カテゴリ:聴覚障害( 120 )

『聾唖と難聴の違いはなにですか。どのように説明するとよくわかりやすいですか?』

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1119861536


『聾唖と難聴の違いはなにですか。
どのように説明するとよくわかりやすいですか?』

ake_chin5281さん
〔2008/10/1319:45:19〕


ベストアンサーに選ばれた回答

roy051218さん
2008/10/1410:26:31
大まかな回答ですと

聾者=聴力を完全に失っている人
唖者=言葉が話せない人
難聴者=聴力が弱い人

となります。

ですから聾者と唖者は違います。
耳が聞こえても、何らかの原因により全く言葉を
話せない人は唖者と呼ばれます。

聾唖と一緒の言葉のようになってしまっているのは、
聴力が完全に失われていると、自発的に発声を
することができません。
最近は、必要があれば発声の訓練をして言葉を
話す場合もありますが、
聞こえない言葉を話す、ということは非常につらい
訓練なので、聾者は発生より手話を中心に過ごす
事が多く、結果的に「聾唖」とひとくくりにされて
しまっているのでしょう。
でも、聾者でも言葉を話す人もいます。
ですから、聾者の全ての人は唖者ではありません。

聾と難聴の違いは、全く音が聞こえないか、
多少でも音を感じるかどうかでしょうね。
でも重度難聴者の場合は、多少といってもかなりの大音量で、
初めて音を認識できるくらい
の場合も多く、その辺りは微妙です・・・。
但し、少しでも音を感じる神経が残っていれば、
人工内耳などの方法もありますし、
最近は補聴器も発展していますので、
今後はどうなるか分かりません。

ちなみに、聾者と難聴者を両方まとめたいときは
「聴覚障害者」でいいと思います。




===========================




私も以前に、手話通訳士からも

「聴覚障害についての説明は、難しい」

と言われた経験がある。

以下に、参考になればと思い、補説を書いてみた。
これで十分、というわけにはいかないが、
たくさんあって、説明しきれないだろう。



>「聾者=聴力を完全に失っている人」

医学的聾というのは、両耳の聴力が100デシベル
以上の場合をいうらしい。

http://www1.plala.or.jp/t_nishimura/tyoukaku.htm


しかし、100デシベルならば、聴こえる人もいる。
聴力のかなりの部分が失われていても、
残存聴力があれば、その限りは聴こえる人もいる。

補聴器の「最大利得」という用語(数値データ)を、
ご存知だろうか。
これは現在の重度難聴者用補聴器(福祉用)では
100デシベルを軽く超えている。
だから、これを使えば重度難聴者も、
音を聴くことぐらいは可能なのだ。

そういう場合もあれば、

「全く聴こえなくなってしまった人」
(補聴器を使っても効果がないほどの、
重度の聴覚障害者。
特に健常者も「ろうあ者」「ろう者」と呼んでいる人)

もいるらしい。


つまり、障害者手帳の2級(聴覚障害のみでは最高等級)
といっても、この二つが混同されてしまっているのが
実情なのである。


それと、医学的聾の人には、次のような人がいることも
忘れないほうがいい。

①先天性の聾(聾唖者)

②後天性の聴覚障害者(中途失聴者)


②の場合でも、何歳で失聴したか、
さらに言語訓練の成果などでも、
言葉を喋る能力に差が出る。
つまり「聾唖」になるかならないかの線引きは、
外から見ただけでは難しいわけだ。
聾唖者と中途失聴者はどちらも耳が
聞こえないとされているが、混同すべきではない。


ちなみに、聴覚障害者でも1級の手帳を持っている人が
いるが、それは聴覚障害2級に加えて、
言語障害も認められている人の場合である。
この場合、2つの点数を加算した結果、
1級となっているのである。
一般的に健常者がイメージしている「聾唖者」が、
このことなのではないだろうか?
しかし、実際にこの等級を持っている人は、
そう多くはないだろうし、
この人たちだけが「ろう者」(Deaf)と言われて
いるわけではない。

一方、「聴覚障害者」だと、1、2級の人に加えて、
難聴者(3、4、6級の人や、障害者手帳すらない人までいる)
も含まれていて、全て混同視される結果となるので、
健常者から見れば、余計に混乱してしまいやすい。
そして、この混同視が原因の一つとなって、
個々の聴覚障害者への必要な合理的配慮が
正しく理解されず(誤解が増えてしまい)、
大きなハンディとなってしまうのである。



『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03 -30 22:03〕




『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
〔2011-03 -31 23:19〕




実際の聴覚障害者には、聴力も感音性の度合いも
かなりの個人差がある、と見ていい。

「聴力を完全に失っている人」という人は、
実際には稀なのではないだろうか?

「音や言葉をほとんど聞き取れない人」

(これには前述したように、

「音は聴こえるが、言葉を正確に理解できない人」
〔語音明瞭度の問題=軽度から高度までの難聴〕

や、

「全く聞こえない人」?

などが含まれる)


が、実際には健常者が全て一括りにして、
「聴こえない人」に勝手に当てはめている
ケースが多いのではないだろうか?

そして、音が幾らかでも聴こえて、
補聴器の装用効果もある程度は期待できる人には、
「難聴者」と呼ばれているのだろう。

といっても、この曖昧な基準も、健聴者が勝手に
決めただけなのだが・・・。




>「耳が聞こえても、何らかの原因により全く言葉を
話せない人は唖者と呼ばれます。」


ということならば、例えば、ガンなどで声帯嫡出手術を
受けたつんくさんや、自民党に復党した故・与謝野馨氏
が声を出せなくなった人で、
こういった人も「唖者」に入りそうだ。

公益社団法人 銀鈴会
https://www.ginreikai.net/

与謝野氏もつんくさんも、ここにお世話になっている
そうである。

あるいは、ショック性など精神的・心理的な原因で突然、
喋れなくなってしまった人も・・・・?

