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障害者総合福祉法(仮称)の素案


 →http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY201108300560.html

「2006年施行の自立支援法は、利用したサービスの一律1割負担が原則。
利用が多い重度者ほど負担が重くなる仕組みのため、障害者の反発を受け、
昨年末の法改正で支払い能力に応じた負担割合に変更。
来年4月から実施される。」


「必要なサービスとして、手話や点字などコミュニケーションや、
日常生活を送るための補装具など6分野を挙げた。
ただ、「無償では国民の理解が得られるのか不安」という意見もあり、
「高額な収入のある者には収入に応じた負担を求める」とした。」


労働の場面で必要とする情報保障・通訳と、日常生活に必要な情報保障・通訳は
異なります。

新法では、日常生活での通訳にも、収入により、障害者の自己負担金もあるのでしょうか?
もしそうなれば、内容的にも今より悪くなってしまいますね。

聴覚障害者団体はこれまでもずっと、完全無料実施を要望していますが。

現在の聴覚障害者向け通訳費用は、国が45%負担、区市町村が45%負担、
そして残りの10%が障害者の自己負担となっています。

ただ、今までは区市町村の判断で、障害者負担分も区市町村が負担している
地域もあります。

今度はどうなるのでしょうか?

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by bunbun6610 | 2011-08-31 20:49 | 情報保障・通訳

コミュニケーションの神秘性


「誰かとある形のコミュニケーションを保つこと、
友情をともにすることは、
絶望に身を任せるか、
限りない希望へと導くか、
二つの違いを生じさせるのである。」


          (スーザン・シャラー)



『言葉のない世界に生きた男』(A Man Without Words)
【序文】オリバー・サックス
スーザン・シャラー(Susan Schaller)著 中村妙子訳
(1993年6月25日発行,晶文社)より引用。

 →http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre4/schaller.htm



「初めに言(ことば)は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらず成ったものは
何一つなかった。
言の内に命があった。
命は人間を照らす光であった。」

        (ヨハネによる福音書)



「神は言われた。
我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。」

            (創世記)

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by bunbun6610 | 2011-08-30 00:40 | 聴覚障害

補聴器やFM補聴システムの上手な使い方

私は普段、補聴器を装用していることはないし、詳しくはありませんので、
あまり専門的なことまで述べることはできないのですが、
私の経験が悩んでいる方にも、少しでも役に立てたら、と思い、
書いてみます。

また、ここに書くことによって健聴者も

「あー、なるほど。
自分もこうすれば、難聴のおじいちゃんも、もっと聴こえるようになるんだ」

と思ってくれるかもしれません。

補聴器やFFM補聴システムの上手な使い方、というと、
条件的に次の3つが考えられると思います。

(1)使用機器(補聴器など)の調整、購入店の選択
(2)上手な使い方の知識と説明力(自分側〔装用者側〕)
(3)相手側の理解と協力

もう一度お断りしておきますが、私はこの分野はド素人です。
それでも、この位は知らないと、使用機器の能力を最大限に発揮させることはできない、
と断言できます。


【(1)使用機器(補聴器など)の調整、購入店の選択】
これは、専門知識を持った人(資格があるらしい)がいる補聴器専門店で検査を受け、
充分に相談したうえで、補聴器を購入すべし、
ということです。

専門店だからといって、必ずしも自分にも良い担当者がつくとは限らないので、
そこも見極める必要があると思います。

もしも満足できないのなら、
遠慮せず、担当者を代えてもらうよう、お店に申し出ましょう。
良い補聴器を得るためなら、いっそのこと、店を変えてしまう人だって、
珍しくありません。

また、
「充分に相談したうえで補聴器を購入すべし」というのは、
初めて行った店で即決はしないことと、即決を強く勧めてくるようなら、
もうその店には行かない方がいい、という場合もあります。

ある程度のメーカー数、レベル別の種類の品揃えがあり、
しかも納得のいくまで視聴させてもらえるお店がいい、
ということはわかりますよね。

そういうお店で買う補補聴器は、アフター・サービスも安心です。


【(2)上手な使い方の知識と説明力(自分側〔装用者側〕)】
自分で積極的に補聴器店に聞いたり、インターネットで仲間の話を調べたりする
努力も大切です。
わからないからといって諦めず、自分で磨きましょう。

