カテゴリ:難聴の記憶( 8 )

電話が鳴ると怖くなる、異常な精神的症状

子どもの頃から、電話が鳴ると、怖かった。
なぜかというと、その電話に出なければ
ならないという責任感と、難聴ゆえに聞き
取れず、何度も聞き返してしまうという困難
が、精神的苦痛になったからだ。

それで、相手に不快な思いや、
怒りを誘ってしまうことが、よくあった。
相手に迷惑をかけてしまうことも怖かったが、
何よりも誤解されるのが怖かった。
学生アルバイトの時、
事務所に電話が掛かってきて、
その時は私一人だった。
何度も鳴るので、仕方がなく自分が出ると

「君ィ~、電話が鳴ったら、
すぐに出なきゃいけないよ!」

とか何とか言われて、強く叱られてしまった。
その後の言葉がわからないので、
すぐに待たせて誰かを呼んだ。
とても恥ずかしい体験でもあった。
自分の難聴がバレるのも、嫌だったのかも
しれない。
世間では障害者に対する視線が、まだまだ
冷たい時代だった。
だから障害者だとバレると、自分もそうなる
と思い、怖かったのだろう。
差別的に見られるだけでも、かなり嫌だった。
恐怖だった。

きっと、幾ら電話しても、誰も出てこない
家って、今でもあるのではないだろうか。
そんな家があるとすれば、その家には
一人暮らしの難聴者や、ろう者が住んで
いる可能性もある。
ろう者にも、FAX優先モードの固定電話
を置いている人がいる。
私もFAX優先モードにしているので、
まず電話が鳴るようになっている。
電話には、決してでない。
鳴っても音はわからないが、今の電話機
は、かかってくると電話のディスプレイが
明るくなるので、誰かが電話をかけてきた
ことぐらいはわかる。

かなりの受信記録が溜まっている。
それでも、一体誰から掛かってくるのかも、
一切知らない。
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by bunbun6610 | 2016-05-14 20:00 | 難聴の記憶

「雲の上の人」=「故人」? 聴覚障害者の言語学習障害

「雲の上の人」って、
どういう意味だと覚えたのだろうか?




Webiro 類語辞書
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E9%9B%B2%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E4%BA%BA

『雲の上の人』
〔意義素〕
自分よりレベルが遥かに上の人を指す表現


〔類語〕
別世界の住人 ・ 別世界の人 ・ 別次元の人 ・
雲の上の人 ・ 別格の存在 ・ 殿上人 ・
別格 ・ 神のような人 ・ 神のような存在 ・
神様のような人 ・ 神様のような存在 ・
雲の上の存在 ・ 住む世界が違う人






YAHOO!知恵袋
『雲の上の人とは』
〔2009/5/1721:03:32〕
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1026286975




健聴者は多分皆、学校等で習うよりも先に、
耳で聞いて覚えているのだと思う。
言葉の読み方や、使い方は、
そうやって覚えたほうが早い。

私も多少は、言葉を耳で聞いたことはあったが、
意味までは正確には覚えていなかった。
なぜかというと、聴覚障害ゆえに、
音声情報に制限があるだろうし、
そもそも面倒くさい話までは全部聞き取れず、
それで自己解釈してしまいやすかったため
だろう。
よく「言う事を聞いていない子」と思われて
いたそうだったが、それは聴覚障害が原因
だった。

最初は

「雲の上にいる人だから、きっと『この世の人
でない人』」

だと思っていた。
つまり、故人のことだ。
だって「雲の上」って、天のことではないか。
それを頭の中で想像したら、そこにいる人って
言ったら、「天国にいる人」になるのではないか。
教えられるまでもない、簡単なことだ、と思って
いた。
頭の中で絵画にしてみたら、間違いなくそうなる。

