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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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難聴者に社会的支援がほとんどないのは、どうしてでしょうか?

障害のグレー・ゾーンがあるという問題で、最も重大な責任があるのは国家です。

私は当事者として、その体験から気づいた幾つかの点を、原因に挙げたいと思います。


【1.障害者制度に、障害のグレー・ゾーンが存在すること】
国の障害者認定基準のミスが、様々な障害種別でグレー・ゾーンを生み出している。
このグレー・ゾーンに入ってしまう人々は、実は障害があっても、健常者とほとんど同じ扱い
しかなされていません。
これは一見、差別ではないように見えて、実は差別です。

障害があるのにこのようにするならば、国連・障害者権利条約では差別に当たるはずですが、
障害者に認定されていないから、という理由でそれには当たらないというのでは、たまったもの
ではないでしょう。

条約が批准されたとしても、また国内法の障害者に関するあらゆる法律が、国際条約に合わせて
整備されたとしても、これではグレー・ゾーンの障害者は救済されないことになります。

条約はみんなが平等に暮らしてゆけるようにするための手段であり、重い障害者だけのためとか、
その人から優先されるべきもの、という考え方からつくられたのではありません。

グレー・ゾーンの人たちが社会から、合理的配慮の必要性を全く認知してもらえない、ということは
「グレー・ゾーンは存在しない」
ということに等しい。
これは、障害を認定されない彼ら(難聴者も)の孤立が、いっそう強まる恐れがあります。
もし、こんな馬鹿げた国際条約批准をしたら、日本はおかしいのではないでしょうか。


【2.医療機関の障害認定の問題】
これは、難聴者が耳鼻科医院に行き、聴覚障害があると認めうるかどうかを診察してもらっても、
なかなか障害認定とまではいかないという現実があると思います。

障害者認定は、認定医に判定してもらわなければなりません。
しかし難聴者はそれすらも知らずに、認定医でもない医師に診てもらって
「そのくらいならまだ大丈夫だ」
などと言われ、引き下がって一人悩みながら生きている人も多いと思われます。

本当はまず、役所の障害者福祉課などへ行き、社会福祉士にきちんと相談するほうがいいと、
私の体験では思っています。
以下は、民間病院の医者に診てもらったときの、私の体験です。


〔①S耳鼻咽喉科医院〕
私が小学校低学年のとき、母がS耳鼻科医院で耳の具合を診察させました。
母がどうしてそうしたのかは、私は知りません。
考えられるのは、母自身が私の聴覚障害を可能性を疑ったのか、
それとも他の人に指摘され(学校の担任教師とか)、
連れて行くことにしたか、のどちらかだろう。
母は今でも聴覚障害の知識については無知なので、後者の可能性が濃厚です。

S医師に診てもらいましたが、聴力検査もやらず「耳孔にアカがたまっているから、掃除すればいい」
と言われたらしく、耳掃除専用の機械で掃除をするために何週間か通ったことを覚えています。

ある時、母はお金がかかることに腹を立てたようで「もう、あの耳鼻科に行くのは、やめな!」と、
私に吐き捨てるように言いました。

S医師は認定医ではなかった、と見てよいと思われます。
ちゃんとした認定医を探してから、そこへ行かせるべきでした。

ですから、こうした状況から見ても、母は聴覚障害について無知だとわかり、自分の子が
難聴だと自覚していたとは考えにくい、と思いました。


〔②O耳鼻咽喉科医院〕
O耳鼻科は院長が認定医です。
しかし、今になって思うと、院長はどうも様子が変でした。
ひとことで言うと、やる気のなさそうな医師でした。
「役所の障害者福祉課に診断書を出したいから」と頼んでも、「私はそれをやりたくない。
補聴器ならリオンの販売店を紹介するから、そこへ行って」と言われました。

こうして、しばらくは補聴器を試すだけで、数年が過ぎてしまいました。
勿論、私の聴覚障害の認定も、福祉的支援も、さらに数年、遅れることになりました。


〔③B医大病院〕
私が自分でアルバイトをし、その給料で買った補聴器を両親に証拠として見せたところ、
両親も「もう一度、今度は大学病院に」
と言い、行って検査しました。

