<   2011年 08月 ( 39 )   > この月の画像一覧

難聴者コミュニティ形成の難しさ(1)

地域の手話サークルは、着実に増えています。

「手話は難しい」と言われているのに、手話をやって
みたくなって手話講習会に通ったり、
手話サークルで学ぶ人は結構います。

最近は意外にも、高齢者が増えてきています。

昔は高齢者が入ってきても、ろう者、若い世代の人と一緒に
学習するのは難しすぎるようで、勉強についてゆけず、
辞めていく人が多かったように思います。

しかし、今は健聴者にも手話を教えられる人が増え、
高齢者にもわかりやすい学習法に変わってきています。

そうすると、高齢者のなかにも、サークルに定着する人が出始め、
その周囲に新しく入る高齢者も仲間になり、
だんだんと高齢者グループができていく、というケースも出てきました。

将来、老人性難聴になる可能性は誰にでもあります。
健聴者の場合、手話を学ぶ理由は、必ずしも聴覚障害者との
コミュニケーションを目的としているわけではありません。

聞こえるうちに手話を学んでおくのは、備えになるという方もいます。

あるいは、「ボケ防止に役立つと思って」という方もいます。

手話は「第二の脳」と言われる手指と頭を使ってコミュニケーションを
とるので、そういう噂が高齢者の間で、広まったのかもしれません。

また、笑えるコミュニケーション方法でもあるので、精神年齢が
若く保てる秘訣になることもあるかもしれません。

手話サークルの本来の目的は、そのサークルごとに会則があって、
それに記載されています。
大体、地域の聴覚障害者協会(ろう協)と関係を持ち、
聴覚障害者とのコミュニケーション方法を学ぶ場として、
また聴覚障害者との交流機会を持つ場、
手話通訳者を目指している人の活動の場、
などが中心だと思います。

ただ、今や高齢者のコミュニケーションにも
手話をあまり積極的に使うわけではないようですが、
自分たちの会話活性剤として取り入れつつあるように思います。

しかし、高齢難聴者の場合は、こうした場も避けて、
全く別の手話講習会へ行き、手話を学ぶ人もいます。
それでも、一番の問題は、難聴者のコミュニティが出来にくい、
ということがあります。

なぜそうなるのか、これから当ブログで考えられることを述べてみたい、
と思いました。

a0196876_23372847.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-22 23:39 | 難聴・中途失聴

『24時間テレビ』を観ない理由

8月21日(土)~22日(日)に、
今年も日本テレビ恒例の『24時間テレビ』がありました。

私は興味がなかったし、この日にあることも全く知らなかったのですが、
手話仲間の一人がテレビのTシャツまで着て来て
「観て下さい」と言うので、仕方なく十何年ぶりかに自分でテレビをつけ、
少しだけ観ました。

今年は東北の被災地復興支援活動も一生懸命やっていたようですね。

そもそも、障害者や貧困者(特に子ども)などの救済から始まったテレビ番組で、
タイトルまで「愛は地球を救う」というテーマがついており、
私は昔から嫌いなテレビ番組の一つに数えていますけど。

反対はしませんし、こういう活動もありがたいことだと思います。

でも、私が嫌う理由を、あえて簡単に話すと、次のことを挙げます。

【1】
生放送の部分が多いのでやむをえないことだとは思いますが、
字幕がつかないバラエティー、ドラマは観ないのです。

みんながワイワイ楽しそうにおしゃべりをしているのを、
聞こえない自分が観ているだけ、というのは、
精神的に辛いものがあります。

自分だけ面白くもなく、テレビを壊したくなる気分になります。

だから私は、こういうテレビ番組は観たくありません。
こういう聴覚障害者心理というのは、テレビの音声が
当たり前に聞こえる健聴者には、理解しづらいかもしれませんが。


【2】
故佐々木正さん

 →http://www.muse-meson.com/Ganesh/ganesh.html

という難聴者が薦めてくれた本に
『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(ジョセフ・P. シャピロ/著)
がありました。

 →http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-3418-5.htm

 →http://www.sawaguchi.net/data/html/nopity.html

タイトルを見ればすぐにわかるように、障害者にはこういう生き方をする権利だって
あるはずです。

この本を読む前から、24時間テレビは何となく、自分には合わず、
障害者に対する見方としても納得がいかないな、と感じていました。
だから、24時間テレビは好きでありませんでした。