ところが健聴者の言語文化とはおかしなもので、
これは今も生きている人を指して使う言葉だと、
後から知った。
例えば、巨人軍の終身名誉監督・長嶋茂雄氏も、
憧れの巨人軍に入団した選手から「雲の上の人」
のように思われていたそうだ。
それは意味がイラストになっていたので、
聴覚障害者にも分かりやすい説明だった。
そんなスポーツ新聞の記事を読んで、

「そういう意味だったのか」

とようやく理解した。

以上、子どもの頃から聴覚障害があると、
こんな学習障害も起こる、という実例話である。
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by bunbun6610 | 2016-05-11 07:58 | 難聴の記憶

あだ名の由来 - 難聴とあだ名の関係

『難聴の私につけられた、あだ名の由来』


当時の小学校は、2年ごとにクラス変えが
行なわれていた。
担任教師もそれごとに変っていた。
だから入学後は3年、5年の時にクラス変えが
あったことを、今でもよく憶えている。

5年になった時のクラス変えでは、
担任はI・S子先生だった。

新しいクラスに変わると、まず、生徒の座席
決めが始まる。
座席を決めるまでは、皆自由に座っていた。
こういう場合に出欠確認をとられてしまうと、私は

『「聞こえない」と言えなかった頃の記憶 - 学校で』
〔2015-02-03 18:30〕



で書いた方法が使えなかった。
あの方法は、自分の前の生徒がどこに座って
いるのかがわからなければ、使えなかった。

それで私は、自分の名前を呼ばれても、
全くわからなかった。

おそらく、先生は私の名前だけは何度も呼んで
いたのであろうが、私はまだ別の生徒の名前を
呼んでいるのかと思っていた。

しかしその時、私の近くにいた生徒が「ネボケ!」
と、突然叫んだ。

クラスのリーダー格だったO君だ。
それだけに元気がいいので、その声を聞いて
ビックリし、その瞬間、自分の名前が呼ばれて
いるのだと悟り「ハイッ!」と大きな声で返事を
してしまった。

難聴が原因で、クラス中の笑い話になって
しまった、有名な出来事になってしまった。

後で聞いた皆の話しによると、先生まで

「お前の名前は『ネボケ』なのか」

と、笑いながら言っていたそうだ。
もちろん、その時は聞こえなかった私は、
先生に対しても無口だった。

私がいつも無口でおとなしかったのは、
難聴だったからだ。
初めは誤解されていたのだが、それ以来、
私へのあだ名は「ネボケ」になってしまった。

しばらくは、何でそんなあだ名がついたのか、
自分だけ理解できずにいて、嫌だった。

しかし、今になって思うと、そのあだ名がむしろ、
自分への助けにもなった、と思うようになった。

「ネボケ」は、かなり注目されるあだ名で、
馬鹿にされていじめられる、ということもあったが、
無口でおとなしかった少年が社会参加する
きっかけを与えてくれることにもなった。

皆が「ネボケ」「ネボケ」と呼ぶ度に、
私がその仲間に入っていくことになり、
私の社会勉強にもなった。
勿論、当時は嫌な気分だったが。

そのうちに、彼らは私が難聴だということに、
先生よりずっと早く気づくようになった。
それでも先生は、私を呼んでも反応が鈍いのは

「まだ子どもだから」

と思っていたらしい。

こんなに重大なことなのに、大人がそのまま
放置していたことは、私の将来にまで、
暗い影を落とすことになった。
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by bunbun6610 | 2015-02-06 21:30 | 難聴の記憶

「聞こえない」と言えなかった頃の記憶 - 学校で

健聴者には、「聞こえる」か「聞こえない」の
二元論でしか、聴覚障害を識別できないらしい。
難聴の症状はほとんど知らず、無知に等しい。

私はあまりにも長い間、そのことを逆利用して、
やり過ごしすぎてしまっていた。


例えば、今からもう40年ほども昔の、私がまだ
小学生の時だ。

当時の小学校では、生徒数が1クラスで48~
53人ほどもいた。
授業前の出欠確認の時は、先生の声は聞こえ
ないか、聞こえたとしても誰を呼んでいるのか
わからない場合もあった。
だから私は、自分でその場をやり過ごす方法を
考えついた。

