅びる、
というような見方がされているのだろう。

人工内耳や補聴器の存在が、聾唖者という種族、
そしてその文化も滅ぼす、というのだろうか。
そういう脅威に感じるようになったのだろう。


そういえば、ヴィンヤード島の話が、興味深い。
そこは、平和的な島だったらしい。


『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 3/3
〔2013-10-05 19:00〕



『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 2/3
〔2013-10-04 18:00〕



『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 1/3
〔2013-10-03 18:00〕



『健聴者も手話を使っていた島 - ヴィンヤード島』
〔2013-10-02 18:30〕




蛇足になってしまったが

「ろう者の言語は手話だから、我々は『唖(あ)』ではない。
(「しゃべれない人」とか「言語を持たない人」ではない、
という意味)
我々は“手話”という言葉を話す種族だ」

という主張も昔からあり、こちらのほうが真実のようだ。
だからそういう意味で「ろうあ者」が「ろう者」に変わって
いった、という見解のほうが有力かもしれない。

要するに、この障害者を医学的に見たか、それとも文化的
に見たかで、その解釈も、このように変わるのだろう。



手話パフォーマー/通訳士
~南 瑠霞(るるか)の手話日記
『「ろうあ者」?「ろう者」?』
〔2011年01月28日〕




『もうひとつの手話 ― ろう者の豊かな世界』
(斉藤道雄/著 晶文社/発行者 1999年6月10日/初版発行)
より、引用。

「そうした新しい世代のろう者のひとりである福光あずささんは、
コンピュータ関連の大手企業に就職したとき、
はじめから口話は使わないと心に決めていた。
口話を使ったからといって、聴者とのコミュニケーションが
とれるわけではないことを、経験上いやというほど知っていた
からだ。

『口話を使ったら、手話がなくてもやっていけるって
思われてしまいますよね。
だから私ははじめから絶対口話を使わずに、
まわりの人が筆談になれてくれればそのほうがいいと
思ったんです。』

はじめはまわりも戸惑ったようだが、とにかく筆談でやりとりし、
そのうち手話を覚えようとする同僚も出てきた。
聴者のなかにはろう者にむかって『声を出せ』というものもいたが、
声を出すか出さないかは宗教や信条と同じように、
生き方の問題だった。
福光さんは仲間との会話には口話を使うこともあったが、
仕事は手話ですませた。
そんな職場に6年勤めたが、聴者に囲まれての6年は
たいへんだったでしょうとたずねると、
福光さんはこういっている。

『そりゃあねえ、ありましたよ。
苦しいというか、いろいろ。
でも、なんていうか、気楽なおしゃべりができないって
いうのが、一番つらかったですね。
当たり前のおしゃべりが。
たとえば行き会った人と、「きのうどうだった?」
「そうねえ、ホント疲れちゃった」なんて、
そんな簡単な会話もうまくできない・・・
ろう者だったらそんなこと、席が離れていても簡単に
伝わるのに』

仕事の話はなんとか筆談でこなしていても、
ふと顔をあわせた同僚と思いつくままの『なんでもない会話』
ができない。
なにしろ日本語は互いに外国語なのだから。
同僚が多少の手話を覚えてくれたといっても、
そこはやはりろう者にとってくつろいだひとことが
通じにくい聴者の世界だった。
聴者同士が交わす会話を『小耳にはさむ』ということも
なかった。
そういうストレスに耐えながら仕事を終えると、
ろう者は乾いた旅人が水を求めるようにろう者の仲間を
探し求め、ろう者の世界に戻ってくるのである。」
(P201~203)




〔参考情報〕

コトバンク『聾(ろう)』
https://kotobank.jp/word/%E8%81%BE%28%E3%82%8D%E3%81%86%29-885902

https://kotobank.jp/word/%E8%81%BE-573098#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89