医師に言われたことは、次のことだけでした。

「難聴です。
原因はわかりませんが、突発性かも?
治せませんので、これ以上、耳を悪くしないようにして下さい」

最期の言葉が、進行性難聴障害の意味ではなかったか、と悟ったのは、それからずっと
後になってからです。
誰にも気づかれずに難聴になったか、それとも生まれつきなのかも、わかりません。
交通事故は幼稚園児のとき、頭を打った記憶があるので、それが原因で難聴になった
可能性も否定はできません。

「命に別状は無かったが聴覚を失った」という体験は、他の聴覚障害者からも確かに
聞いたことがあります。
それは運命なのだから仕方がないけれども、聴力低下が進行しても、聴覚障害についての
知識もなかった自分は何の対策も立てられず、健常者の世界で孤軍奮闘する毎日でした。


〔④T医大病院〕
認定医に診てもらい、障害の診断書をもらえたのですが、ここでもそれ以外には、
何もありませんでした。

民間の病院での受診体験は以上の通りです。
どこの病院にも共通する点は、行政の障害者福祉とは、結びつかなかったことです。
日本は「縦割り行政」と言われますが、福祉分野でも、こういう事態になっているのです。
これでは難聴者が、支援が受けられないのは当然です。


【3.医療機関と行政との連携システムがないのが問題】
たいていの軽・中度難聴者はおそらく、自分の聴覚障害を疑ったら、まず近くの耳鼻科へ
行って診てもらうかもしれません。

 →http://www.pref.shimane.lg.jp/life/fukushi/syougai/sintai_syougaisya/sinsyousiteii/ninteikizyun.data/2k-tyoukaku.pdf

(私は昔、リハビリセンターで語音明瞭度の検査を受けたのですが、その検査方法も
間違っていたということが、この資料を見て、初めて知りました。
知人に難聴者に体験を聞いても「昔の病院はどこも、そんなものだった」と話しています。)

しかしそうすると、今の世の中でも難聴者は、私の体験と同じ目に遭い、
病院をタライ回しされるだけ、という経験をさせられているかもしれません。
事実、他の難聴者に、そういう経験者がいます。

難聴者に対して、障害認定をしたがらない医師がいたり、デタラメ診断をして医療費を
せしめる医者がいるのはどうしてなのか、私にはわかりません。

それだけではなく、恐るべきなのは、医療は障害者への支援を何もしない、という事実なのです。
医療費タダの特別障害者から無制限に治療費を請求する以外は、です。
特別障害者で、かつ非課税者からの医療費は全員、全額が、税金負担です。
障害者を食い物にするビジネスだったら、止まらないものですが。

これに対して医療が社会的責任を感じていないのはおかしい、と私は思います。

社会福祉協議会で活動されている手話通訳士も、
「医療機関と行政の障害者福祉との連携システムができていない。
だからこうなる(支援がなかったり、遅れたりする)」
と話していました。

これでは支援が手遅れになるわけです。
日本の場合は、
「障害者認定基準が厳しいから、支援を受けられないでいる認定されない障害者
(グレー・ゾーンの人々)がたくさんいる」
と言われるが、そんな言い方はもうおかしいのではないでしょうか?

私ならば、ハッキリとこう言います。

「日本は『手遅れになってからの支援』しかできないのだ」

これは『障害者の経済学』(中島隆信/著)にも書いてある通りです。


【4.親が子どもの障害を隠したり、受容できない事実は、その人たちだけの責任では
ないのではないか?】
これは、私自身の体験については、当ブログで度々書いているし、これからも書くつもりなので、
今回は省略します。

当ブログ『理解されない難聴 消せない記憶』(2011-05-30 00:43)で紹介した、
金(キム)氏の本にも、体験が載っています。

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由   金 修琳/著』

 →http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007310
「市役所で障害者認定の申し込みをしてください。そうすると手当てがもらえるかも知れないし、
助けになることもあると思いますよ」
そのアドバイスに、母はものすごい剣幕で叫んだ。
「この子は障害者じゃありません!」
まさか自分の子の耳の障害が、ここまで深刻なものとは、想像もしていなかったのだ。
このとき母は、なにがなんでもこの子を「聴覚障害者」として育てることはしないと誓ったという。


