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カラス、身ぶりで「会話」する?

『カラス、身ぶりで「会話」する?』

 →http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111130-OYT1T00020.htm?from=main8

 ワタリガラスという欧州などにすむカラスが物を見せたり
差し出したりする身ぶりを通じて、仲間の注意を引きつけて
いることを、独マックス・プランク鳥類学研究所などが突き
止めた。

 人間を含む霊長類が対話するために持つ能力の原型を
鳥類も身につけていることを示す初の発見で、30日の科学
誌ネイチャーコミュニケーションズに発表する。

 研究チームは2008~10年、オーストリア・北アルプスで、
7組のワタリガラスを観察した。
ワタリガラスはくちばしにくわえた小枝や小石を突き出したり、
傾けたりして、仲間に見せるしぐさをした。

 さらに、くわえたものを上下に動かし、差し出そうともした。
こうした行動を受け、多くの場合で仲間は近寄ったり、一緒に
物を扱ったりするなど友好的な反応を示した。

 身ぶりで親などの注意を引き付ける動作は、人間の赤ちゃん
にも見られる。
研究チームは

「ワタリガラスは身ぶりで、仲間が自分に関心があるのかどうか、
仲間との絆を強められるのかどうかなどを試しているのでは
ないか」

とみている。

(2011年11月30日08時53分 読売新聞)




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これはもしかしたら、コミュニケーションの起源、
手話の起源にも通じる研究論文かもしれません。

コミュニケーションが、仲間づくりに有効なことを示す
証拠にもなると思います。

人間の使う手話などもコミュニケーション言語として
認められていますが、重要性がさらに評価されるのでは
ないだろうか。

人類が今のような複雑な音声言語を発明し、
使用する以前には、簡単な手指言語があったかも
しれません。

だが、それ以前に、身ぶりや非手指言語が使われていた
可能性は大いにあると思います。

「N.M.S.」(※)とも呼ばれる「非手指言語」という用語を、
ろう者の日本手話を学ぶ手話学習者ならば、
聞いたことがある方もいると思います。

(※)手の動き以外の情報=“ノン・マニュアル・シグナルズ”(N.M.S.)
   …視覚言語=身体全体で大きな意味を持つ言葉。


(「日本語対応手話」を主に使う難聴者や、手話初心者は、
N.M.S.をほとんど使わないと言われています)

赤ちゃんの表情に表されているのも、
これに当たるといえるのかもしれません。

日本語が通じないとき、伝える方法をいろいろと持つことは、
コミュニケーションの幅を広げることになると思います。

畑正憲氏は、まるで動物と話せるみたいですが、
これもコミュニケーション能力のうちだと思います。
何でこういう話を、当ブログのカテゴリー『手話』に取り込んだかと
いうと、ろう者が使う日本手話では、
非手指言語も手話の一要素になっているからです。
手話学習者は、手指言語ばかりでなく、もっと非手指言語にも
目を向けてほしい、と思います。

よく、難聴者や手話初心者が

「ろう者の手話は読み取りにくい」

と言いますが、非手指言語には注目していないからでしょう。

これこそ、手話の魅力なのに、気づかないのは残念なことです。
気づけば、さらに手話が上達することは間違いなし、です。
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by bunbun6610 | 2011-11-30 20:00 | コミュニケーション能力

聴覚障害者の就労前・後における合理的配慮とは? (2)

就労後の差別事例では、当ブログ

『差別と闘う聴覚障害者と、差別から逃げる聴覚障害者』
(2011-09-14 22:21)

が参考になると思います。
やはり、裁判での判決は重いと思います。


前回(1)で述べた「合理的配慮」とは具体的に、
どういうことをいうのだろうか。
ここでは聴覚障害者の就労前、後の問題で取り上げているので、
その範囲内で述べることにします。

今の社会で、これをわかりやすく言っているのは、
前述した三菱東京UFJ銀行の聴覚障害者差別裁判ではないでしょうか。

例えば、雇用した聴覚障害者に対して、朝礼や会議などの場合に、
会社が通訳を用意することは、決して過剰な配慮でも特別扱いでもありません。
健聴者にはこれを

「信じられない配慮ではないか?」

と思う人もいるだろうと思います。

しかし、「聴覚障害者には、どうせ聞こえないのだから」と考えて

「あなたは会議には欠席でいいです」

「今やっている仕事を、そのまま続けていて下さい」

と伝える場合が実際に数多くあります。

なかには、

「雰囲気だけでも経験してもらうために、
聴覚障害者も会議に出席させてみてはどうか」

という、馬鹿げたことを言った健聴者もいました。
これがどういうことになるのか、
健聴者には全く想像もできない証拠になる、
というものです。

その健聴者は同情的に言ってみただけなのでしょうが、
聞こえないで、通訳もなしで、
皆の話し合いの中に居続けることが、
どれほどの精神的苦痛になるのか、
まるっきり分かっていませんでした。

