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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

<   2011年 07月 ( 31 )   > この月の画像一覧

 →http://www.sarusima.com/naval-port/index.html

横須賀には、海上自衛隊 横須賀地方総監部があります。

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ここは関係者以外立ち入り禁止区域ですが、海上からは観光船で視察できます(日本唯一)。
航海時間約45分間で1200円(障害者割引は半額)と高めですが、この暑い季節だからこそ、
船上で浴びる潮風は気持ちいいのなんのって。

勿論、観光船の室内は冷暖房完備です。

なお、この企画は観光大賞を受賞したそうです。

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この軍艦はデカくて、迫力があります。

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潜水艦は小さいので、何だかかわいい乗り物に見えてきます。

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by bunbun6610 | 2011-07-23 23:42 | 観光(関東)

難聴の種類には、その性質から大きく分けて、次の3つがあると言われています。

 ①伝音性   ②感音性   ③混合性(①と②の混合障害)


しかし、難聴にはもっといろいろな言われ方もあります。
私が実際に難聴者と会って、聞いたことがあるのは、
例えば次のようなものです。

 ①奇形性難聴  ②進行性難聴  ③突発性難聴  ④過敏性難聴  ⑤その他

これらは、難聴になった原因についてわかる名称のように思えます。


感音性難聴障害という言葉を聞いても、健聴者にはよく分からないでしょう。
それが当たり前なのです。
しかし、それだからといって難聴者が諦めてしまうのはおかしい、と思います。
諦めなければならない理由などはありません。

それでは、どうやって健聴者を説得するか。

例えば、今までには日本障害者雇用促進協会の
『聴覚障害者の職場定着推進マニュアル』
がありました。

http://www.jeed.or.jp/data/disability/occupation/list.html

このマニュアルの6ページには、聴覚障害を経験できない健聴者にわかりやすく
説明するため、見えない音声言語に対する、聴こえの状態を可視化しています。

アルファベットの文字「HANASHI」がハッキリと見える状態が、健聴者の耳の
聴こえの具合です。

一方、難聴者の場合は例えば、薄くぼやけていたり、一部か半分、あるいは
ほとんどが欠損していて読みづらい状態で、聴こえの不具合があるということを
説明しています。

「全ろう」では、通常は全く何も見えない状態、と考えていいと思います。

しかし、この例では、「聴覚障害」というものを健聴者にも理解できる、とは
言えないかもしれません。

その例では「HANASHI」は、どのように変質していても、この程度ならば、
自分がそれまで学習してきた言葉の知識でわかるようなものだからです。

難聴者も、「HANASHI」は聞いたことがあるので、その文字の一部や半分が
欠けていても、すぐ「はなし」「話し」だろうと推測で当てることが可能です。

以前に聞いたことがある言葉で、それを覚えているならば、言葉の一部を
ヒントに、それが何という言葉なのか、相手が何て言っているのか、
意味だけでも想像で当てることは可能です。

それだけではありません。
難聴者の場合は、優れた文章力を持つ人も多いので、言葉の幾つかを
聞き漏らしても、文脈全体から何と言っていたか、意味を当てることは
可能です。

それは完全に聴こえているからではなくて、実は、人々がよく

「あなたは勘がいい」

ということと同じなのです。
実際、特に先天性聴覚障害者の場合は聴こえが不自由であるのを補うため、
勘が良い人が多いものです。

こうしたことでも、健聴者はかなり誤解しているので、難聴者を「聴こえない人」
とは思わなかったり、それほど深刻な聴覚障害だとは思わないのです。

ですが、健聴者にこう思われたら、聴覚障害者の方は、その障害について
理解してもらうのは難しくなります。

私は、このマニュアルの説明だけでは不十分なのではないか、と思っています。
では、どうすればいいか。

それにはまず、健聴者やろう者(ろう者も難聴を理解できない人が多い)を、
「聴こえる(ホワイト)」「聴こえない(ブラック)」の二元論的思考から脱却させ
なければなりません。