簡単に言えば、ごまかしていたのだが、
他人を騙そうという意図はなかったつもりだった。

聴覚障害ということも知らなかった私は、
集団社会の中でどう生きていったらよいのか、
自分なりに知恵を絞ってみたつもりだった。

心理研究でも明らかにされていると思うが、
こういう状況では自分も周囲と“同調”しなければ
ならない、という心理になり、己を曲げてしまう。

耳が不自由なのは私だけであっても、その異なる
人たちばかりの社会に溶け込まざるをえなかった。
いや、それは正確には、自己を埋没させるという
ことだったのだが。


考え出した方法の一つは、自分より5番ぐらい前の
生徒を、よく見ておく事だった。
その状況をジッと観察していて、自分の順番が
近づいてくるタイミングを、私は目で計測していたのだ。
私の目は音声情報を追尾するレーダーになっていた。

5番ぐらい前までの生徒までチェックしておくのは、
理由がある。

例えば、目印となってくれる生徒がいつも自分の近く
の席だとは限らない。
遠すぎたり、後頭部しか見えなくて状況がわかりづらい
場合もある。
私は、子どもが大きな声で返事をする時の、特有の
動きを見逃さないようにしていた。
頭部がわずかに上下するとか、顎や喉が動くとか、
である。
非常に疲れたが、それによく注意していれば、
一人や二人で読み取りに失敗した時でも、
その後にまだチャンスがあった。
レーダーはある程度の余裕があったほうが安心
できたからである。

後は、先生の口や動きに注意して、タイミングを読めば、
簡単にスルーできた。
小学校から高校まで、ずっとこの方法だった。

だから、学校の担任先生すらも、私の難聴をハッキリ
とは見抜けなかったのだろう。

けれども、クラスメイトにはそんなごまかしは完全に
見抜かれていた。
授業はごまかせても、一緒に遊んでいると「おかしい」
と誰もが気づくのだろう。
それにしても今さらながら、子どもの眼力には驚かされる。


私は、決して自慢話をしたくて、この話をしたのではない。
自分の難聴を大人が誰も理解してくれなくて、
仕方なくこうするより他になかった、悲しい事として
告白しているのである。

今さら恨み言なんか言っても仕方がない。
言ってみたところで、健聴者は誰も理解できはしない。

だがそれでも、自分が進んで告白することによって、
社会の問題点をあぶり出し、これからの聴覚障害者対応
に変化をもたらすことができれば、と思う。

この行為は“祈り”に近い。
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by bunbun6610 | 2015-02-03 18:30 | 難聴の記憶

「つんぼ」から「聴覚障害者」へ

『差別用語とは何か』
 ―― 言葉は変わっても、その本質的意味は
今も変わっていない


普通学校に通っていた私は、中学2、3年の時、
M君という級友がいた。
M君は、私の難聴のことも、よく理解していた。(※1)


(※1)
『なぜ手話・要約筆記通訳は使われないか?』
〔2014-10-19 18:30〕


そのM君でも


「おまえの耳は“つんぼ”だ!」 (※2)

と冗談交じりに、わざと大きな声で言うこともあった。
国語の授業で「馬耳東風」という四字熟語を習うと、
今度は

「おまえは“馬耳東風”だ」

とも言われた。


(※2)「つんぼ」

つんぼ【×聾】
「聴力を失っていること。耳の聴こえないこと。」




つんぼ



馬耳東風(ばじとうふう)
「馬耳東風とは、人の意見や批判などを心にとめず、
聞き流すことのたとえ。」




私はその頃“ツンボ”という言葉の意味など、
全く知らなかった。
今になって思えば、それは差別用語である。
それでも、滅多に使われない言葉であったこと、
それに、私の耳について言うのだから、
何となくはわかった。
でも、世の中には“聾唖者”もいたことまでは、
当時はほとんど知らなかった。