ただし、障害者の全ての人が「障害者」と呼ばれることを
希望しているわけではないということにも、留意したい。


他に、盲ろう者と呼ばれる障害者もいて、
この中には「聴覚障害者」「聾唖者」「難聴者」とも
呼べる人が含まれている。
詳細は、下記の記事を参照されたい。


『「盲ろう者」について』
〔2011-04 -09 09:34〕






>「聾唖と一緒の言葉のようになってしまっているのは、
聴力が完全に失われていると、
自発的に発声をすることができません。」




中途失聴になったろう者(Deaf)から

「3歳までに聴こえていれば、しゃべれる」

とか、

「6歳までに言語獲得しないと、
その後に言語獲得の訓練をしても、
習得するのは難しくなってゆく」

とか、説明されたことがある。
これはつまり、生まれつき耳が全く聴こえないと、
日本語の獲得も難しく、したがって、
「耳が聴こえないとしゃべることもできない」
となるからだろう。
つまり、先天性の聾と唖は、
密接に関係する障害となっている。
それで先天性の場合は、「聾唖」となりやすいのである。

一方、大人になってから突発性難聴などが原因で
聴力を奪われた人(後天性の聾)の場合は、
失聴後もしゃべることはできる。
こういうケースの場合もあるのだから

「聴こえないからしゃべることもできない」

とは限っていないのである。
そして、しゃべれる聴覚障害者でも、
声の明瞭度も様々である。
はっきりと喋れる人もいれば、発音がおかしい、
と言われている人もいる。

難聴者や中途失聴者のケースでは
「聾唖」は当てはまらないだろう。
しかし、ろう者の団体では、こういう人も「ろう者」
(Deaf)と呼ぶことはある。
一般人と聴覚障害者団体の人とでの言葉の
使い方には、こうしたズレがある、
と知っておいたほうが、混乱せずにいいだろう。
ちなみに全日本ろうあ連盟はろう者を主体とした団体だが、
その傘下組織の多くが、現在では「聴覚障害者協会」
の名称に変更されているので、
これも知らない人が理解するのはややこしくなる。


このようなわけだから、「聾唖」という言葉には、
注意が必要だ。
なぜなら、一般的に辞書などに載っている意味と、
聴覚障害者が実際に使用している場合とでは、
意味がかなり異なっているのが実態だからだ。





>「ですから、聾者の全ての人は唖者ではありません。」

これは、文章のミスだと思います。

「聾者の全ての人が、唖者なのではありません。」

でしょう。


『もうひとつの手話 ― ろう者の豊かな世界』
(斉藤道雄/著 晶文社/発行者 1999年6月10日/初版発行)
より、引用。

「そうした新しい世代のろう者のひとりである福光あずささんは、
コンピュータ関連の大手企業に就職したとき、
はじめから口話は使わないと心に決めていた。
口話を使ったからといって、聴者とのコミュニケーションが
とれるわけではないことを、経験上いやというほど知っていた
からだ。

『口話を使ったら、手話がなくてもやっていけるって
思われてしまいますよね。
だから私ははじめから絶対口話を使わずに、
まわりの人が筆談になれてくれればそのほうがいいと
思ったんです。』

はじめはまわりも戸惑ったようだが、とにかく筆談でやりとりし、
そのうち手話を覚えようとする同僚も出てきた。
聴者のなかにはろう者にむかって『声を出せ』というものもいたが、
声を出すか出さないかは宗教や信条と同じように、
生き方の問題だった。
福光さんは仲間との会話には口話を使うこともあったが、
仕事は手話ですませた。
そんな職場に6年勤めたが、聴者に囲まれての6年は
たいへんだったでしょうとたずねると、
福光さんはこういっている。

『そりゃあねえ、ありましたよ。
苦しいというか、いろいろ。
でも、なんていうか、気楽なおしゃべりができないって
いうのが、一番つらかったですね。
当たり前のおしゃべりが。
たとえば行き会った人と、「きのうどうだった?」
「そうねえ、ホント疲れちゃった」なんて、
そんな簡単な会話もうまくできない・・・
ろう者だったらそんなこと、席が離れていても簡単に
伝わるのに』

仕事の話はなんとか筆談でこなしていても、
ふと顔をあわせた同僚と思いつくままの『なんでもない会話』
ができない。
なにしろ日本語は互いに外国語なのだから。
同僚が多少の手話を覚えてくれたといっても、
そこはやはりろう者にとってくつろいだひとことが
通じにくい聴者の世界だった。
聴者同士が交わす会話を『小耳にはさむ』ということも
なかった。
そういうストレスに耐えながら仕事を終えると、
ろう者は乾いた旅人が水を求めるようにろう者の仲間を
探し求め、ろう者の世界に戻ってくるのである。」
(P201~203)





最後に難聴者についても、もう少し言葉を加えてみよう。


>「難聴者=聴力が弱い人」

では、視力と同様に考えることが出来るか?
答えは、否だ。
単に視力が弱くなっただけなら、大抵の人なら
メガネなどで見えるように出来るだろう。
強度の弱視とか、ディスレクシアでもない限りは。

しかし、難聴の場合は軽いものであっても、
メガネのようにはいかない。
補聴器はメガネのようにはいかないからだ。
機械で音を聞き取れるようにすることはできても、
人間の話し言葉を解読できるようにするには、
今の補聴器ではまだ精度が低く、
それに訓練(言語獲得期間や、リハビリ期間)
も必要な時期に行えないのが実情である。
聴覚障害の分野は、全体的に遅れていると
いっていい。
それゆえに、聴覚障害者は重度の人も軽度の人も、
社会でまだまだ苦労している人が多いのである。





〔関連記事〕


『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03 -14 18:30〕




『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由②』
〔2014-03 -14 18:45〕




『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』
〔2014-07-19 18:30〕




『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕

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by bunbun6610 | 2017-07-04 10:14 | 聴覚障害

デフサポって、何だ?