私の知人で難聴の人も、次のように話しています。

「子供の頃、自分はハッキリと認識していたわけでなかった。
でも、周りの子供と比較して、自分は一回で聞こえないので、なんとなく不自由だと気づいていた。
聞こえていた時期というのは明らかにないので、先天性難聴性であることは間違いない。
原因は医学的にハッキリしない。
親は多分、すぐ気づいたと思う。
障害をしっかりと受け止めて、どう対処すべきかの知識や知恵が、他の親より欠けていたと言える。
子供の頑張りに過剰に期待していたのも、結果として良くない状況をもたらした。」


親の考え方だって様々ですが、支援が遅れるのは、本人や親が悪い、というのは言い過ぎでは
ないかと思います。
このような障害を負うようになれば誰しも、心にも障害が生じるものです。
障害をなかなか受容できないのは、誰でも差別社会のなかで生きてきた以上、少なからず
影響を受けているわけで、一人一人にもそういう考え方が少なからず滲みこんでいるとも言える、
と思うのです。
勿論、私の中にも。

障害者問題を見知らぬ人の話と思わず、隣人と思い、一緒に考え、社会のそうした面を少しずつ
変えていくことが、我々の目指す人権尊重社会だと思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-31 01:48 | 難聴・中途失聴
ここでは、障害者の雇用における、合理的配慮についてです。

たとえば、両手が不自由な身体障害者に

「手を使って仕事をして下さい」

と指示したり、どうしても手作業になる仕事を命じたりするなら、
その方に無理があると考えるのが普通でしょう。
身体障害者に対し、不可能なことを強いることは、社会的常識
から差別になります。
また本人に精神的苦痛を与えることになる、ということも容易に
想像できます。

しかし、もしもその仕事が可能になるような合理的配慮が生まれ、
障害者に用意され、仕事ができるようになったら、差別ではない
のです。
それも可能にする方向へ、社会を変えていくのが、国連・障害者
権利条約です。

条約は障害者にも使える新しい技術開発を促進させ、それを広める
作用をもたらし、社会を変えるでしょう。

しかし、人間の差別心という敵も存在します。

今の社会は、会社はその障害者に対しては他の仕事をしてもらう、
ということが合理的配慮になる、と考えています。

しかし、合理的配慮の目的は、本当にそれで達成するのかというと、
違うという見方が生まれました。

合理的配慮の意味がどのように解釈されるかにもよりますが、
それは本来、社会の中に存在するバリア(障壁)をなくし、今まで
できなかったことを可能にしようとする、人類の新しい挑戦である
はずだ、と私は思っています。

新しくできた国連・障害者権利条約には、次のような条文もあるから
です。

 →http://www.normanet.ne.jp/~jdf/shiryo/convention/index.html

「障害に基づく差別には、合理的配慮を行わないことを含む
あらゆる形態の差別を含む。
「合理的配慮」とは、障害のある人が他の者との平等を基礎
としてすべての人権及び基本的自由を享有し又は行使する
ことを確保するための必要かつ適切な変更及び調整であって、
特定の場合に必要とされるものであり、かつ、不釣合いな又は
過重な負担を課さないものをいう。」
〔第2条(川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付))



たとえば、弱視障害を持つ身体障害者に対しては、文字拡大器などを
その障害を持つ人の働く場に設置するなどの工夫をする―これが
合理的配慮になります。

「文字拡大装置がいらない仕事をさせればいい。
それが合理的配慮になる」

とはなりません。
使用者ができないと決めつけて済むの問題ではなく、可能な限りの
努力がなされ、障害者にも同等の権利が保障されるべき、という
考え方があるものと解釈できると思います。


聴覚障害者も同じではないでしょうか。
手話・要約筆記通訳やジョブコーチは、合理的配慮になるはずです。
社会は今日まで、それをしてこなかった理由として

「今まで、そのような手段がなかった」

「あったとしても、知らなかった」

「費用負担ができない」

「個人情報保護のため、外部の人を社内に入れるわけにはいかない」

などといったことを挙げます。
それは

「障害者の人としての権利」

を無視してきたことを正当化する理由として用いられてきました。

なぜなら、国際条約で採択された背景には、差別があることを国際社会
が証明したと言えるからです。
これからの国際社会では、障害者の権利についても「考えようとしないこと」も、
差別につながるのです。

ただし、これにも限度があります。

(「不釣合いな又は過重な負担を課さないものをいう」)

聴覚障害者の場合、これを理由に合理的配慮への道を絶たれるケースは、
これからもまだ非常に多いことでしょう。

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by bunbun6610 | 2011-07-31 01:14 | 国連・障害者権利条約
ハンバーガーがおいしいお店はどこか?