聾 ツンボ


デジタル大辞泉の解説
つんぼ【×聾】
聴力を失っていること。耳の聞こえないこと。
みみ‐しい〔‐しひ〕【×聾/耳×癈】
耳が聞こえないこと。
「我を―にせんとする如し」〈鴎外訳・即興詩人〉
ろう【×聾】
耳が聞こえないこと。




何と!
「聾」の読み方が「つんぼ」になっているのだ。

しかし、当事者のろう者に聞いてみると、
この文字は「ろう」と読んで、
ろう者に好まれて使われている、という。


『「聾」は差別語?』
http://jo.at.webry.info/200803/article_4.html





【追記】(2015年1月25日)


「つんぼ」とは、昭和時代まで存在していた差別語だ。
私も子どもの頃、よく同級生から言われていた。

「コイツ、耳ツンボなんだぜ」

などと大きな声で言われ、バカにされていた。
だが不思議なもので、難聴の私でも、
こういう悪口はよくわかった。
そうすると、よけいに

「難聴なのかバカなのか」

彼らにもよく理解できなかったのかもしれない。

それでも「つんぼ」が使われていた当時は、
まだ差別用語ではなかったのかもしれない。

しかし、同じ時期に、私が健聴者社会で「ろう」
「ろうあ」という言葉を聞いたことは一度もなかった。

「ろう」の人は当時、健聴者社会から今以上に
隔離されていたと思う。
だから、ろうの子どもはみんな「聾唖学校」という、
特殊環境へ集められていたようだ。

そこは差別教育の場だったが、ろう児が集まれる
唯一の場所だったため、そこがろう者たちの社会
を形成する母体ともなっていった。
当然、彼らの使う手話も文化も、そこで生まれ、
発達していった。
それでろう者は、大人になっても「ろう」「ろうあ」
という言葉に親しみと誇りを持っているようだ。(※1)


(※1)〔関連情報〕

『聴覚障害者が著したホームページ』
〔2012-10-03 18:30〕



今では健聴者社会では「ろう」という言葉は
使われていないのが普通のようだ。

ろう者に関係する、極めて重要な法律に
『手話言語法』がある。
しかし、そこでも「ろう者」という言葉は使われず
「聴覚障害者」という言葉になってしまっている。
健聴者がそうしたのだろう。

この法律の当事者側は「ろう者のための法律」(※2)
としたかったようなのだが、
「ろう」という言葉を消すことによって、
健聴者は自分たちがしてきた過去のろう者差別
の歴史認識も消そうとしているのかもしれない。


(※2)
『手話言語法って、何? (1)』
〔2012-01-16 21:06〕




健聴者から聞いた噂に、こんなのもあるからだ。

「日本手話を使うろう者は、
今や“絶滅危惧種”と言われているのよ」

アイヌ民族や、中韓戦争歴史認識の問題と
同じようにしているのかもしれない。
恐らくそれが、日本政府の狙いなのだろう。




【追記】(2015年4月9日)


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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説



ろう
deafness

現在の医学用語では、聴力が悪い状態を難聴(なんちょう)
といい、聴力が非常に悪くなった状態、換言すればきわめて
高度の難聴を聾という。
その難聴の程度については、平均聴力レベルが90デシベル
以上の難聴を聾ということが多いが、まだ完全に統一された
見解ではない。

一方、聾教育界では難聴と同意義に使用しており、たとえば
軽度の聾とか高度の聾といったり、その種類を伝音性聾とか
感音性聾といったりする。
その反面、聾学校では高度の難聴をもつ生徒のみを対象と
している。
このような混乱は、英語のdeafという語の訳に原因がある。
欧米でもdeafは日本の医学界でいう難聴の場合と、聾の
場合とがある。
最近ではdeafを重症の難聴のみに使うべきであるという人
が欧米の医学界にもいる。
聾にしてもdeafにしても、近代医学が発展する以前から一般
の人が使用していたことばであり、それをそのまま医学
あるいは教育学で特定の定義をして採用しようとしたところに
混乱の原因がある。
 聾ということばは非常に古くから使用されてきた漢語であり、
耳が聞こえない状態をいう語である。
その聞こえないということの解釈の差が見解の差になってくる。
実際に完全に聞こえないということはないといってもよいほど
まれであり、非常に聞こえが悪い人でも、ある周波数の非常に
強い音は感知でき、これを残聴という。
言語習得前に高度の難聴となった者は、特別の言語訓練を
受けなければ、ことばを話せない唖(あ)の状態になる。
[河村正三]



