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蒼穹 -そうきゅう-

カテゴリ:聴覚障害者心理( 22 )

聴覚障害者の心と性

『Rの夜/Sの昼』
http://blog.livedoor.jp/rnight_sday/




『Rの夜 72 「聾者のマキさん (印象的なお客 その4)」』
〔2011年12月26日 0:5〕
http://blog.livedoor.jp/rnight_sday/archives/51629884.html



注)この筆者による文中には「中途失調」という言葉が
よく出てくるが、これはパソコンの変換ミスで、
正確には「中途失聴」である。
「中失」も「中途失聴(者)」である。


セックスというのは普通、お互いに身も心も一つになりたい、
溶け合いたい、というような欲求が重なった時にする行為
なのではないだろうか。
でも、そんな時でも、根底にある"違い”がどうしても
気になってしまったら、うまくいかない場合もあるだろう。

難聴者とろう者のカップルを何組か見たことがあった。
だが、付き合っても別れたり、結婚まで行っても離婚したり、
別れてはいないがうまくいっていない夫婦も見かけた。
心の違いが、大きな原因かもしれない。
「セックス」と「心の融合」は、やはり違うのだ。



>「それにそもそも、聴覚障害は性行為を行ううえで致命的な身体障害とは言えないと思うし、僕はSV(セックス・ボランティア)のプロフェッショナルではなく、あくまでお金をいただいて性行為を行うサービス業者なので、聾者だったマキさん(仮名)との関係は、健常者から障害者への介助とは違う。」

>「マキさんが聾者であることは事前に知らされていたものの、その彼女との筆談で
 「ディスカウントしていただいてありがとう。社長様によろしく。
と言われてはじめて、ナツコさんが彼女に対して、<障害者割引>を適用していたことを知った。」

>「それでもナツコさんの、マキさんに対する<障害者割引>には、なんとなく割り切れない、奇妙な違和感を感じた。
なぜだろう。」

>「それはやはり、上述したように、セックスをするうえで聴覚障害自体がネックになるとは思えなかったから、
(実際、料金の発生しない普通のセックスの経験が彼女にはあった)
金を払ってまで男娼を買うというのは、一般の女性と同じく、快を求めての消費行動とと考えるべきで、その意志と選択に対しては、きちんと正当な代金を要求して然るべきではないか、そんな気持ちがあったんだと思う。足の不自由な人の移動手段として、交通料金をディスカウントするのとは話がちがうということだ。

それだけでなく、このマキさんが裕福な家庭の子女で、そのうえ障害者手当てもあり、経済的には何の不自由もないどころか、かなり贅沢に暮らしていることも、<障害者割引>に対する僕の疑問を助長した。
容姿や性格、環境などの要因で異性と交際する機会に恵まれず、さりとて経済的に裕福であるわけでもない女性が、なけなしの貯金やボーナスをはたいて<銀座>のデートボーイを買う例もある。
そんな彼女たちの容姿や環境を<障害>と同等に扱うのは失礼かもしれないが、男娼を買うに至る各個人の事情はそれぞれで、その事情によって差別や優遇措置を設けるのは、なんだか変な気がする。
要するに、「失恋」や「個性的な容姿」への割引はないけれど、「聴覚障害による異性との出会いの寡少」には割引が適応されるというその善意に、ナツコ社長自身も無自覚な、障害者への憐れみ・差別意識・優越感を感じたと言ったら大袈裟か。

朱に交われば赤くなるの喩えがあるように、常に差別にさらされてきた立場のマキさん自身の内部に、そういった<差別する立場><される立場>の関係構造が刷り込まれていたのだろうか。
彼女とつきあっている当時に感じたのは、このマキさん自身が、自分よりも障害の程度が重い人や、他の障害を持つ人たちに対して、独特の差別意識・優越感を持っていることだった。」

>「健聴者がそんなことを言ったら、差別的発言だと激しいバッシングを受けそうなことを、彼女自身は平気で言ったりする。
それだけを告発すれば、マキさんの人格に問題があるようにとられかねないけれど、彼女をあえてかばうならば、彼女のこの言い分には、聾者社会独特のカテゴリー構造が浮き彫りになっている部分がある。

 マキさんとの交際で僕が見聞きした聾者社会の内部構造は、健聴者にははかりしれない複雑さと排他性を伴うものだった。」

>「「聞こえないから喋れない」と「聞こえないけど、言語発声できる」の間には、大きな境界線があるらしく、それが先天聾と中途失聴とを、まったく違う文化の人間に隔てているらしいのだ。