デフサポって、何だ?

http://nannchou.net/



難聴経験のある人ならばわかるのだが、
難聴者というのは、今の日本社会では本当に、
中途半端なサポートしか受けられない立ち位置
になってしまう。
その証拠に、下のような困り事が載っている。


【ユカコの話】難聴者の私が普通学校で感じたデメリット10選:前半編
〔2015.09.24〕
http://nannchou.net/schoolde


【ユカコの話】難聴者の私が普通学校で感じたデメリット10選:後半編
〔2015.09.25〕
http://nannchou.net/schoolde2



私も、子どもの時から、こんな経験を全部していた。
しかも、これはまだ、ほんの一部に過ぎないのだ。
だから放って置くと子どもの将来にとっても、
また家庭、社会にとっても、実は大変な損失になってしまう。


障害が軽い難聴でも?
『身体障害者手帳のない聴覚障害者(難聴者)は、
どうやって就職するのか?』
〔2013-01-16 18:00〕



障害が重くて、手厚い福祉的恩恵が受けられても?
『聴覚障害者の職場放棄』
〔2012-09 -08 18:33〕



何で日本は、こんなにいい加減なんだ?
え? 

「私は自分の子どもを、あなたのような非人格者に
育てたくない」

だって?
だったら余計、まともにしたほうがいいぞ。



こんな場合にはどうすればいいのか、本人は勿論、
親だって、どうしてもわからないものだ。


「音が聴こえるのだから、社会生活ではさほど
困らない。
補聴器をすれば聞こえる

(健聴者には理解しにくいと思うが、
「聴こえる」と「聞こえる」の、
私が意識して書いた言葉の違い、
意味の違いに注意してほしい)

と考えるのは、実は考えものなのだ。
それをやっているのは、健聴者。

それも、健聴者のなかでもエリートと
思われている医師が、
まだこんな前世紀的な考え方なのだから、
呆れてしまう。



『感音性難聴障害と語音明瞭度検査(聴覚検査)』
〔2014-03-15 18:30〕






だから、


『バカがいつまでも聴覚障害者差別をしている時代に』
〔2013-04-03 18:00〕


なんて、言われるのだ。
今の社会でも、それがまだ理解されていない。


例えば、聴覚障害者支援といえばよく、
ろう者と難聴者をごっちゃまぜにしてしまう
ケースが非常に多い。
聴覚障害者への情報保障というと、
手話しかないと誤解していた会社もあった。
口話メインの難聴者、聴覚障害者もいることを
知らない。



『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕





『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』
〔2014-07-19 18:30〕





『映画『レインツリーの国』(有村浩/原作)』
〔2015-12 -12 00:22〕




これも、「健聴者はバカだから」?
いやいや、単に「無関心」なだけかもしれない。
他人がどう考えているかはわからないが・・・・。

それぞれの聴覚障害者団体の、
思惑のせいになったこともあるのかもしれない。
でも正しい理解がされてこなかった一番の要因は、
当事者が声に出してこなかったことだと思う。

障害を隠すということは、
相手の差別を受け容れたのと同じだ。
たとえ社会からであっても、
差別は受け容れてはいけない。
社会の言う「正しさ」と、「真実」とは別のものだ。
真実を伝えられる勇気を持った人間になろう。
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by bunbun6610 | 2017-04-22 15:32 | 聴覚障害

ろう者の識字率を上げるために、あなたに出来ること

DEAF PEOPLE
2012/11/14
『ろう者の識字率を上げるために、あなたに出来ること』
http://deafathlete.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html



なるほど。
著者は、健聴者と聴覚障害者との情報享受量差を、
識字率が低い理由の一つに挙げている。
このことは、健聴者が自分で実験してみたほうが、
わかりやすいだろう。

毎日耳栓をして生活したなら、それまでとの情報量は
どれだけの差になるだろうか。
それが実感でよくわかるのはやはり、「聞こえない人」よりも
「聞こえる人」のほうだ。
というのも、「聞こえない人」はそれが当たり前だから、
自覚できにくいからだ。


そして、第2点として、聴覚障害者が漏れてしまっていた、
まるで存在していないかのような社会の設計が、
社会の至る所にあるということも、識字率が向上しない
要因になってしまった、という説明もある。
ユニバーサルデザインよりも、バリアフリーが先行している
のは、その結果としか、言いようがない。


例えば、テレビ字幕の普及が遅れたために、
聴覚障害者の識字率向上も遅れた、というのは、
説得力がある。
聞こえない人にも、明らかにわかる。

目から取り入れる情報が、五感の中では最大情報量で、
それは全体の50%以上だと聞いたことがある。
しかし、言語情報になると、聴覚障害者でも普段は
音声言語がほとんどの世界で生活しているので、
その不利は計り知れないのではないか、と推測できる。


そして、この記事を読んだ中村和彦氏が、
自身の解説をさらに広げてみて、次のように語っている。
これも、興味深い。


『DEAF PEAPLE
『ろう者の識字率を上げるために、あなたに出来ること』
について』
2012年11月14日 | 手話・聴覚障害
http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/79d0b14c23430e03a60c79c4a7e523d6