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プログレッシブ和英中辞典(第3版)の解説

つんぼ【×聾】
〔耳が聞こえないこと〕deafness⇒みみ(耳)2



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大辞林 第三版の解説

つんぼ【聾】
耳が聞こえないこと。また,その人。
[句]
聾の早耳

ろう【聾】
両耳の聴覚が重度に障害されている状態。
補聴器を利用しても聴覚によるコミュニケーションが
難しい状態。


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『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕
『聴覚障害者』-ウィキペディアより引用した文を参照。




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by bunbun6610 | 2012-02-28 20:20 | ろう者世界

心で会話するカフェ、聴覚障害者が接待…東京・吉祥寺

聴覚障害者の就労問題としての捉え方もあると思いますが。

聴覚障害者に接客業は無理…と言われるケースは、
ハローワークでも常識というくらいです。


【参考】
 →『聴覚障害者への就労前・後における合理的配慮とは? (1)』
   〔2011-11-29 22:33〕

参照。

アメリカでは、明らかに不当な理由で、
障害者雇用に差別をつけるようなことがあれば、
企業に対し、重い罰金があります。
この結果、企業側も反省し改善に取り組んだ事実が
明らかになっています。




多くの企業が聴覚障害者を助成金目当てで、
単純な肉体労働で雇用しているのと違って、
このような経営者もいる、という情報は珍しく、
新しいことへ挑戦したい聴覚障害者には朗報です。




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 →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=54470


心で会話するカフェ、聴覚障害者が接待…東京・吉祥寺
                  (2012年2月14日 読売新聞)

聴覚障害者が接客の仕事につく難しさを知った女性が、耳の聞こえない
スタッフが働く喫茶店「サイレント・カフェ」の運営に奮闘している。

「健聴者の方から音のない世界に入ってゆくことで障壁をなくしたい」と、
手話やイラスト付きのボードで注文を受ける。
一度は運営していた店を閉店したが、今月5日に東京・武蔵野市で運営を再開。
聴覚障害者と健聴者の新たな交流の場としても期待されている。

カフェを運営する三鷹市在住の渡辺由貴さんは8年ほど前、
ファクスを使った聴覚障害者向けの代読・伝言サービスを行う会社で働いていた時、
ラッピングが得意な女性から、飲食店への面接申し込みの代行を依頼された。

しかし店側の反応は悪く、何軒かあたったが、「聞こえないと接客は無理」
「足手まといになる」と断られた。
耳が聞こえないことでアルバイトの面接すら受けられない現実にショックを受け、
「何かできないか」と考えるようになった。

渡辺さんは聴覚障害者が接客を担うカフェを開きたいと、昨年2月に運営母体を
設立。
内閣府の「地域社会雇用創造事業」に選ばれて約220万円の支援金を得た。
7月に三鷹市公会堂別館のレストランの一角にカフェを開くと、「音のない世界」の
コミュニケーションを求めて北海道や神戸からも客が来たが、別館の改築に伴い
11月で閉店した。

だが、あきらめずに、吉祥寺駅北側の五日市街道沿いに移転先を確保。
今月5日からカフェ・雑貨複合店舗「グランキオスク」(武蔵野市吉祥寺本町1)に
間借りして開店し、土日の正午~午後5時限定で営業している。