難聴者には、それらの他に「曖昧に聴こえる(グレー・ゾーン)」も加えた3つの
聴覚状態があると説明しなければなりません。

グレー・ゾ-ンのなかにある「音」には、数種類のものがあります。
音としては聴こえるが、聞き取れない言葉、不明音のさまざまなものが
含まれています。

そして難聴者は聴く環境、相手の話し方などによって、絶えず3つの聴覚世界を
強制移動させられている、ということを理解してもらうしかありません。

難聴者は、補聴器などによって、その強制移動を少しでも減らし、聴こえる世界
に自分を安定させることは可能ですが、それを自分の力で完璧にコントロール
することはできない、といことも理解してもらいます。

(ホワイト、ブラック、そしてグレー・ゾーンの割合は、個人差があり、
また補聴器の性能、調整や、使用環境などによっても、常に変動しています)

「曖昧に聴こえる」というのは、私の場合は感音性難聴が原因なので、
聴神経の一部が健康な状態ではなく、損傷しているから、聴こえに不具合が
生じている、と説明するしかない、と思います。

あくまでも、私の持っている知識の範囲ではありますが。

その次に「曖昧に聴こえる状態」を可視化して説明します。
マニュアルと同じ方法ですが、少し変えてみました。

それでは健聴者のみなさん(が、難聴者の立場になって、仮体験してもらいます)、
下の所には何か書かれていますね。
見えますか?(これが聴覚検査では「聴こえますか?」の意味)

「あ●ケLのt△mA」 (見える=聴こえる状態、と仮定)

「はい」(難聴者=あなた)

「何と書いてあるか、言ってみて下さい」(「今、何て言われたか、言い返してみて下さい」)

「え? と…わかりません」(難聴者=あなた)

「でも、ちゃんと見えますよね?
何で私が言っていること(書いてあること)がわからないのでしょうか?」

「書いてある(言っている)ことはわかるのですが、
何て書いてある(言っている)のかまでは、
わからない(言えない)のです」(難聴者=あなた)

「え? わたしが「あ●ケLのt△mA」(実は「ありがとう」)
と書いているのに、どうして読めないのでしょうね?」

「・・・・・・。」(難聴者=あなた)

(難聴者は音は聴こえていても、それを頭の中でも日本語に変換できないと、
言い返せなくなります。
難聴者にはハッキリとした日本語として聴こえていないから

こういうことなのです。
これが、難聴者がしばしば聴いている、グレー・ゾーンの音声世界なのです。

後ろ向きになって(口も読み取れないようにするため)、
想像すら不可能な言葉を語りかけて(推測できないようにするため)、
それから「今、何て言われたのか、言い返してみてよ」と言えば、
優れた文章力を持つ難聴者でも正確に答えられないでしょう。
その途端、その人は難聴だと明らかになります。

上の難聴者の気分になってみて、あなたはどう思いましたか?
「何て、意地悪なんだ」とか「どうしてわかってくれないのか」と思わないでしょうか?

私はわからなくても言ってみたところ、今までに随分、他人から
「全然違う」と言われ、笑われています。
それで子どもの頃は馬鹿にされたので、無口になってしまいました。

周囲の人から、こういう無理解な接し方を繰り返されると、難聴者は難聴者心理へと
変化していく、というわけです。

自分の障害について、説明の方法が見つからないと、自分は正しいんだ、
という自信が持てなくなり、自己喪失の過程へ吸い込まれていくのです。

実際はもっと複雑だと思います。
心理は見えないのですから、どのように侵されているのかも、自分でもわかりにくい
のだと思います。

難聴は、自分でコントロールできません。
健聴者は、たいていは自分で聴こえをコントロールできるかもしれません。
ホワイトかブラックのどちらかで、音声会話でグレー・ゾーンを経験することは、
あまりないかもしれません。
しかし、難聴では、語音明瞭度が低い難聴者ほど、グレー・ゾーンに支配され
ている割合が高いです。

 →http://www.jrps.org/aiyakai/local/back/2005summer/07.html

 →http://suuchan.net/note/Chapter-042306.html

ろう者は、手話(視覚言語)が母語になっているので、手話でコミュニケーションが
できる場合、補聴器は不要だし、していたとしても、補聴器で聴こえようが
聴こえまいが、関係ありません。
手話だけで理解できてしまいます。