実は、これは「聞こえない人への合理的配慮」なんかではありません。
私ならば、これはハッキリと「非合理的配慮」だと考えます。

健聴者としては、会社としては

「配慮してやっている」

というつもりなのでしょうが、
やっていることの本質は差別なのです。

他に、例えば上司や先輩が聴覚障害者に対して、

「あなたは今まで、まだこの仕事しか覚えていません。
だから、今年度もこの仕事を続けていって下さい」

というような評価と目標設定を示すことがあります。

健聴者にはこれを聞いても、何の疑問も出ないかもしれません。

しかし聴覚障害者のほうは

「耳が聞こえないから、最初はこの仕事内容でガマンするしかない」

と考えて頑張ってやってきたのに、
その後も同じ仕事を続けさせられて、
反対に健聴者だけは仕事の幅も広がっていき、
昇進や異動もある、という状況を見ていたら、
これを差別と思わないほうがおかしい、
と思います。

その時、その聴覚障害者は

「自分には合理的配慮がなかったから、
そういう結果になったのだ」

と気づくはずです。

健聴者が

「聴覚障害者は耳が聞こえないから」

と言うのは、単にその人に

「聴覚障害がある」

ということを言っているのではなく、
差別を正当化するための口実に過ぎない、
という見方もできます。

そうだとすると、“実際は”聴覚障害者への
合理的配慮なんかではないんだ、
ということに気づくはずです。

それだからと言って、健聴者にはどうってことはありません。
しかし聴覚障害者のほうは、
その時が差別を受けた側としての、
精神的苦痛に目覚めるときなのです。

現在のところ、会社では筆談や簡易な筆記サポートは、
合理的配慮になりうる、と一般化しつつあります。

昔の全く、何もない頃とは、確かに、格段に変わりました。

けれども、当ブログ

『通訳と筆談、筆記との違いについて』(2011-10-27 22:07)

でも述べているように、そうした配慮が国連・障害者権利条約で言う
合理的配慮になりうるのかというと、はなはだ疑問になってきます。

確かに努力はしているけれども、やはりそれでは、
保障制度としてはまだまだのものだと言わざるをえないのではないでしょうか。

もし、これが本当に国連・障害者権利条約の言う合理的配慮として
常識となってしまったら、聴覚障害者は差別と精神的苦痛から解放されるでしょうか?

ここは特に、当事者側がよく考えるべきです。

「合理的配慮」の意味は、正しく理解されなければなりません。
したがって、それに曖昧さを付け加えることになる可能性の高い
「可能な限り」という文言は、健聴者に誤解されて受け取られかねないことを、
注意すべきだと思います。

【参考】
水野映子氏『企業の聴覚障害者活用への取り組み事例』
 →http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/ldi/watching/wt0707b.pdf

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by bunbun6610 | 2011-11-30 19:52 | 国連・障害者権利条約

聴覚障害者への就労前・後における合理的配慮とは? (1)

国連・障害者権利条約は、
障害者への「合理的配慮」の必要性を告げていますが、
それは具体的にどういうことが必要とされているのか、
まだハッキリと決められていません。

考えがハッキリしても、さらに、
その実現への法制度整備が必要になってくると思います。

障害者がこれらへ積極的に関わってゆき、
先進国らしい取り組みが示されるようにしたいものです。

これから述べることは、私の考えに過ぎませんが、
こうあって欲しい、と思っています。
私の今までの経験から言えば、
会社が考える聴覚障害者に対する合理的配慮は、
理論上は次の2つのうちのどちらかがあっても、
実際には(2)になりやすい、と思っています。

これが是正されないと、多くの聴覚障害者は国連・障害者権利条約に
失望してしまうと思います。

 (1)合理的配慮(平等な取扱い)※
   
 (2)非合理的配慮(差別的取扱い)※

※ なお、私個人の考えでは、(1)を「積極的合理的配慮」とも
呼ぶことにしています。

反対に(2)は別名「消極的合理的配慮」とも呼ぶことにしています。
これは、後に詳しく説明するつもりですが、例えば、
聴覚障害があるからといって、単純労働しか行わせないことなどです。


電話ができないために、電話番もしなければならない担当から配置転換させることや、
電話番を除いた担当業務にすることは合理的配慮だと考えられますが、
行き過ぎた消極的配慮はかえって差別になりうる、と考えているわけです。

(3)さらに、合理的配慮の否定には、次の2つがあると考えています。

  ①合理的配慮の合理的否定
   合理的配慮をすべき者が、実際は合理的理由から、
   その配慮ができないことを表明すること。

  ②合理的配慮の非合理的否定
   合理的配慮をすべき者が、実際は非合理的理由から、
   その配慮ができないことを表明すること。

「実際は」を、誰が、どんな方法で判断すべきなのかが、
難しいところです。
本当に「その合理的配慮は不可能なのか?」を、
誰が公正に判断できるのだろうか?