特に、ろう教育の弊害を挙げている点が、興味深い。
健聴者は普通学校等に通っていたので、
ろう学校教育のことなど、当然知らない。

実は、これと関連する話が、当ブログの中にもう一つあった。


『米国社会から見た手話』
〔2014-05-31 18:30〕



口話が主流になる前の教育程度は、聴こえる人たちには
劣らなかった。
ところが、口話が主流になって以降その成績も識字率も
どんどん下がり、この傾向は次世紀にまで引き継がれた。
ギャローデットが1972年に行った調査では、
18歳のろう者の平均学力は小学校4年生程度だったという。」
(P139~140)






あくまでもアメリカでの例なのだが、これを読むと我々も、

「日本手話は本当に、正しい書記日本語の獲得
(自然的な習得)を阻害する要因になるのだろうか?」

と疑問に思うことだろう。
ギャローデット大学には、世界中からろう者が集まり、
優秀な卒業生を輩出している、世界でも唯一の、
ろう者だけの大学らしい。


>「健聴の方は、ぜひテレビの音を消したまま、又は、
両耳にヘッドホンを付けたまま、字幕機能のOFFとON
で見てみてください。
ろう者がどれだけテレビから情報を得られているのか、
多少、理解できると思います。 」
(DEAF PEAPLE)


とあるが、情報が少ないだけでなく、受けられる情報の
『偏り』も、見逃せない点だと思う。
聴覚障害者は健聴者と違って、視覚情報に依存して
いるからだ。
字幕もなかったら、なおさらそれがひどくなる。
そしてそれが、行動面にも、必ず影響しているのだ。
例えば「ろう文化と聴者文化の違い」を、
聞いたことがあるだろう。





【テレビ字幕】
テレビに字幕が普及してきたのも、そんなに昔のことではなく、
アナログ放送が終了し、デジタル放送に完全に切り替わって
からだ。
テレビ字幕が次第に増えていったのは、健聴者にはどうでも
いいことであっても、聴覚障害者にとってはまだ記憶に新しい
はずだ。

テレビ字幕に付く日本語字幕は文字だが、書記日本語とは違う。
例えばテレビドラマやバラエティ・トーク番組だったら、
“しゃべり言葉”だろう。
でも、ニュースは同じく口話であっても、違う性格の日本語だ。
職業(世界)とか、文化が違う地域、国の人しゃべり方とか、
いろいろあるだろう。
政見放送だってある。
TPOもある。
そういうこともテレビに字幕が付くようになってきてから、
聴覚障害者はようやくそれについても、
自然に学べるように変わりつつある。
そういう点は、健聴者は考えたこともないだろうが、
聴覚障害者にとっては大きな変革期として、見えたはずだ。

私の場合は、残念ながらテレビ字幕も何も、
まだなかった時代に育ってきたせいもあってか、
子供の頃から読書ばかりで日本語を覚えてきた
ほうなので、他人と話しても

「話の内容がかたい」

などと、よく言われたりしてきた。




【絵本を読む】
実は、ろう者に国語を教える早瀬憲太郎氏(ろう者)も、
絵本を教材に使って教えたりしているそうだ。


【SNSやメールで健聴の人たちと積極的に
コミュニケーションを取る。】

私の場合は昔、聴覚障害者や健聴者が入り混じって
書き込み、または読んだりするインターネット掲示板が
あって、それによく参加していた。
初めは色々と苦言・助言を頂いていたが、そのお陰で
文章力は次第に向上していったように思う。
要約筆記者とのお付き合いも良く、大変勉強になった。
手話だけでなく、文字を使う人との交流も必要だという
ことだ。


【わからない言葉は積極的にネットで調べてみる。】
読み方が分からない言葉でも放置せずとも、ネットなら
簡単に調べられるのが、今の時代の良さ。
昔は漢字が読めないと、漢和辞典から引っ張り出して
調べたりしていて、大変だった。
しかし今は、パソコンの普及によって、随分と変わった。

今はもう古い話だが、携帯電話の登場が、聴覚障害者の
書記日本語への関心を高め、文章力向上にも一役買ってきた、
と言われている。
こうした環境の変化が、たまたま聴覚障害者にも良い効果
に繋がった、というわけだ。


【日記やブログで文章を書いてみる。】
文章力をつけるには、やっぱり自分で書くことだろう。
書く練習をすること。
何でも書くこと。
書く習慣を身につけることだ。
私も毎日、電子日記をパソコンで書いている。
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by bunbun6610 | 2017-03-04 13:29 | 聴覚障害

「音の記憶」の重要性

近年は、当ブログでよくランキングに入る記事の中に

『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕


とか


『感音性難聴障害と語音明瞭度検査(聴覚検査)』
〔2014-03-15 18:30〕


といったものがある

科学的根拠によるものではなく、経験的に書いたに
過ぎないものだった。
ところが、これらの記事が意外にも長く、
多くの方に読まれているようだ。

たまたま今日、部屋の中を整理整頓していたら、
ワイデックスの冊子を見つけた。
内容の一部には、下記の記事があった。

興味深い記事であり、上に挙げた当ブログ記事や、
『オウム返しのマジック』とも関係がある話だと思う。
というのは、自分が発声していた(音声の)記憶がなければ、
『オウム返しのマジック』はできないと思うからだ。




=============================



THE WORLD OF WIDEX
『LISTEN』(#44 2016年8月)より、引用。

あなたは耳ではなく脳で聞いている

認知聴覚科学の専門家
パトリック・ソルクビスト
(スウェーデン・ガブレ大学 環境心理研究部長)

『記憶の重要性』
記憶力は聴覚の働きの中で重要な役割を果たします。

「記憶力とはとても広範囲にわたる概念で、
短期間情報を保持したり、
長期間にわたる経験を巧みに操ったりする能力なども
含まれています。
技術や言語知識といった要素もこの分野に属します」