しかし手話もわからない難聴者には、不確実な補聴器でガマンしている場合が
多くなるのでしょう。
これは間違いなく、社会参加に悪影響を及ぼしています。

難聴者は、健聴者とも、ろう者とも違う、聴覚も心理も全く異なる世界のなかで
生きているのです。

「同じ“聴覚障害者”なのだから、似ている」

と思い込むのも、誤りだと思ったほうがいいでしょう。

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by bunbun6610 | 2011-07-23 00:10 | 難聴・中途失聴

横須賀港〔新港〕の朝

三笠公園の目の前の、横須賀港〔新港〕で。
灯籠流しの日の翌朝5時、夏の日のきれいな朝日をパチリと撮りました。

隣にやってきた、おじさんと競争するように、ね。

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by bunbun6610 | 2011-07-22 23:37 | 観光(関東)
このカテゴリー(『障害者の経済学』)では、障害者福祉や障害年金制度を、経済学の視点
からの見解としてであって、総合的視点とは異なります。
したがって、これが正しい、という主張で述べているわけではないということを、ご了承下さい。

『障害者の経済学』(中島隆信・著)には、「タダの福祉ほど高くついてしまうものはない」という
見方もあります。
これはどうでしょうか。

これも経済学の視点から見ると、確かにその通りだと思います。
しかし、その前に障害者には低所得者が多く、自分の生活に必要不可欠な福祉サービスに、
その利用料がついたら払えなくて利用できなくなる、という方もたくさんいます。
ですから、問題解決には障害者の所得の底上げであり、そのために可能な限り
労働力としても活かし、所得から福祉サービスの利用料も自分で払えるように、
バランスを取る必要があります。
障害者の所得を引き上げるとともに、所得に応じて負担割合を決め、有料にします。

有料化には障害者団体の反対は強いと思います。
しかし、実は有料化は障害者にとっても、障害者を支える人、あるいは障害者と関係が
ないと思われがちな人々にとっても、悪い面ばかりではないと私は思います。

例えば、聴覚障害者が使うコミュニケーション支援事業の手話・要約筆記通訳は、
利用時間に制限はあるものの、原則無料となっています。
(支援法では原則、障害者も1割負担となっていますが、東京の実態は無料という
ところが多いようです)

病院では時間無制限で利用でき、利用料も無料です。
それをいいことに、ある病院では予約制にもかかわらず、通訳時間も実際は
10~15分足らずであっても、待ち時間に何時間も要しています。

「それを公費負担にさせているのはおかしい。
病院は改善して」

と要望しても、平然と無視している場合がほとんどです。
公費負担だから、病院は痛くも痒くもなく、病院側は何とかしようとは思わないわけです。
まさに「タダほど高くつくものはない」です。

こういう姿勢は、聴覚障害者が働いている職場(企業)でも同じです。
いや、たとえ聴覚障害者がお客様の立場でいられる商業施設であっても、
企業全体に同様の実態があると言えることでしょう。


他にも、利用者の立場から、通訳技術に不満があっても、無料だからと文句を言いにくい
場合があったり、通訳者の方もなかには「どうせあなたはタダなんでしょ」と僭越な態度を
とる人もいるかもしれません。

両者の関係がそういうふうでは、サービスの質的向上も、なかなか進まなくなってしまう
のではないでしょうか。

通訳は技術が問われるものです。
それにもかかわらず、通訳者のなかには、あまり真剣に努力しないというか、
プロ意識が育ちにくいのではないか、という感じもします。

障害者も、自分で働いて得たお金を払うんだったら、遠慮なく、厳しい意見も出したい
ときもあるでしょう。
それが当たり前であるべきで、通訳者もそれに応えることで、通訳者も技能を伸ばし、
障害者も会社での戦力として成長することが可能になるはずです。
こうしたことから生まれる効果は、今までの福祉よりもずっと、社会全体にプラス効果をもたらす、
と思われます。

通訳技術が向上し、労働の場にも一定の通訳が利用できるようになれば、利用者は確実に
増えると思われます。
そうすれば通訳者も通訳業だけでメシが食えるようになります。

そのように社会全体の底上げのためには、やはり障害年金や無料福祉に依存するシステム
ではなく、障害者自身の所得を上げ、障害者の社会進出を促す方策が、理想的だと言えそうです。

そのためには、日本も障害者差別禁止法(JDA)をつくり、障害者に対する合理的配慮を
認めない、行わない企業に対して、罰則を強化する必要があると思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-21 20:25 | 障害者の経済学
下の写真は7月16日夜、横須賀港(新港)で撮影しました。