また、話し手に補聴器の効果的な使い方を理解してもらうためにも、
知識と説明力は必要だということです。


【(3)相手側の理解と協力】
最後に残るこれも、非常に大切なのですが、
これを得ることは最も難しいことなんじゃないか、と思います。
事実、難聴者の人は

「家族でも、理解はなかなか得られない」

と告白しています。

とはいえ、少しずつ理解してもらい、協力的になってもらうことが、
聴こえの確実な進歩になるなぁ、と私は思っています。

以下の話は、うまくいかなかった例なのですが、私の体験を少し書いてみます。

FM補聴システム(スイス・フォナック社製)を使っていたときのことです。

 →http://www.phonak.jp/products/pdf/fm/FM_installation_catalog_1106.pdf

これは、
マイク側を相手の服の、それも聞き手が最も聞き取り易くなる位置に
着けてもらう配慮なのですが、相手にお願いしても、机の上に置かれたまま、
という場合もあります。

服に着ける理由をわかっていないのか、それともイヤがって着けようとしないか
だと思います。

あるいは、着けてくれましたが

「これ、録音されないですよね?」

と心配する人もいました。

机の上だと、話し手の声のみを拾うことができにくくなり、
机の上にちょっと肘や手が触れたり、ペンを置いただけで、
その音が入ってしまい、話しが聞こえなくなってしまいます。

それだけではなく、想定外の音には大きな音が出てしまうこともあり、
それが聞き手の耳に衝撃音を与えてしまうことがあります。

補聴器にしても、話し手は装用者の正面で話すとか、
騒音が気になっているようならドアや窓を閉めたり、場所を変えてみるとか、
ちょっとした配慮で改善することはたくさんあります。

ですから、健聴者の皆さんも、もしもこのような機器や補聴器を使う
聴覚障害の方を見かけましたら、是非、ご協力をお願いします。

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by bunbun6610 | 2011-08-28 20:57 | 補聴器、福祉機器等

高齢者に合った手話学習法とは

高聴者の手話指導に関して、思うことがあります。
手話講師によって、考え方、また教え方は違うものですが。

私も何人かの講師に教わりましたが、
なかには、次のような講師もいました。

「手話を勉強していても、忘れてしまうのは仕方ありません。
忘れてしまっても、それは気にしないで、どんどん勉強して覚えましょう。
そうすれば、忘れる量よりも、覚えている量のほうが、だんだん増えていきます。」


また、別の講師だと、次のような説明をしていました。

「高齢者(に限らず、難聴者は大体同じですが)は、
一度にたくさんの手話を習っても、
全部覚えるのは難しいです。

だから、数量よりも、10のうち、1つか2つだけでもよいので、
確実に覚えていく(忘れないようにする)ことを心がけて下さい。」


他にもあるかもしれませんね。
私はまだまだ高齢者ではありませんが、どちらかというと、
ハッキリ言って後者を実践しています。

何事もそうだと思いますが、手話を覚えるのも、
やはり自分の記憶力アップは重要だと思います。


私が、高齢者で手話をよく覚えていく人を見ると、
次のようなことに気がつきます。

①コミュニケーションで、積極的に手話を使う。

②手話学習中、わからないことは、遠慮せず質問する。

③学習中、すぐに自分で反復練習をする。

④学習中、ノートをとっている人。
このノートに自分の工夫がある人は特に、覚えているようです。
イラストを描く人は、視覚言語として手話を認知しているので、
よく覚えているようです。

⑤手話語源に興味を持つ人、研究好きな人も、よく覚えている。

⑥手話講習会だけでなく、いろいろな手話関係の場(地域手話サークルなど)に、
積極的に出ている。

⑦教室で自分が一番を目指す人も、確かに覚えが早かった。

他にも人により、いろいろ違う方法があると思いますが、
やはり自分に合ったやり方で、その中で最も効果がある方法を、
早くみつけることが大切だと思います。

「鉄は熱いうちに打て」という諺がありますね。

やってみても、なかなか覚えられなければ、
やっぱり辞めたくなるものですから。

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by bunbun6610 | 2011-08-26 23:57 | 手話