先天聾の特徴は、言語を獲得する機会をまったく得られず、よって言語は聾学校での手話がその人のネイティブ・ランゲッジとなることだ。
そしてこういった先天聾の人たちが習得する「日本手話」と呼ばれる手話は、言語体系や文法が日本語とは大きくかけはなれており、主語のあとに述語が並ぶSVOC構文のインド・ヨーロッパ言語に近い。
つまり先天聾の人たちで「聞こえないし、喋れない」という人たちは、日本語文法とはちがう、まったくの異文化としての言語世界に身を置いている人たちと考えられる。
日本人よりアメリカ人に近いと言う人もいるくらいだ。
 それにひきかえ、中途失聴者は、失聴したその年齢にもよるけれど、健聴者時代に獲得した言語構造を持っているので、手話も「日本語対応手話」と呼ばれる別の手話体系を用いる。
これは健聴者の言葉からの同時通訳に向く、日本語の文法そのままに手話を並べる用法であって、日本語の言い換え、つまり代替言語的なものと考えられ、先天聾の人たちが使う「日本手話」とは似て非なるものらしい。

そのせいか、手話を使う人たちから見れば、相手の手話のタイプによって先天聾なのか、中途失聴なのか、健聴者でありながら手話を使える人なのか、すぐに見分けられるんだそうだ。
僕ら健聴者にしてみれば、手話を使う人 = 耳の不自由な人 という図式であり、手話の種類が違うというのは、それはちょっと不便だろうな、くらいのものだけれど、当人たちにしてみれば、そこには独特の境界意識が働いているらしい。
マキさんが言う。(以下、筆談。)

―― 私たち中失(中途失聴のこと)は、日本語の響きや語順、ニュアンスを
    知っているから、人生の途中で失った日本語のやりとりを、手話をつかって、
    必死に取り返そうとしている感覚なの。
    でも、先天の人たちは、最初から口語の日本語を知らない。
    日本語っていうのは、音をともなわない、読むだけの記号文語だと思っていて
    健聴者の言葉を外国語のように考えてる。
    だから、あの人たちは、自分たちは最初から違う言葉をしゃべっていると
    思ってるせいか、私たち中失(注:中途失調)のように、障害者としての認識がない気がする。」

>「―― そのくせ、中失の私たちのことは、「わかりにくい手話を使う人種」ってことで
    同じ聾者同士でも、なんとなく差別してるみたいなのよね。
    あとから自分たちの世界に来た新参者扱いっていうのかしら。
    中失の多くが言葉を発音できて、「しゃべれる」ってことに対するねたみもあるのか
    なんとなく遠巻きにされてる感じ。

 これは聾者社会に関する彼女の私観であって、聴覚障害者一般の感覚とはちがうかもしれない。
けれどもマキさんのこんな話から、聾者の社会が、僕らが考える以上の複雑な様相をはらんでいることが感じ取れる。」

>「「手話を知らない人とは会話が成り立たないし、筆談は面倒だから、
  男性と出会っても、それ以上の関係には発展しづらいの」
当時はまだインターネットやチャットが一般的ではなかった時代だ。
 「Rクンは文字を書くのが早いからいいけど、なかには遅い人もいるし、
  そもそもそんなことしてまで私とつきあわなくても、最初から健聴者の女性と
  つきあえばいいわけだし」」

>「おおう、おおう。
彼女のあの時の声は獣のようだ。
でもそこには確実で切実な生の叫びがある。
いっぽう僕の声は彼女の耳に届かない。
けれども、僕が彼女の前髪をかきあげて、汗ばんだ額をむきだしにしてやると、彼女は何かを問いただすように僕を見つめる。
 いい?
僕も首をかしげて問いを返すと、彼女の目にもさらに問いが浮かぶ。
 え、何が?
そのたび、僕は自分の問いがわからなくなる。
何が<いい>のだろう。
許可を求めているのか、それとも何かを白状させたいのか。」


Rさんのこのような見方、考え方は自然だと思う。
風俗遊びにも障害者割引があるとは、知らなかった。
障害者手帳による交通料金割引の場合は、
「経済的福祉支援」ということになると思う。

『障害者の「旅客運賃減額」について』
〔2014-10-13 18:30〕

健常者の考え方がこのようであるとするなら、
精神障害者も聴覚障害者と同様、
という見方をされているのだろうか。

ただ、Rさんに限らず健常者が見落としている点も
あると思う。
それは、聴覚障害者などが社会から受けている、
特有の間接差別である。
これゆえに、聴覚障害者は能力はあっても
仕事につけなかったり、つけても低収入になるなど、
経済的不利に立たされている人が多い。
そんな場合でも障害者福祉支援が何もなかったら、
生活はかなり苦しくなるだろう。
そうしたことに対する理解として、
その社長は割引に応じていたのかもしれない。