あるいは、合理的配慮に妥協があるとすれば、
その妥協点は果たして妥当なのか?

こういったことの公正な判断は難しい。

例えば、会社では手話や要約筆記通訳の費用を負担するのが難しいとか、
守秘義務に心配があるからとか、講演者の許可を得るのが難しいとか、
いろいろな理由をつけられて、通訳がつけられない場合があります。

それを「合理的理由がある」あるいは「非合理的理由に過ぎない」と
判断するのは誰が、また何を基準にして判断がなされるのかが、
難しいところです。

上のことは当ブログ

『合理的配慮の実施が「可能な限り」では…』
(2011-10-24 20:30)


を思い出されますと、理解しやすくなるのではないか、
と思います。


会社が、聴覚障害者に、聴覚障害があることを理由に、
応募して来る聴覚障害者の全てを不採用にしてしまう、
ということは聴覚障害者差別になる可能性があります。

このように、聴覚障害者の就労問題には、大きく分けて2つあります。
就労前の問題と就労後の問題です。

就労前の問題とは、やはり今も一番問題になっているのは、
ろう者の就職困難です。
実際は電話応対など必ずしもしなくてもいい職務内容なのに、
求人票に「電話応対必須」と明記して、聴覚障害者を全く受け付けない、
採用しない企業もあるようです。

難聴者は難聴を隠して応募し、就職している人もいるようです。
しかし、ろう者にはできません。

私も就活のとき応募した会社の人に

「耳が聞こえないのに話せる人もいるのか」

と言われ、相手にされなかった経験があります。
おそらく、信用されなかったのだろうと思います。

健聴者の、聴覚障害者に関する無知が招いたことなのに。

言い捨てにそんなことを言われて、こちらの悔しい気持ちなど、
相手の健聴者には全く分かりません。

今の会社の、若い人事担当者は本当に困ったものです。

また、採用はしても、聴覚障害を理由に単純労働しかさせない、
などの格差をつけることは差別、非合理的配慮の可能性があります。


明らかに聴覚障害者に対する職域差別だ、と判断できる事例があります。

都内の、世界的にも有名な五ツ星ホテルの事例です。

Aさんは片足が不自由で、重いものを持ったり、
速く動くことはできませんが、それ以外には問題がない身体障害者です。
調理の仕事経験はありませんが、調理職に採用され、
障害者のなかでは最高給で働いていました。

Bさんは重度身体障害者で、音声コミュニケーションは不可能ですが、
調理師免許を持ち、調理職5年、製菓経験も9年あり、
コンクール入賞歴もある、飲食業界のキャリアを持つ人です。

Cさんは、人工透析を受けている身体障害者で、
勤務日・時間に制約はありましたが、
それ以外には健常者と同じように働けました。
ただこの人も、調理職の経験は全くありませんでした。

さて、ここまで読まれて、あなたが仮に人事の採用担当者であり、
調理職の障害者雇用を考えていたら、
このなかで誰を採用しようと思いますか?

実際にこのホテルが調理職に実雇用したのは、
AさんとCさんでした。

Bさんも調理場での豊富な経験を買われて採用されたのですが、
Bさんの配属先は洗い場でした。

Bさんが調理場の経験が豊富なのに、調理スタッフは無理、
と判断されたのは、おそらくチームワーク(音声コミュニケーション)に難がある、
と判断されたからだと思います。

もちろん、すべての会社が、こういう考え方である、とは言い切れません。
それは、当ブログ

『聴覚障害者の転職率が高い理由』(2011-05-28 20:00)

を参照して下さい。
しかし「職場には聴覚障害者差別があるのが現実」という
会社は非常に多いものです。

聴覚障害者だと告げると、ほとんどの場合、応募しようとしても、
門前払い同然にされてしまうのですから。

====================================

【参考資料】 『雇用差別に重い罰金刑(米)』

 →http://www.challenged-info.com/news_qbtPGx2Va.html


★障害者側勝訴
障害者差別によって雇用に関する不法行為があったとして
訴えられていたスターバックスに、8万ドルの支払いが命じられた。

the U.S. Equal Employment Opportunity Commission (EEOC)
によると、チャック・ハネイ氏はスターバックスの求人に応募したが、
多発性硬化症を理由に採用されなかったという。
ハネイ氏は同店のバリスタとして応募したが、面接の連絡すら受けなかったという。
そして、ハネイ氏よりも経験が浅く、実力も低い者が採用された。

★平等雇用に対する認識を
これは明らかに米の障害者法に違反していると裁判所が判決を下し、
またスターバックスの店長・副店長クラスは障害者に対する認識
および雇用法を教育する旨を伝えた。



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by bunbun6610 | 2011-11-29 22:33 | 国連・障害者権利条約

価値のある「かたわ者」になれ?