メニューはバナナミルクやクレープなど。
自分好みの甘さやフレーバー(風味)を選ぶことができ、客はイラスト入りの
マグネットや筆談、手話など様々な方法で注文する。
都内外から集まったスタッフとボランティア計6人が交代で接客。
中央のカウンターをはさんで客と相対し、話もはずむ。
スタッフの女性(27)は、「大学生の時、飲食店のアルバイトに応募してだめだった
ので、募集広告を見たときは驚いた」と話し、「いろんな人に出会えるのが楽しい」
と笑顔で接客していた。

「食券やタッチパネルなどで飲食店でのコミュニケーションが減る傾向にあるけれど、
ここではあえてコミュニケーションを重視したい」と渡辺さん。

軌道に乗せるまで手探りの運営が続くが、今後は料理の講習会なども企画して
交流の場をつくりたいとしている。

問い合わせは同カフェのオフィス(0422・29・9624)へ。




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【追記】


『吉祥寺の「サイレント・カフェ」が再出店-聴覚障害者が接客を担当』
〔吉祥寺経済新聞 2012年04月12日〕
http://kichijoji.keizai.biz/headline/1388/
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by bunbun6610 | 2012-02-28 20:02 | ろう者世界

株式会社イヤホンガイドより、アンケートのお願い(結果)

アンケート結果だそうです。

=================================

【株式会社イヤホンガイドより、アンケートのお願い】

 現在、株式会社イヤホンガイドでは、
 国立劇場で字幕機の導入を予算化していただけるよう
 働きかけをしていますが、
 そのためには、「どれだけの要望があるか」という
 数値的な裏付けも必要だと言われています。

 アンケートフォームをご用意しましたので、
 ぜひ多くの聴こえない/聴こえにくい方々のご意見を
 お聞かせいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 株式会社イヤホンガイド プロジェクト推進室
 浅野 恵 http://www.eg-gm.jp



-<結果等(2012.2.27受信)>---------------

***********************************
聴覚障害者向け字幕サービスについて
【アンケート調査結果】
2012年2月 株式会社イヤホンガイド

「字幕表示:G・マークシステム」
http://www.eg-gm.jp/g_mark/index.html
***********************************


【アンケート概要】
 実施形態/Webのアンケートフォームを利用
 実施期間/2011年12月16日~2012年月1月31日
 サンプル数/228件
 調査対象者/聴こえない・聴こえにくい方(一部親族による回答あり)
 (難聴者・途中失聴者協会、難聴児保護者会、人工内耳友の会等へ案内)


【居住地域(回答数の多い順)】
 関東、近畿、中部、四国、北海道、九州、中国、東北、無回答


【年代(回答数の多い順)】
 60代、50代、40代、70代、30代、10代、20代、無回答


【コミュニケーション手段(多い順)】
 1.文字情報
 2.その他複合:口話、人工内耳、磁気ループ、補聴器等
 3.日本語対応手話
 4.日本手話
 〃4.無回答


【演劇への興味】
 「好き」以外の理由は、
 ・音声が聞きとれない
 ・何を言っているのかわからないので退屈
 ・機会がないのではなく、
  行っても聴こえないと面白くないと思うから行かない。


【字幕機への興味】
 「お芝居の台詞が表示される字幕機を貸し出すサービスがあるとしたら、
  どう思いますか?」の問に対して、
 ほとんどの人が
 「ぜひ観劇したい、使ってみたい、観劇してみたい、機会が増えると思う」
 と回答。


【フリーコメント(抜粋)】

・難聴になる前は演劇が好きでよく出向いてましたが
 難聴で演者の声が聞き取れにくくなり大好きだった芝居を断念。
 お芝居は老若男女が楽しめますが、
 これらの人たちが高齢化することを考えると
 生の舞台に字幕をつけることは必要不可欠と思われます。
 観劇に出向くのは女性が男性よりも多いでしょう。
 そうすると女性トイレを男性トイレより多く設置しようと思うはず。
 それと同じで、客層の半数以上が40代以上となるなら、
 字幕つきは聴覚障害者以外にも利用の幅は広がります。
 是非検討してほしいです。