とはいえ、マキさんの場合は、何らかの理由があって、
恵まれていたようだが。
中途失聴者なら、十分にありえる。

それと、周囲の健常者からRさんと同様に思われて
いるのだから、聴覚障害者本人でさえ、
自分が障害者であるなどとは、
普段はあまり思ってもいないのだろう。
自覚していないし、可能性はあると思っていても、
周囲の目のせいで自覚できないと言えるのかも
しれない。



「ろう者と難聴者・中途失聴者は、ウマが合わない」

などと、よく言われる。
とはいえ、
(講演会で私の聞き間違いでなければの話になるが)
なかには中途失聴者がろう者と恋愛をし、
結婚した方もいる。
その後は二人で手を取り合って生き、
幸せになったと聞いている。
その中途失聴者とは、河合洋祐氏、I氏(存命中)である。
勿論、お二人とも、ろう者として、
ろう者の団体に非常な貢献をされている方々だ。





〔関連記事〕

『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕





『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕





『心の叫び (3)『愛は静けさの中に』』
〔2014-11 -03 18:30〕



この映画の主人公サラの処女喪失体験談が、
またすごい衝撃的なのである。

「彼女から、かつて姉の作ったリストの順番に
従って男友達に求められるまま体を与えた
ことをうち明けられた。」

wikipediaより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%AF%E9%9D%99%E3%81%91%E3%81%95%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB



【参考情報】

50dBの世界
『ろうの世界について』

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by bunbun6610 | 2016-12-02 22:13 | 聴覚障害者心理

難聴主婦の静かな日々
『働く難聴者にとって職場で一番辛い時間帯とは』
〔2012年06月20日(水)〕







「目が見えないということは、あなたを物から孤立させます。
耳が聞こえないということは、あなたを人々から孤立させます」
          (イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)



健聴者の「うなずき障害」
〔2011-10-07 22:45〕



この「うなずいているだけ」って言うのも、案外辛いのだ。
他人を騙している、という罪悪感がある。
ばれているならそうで、自分がそこにいるだけでも辛い。
健聴者の「聞いているフリ」とは、全然違うと思う。



>「働いている職場によりけりだと思うが、
私にとって辛いのが昼食の時間帯だった。」


もうすぐ飲み会(忘年会)シーズン。
この時期も、辛いといえば辛い。

職場でタバコを吸う人には、“ちょいと一服タイム”
があるが、そこで皆が世間話とかに盛り上がって
ハッピーな気分になっていても、
自分だけ暗い表情をしてじっと我慢している。
そうなると感じ悪く見られるから、
自分だけそこから立ち去るのであるが。

皆が盛り上がっちゃう時こそ、実は聴覚障害者が
ものすごく辛い思いをしてしまうのだ。
だから私が今いる職場では、ほぼ毎月、飲み会が
開かれているが、私だけ出席率は入社以来、
0%のままだ。



>「話していることを知りたければ、隣りの人に
何を話しているのかを聞くようにしている。
全部はわからなくても、その簡単な説明で
推定して、話しをつないでいる。」



なぜこんな面倒くさいことをするのか、
健聴者にはよくわからないかもしれない。

よく言われるのが、上司だと

「話をちゃんと聞きなさい!
ちゃんと聞いているの?」

とか、

「言っても駄目だから、あなたはいいよ」

とか、

「後で」

と言われたきりで、何もなしだったりする。
要するに面倒がられる。

同僚だと

「え? 聞いてなかった? 何? 聞こえない?
聞こえてるじゃないか」

なんて、低次元の会話になってしまったりする。
なぜか、相手が言い訳、人のせいにばかりしてくる。

後輩だと、最初は丁寧に話してくれるが、
それでも聴覚障害者相手だと優先順位が
下がることになる。
なぜならとにかく、同僚先輩の余計な口出しが
すぐ邪魔になるからだ。

後で自分から聞き返すと、要約して短く話してくれる
から、聴覚障害者にも聞き取れる確率が上がるし、
推測しやすくもなる。
皆の会話の邪魔(迷惑)にもならないし、
マンツーマン会話になったほうが、
聴覚障害者にもわかるような話し方に、
自然になるというわけだからだ。
それで、後で自分から聞き返したほうがいい、
というわけだ。
同じ人が話しているのであっても、
その人が放射状に皆に話している時と、
聴覚障害者とマンツーマン会話をしている時とでは、
明らかに話し方が違うから、聞き取りやすさも理解度も
違ってきてしまうのだ。
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by bunbun6610 | 2016-11-25 22:00 | 聴覚障害者心理

健聴者にうんざり

聴覚障害を持った当事者として、
非常に大切なことであるにも
かかわらず、健聴者に騙されて
しまった経験はあるだろう。

例えば、会社面接に行く時、
企業からは

「面接では筆談で対応しますので、
通訳者は呼ばなくて結構です」

と言われるケース。

あるいは、国の法令で定められた
受講必須の講習会(例えば、大量
調理場で働く前に必要な衛生講習等)
でも、同様の理由を言われて
情報保障や通訳がつかなかった、
というケース等。


