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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

<   2012年 01月 ( 22 )   > この月の画像一覧

ヘルマン・ヘッセ著『デミアン』を読んだ知人は、
次のように感想を話しました。

「人間は、神でも悪魔でもないし、
そのどちらにもなれない。
両方を併せ持つ、矛盾にも満ちた存在なのだ。
だから、人間に必要なのは調和なのだ」

それでは、調和とは一体、何だろうか。
長いこと、その答は全くわかりませんでした。

でも何となく、それは「愛」のことかもしれない、
と思うようになってきました。

マックス・ピカート著『われわれ自身のなかのヒトラー』
を読んだことがあるのですが、個人の感想としては、
誰にでもヒトラーになる可能性は持っている、
人間とはそういう存在だ、というふうに感じました。

そういえば、昨年後半にテレビで観た『悪人』
放送されましたが、あれも、
人間とは誰にでも悪人と呼ばれるようになる
可能性を持つ存在なのだ、というふうに、
私は感じました。

悪いのは決して、彼だけではない。
しかし、何かの原因で、彼だけが悪人とされてしまう。
人間社会にはそういうアリ地獄というか、
ブラックホールというか、
ささやかな個人の存在を突然消し去ろうとする
何かが、あるような気がしました。
障害者差別だって、そうだろう。

人間(あるいは人間社会)には、そういう恐ろしい力
もあるのだ、と気づくと同時に、一人ひとりは本当に
弱い存在なんだ、というふうに考えさせられました。

そこで、人間には助け合う(つながり〔絆〕を持つ)
ことが大切だということにも気づきます。

しかし、誰でもそれができるのではないようです。
丁度、磁石にはN極とS極があり、N同士、S同士
では引き合わないように、です。

ピア・カウンセリングが、健常者のカウンセリングと
違う理由も、そこにあります。
カウンセリングのルールは同じかもしれませんが、
必ずピア(※)でなければなりません。


(※)

   →http://www.j-il.jp/about/pc.html

   →http://www.fukuchi-clinic.com/ga/be/2006/be013.htm



「障害者同士であれば、その条件は満たす」

ということになっています。

しかし、私はこれに疑問を持っています。
基本的には確かに、異なる障害を持つ人同士の
カウンセリングも、私も賛成なのですが、
体験者として疑問もなかったわけではありません
でした。

理由は、当ブログのカテゴリー『聴覚障害』でも
述べてきているように、聴覚障害は他の障害とは
かなり異なり、特有の障害なので、他の障害者に
自分の苦しいことなどを話しても、すぐに理解
できるわけではありません。

聴覚障害者同士でも、難聴者と中途失聴者や、
難聴者とろう者とでは、人生体験、心理、物事の
考え方など、だいぶ違う場合が少なくありません。

それでいきなり、お互いに話し合うことから始めても、
なかなか気持ちが通じていないな、と思うのが
正直な感想でした。

カウンセリングにはよく「傾聴」が大切だと
いわれますが、それができやすいのはやっぱり、
同じ障害を経験している人同士ではないかな、
と思ったのです。
(決して「できやすい」というだけで決めつけている
わけではありません)

カウンセリングは、それが目的ではないと思うの
ですけれども、傾聴してくれると、やっぱり心が
落ち着くものです。

逆に

「この人は聴いていないな、わからないようだな」

と思うと、話の途中でも止めたくなるものです。

それでも時間をかけてやれば、
通じるようにはなるかもしれませんが、
カウンセリングの場合は、やはり時間が限られて
います。

カウンセリングには、まずお互いに普段ガマンして、
心の中に溜め込んでいること、
実は本心から言いたいことを他者に言い、
開放することから始めなくてはなりません。
だから「話しても理解してくれないだろう」と
思わせないことも大切ではないか、と思います。

よく、聴覚障害者は
「健聴者にはわからないから、話してもムダ」
と言いますが、だからこそ、ピアでなければ成功
しない、という理由にもなっています。

それは、難聴者が「ろう者にはわからない」と
言うことでも同じではないか、と思います。
もちろん、その逆の場合も、です。

ろう者と難聴者のカウンセリングがダメとは
言いきれませんが、最初から、あるいは限られた
時間では、うまくいかないのではないだろうか、
と思います。

ろう者と難聴者が理解し合うには、
最初は段階設定も必要なのではないか、
と思います。

そんなわけで、ピア・カウンセリングにしても、
自分の話すことを理解してもらえる相手を探す
ことは、かなり困難だといえると思います。

そこで、私が注目したのがブログでした。
ブログなら、少なくとも
「自分のこんな気持ちを理解できる同障者が、
一人ぐらいは読んでいるかも」
と思い込んで書くことができます。

自分は匿名だし、だから本音で、本当のことを
書ける。
つまりこれが、ピア・カウンセリングと同じ、
心の開放までは得られるだろう、と考えた
わけです。

これが、単なるストレス発散のためのブログ
で終わってしまわないようにするには、
どうすればよいか――それも考えながら
書いているつもりです。

カウンセリングの場合、話すほうは、
自分に与えられた時間を使って相手に
言いたいことを伝えます。
そして、後で何か一言、聞いた人から感想を
もらいます。

感想は大体「良かった点を一つだけ言う」
というような進行役のアドバイスに従って
発言することが多いようです。
批判、中傷などは禁止です。

これは多分、これを言ってしまったら、
相手は二度と正直に話さなくなる
(=心の開放ができなくなる)からかも
しれません。

このブログでコメント欄を開設しない理由も、
論争ではなく、聴覚障害者の声に対する
傾聴を重視してもらいたいから、
なのです。

ここは、そういうブログにしたい、と思いました。
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by bunbun6610 | 2012-01-17 19:11 | はじめての方へ

水鏡天満宮(福岡県)

昨年2月に福岡旅行に行ったとき、撮影した写真です。

いよいよ合格祈願シーズンです。

建ち並ぶオフィスビルの近隣にひっそりと建つ水鏡天満宮は、
天神様こと学問の神様・菅原道真を祀っています。

 →http://yokanavi.com/jp/landmark/index/178

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by bunbun6610 | 2012-01-16 21:53 | 観光(九州)
『みんなでつくる手話言語法』(一般財団法人全日本ろうあ連盟