三笠公園の前で、毎年開かれているようです。

 →http://www.kanagawa-kankou.or.jp/event/ev_day.php?tid=3

ブレるので、撮った写真のほとんどがダメでした・・・。

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一夜明けて、それでも港に残ってしまった灯籠。
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by bunbun6610 | 2011-07-21 20:19 | 祭典
自衛隊と米軍の海軍基地がある、横須賀へ行ってきました。
今回紹介するポイントは、京浜急行電鉄の汐入駅の近くです。

 →http://www.dobuita-st.com/

ごく普通の日本の街の中に突如、米軍人の酒場が密集する地帯があったりします。
夕方から夜にかけて、米軍人が集まる場所は大体ここら辺、と決まっているみたいですね。

ご当地FOODはハンバーガー、タコライス、横須賀海軍カレーが名物のようです。

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by bunbun6610 | 2011-07-20 22:48 | 観光(関東)
東京には多くのフランス菓子の有名シェフが
集まっています。

鎧塚俊彦、高木康政、青木定治、辻口博啓、…。

本場フランスで世界的な評価を得た人たちです。


 →http://www.grand-patissier.info/ToshiYoroizuka/shop/index.htm

 →http://takagiyasumasa.blog134.fc2.com/

 →http://www.sadaharuaoki.jp/top.html

 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%A5%E2%A5%F3%A5%B5%A5%F3%A5%AF%A5%EC%A1%BC%A5%EB&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=


しかし、日本人で最初に、フランス製菓協会より
金メダルを授与されたフランス菓子職人は誰か、
ご存知でしょうか?

それは『ラ・パティスリー・イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ』
のオーナーシェフ・弓田亨氏です。

 →http://ilpleut.co.jp/

店名が非常に長いので「イル・プルー」の名で親しまれてきました。
その名の意味は「セーヌ川に雨は降る」で、
オーナーシェフが自らのフランス修業の記憶から、
命名しました。

 →http://ilpleut.co.jp/yumita/name.html



弓田氏は、福岡の『フランス菓子16区』のオーナーシェフ
・三嶋隆夫氏とも、フランス修業時代からの友人です。

 →http://www.16ku.jp/

また、弓田氏が修業したパリの『ジャン・ミエ』のシェフ
・ドゥニ・リュッフェル氏とも、今では「友人」の間柄です。

 →http://lechantier.exblog.jp/9511953/

 →http://www.ilpleut.co.jp/ecole-dunis/menu.html

私もフランス旅行のとき、パリのあちこちのお菓子を
食べたのですが、その中で「おいしい」と思ったのは
ジャン・ミエだけでした。

他の店の菓子はとにかく甘過ぎるだけ、
というのが多かったと思います。

ドゥニさんもおそらく、最初は弟子であった弓田氏の
技量を十分に認めており、彼のつくるフランス菓子に、
かなりの影響を受けているのだと思われます。

私が最初にイル・プルーのフランス菓子を食べたのは、
お店が代々木上原のあった頃で、
20年以上前でした。
今のような美しいデザインのフランス菓子とは全く別で

「これが600円、700円もするのかぁ!」

と驚いたものです。

今でこそ、そんな値段のつくフランス菓子はあちこちで
見かけますが、当時は本当に珍しかったのです。
けれども、それを食べたときの驚きは、
もっと大きなものでした。

そこまで立体的な味を表現したフランス菓子は、
イル・プルー以外にはありませんでした。
今でもそうかもしれません。

味の立体的表現とは何でしょうか。
それは、私が考えるには

 ①舌に直接感じる味(甘味、酸味、渋味、辛味)

 ②テクスチャー(食感)

 ③香り

の3つの調和です。

テクスチャーや、その香り自体もまた、
立体的でした。
特に、コントラストという、
対比効果が素晴らしかったです。


下のブログの方は、私と全く関係はなく、
知らないのですが、イル・プルーと関係のある方
(教室の生徒、アシスタント、師範のいずれか)
かもしれません。

 →http://rinseasy.exblog.jp/

ろう者、難聴者も、こんなフランス菓子を自分で
やってみたいと思いませんか?
ここの製菓技法は化学的なので、耳が聴こえなくても、
体得することは可能です。
弓田氏の開発したルセットゥの通りにやれば、
誰でもこのフランス菓子が作れるのです。