その場へ行ってみると、大体、
こう言われるのである。

「(私の話し声が)聞こえますか?」

ここで

「はい、聞こえます」

なんて言ったら、もう後はずーっと、
一方的にしゃべられて終わりです。
それでずっと我慢した経験を何度も
しているうちに、このままだとマズイと
思ってきた。

だから次からはそう来たら、

「今は聞こえますが、長い話になると
聞き取れない言葉もあり、
また不意に物音、雑音がしたりすると、
途切れてしまうので、大事な話は筆談
のほうがよいのですが」

と伝える。
そうすると、相手はうなづいて筆談して
くれます。

ところが、少しでも時間が長くなってくると、
ペンを置いてすぐしゃべり出す人がいる。

私が

「わかりません」

と言うと、またペンを取って書くが、
一時の間だけで、またすぐにペンを置いて
しゃべり出す。
それでまた

「わかりません」

と言うと、そこからまた次の話を書き出す。
何度もこんな繰り返しになるうちに、
前に何を言っていたのかも書くのを
忘れるのか、話がだんだん一貫しなくなる。
だから何を言いたいのかよくわからず

「こうですか?」

と聞く。
すると単純に「そうだ」と答える。
そんなワケがないだろうと、ほぼ確実に
疑いながらも、相手の努力に敬意を表して、
もう一度信用することにする。
しかし結局、「だから何なの?」という、
筋の通らぬ話に、いつの間にかなって
いたりする。
妥協するとこうなってしまうことも、
経験のある聴覚障害者は多いだろう。
これが相手の健聴者には分かっていない
ので、もううんざりしてしまうのである。
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by bunbun6610 | 2016-06-10 19:30 | 聴覚障害者心理

内閣府
『自殺対策強化月間(3月)』
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/kyoukagekkan/





『自殺未遂をする』
〔2012-01-11 18:00〕






『自殺者と自殺願望者の数』
〔2012-02-25 21:39〕





『職場での音声コミュニケーション障害に疲れて』
〔2012-05-19 23:37〕




『生きるということ』
〔2013-04-04 18:00〕




『【感動の話】 あるろう者の苦悩と、幸福観』
〔2015-04-02 23:06〕





MIRAIRO スタッフブログ
『「あなたが普通じゃないから、世界はこんなにも、美しい」
映画で見つけたバリアバリュー』
〔2015年4月30日〕岸田奈美






いや、聴覚障害者にとっては、3月に限ったことはないよな。
いつだって「もう死にたい」と思うことは、たくさんある。
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by bunbun6610 | 2016-03-29 21:49 | 聴覚障害者心理

たまたま昨日、
朝のテレビ番組で、
桐谷美玲、松坂慶子が出演する

テレビ朝日 金曜ナイトドラマ
『スミカスミレ ~45歳若返った女~』



という番組が紹介されていた。

物語は45歳も若返るという、とんでもなく、
うらやましい話。
誰もが一度は

「もしも、若返ることができたらいいな」

と思うだろう。
しかし、私は興味ない。
と言うよりも、若返ることにはむしろ反対だ。

若返るだけでは嫌なのだ。
耳が治らなかったら、若返っても、
あの辛い苦悩を繰り返すだけに決まっている
だろう。
聴覚障害者としての苦悩から逃れる方法など、
まだ全然見つかっていない。

幾らかでも諦めることが、
やっとできるようになった現在の方が、
まだましだ。

もしも、身体だけ若返ったとする。
そして今の精神的落ち着きがあっても、
若い時のような豊かな体験に、
自分は悠然として対応し、聴覚障害の辛さにも、
再び耐えることができるかどうか?
自分だけ抑えるのは、大変で疲れるように思う。

せっかくここまで来たんだから、
俺はもう若返るより、
早く死にたい。
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by bunbun6610 | 2016-02-06 07:15 | 聴覚障害者心理

『セールのパンが買えなかった日』
〔2013-04-12 18:00〕




声の割り込み(競争)に負ける。

「そんな場合は競争なんだから、
自分も遠慮せずに割り込めばいいじゃないか」

と言う人もいるかもしれない。

ところが「聞こえない人」の場合はそこが

「言うは易く行うは難し」

なのである。



==========================



http://kotowaza-allguide.com/i/iuwayasuku.html


言うは易く行うは難し

【読み】
いうはやすくおこなうはかたし

【意味】
言うは易く行うは難しとは、何をするにしても、
口で言うのは簡単だがそれを実行するのは
大変難しいということの教え。

【注釈】
口で言うだけならどんなことでも簡単だが、
実行となると口で言うほど簡単ではないという教え。



==========================





「なぜか」って?