とソルクビストは語っています。

耳を通じて受け取った情報を理解しようとするとき、
私たちは皆記憶に頼っています。
しかし、聴覚に障害を持った人たちは、
入ってくる情報が不完全なため、
通常の人以上に記憶に頼らざるをえません。
通常、聞くという行為は、電光石火の早さで行われます。
しかし、もし聴覚に障害があったり、
入力情報が乏しかったりする場合には、
脳の記憶を司る部位がそのギャップを埋めようと
働くのです。

ソルクビストは続けます。

「記憶力が優れているほど騒音の中で会話を理解
する能力が高く、高い言語知識もこの能力を増加
させるという事例があります」


『未知の要因』
最近のいくつかの研究では、聴覚の障害と高齢者の
認知力低下の相関関係が示唆されています。
しかしながら、補聴器が認知能力の低下を防いだり、
低下した能力を元に戻したりすることができる
という明確な証拠はまだ提示されていないようです。

ソルクビストは、人間の認知能力とそれに影響を
及ぼす方法について結論を急ぐことに対して
警鐘を鳴らしています。

「現在、興味深いいくつかの推測があります。
聴覚の障害によって記憶の想起が妨げられることで、
認知症や記憶障害が進行する可能性が高まるのでは
ないかという考えもその一つです」




=============================





>「もし聴覚に障害があったり、入力情報が乏しかったりする
場合には、脳の記憶を司る部位がそのギャップを埋めようと
働くのです」



やっぱり、聴力不足のハンディを埋めるのは、推測力だろう。
推測力とは、要するに「音の記憶」の中からチョイスする力
だと思っている。
特に難聴者や中途失聴者は、聴覚障害者の中ではこの能力を、
健聴者よりも多く使っているのかもしれない。




>「記憶力が優れているほど騒音の中で会話を理解する
能力が高く、高い言語知識もこの能力を増加させるという
事例があります」


これが事実ならば、昔やっていた「ばなな」とか「らいおん」
といった言葉の聞き取り検査で分析する語音明瞭度検査
なんてのも、ほとんど無意味だ。
すでに、聴覚障害の判定基準の見直しが迫られていると思う。
日本の基準はもう「厳しすぎる」というよりも
「ムチャクチャなもの」ではないだろうか。

日常会話で使う言葉の聞き取りと、新しい言葉の習得に
欠かせない聴覚能力は当然、切り離して考えるべきで、
現状はそういった正確な検査がなされていないのである。
特に、これから言語獲得をしていかなければならない子どもに
とっては、致命的になるのではないか。

当事者からの意見としては、聴覚障害の認定基準を改正し、
早期の支援をすべきだと思う。
老人性難聴と痴呆症との相関関係研究を著した本には、
下記のものもある。

『『「耳の不調」が脳までダメにする』(中川雅文/著)』
〔2014-07 -29 18:30〕

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by bunbun6610 | 2017-01-28 21:52 | 聴覚障害

聴覚障害者が犯罪を犯す権利

『聴覚障害者が犯罪を犯す権利』
また誤解を招きそうな記事タイトルになって
しまっているが・・・・。
でも、私が今日、皆さんに話したいことは、
まさにコレなのだから仕方あるまい。

健聴者は言い回しが上手
(というより、私に言わせれば
「曖昧にしてしまうのが得意」)
だが、私はそういうのって、あまり得意じゃない。
真似していると、自分が何を言いたかったのか、
相手に何を求めていたのかが、
わからなくなってしまう。

本題の話に入るが、聴覚障害者だって犯罪を
犯す権利はある。
おかしな言い方かもしれない。
だが、テレビとかインターネットでよく、
障害者の聖人君子的イメージばかり話題に
なったりする。
8月のEテレ『バリバラ』で、故ステラ・ヤングさん
の『感動ポルノ』説が話題になったのも、
そのことに起因しているようだ。



『<NHK>「障害者を感動話に」方程式批判』
〔2016-08 -29 20:00〕




聴覚障害者に関しては、ボランティアや
社会福祉制度上の手話・要約筆記通訳
を利用した犯罪を犯す権利だってあるべき、
という極論まで、昔聞いたことがあった。
でもそれは、人間なら誰にだって犯罪を犯す、
犯してしまう可能性はあるのだから、
聴覚障害者だって当然、例外ではないはずだ。
特に近年のことで有名になったのは、
佐村河内氏事件だと思う。

『佐村河内氏問題
 - 手話通訳を悪用した犯罪の可能性』
〔2014-03 -18 21:26〕



しかし、手話通訳制度があることも知らなかった、
ろう者の犯罪事件もあった。
福岡で起きた窃盗事件である。


『障害年金制度と障害者支援制度を
見直しする必要性』
〔2013-10-21 18:30〕



あるいは、ろう者集団のギャングがいる、
という情報も聞いたことがある。
別に通訳などいなくても、犯罪は出来るのだ。
いや、やりたい放題にやるには、通訳も邪魔に
なるだけなのだろう。
犯罪こそ差別のない、自由な世界なのかもしれない。
と思うのは逸脱した想像だが、少なくとも、
その道を進むことに、障害のあるなしは関係ない。
やりたいことをやればいいわけだ。

無論、捕まった場合には、それなりの社会からの
制裁を受けなければならない。
警察官は障害者を捕まえた時、多少なりとも
温情的釈放をしてくれることもある。
しかし、福岡の裁判所判決では、検察側寄りとなり、
一般人と同等の裁きとあまり変わらないものと
なったようだ。
私も、それは間違っているとは思わない。