東京の原宿、青山、赤坂、六本木など、
高級ハンバーガー
(というより、ただの高額ハンバーガーだった)
のお店のあっちこっちで食べてみましたが、
未だ

「これぞ、オレ好みのハンバーガーだ!」

というものには出会ったことがありません。

そんなハンバーガーという恋人を探し求めて、
もう何年経つだろう。

そこへたまたま、インターネット情報から見つけたのが、
「オーセンティック」です。

 →http://r.tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13030795/

 →http://allabout.co.jp/gm/gc/224532/

「ブロッコリー・チーズ・バーガー」と聞けば、
料理が得意な人にはすぐに

「これはイケそうだ!」

とわかるでしょう。
ブロッコリーとチーズ、ハンバーグは相性がいいのです。
それで早速、行ってみました。

お店は赤坂トップ・オブ・ザ・ヒルズという、
超高層(高級でもある)マンションのウラにあったのですが、
場所がわかりにくいです。

他のお店の袖看板はあるのに、オーセンティックだけないので、
正面まで見て探さない限り、わからないでしょう。

袖看板か、営業中だけでも道案内に看板が出せたら、
良くなると思いますけど。

近所のおじさんに

「オーセンティックっていうお店は知っていますか?」

と聞くと、

「あそこは外人客がよく来るよ」

とのこと。

確かに、この辺は外資系企業のオフィスが多いところだし、
ハンバーガー専門店ですからね。

私は

「どうか、日本人の舌にも合うハンバーガーであってほしい」

と祈りつつ、小さな店に入ってみたら、
ビジネスマンの日本人客が4人いたので、
まずは一安心しました。

私はブロッコリー・チーズバーガーと、ビーンズサラダ、
カナダドライを注文しました。

待つこと6分くらいで、1枚の皿にハンバーガーとポテト、
サラダが乗っかって、運ばれてきました。

ハンバーガーには、どうやらオーロラ(サウザンアイランド)
ドレッシングを使っているようです。
見た目のボリュームはかなりありますが、バンズ
(ハンバーガー用のパンの呼び名)は超フワフワなので、
両手で持てば何とか食べられるサイズには収まります。

食べてみると、勿論美味しいことはおいしいのですが、

「今まで食べたことがないほど」

と言うほどではないだろう。

確かに、ハンバーガーにブロッコリー・チーズのトッピングは
初めてなので、それは少し意外かも。

しかし、青いもののトッピングと言えば、やっぱりアボカド
(「森のバター」と言われる)の方が、私は好きです。

ブロッコリーは青みが強く、歯応えもあり、そのお陰で
脂っこさを感じさせず、ハンバーガーが
ヘルシーに食べられるのです。
これがウケている理由だと私は思いました。

ブロッコリーもアボカドも、それぞれが別々の味わいを
持っているので、どちらが美味しいかなんて、
比べようがありません。

ハンバーガー評としては、柔かくて女性にも食べやすい点は、
『ファイヤー・ハウス』も
『オーセンティック』も同じですが、味つけは違います。

ファイヤーハウスはハンバーグ・パテに塩・胡椒を利かせています
(片面のみに)が、オーセンティックはマイルドな味つけのようです。

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これがオリジナルメニューの「ブロッコリー・チーズバーガー」
(ビーンズサラダは別オーダーです)
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オーセンティックのオーナーが修行したという、
『ファイヤーハウス 本郷店』
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by bunbun6610 | 2011-07-28 20:28 | 食べ物
手話サークルではときどき、ろう者を交えての
交流会が行われています。
参加者からの感想・意見のなかに、
次のようなものがあります。


①「ろう者はろう者同士、健聴者は健聴者同士
(難聴者もいるときは難聴者同士)で、
固まってしまう。
あるいは、手話ができる人同士、
できない人同士になってしまう。
これでは交流にならないのではないか」
(健聴者、他の障害を持つ健聴者)