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

→http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html

「松葉杖を使わなければならない「かたわ」の障害児が、勇敢にも、それなしで歩けるよう一生懸命努力する。1950年代の中ごろから、このような新しいイメージのポスターチャイルドが使われるようになった。
ここでの障害児はいわば「傷物」だ。社会からの尊敬を集め、慈善によって救われるためには、まず自分たちで「より一生懸命努力」しなければならない。科学の力で障害を治療できなければ、障害者自身がその努力をすべきだ。社会がそんな期待を障害者にぶつけ始めた。努力・やる気・勇気。この三つが障害者側に求められたのだ。
…(中略)…
フィリップスは語る。価値のある「かたわ者」だったら、自分の障害を乗り越えられるという考え方だ。
「車椅子の障害者が階段を飛び上がるのを期待するのと同じです。とにかく何でもやろうとしなければいけなかった。一日の終わりにどんなに疲れてもね、やることが期待されていました」」


今の手話通訳者なら、昔の聾唖学校に存在した、
ろう児への厳しい口話法教育を聞いていると思います。

難聴児は聞こえるから、しゃべれるのは当たり前。
そして、しゃべることが出来るようになった子だけが、
学校側から賞賛されていたそうです。

一方、ろう児は聞こえない言葉をしゃべれるように
努力しなければならない。

今でも

「難聴児ばかりが出来て、ろう児には出来ないから、差別教育だった」

と、大人になったろう者は話しています。
学校を卒業して社会に出ていくと、
ろうと難聴は離れていく人もいるという。

ここにも、難聴者とろう者が不仲になった理由があるのかもしれません。
「逆差別」が存在するのも、これが原因だと思います。
それも、過去の成人健聴者たちがしてきた「差別」の結果なのです。

普通学校に通った私の場合は、

「聞こえるんじゃなくて、『聞こえるふり』をして、
大人を騙すのが上手くなって」

いきました。

しゃべることさえ覚えれば、
聴覚障害を隠せたからです。


今思うと、とんでもない話ですが、
相談相手もいなくて、それ以外に方法がなかったのです。

言葉は、小さい頃は、ステレオのスピーカーに耳を直接あてて、
歌声を聴いたりして覚えていました。
大きくなっても、音楽は常にヘッドフォンで聴いていました。
妹が「うるさい」と言っていたほど大きな音でも、
私はヘッドフォンで平気、何時間も聴いていました。
今考えると、それが原因で、もっと聴力が落ちていったのかもしれません。
それでも、私の難聴を何とも思わない家族のほうが、
今考えると、やっぱりおかしな話だったんだな、
と思います。

「浜崎あゆみ」さんという歌手が片耳難聴だと聞いていますが、
人と話す時には困らないのだろうか?

補聴器ぐらいは持っていてもおかしくないとは思うが、
その片耳が「全く聞こえない」のだとしたら、
その耳に補聴器をつけても意味はないから、
全く使っていないのかもしれない。
そうだとすれば、本人がカミングアウトしなかったら、
やはり気づかれないわけだ。
あるいは浜崎さんも「難聴です」と言ったら、
仕事が減るかもしれないと心配し、
すぐに言えず、悩んだのかもしれません。

でも難聴が自覚できるかどうかは、大人と子どもとでも、違います。
子どもには知識も調べる力もない場合が多いと思います。
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by bunbun6610 | 2011-11-28 00:14 | 哀れみはいらない

『妖怪人間ベム』と私の共通点

毎週土曜日夜9:00から、
日本テレビ放送で『妖怪人間ベム』
が放送されています。

 →http://www.ntv.co.jp/bem/

それと中途失聴者や難聴者の心情は、
共通点がありそうに思います。

以前、当ブログで「透明人間」の話もしましたが(※)、
妖怪人間とも、中途失聴者や難聴者と、
心情が通じる点があると思います。

 (※)→『聴覚障害者者は『透明人間』なのか』(2011-09-08 22:07)参照

私は

「自分は本当に、健聴者と同じ人間なのだろうか?」

と思わずにいられない時があります。
差別を受けるたびに、そう思います。
自分の姿は、健聴者と変わりなく人間でも、
ごく当たり前のように差別を受ける時、
自分はそうではないのだということを感じます。
差別が、人格的存在であることを否定されている、
と思うからです。

また、ろう者の場合は最終的にろう社会に入って、
そこで初めて「自分は、ろう者だ」と認識できるそうです。

しかし中途失聴者や難聴者は、
健聴者のなかに混じって、
共存し続けようとしている存在であるがゆえに、
ハッキリとせず、自身はその中で違和感を持ち、
悩み続けています。