「耳が遠い」

とも、周囲にいた同級生からも、よく言われていた。

だから私は

「つんぼ=耳が遠い」

なのだろうと思っていた。
M君もそう思っていたのかどうかは、わからない。

今は「つんぼ」とは決して言われなくなった。
代わって言われるのが「聴覚障害者」だ。

健常者が、その人の持つ障害によって差別している
用語が「つんぼ」から「聴覚障害者」になった、
というわけである。
聴覚障害があると認定され、こう位置づけられる
ことによって、社会から特別扱いが受けられる。

それは「差別」ではなくて

「障害者福祉」

「障害者雇用」

なのだと。

本当に、心から納得できるだろうか。
それがないと、自分は生きてゆけない社会だという
ことはわかっているが。
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by bunbun6610 | 2014-11-23 18:30 | 難聴の記憶

障害児ゆえに、幼少期から知略家だった私

子どもの頃は、障害者というものがどういう
ものなのか、ほとんどわかっていなかった。

(というより、子どもであることに加えて、
耳から情報が十分に入らない障害もあり、
ほとんど何も知らなかった)

テレビで障害者を見たことがあったが、
脳性マヒとかで歩き方がヘンだったり、
身体の一部がないとか、車椅子に乗ったまま
だとか、白杖で歩く人とか、ダウン症の子ども
のように顔の表情がヘンな人とかが、
障害者だと思っていた。

つまり、外見でハッキリわかる障害を持つ人
だけが障害者だと思っていた。

聴覚障害とか、精神障害とかは、聴覚障害児
だった自分には理解しにくかった。
いや、理解出来なかったのだろう。

なぜなら、それは外見だけではわからない
障害であり、耳からその知識が入らないと、
理解できるようにはならないからである。

実際、当の本人である私より、健常者である
妹のほうが、私が難聴であったことをハッキリと
認識していた。

それでも、障害というものは完全に理解できて
いなくても、自分にはハンディキャップがある、
ということは、おぼろげながらわかっていた。

近所の子どもと一緒に遊んでいる時に、
その遊びのルールがわからなかったので、
とにかく周りの子どものやることを見ながら、
少しずつ理解していった。

ルールがわからないこともわかっていなくて、
それでも一緒に混じってやっていたので、
いじめられたこともあった。

昭和40年代に流行だった遊びの一つに“缶蹴り”
があった。

https://kotobank.jp/word/%E7%BC%B6%E8%B9%B4%E3%82%8A-236712

※ ウィキペディアの「缶けり」(缶蹴り)を
調べたほうが詳しい。



この遊びは、空き缶1個でできる。
じゃんけんで負けた最後の一人が鬼になり、
缶の護り番になる。
他の者は逃げて、自由に行動できる。

鬼をいじめるため、知恵を凝らして逃げまくったり、
逆に鬼の缶を蹴飛ばして弱らせる。
誰かが鬼に捕まっても、つかまっていない者が
いる限り、ゲームは終わらない。
捕まっていない者が缶を蹴飛ばせば、捕虜は全員
解放される。
鬼は全員捕まえない限り、その役から解放されない。

もし、ゲームセットになれば、最初に捕まった者が、
次の鬼になる。

この遊びには、条件を付加することもできた。
“ハナ蹴り”が「有り」なのか「なし(禁止)」なのか、
である。

ハナ蹴りが「有り」ならば、缶は最初からどんどん
蹴飛ばしに来る。

しかし、「なし(禁止)」の場合だと、最初に蹴りに
来る者は誰もいなくなってしまう。
もし蹴れば、次回の鬼になってしまう可能性が
あるからである。
だから、誰も蹴りたがらなくなるのである。