②「私は手話がまだできません。
本当はろう者と交流するよりも、
まず手話の勉強をすることが先です。
だから、交流会にはもう出ません」
(健聴者、難聴者)


③「ろう者同士の手話は、私たちが習って
いる手話とは違うので、わからない。
ろう者たちのなかに入ってゆけないし、
自分だけ孤独感、疎外感を感じる。
ろう者はもっと歩み寄るべきだ」
(健聴者、他の障害を持つ健聴者)


確かに①のようでは、一緒にいなければ、
限られた時間内でもあるし、
なかなか歩み寄れなくて仕方がないかも
しれません。

③はろう者も健聴者も一緒にいるわけですが、
一緒でも手話が違っていてわからなければ、
通じません。

しかし、サークルではおそらく、そうしたなかで、
自分の通じるためのコミュニケーション力、
努力を試す場でしょう。
お互いの言葉や、コミュニケーション方法を
学ぶ場でもあるでしょう。

あるいは、交流なので堅苦しくしないで、
気楽に楽しくやればいい、という雰囲気もします。

しかし、それが「お互い」にはなっていない、
ということを言っているのではないか、と思います。

ろう者は「手話だけしかできないから」というのが、
手話にこだわる理由だとよく聞きます。
ろう者の読話力(口などを読み取る)には驚きますが、
逆に伝える力は手話一辺倒で、しかも速すぎて
手話初心者には読み取れないとか、ろう者同士での
「聾語」と呼ばれる、ろう者独特の日本手話になると、
さらに難しくなるようです。

これはつまり、ろう者が健聴者に

「音声言語しか使わない(それに手話通訳をつけない)
のは差別」

と言うのと同様に、ろう者も健聴者に対する差別を
していることになるのではないか?
 という疑問があるのだろうと思います。
当事者はそんな大げさには考えていないと思いますが。

①と③は、言葉は違うけれども、同じことではないかと
思います。

ただ③の場合になってくると、国連・障害者権利条約
がかかわってくる問題になると思います。
お互いに権利があることを認識していなければ
ならないのだから、手話がわからない人の権利も
考えなくてはならないのではないか、と思います。

これが、もしろう者団体主催なら、その情報保障を
逆にしなくてはならない、と考えるのが当たり前でしょう。

現状はそうだとは、とても言えません。
だから、こういう疑問視が、他からは出てくるのでは
ないか、と思います。

これはろう者たちが、ろう者社会よりも広い、
人間社会の中へ踏み出すための、大きな試練
になるのかもしれません。

ろう者が「われわれの権利を保障しろ」と言うのならば、
ろう者も他の全ての人に対して、そうしなければ
ならないはずです。
その問題の前に、障害の有る無しも関係ない。

ただ手話サークルの交流会という場では、
団体活動目的が

「学習、交流を通して手話技術を研鑽し、…」

などとなっていることが多く、その正当性は十分に
あると思います。

そうならば、健聴者や、他の障害者はどうするか?
おそらく、ろう者団体や、その関係団体とは
関わらないようにするのではないだろうか?
それでは確かに、相互理解も進まないだろう。

また、①の意見に対しては、ろう者からも反論は
ありました。

「健聴者だってそうだ。
だから皆同じ。
そういうことを変えろと、ろう者たちに言うことは難しい」

健聴者は、自分たちが普段やっていることに
気づいていません。
その無意識の行動の意味が全然わかっていなくて、
こういうときに他人(ろう者)を非難するようなことを
言っている、と私は思ったものです。

「「無知」の知」ならいいですが、それと健聴者の
「愚鈍」は全く違います。

確かに、交流会の毎度の悩みの一つではあるけれども、
「健聴者にも、もう少し違う言い方ができればなぁ」
と思ったものです。
毎年何回も交流会を開いているのに、
一体何でこんなに(いつまでたっても)、
歩み寄りをしようとしないのかなぁ? と思います。

ろう者も健聴者の意見をすぐにタブー視しないで、
どうすればもっと良くなるか、考えてほしいと思う。
が、その「もっと」という気持ちがなければ、
その先には決して進まないんだ、
ということにも気がつきました。