この本と出遭う前、私の理想とする生き方とは何か?
それがずっとわかりませんでしたが、
読んでからは障害者も多様な生き方があって当たり前なんだ、
と思うように変わりました。
それからは次第に、障害者運動に興味を持つようになりました。

だからなのか、よくわからないのだけれども、24時間テレビには、
今もあまり共感できないのです。


これは、生放送ですかね? 字幕なし。
a0196876_23135416.jpg


LIVEです。 字幕なしです。
a0196876_23141776.jpg


これも生放送のようですが、今度は字幕があります。
a0196876_23143562.jpg


というわけで、字幕が無い場合が多く、観る気がしません。
せっかくこういうテレビをやっていても、字幕がなくては、
聴覚障害者で観る人は少ないと思われますし、
他の障害者のことも知らないままでしょうね。
残念ですけど…。

24時間テレビはやはり、疎外感を感じます。
[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-22 23:24 | バリア&バリアフリー

間接差別と、合理的配慮

国連の障害者権利条約では(仮訳)、例えば…

第27条1では、
(i) 職場において障害のある人に対して合理的配慮が行われることを確保すること。
(j) 障害のある人が開かれた労働市場において労働経験を習得することを促進すること。


「合理的配慮」とは何か?
第二条
「合理的配慮」とは、障害者が他の者と平等にすべての人権及び基本的自由を享有し、
又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、
特定の場合において必要とされるものであり、
かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。」


合理的配慮を行えば、働く障害者は増えるのかというと、
1990年ADA法を持つアメリカの例では、残念ながら企業はかえって、
障害者を雇用しなくなった、という過去データがありました。

企業にとって、障害者への合理的配慮が負担になる、
と考えられたからだといわれています。

では、合理的配慮がないほうが障害者にとっても企業にとっても
よいのかというと、それは違います。

合理的配慮は、障害者一人一人が持つ様々な能力を生かすことにもなり、
それは企業にとっても社会の全体にとってもプラスになるはずです。

今までの社会では、そうではありませんでした。
これはおそらく世界経済をも変えるほどの、大きな転換になるのです。


聴こえない人は、毎朝の朝礼などで無理矢理に立たされているだけで、
全体的な集まりでの話であっても
「自分は知らなくてもいいのか」
というくらいの認識しか持てないものです。

もし自分にも関係のある重要なことならば、それは単純に
「直属の上司に、自分で聞くべきだ」
と考えられています。

しかし、聴こえないことを放置するということは、
本人は重要かどうかの判断もできないということなのです。

何も分かっていない健聴者が一方的に考えた対策は、
むしろ間接差別に当たると思われますし、
これでは仕事ができなくても当たり前です。

このとき、時間がかかっても改善に少しずつ努力しているならば、
他の人と格差が生じているのはやむを得ないこととして、
差別ではありません。

しかし、聴覚障害者への合理的配慮を何も行わず放置したままで
いることは、障害者権利条約では間接差別にあたります。

間接差別をなくすためには、日本政府がこの条約に沿って、
まず法整備をしなければなりません。

a0196876_21202092.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-22 21:24 | 国連・障害者権利条約

障害者雇用助成金は、雇用する企業へのご褒美?

 ― 企業は厚生労働省の雇用助成金制度を利用し、
障害者雇用のための公金を食いモノにする ―

会社は、なぜこのような障害者雇用しかしない
のでしょうか?
企業の多くが、障害者雇用助成金と罰金の制度
(アメとムチ作戦)が始まってから、障害者を雇用
するようになったことは、当ブログでも述べて
きました。

 ※「罰金」… 正式な名称は
http://www.jeed.or.jp/disability/employer/koyounoufu/about_noufu.html

これは日本アビリティーズ協会の伊東会長の講演
でもありました。

http://www.abilities.jp/

ただし、この制度がなくて、建築物のバリアフリー法
もなかった頃は、車椅子の方の就労は本当に困難
だったと話されていました。
ですから、助成金&罰金制度と、建築物バリアフリー
法の両方の法制度ができたことにより、ようやく
車椅子の方の雇用も促進されてきました。