・お芝居も、まったくわからないので、あきらめていましたが、
 字幕サービスが始まったら、ぜひ楽しみたいです。
 今まであきらめていたので、こういった取り組みは
 とてもうれしく思います。実現しますように。

・舞台鑑賞を字幕機で体験済み。
 舞台を見たり手元の機械を見たり結構大変だが、聞こえないよりはいい。

・字幕機を使って観劇。わかりやすく楽しく、笑うこともできました。

・観て愉しいと言うことと、台詞がわかって愉しいと言うことの
 大きな差を埋めるのが字幕サービスだと思っています。
 技術的にとても無理というのなら諦めも付くが、
 できるのにしないというのは、
 聴覚障害者は芝居等は楽しまないでくれと言うことになります。

・中学生と小学生の聞こえにくい子どもを持つ母親です。
 学校から定期的に演劇鑑賞会などのお知らせをもらいますが、
 内容は良さそうだと思っても今まで申し込んだことはありません。
 子どもたちは字幕がないと劇の内容がわからないからです。
 歌舞伎などは特に初心者では「漢字」が見えることで
 内容が理解できることも多いと思います。
 また聞こえる人であっても字幕の補助が必要な方もいるかと思います。
 子どもたちの将来のためにも
 ぜひとも字幕機の普及を推進していただけたらありがたいです。


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by bunbun6610 | 2012-02-28 01:03 | 情報保障・通訳

障害者から「おかしい」という声が出ない理由

『聴覚障害者が障害者雇用助成金の使途について、事業所に不満を言わない理由』

この理由はいろいろあるかもしれませんが、
とにかく、まず分かっていることは、
情報が入りにくいろう者でも、

「企業が助成金目当てで重度聴覚障害者を雇用する」

ことは、皆知っているという事実です。

〔重度聴覚障害者(身体障害者2級認定)とは〕
 →http://home.s00.itscom.net/large/ELEC/hear/index.html


(財)全日本ろうあ連盟の刊行物にも、次のような記述が見られます。

「身体障害者の雇用についての法律は1960年、
身体障害者雇用促進法の制定があります。
しかし、積極的に障害者を雇用する企業もあれば、
義務ではないので我関せずという企業もありました。

そこで1976年には納付金を納めることになったのです。

この為、多くの企業が特に新しく設備を作る必要のない
聴覚障害者を積極的に雇用し始めます。」

(厚生労働省手話奉仕員養成講座『手話教室 入門』
財団法人 全日本ろうあ連盟出版局/2003年7月25日 第11版発行)



ろう者も、

「どこの会社もみんなやっているから、しようがない」

と言う。
あるろう者は、

「助成金がないと自分たちは雇用してもらえないから、しようがなし、
おかしいと言える立場にない。
むしろ、この制度のお陰で自分たちは雇用してもらっているのだから、
ありがたい」

と言うのです。
ろう者でさえ、半ば

「このように差別されているろう者が、
助成金目的に利用されるのは、しようがない」

とでも認めてしまったような発言ではないですか。

(この原因は、使用者(事業主)と労働者との力関係で、
具体的には有期契約(短期労働契約しか結べない)が原因です。
この契約が障害者側の不満を抑えているのだと思われます。)


しかし、別の障害者も、就職困難な障害者がこのように
思っているフシが見られます。(下の〔参考〕を参照)

だけどこれは、よく考えると、おかしいでしょう。
助成金の本来の目的は「障害者雇用を促進するため」ですが、
それはなぜかというと

「これから雇用する、または雇用した障害者の
職場環境整備のために遣われる目的で、支給している」
           (つまり「合理的配慮」のことになります)
                          (ハローワーク)

わけです。
現状は、それに沿った遣い方はされていません。

それならばろう者は、手話通訳を求める権利が当然あるのに、
そうは言いません。
なぜなら、雇用してもらうことが優先だからです。

もしろう者雇用のメリットである助成金が、
本当に手話通訳費に変わってしまうならば、
どこの事業所も、ろう者を雇わなくなるでしょう。

〔参考〕
 →当ブログ『身体障害者への就労支援のあり方から』
(2012-02-27 21:44)参照。

>「現行の雇用納付金を原資とする支給金制度は我々といたしましては、
合理的配慮の具体化ではないかと思っております。



→・障害者にメリット(これは企業への支給金制度、という意味では?)
   はないのに、なぜこう考えるのだろうか?