では、②の場合はどうでしょうか。
これはもう、コミュニケーションの基本、
コツを覚えるということそのものなのですから、

「私はもう、交流会には出ません」

なんて言わずに、頑張ってみてほしいと思います。

お互いに自分の言語(母語)が通じないとき、
どうやってコミュニケーションをするか、
というのは、日常生活でもあるのではないでしょうか。

お母さんは、自分の赤ちゃんに日本語がわからない
からといって、コミュニケーションをとるのをやめる、
ということはしません。
何とかして、伝えてみようとするはずです。

そういうものの一つに、ベビー・サインという
コミュニケーション方法があるそうです。

 →http://www.babysigns.jp/about_babysigns/

また外国人に突然、道案内を頼まれたら、
あなたはどうしますか?

「道を聞かれているんだ」

とわかったら、身振りなどで教えてあげていますか?

それとも、自分は英語が話せないからといって、
手を横に振るだけで逃げてしまいますか?

そんなとき、コミュニケーションができるなら、
あなたはどこの国の人とでも、
耳の聴こえない人とでも、大丈夫だろうと思います。

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by bunbun6610 | 2011-07-27 23:57 | 手話
 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%C0%AE%C5%C4%BB%B3%BF%B7%BE%A1%BB%FB&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=

うなぎ通りを20分くらいか? ニョキニョキと歩いていくと、成田山新勝寺に到着します。
とにかくここは広いです。
人がにぎやかなところで、あまり聖地という感じはしません。
外国人観光客も訪れています。

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亀の人工岩に亀の群れが…。 私はちょっと気持ち悪く見えます。
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by bunbun6610 | 2011-07-27 23:20 | 観光(関東)
 →http://www.nrtk.jp/news/unagi/
 
JR成田線と京成線の成田駅のすぐ近くからは、『うなぎのぼりの街』が、成田山新勝寺へと続いています。
ウナギのような細長くくねる道なので、「うなぎ通り」みたいなものです。
ちょうど『成田うなぎ祭り』の期間中なので、街のウナギ料理店の目印となる青いのぼりが、あちこちに
あります。

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この辺りは江戸から成田詣に訪れる客に提供する、印旛沼で獲れた川魚を料理するお店が、
昔から繁栄し続けてきたそうです。
特にうな重が多いですが、鯉料理を出しているお店もありました。

他の店には、手焼き煎餅、この地域の湧き水で造った日本酒、近くの牧場から搾乳した牛乳でつくる
ソフトクリームやチーズケーキ等が人気のようです。

終着地の成田山新勝寺も広くて飽きないので、一度は行ってみるとよい観光地だと思います。


【川魚料理】 ①うな重  ②鯉のあらい  ③鯉こく
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by bunbun6610 | 2011-07-25 22:07 | 観光(関東)
耳の不自由な難聴者、中途失聴者が、健聴者と会話を
成り立たせるテクニックとは何かというと、私の場合は、
話しの主導権を相手に握らせない、という方法が圧倒的
に多いです。

昔はそれでも会話が成り立たないと思ったら、相手の
話しに適当にうなずき、気づかれないように逃げて
いったものです。

自己中心といえばそうなってしまうのですが、音声会話
で少しでも話したければ他に方法がありませんので、
仕方がないのです。

ですから本当の意味での、双方向のコミュニケーション
ではなかったのですが、それでも話しをしたい場合には、
自分から話を持ちかけて、できるだけY‐N(Yes,No)
疑問文にし、返ってくる返事が容易に想像できるような
会話法にしていました。

Y‐N疑問文で話しかけると、相手の表情が出やすくなり、
それを見ただけで何を言おうとしているのかわかるので、
相手も私のことを耳が不自由だと思わないことは、
よくありました。

もしわからなかったら、適当にうなずいていれば、
「おかしい」と思う人は何人かいたとしても、何も言われる
ことはありませんでした。

反面、相手から

「お前と話しても面白くない」

と言われたこともよくあります。

込み入った会話だと、聞き取れず、想像もできなくなり、
何もわからないので、音声会話では単純な会話しか
できないのです。

それと、飲み会などの場での、放射状の会話もできません
から、そういう場はなるべく避けるか、やむをえない場合
は適当に笑ったりうなずいたりしているだけの場合が
多くなります。