聴覚障害者のコミュニケーションの多様性

当ブログの

『手話サークルの交流会で思うこと』
〔2011-07-27 23:57〕


では、交流会に参加した健聴者が、
ろう者の会話を読み取れず交流ができない、
という意見が出されています。

この問題は、ろう者と他の障害者との間にも、
もちろん存在します。
それだけ、ろう者と他の人との言語的相違が
大きく、この問題の困難さを象徴しているのでは
ないかと思います。

他の障害者も、ろう者とは交流が難しいという
ことを、正直に話しています。

それだけではありません。
聴覚障害者のなかには、大きく分けて難聴者、
中途失聴者、ろう者がいる、ということは、当ブログ

『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕


でも述べました。

一概には言えないのですが、一般的には
日本語を第一言語とする難聴者や
中途失聴者は、手話を使えない人が
ほとんどで、日本語による会話(音声や、
筆記を交えての)がほとんどです。

情報保障や通訳を用いる場合も、
日本語表記という点では変わりません。

また手話も使う中途失聴者、難聴者でも、
日本語を話しながら日本語対応手話を併用
する、という方法でコミュニケーションをとる
人がほとんどです。

それはなぜかというと、難聴者や中途失聴者
は特に、手話がわからない人も含めた健聴者、
同障者、家族や友人の健聴者など、より多くの
人とコミュニケーションをとることを目的として、
音声を使い続けるだけでなく、手話も積極的に
取り入れ、併用しているのだと思います。

特に家族の皆が健聴者である場合が多い
中途(後天性)難聴、中途失聴者では、
音声なしの手話(ろう者の日本手話)というわけ
にはいきません。

反対に、ろう者の場合は、ろう者社会という
社会生活で用いる手話が中心で、健聴者が
相手の場合には日本語対応手話も使う、
というような状況があります。

このように「誰と話すために手話を使うか」で、
選択する手話も異なってくるのが実情です。

この点は、盲ろう者のコミュニケーション方法が、
相手により異なっているのと同じだと思って
よいかもしれません。

盲ろう者も、眼が不自由であるため、
全盲の方で触手話を用いている方でも、
感情の表現などを表情に表しても読み取れません
ので、手で表して伝えています。

また他にも、相手により、様々な方法があります。

→当ブログ
『「盲ろう者」について』
〔2011-04-09 09:34〕
参照。

今回のテーマで問題なのは、
日本語を話さずに使う手話のほうでしょう。

今までは、日本語音声会話しかしなかった
健聴者集団のなかで、聴覚障害者が一人で
ガマンしているという、精神的にきわめて悪い
状況を、「仕方がない」とされてきました。

しかしそれが、国連・障害者権利条約によって、
場合によっては「合理的配慮を欠く」ということ
になり、「間接差別」とみなされるかもしれません。

誰も悪意がないとは言っても、その人たちの放置、
言い換えるならば配慮不足から差別的状況が
生じているのは事実で、それは間接差別になると
思われるからです。


それは、今まであった社会の中の目には見えない
不平等を是正するうえで、よいことだと思います。

ただそれは、健聴者だけが、その是正勧告を
受けたということでなく、ろう者団体も同じだと、
私は思っています。

この条約は、障害者の方にばかり、利益があるの
ではなく、やはりすべての人が、お互いに暮らし
やすくなるためにあるのだと思います。

当然、言語としての手話や情報保障のあり方も
見直し、より公正なものへと進化していかなければ
ならない、と思います。

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by bunbun6610 | 2011-08-25 23:03 | 手話

難聴者コミュニティ形成の難しさ(6)

難聴者は、コミュニケーション方法が多肢にわたるため、
集団もそれにしたがって分かれている場合が多いと思います。

日本の聴覚障害者の数は身体障害者手帳保持者で約36万人います。
そのうち、手話を日常で使いこなしている聴覚障害者の数は10%くらいしかいない、
という厚生労働省調査のデータがあります。

4万人いるかいないかですが、そのわりには約2万人いるといわれる盲ろう者と比べ、
社会的認知度は突出していると思います。
それは、難聴者と比べると、もっと鮮明なのではないかと思います。

日本には1.600~2.000万人の難聴者がいる、と言われていますが、
社会ではろう者への理解の方が際立っているのは、なぜでしょうか?