聴覚障害者には、特に配慮は必要ないとされて
きましたが、実はやはり、聴覚障害者にも聴覚障害者
版情報バリアフリー法が必要であり、安定雇用と
社会全体の進歩に役立てなくてはならないと思います。

http://blog.goo.ne.jp/houantaisaku


→当ブログ

『『(仮称)情報・コミュニケーション法』って、何だ?』
〔2011-04-27 21:43〕


参照。


しかしその実現は、まだ夢物語のようです。

障害者雇用助成金制度のほうなのですが、
次のようになっています。

 →http://www.jeed.or.jp/disability/employer/employer01.html#sec03

 →http://www.mhlw.go.jp/general/seido/josei/kyufukin/c02-4.html


聴覚障害者の労働問題にも詳しい弁護士から
聞いた話ですが、この助成金をアテにするから、
企業は障害者を使い捨てにしたほうがいい、
と考えているのだという。

助成金目当てなら、長く働き続けてもらうよりも、
助成金を満額(※)もらえたら辞めてもらって、
また新しく障害者を雇い、新たな助成金をもらう
ほうがいい、と考えているのです。

(※)助成金の寿命は、最長2年まで。
東京都の場合は、その後更に雇用し続ける企業
に助成金を支給する制度があります。

そのために3ヶ月、6ヶ月、長くても1年までの雇用
契約しか結ばず、すぐ飽きて辞めてしまうような
仕事しか、障害者にはさせないのだという。
つまり、会社には健常者と障害者の住み分けが
あります。

助成金が狙いならば、企業にとっては助成金が
効率よくもらえる仕組みでやるのが当然で、
そのために労働力を問わない単純労働ばかりを
障害者に押し付けているのだという。

ちなみに、有期雇用契約だと、契約更新しない場合、
障害者を解雇したとみなされないのも、企業の側
にメリットがあります。

なぜなら、障害者を解雇すると、助成金が凍結される
こともあるからです。

http://www.mhlw.go.jp/general/seido/josei/kyufukin/dl/4.pdf

29ページの3など。
「対象労働者の雇入れの日の前日から起算して
6か月前の日から1年間を経過する日までの間に、
当該雇入れに係る事業所において、雇用する
被保険者(短期雇用特例被保険者及び日雇労働
被保険者を除く。)
を事業主都合による解雇(勧奨退職等を含む。)
したことがない事業主」

だから企業は、解雇を絶対に避けるために、
障害者とは有利な有期契約しか結ばない例が
多いのです。

一方、公共機関であるハローワークでは、
このような「契約期間満了のため」という契約終了
を、どう見ていると思いますか?
私は直接聞きました。
何と!

「『契約期間満了のため』という理由でも、
解雇と同じです」

というのです。
しかし、どうしてなのか企業はこの場合、助成金を
凍結されることはない、というのです。
そしてこの場合、

「職を失った障害者は、その翌月から健常者より
も長い期間の失業給付がもらえるから心配ない」

というのです。


http://www.1sitsugyou.com/basic/kyufunissu.htm


この結果は、障害者が職場で問題を起こして
辞めさせられた場合でも、同じになります。
障害者のほうが企業とトラブルを起こしても、
決して懲戒解雇としないのはこの理由からです。
世間も、裁判所も、これを恩赦と見るだけで、
会社と障害者とに問題があっても、
隠蔽されてしまっているのが実情なのです。
これが、障害者就労後問題の背景が隠蔽されて
いる、という隠された事実なのです。


失業給付が切れても、再就職できない聴覚障害者
もたくさんいます。

「一体、障害者のために、何でこんなに公金を
遣わなければならないのか?」

と、思いませんでしょうか?

この国は企業に対して、甘過ぎるのです。

これでは障害者雇用助成金は、実質的に、
障害者を雇った企業へのご褒美ではないで
しょうか?

a0196876_23533226.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-20 23:54 | 障害者の経済学

人間の弱さと強さ

健聴者はおそらく、難聴者を見て

「この人はしゃべれるんだから、人と会話することはできる」

と思うでしょう。
それが中途失聴者であった場合でも、やはりそう思う人は
多いのではないでしょうか。

ところが、そうした聴覚障害者の側からすると、
不自由を感じている場合が少なくありません。

ろう者は話すことができないと言われていますが、
それは日本語音声会話の場合です。

そのかわりにというよりは、彼らにはもともと手話という母語を
持っているのがほとんどです。
健聴者が日本語で自由に会話しているのと同様に、
ろう者は手話を使って、自由にしゃべれるのです。