これは、本当は自分でも良くないことだとはわかっている
のですが、当時も今も、仕方がないことは事実だと思います。

その理由については『聴覚障害』(当ブログのカテゴリー)
で後述しますので、読み続けられると次第にわかって
もらえるのではないかと思います。


※軽・中度難聴は、障害のグレー・ゾーンにあたります。
グレー・ゾーンをなくそうという運動が、全難聴

〔→http://www.zennancho.or.jp/

のデシベルダウン運動でしょう。

 →http://www.hochokiki-benkyokai.net/06.htm


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by bunbun6610 | 2011-07-25 21:18 | コミュニケーション能力

猿島(神奈川県)

 →http://search.jword.jp/cns.dll?type=lk&fm=101&agent=1&partner=Excite&name=%B1%EE%C5%E7&lang=euc&prop=500&bypass=0&dispconfig=

猿島へは三笠公園入口のすぐ横の発着場から、船で渡ります。
往復1200円(障害者半額)です。

小さな海水浴場(バーベキュー可)と、
トンネルや洞窟巡り、釣り、磯遊びなどができます。
密漁のおっさんもいましたが、
釣り人に変装した覆面監視員とパトロール船が巡視しているので、
勿論すぐ見つかって、注意されていました。

昆虫類は、蝶が何種類かいます。
あとはミミズとか・・・。

小さな無人島なので、観光目的としては、このくらいです。
トンネルの中は涼しいですが、出るとすぐ蚊が寄ってきますので、
島巡りは立ち止まらないようにします。

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by bunbun6610 | 2011-07-25 00:09 | 観光(関東)

政治 - エキサイトニュース

「自民党の政治資金団体「国民政治協会」
本部の2009年分政治資金収支報告書で、
個人献金額の72・5%が東京電力など
電力9社の当時の役員・OBらによることが
22日、共同通信の調べで分かった。

当時の役員の92・2%が献金していた実態
も判明した。
役員個人の献金は政治資金規正法上、
問題ないが、個人献金として会社ぐるみの
「組織献金」との指摘が出ている。」


=======================




政治資金パーティー法に基づいた献金は合法
ですから、国や都から補助金をもらう事業を
やっている企業は、政治家との関係も献金で
強化している、ということは想像がつくと思います。

結局、政党や政治家が選挙期間に公言する
政治理念って、信用できないから、
誰も投票に行きたくなくなるのでしょうね。

でも、それを阻止するのも、やはり国民次第です。

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『税金の遣われ方に疑問』
〔2011-04-27 21:26〕
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by bunbun6610 | 2011-07-24 08:46 | 社会
「タマゴ」と「タバコ」は音の数が同じで、口型も酷似しているので、読話能力が優れた
聴覚障害者でも、読み取ることが難しいと言われています。

健聴者の場合はこれにアクセント情報があるので、区別がつくのですが、補聴器も効果がない
ろう者の場合には、アクセント情報もなくなります。

一方、難聴者には聞いた言葉が多少不明瞭であっても、文脈との整合性を自分で判断できる力が
あります。
例えば、次のような場合です。

(1A)「タマゴは食べますか?」
(1B)「タバコは食べますか?」

上の場合は、(1B)が正しいと思う人はいませんので、どちらかである可能性が高いならば、
(1A)が相手の言っている事だろうと、すぐに判断がつきます。
聞こえが不明瞭であっても、状況で相手が何を言っているのか、想像がついてしまうのです。

それではもし、(読者も自分が今、難聴だとして)定食屋に入って、「タマゴをサービスいたします」
の張り紙を目にしていたとします。
そこへ店員が「●●●はいりますか?」と聞いてきたら、次のどれだと推測しますか?

(2A)「タマゴは要りますか?」
(2B)「タバコは要りますか?」

これも、(2A)だろうと、誰にでもわかると思います。

では、張り紙もないときに、店員から「●●●はすいますか?」と聞いてきたら、次のどれだと
推測しますか?