そして、鬼でない側だと、鬼をいじめるための、
いろいろな作戦を使うことが出来る。

特に、鬼の泣き所となる作戦が“ムカデ攻め”で、
多数の仲間が一列に並んで、缶を蹴りに突進する。
鬼は、後ろにいる者が誰なのか、全然わからないと
捕まえられない。
仲間同士で服を交換し、騙そうとしたこともある。
また、仲間は分散して、一気に蹴りに来る方法も
あった。

こういうふうだから、鬼は圧倒的不利な存在なので
ある。
その鬼に、私がなってしまった。

難聴の私の聞き取れる距離は、せいぜい1メートル
だった。
離れた所での話し声や、物音が聞こえない私は、
相手には面白いように自分の護る缶を蹴られ
まくってしまった。
後ろから走ってくる音も、すでに走ってこられて
からでしか、気づけなかった。
それで、皆の笑いの種になった。

普通にやってもダメだと思った私は、邪道でも
いいから作戦を考えた。
今度のルールは「ハナ蹴り禁止」なのだから、
誰もトップで蹴れる者なんかいないと、わかって
いる。

だから、一人ずつ見つけ出して、捕まえないで、
わざと缶の前に集まらせた。

そうすると、連中は

「先に捕まるのは誰なのか、オレなのか?」

と心配になり、缶から離れられなくなった。
そして仲間に

「オレが捕まったら、お前がすぐに蹴れ!」

とか言い合っていた。
とにかく、皆

「こいつはバカだなー」

とか思っていたみたいで、
どういう作戦なのか、誰も気づいていなかった。

そうして、人だかりが出来た後、このワナに
まだ気づいていない、遠くの者を見つけに
行って、わざと遅い足で缶のほうに走る。

すると、見つかったそいつは焦って、夢中で
私を追い越し、缶を蹴ってしまう、というワナ
だった。
これが反則のハナ蹴りになる。

鬼にする一人にさえ、気づかれなければ、
この作戦は成功する。

この作戦は、バレたら二度と使えないと
わかっていたが、これは一回で成功した。
すぐゲームセットになり、ハナ蹴りをした
そいつが、次の鬼になった。

皆から

「お前、頭いいなー」

と言われ、見直された。

私が難聴だということは、この仲間の何人も
知っていたので、普通にやっていたら徹底的
にやられていた。
だから障害者は、他人とは違うことをやらな
ければ勝てない、と思った。
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by bunbun6610 | 2014-11-16 18:30 | 難聴の記憶

理解されない難聴 消せない記憶

当ブログ

『聴覚障害者が書いた本』
〔2011-05-08 23:32〕

で紹介しましたが、

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由   金 修琳/著』

 →http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80007310

私も、この本を読んでみました。


聴覚障害って、やっぱり周囲の人が気づきにくい障害です。
すると、当の本人ですら、自分が聴覚障害がどうなのか、
よくわからなくなったりします。

子どものときに聴覚障害になると、なおさらそうなりやすいです。

私の知り合いのろう者は、両親が共働き(農家)で忙しかったため、
それで自分の聴覚障害には気付いてもらえなかった、という。
それで、たまたま近所のおじいさんに指摘されて、
やっと気付いたそうです。

私の場合も、両親は共働きで、私には構っていませんでした。

金さんと同じく、東北から手伝いに来ていたおばあちゃんの
そばにいました。

そして、私も障害者手帳を取得したのは、金さんと同じく、
成人後、自分で申請してでした。

本当に就職できず、困っていたとき、たまたま求職活動中に
行った手話サークルで「障害者手帳の申請をした方がいい」
と言われてから、でした。

それまで何の障害者福祉支援も知らず、馬鹿みたいに
損をしていました。

原因は母にあるのか、世の中なのか…。
私は、その怒りのぶつけどころもわかりませんでした。

「どうも自分は周囲の子とは違う。
おかしいな、何でだろう?」

とは自分で感じはじめるのですが、周囲の人が

「この人は間違いなく聴覚障害者だ」

と認めない限り、誰も対策はとりません。
それで手遅れになりやすいのではないか、と思います。

そもそも、突発性難聴というのは手遅れになると、
治らなくなってしまうそうです。
(症状が表れたのがいつかもわかりませんので、
先天性の聴覚障害である可能性が濃厚です)