彼らが
「自分たちは(聴覚)障害者ではない」
「自分たちは聾(ろう)者だが、唖(あ)者ではない」
と言うのも、少なくとも仲間同士でのコミュニケーションには、
不自由だと感じていないからです。

ところが、不自由を感じている聴覚障害者が、
実は社会の中にひっそりといます。
中途失聴者や難聴者と呼ばれる聴覚障害者です。

コミュニケーション対策の差が、ろう社会は成熟し、
中途失聴・難聴者社会では未成熟という、
対照的な結果を生んだと言えそうです。

人間社会では、
「聴こえるか、聴こえないか」ということよりも、
実は自由にコミュニケーションができないことのほうが、
ずっと不自由であり、深刻な問題なのです。

そして、聴覚障害によるコミュニケーション問題を、
仲間で克服しようとしない中途失聴・難聴者の心のあり方こそが、
実は自らの障害を、さらに深刻なものにしてしまっているとも
言えるのだと思います。

旧約聖書には「バベルの塔」の話がでてきます。
人々は天にも昇れる塔を建てようとしましたが、
神がそれを見て怒り、人々の言葉を混乱させ、
建設は中断されたという話です。

人間は孤立には弱い生き物です。
本当に孤立に追いやってしまうのは、
コミュニケーション方法を絶たれることです。
聴覚障害とか、自然災害でもありません。

大昔、地球最強の恐竜チィラノザウルスが絶滅しても
生き延び、
東北地方太平洋沖地震で被害にあっても
生き延びてゆくのも、
人はその卓越したコミュニケーション能力を
使うから、さまざまな対策を生み出し、
協調できるから、どんな難問も克服していくのです。

力を合わせればできるが、
合わせなければどんなに数が多くても無力に等しい。
その鍵が、やはりコミュニケーションなのです。

a0196876_2325657.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-20 02:45 | 聴覚障害

「歩み寄り」って、何ですか?

聴覚障害者労働問題、手話普及、通訳への理解などで、
よく

「聴者も聴覚障害者も、お互いに歩み寄りが必要(大切)」

という結論で締めくくられます。

この結論を聞いた最初の頃は、

「それが一番いい方法だ」

と思って、賛同していました。

けれども、最近はどうもそうは思わなくなりました。

ろう者も難聴者も

「聴者がろう者(あるいは難聴者)を理解するなんて無理」

と漏らす人は案外多い。

私も今になって、そう思うようになってきました。
その間、ずいぶんと努力してみたことは、
言うまでもありません。

努力不足ということも、ないわけではないかも
しれませんが、それでも自分からは越えられない
壁は絶対にあると、今は確信しています。


聾(ろう)や難聴を経験したことのない、また体験して
みようとも思わない聴者は、ただの傍観者であり、
理解などできっこないのです。

一体どうして、あれで理解などできるでしょうか?
理解がなくても、歩み寄りなんてできるのでしょうか?


手話講習会などでも聴覚障害や、聴覚障害者に
ついての基礎知識として教えられていても、
歩み寄りはできないという健聴者はたくさんいます。

ろう者から「難聴者」とか「健聴者育ち」と言われる私も、
聴者との対話でしばしば感じることがあります。

特に、職場では問題解決のために話し合った末、
健聴者は必ずこう言います。

「わかりました。
これからはこう(筆談とか、具体的方法)します。
でも、ルールを守らないと、理解は得られませんよ」

それは、なぜ聴覚障害者がルールを守らないのか、
守らなくなったのかを、聴者は全然気づいていない
ような言い草です。

いや、気づこうともしません。
聴覚障害者の側が一方的に悪いと思っているような
態度で、自分は反省のかけらも一切ないのです。
それで聴覚障害者側にだけ、反省を押し付けようと
している厚かましさといったら…。


今まで差別をしていたとは微塵にも思ってはいない、
このような言葉には、

「私も今度からこうするから、あなたもこうして下さい」

という条件交換の意志しか見られません。
欧米の契約思想的なところが。
話し合いって、それで済むことなのかと、半ば呆れて
しまいます。

それが会社における上下関係と言えばそうなのでしょうが、
人権にかかわる問題であっても、聴覚障害者に対しては
そういうものなのだろうか? と思うのは、
自分に社会勉強が無いせいなのでしょうか?