 →http://www.jfd.or.jp/2011/10/22/pid7175

 →http://www.jfd.or.jp/2011/08/05/pid6302

 →http://www.jfd.or.jp/2011/12/27/pid7106

この冊子の4~5ページには、
手話を実質的に言語として認めることになる、
『手話の5つの権利』を述べています。

3ページには、わかりやすいように日本語の場合を例にして、
権利の行使が保障されていることを説明している、
と言えそうです。

手話は、日本語と同じように使われている状況ではありません。
それが、その後のページに具体例が述べられています。

手話の現状とはどんなふうなのか、
これも私の体験を幾つか述べてみることにします。

手話禁止時代(冊子の20ページを参照)が終わった今は、
「手話を使っても構いませんよ」
という時代に変わりました。
しかし、その権利は保障されたものにはなっていません。

例えば、ろう学校では手話が使われていても、
卒業して社会に入ると、
実質的には手話が使えなくなります。

ろう者の例ではありませんが考えさせられる、
こんな例があります。

ある難聴者が手話講習会に熱心に通っていました。
しかし、家族に

「手話なんて社会では何の役にも立たないのよ。
やめなさい」

と言われました。
その難聴者は、やっぱり家族関係を優先せざるをえないわけで、
手話をやめてしまいました。
これでは、手話を学ぶ人の人口だって増えないわけですし、
こうした考え方は、ろう・難聴児を持つ親にもいます。

「聴覚障害者協会に入ったら親に反対されたので、辞めた」

と言う、若いろう者もいます。

しかし、手話の獲得には、ろう者社会の存在は欠かせません。
本当は、ろう者だけではなく、難聴者や中途失聴者にとっても、
手話を覚えると、コミュニケーションが豊かになるだけでなく、
人間性も豊かになってゆきます。

ところが、その重要性を日本語にだけ認め、
手話には認めていないと実質的に言えるのが、
現状なのだと思います。

また、これも一見、ろう者と無関係に思われるかもしれませんが、

「難聴者や中途失聴者は、
筆談でコミュニケーションができるからいい」

と言われることが、しばしばあります。
でも、果たしてそうだろうか?
誰も相手にしてくれなかったら、
筆談コミュニケーションは成立しないのです。

手話もそれと同じことで、相手が手話を知らないだけでなく、
勉強しなかったり、知っていても常に後回しにされてしまう
可能性だってありえる、と思います。

当ブログでは、筆談、筆記と通訳との違いを
何回か述べてきました。
そこで述べていることと同様に、
人が自然に空気を吸うごとく、
コミュニケーションをする日本語音声言語や手話と、
筆談は大きな差があり、筆談では本当はそのような
コミュニケーションと同じとは言えず、
また情報としても乏しいものになりがちです。

問題はそれだけではありません。
これはすべての聴覚障害者に言えることで、
聴覚障害者が自分の権利として、
筆談か手話かを選べないことだけでなく、
(相手の健聴者が判断して選ぶのが普通)
したがって、その権利は完全ではない、
ということです。
これは手話でも筆談でも、同じだろうと思います。

選択権はあっても、すぐ健聴者にナンタラカンタラと
言い訳を言われて、その聴覚障害者への
最適対応方法となる手話や、筆談は後回しか、
なくなってしまうという悲しい現実が日常茶飯事です。

筆談で周りの人とコミュニケーションをとろうとしても、
その両側(隣り)と前にいる3人ぐらいが見れるのがやっとで、
そこにいる健聴者と放射状のコミュニケーションは
生まれにくいものです。

手話も、分かる人としか通じません。
今のままでは、自然とろう者同士とか、
筆談で相手になってくれる者同士とかでしか、
話すことはできません。
会社の歓送別会とか、納会とか、
そこで誰かと話したいときでも、
そんな現状があります。

その意味では、音声言語は問題ないと言えます。
逆に、手話言語の社会では「手話ならば問題ない」
ということになりますが。

自分の立場を逆になってみて考えてみても、
相手のことがわかるはずです。

手話も、手話がわからない人とは通じない、
という問題があります。

これは、日本語を知らない人に
日本語の話が通じないのと同じことですが、
手話言語法は、すべての日本国民に
日本語と同様に手話を教えるべき、
と考えているのかどうかまでは、
わかりません。

手話がわからない人には関係がない、
というのならば、果たしてそれは本当に
「みんなでつくる」と言えるのかどうか?
という疑問も出てきます。

ですから、
そこで言っている「みんな」とは誰々のことをさしているのか、
きちんと説明が必要なのではないだろうか。

================================

〔参考〕
昨年の情報なのですが、
日本聴力障害者新聞
(2011年12月1日。一般財団法人全日本ろうあ連盟/発行。
以下「日聴紙」と略記)
には、ハンガリーろうあ協会会長のアダム・コーサ氏への
インタビュー内容が載っていました。

日本側の

「ハンガリーの手話言語法で、手話をどう定義しているのか?」

の質問に対し

「手話の問題は充分に議論し、

(1)ろう者手話

(2)対応手話(手指ハンガリー語)

(3)触手話

(4)手書き(盲ろう者のために手のひらに文字を書く)

 を手話と定義した」

と答えたという。



=================================



しかし、日本のろう者に「手話とは何か」と聞くと、
人により違いはありますが、最も多いのは

「視覚言語として成り立っている日本手話(ろう者の手話)だ」

という答えです。
これがろう者の伝統的手話、手話禁止時代から伝わる手話だからです。
したがって、難聴者、中途失聴者が使う日本語対応手話や、
障害者福祉で使われる手話通訳(「中間型手話」と呼ばれている)は、
ろう者の手話とは当然、区別されているのです。

けれども、全日本ろうあ連盟は、これら三種に大別される手話を、
すべて「手話」と認めてきました。
手話サークルでも、通訳者がそう教えています。

しかし、手話言語法の言う「手話」には「ろう者の」という
前置きがある点に注目して下さい。
これは一体、どういう意味なのだろうか。

もしかしたら「手話言語法」となると、
話は違ってくるのかもしれません。

手話についての考え方も、ろう者によって違いが見られます。
若いろう者には、指文字を使う人が増えていますが、
年齢が高くなるにつれて「指文字は手話ではない」と言う
ろう者もいます。

指文字自体は、アルファベット文字の姿形を
そのまま真似て表しているものとかが多いので、
視覚言語と言えるのかもしれないけど、
それを日本語と同じように組み立てると、
結局日本語と同じ使い方になります。