化学とイマジナスィオン、この二つの融合が、
フランス菓子の世界なのです。

ここでフランス菓子を学び、働きながら
(それは別の店でも構わない)、
将来に自分のお店を持つのもいいし、
教室を開くのもいいかもしれません。

「耳が聴こえないから」で簡単に諦めず、
挑戦してみては?
ここで勉強するからには

「耳が聴こえないから、できない」

は言い訳にならないと思いますし、
教室なら相談にも乗ってくれると思います
(多分ですが、アシスタントがいるので)。

教室では、ハンドミキサーでフランス菓子を
つくります。
生徒さんは、日本全国からやってきます
(東京に宿泊する人もいます)。
無料見学もあります。
オリジナルのフランス菓子専門書も販売されています。

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by bunbun6610 | 2011-07-15 21:36 | sweet
「難聴児を持つ親の会」という団体があります。

 →http://www.zennancho.com/

この団体はときどき、ろう学校関係者などを招いて、
講演会を開いています。

ある年には、大杉 豊氏(筑波技術大学)の講演があり、私も観ました。

 →http://www.tsukuba-tech.ac.jp/rc/rc_staffs.php#OSUGI_YUTAKA

大杉氏は、自分の生い立ちについて話し、親をはじめとした
聴覚障害者差別問題についても触れました。
特に、手話排除の学校教育に対する反対者の立場、
という印象を感じさせました。

講演が終わった後の質問のなかには、親の一人が、
次のように言っていました。

「聴覚障害児を持つ親にも、手話ができない人はいる。
それでも、耳の不自由なわが子と話したい。
それでも親と日本語を話せる子になってほしくて、
手話を使わない普通学校へ通わせている。
その気持ちもわかってほしい」

保護者としての親の決定は、国家も警察も学校も、
聴覚障害者団体も口出しできません。
判断能力もない未就学の子どもは、親には絶対服従の
関係にあると思います。

しかし、第三者だったらこのとき

「子どもの権利とは?
子どものためには、どの言語を選択すべきなのか?」

と考え込むでしょう。

聴こえないということは、音声言語を自分で自由に
使いこなすことができない、ということではないでしょうか。

聴こえなくても私のように、言いたいことを何でも言える
ようには、もしかしたら、なれるかもしれません。
しかし、そんな一方的なコミュニケーションをする子どもが
いいという親は、いないと思います。

聴こえることは、話す能力よりも重要です。
ヘレン・ケラーが「耳がほしい」と答えたのも聡明だと思います。

 →http://www.ohigashi.net/sindoukouza0603.htm

ろう者は、実は耳を持っています。
視覚言語で、相手の話をきちんと聴くことができます。
しかし難聴者は耳が聴こえても、不完全です。

つまり「聴く」というのは、聴覚としての機能性の他に能力
(理解力とか人間的な思いやりとか)が必要で、
カウンセリング用語で「傾聴」と呼ばれる行為に近いのでは?
 と思います。
聖書にも言うことをきかないユダヤ人に対して

「彼らは耳があっても、きくことはできない」

とか書いていますよね。

親がそうなれば、子どももそうなるかもしれません。

「今のろう児は、日本語を喋るのは上手になったが、
マナーが悪い、自己中心的だ」

などと批判されるケースには、親と子どもの関係がうまく
いっていないことに原因があるようです。
聴くという行為の重要さを後回しにしてしまった結果なのかも
しれません。

なぜなら、私の知るろう者には親子関係がよい人もおり、
そういうろう者は文章力もマナー、精神性も、人格的というか、
全てにおいてバランスよく伸びているからです。
その人たちに聞くと、子どものときから親と良好な
コミュニケーションをとっていた、ということでした。

逆に、親に放置されてきた過去を持つろう者には、
手話一辺倒、それも自己中心的な手話の人が目立ちます。

ですから、ろうや難聴の子どもは聴こえないから聴くことが
できないのではなく、心に聞く耳を持たないまま育っている
から聴かないのだ、ということになるのかもしれません。

親の願いは万人共通の、ごく自然な気持ちからだということは、
疑いようもありません。
ただ、言葉というものを、伝える手段というものを、音声言語に
限定してしまうという、子どもの現実を見ようとしないような姿勢、
決定が、この世界を縛っているのではないか、と思ったりします。