例えば、周りの声の状況がわからないと、
割り込むにも、タイミングがわからない
のである。

販売員が声を出している時や、
別のお客さんが声を出している時に、
たまたま、あるいは知らずに自分も声を
出してしまった時がある。
すると、相手が聞き取れなかったり、
不快感を示すだけになる、というようなことも、
よくある。

これも、恐らくは聞こえない自分がよく
体験してきた失敗だから、知っている。
そういう経験が何度もあるのだから、
そのうちに“声の競争”には億劫になって
しまうのである。
少なくとも、健聴者よりもずっと、苦手意識が
強いことは確かだ。

おばさんは恥も外見もなく競争に勝とうと
するのだろうが、先天性聴覚障害者には、
そういう手口をあまり詳しく知らないこともある。
聞こえないから、そのずる賢さを学べないのだ。
セールパンの争いなど「マナーの悪さ」で
勝ち取れるものなのだろう。
しかしそれには、人間社会では上手くやることも
必要なのではないのだろうか。
それが、聞こえない自分にはどういうタイミングで、
どうやったらいいのか、全くわからない。
だからこういう競争には、負けて当然なのである。
もしどうしてもやるならば、
もうどこまでも図々しくなるしかないだろう。

こういう経験は、高齢難聴者も、案外している
のではないだろうか。
どうも、そんな気がするのだが。
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by bunbun6610 | 2015-07-05 19:30 | 聴覚障害者心理


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/818178.html


なぜ、聴覚障害者は、健常者に常に文字で
伝えないのか。

〔質問日時:2004/03/29 23:04〕


聴覚に障害のある方と仕事をしています。
その方は殆ど話しも出来ません。

一緒に仕事をしていると、筆談も多いですが、
解かりやすくはっきり口を開けて伝えたい言葉を
口の動きで見せてくれるときがあります。
何を言わんとしているか解からない時の方が
多いです。
正直、(書いてくれないかなぁ)と思い、イラッと
することも私はあります。

聞こえない話せないことの辛さがあるでしょうが、
それを便利に使う時も見受けられます。

私が口の動きを読むことを上手にならなければ
ならないのか?

私が目線を合わせなければならないのか?

例えば、首からぶら下げる小さいホワイトボード
とか、文字盤、(それもカッコよくデザインされたもの)
そういう道具を使って、聴覚障害者の方が目線を
合わせてくれないかなぁとも思えてきます。

なぜ、聴覚障害者は健常者に身振り手振りや口の
動きで伝えようとするのでしょうか?
(特に口の動きなど、難しくて伝わるまで余計、
時間がかかると思う。)

伝えたいことがある側が、伝えたい相手に負担が
かからないような手段を用いるよう工夫すべきだ
と思うのですが。

ご意見ください。



==========================




副題;
『ある企業の、聴覚障害者雇用の失敗事例』




回答が「回答順に表示」で、下の通りだった。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/818178.html?order=asc&isShow=open



まず、会社も聴覚障害者の入社前に

「筆談が主なコミュニケーションとなる」

と説明していたのだろうから、筆談が主な
コミュニケーション方法になるのは仕方がない、
と思う。


>「伝えたいことがある側が、伝えたい相手に
負担がかからないような手段を用いるよう
工夫すべきだと思うのですが。」



これは、手話ではなく、筆談コミュニケーションに
関して言っているわけだ。
確かに、もっともなことだと思う。

実際に私も、初めは言われてからこうするという
有様だった。
そして、ほとんどの聴覚障害者が、自分で筆談ボード
を用意していなかったので、今では私も

「なぜなのだろう?」

と思っている。
上の質問者と同じような疑問を持つ健聴者もいた。

「会社が買ってきた筆談ボードではなく、
自分の物だったらもっと大切に、
積極的に使うようになるのではないか」

と思うこともあるが。

私の場合は、なるべく自分の筆談ボードを
持参することにしている。


健常者も十人十色であるように、聴覚障害者だって
十人十色だ。
私自身、筆談は得意なほうなのだが、
肝心な健聴者が様々で、
やはり上手な人もいれば下手な人もいた。
だから筆談でも、筆談ボードをやめたくなってしまう
ような状況になる場合もあった。

ということは、この質問者の場合も、もしかすると

「健常者の筆談が下手で、よくわからないから」

という理由で、筆談コミュニケーションにウンザリ
していた可能性もありえる。

あるいは

「健常者の書いた字が汚すぎて読みづらい」

とかも。

「書き方が面倒がり屋さんで感情的で不快感
を覚える」

とかも。
不満があってもそれをなかなか言えず、
我慢してしまいがちになるのが、
筆談コミュニケーションというものなのだ。


『筆談してもらう聴覚障害者の心理』
〔2011-12-15 23:32〕




いずれにしても、質問者が“本当に”理由を
知りたければ、まず筆談でもいいから、
聞けばよかったと思う。
あるいは手話通訳者を呼んで、通訳して
もらったらよかったと思う。
会社はなぜそれをせず、辞めさせたのか。