先日、ろう者には手話通訳があるのに、
中途失聴者や難聴者には、
それに適した通訳がないことを話しました。

中途失聴者や難聴者に合った通訳がないと、
その人たちに、
「自分は違うのだ、そう主張しても良いのだ」
という自覚が持てません。
自分が言うだけではなく、きちんと認められないと、
自分たちに合った通訳がつかない現実があるからです。

ベムたちは、人間になりたいのですよね。
それは実に、今の多くの中途失聴者や難聴者が、
「健聴者と同じようになりたい」
という気持ちと、酷似しているのではないかと思います。
姿だけ人間と同じでも、コミュニケーションができなければ、
真に人間らしくはなれません。
通訳がないというのは、そうした人たちの
「人間らしさの喪失」につながっています。
これは、盲ろう者も同じ問題に直面しています。

案外気づかれていませんが、
これはろう者とも違う、
聴覚障害者の中でも、特異な性質です。
(いや、「特異」と言うよりは、
「知らない人が多すぎる」と言ったほうがいいのかもしれませんが)

私自身について言えば、厳密に言うと

「自分は健聴者でも中途失聴者でも難聴者でも、ろう者でもない」

と言いたいのですが、
そう言うと

「それじゃ、あなたは何者ですか?」

と言われると思います。
その説明は非常に大変です。
無理矢理にどれかに自分を押し込んでも、
理解と問題の根本解決にはなりません。
そういう真の理解への遠さ、孤立した状況も、
ベムたちと似ているな、と思うのです。

聴覚障害者には、今の健聴者の理解をはるかに超えるほど、
いろいろな人がいるということを、
もっと正しく知ってほしいと願ってやみません。

そのためにも、私はこのブログを書いています。

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by bunbun6610 | 2011-11-26 22:51 | 難聴・中途失聴

浅草 大沢屋(甘納豆のお店)

浅草寺の伝法院通り周辺には、
ものすごい数の商店が密集しています。
世界中からやってくる観光客もたくさんいて

「ここで商売をしている商店は丸儲け」

という感じがしないでもありません。

私は今まで、この辺りで有名な天丼の
お店2軒で、値段の張る天丼を食べたことが
あるのですが、美味しくなくて、ガッカリ
させられた経験があります。

ホント、有名とか、行列ができているお店でも、
不味い店は結構あるみたいです。
でも、それにしたって、3500円もする
特上天丼が不味いなんて、ひどすぎます。

「これでも長く商売をやってゆけるのが
浅草というところなのかな?」

と疑問に思ってしまいました。

さて、やっと本題に入ります。
自家製甘納豆のお店・大沢屋の商品は、
試食できるものが多いので安心です。
試食だけで寄ってくる人も多いですが、
買って帰る人の割合も結構なものでした。
私も買って帰りました。

何を選んだのかというと、

 『そら豆のきな粉和え』
   ・お試しサイズ      150円
   ・ハーフサイズ      300円
   ・パック(220グラム)  500円


全商品甘さは控えめですが、
これは甘く煮たそら豆をきな粉でまぶした
お菓子です。
そら豆の食感と、きな粉のコラボレーション
がいいです。
コーヒーにも合うお菓子だと思います。

  店名: 浅草 大沢屋
  所在地: 東京都台東区浅草1-35-6
  営業時間: 10:00~18:00(年中無休)

   →http://shop-online.jp/oosawaya/

   →http://www.rakuten.co.jp/asakusaoosawaya/


ちなみに、大沢屋の反対側には、
洋食通の男どもも唸る美味で有名な
『レストラン大宮』があります。
雑誌『dancyu』でおなじみですね。

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このお店の場所からは、
東京スカイツリーの眺めもいいです。
ピカピカのロケットみたいで、カッコイイ。
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by bunbun6610 | 2011-11-23 21:54 | sweet

『うを徳』(寿司、和食のお店)

 所在地: 東京都墨田区東向島4-24-26

東武伊勢崎線「東向島」駅を降りて、
向島百花園へ向かう途中にあったお店です。
江戸前の穴子料理が食べたくなって、
穴子丼を注文しました。

    ・穴子の柔らか煮丼    1400円
             (アラの吸い物付き)

カウンター席に座ったので、目の前で調理の様子を見れました。

①まず、ドンブリに寿司メシをお茶碗1杯ほど盛り、
穴子用のツメをサッと軽く回しかけて、
さらにもみ海苔を散らしておきます。

②その上に穴子煮一匹を4ツ切りにして乗っけて、
穴子の上にもツメを軽くかけます。

③最後に、玉子焼きとガリ、本ワサビを添えて、
出来上がりです。

見た目は本当に、食欲が湧かなかったですね。
とても値段に釣り合う料理には見えませんでしたから、

「サッサと食べ終わって、帰ろう」

なんて思ってしまったくらいでした。

しかし、その気持ちは、
目の前のつまらなそうな穴子丼を一口食べただけで、
一変してしまいました。

実は私、生まれも育ちも東京なのですが、
穴子丼を食べるのは生まれて初めてでした。
大体、穴子は寿司のなかでも、
脇役なのではないでしょうか?