そのような指文字による表現よりも、
伝統的手話のCLを使うろう者が多く、
そういうことから「手話ではない」と否定されるわけです。
日本語を借りた手話なのか、日本語対応手話なのか、
どっちかになると考えられそうです。

こういうふうに「手話とは何か」ということを考えるのは、
それもそれで手話の勉強になると思います。

しかし、言語として使うとき、そんなことまで
いちいち考えて使うものなのでしょうか。

その「言語」の意味からして、
皆が普遍的に使っている意味での「言語」と、
手話言語法の言う「言語」の意味は、
違うのかもしれません。
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by bunbun6610 | 2012-01-16 21:46 | 手話言語法
『みんなでつくる手話言語法』(財団法人全日本ろうあ連盟)

 →http://www.jfd.or.jp/2011/10/22/pid7175

 →http://www.jfd.or.jp/2011/08/05/pid6302

 →http://www.jfd.or.jp/2011/12/27/pid7106

この冊子の著者は、(財)全日本ろうあ連盟です。
この冊子の内容をよく理解するためには、
その中で使われている耳慣れない言葉も、
正しく理解する必要があります。

健聴者の常識的な考え方と、
ろう者の場合とでは異なる点があるからです。

例えば「ろう者」とは、何か?
どんな人たちのことを指しているのか、
などです。

というのも、ろう者社会における「ろう者(Deaf)」と
「聴覚障害者(deaf)」は意味が明らかに
異なっているからです。

ろう社会では「聾(ろう)」は必ずしも
「医学的ろう」や「両耳全ろう」の人を
指しているわけではないからです。

ろう者社会では、日本手話(ろう者の手話〔※〕)
がわからない聴覚障害者を「ろう者(Deaf)」
とは認めていません。
例え、その聴覚障害者が「医学的ろう」であっても、です。

〔※〕ここでは、日本手話とは、当ブログ
『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』(2011-04-12 21:29)
で説明した意味ではなく、ろう者社会が認めている
「ろう者の手話」(伝統的手話)とします。


このように医学とろう社会での実情が異なっているゆえに、
まず、この冊子のなかで言っている「ろう者」とは、
あるいは「手話」とは何なのかを、
知らなければ正しく理解できないのではないか、
と思います。

ところが、この冊子には、そのことの説明が書かれていません。
私は、これが疑問に思いました。

ですから、この冊子で、初めて「ろう者」とか「手話」という
言葉を目にする人が読んでも、
すぐに理解するのは難しいのではないか、
と思いました。

個人的に、私がこれらについて
最も理解しやすい本を知っています。
それが、次の書物です。

特に「ろう者」について述べている本
 →;『ろう文化案内』『「ろう文化」の内側から』(キャロル・パッデン,トム・ハンフリーズ/共著)

「聴覚障害者」について、特に難聴・中途失聴者についても述べている本
 →;『中途失聴者と難聴者の世界』(山口利勝/著)

これらの本は、参考になると思います。
ただ、『みんなでつくる手話言語法』で述べている
言葉の意味はどうとらえるべきなのかは、
私もわかりません。
もし意味がハッキリしなければ、
読んでも何ともいえない気がします。

手話については、当ブログの下記記事を読まれると、
実情がわかると思いますが。

 →『手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は?』(2011-04-12 21:29)

 →『手話について』(2011-06-13 00:06)

 →『誤解されている手話』(2011-06-18 21:25)

 →『手話のダイグロシア』(2011-06-21 00:16)

 →『「手話」と「手指日本語」』(2011-06-26 08:45)

など。

では、「ろう者」とは、どうなのでしょうか?

私の体験では、全日本ろうあ連盟の正会員だからといって、
その人が「ろう者」とは限らないようです。
健聴者は正会員にはなれませんが、
聴覚障害者(難聴者や中途失聴者、盲ろう者なども含む)は、
正会員にはなれます。

それと、健聴者は、よく聴覚障害者を「医学的ろう」か「難聴」かで、
その聴覚障害者を「ろう者」か「難聴者」、
あるいは「中途失聴者」に判別しているようです。

しかし、聴覚障害者の世界では、それはあまり関係がないようです。
聴力的には「ろう」だけれども、自分自身のことを「難聴」です、
と言う聴覚障害者もいます。

あるいは「難聴」だけれども、自分のことを「ろう」だ、
と言う聴覚障害者もいます。
私は正会員で、日本語もほぼ、流暢に話せるので、
手話通訳者からもよく「あなたはろう者? 難聴者?」と
聞かれることがあります。
私の手話は、ろう者には読み取れるのですが、
難聴者には読み取れない人もいます。

こういうことを聞かれること自体、
ろう者と難聴者は区別されているし、
それが日本語を話せる聴覚障害者は難聴者、
話さないで日本手話を使う聴覚障害者はろう者、
という固定概念があるのではないか、
と思います。

私自身、ろう者からは「難聴者」と言われ、
「日本語を話す聴覚障害者なら、難聴協会へ入った方がいい」
などと言われます。

今の若いろう者には、インテグレーション教育を受けたため、
日本語を話せるろう者も増えているのですが、
その人たちも、先輩ろう者から
「自分は『難聴者』と言われることがある」
のだという。
理由はハッキリとわかりませんが、
一つには、キャロル・パッデン教授の言うような
言語圏による区別があるのではないか、と思います。

それが誰にでもわかりやすいので、
そうしているだけのことかもしれません。

しかし、パッデン教授の説明は、
もっと深いところまで続いています。
それは、言語以上の文化的相違点での区別です。
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by bunbun6610 | 2012-01-16 21:27 | 手話言語法
財団法人 全日本ろうあ連盟から、

『みんなでつくる手話言語法』(財団法人全日本ろうあ連盟)