特に思い浮かぶものに、ろう者には独特の文化、
その魅せる(観せる)ものの力があると思います。

ろう者とは何か、聴覚障害とは何か、聴こえない人が使う言語とは?
 ということを知るきっかけとして、手話から注目されたことは
間違いないだろうと思います。

ろう者の手話は、健聴者には習得が難しいものであることは、
以前からわかっていたと思いますが、それでも魅せられる何かがあり、
まずそこを突破口にして、多くの人の心をとらえることができたと思います。

同時に、テレビ手話偏重(NHKの手話番組や、テレビドラマなどでも)という
弊害もあったと思いますが、とにかく手話は映像でのデビューも早く、
それがろう者の認知につながったのだと思います。

それだけでなく、同じ仲間が手話を使ってコミュニケーションをはかり、
結束することにより、様々な壁を仲間で乗り越えることもできました。

それは、人間の最大の武器を、彼らも持っていることを意味しています。

しかし、コミュニケーション能力がはるかに限定される盲ろう者や、
中途失聴者、難聴者は、持てる力も小さくならざるをえなかったのではないか、
と思うのです。


【中途失聴。難聴者の、新たな言語獲得の苦しみ】
健聴者は赤ん坊の時から、周囲の人が音声言語で話しているのを見て、
自分もそれをやってみるようになります。

ろう学校では、手話禁止の時代でも、周囲の子陰で手話を使っていて、
ろう学校に新しく入った子どもも、それを真似し、自然に覚えてしまうという。

人間の言語獲得の適齢期は6歳頃まで、と言われていたり、
3歳頃まで聴こえていれば、日本語を話す能力はある、
と言われたりします。

このへんについては、詳しく述べられないのですが、
言いたいことは要するに、音声言語にしろ手話にしろ、
言葉の獲得は、若いときに始めるほどスムーズで、
皆それが当たり前の環境にいられた、
ということです。

これは、手話を覚えるのに苦労している中高年の健聴者、
中途失聴者、難聴者や、日本語文章力を身につけるのに苦労している
中高年のろう者を見れば、一目瞭然だと思います。

単に異なる言語を学習するのが難しい、という問題だけでは
ないと思います。

日本語にしろ手話にしろ、言葉の獲得が難しくなる年齢になってくると、
覚えるのが難しくなり、獲得への苦労は並大抵のことではないようです。

中途失聴者、難聴者は、日本語を獲得していますが、
耳が不自由になってしまったために、
障害を感じるようになります。

このことは、健聴者からはろう者と同じように見えても、実は決定的に違う点です。

そしてもう一つ、手話獲得にも苦労する中途失聴者、難聴者がたくさんいるのです。
しかも、それが健聴者だけでなく、ろう者にも理解してもらえない苦しみもあります。

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by bunbun6610 | 2011-08-24 20:07 | 難聴・中途失聴

難聴者コミュニティ形成の難しさ(5)

難聴者のコミュニケーション方法として、
これまでに手話や筆談を挙げてきました。
しかし、手話は習得が困難で、実際に使いこなせるようになれる人は、
ごくわずかです。

筆談の場合は誰でもできると思われがちですが、
健聴者が音声会話を楽しんでいるときのような、
自然なコミュニケーションにはなりにくく、
当ブログ『難聴者コミュニティ形成の難しさ(4)』(2011-08-24 19:40)
でも述べたようなトラブルが起きてしまう場合もあります。

他の方法としては、通訳を介しての方法、
パソコンの音声認識ソフト(『ドラゴンスピーチ』とか、いろいろあるようです)を活用してみるとか、
磁気ループやFM補聴システムなど様々な機器を試したり、
読話などの方法もありますが、音声や手話のように、いつでもどこでも、また誰とでも、
というわけにはいかないようです。

そうすると、社会参加が難しく、自分たちのコミュニティ形成もできず、
孤立しやすい危機が最も高いのは、中途失聴者や難聴者になるのです。

手話のグループとか、人工内耳手術やリハビリに取り組むグループとか、
読話のグループとか、自分の選択したコミュニケーション方法に合わせて、
様々な小さなグループに分かれていくことになるし、それがないと、
その人たちは自分の本当の居場所が見つからない、
というのが中途失聴者や難聴者だと思います。