寿司の穴子なら、結構食べたことがあります。
それら過去のものと比較してみても、
こんなに柔かく煮上げられた穴子は、
初めて口にしました。

「夢なんじゃないか」と思うような、
フワッと溶ける穴子の身で、
味とか食感とかを言葉にするのが難しいです。
その味の2要素とはまた別の意味での
美味しさなのでしょうか。

とにかく、一口を食べた後は、
一気に食べるのが惜しくなり、
ダラダラと時間をかけて、
その淡白な味わいを、
できるだけ味わおうとしていました。

料理の値段は高いけれども

「また食べたい」

と思う逸品だと思います。

なお、穴子の他に「タコの柔らか煮」という
料理もありました。
タコって、一体どうやって柔かく煮上げるのでしょうかね?

試しに煮穴子をインターネットで調べてみたら、
下の情報が見つかりました。
どうやら圧力鍋調理法ではなくて、
伝統的調理法のようですね。

 →http://www.excite.co.jp/search.gw?search=%E7%A9%B4%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9F%94%E3%82%89%E3%81%8B%E7%85%AE&submit=&target=combined&look=excite_jp&charset=utf8&sstype=excite_d

http://blogs.yahoo.co.jp/oomura_dot_come/52438755.html




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by bunbun6610 | 2011-11-22 20:32 | 食べ物

健聴者が考えた聴覚障害者情報保障の問題点 (4)

 -福島智氏の講演会から変わったこと-

ろう者が講演会の感想文を書けない状況は、
その後も続いていました。

森ビルは手話通訳への配慮を改良するどころか、
逆に手話通訳そのものをなくしてしまいました。
それは、福島智氏の講演のときからでした。

私は以前から、要約筆記通訳に任せたきりでは、
情報保障として問題点もあるので、

「講演者に、話すスピードや、パワーポイントの
スライド枚数を減らし、時間的間隔を取るなど、
聴覚障害者にも配慮した、
分かりやすい説明にしてもらえるよう、
事前打ち合わせでお願いできないか」

と森ビルへ申し入れていました。
それに対する森ビルの答は、

「講演者も森ビルにとっては顧客なので、
それを言うことはできない」

でした。
けれども、森ビルは聴覚障害者でもある
福島智氏とは、情報バリアフリーについて
相談しました。

それで、森ビルの聴覚障害者向け情報保障
として、新たに登場したのが

『キャプショニング・ペガサス』
(→http://pc-captioning.jugem.jp/

でした。
福島氏はパワーポイントも使わず、
自分の話だけを通訳させました。

ただ、講演会場に新しくペガサスが配置
されたと同時に、手話通訳はなくなった
ことは、福島氏はこのとき、知っていた
だろうか?

私の予想ではあるが、氏は目が見えなく
ても、耳が聞こえなくても、自分の目と耳
代わりになってくれる、両脇の指点字通訳者
から、その状況を知らされていたと思う。
ペガサスの前には、私一人しか居なくて、
ろう者が一人も出席していなかったことも、
手話通訳者もいなかったことも。

どうしてこうなったのか、読者の皆さんは、
想像がつくでしょうか?
おそらく、やはり情報保障のコスト問題を考えて、
森ビルはペガサス一本にしてしまったことが
原因なのではないか、と思います。
その後もずっと、ペガサス一本の情報保障に
なっていたのですから。
Q社も、同じ考え方で、手話通訳一本
(要約筆記通訳は不可)にしようと考えている
のだと思われます。

ただ、これが情報保障もつけている会社の、
精一杯できる(〔?〕と思っていると信じたい)
ことなのだろうと思います。

さて、その後の講演会には、
ろう者も来てペガサスを見るようになり、
私は彼らに感想を聞いてみました。
すると、彼らの意見は分かれました。

ペガサスがいいというろう者は

「手話通訳だと要約し過ぎるけど、
ペガサスは話し言葉がそのまま文字表示
されるので、そういう心配はしない」

という評価内容でした。


(しかし、よく考えるとわかることだが、
言語が聞こえないろう者が、
こんな評価をするのは、
明らかにおかしい)