しかし、信頼関係が築けていなければ、
例え通訳者を用意しても、本音を聞きだすことは
難しかっただろう。
これも、健常者、障害者とに関わりなく、
当然のことだと思う。


多分、その聴覚障害者は“ろう者”(Deaf)だ。
あくまで私の個人的な想像の範囲だが、
理由は幾つか考えられる。

そのろう者の場合は、まず身近な質問者に、
手話に興味を持ってもらいたかったのかもしれない。
それで質問者と手話をやってみたかったのかも
しれない。

質問者に興味を持ってもらって、そして手話を
勉強して、手話を覚えてもらう。
それでコミュニケーションができるようになって
ほしかったのかもしれない。
つまり、あえて筆談をやめたかった背景には、
ろう者なりの、手話への誘導があったのかもしれない。

実際に「会社で手話指導をしたい」というろう者も
いるほどだ。
あるいは、そうしたことをきかけに、健聴者にも
興味を持ち、自分で勉強したり、手話講習会に
通って覚えるようになったケースもある。
そのためにも

「本当は口話で話すことができても、
会社ではあえて声を使わない」

ろう者もいる。

だが、その気持ちが通じない、すれ違いになって
しまったから、質問者にはこういう疑問になったの
かもしれない。
それ以上の進展にはならなかった。
そして、ろう者は退職、という結末。


会社の人間なんて所詮、赤の他人だから、
下の話のようには、なかなかいかぬものだろう。

『【感動の話】 あるろう者の苦悩と、幸福観』
〔2015-04-02 23:06〕



それでも私がもし、質問者の立場だったならば、
そのろう者の勇気を賞賛する。

確かに、職場は手話をするところではなく、
仕事をする場所だ。
手話サークルと同じようにはいくはずがない。
だが、職場コミュニケーションにも手話があったら、
どれだけいいことだろうか。
私には、それが単なる理想に過ぎないとは
思わないのだが。


私が過去にいた会社に、Mさんというろう者(Deaf)
がいた。
Mさんも勿論、筆談はできるし、職場ではそうしていた。

しかし、Mさんには悩みもあった。
私には言ってくれたが、健聴者にもそれを伝えたか
どうかは知らない。

それは

筆談では十分に自分の気持ちや考えを、
伝えることができない


というものだった。
これは「筆談が苦手」という、ろう者の典型的な事例だ。

筆談ができるからといって、伝えることができる
とは限っていない
のだ。
日本語を「読む」ことと、「書く」ことは別だ。

ろう者は健聴者が書いた文章を読んで、簡単な
意味をつかむ

しかし、ろう者が書く場合は、それよりも難しい
作業になる
そうだ。
手話でろう者に日本語を指導している手話通訳士も、
そのように言っていた。


『手話で行う文章力向上講座(UDジャパン)』



障がい者雇用.comブログ
『UDジャパンに“は”、手話で日本語を学べる講座
があります』
〔2009.04.17 Friday〕




テンダー日本語教室




そこを、質問者は理解していただろうか?


私は以前に、あることで聴覚障害者団体に相談に
行ったことがある。
すると逆に

「あなたほどの文章力を持った聴覚障害者は、
あまりいない。
是非、我が団体の役員になってほしい」

と言われた。

「書くことはあまり得意でない、という聴覚障害者も、
わりといる」

という事実を示しているのではないだろうか。

それと、一見文章が書ける私でも、自信がないと
思うならば、そういった言葉や文章の使い方を
意識的に避けようとする。
そうするとやっぱり、第一言語が日本語の
聴覚障害者でも、言いたいことも十分に言えない
場合があるものだ。


Mさんも

自分の不得意な言語(日本語)で書くと、
正しく書けたかどうかも自信がない


と言っていた。
筆談になると、その(自分の苦手な)土俵に上がる、
ということだ。
それが不利になることは、誰にでもわかるだろう。


>「聞こえない話せないことの辛さがあるでしょうが、
それを便利に使う時も見受けられます。」


というのは、そう見えなくもないかもしれないが、
誤解している可能性も否定できない。
実際、私はMさんとメールでやりとりをしている時

「この文章、おかしくないか?」

と思うこともよくあるのだから。
他のろう者とも、よくあることだ。

そんなコミュニケーション方法でいつまでもやられたら、
彼らはイヤになってくるのは当たり前だろう。

健聴者が手話辞典を片手に、ろう者から手話を
読み取って、それをいちいち調べて、
意味を解読するようなものではないだろうか。

そう考えてみれば、お互いのことがもっと理解できた
かもしれない。

Mさんだって、だんだんと疲れてくるそうだ。
それで自然に、手話を出してくるようになる。

それは我慢できるとしても、不本意にも誤解されて
しまったり、後で後悔してしまうこともあるという。
Mさんの退職理由も、それが原因の一つだったと
聞いているのだから、この問題は重大なのだ。