  ・雇用してもらうことが優先だからなのだろうか?
 
  ・合理的配慮は、誰のためにするのだというのだろうか?



>「雇用の場を提供する使用者といたしましては、やはり民間企業の
場合であれば、経営権というものがあり、株主への責務もあります。
…ある面においては、事業主の利益というものも考えないといけない
のだろうと思います。


助成金への疑問については、
当ブログのカテゴリー『障害者の経済学』にある記事を参照されると、
よくわかると思います。

『障害者雇用助成金は、雇用する企業へのご褒美?』
〔2011-08-20 23:54〕



『障害者雇用助成金の問題点』
〔2012-02-01 19:47〕

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by bunbun6610 | 2012-02-27 22:29 | 就労後の聴覚障害者問題B

身体障害者への就労支援のあり方から

当ブログ
『精神障害者への就労支援のあり方から』(2012-02-13 22:05)

『第4回労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会議事録』
(平成20年8月7日)
議題; 障害者関係団体からのヒアリング
より。

に続く、身体障害者側の意見です。

これも
社会福祉法人日本身体障害者団体連合会 常務理事 森祐司氏の
お話は非常に長いので、一部抜粋させていただきました。

これまで通りに、私の思ったことも後に加筆しました。


○森委員
>「現行の雇用納付金を原資とする支給金制度は我々といたしましては、
合理的配慮の具体化ではないかと思っております。



 →支給金制度と合理的配慮を混同するかのような表現に思われますが、
合理的配慮は企業への支給金としてあるのでしょうか?
それとも、企業が合理的配慮をしやすくするため、その援助金としての
支給金制度なのでしょうか?

この点をもっとハッキリとすべきだと思います。



>「障害者権利条約の国内法整備に関しましては、障害者雇用促進法に
おいて現に実現されているものでありますが、合理的配慮の内容は
いろいろとその障害によって違うわけでありますし、また、
その時期によって多様化、変化してくると思いますので、そうした場合、
状況に即応した助成措置に改正し合理的配慮を実効のあるものにして
いくことで対応していくことがよいのではないか




 →「合理的配慮を実効のあるものにしていく」
ということは、現状はまだそれが不十分だと認めてよい、
ということになると思います。
こうなると、今の助成金のあり方にも当然、疑問が出てきます。

ハローワークの障害者対象求人票には「求人条件特記事項」
という欄があります。
そこによく<施設設備状況>というのが明記されています。

例えば、下のようにです。

「エレベーター:有     建物入口段差:無
 トイレ:洋式        建物内車椅子移動:不可」


私はこの意味については詳しくないのですが、
それでも「車椅子障害者には就労は難しい」と、
見てわかります。


ここを見ただけで、車椅子障害者は応募を諦める
のだろうと思います。
このバリアを失くしていくために、助成金があるのだと
考えるのが、普通ではないでしょうか。

ところが、ほとんどの企業の考え方はそうではないのです。
「障害者を雇ってやった、ご褒美だ」と思っているのです。

今の助成金制度に、合理的配慮への実効性は、
ほとんどありません。

差別的な文言を禁止するだけでは、差別は撤廃されません。
実効性のある障害者施策に変えていかなければならないのです。
それには助成金の使途を考えることも重要です。



>「雇用の場を提供する使用者といたしましては、やはり民間企業の
場合であれば、経営権というものがあり、株主への責務もあります。
…ある面においては、事業主の利益というものも考えないといけない
のだろうと思います。
また、反面、障害者が雇用されるために必要とする適切なる措置という
のは、やはり合理的配慮として掴まなければいけない。
従いまして、合理的配慮は、やはり使用者のまずは義務ではないだろうか
と思っております。