一方、手話通訳のほうがいい、というろう者は

「自分は手話通訳のほうがわかりやすい。
日本語長文を読むのは苦手だから」

というものでした。
会社の健聴者だったら、こんなときは

「会社なんだから、ろう者も手話に頼ってばかり
いないで、日本語を勉強してコミュニケーション
ができるようにすべき」

と言うかもしれません。
しかし、情報保障って、そういうものでしょうか?
ここのところは本当に、よく考えてほしいと
思います。

話を戻しますが、ある時、手話通訳の
ほうがいい、と言ったろう者からメールが
届きました。

「この前の講演会の感想文を、
どう書いたらいいのかわからない。
助けて下さい」

という内容でした。
それで、その人が作った感想文を見て
みたら、電子社内報の講演会記事を
コピーして、その後に自分の思ったことを
短く書いているような内容
(「ためになりました」とか)でした。

それで私は

「これじゃ、マズイよ。
自分で思ったことをもっと書くようにしたら?」

と言ってみました。
ところが、その人はすごく悩んでいました。

おそらく、自分の文章力に自信がなく、
健聴者とかなり異なっているので、
それをあまり露出させたくないのだろう。

自分が正直な気持ちで書いただけのつもりが、
健聴者には大きく誤解され、笑われたり、
評価を下げられ、相手にされなくなることは
多いものです。

聴覚障害者のなかでは文章力があると
言われる私にも、そのような経験があります。
言葉の意味を自分の想像力で解釈して、
何気なく使っている部分が多いからです。

これは聴覚障害者だから、という言い訳は
しないで、素直に反省すべきところなのだろう
が、知らない、気がつかないものはどうしようも
ないことなので、聴覚障害者は健聴者と比べる
と、やはりその分、自己の失敗経験をより
積み重ねて、学んでいく部分が多いのだろう
と思います。

それが、ろう者の場合だと、
ろう学校を卒業してから突然始まるわけです。
社会人になってから一気に苦い経験をさせられ、
それでも学んでいくというのは、
普通学校で育った私以上に大変に違いない。

その頃には気がつきませんでしたが、
今思うと、その人には失敗してしまうことへの
恐怖心がかなりあったのではないか、
と思います。
社会人になってからの失敗は、
しばしば大きなリスクを負うことになるからです。
その人には、もう失敗しても構わないような
感想文を書いて出す勇気も
なかったに違いありません。

私は、手話通訳者に相談してみました。

「会社で、講演会の感想文を書くのに苦労して
いるろう者がいます。
『ろう者が手話で自分の感想を表し、
読み取り通訳がそれを音声通訳文に変換し、
パソコン要約筆記者がそれを、
できるだけ原文のままに入力し、
ろう者に記録媒体を提供する』
というのはできないだろうか?」

その答はあっさりと「できない」でした。

技術的には可能なはずですが、
今の福祉制度における手話・要約筆記通訳は、
そういう用途のためにあるのではないからです。

もし知人の通訳者に、個人的に頼んでやって
もらうとしても、引き受けてもらえないだろう。

仮に引き受けられてやったとしても、
後になってろう者から

「あなたの通訳のせいで、私の会社からの
評価は下がった」

などと、失敗の責任を押し付けられることも
ありえるからです。

結局、こういう問題の解決方法は、
ろう者も日本語を第二言語として獲得する
以外に、方法はないのだろう。

そのための方法としては、例えば、
次のようなものがあります。


『手話で行うユニバーサル・セミナー
「手話で行う文章力向上セミナー」』
(株式会社UDジャパン)
 →http://www.ud-japan.com/sem/jbl004.html

ここの手話による指導は、わかりやすいです。
それでも、日本語を獲得できるかどうかは、
ろう者自身の意志にかかっているのではないか、
と思います。

とにかく、どんなに努力して情報保障をしても、
ろう者も頑張らなければ解決しない問題だと
いうことは確かなようです。

「その点、難聴者や中途失聴者は苦労して
いない」

などとよく言われています。

さて、いろいろと言いたいことを散々書いてきた
ので、何が何だかわかりにくくなってしまいました
が、聴覚障害者が情報保障を受けても、感想文
が書けない理由は、2つ考えられます。

1つ目は、選択した情報保障が、その聴覚障害者
に合わなかった場合です。
これは、健聴者の責任です。
例えば、手話ができないか、できてもあまり得意
でない聴覚障害者に手話通訳を用意しても、
それは適切な情報保障の選択とは言えません。

それは、ろう者に日本語逐語訳表示の文字通訳
を採用しても、同じことが起きる場合があります。

森ビルの人はそれに気づいていないか、
あるいは自分側の別の考えを優先したようです。
ペガサスの通訳が世界一レベルであまりに
すごいので「もうこれ一本でいい」と決めたような
感じがしました。
でも、この判断は実は、間違いなのです。

「健聴者が見て「すごい」と納得したから、
講演者の言葉がそのまま日本語で表示されて
いるから、ろう者も見てわかるに違いない」

というのは、まだまだ聴覚障害者のことを理解
していない証拠だと思われます。


そして2つ目が、通訳者を通した
情報の受け手(聴覚障害者)側の問題です。
通訳者、聴覚障害者の両者が同じ言語でも、
完全共有化されていない部分があると、
そこの部分は受け手が読み取れないかも
しれません。