子どもは、いつまでも親とそんな関係では、そのうちに嫌がって
くるのは当然ではないか、と思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-14 22:50 | 難聴・中途失聴

難聴者の就職活動


当ブログの『就労前・後の問題』や『障害者の経済学』では、
聴覚障害者の就労・職域差別について述べてきました。

今回の話は、クローズで入社し、働き続けることができる
軽・中度難聴者向きの内容になります。

私はクローズ(障害を隠す)、オープン(障害のことを伝える)
の両方とも経験があります。

クローズにしてもバレるので、長く働き続けるのは困難な
ようです。
しかしバレてしまっても、その人の労働力が認められれば
「働き続けてほしい」と言われる場合もありますから、
そういう希望を持って頑張ることはできます。
ですから、なるべく自分の障害がその仕事の障害に
ならない職種を選んだ方がよいと思います。

実は、難聴者の会社面接対策には、他にもあります。
それは、自分の障害を隠さずに説明しながらも、
健常者と同じように働きたいという意思表明をし、
雇用主と信頼の約束を自ら申し出ることです。
これは、コックやパティシェ(西洋菓子職人)を目指した
ときの実例です。

その約束をするときには、社長だけでなく、実際に働く
現場の直属上司(シェフなど)もいたほうがベストだと
思います。
そして、例えば、こう言うのです。


「私は難聴で、補聴器をしています。

(「十分には聞き取れません」とは言わない)

ですが、このくらい(面接の場)の状況なら聴こえます。

(だが、実際の厨房の中では、とても聴こえないだろうと
思いますが、それも言わないことにします)

将来、自分の店を持ちたいと思って、修業中です。

(ここは本気でないと、通用しません)

どんなことでも、障害を理由に不満を言ったりしません。
最低でも3年間以上、働きますので、私を雇って下さい」


ポイントは、確固たる決意を感じさせる目標を言うこと、
それと障害に関して絶対に周囲の人に迷惑をかけない、
という姿勢を示すことです。

実際は「迷惑をかけない」というのは無理なので、
障害があるのは仕方ないと割り切り、それを補う、
または埋め合わせをできるという意気込みを示すことです。

プロ野球の選手だってミスはするし、その埋め合わせを
すればOKということもあるのだから、それと同じだと
考えればよいのではないでしょうか。
職人世界ですから、これは当たり前の条件です。

健常者もフランス修業に行くと、フランス語も慣れて
いないのに

「給料はいりませんので、働かせて下さい」

と、度胸だけで店の扉を叩くのです。
障害があってもやりたいのなら、このくらいはやるべき
です。
難聴者はできなくはないのですから、やりたければ
やるべきです。

オープンで大きな会社に入社すれば、配慮も多少は
つきますが、代償のほうが大きいかもしれません。

あなたは夢もなく、キャリアアップもできない福祉的就労
で一生、ガマンできますか?
もしできないのなら、オープン(福祉的就労)なんて、
やめたほうがいいかもしれません。

ついでに、難聴者ではありませんけれども、
次のような方々も、参考に紹介します。


★吉岡富佐男さん(ろう者/『手話居酒屋ふさお』のオーナーシェフ)
 →http://www.amazon.co.jp/%E6%89%8B%E8%A9%B1%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B%E3%81%B5%E3%81%95%E3%81%8A-%E5%90%89%E5%B2%A1-%E5%AF%8C%E4%BD%90%E7%94%B7/dp/4847080041


★小椋知子さん(中途失聴者/ロザフィ教室・主宰)
 →http://homepage2.nifty.com/hana2000/


★持田明俊さん(ろう者/プロカメラマン)
 →http://www.mochida-photo.net/


★井上孝治さん(ろう者/プロカメラマン)
 →http://brookstudio.com/koji/


職人世界なら、最初はどこかに勤めてまず基本技術
を覚え、その間にさらに自分で修業し、ステップアップも踏み、
その後独立する、という方法がありますので、
聴覚障害者には結構います。

こういう場合は、若いうちにクローズにしてでも、思い切って
高レベルの仕事を目標に挑戦したほうが、圧倒的にいいと
思います。

リスクも当然につきますが、若いうちにしかできない挑戦では
ないでしょうか。

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by bunbun6610 | 2011-07-14 22:11 | 就労前の聴覚障害者問題A
皆さんの会社に、障害者は働いているでしょうか?
重度身体障害者が、あなたの身近なところで
働いているでしょうか?