ただ一つ、注文をつけたいのは、

「社会はそれで終わりにするつもりなのか。
彼だけを責めて、社会には反省点を厳しく
指摘しないのはおかしいのではないか」

という点だ。
勿論、裁判所がその役目をする、というのは無理だ。
私は、受刑している聴覚障害者の無念を、
絶対に無駄にしたくはない。
傍観者にはなれない。

犯罪のない社会にしたいのなら、
差別のない社会にしなくてはならない。
それなのに最近、職場の上司には

「差別があるのは、どこでも当たり前。
どこの国にも、女性にもあるよ」

と言われ、ものすごく腹が立った。
今、世界中で貧しい国、そして豊かな国までも
テロの温床になるのは、やはり差別が原因なのだ。
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by bunbun6610 | 2016-11-15 23:00 | 聴覚障害

『聴覚障害者を疑似体験する方法』(補足説明)

以前から続いていることなのだが、
下の記事がよくランキングに入っている。


『聴覚障害者を疑似体験する方法』
〔2013-02 -28 18:00〕



自分で書いたのだから、自分が言うのもヘンな話だが、
聴覚障害者が読んでいる記事ではなさそうだ。

私は時々、障害者施設に入ることがある。
そこでこのあたりの時期には以前、
依頼を受けたりしたことが何度かあった。

「大学の卒論(研究論文?)を書くため、
聴覚障害者の日常生活や、
困ったことなどについて知りたいのですが、
ご協力していただけませんか?」

といった、健聴者大学生からのアンケート依頼だった。
この時、ろう者は大体、非協力的な態度だった。
やっぱり、健聴者を信用していない人が、
今でも多いからなのだろう。
だが私は協力したことが、何度かはある。
そういうことがきっかけで、上の記事もちょっと
書いてみたつもりはある。

聴覚障害について書くとなると、
これはやっぱり難しい。
(それでも、私は敢えて書いたが)

手話サークルでも健聴者が話し合ったことが
あったが、

「私達には難しいからやめましょう」

ということになった。
たとえ手話通訳士であっても、
聴覚障害者でもない者が無責任に語るもの
ではないからだろう。

「聴覚障害」「聴覚障害者」というものは、
実はものすごく幅が広いので、そういう説明になる。
手話通訳者たちは、手話を母語とする
「ろう者」を中心にして説明を広げていく人が
多いと思うが、
手話がわからない「難聴者」支援が中心の
要約筆記者は、手話通訳者の立ち位置からは
もう少し離れて説明する人もいる。

とにかく、そんな「聴覚障害」「聴覚障害者」の
ことを書けば、本が何冊も出来てしまうぐらい
だろうから、今回は一つの話に絞ることにする。

聴覚障害者は、かなり重度の障害がある人でも、
本人自覚があまりない場合が少なくない、と思う。
実際、身体障害者手帳の1級や2級を持っている
ろう者でさえ、

「自分は障害者ではない。
『ろう』(あるいは、『ろうあ者』)だ」

という人がよくいる。


〔参考記事〕

『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02 -28 20:20〕




『米国・ギャローデット大学でのろう運動』
〔2013-03-05 18:00〕



自分を「障害者」だとは思っていないし、
それを苦にもしていない。
ならば、聴覚障害者は皆、
本当にそうなのかと言うと、
いやそんな人ばかりでもない、実は。
ろう者からよく対極的な代表にされるのが、
難聴者だ。


『映画『レインツリーの国』(有村浩/原作)』
〔2015-12 -12 00:22〕





しかし、幅広くいても、ケースバイケースであるに
しても、やはり音声コミュニケーションが
苦手になる聴覚障害者は必ずいる。
それが「聴覚障害」なのだから。

よく職場で、何人かの健聴者と一緒にいることになるが、
たまたまにしても必然にしても、
そこに会話(コミュニケーション)が自然に発生する。
色々な話をしているのだろうが、
私には補聴器を幾ら傾けたって、
補聴器のボリュームを大きくしたって、わからない。
何か話していることはわかる。
聴こえている。
しかし、何を言っているのかが、さっぱりわからない。
それは、全く聴こえないで気にしていない場合より、
ずっと心が重くなってくることなのである。
そんな状況の時でも、
皆の輪に入ってコミュニケーションをする方法はある。
手話は使えないだろうから、筆談である。
だから、自分でも筆談ボードを持って来ている。

ところが、そんな気軽な会話をしている最中に

「筆談して」

とは、とても言えない。
そういう見えない力が自分の前に押し寄せてきている。
それで我慢してしまう。

健聴者はよく、

「聞きたいことがあったら書いてと言って」

と、気軽に声をかけてくれる。
しかし、それに素直に甘えることが、なぜか出来ない。
見ているとやっぱり、難しそうに思えてくる。

私の目の前にある、この圧力は一体何だろう?
自分のせいなのか?
そんな悩みを何十年間も持ち続けていた。

そして、同じように悩んでいる聴覚障害者を、
仲間の輪の中に入ってみて、やっと見つけた。
だが、誰も明快な答えを見つけ出せてはいないようだ。
悩みがある、困っているのは皆同じ。

ただ一つ、新たにわかったのは、どんなに下手でも、
諦めずに一生懸命に手話学習に取り組んでいる
難聴者もいるし、手話をマスターして別世界に
飛び込んでいった聴覚障害者たちの姿があることだった。
見える言葉、動く言葉が、聴覚障害者と共にあった。

「はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった」

という、ヨハネによる福音書の言葉と同じだった。
手話という言葉を覚えるのに全く苦労もしない、
天性の手話者もいた。
それぞれが別々ではあったが。


あるろう者は、健聴者とコミュニケーションを
取ろうとする時のろう者について、
こう証言していた。

「ろう者はダメだよー。
こうやるのよ」

と言って、ろう者のやり方をやって見せてくれた。
手に握りこぶしを作って、机の上をいきなりドンッ!
と叩いた。
そりゃ、私もびっくりした。
だから、健聴者社会での常識から言えば、
感心しないのは分かる。
だが、聴覚障害による障害の深さも知っている
立場から言えば、私には机を叩くろう者を
非難する気にはなれなかった。