 →最終的には

「雇用する、またはしている障害者への合理的配慮は、
使用者の義務ではないか」

としています。
でないと、日本の障害者のほうが国連・障害者権利条約に
反してしまう、と思います。



>「合理的配慮の拒否そのものが差別として違法になるのか。
その拒否によって差別が生じ、その結果によって違法と捉えるのかという
ことでございます。
合理的配慮は、当該配慮を怠ることにより、結果として差別状態が生じる
と考えるべきではないだろうか。
拒否そのものは不作為である。従って、差別そのものと言わないのではない
だろうか。
あくまでも結果として差別状態をつくりだしたことに違法という意味ではない
だろうか




 →例えば私も当ブログで

「無知、無関心、無視による間接差別」

と言っていますが、これはすでに間接差別の状態がある、
と思っています。

そして、これに気がついても、あるいは障害者から指摘されてもなお、
そのまま放置することは、間接差別の状態が続いている、
ということだと思います。

このあたりの考え方が、森委員と私とでは、
少し違うのか、どうかよくわかりませんが。



合理的配慮は、当該配慮を怠ることにより、
結果として差別状態が生じると考えるべきではないだろうか。
拒否そのものは不作為である。
従って、差別そのものと言わないのではないだろうか。
あくまでも結果として差別状態をつくりだしたことに違法(である)


上をわかりやすく言い換えると、

(1)「合理的配慮がない」ことを「差別状態が生じる」と言う。

(2)「合理的配慮の拒否」は「不作為」である。

※「不作為」→法律で、あえて積極的な行為をしないこと。⇔作為。

※「不作為犯」→不作為によって構成される犯罪。
 多衆不解散罪・不退去罪や母親が乳児に授乳しないで餓死させる行為など。→作為犯

(3)「差別状態をつくりだすのが違法である」
    →「合理的配慮をしないこと、拒否すること」


「不作為」が「違法」だと解釈してよいということでしょうか。
では、「不作為の理由は問わないのか?」という疑問には、
どういう回答があるのだろうか?

例1)会社がろう者に「会社として、手話通訳は必要ないと判断しています。
(筆談します。)ですから、手話通訳は準備しません。」と言ったら?
 これは不作為の理由になるのでしょうか?

筆談は「合理的配慮」あるいは「正当な拒否理由」になるのでしょうか?


例2)会社が難聴者に「会社として、要約筆記通訳は必要ないと判断しています。
(筆談します。)ですから、要約筆記通訳は準備しません。」と言ったら?
 これは不作為の理由になるのでしょうか?


人間の「する」ことというのは、「作為」ですよね。
逆に、あえてしないことは「不作為」だというわけです。

しかし健聴者は、聴覚障害者の差別的状況を見ていても、
ほったらかしにしておく場合もよくあります。
これは「不作為」に該当するということなのでしょうか。


もっと調べたら「作為体験」という言葉も出てきました。
それは、こういう意味です。

●さくい‐たいけん【作為体験】
自分の考えや行動が、他人に操られていると感ずる体験。
統合失調症に特有の症状。させられ体験。

この体験は、聴覚障害者にもあります。
「しょうがない」と思わされる体験とかが、山ほどあります。

「自分の意志じゃないが、自分一人だけなのでしょうがない、
自分がガマンすれば解決する問題だから」

と思ってしまう心理のことです。
それが「作為体験」ではないでしょうか。


結局「差別とは、何か?」が、よくわからない人も
いるかもしれませんが、
行為として行う直接差別(いじめなど)に対し、
間接差別は「あえてしない」という性質の違いがあるが、
これも差別だということです。