私には落胆するだけで、理解できません。
交換条件なんかしたって、それが真の理解にはならないと、
自分にはわかっています。
その虚しさに、自分の人間としての存在の意味、
生きる意味も喪失してしまうのです。

だからこそ、聴覚障害者に

「聴者が聴覚障害者を理解するなんて無理」

と言わしめているのではないかと思ったりします。

a0196876_291816.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-20 02:10 | 聴覚障害

単一民族特有の群衆行動

健聴者は、聴覚障害者と1対1で手話で話したり、
覚えた手話を職場などで使うのは、
抵抗感を感じているかもしれません。

その勇気ある一歩を、なかなか踏み出せない人も多いのではないか、
と思います。

あるハローワークの職員さんは、手話講習会に通って、
手話を少し覚えましたが、それでもこう言いました。

「ろう者と手話で話すのは、度胸がいる」

また、ある手話サークル員がこう言いました。

「「ろう者と手話で話すには、厚かましいほうがいい」と言われた」

なるほど、その通りですね。

職場では、健聴者同士では楽しくおしゃべりしながら仕事をしているのに、
聴覚障害者だけ、たった一人で定時まで、ずっと話しもできず、
何の情報をもらえることもなく、一人で単純労働をする毎日になります。

健聴者には、そんな気持ちを、想像してみたことはないと思います。


健聴者は反対に、手話講習会などでは、様子がガラリと変わります。
手話学習、資格取得という目的ものと、皆が積極的に、
手も動かすようになります。

そうすると、それだけ手話を使う人の輪も大きくなるのです。
この全く反対になる現象を見て、不思議に思います。

結局、みんな群れで動くものなんだなぁ。
今までずっと、そうした群れに入って一緒に動くことができなかった自分と、
常に比較してしまう自分もいました。
入ることはできても、疲れてしまったり、不愉快になってしまうのをこらえるのは、
辛かった。
楽しいことも少しはあるが…。
楽しみは少し共有できても、理解者は現れませんでした。
だから、それもやめてしまう。

生きている限り、虚しさと、皆と一緒に動こうとしない、すぐ嫌になってしまう罪悪感は、続く。

a0196876_22563152.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-18 23:01 | 雑談

健常者と同じ仕事がしたくても…

フリー雑誌(マガジン)というのか、いつのまにか、
こういう仕事探しの雑誌が駅で気軽にもらえるようになりました。
昔はあった、年齢制限はなくなっていました(形だけの撤廃です)。

でもそれに載っているのは、全てはローワークで「一般募集枠」
といわれる採用枠で、障害者がこういうもので仕事探しをしても、
100社に問い合わせしても、全社から断られるだろう。

というより、私は耳の障害で電話ができないから、
問い合わせることすら、できないのですが。

障害者採用枠でさえ、100社中、1~2社だけでも、
面接にありつけられたらいいほうです。


もっと普通の仕事をしたい。
アルバイトでも何でも、また普通の人と同じ仕事がしたい。
障害者だからできないんじゃなくて、できる自信も、実績もあったから、
やりたいんだ。

その気持ちから、10年ぶりにフリー・マガジンを手に取り、仕事を探してみました。
このにぎやかな印象がいい。
ハローワークの障害者枠の、つまらなそうな仕事ばかりの募集とは大違い。

でも、要電話問合せの募集ばかりで、
FAX番号があるものは一つもない。

それに、探しても探しても、断られてしまう自分の姿ばかり、
何度も目に浮かんでくる。
そして目には涙があふれそうになる。

もう泣いてもしょうがない。
泣きたくないから、いっそのこと仕事も夢も、みんなあきらめてしまう。

あきらめて終わりの人生しか、想像できなくなってしまう。

これじゃ、ダメなんだよな。


葛西臨海水族館のマグロ水槽
 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%B3%EB%C0%BE%CE%D7%B3%A4%BF%E5%C2%B2%B4%DB&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=

a0196876_22255786.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-18 22:35 | 就労前の聴覚障害者問題A

葛西臨海公園(東京都江戸川区臨海町)

日本最大級の観覧車が名物だそうですが、私は乗りませんでした。
ものすごく暑い日でしたが、観覧車に、クーラーはあるのかなぁ?