 →http://www.jfd.or.jp/2011/10/22/pid7175

 →http://www.jfd.or.jp/2011/08/05/pid6302

 →http://www.jfd.or.jp/2011/12/27/pid7106

という冊子が出版されています。

昨年9月に、ようやく「(仮称)情報・コミュニケーション法」を
求める116万筆の署名が、国へ提出されたばかりです。

その後に、手話を日本語と同等に言語として
実質的にも認めてもらうために、
手話言語法も求めることになったのかな、
と理解していますが。

具体的には、手話言語法とは一体何なのか、
健聴者はまだ誰も知らないだろうし、
身近なろう者に聞いても、知らない人ばかりです。

私はこの冊子を読んでみましたが、
ろう者の権利を護る法律の必要性は理解できます。

ただ、何度読んでみてもわからない点、
疑問点も幾つかあります。

健聴者や他の聴覚障害者(ろう者でない聴覚障害者)に、
この冊子の内容を全て理解し、
納得してもらうことは、
まだ非常に難しいのではないだろうか、
と思います。

ろう者は、自分たちの言語文化である手話を、
社会的に認めてもらいたいわけなのだが、
例えば

「『ろう者』とは何?」

「『手話』とは何?」

ということもきちんと理解されていないと、
問題が起こることは避けられない、
と思います。

しかし、だからといって

「この法案は、まだムリだ」

でも困ると思います。


個人的な視点で述べると、これは今の社会に対する、
ろう者側からの問題提起とも、とらえることができます。

そして、今までの“ろう者に対する間接差別解消”
の道筋にもなると思います。

その辺が目標ではないだろうけれども、
まずそこから始まってゆくのではないか、
と思っています。

この冊子を読んだ限りでは、「手話言語法」の場合、
「情報・コミュニケーション法」との違いは大きいです。

まず、この冊子の著者は、
(財)全日本ろうあ連盟ただ一つです。

その他の聴覚障害者団体にも、
手話を使う聴覚障害者はいますが、
一切関わっていないようです。

それでなぜ「みんなでつくる」なのでしょうか?
その「みんなで」とは、どういう意味なのか、
どうもよくわかりません。

というのも、必要とする対象者は、
この冊子の32、33ページの記述にもあるように、
聴覚障害者のなかでも、
「ろう者」のための法律だとしている点です。


「『情報・コミュニケーション法とは何が違うのですか?』
情報・コミュニケーション法の対象者は、
ろう者、難聴者、中途失聴者、盲ろう者などの聴覚障害者のほか、
視覚障害者、知的障害者、発達障害者など、
情報とコミュニケーションの支援が必要な
すべての障害者となる予定です。

法律の内容は、情報へのアクセスやコミュニケーション手段の
選択と保障が中心となります。
コミュニケーション手段は、手話のほか、文字、触覚による
意志伝達などが含まれます。

それに対して、手話言語法の主たる対象はろう者です。
ろう者がろう者の手話である言語を獲得し、
使用する権利のひとつとして、情報へのアクセスおよび
コミュニケーション手段の選択が位置づけられます。」



「手話言語法制定の取り組みはそれらの前提となる
ろう者の手話に焦点を当てています。
ろう者の立場から手話言語法制定を進め、
手話の法的な位置づけをしっかりとしたものに
することによって、他の法律もろう者の意志を
正しく反映するように導いていくことができます。」



当然に、ろう者の手話というのなら、
ろう者の使う「日本手話(JSL)」
を指している(おそらくですが、確実なことは不明です)
と思われます。(※)

(※)参考1;『<手話とはなにか> 日本手話(以下単に手話)は
日本のろう者の言葉です。
それは、「ろう者だけの言葉」というより
「ろう者の使っている言葉」という意味です。
…言葉は同時に言語を意味しますが、
手話は未だ法律的に「言語」と認知されている
わけではありません。
そのことはろう者にとって社会的不利な条件の
一つとなっています。』
(『手話教室 入門』〔厚生労働省推薦、
(財)全日本ろうあ連盟2003年7月25日第11版発行〕)



こちらは「ろう者」、それぞれの人(他の聴覚障害者や健聴者)が使う
「それぞれの手話」を明確に区別して、考えている例です。
(※)参考2;http://www2s.biglobe.ne.jp/~kem/library/syuwatowa.htm


こちらは「ろう者」ではなく「聴覚障害者」と記している例です。
(※)参考3;http://www.symphony.co.jp/fukusi/shuwa/hazime.html
       http://www.jintsuken.com/600/2010.06.pdf

このような例は、インターネットで

「手話は聴覚障害者の大切な」

などで検索すると、幾つかでてきます。

あちこちから聞いているうちにだんだん、
何が何だかわからなくなってきますよね。

しかし、用語の本来の意味から考えれば、

「聴覚障害者(deaf)=ろう者(Deaf)」

ではありません。

また、

「手話には、
 ①日本手話(主にろう者使用)
 ②日本語対応手話(主に難聴者使用)
 ③中間型手話(主に手話通訳)
の3つがある」

で、現実に全員一致しているわけではないようです。

聴覚障害者(deaf)には、
手話が全く分からない聴覚障害者(deaf)も含むし、
手話が分かる聴覚障害者(deaf)でも、
それは日本語対応手話しか分からない聴覚障害者(deaf)
もいるし、とにかくいろいろな人がいる
(文化・言語学的に言えばDeafとdeafの人がいる)
のです。

最近は生まれつきのろう(deaf)でも、
手話を知らない聴覚障害者(deaf)がいます。

ちなみに、英語表記の「Deaf」が、日本手話を使う、
ネイティブサイナーのろう者(Deaf)をさしています。

では、ろう者の言語(日本手話)でない他の手話は手話ではないのか、
というと、それは答え方が難しい。
『基礎から学ぶ 手話学』(神田和幸/編著)を読まれてみても良いと思います。
 →http://www.amazon.co.jp/%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B6%E6%89%8B%E8%A9%B1%E5%AD%A6-%E7%A5%9E%E7%94%B0-%E5%92%8C%E5%B9%B8/dp/4571121067


私は健聴者や難聴者、中途失聴者とも
よく話すのですが、やはり「ろう者」とか「聴覚障害者」とか、
「手話」とかいう言葉の意味のとらえ方が、
ろう者側の主張と健聴者、他の聴覚障害者とでは違っているな、
と思いますし、そのズレを感じるわけです。

一年や二年の手話学習者には、まだ理解できないかもしれませんが、
たとえ長い人でも、ろう者(Deaf)、
その他の聴覚障害者(deaf)とも関わらない人は、
実情を理解できていない健聴者が多いように思います。

そんな経験から私は、

「手話ができること、上手いこと=(イコール)ろう者(Deaf)への理解、
ではないのだな」

と思っています。
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by bunbun6610 | 2012-01-16 21:06 | 手話言語法
当ブログ

『ディスレクシアと感音性難聴障害の共通点』
〔2012-01-09 21:21〕


では、感音性難聴障害を、視覚の障害に例えて
説明する方法を示してみました。
そのとき、パソコンソフトの一つである
音声認識ソフトでやってみても、
同じような障害状況が確認できることを述べました。