耳が腫れるでもなく、血が出るのでもないので、
危険性など本人も察知できるはずもありません。
そういうことが、まずわかります。

私の人生も、同じような体験は幾つもあります。
周囲の理解がないことが子ども心にはとても辛く、
寂しいものでした。
それが自分の人格形成に影響を与えたことは、
間違いありません。

聴覚障害は、いつ聴覚障害になったかで、
人格への影響作用が異なります。
生まれつきだとアイデンティティを持てない、
確立が遅れる、ということがおこると思います。
私はそうでした。

自分が周囲から初めて精神的影響を受けたのが、
中学2年のときだったと記憶しています。
それまでは、自分から他者との関係を考えるという
ことはなかったかもしれません。

ろう学校は耳が聴こえなくても、子どものときから
手話で会話ができるそうですが、聴こえないのに
普通学校に通っていて、聴覚障害とは何かも、
誰も知らなかった時代だったので、コミュニケーションの
工夫は難しかったと思います。

中途難聴の人からも

「聴こえなくなっていくと、アイデンティティが崩壊する」

という自らの体験話を聞きました。

軽度難聴者でも、その悩みは相当なものです。

老人性難聴の人も、難聴が進行するほど、
孤立しやすくなるそうです。

しかしそれでも、社会は依然としてこの問題に無関心、
無理解なのです。

「わからなかったら、もう一度聞き返して」

と言い、次は

「そのぐらいで、障害者だとは言えないよ」

と言い、その次は

「障害者に生まれたんだからしょうがない」

と言い、そして今度は

「もう歳だからしょうがない」

と。
この、延々と続く健聴者の一方的な論理に、
難聴の人は振り回され続けてきたのです。

確かに、聴覚障害を負うと皆、どこか心に
障害ができてしまいやすい、とは言えそうです。

それが、関係障害の、心への影響だからだと
私は思います。

専門家も

「もっとも恐ろしいのは、この二次、三次障害のほうだ」

と言っています。

( 参考 →http://www.jaswdhh.org/?tag=%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B