健聴者には不要と思われがちな手話言語法が
制定されていく背景の一つが、ここにあるのでは
ないだろうか。


また、筆談で通じるかどうかは、話の内容にもよる。
難しい仕事とか、法的な話になると、よくわからない
人もいるそうだ。
これは、聴覚障害者弁護士から聞いた話だ。

この辺りが、この質問者のケースでも、
理由の一つとして考えられるかもしれない。




【追記】

ろう者が書いたものを探してみたら、
下のような記事が見つかった。


大阪在住のDeaf Pharmacist(ろう薬剤師)のブログ
『何故口話、筆談でなく手話なのか?(つぶやき)』
〔2014年08月26日 (火)〕





大阪在住のDeaf Pharmacist(ろう薬剤師)のブログ
『better than no language』
〔2013年06月08日 (土)〕





大阪在住のDeaf Pharmacist(ろう薬剤師)のブログ
『【ろう者の事例1】 下剤とは・・・?』
〔2011年06月15日 (水)〕





〔参考情報〕

学校法人 江副学園
新宿日本語学校
『ろう教育への取り組み』



『『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』』
〔2015-01-14 18:30〕

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by bunbun6610 | 2015-05-14 18:31 | 聴覚障害者心理

たまたま、ある障害者と話した。

トイレに入って小便をしていた。
隣にももう一人、同じことをしていた。

お互いに小便で、縁ができた。


障害者;「○×▲□?★◆◎△・・・」

私;「ん? あああ・・・。
あのですね、僕は、耳が聞こえないのです。
聴覚障害者なのです。
聞こえなくて、すみませんね。」

障害者;「目をこちらに一層向ける(「オレもだよ」)」

私;「え? あなたもですか?
聴覚障害者? 難聴の?」

障害者;「自分の頭を指差しするジェスチャー
(「いやいや。頭のだよ」)」

私;「頭と耳は、違う障害じゃないですか」


その人の言う「同じ」とは、「障害者」だという点に
ついてだ。
それについては、異論なし。
だが、聴覚障害と知的障害?とは、違う。

どちらも健常者からの偏見や差別はあると言っても、
悩みがだいぶ違うのだ。
いや、悩みもそうだが、根本原因はコミュニケーション
方法の相違だろう。
それがあるために、お互いにすれ違いが起こる。
もう、どうしようもないものだ。


その人はまだブツブツと何かを言っていた。
同じ障害者に出会えたことで、彼のほうは、
何か気分が少し良くなったようだ。
ピア・カウンセリングのいいところだろう。

でも、私は気分が良くないのだ。

理由は、下の記事を読めば、わかるだろう。


『ブログ・タイトルの意味 (2)』
〔2012-01-17 19:11〕


彼だけが喜んで一人でしゃべっているが、
私はますます憂鬱になってしまうのだ。
わかるか?
あなたに、私の精神的苦痛が。

やはり健聴者には誰でも、障害者であっても、
聴覚障害者の気持ちなど、わかりはしないのだ。
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by bunbun6610 | 2015-03-21 22:47 | 聴覚障害者心理

健聴者が見せる「うなずき障害」って、見たことがある
だろうか。

これが、聴覚障害者とのコミュニケーション場面では、
意外にも出るので面白い。

事例紹介しよう。

前にも述べたことがあるが、健聴者という人間は、
日本人なら音声日本語か書記日本語のどちらかぐらいの
コミュニケーション方法しか知らない。
だから、聴覚障害者の世界に入ると何も、話すことも
聞くこともできなくなってしまう人が多い。

その典型的な例が

『聴覚障害者を疑似体験する方法』
〔2013-02-28 18:00〕


にある、耳の日文化祭(聴覚障害者団体主催の行事)
で見られる光景だろう。

手話がペラペラな人ならば、どっちにしたって何も
問題はないが、手話ができない健聴者が、あそこへ
いきなり行ってしまったら、カルチャー・ショック
にも似た気持ちになるのではないだろうか。