「手話通訳は聴覚障害者も勉強しないと
わからない場合がある」

と言われるのは、このためだと思います。

また、内容が分かっても、
聴覚障害者にそれを日本語文章にする力が
なければ、やはり感想文は書けません。
以上が私の結論です。

こういうことは「仕方がない」では済まないと
思います。
文章力がある人でも、情報保障のミスマッチ
で内容が分からず、レポートも感想文も
書けないようでは、会社には評価されません。
それでは、聴覚障害者は正当・公平な評価が
なされたことになるでしょうか?
私はここが、不当(差別的)評価の根本原因
になりうる、と思います。
これは、今の難聴者や中途失聴者も多く被って
いる差別ではないでしょうか。
ろう者でも、内容がわからない通訳を会社に
一方的に採用されたのならば、同様のことが
言えるはずです。
この差別の温床を、放っておくわけにはいかない
と思います。

さらにここで、当ブログ

『合理的配慮の実施が「可能な限り」では…』
〔2011-10-24 20:30〕

も、思い出していただきたいです。

手話通訳がわからない、あるいは得意では
ない聴覚障害者に、費用問題を理由に手話
通訳しか用意できないのでは、果たして本当に

「可能な限りの合理的配慮がなされた」

と“見なしてよい”のだろうか?

私ならば、こういうのは合理的配慮とは呼ばない
と思います。
呼んでしまえば、その後はそれが社会常識として
認められてしまう恐れも出てきます。
会社はもう、それ以上の努力をやめるに違い
ありません。

情報保障は、当事者(聴覚障害者)団体が行う
ものと一般社会が行うものとでは、質量に差が
出てしまうでしょう。

これは当事者側にとっては、危険な流れに
持っていかれるのではないか、という不安が
つきまといます。

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by bunbun6610 | 2011-11-22 19:58 | 情報保障・通訳

国指定名勝・史跡 向島百花園 -2011年秋-


 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%B8%FE%C5%E7%C9%B4%B2%D6%B1%E0&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=&tblattr=1

11月20日(日)撮影。

前日は雨が降り、気温も低かったのですが、
当日はまた暑いくらいの陽光が差して、
晩秋の晴天というよりも、
9月か10月上旬のような晴天でした。

ここも小さな都立庭園ですが、
墨田区の七福神が近くに散在しています。
そのうちの一つである白髭神社は、
歩いて10分くらいです。

古い民家、「○○荘」という古い看板のついた
アパートも残っていて、
自分の世代だと親しみを感じる街です。

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スカイツリーがライトアップしたときは、
こんな夜景が見れるそうです。
来年5月の開業が待ち遠しいですね。
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by bunbun6610 | 2011-11-21 20:48 | 観光(関東)

医療機関の障害者ビジネス

知人のろう者が、1年半ほど前から「うつ病」だという。
だが、うつ病には見えないような気がしないでもありません。

先日、聴覚障害者の『心の病』についてのテレビ番組を見ました。
聴覚障害者問題にも詳しい精神科医が説明していたのは、
聴覚障害者にもかかりやすい病気に、
うつ病と統合失調症があるようです。

うつ病が心の病気であるのに対して、
統合失調症は思考の病気だという。

これらは、一般の人から見ると、
患者の外見からは区別がつきにくいのかもしれません。

知人は、ある時、次のよううに話していました。

「前は精神科に通っていましたが、今はやめました。
どこの病院にも行っていません。

でも、精神安定剤や睡眠薬は必要なので、
自分で薬局で買っています。
あなたも、そうしたほうがいい。
病院へ行くと、医者は医療費を取り放題だから、
あなたもいいカモにされます。
だから、病院はやめなさい」

明らかに、医者を信用していない話し方だった。
それに、自分で薬を買っているというのは、
リスクがないとは限らないので、心配だ。

自分で納得のいくまで薬を変え、
挙句の果て、
ドラッグ中毒になるなんてことにならないのだろうか。

そう考えているとき、インターネットで、
次の記事を見ました。

 →http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=50571

なるほど。
所詮、金儲けが目当てでやっている医者も多いのだろう。
所得なしや、低所得の特別障害者なら、
医療費はタダだから、
そのろう者の言うように、いいカモにされているわけだ。

やはりここでも、皆が払っている税金から
カネを吸い取られているんでしょうね。
障害者目当てのビジネスはもう、
本当に何とかしたほうがいい、
と思います。

それにしても、タダでしてもらえる医療よりも、
薬局から自分で買うほうが高額ではないか。

収入が無いろう者だというのに、
おかしな考え方をしていないだろうか。

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by bunbun6610 | 2011-11-21 20:11 | 聴覚障害