健聴者は、このソフトを使って、
感音性難聴とはどういうものなのかを、
この例えによって疑似体験できると思います。

その具体例について述べます。

下の文章が、実は『ドラゴンスピーチ7 Partner』
という音声認識ソフトを使って、
人間の話し声を日本語として認識し、
文字変換したものなのです。

あなたも今は、自分も難聴者だと思って、
この変換文字を読み続けてみて下さい。


【テスト結果1】

「国々の方との生物の計画案のそので、レポート骨格防災に、卵やお弁当同意書の最初に移動。文書の最初に、移動を文書の初めに移動量の初めに量の量の用の授業の票の行方の二人で、従来の安全で、子供の数はニヒリズム赤坂痺れるほどのかど。ガイドは型同士余地が、目による。富士山やじっくりと二ののですが、目にいい。ゆっくり用ぐりと、用ぐりっと届出ながら、ゆっくりと、書面で、書面でやってください。朝、24に行くだろう。笑い、御銀行ををををそうよる。そのうえで、■グループ■部、経理部、■、中島中島減は逃げてください。磨き部長、■磨き部長、護衛官、■さん03。■さん、■さんは簡単に、人と話をする時につぶやいたに言葉を短縮してもいい解体に通じるものです。たとえばお友達がヒゲ腹へったよと言ったとしても広く現れたりと理解してくれます。会話ではときどき言葉を省略しても問題はありません。人には省略された言葉を推察する能力があるからです。しかしコンピューターにはその能力がありません。-提唱する時にその言葉を省略するとDragonSpeechのその言葉を省略します。は、だが、契約などに言葉」


【テスト結果2】

「七五-五-シリーズでは、多くの場合、乗用の言い、キーボード上の文字をキーボード上の文字キーと、政治キーの機能はのよりずっとは、数字に、整理数字キーは、海部入力タイプ入力が、できます。カーラーの皿に、さらにキーボード上の信用を犯すことも、不振持っている。。キーを押すことも等される、できます。もうじきいい。政治キー政府は、コントロールをころっとほとんどの通用企業こなすことができます。万歩・意外に多い■さんです■さんや学年から野党はこれまで、やり直しはこ金融ーんせいされてゲストからは、ゲスト同意で、多くを選択しま例えば、四分の河川のデータテキストを修正するますますご種の練習、コンピューター7日、はっきりした。声で、リース九?する習慣がつきます。次のように言います。生成はっきりから、陸?する。声九修正人から、ダウボコボコがくがくから1020人が文書入力され、格好はすぐすうすう前の一人戻ります。帽子がらのそばでのテキストを選択するには、」


【テスト結果3】

「よる神戸、子供にグループを根気よく調節に継承する部分部分を西独@UK高校にもあげられようので読みな考えがあります。レコーダーの内蔵マイクは、コンピューター江東区で計算するときに必要処分レコーダーの内蔵マイクを使用する場合。口から一定の距離を保つようにします。マイクがこちらはさらに約二.5センチから5センチの位置に動けます。レコーダー連続の説明書を再生するか。いくつかの配置を試すと最適の位置を見つけてください。レコーダーの背にかかわらず、明瞭に話すように努めることだ。牡鹿の精度が向上します。人ではなく、ドラゴンスピーチ長野文字化のために話しているのだということを忘れないでください。は木下*と発音することを心掛けましょう。その偉い。せずに夜を目に開き、はっきりと発音する。レコーダーを使おうと自分でも気づかないうちに早く綺麗明瞭な発音になってしまいます。27精度を高くするスピーチ控えめを身に付ける。ニースに精度を高くつくページスタイルというものがあります。レコーダーを使うに、コンピューター直接で計算する練習を行い、精度の高いスピーチハーフタイムを自分で見つけてください。レコーダーの内蔵マイクと、うちの距離を一定に保つ。話しながら性軟膏を忘れ住まう高校には、大学からのコンスルOSに対応に変化し、」


【テスト結果4】

•「DragonSpeechは、ほとんどのWindowsアプリケーションで、キーボードから文字入力が可能な河川に、温泉で、入力することができるソフトウェアです。また、アプリケーションの起動や前の保存など、アプリケーション自体の操作も、わざわざ行うことができます。バブル経済自体の操作も音声と行うことができます。使い方は、このパッケージに同梱されている。変女性とマイクを接続し、それに向けて、話すだけです。電子メールネットサーフィンなど温泉で簡単に楽しく、文章入力ができます。認識率は最高で、99%キーボードからの入力に比べて、約三-銘柄の入力が可能です。約3倍での入力が可能です。かたや税の負担も禁煙されます。かたや嫌煙の禁煙も蓋も嫌煙されます。かたや」


•「話した言葉は、主義とも人話した言葉が、次々同文字に、同梱のマイクをパソコンにつないで、それによかったら話すだけで、午後に、画面にじりじりと文字が入力されていきます。いい間違えたが取り消した博士感染するだけで、間違えたことをかけていたことができます。これ経費修正された保護は、ドラゴン米中学習しま忍使えば使うほど。認識率が高揚してます。ものでの敗戦を抑えた。」


•「ハイパーリンクの濃い雲、音声が可能です。での入ってます。二年して胸の登録してもらうように相談しま、17システム変化が起きても音声でも鬼にバブル以外のあまりの人にはない人ををあんまり
もらう本場の〇メニューからオプションを選択します。あなたがものを選択します。バックアップのバージョンボタンをクリックします。フォルダの参照が英語ボックスが表示されます。バックアップの保存先の日経費億円をクリックしま、大人バックアップもとの場所銘柄へ前年最近変更を加えた場合、空港作成する前に、これらの変更を保存するかどうかを完成するメッセージが表示されます。ユーザーの当選した電子メールから、」



これでも、一応、読めますよね。
(聞こえますよね)

でも、意味がわかりましたか?
(話の内容がわかりましたか?)