>「違法の修復につきましては、障害者の職場定着推進チームというのがある
ようでございますが、それの権限等を強めて、合理的配慮に要する費用面の
問題についてはよく使用者と、また、障害者さらにとの第三者構成等を含めた
組織で、対処していくのがよろしいんではないか



 →「障害者の職場定着推進チーム」って、どこなのでしょうね?
人事部内の障害者担当者がリーダーなのでしょうか?
それとも、労働組合が取り組んでくれるとでも?
私の体験では、企業内の人に相談しても、無理だと思います。


>「差別禁止の対象となる障害の範囲でございますが、現行の障害者等級は医
学的ないしは機能的な観点から作成されております。




 →これは、全難聴が聴覚障害における認定基準に疑問を持っている
のと同様だと思います。
他の障害者から見ても、国の障害者認定基準に疑問を持っている
ということなのだと思います。
下の発言においても、医学モデルから社会モデルへの転換が議論
されているのだと思います。



>「我が国においては身体障害者福祉法の別表に拠っておりまして、
職場における職業能力に配慮した障害等級ではないのではないだろうか。
従って、そういう職業能力に応じた障害等級を創設する必要があるのでは
ないだろうか。








>「差別があるかないかの判断基準でございますが、裏返せば合理的配慮の
基準というのがあろうかと思っています。
やはり、それについては、企業の規模だとか、あるいは業種、あるいは従業員数
だとか、環境の特性だとか、障害者や企業の所属している地域の文化や慣習なども
参考にして判断すべきではないだろうか




 →合理的配慮の基準の問題とは、当ブログでも下の記事がありました。

 →『合理的配慮の実施が「可能な限り」では…』
   (2011-10-24 20:30)

森委員の上の話は、障害者への合理的配慮の質的確保についてではなく、
妥協案的な発言だと思います。(これは、言い過ぎかも?)



>「紛争のいわゆる処理委員会みたいなものがつくられるのではないかと
思っております。
また、つくらなければいけないのだろうと思います。
その時に、いわゆる国あるいは行政から独立した機関、第三者機関として
つくっていく必要があるのではないかと思っております。



 →合理的配慮に妥協案が入れば、それだけ紛争が増えるおそれも出てきます。
紛争解決の委員会を置くだけでなく、どうやって解決していくのかが、
非常に難しいところだと思います。


>「現在の雇用納付金は障害者を雇用する雇用事業に還元し、
利用に供することに基本的にはなっておりますが、もう少し
障害者雇用納付金の使途を広くして障害者就労移行支援等関係事業
に使える方法はないだろうかなという気がしております。



 →また説明するまでもありませんが、助成金制度への疑問点です。
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by bunbun6610 | 2012-02-27 21:44 | 就労後の聴覚障害者問題B

九州産苺が旬

今、九州産の苺が旬です。

八百屋さんの店頭で、熊本産のナントカと、
福岡産「あまおう」と長崎産「さちのか」を
見かけました。

「あまおう」と「さちのか」を買って、
食べ比べしてみました。

どちらも粒の大きさ、味ともにすごいが、
個人的には「さちのか」が、
苺らしい味だと思いました。

でも「あまおう」の食感は、
まるで桃みたいなジューシーさで、
これもびっくりしましたね。
クリスマス・ケーキ用の苺とは全然違いますね。

この苺はもう、食べ物というよりスィーツですかね。

原発事故前の東京では、九州産がなくなる頃には
福島産が出ていたのですが、今年も東北の苺は
供給量が少ないでしょうか。

苺が食べられる時期も、自然と短くなるんだよなぁ。


【追記】
買ってから2日後まで、食べずに苺を部屋に放置しておいたら、
さらに紅くなりました。

それで食べてみたら、両方とも糖度が上がり、味はもう抜群でした。

こうなると、食感が日本人に合う「あまおう」のほうが高評価に
なるのでは、と思いました。

福岡・八女産「あまおう」
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長崎・島原雲仙産「さちのか」
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by bunbun6610 | 2012-02-27 21:29 | sweet