社会常識がどういうものであるべきかは
まず置いておくとして、健聴者は、
自分たちの社会の尺度だけで物事を見ているから、
こうした無理解が起こるのではないだろうか。
そこが残念でならなかった。


人間は所詮、限界性のある生き物だ。
各々の限界性をわきまえて生きるべき存在
なのかもしれない。
だが、その限界を変えていくことができる存在
でもあるだろう。
それを、この人たちは私に教えてくれている。
人間の可能性は無限だ。
一つの可能性だけが、全てなのではない。






〔補足説明2〕

「人はパンのみにて生きるにあらず」

という言葉を、だいぶ以前に聞いたことがある。
キリストが聖書の中で言っていた言葉だっただろうか。

http://www.k-doumei.or.jp/np/2002_11/04_02.htm

働いて給料を貰わなかったら、人は生きてゆけない。
だが、人はそのために働き、生きるのではない。
スワンソンという生物学者は、3つの物質の他に、
もう一つの要素を加えた、という。



『人間が生きるために不可欠なものは

 「水、空気、食物、そしてコミュニケーション」

である。』
            (生物学者M・スワンソン)



『コミュニケーションは、
人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕




東京大学教授・福島智氏は、
この4番目の要素について、

「コミュニケーションは酸素のようなもの」

と解説している。
これを立証するために、彼はある実験をしたという。
ある小学校で、子どもたちに20分間、
誰かと話す事も聞く事も禁止し、給食を取らせた。
そして、終わった後に、子どもたちから感想を
聞いたところ、

「いつもより美味しくなかった」

などというマイナス意見の声が次々と挙がったそうだ。
あくまでも、健聴者の疑似体験として可能な実験に
過ぎないのだろうけれども、これは聴覚障害者の
疑似体験になりうるのかもしれない。



ちなみに、聴覚障害者になると職場で
どういう障害が起きてしまうのかが、
具体的書き記されているのが
『聴覚障害者の就労後問題』です。
それらは全て実話です。
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by bunbun6610 | 2016-11-11 21:00 | 聴覚障害

三つの世界を経験した中途失聴者





時々、開いて見ることがある、松森果林氏のブログ。

『松森果林UD劇場~聞こえない世界に移住して~』


著者プロフィールには、こう書いてある。

「強みは聞こえないこと。
聞こえないならではの感性と視点で情報発信!」


そして、下の記事にも、

「三つの世界を経験した中途失聴者」

としての、自己紹介がある。

『2016-10-18 リアルワンポイント手話付きセミナー』




「強みは聞こえないこと」

いや、彼女にはそれ以上の強みがあると思う。
まさに、

「三つの世界を経験した中途失聴者」

としての、希少な経験である。

単に「聞こえない」だけの人とは違う。
「難聴者」とも違う。
「健聴者」でもない。
三つとも経験がある人なのだ。
三つの世界にすむ人たちの、架け橋になれる存在だ。

同様の体験をした人が、
過去にもNHK『みんなの手話』(初代講師・石原茂樹さん)
で紹介されていた。
全く同じ体験談だった。


『自伝に書かれた思い出もニセモノ
…佐村河内氏の“偽り人生”』
〔2014-02-13 19:30〕

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by bunbun6610 | 2016-10-20 21:30 | 聴覚障害

『聴覚障害について』


『聴覚障害について』
〔2010/12/723:22:08〕

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1051669405?fr=rcmd_chie_detail


聴覚障害について
聴覚障害者に対するイメージを教えてください
(全部でなくても結構です)。


1.聴覚障害者=手話ですか?

2.聴覚障害者は聴こえない話せない人ですか?

3.手話が出来ないと聴覚障害者との
コミュニケーションは不可能ですか?

4.聴覚障害者が日常生活で困ること、
助けて欲しいことは何だと思いますか?

5.他に聴覚障害者に対するイメージがあれば
お書き下さい。

紹介が遅れましたが私は現在東京に通う
大学二年生男です。

以前授業で一緒で聴覚障害の子がいます。

今は、笑顔で会釈程度の仲ですが今年中に
話しかけたいと思って、このような質問を
させていただきました。

質問の仕方が不愉快に感じられるかも
知れませんが、ふざけているわけでは
ありません。

よろしくお願いいたします。




============================





以下は、私なりの回答。


1について。
聴覚障害者でも圧倒的多数の人は、手話ができません。
手話が出来る聴覚障害者でさえ、
その人の聴覚障害者歴などにより、
使っている手話も違います。
さらに、知らない人が多いと思いますが、
聴覚障害者のコミュニケーション方法には
「トータルコミュニケーション」(※)という考え方もあります。

(※)
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r050/r050_009.html

http://www.normanet.ne.jp/~ww100114/library/li-19.htm



「手話が必要」だとか「手話が大切」だとかするのは
極端で、ある特定の聴覚障害者団体が広めている
考え方に過ぎません。
手話言語法制定の動きが高まっていますが、
その要望と聴覚障害者の実情は別だと思います。

昔から、また今でも、かなり多くの聴覚障害者が
手話を知らないのが現実です。
以前にテレビドラマなどで手話ブームとなったのも、
決して手話人口が多いからではありません。


2について。
佐村河内氏も聴覚障害者と見なせると思います。
法律上の聴覚障害者とは、国の定めた基準を
クリアしている聴覚障害者ですが、だからと言って、
それ以外の人には全く障害者福祉サービスが
受けられないというわけではありません。
(ただし、自治体、地域による)