感音性難聴障害だって、要するにこういうことなのです。


こんなことを話す人がいるはずがありませんが、
ドラゴンスピーチの認識力では、
ある人の話し声を、このように翻訳しました。


勿論、ドラゴンスピーチは、学習させれば
精度も向上するといわれています。
難聴者の耳も同じで、補聴器を調整し、
聴能訓練を積むことにより、
かなり向上することは確かです。
しかし、それでも人にもより、
おのおのの限界があります。

私の場合は、補聴器装用でも、
話の中で聞こえてきた言葉を利用して、
自分の論理的思考を働かせ、

「多分、こう言っているんじゃないだろうか」

と推測力を働かせ、相手に言って確認する場合があります。
これは、結構当たります。
双方向性コミュニケーションで試してみて、
すり合わせをするからです。

もし、補聴器が効果を上げる使用環境条件があるならば、
その精度は確実に上がります。
だから相手の健聴者は、私が聞こえているように思っています。

しかし、わからないことは、何とも言いようがないのです。
それでも、内容がわかったと勘違いしている、
鈍感な健聴者が大勢います。

話し声が聞こえることと、話の内容がわかることとは
違うのです。

さて、健聴者は上のドラゴンスピーチの認識文を読んでみて、
どう思いましたか?
最後まで読み続ける気力が続いたでしょうか?

内容が理解できましたか?

ずっと平常心で、あなたが普段、
自分の耳で人の話し声を聞いているのと同じように、
この文章を読み続けることができましたか?

読んでいる途中で、イライラしてこなかったでしょうか?
それとも、笑いたくなったでしょうか?

もし、他の人にはきちんと読める文章のプリントを渡されていたのに、
あなただけこのメチャクチャな文章のプリントを渡されて
「読んで下さい」と言われたら、どんな気持ちになりますか?

おかしいと思わないでしょうか?

ひどいことだと思わないでしょうか?

差別だと思わないでしょうか?

この場合、まさにこの不完全な能力を持つ音声認識ソフトこそ、
感音性難聴者の補聴器装用による、
聞こえの例えということになるでしょう。

もともと感音性難聴者は聴神経の部分部分が損傷しており、
その耳で補聴器の機械音を聞くので、
健聴者が聴こえている音とは違っているはずです。


→当ブログ

『感音性難聴障害を、健聴者や、ろう者にどう説明するか』
〔2011-07-23 00:10〕


参照。



補聴器は万能ではないし、補聴器では健聴者の耳と同じように
聞くことはできなのです。

健聴者の耳は、未だ人工の、他の何ものにも代えることはできない、
素晴らしい機能を持つ器官なのです。

それを失くした中途難聴者、中途失聴者は、目が覚めている間は常に、
それを失ったことで苦しんでいるわけです。
その苦しみを、恵まれた耳を持ち続けることができている健聴者に、
わかりはしません。

聴覚障害者が補聴器をしていると、健聴者は皆、
声でしゃべることを止めません。

そして健聴者は「何て言われたか言い返してみて」と言います。
それで何となくこう聞こえたよ、と話すと、
私は笑われることがよくあります。
いつも、それだけでした。
だから私は職場で、もう補聴器は使いたくなくなりました。
職場では、私は健聴者が大嫌いになりました。
彼らは、私の精神状態をメチャクチャにし、
それでもないがしろにした。

勿論、いままでの人生の分も含めて、
今は理解のない健聴者を皆、恨んでいます。
差別の結果は、そういうものなのです。
お互いに、いいことなどありはしません。

差別は、別の例で言えば、戦争と同じなのです。
昔からの日本人とか韓国人、中国人は、
戦争の記憶が消えません。
当たり前です。
やってしまったことは、取り返しがつかない。

原発でも福島の人は人生がダメになってしまって、
その恨みは消せるのでしょうか。
国は、代償を払わざるをえません。

だから中国や韓国では、日本への憎しみが消えないし、
反省する日本人だって

「戦争を二度としない」

ということを、
今も心に刻み直し続けているのだと思います。

昔からの高齢ろう者が、なぜ差別と、
健聴者や難聴者をそんなに恨むのか、
昔は理解できませんでした。

でも、私も当事者側になった今は、理解できます。
当事者でないとわからないことだってあるのです。
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by bunbun6610 | 2012-01-15 23:08 | 難聴・中途失聴
当ブログは、お陰さまで昨日、1歳の誕生日を迎えました。

ブログって、それを見て、読んでいただける方がいて
意味をなすとは思うのですけれど、
聴覚障害関係の話では特に、自分の言いたいことばかり、
一方的に書いています。

これを読んでくれる人は、多くはないと思っていたし、
それでいいと思っていました。

その理由は、このブログ・タイトルと、深い関係があります。
この名にした理由はいろいろあるのですが、
なぜ聴覚障害に関する記事では、こんなふうになるのか、
その理由があります。

それに関係する理由を2つ、2回に分けて述べようと思います。

これは、シンガー&ソングライター永井龍雲(ながい・りゅううん)
の歌う曲名から取っています。
彼は福岡出身で、長渕剛とほぼ同期のフォーク歌手です。
彼の3枚目のアルバム『暖寒(だんかん)』の中の最後に
収録されているのが『蒼穹 - そうきゅう -』という曲なのです。

 →http://www.youtube.com/watch?v=wgkPzKspVu0&feature=related

曲名の意味は、辞書を引くと「青空」ということになるのでしょうけれども、
どうもそんなイメージの歌ではありません。
楽曲は確かに、軽快なテンポなのですが、詩はとても暗いのです。

でもそれが、当時(30年前、この曲を初めて聴いたとき)の
自分の気持ちと同じように思えたし、
それは今も全く変わらないのです。

生まれつき難聴だったのに、難聴という障害のことを知らなかったので、
自分の悩みは龍雲と同じ劣等感が原因だと勘違いしていましたが、
共感していました。

その詩に出てくる鳥が、今思うと健聴者を象徴的に表しているとわかります。
私は、青空を自由に飛べる鳥たちに、無意識に憧れ続けていたと思います。

妖怪人間ベムが、人間を見続けて、人間になりたいと
思い続けていたのと同じように、です。
これは、同じ「聴覚障害者」と呼ばれる「ろう者」にはない心理だと思います。

そして、この心理と耳鳴りを紛らわせるために、今までに何万回と、
この曲を自分の頭の中で流し続けているのです。
それで、すっかりこの曲は、自分の心の友になっています。

それから、この歌の名をブログ・タイトルに選んだ理由のもう一つに、
青空というキャンバスに、自分が書きたいと思ったことを、
誰にも遠慮せずに、何でも書こうと思いました。