午前中一杯の撮影予定も、時間をまだ残し、早々と水族館に逃げ込みました。

 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%B3%EB%C0%BE%CE%D7%B3%A4%B8%F8%B1%E0&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=

水遊びのみで、遊泳禁止場所です。

a0196876_071944.jpg


まだいるんですねぇ、こんな女の子が。
現代っ子も、まだまだロマンチックなこと。

a0196876_073898.jpg


a0196876_075850.jpg


a0196876_082720.jpg


都会には珍しい、野鳥の楽園です。
淡水池と汽水池の二つがあり、バード・ウォッチングができます。

a0196876_084973.jpg


高倍率レンズは持っていないので、77mmで撮った写真をトリミングしてみました。

a0196876_091850.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-17 00:22 | 観光(関東)

対等関係でケンカができるということ

タイトルの言葉、そういえば難聴者が言っていました。

健聴者と聴覚障害者の「対等関係」とは何でしょうか。

「健聴者を怒らせると、筆談してくれなくなってしまう…。
だから、ある程度のことは我慢し、有難く思わなくては…」

「健聴者を怒らせてしまったら、もう相手にしてもらえなくなる。
だから、腫れ物に触るように、注意深く言葉を選ぶ。
ケンカになるのは、出来るだけ避ける」

要するに「筆談してもらっているのだから」という遠慮が出てしまう。

ゆえに、本当の対等関係で、堂々とケンカができるのは、
通訳がいるときだけなのかもしれない。
それじゃ、いけないのだが、現実は…。

福島智(盲ろう者/東京大学教授)さんは
「母とのケンカから指点字が生まれた」
と話している。
彼がどうにも我慢できなくてとった行動を見て、お母さんはとっさに指点字で
「智、わかるか?」
と話しかけたそうだ。
それが指点字の誕生だったという。

それまではブリスタがないと、コミュニケーションができないと、
お母さんは思っていたのだろうか?

この話を聞くと、実はコミュニケーションとは、相手側(この場合は、健聴者)にも
積極的な気持ち、行動がないと通じるようにはならないんだな、と思いました。

障害者だけに、一方的な努力を強いるのは考えものだし、
それではコミュニケーションは成立しないかもしれない。

今回の話の結論としては、対等関係とは障害者も健常者も遠慮せず、積極的になること、
でいいかな?

そういえば、障害者を避ける健常者って、多いですよね。
残念ですが…。

a0196876_21405714.jpg

[PR]
by bunbun6610 | 2011-08-16 21:41 | 聴覚障害


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

カテゴリ

全体
はじめての方へ
街風景
自然風景
祭典
動物
食べ物
食べ物(ラーメン編)
食べ物(カレー)
sweet
製菓の話
お酒
観光(北海道)
観光(関東)
観光(四国)
観光(中国)
観光(九州)


薔薇
紫陽花
聴覚障害
聴覚障害者心理
ろう者世界
難聴・中途失聴
難聴の記憶
手話
コミュニケーション能力
手話言語法
補聴器、福祉機器等
情報保障・通訳
情報保障・通訳(就労)
情報保障(テレビ字幕)
国連・障害者権利条約
社会
人権、差別
障害者問題・差別
原発問題
六本木ヒルズ回転ドア事故
バリア&バリアフリー
医療バリア&バリアフリー
障害者の経済学
運転免許制度への疑問
哀れみはいらない
だいじょうぶ3組
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
就職活動・離職
就労前の聴覚障害者問題A
就労後の聴覚障害者問題B
就労後の聴覚障害者問題C
就労後の聴覚障害者問題D
就労後の聴覚障害者問題E
就労後の聴覚障害者問題F
就労後の聴覚障害者問題G
就労後の聴覚障害者問題H
就労後の聴覚障害者問題M
就労後の聴覚障害者問題R
就労後の聴覚障害者問題Z1
職場の回想録
ブラック企業と障害者雇用
聴覚障害者版サムハル
Eテレ『バリバラ』
生活保護を考える
年金・無年金障害者の問題
人気記事(再掲)
雑談
未分類

以前の記事

2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 10月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月

フォロー中のブログ

おばば奇譚
ボーダーコリー モリーが行く!
但馬・写真日和
九州ロマンチック街道
東京雑派  TOKYO ...
大目に見てよ
Photo Galler...
おっちゃんの気まぐれ絵日記
松浦貴広のねんきんブログ
qoo's life
poiyoの野鳥を探しに

検索

タグ

(162)
(93)
(51)
(45)
(40)
(31)
(21)
(13)
(7)
(5)
(4)
(1)
(1)

ブログパーツ