また、国連・障害者権利条約を批准したことにより、
これからも社会の「障害の定義」は変わってゆく
はずです。


『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕





3について。
1の回答でも述べましたが、トータルコミュニケーション
という、柔軟性を持った考え方もあります。
キュードスピーチという方法も、若い聴覚障害者同士
で使っている場合もあるようです。
いずれにしても、コミュニケーションは双方向性が
大切ですから、自分の得意とするコミュニケーション
方法に拘らず、お互いに譲れる部分は譲って、
相手に合わせることも大切なのです。
従って、コミュニケーション方法は一つ(手話)に
限定しません。
盲ろう者のことを学ぶと、とても役に立つと思います。


『「盲ろう者」について』
〔2011-04-09 09:34〕




4について。
例えば、聴覚障害者が困っている時には、
コミュニケーション方法を合わせてもらうことだと
思います。
また、バリアフリーについて理解し、ご協力して
頂くと助かります。
具体的には例えば、手話言語法制定や、
映画館や駅などでの字幕普及とかです。


5について。
「聴覚障害者に対するイメージがあればお書き
下さい」って、意味がよくわかりません。
自分が受ける印象としては、聴覚障害者と
言っても実に様々な人がいて、一言ではとても
言えないことだと思います。
ろう者、難聴者、中途失聴者の3つに大別して
説明する専門家もいますが、その3つの中にも、
非常に幅広いグラデーションが見えると思います。
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by bunbun6610 | 2016-07-10 23:41 | 聴覚障害

曖昧になってしまう標準純音聴力検査

T・I・E ~自閉症児を育てる母の前向きブログ~
『知的障害児の難関・聴力検査』
〔2012-05-05 07:51:28〕




これは、標準純音聴力検査と呼ばれている、
聴覚検査の最初に行う検査だ。

知的障害児でなくとも、難聴児も耳からの
情報しか得られない幼児期にもかかわらず、
耳が不完全なためにその情報がさらに
少なくなる、という不利がある。
それで、この検査を受ける意味が子どもには
わからず、精度の低い検査結果になって
しまうことはありえると思う。


子どもの頃、こんな経験がある。
ヘッドフォンをして、幾ら時間が経っても、
何もわからなかった。
(聴こえなかった)
そのうちに皆が、保健の先生も私の顔を
覗き込んで

「どう? まだなの? 聴こえたの?」

と言いたげに見つめてきた。
それが堪らなくなって恥ずかしくて、

「このボタンを早く押さないといけないのかな?
何か聴こえないと悪いのかな?」

と思い、物凄く不安になってきてしまったので、
もう聴こえなくても押してしまった。
それがいけなかった。
でも、それが自分にとって重要な検査だとは、
全く知らなかった。
皆が聴こえて当たり前の環境で、
自分だけ「聴こえない」と証明されるのも、
物凄く恥ずかしかったからだろう。
そんな経験を、難聴児の頃はしていた。
人生で初めて、意識的に難聴障害を隠した
経験だったかもしれない。


もう一つ、大人になってから、難聴者の体験を、
講演会で聞いたことがある。
聞き取れなくて、何度も聞き返すと、
相手は次第に怒った表情に変わってくるという。
それが怖くて、聞き取れなくても「はい」と言って
しまう。
「うなづき障害」と呼ばれている、難聴者特有の
癖だ。

子どもの頃はこれと同じことを、
聴力検査でも出してしまっていたのだろう。


大人になっても、この検査を疑問に思ったこと
があった。
それは、普段は嫌いになった補聴器も外していて、
音というものをあまり聞かない生活をしていると、
久しぶりに補聴器とは違う機器で音を聞いたとしても、
慣れていないせいなのか、
あるいは耳鳴りなのか、
それともさっき聴いた音の残聴なのか、
よくわからなかったりする。
すると、回答(つまり、押すタイミング)もどうして
いいかわからず、曖昧になってしまったりする。
これでは検査の精度が落ちてしまうだろう。

また、検査師がミスばかりしていても、
同じように聴こえているのかいないのか、
わからなくなったりするのではないか。
聴覚の錯覚が起こると、脳が混乱するためだろう。
そんなことは本当にありえるかどうか、
わからないが、人間だからあり得そうな気もする。
検査師の腕にも、微妙な差はあるだろう。


「少しでも聴こえたら押して」

と言われると、聴こえたような気がしただけで、
積極的にどんどん押していたこともあったような
気がする。
その時は当然、

「ハッキリと聴こえたら押して」

と言われた場合より、押すのが早かったのだろう。
当たり前なのだが、検査師の説明の仕方で
被験者の押すタイミングが変わるのは当たり前
なので、その結果、採取するデータが変わって
しまったのではないかと、今になってみると思える。

こんな曖昧になってしまうことがよくある検査って、
聴覚障害を調べる検査として、
本当に重要なデータなのだろうか?

そんな疑問がある。
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by bunbun6610 | 2016-05-09 20:30 | 聴覚障害

ろう重複障害児の現状

地下鉄に乗っていた。
ろう重複障害児と、その母親がいた。
児童は男児で、たどたどしい手話を使っていた。
母親は読書に夢中になっていた。
子どものことには全く構おうとしない。
子どもは読書中の母に何度も話しかけたが、
手話と口話の両方を併用していたらしい。
かなりあいまいだが、独り言、不満を発しているようだ。
それが、理解できる言葉だったのかどうかはわからない。
もし、母親にも理解できない言葉だったとしたら、
相手にしても仕方がなかったのだろう。

しかし、この時期に話し相手がいないと、
言葉の学習が遅れ、様々な副次障害が起こり、
将来必ず困ることになる。

それをこの母親は、わかっていないのかもしれない。
その親子は、W駅で降りた。
知的障害者がよく降車している駅だ。
すると、知的障害もあり、その施設に通っている、
ということだろうか。
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by bunbun6610 | 2016-05-07 23:20 | 聴覚障害


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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