ピア・カウンセリングと同じように、自分は苦しいことも全て、
ここに正直に吐き出し、同じ障害を持つ人に読んでもらいたい、
と思って書いているからなのです。

長くなりましたので、次に書く(2)で、それを詳しく書こうと思います。



蒼穹 -そうきゅう-

          作詞・作曲:永井龍雲

気がついたときには いつも
手を差し出して ぼんやりそれを見てる
時が経つにつれて 僕の小さな手のひらが
汚れてゆく そんな気がする

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼(な)いているのか
里程標(りていひょう)の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて


いつからか何を見ても
僕の虚(うつ)ろな心は 誘われない
音もなく流れて 変わらぬ雲の白さに
生きてることが辛くてならない

青空にさまよう鳥よ 止まり木はもうどこにもない
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼いているのか
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

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by bunbun6610 | 2012-01-14 00:11 | はじめての方へ

障害者は哀れみの対象

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html

「障害は乗り越えなければならないという第二のポスターチャイルド=障害者観は、その後、他の人たちに勇気を与えるというイメージに発展していった。障害のない人はすぐ感動してしまうが、多くの障害者たちは抑圧としか受け止めないイメージだ。
もともと障害者全員が人々を勇気づけるためだけに生きているわけではない。
むしろ多くの障害者は、ごく普通の暮らしをしたいと願っている。だから、障害者権利運動にかかわる人たちにしてみれば、ヒーローやヒロイン、勇敢な障害者のイメージはそんなに必要ではない。このため一部の障害者は、この勇敢という自分たちに押し付けられたイメージを意図的にあざけ笑うため、自分たちに「スーパーちん馬」という仇名さえつけるようになった。
この「スーパーちん馬」は、ポスターチャイルドと表裏一体だ。両方とも、障害者は哀れみの対象という前提にもとづき、障害者は肉体的あるいは精神的な限界を乗り越えなければ尊敬を得ることはできないと、暗に訴えかける。だからよけい危険だと前述のシンディ・ジョーンズは言う。
…(中略)…
並外れた業績を持つ人々が賞賛すること自体、別に悪いことではない。その人が障害者であろうとなかろうと、私たちは賞賛の拍手をおくる。けれどもその人が障害者であることだけが強調されると、障害者の日常生活における問題が全く無視されてしまいがちだ。
多くの障害者は、リフト付きのバスを探すのにも、街なかに出るのにも大変な目に遭っている。また、障害者は働けないとか教育を受ける価値などないという偏見、人生を楽しむ資格なんてないという偏見に毎日ぶつかりながら生きている。
スーパースターよりも、実はこちらのほうがもっととりあげられるべきではないだろうか。





障害者の実情が社会に認知されていないと、
障害者をとりまく家族も、大変な目に遭っていると思います。
障害者をとりあげた映画でも、
愛情ばかりが強調されて描かれていたりするものですが、
実際はというと…。

24時間テレビを観て、果たして健常者は本当に、
障害者を理解したのでしょうか?
健常者はあんな時に、チャリティーのお金をあげることが、
障害者への真の理解だと思っているのでしょうか?
幾らあげたって、野良猫に気ままにエサをあげているのと、
そう変わりないです。

確かに、人も生きていくにはパンが必要です。
でも、人はパンだけで生きてゆくのではありません。
それだけでは障害者をますます、ダメにするだけなのです。
そういう構造をつくり、助長してゆくだけでは、
そういう力関係のなかで生きるしかない障害者は自立できません。

また、あれを観た若い障害者も、自分もスーパー障害者になることが、
立派なんだと思っていないでしょうか?
そう思っているのならば、自分のために考え方を変えたほうがいいと、
私は思います。

障害児を持つ親も、わが子に障害者版スパルタ教育をすることが、
子どもの将来のためだと思っていないでしょうか?

スーパー障害者であっても、そうでなくとも、あの行為は結局、
健常者からの一方的な「哀れみ」です。
それを彼らが一方的に「愛」という名で隠してやっているだけのこと。
障害者の人権を認めているのとは違う、と思います。

でも、健常者一人ひとりの善意でできる事は限られていること、
それも確かにわかります。
障害者側の主張や行動と、健常者側の理解とのバランスが崩れてしまっても、
困りものですから。
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by bunbun6610 | 2012-01-12 21:50 | 哀れみはいらない

手話の聞き方

ある時、手話講習会受講生から

「『あずける』という手話(単語はどうやって表すのか)
を教えて下さい」

という質問を受けました。
私は

「どういう時につかう『預ける』ですか?
日本語は文によって、意味が変わるので、
手話ではその意味に合わせて、表現も変わります」

と答えました。

どうやら、この受講生には日本語対応手話の限界性と、
日本手話のことをまだわからないようです。

受講生は納得できないような表情で、黙ったままでした。

それで、近くにいた60歳前後のろう者に、手話で

「『あ/ず/け/る』(指文字)/手話/表す/方法/何?」

「意味/『あ/ず/け/る』(指文字)/手話/何?」

とたずねてみましたが、
「わからない」と言われてしまいました。(当たり前かも?)

それで、さらに手話講習会の講師らしきろう者にも
聞いてみました。

その人はだいぶ考え込んだ後に、こう答えました。

「例えば、あなたが相手に対し『カバンを預ける』と
伝えたいのか、
『銀行にお金を預ける』と使いたいのか、
用途によって手話表現は異なってくる。

『預ける』の単語だけでは、何の意味で使うのか
わからないから、答えようがない。
手話は日本語のそうした面と違い、目に見える形で、
具体的に表す。

だから例えば、どういう場合の『預ける』なのかを、
(単語だけでなく、文章を構成して)
具体的に特定して質問するとよい」

なるほど。
それで先ほどのろう者に聞いたときは、
「わからない」と言われたわけです。

手話サークルの健聴者からは、

「最近のろう者手話講師は、
わからない単語があったら指文字で表し、
質問すると教えてくれます。
だから、指文字は覚えたほうが便利です」

という話も聞きますが、必ずしもそうではないという
例かもしれません。

例えば、

「動物/名前/『う/さ/ぎ』(指文字)/手話/何?」

のような、名詞の手話表現を尋ねる場合には、
指文字も有効です。

もし、指文字だけの「かめ」だと、
「亀」なのか「甕」なのかわからない場合もあります。
その場合、動物の名前、あるいは
品物の名前だと伝える必要があります。

しかし、ろう者の母語である日本手話では、
いずれの場合もCL(類辞〔classifieres〕)と
呼ばれる技法を使います。
それがその意味を表す手話なので、
やりながら通じる手話を自然に見つけ、
覚えていくものです。
だから、日本語対応手話のような長い手話文
ではないのです。
当然、文法は全く違います。