これも、健聴者社会やろう者社会とは違う価値観、社会観であるので、
誰もが、そういった違いを認め合うようになってほしいと思います。

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by bunbun6610 | 2011-08-24 19:51 | 難聴・中途失聴

難聴者コミュニティ形成の難しさ(4)


難聴者は、ろう学校に通ったろう者とは異なり、
コミュニケーション方法、文化教養、障害観、心理など、
人それぞれに、あらゆる点で幅広さがあります。

障害名は単に「難聴」であっても、聴力や性質、
障害の克服方法にいたるまで様々で、
すべての難聴者に共通している点も、
意外にも多くはない。

筆談は完全なコミュニケーション方法になりえると
考えられやすいですが、実際には筆談を使うケース
は稀であり、しかも筆談でも通じない場合は
よくあります。

1対1での筆談でさえ、面倒くさがって誰もやろうと
しない場合もあります。
まして、大人数になると見続けるのも面倒くさがる
難聴者も多くなります。
(この場合、OHPの方が当然に良い)

それよりも、気の合う難聴者同士で、少人数でいい
から、固まって話すほうが好き、という難聴者のほうが
圧倒的に多い。

これは

「健聴者の音声言語が自分たちにも使える範囲で
満足するしかない」

と、あきらめている難聴者が多い、ということを示して
いると思います。

手話でコミュニケーションができる人同士なら、
それでもいいのですが、できない人もいると、
できる人はその人とわざわざ話さないし、
できない人もできる人と手話で話すことはできない。
不思議に思えるかもしれませんが、使用言語により、
自然に分かれていくものです。

人間というのは、もともとそういうコミュニケーション
方法が、最も気楽で自然な会話になるのであって、
筆談という、労力を非常に使うコミュニケーション方法
では、やはり音声や手話のような豊かなコミュニケー
ション効果はえられないのです。

これが、難聴者でも筆談によるコミュニケーションは、
あまりしたがらない理由だと思います。

筆談が音声会話の代わりとして、あまり有効ではない
と思える理由は、他にもあります。

下の事例がそれです。

私は以前、ある難聴者と筆談で話したのですが、
関係がうまくいかなくなってしまった経験があります。

相手の方は、高齢難聴者でした。

筆談が悪いというより、筆談のマナー的なところ問題が
あったと思いますが。

お互いに筆談に神経を集中するほどの気合の入れようで、
その方が書いていたときは、私はそれを読みながら
考えていました。

しかし、私が書く番になると、その方はまたすぐに
自分の言いたいことを一生懸命に書いていて、
それはかなりの長文になっていました。

その方は私が書き終えると、やっと私の文を読むのですが、
読み終わるとまたすぐに、自分の言いたいことを一生懸命
書くのでした。
そういう筆談をする難聴者とは、話が合わなかったというか、
私は不快感を持ちながらのコミュニケーションになって
しまいました。
そういう筆談を1時間半ほどして、やめました。

その方は帰り際も親切そうに

「私が筆談した紙を持って帰って、もう一度読んで」

と言ったのですが、私は筆談とはそういうものではない、
と思ったので

「結構です」

と断りました。

その数日後、その方と手紙でやりとりをしようとしましたが、
その方は筆談した日のことで不満を言いました。

「あなたは私が一生懸命に書いた筆談用紙も『いらない』
と言い、
私の話を聞こうともしませんでした。
だから、あなたを自己中心な人だと思いますし、
そんな人と今後も話を続けたいとは、
私は思いません。」

その方の筆談が、そんなふうであるのは、相手が時間を
かけて書いている筆談を、待ちながら読むのは、時間が
かかってしまうから、相手が書いているうちに、自分の方も
書いて、終わったら交換するほうが効率が良い、
と考えていたのだろうと思います。