(3A)「タマゴは吸いますか?」
(3B)「タバコは吸いますか?」

これも、(3B)だと、誰にでもすぐわかりますよね。

これらは全て、難聴者も聴こえた経験から学習済みの事実であるから、耳が不自由でも
対応できるのです。
状況から、どんな文脈になるのか、聴く前から想像が可能だから、推測可能なのは
当たり前なのです。
推測ですから、聴こえていることとは、全く違います。

被験者(聴覚障害者)の応答が矛盾していなければ、健聴者は
「この人は健聴者だ(聴覚障害者ではない)」
と思い込むのです。

他にも難聴者は推測能力によって、耳が不自由でもコミュニケーションをやってのける
テクニックを持っています。

しかし、もしも自分がまだ学習したことのない言葉を言われて、それが聞き取れなかった
場合は、こうした推測ができないのですから、難聴者は答えられません。

しかし、こんな場合でも難聴者は「うなずき障害」とも呼ばれる「ごまかし」を使い、わかったふりを
していることもあります。

(本当のところ「わかったふり」をするのは、ごまかすことだけが理由ではないのですが…)

そうすると、相手の健聴者はその人が難聴であることに全く気づかないのです。
こういう場合でも、健聴者ならばその場で聞き取り、学習する能力がありますが、
難聴者にはできません。
感音性難聴には、同じ言葉を何度聞いても、聞き取るのが苦手な性質があるからです。
(詳しくは、下記【語音明瞭度の検査法について】を参照)
難聴には、こうした学習障害が生涯続いてしまいます。


【語音明瞭度の検査法について】
(財)全日本ろうあ連盟60周年記念映画『ゆずり葉』には、薬剤師を目指すろう者が、
その判定試験で語音明瞭度の検査を受けているシーンがありました。

 →http://www.jfd.or.jp/movie/
 →http://www.youtube.com/watch?v=kO5Lv8aJcD4

そのシーンでは、ろう者は検査に全く反応できず、泣いていました。
その検査は曇り硝子の向こう側から話されて、何と言われているのか、答えなければ
なりません。
視覚情報に頼っていたろう者には、口を見ることも許されませんでした。
そういう検査方法もあるのだろう、と思いますが、現在の語音明瞭度の検査方法では、
被験者(聴覚障害者)は視覚情報を使えません。

昔の検査方法で語音明瞭度を検査した人には、誤って高い数値が出され、障害等級の
認定が正確にできていなかった場合もありました。

私は口を見て、単語を想像して答える癖がついていましたので、聴力検査の
デシベル数値は高くても語音明瞭度が良いと、デシベル基準よりも低い等級判定にされる
場合もあります。

しかし、最近の語音明瞭度を調べる検査では、この推測も全く不可能な検査方法でやっている
ので、精度は向上しています。

語音明瞭度を調べるにはやはり、視覚情報を全て無くし、推測も不可能な音声のみで
検査する、純粋に音声だけによる検査方法でないと、正確にはわかりません。

勿論、「タバコ」「タマゴ」の聞き分けができるか、という検査方法も、昔はありましたが、
この方法は適当でないと思います。
それは、アクセントが少しでもわかってしまえば、被験者は判断が可能だからです。
推測が可能、という点も、純粋に音声だけで判断させる検査とは言い難い、と思います。

昔は例えば、次のような言葉の聞き取りができるかどうか、というテストがありました。

  とけい   てれび   ひこうき   つくえ   ばなな   えんぴつ
  りんご   ぴあの   らいおん   うさぎ   さかな   じどうしゃ
  はさみ   めがね   ねずみ    ぼうし   からす   でんわ
  くろい   くらい     がらす   からす

このような簡単な単語で健聴者にテストすると、3回とも聞き間違い、聞き漏らす
(聞き取れない)ことはゼロだと思います。
もしも聞こえなかったら、もう一度、あるいは繰り返し聞けば分かるでしょう。

しかし、感音性難聴であった私の耳だと、補聴器を装用しても、3回とも聞き間違い、
聞き漏らす言葉が幾つかありました。
私の場合は、「ねずみ」を3回とも「めぐり」と聞き間違え、「りんご」は「でんわ」と答えたり
答えられなかったり、「はさみ」は3回とも聞き取れませんでした。

これでは、たくさんの言葉が飛び交う会話のなかでは、致命的と言えます。
「音が聴こえるのに聞き取れない」ということを、健聴者にはまず考えられない
――そこが理解困難、ひいては誤解につながる一因となっているようです。

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by bunbun6610 | 2011-07-24 00:29 | コミュニケーション能力