たとえ、多少の手話ができる健聴者でも、
ろう者とちょっと話しただけで、
その手話力は簡単に見破られてしまう。

「あなたは、手話はまだまだだね」

と、ハッキリ言うろう者もいる。
そういう人と出くわした場合、ろう者はあまり相手に
しない。
コミュニケーションがしずらいからだ。

これは、健聴者のほうだって同じだから、わかるだろう。
お互いさまなのだ。

健聴者のうなずき障害だって、同じようなものだが、
健聴者のほうが、もっとタチ(性格)が悪い。
なぜなら、手話がわからず、ジェスチャーも筆談も面倒だと

「え? あ・・・そうです」

と、いい加減な返事をするだけで終わらせてしまう。
そうやって逃げているのだ。

これは難聴者がしばしば見せる「うなずき障害」と同じ
なのだ。

しかし、目のいいろう者をごまかすことはできない。

「はー、なるほど。
手話はまだまだできないんだ、この人は・・・」

と察する。
ろう者だって、こんな人と関わるのは面倒だし、手話の
タダ授業なんかしたくないのだから

「それでは、さっさと相手を変えようか」

となり、早々に別れを告げる。
その取り残された健聴者は、やっぱり寂しい気持ちになる
と思う。
負けず嫌いな人なら、そこで奮起して、一所懸命に手話を
覚えることだろうが、皆が皆、そうなれるのではない。

「きっぱりと、手話をやめる」

人のほうが多い。

残念だが、手話というものは、やはり、誰もが覚えること
のできる言語というわけではない。
特に、ろう者の母語といわれる日本手話の場合は、そうだろう。
いや、同じ日本語を母語としている聴覚障害者(難聴者や
中途失聴者など)でさえ、そうなのだから。

こうした事実を見ると「うなずき障害」の理由(原因)が
わかるし、それは決して恥でも、悪いのでもないことが
理解できるはずだ。


「心の壁」という、4番目のバリア(壁)がある、という。


『4つのあったかバリアフリー』
(ブログ『親孝行.style*』より)




健聴者も、ろう者も、難聴者も中途失聴者も、みんなにそれがある。
それをまず取り除くことが、コミュニケーション以前の問題だ。

本当は、お互いに「仮面芝居」で終わることのないようにしたいものだ。
健聴者の世界で見せる「うなずき障害」が、ろう者にも多い。


『ろう者の「聞こえるフリ」と「わかりました」と言う癖』
〔2012-09-14 18:30〕



『騙し合うままの、健聴者と聴覚障害者』
〔2012-10-09 18:30〕




『2日で職場放棄してしまった、ろう者』
〔2010-01-09 18:00〕





こうした聴覚障害者は、真面目に見えても長続きせず、
いずれ辞めていってしまうケースも多いので、
無理に我慢だけしているような人を放置しないほうがいい。

反対に、健聴者は“必要な合理的配慮をきちんと言う”
聴覚障害者を見ると

「この聴覚障害者は、我々の世界に適応できないな」

と判断する人が多いだろう。
でも、これって、ダイバーシティー構想の一つの手段である、
国連・障害者権利条約にそぐわない、古い考え方だと思う。

変わらなければいけないのは、社会のほうなのである。


『変わらなければいけないのは社会』
〔2012-02-07 22:44〕

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by bunbun6610 | 2014-06-18 18:30 | 聴覚障害者心理

今話題の、シャブについての話をしよう。

ASKAの歌は好きだったが、
まさかあいつがシャブをやっていたなんて・・・。

なぜシャブをやったのだろうか。


テレビや映画で、シャブの売買シーンを見たことがある。
売り手が、買い手になりそうな人に近づいて、
小声で売買の話を持ちかけていたりする。

ということは、あれは耳の聞こえない聴覚障害者には
売買が成り立ちにくい商売なのだろうか。
まさか、筆談で交渉なんてわけにはいかないだろう。

実際、聴覚障害者がシャブをやっている話なんて、
まだ聞いたことがない。
でも、もしその機会があれば、皆やりそうなものだ。
無論、それを買えるだけの金があればの話だが。

誰だって、この苦しみから逃れたい。
その方法が、他に見つからない。

俺なんか、いくら酒を飲んでも、決して酔えない。
酔っ払ってもすぐ気分が悪くなり、ゲロを吐いてしまう。
だから俺は、酒ではこの苦しみから逃避することもできない。

そんな俺でも、シャブなら、簡単に気分がハイになること
だってできるのだろうか。
この耳鳴りからも、頭がおかしくなりそうな状態からも、
開放されるだろうか?
多分、できるのだろう。
ならば、やってみたい気がする。

ただ、一度やり出したら、止まらなくなるそうだから、
すぐに“人間廃業”となるのだろう。
やったらお終いだ。
そんなものを、国はどうしてもっと厳しく取り締まらないのだろうか。

日本にも、ろう者の暴力団組織があるという。
シャブの密売はやっているのだろうか。
彼らは手話だから、それで密売の交渉ができるだろう。
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by bunbun6610 | 2014-05-24 18:30 | 聴覚障害者心理