しかし、こういう筆談は、音声や手話でのコミュニケーション
では、ありえない方式だと思います。

また、筆談に集中してばかりだと、相手の気持ちが見えず、
わからないということも、メールでも同じだろうと思いますが
あると思います。

筆談でお互いの考えや気持ちがわかるようになるには、
リテラシーと呼ばれているそうなのですが、
お互いがそうした知性、心構えを持っている必要があると、
そのときの経験で思いました。

決して難聴者でも筆談はうまくいかない、というのではなくて、
例えば

「要約筆記通訳を上手に使いこなせない利用者がいる」

といわれるのと同じように、筆談という方法なり、パソコン・
メールという方法なり、それを使って円滑なコミュニケーション
をするには誰でもリテラシーが必要、ということなのです。

ブログに載せる文章を書くときににもリテラシーが必要、
と言われています。

(ただし、当ブログの場合は筆者の意向で、あまり意識して
いません。
それにいついては、いずれ書きたくなりました。
ブログ・タイトルと関係がありますので)

筆記リテラシーというのは音声会話のそれより難しいと
言われこれも、敬遠されがちになる理由というか、
難聴者がコミュニティを形成するコミュニケーション力が弱まる、
一つの要因になるのではないか、と私は思うのですが。

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by bunbun6610 | 2011-08-24 19:40 | 難聴・中途失聴

難聴者コミュニティ形成の難しさ(3)

発表会の準備が始まるのは、3ヶ月前からです。

ですから、それまでの1年9ヶ月(最長期間で)学んだことを、
何かの形にして発表しなければなりません。

これは、受講生がこの手話講習会を修了後、
自分の自立力を試す場でもあると思います。
(ただ「自立とは何か?」の答えは、難聴者それぞれによっても、
違うようです。)

ですから、講師、助手の手助けなしで全て行うのが基本です。

初めに、発表会準備を行う司会を選出することから、
発表会を全員でやるのか、それともグループに分けてやるのかを、
皆で話し合って決めます。

その次に、クラスまたはグループのリーダーを決め、何をやるのかを、
さらに皆で話し合って決めます。

途中でモメたり言い争うことも起きましたが、
止められません。

基本的に自分たちのなかで起きた問題の責任も、
全て当事者に負わせ、解決させます。

というのは、難聴者の自立を試す場である以上、
そうしないと、この企画をやる意味がなくなるからです。

たとえうまくいっていなくとも、そうした経験から難聴者が、
自ら聴覚障害者問題を考え、克服する力を身につけさせるのが目的です。

そこで耳が不自由なだけでなく、手話の力も皆まちまちですから、
手話のみによるコミュニケーションでは、全員会議が成り立たない、
ということに、皆当然気づくのですが、そこで諦めてしまう人は何人も出ました。

諦めた人は、ただ黙って見ているだけですから、
結局は何らかの方法で積極的発言をする人たちの意見で議決され、
それ同意できない難聴者はガマンするか、辞めてしまう人もいました。

意見の相違で、陰でFAXやメールで口論したり、意見集約を行っていたり、
2、3人の間でだけ物事が決められ、発表会準備が進んでいたグループもありました。

そうしたグループは、発表会までとにかくガマンしてやり遂げたのですが、
修了式とお別れ会の後は、きっぱりと関係を絶った人たちもいました。

こうした様子を見たので、難聴者のコミュニティ形成は、本当に難しいな、
と思ったものです。

こうした状況というのは、実は彼ら皆が、健聴者の考え方からまだ一歩も出ていない、
ということが原因なのだと思うのです。

先天性難聴者も少しいましたが、ほとんどが後天性難聴者でした。

その人たちは、聴覚障害ゆえにコミュニケーションが大変だ、
自分は手話が出来ないから、あるいは自分は手話は出来るが、
手話がわからない人とコミュニケーションは難しいからとか、
思っていたと思います。

でも、その考え方では一緒に発表会をつくりあげていくのは無理、
ということに気づきません。
そんな彼らは、難聴の仲間という意味での「難聴者」としては、まだ未熟でした。
ちょうど

「私は手話勉強中ですので、交流会は遠慮します」

という手話サークル生と同じでした。

話し合うには、まずお互いに、どういうコミュニケーション方法をすればよいのか、
知り合うべきでしたが、その確認もしないままの難聴者が多かった。
だから、混乱も避けられなかったのだと思います。
勿論、こうしたことは健聴者やろう者にはあまり経験しないことです。
しかし、難聴者は、その対策もわからないうちに難聴になっていった人ばかりです。