ある日のことです。
私が役所の障がい者福祉課へ相談に行ったときの
ことです。

私が窓口へ行って、誰かを呼ぼうとしましたが、
皆忙しそうな様子だったので、誰に話しかけてよいか、
迷っていました。
そこへ、障害者が私の目の前を、
右へ走ったり左へ走ったりしだしました。
何の障害を持つ人なのか、わからなかったのですが、
ヒマそうなのでとりあえず、その人に声をかけて
みました。

「○○さんという人に相談したいことがあるのですが」

そう言うと、その人はすぐに向こうへ行きました。
私はその人が担当者を呼んできてくれる、
と思い込みましたが、結局、誰も来なかったのでまた
別の人へ声をかけて、対応してもらいました。

今思うと、その障害者は、普通学校へ通っていた
私と違い、養護学校卒業生だったのかもしれません。

職場で誰にもかまってくれない障害者だったのかも
しれません。

「職場にとって、障害者とは、一体何だろう?」

漠然とそう思ったものです。

その頃、私はクローズ
(当ブログ『難聴者の会社面接対策(3)』2011-07-07 20:55)で、
一般就労者として働いていたので、それが障害者雇用
(福祉的就労)だとは知りませんでした。
そして、まさか自分も、そのなかに入ることになるとは、
思ってもいませんでした。

障害者雇用になるだけで職域制限(差別)を受け、
年収500万円から150万円以下になるという経験も
しました。
一般枠(クローズを含む)と障害者枠とで、
こんなに差があるとは思ってもいませんでした。
これでは所得税も当然「払わなくていい」と言われました。

こんな経験をしたから私は、日本の消極的な障害者雇用を、
大いに批判したいと思っているのです。


障害者の仕事は、どうして簡単な仕事ばかりなのだろうか?

あるろう者に、昔、脱サラをした人がいます。
その人は自分の会社をつくり、自分のやりたいことを
始めました。
たった一つのハンディは、手話通訳者を雇えば大丈夫、
と思っていました。

ところが、実際に会社経営を始めてみると、
手話通訳費を払うだけでも大変でした。

普通、ビジネスはコミュニケーションから生まれることが
多いものです。
そのコミュニケーションをするのに健聴者はタダ、
それなのにろう者は高額な通訳費を払わなければならない、
というハンディは、あまりにも大きかったのです。

その人は相当悩んだ挙句、自分の会社をたたみました。
そして今ではまた、以前と同じく、福祉的就労に甘んじています。

この話は、非常に残念ではありませんか。

その人は高い能力を持っているのに、障害者だから、
という理由だけで、その能力が社会に発揮されず、
せっかく税金で養成された通訳者という社会資源もほとんど使えず、
低所得により税金もほとんど払うことなく、
手厚い超恩恵型福祉のなかで、保護されながら生きています。

こうした保護政策のなかで生きる障害者にとって、
福祉は本当に「ありがたいこと」なのでしょうか?

この国策はどう考えてもおかしい、と私は思います。

本当は障害者も、能力のある人ならば通訳を使って、
健常者と同じように仕事ができ、税金ももっと払えるように
サポートするほうが、社会にとってプラスになることは明らかです。

この場合、当然、通訳費は本人または会社の費用負担有り
(有料)でしょう。
通訳費の金額も公金との比率によって、調整すればいいことでは
ないでしょうか。

現状は、手話通訳だけで食べてゆける手話通訳者だっていない、
とも言われています。
それだけ、聴覚障害者は通訳を十分には使えない、
ということなのです。
そのままでは、手話通訳士という最高の資格を取っても、
辞めてゆく通訳士もいます。

聴覚障害者だって、使えない通訳をアテにはできなくなるでしょう。

しかし、労働通訳を有料実施し、聴覚障害者が労働市場に
進出してゆくこと、そうすれば今までのバリアは除去され、
聴覚障害者の所得も上がると思います。

より平等な社会実現への足がかりとなるでしょう。

そうすれば、障害年金もこの場合、停止もしくは廃止できるはずです。
現物支給的な福祉サービスも、本人が自分で稼いだお金で
買うべきなのが、本来の経済活動ではないでしょうか。