また、ろう者と手話の歴史を知る人には
わかると思いますが、高齢ろう者のなかには、
言葉を何でも、日本語で正確に覚えている
わけではないようです。

したがって、その人は指文字がわかるからといって、
簡単な言葉を指文字で表しても、
必ず通じるというわけでもないようです。
間違えて覚えてしまっている、ろう者もいます。

例えば「平等」を「びょうどう」と読みますが、
ろう者の中には「へいとう」と覚えてしまっている
人もいました。

私も「無用心」(ぶようじん)を「むようじん」と覚えて
しまっていました。

このようなことは、ろう者には別に珍しくはありません。

ところで、これは聴覚障害者理解に役立つ、
いいホームページだと思います。
参考ホームページのアドレスもたくさん掲載されています。

 →http://contest.thinkquest.jp/tqj2000/30202/frame/choukakusyougaisya.html
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by bunbun6610 | 2012-01-12 21:08 | 手話
「ディスレクシア」という障害をご存知でしょうか?

 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A2


『ディスレクシアとは』(特定非営利活動法人EDGE)


見えないのではなく、識字における中途半端な視認性
のようです。

実はこの障害は、感音性難聴障害とよく似ているのです。
健常者からの、わかりづらい障害の性質とかが、です。

音の正体は音波ですが、目に見えず、
太鼓のような響く音でもないと感じることもできません。

音が聞こえるのが当たり前だと思っている健聴者には、
なかなかわかりづらいのかもしれません。

ですから、音の障害のことを視覚説明で例えてみると、
感音性難聴障害のわかりやすい説明に
使えるかもしれません。

他にも、私は昔、音声認識ソフトの誤認識が、
感音性難聴障害と似ているなぁと思い、
健聴者への感音性難聴障害の説明に
使ってみたことがあります。

このことは、後でまた述べたいと思います。



===========================

 →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=52557&from=yolsp

[発達障害の生きにくさ]読み書き
困難で自己否定


何かハンデを持っていると、自信を失ったり、
周囲との折り合いがつかなかったりして、
さらに生きにくさを抱えることがある。
こうした悪循環は、ちょっとした周囲の理解や工夫で、
防止・軽減できることもあるという。(館林牧子)

できる部分伸ばし肯定感

発達障害について体験を話す南雲さん=林陽一撮影

新潟県湯沢町出身の南雲明彦さん(27)は、
小学生の時から字を読むことが苦手だった。
眼鏡をかけてもゆがんで見える。(※1)

(※1;(筆者注記)感音性難聴者が装用する補聴器も同じで、
補聴器も決して万能ではありません。
しかし、周囲の環境条件を可能な限り整えることによって、
改善することも不可能ではありません)


授業内容は努力で覚えたが、
人前で読み書きをする時にはいつも緊張した。

これが「読字(どくじ)障害」とは、
20歳過ぎまで分からなかった。


中学生活はそれでも楽しかった。
友達も多く、テニス部の部長になり、
生徒会でも活躍した。

ところが、高校で県立の進学校に進むと
状況は一変する。

古文や英語の音読でつっかえると、

「もういい!」

と後ろの生徒に飛ばされる。
渡されたのは小学3年生の漢字練習帳。
成績もガクンと落ちた。

不安で夜、眠れなくなった。
高2の秋、朝起きると体が動かない。
不登校になり、部屋で奇声を上げ、物を壊す。

両親に連れられて精神科病院に1か月入院。
高校をやめ、電車で約1時間20分かけて
定時制高校に通うことにした。

その頃から、30分も40分も、
手を洗い続けるようになった。

通学の電車の中で手を洗いたくなる衝動にかられ、
途中下車をしては次の電車を待つ。
電車は1時間に1本。
学校にたどり着けず、3か月で退学した。

転機となったのは、19歳の時。
東京のカウンセラーとの出会いだった。

生活のリズムを立て直し、21歳で通信制高校を卒業。
その年、発達障害の一つである読字障害の団体を訪ね、
ようやく困難の正体がわかった。


画像(※2)

(※2;(筆者注記)これは、ここでは掲載できませんが、
下記ホームページの画像説明に似ています。

 「感音性難聴の実際」
  →http://home.att.ne.jp/grape/take3/nanchou/003.html

この症状の難聴は人により、性質が様々なので、
聴こえ方は皆違うようです。
補聴器も当然、その人の耳に、
できるだけ合うように調整しなければなりません)


発達障害は、生まれつきの脳の機能の問題で、
学校や社会での日常生活を営む上での
様々な困難が生じてしまう状態を指す。
こうした状態は、なかなか本人の努力だけでは改善しない。

国立特別支援教育総合研究所総括研究員の
笹森洋樹(ひろき)さんは

「緊張が強い、表情が硬いなど、
困っている様子を察知し、
本人と相談しながら解決への
手だてを考えていくことが大切」

と話す。

例えば、いろいろな雑音を拾ってしまう
聴覚過敏なら一番前の席に座る。


他人の表情や空気を読むなどが苦手で
対人関係がうまくいかない場合は、
周囲がそれを理解することで、
負担が軽減することもある。

南雲さんは、パソコンや携帯端末で字を拡大し、
見やすい字体に変えれば、
うまく読めることがわかった。

「わかっていれば回り道をせずに
済んだかもしれない」

と南雲さん。

笹森さんは

「苦手な部分はその人の特性と受け止め、
できる部分を伸ばし、自己肯定感を高めることも
二次的な障害を防ぐのに有効」

と話す。

児童精神科医で日本発達障害ネットワーク理事長の
市川宏伸さんは

「不器用、コミュニケーションが苦手、
落ち着きがないなどを含めれば、
100%発達障害でない人はあまりいないのではないか。
みんなが同じようにできて当たり前という
思いこみから社会が脱することも必要


と話す。

【読字障害】

読むのが極端に遅い、行を読み飛ばす、
字がうまく書けない、字の形を混同するなど
読み書きに関する様々な症状が出る。

脳の文字に関する情報処理の仕方が通常の
人と違うためと考えられている。

米国では10~20%、日本では4・5%程度いる
とも言われている。

(2012年1月5日 読売新聞)

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by bunbun6610 | 2012-01-09 21:21 | 難聴・中途失聴