不完全な難聴者コミュニティでは、それぞれが自分のコミ方法と
同じ相手だけを探し出し、そのグループで固まってしまう、というのは、
他の聴覚障害者団体でも手話サークルとかでもあります。

しかし、それと同じでは、単なる難聴の人の集まりであって、
自立できた難聴者の集団とは言えないのではないか、と思います。

難聴者の場合は、特に

「難聴者は皆、小さなグループで固まってしまうのはどうしてか?」

と言われるほど、傾向が強いと思います。

これが、難聴者のコミュニティ形成力の弱さではないか、と私は思います。

この次には、その理由について、考えてみたいと思います。

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by bunbun6610 | 2011-08-23 22:07 | 難聴・中途失聴

難聴者コミュニティ形成の難しさ(2)

私は東京都福祉保健局主催『中途失聴者・難聴者対象手話講習会』に
通ったことがあります。

 →http://www.tonancyo.org/index.html

 →http://www.tonancyo.org/09syuwakosyukaitirasi.pdf

そこでは、最長で2年間学べるのですが、申込者の手話獲得状況を、
まず講師が見てから、どのクラスから学習を始めるか決まります。

そのクラス分けが入門、初級、中級、上級とあり、それぞれが約6ヶ月の
学習期間になっています。
すべて基礎課程レベルの学習で、健聴者対象の手話通訳者養成を
目的とした手話講習会とは、カリキュラム内容が全く違います。

入門クラスは、手話を全く知らない難聴者を対象としており、
OHP要約筆記通訳がついていました。

ここでは、手話学習というより、まず手話とはどういうものなのか知り、
体験してみる、といった感じなのですが、この段階で、
1ヶ月もしないうちにやめてしまう難聴者も何人かいました。

それまで日本語だけに慣れ親しんできた人にとっては、
言語があまりに違うからか、抵抗感を持つ人もいるようです。

これは、難聴者コミュニティ形成が難しい理由の一つになると思います。

初級クラスからは、要約筆記通訳がつきません。

それに対して不満を言う難聴者もいましたが、
要約筆記通訳がつくと情報保障になっても、
講師の手話をきちんと見ない、
手話の学習にならなくなる、という問題が生じてきます。

特に、日本語文字を使っての手話学習をしていると、
難聴者はそれを見ながら、過去に覚えた手話単語を思い出し、
表すだけの、完璧な日本語対応手話になってしまいます。

難聴者の手話が、ろう者の手話とかなり違っている理由の一つが、
この学習法にあることは間違いないと思います。

そして、いったんこの癖がついてしまうと、
なかなか手話通訳でも採用しているレベルの技能は獲得できなくなって
しまいます。
他の手話を覚えようとしなくなります。

この問題は、個人差や、年齢が高くなるほど、手話を覚えるのが難しくなる、
という傾向も原因なので、やむをえないと思いますが、
それによって手話獲得能力と状況に、幅が出るということです。

つまり、ろう学校のように、生徒が比較的まとまって習得されていく、
というわけではないのです。

このバラツキが、同じ手話クラスの生徒でありながら、
集団の分裂へと進んでいきます。

難聴者対象手話講習会の話が長くなってしまっていますが、
この話は難聴者のコミュニティ形成が難しいという話と、
関係があるというか、背景になっていると思いますので、
まだ続けさせていただきます。

中級クラスは初級で学んだことの復習、プラス、ステップアップの
ような内容で、基本文法から幅を広げていきます。

そして上級が、前期はオノマトペとかの手話表現(ろう者の使う
日本手話を学ぶ)、後期から引き続き学習と、発表会の準備を、
半々に行います。

発表会とは、2年間の手話講習会で学んだ成果を、全員、
またはグループに分けて準備、練習し、
修了式の後に全受講生の前で発表する、というものです。

この発表会の準備状況を見て、私は、

「難聴者のコミュニティ形成は本当に大変で、
難しいなぁ」

と痛感しました。

(つづく)

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by bunbun6610 | 2011-08-23 21:29 | 難聴・中途失聴