ハッキリ言って健聴者は、自分自身にも聴覚障害者にも
甘やかし過ぎている、と思います(※A)。
それが実は、障害者の自立を阻害しているということに、
気がついていないのでは、と思います。

(※A)障害基礎年金や障害者福祉サービスの財源は税金です。
そろそろ、この馬鹿げた障害者福祉へも、健常者がメスを入れても
いいのではないでしょうか。
もちろん、そこには障害者も含めてのフェアな議論が前提という
ことは、言うまでもありませんが。
当然、差別問題の議論も出てくるでしょう。



今のような、障害年金等に依存する障害者施策ばかりでは、
健聴者は障害者との関わり方を学ばず、
障害者も年金を遊びのカネに回したりする人もいる、
と思います(※B)。
そんな税金の遣われ方は、誰が見てもおかしいのでは
ないでしょうか?

(※B)「年金の存在は就労意欲の減退効果を持つ」
(『障害者の経済学』中島隆信/著より)
 …これは生活保護受給者が低賃金の仕事ではやろうと
しないのと、同じことだと見てよい。
また、年金と給与の二つをもらっていれば
「お金持ち障害者」であり、年金は株、ギャンブルなどに
使い込んでしまう障害者もいる。

さらに、障害基礎年金の場合、所得制限があるため、
給与がそれ以上に上がれば、減額または停止される。

→http://www.sia.go.jp/seido/nenkin/shikumi/shikumi03.htm

それで障害者は

「頑張ってまで、給料を上げたいとは思わない」

のである。
これも、やる気の無い障害者が多くなる一因だと思います。



そして、このままでは聴覚障害児が成人後の自分の職業を
考えるうえでも、非常に悩ましくなります。

せっかく頑張って医師免許を取得しても、就職できなければ…。
就職できたとしてもコミュニケーション問題が解決できなければ…。
開業医が夢でも、諦めたほうが…。
悩み続け、答えを出せないままで結局「仕方がない」で妥協し、
なりたくもなかった仕事に就く聴覚障害者は、
今まで一体どれだけいたでしょうか。

永遠にそうだと信じたくありませんが、放置すれば本当に
半永久的に続く問題だと思います。

今の若い聴覚障害者も「通訳は要らない」と主張する人が
増えていますが、そんなことを言えば逆に、
自分たちの首を絞めることになるのだということに、
いい加減に気づかないといけないと思います。

一方、働きたくても働けない障害者はどうするのか?
これも、放っていおいたり、障害基礎年金を支給するような
対策だけでは、良くないことは明らかです。

年金は本人がそれを上手に使いこなす知恵が必要なので、
場合によっては親任せにしたりします。

しかし、これが本人の自立のために有効に遣われて
いない例もある、ということは述べました。

その他にも、障害年金を目当てに重度聴覚障害者に
なりすました事件なども起きています。
この被害額も、かなりのものらしいです。

 →http://maroon.way-nifty.com/welfare/cat1712769/index.html

 →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%AB%E4%BD%93%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%89%8B%E5%B8%B3%E9%9B%86%E5%9B%A3%E4%B8%8D%E6%AD%A3%E5%8F%96%E5%BE%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

障害者が今の差別社会のなかで生きていくためには、
生活費はもちろん必要ですが、
その方法として年金に依存させてしまうよりも、
本人の自立(いかなる就労とその報酬も含めた)
をサポートする社会システムを構築したほうが、
上のような犯罪も防止でき、より健全な社会に
なるのではないでしょうか?

この考え方はJD(日本障害者協議会)案にも、
組み込まれています。

 →http://www.jdnet.gr.jp/

つまり、これまでの画一的なシステムではなく、
恩恵型がよいのか、権利実現型がよいのか、
その中間に持っていき、バランスよく配合していくのか、
福祉サービスをその障害者に合わせてスライド制に
変えてゆこう、という考え方です。

障害者だからといって切り捨てる社会ではなく、
それぞれが関係しあって問題を解決してゆき、
シナジー効果を生み出せるような社会になって
ほしいものです。


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by bunbun6610 | 2011-07-12 23:14 | 障害者の経済学