私の記憶にずっとある、辛いものも、母の言った言葉です。

「お前がちゃんと聞かないから、悪いんだ!」

そう言って、小学生だった私は母に殴られました。

父母の無理解、無関心…。
妹まで

「自分は小学校2年生頃には兄は耳がよく聴こえていない、
と気付いていたが、しょうがない」

と言う。
それだけでなく…

私を最初に差別した人間は母だという事実は、
生涯変わりません。

また、中学校の担任先生は、私の耳がおかしい
ことを疑い、母に尋ねたのですが、それでも母は

「そんなことはない」

と否定しました。
子どもの私はそれを

「母は自分の世間体を保つために、否定したんだ」

と思い込みました。
その後も母からは

「おまえは耳が聴こえないと周りに言う必要はない」

と言われました。
そうした言葉は私にとってとても寂しく、
孤独という大きな陰をもたらしました。

おそらく健聴者の全員がこれを読んで

「聴こえなかったのなら、
何でこういうことが書けるの?」

と思うでしょう。

実際、わからない健聴者が多いのが事実なのです。
だから私はそんなことには全然驚かないです。

どうせ、こういうことを経験したことのある
感音性難聴者にしか、わからない障害なのです。

もし私が健聴者だったら、聴覚障害者を見たって、
同じように無関心で、無視すると思います。

恨み言を言っているのではなく、この障害は、
そういう障害なのだと思います。

もう忘れたくても

「忘れたほうがいいよ」

と言われても、どうしようもない記憶なのです。


私のろう者知人にも、親と絶縁状態の人がいます。
長男でしたが、家の跡継ぎの権利を、親から奪われました。

「お前には無理だ」

と言われ、家の跡継ぎは弟になったといいます。


聴覚障害者の入所施設で暮らし、孤独なまま老齢で
亡くなった人もいます。

難聴の知人にも、親の理解がなかった、という人がいます。

関係障害で心に影を落とす聴覚障害者は、
思っていたよりも多いのです。

ろう女優の岡田絵里香さんの場合は、両親に捨てられた
経験を持っており、金さんと似ています。
 
 →http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-484.html

金さんの場合は「理解のない母」なのか、
「理解とは違うが、母なりに教育を考えた」からなのか、
あるいは他だったのか、私にはわかりませんが、
彼女の場合も母との関係は、
普通の親子とはやはり違っていた。

この本を読んで、金さんの体験は私や他の聴覚障害者と
もかなり共通点がある、ということがわかります。

同時に、聴覚障害者とはこういうものだという厳密な
定義も存在しないし、親の教育や受けた学校教育、
周囲の人的環境、受けてきた支援方法、本人の受け止め方など、
様々な要因の影響を受けて、それと聴覚障害の状況
(聴力程度、性質、失聴時期など)と併せて、
千差万別になります。

それはつまり、世の中には家族に聴覚障害を持つ人がいても、
きちんとした理解と対応をしている家庭もあり、
聴覚障害児が生まれると皆そうなるのではない、
ということも、読者は忘れないで読んでほしいと
思います。

それと、中途難聴や失聴した時期によっても、
コミュニケーション能力や方法は異なります。

高齢者でも、誰もが努力すれば読話や手話ができる
というのではないということも、忘れないで読んでほしい、
と思います。

高齢になるほど難聴者になる割合は著しく高くなり、
それからでは勉強しても読話も手話も覚えられず、
孤独に苦しむ人は多いです。

金さんのようなすごい能力を持った聴覚障害者もいますが、
だからといって障害は、誰にでも自己努力で克服できる、
というものではありません。

障害の克服能力には個人差があり、人権保障は
平等社会の基礎とならなければならないと思います。

同時に、今の社会に存在する障害は何がもたらしているのか、
読者は冷静に考え、知ってほしいと私は思います。

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by bunbun6610 | 2011-05-30 00:43 | 難聴の記憶

子どもの頃に難聴だった私は、父を他人のように思っていました。
父は私とはほとんど話したことがありませんでした。
もともと私は、話しかけられても、ほとんど言葉を聞き取れない難聴児でしたが。
そのせいか、父と自分はどういう関係なのかも、
よくわかっていなかったかもしれません。

それでも、家族旅行とかは、ときどきありました。
しかし、そうしたときでも、父はなぜか、
私と会話をすることはほとんどありませんでした。
親子なのになぜこうなのか、子どもだった自分にわかるはずもありませんでした。

ただ、これが自分の父には違いなかったのです。
私が小学生のときは、父は毎週日曜日に、少年野球の連れて行きました。
父は読売ジャイアンツの、それも、長嶋茂雄の大ファンでした。
それで町会の少年野球チームの監督、世話役を買って出ていました。
それは立派だと私も思います。
しかし問題は、自分のやり方で突き進む性格でした。
少年野球チームが解散する最後に、周囲から批判され、
監督を辞めることになったようです。

父の暴走はそれだけではありませんでした。
私の聴覚障害も見抜けなかったようです。
本当に気づかなかったのか、それとも父親というものは母親任せで、
自分は自分のやりたいことに集中していただけなのか、真実は今も私にはわかりません。

ただ、自分はこういう父のもとに生まれたんだ、自分の父はこういう人なんだと、
受け入れるしかなかったのです。
そうして私は、そのまま大人になり、親元から離れて独り暮らすようになったのです。

その父と今も会っていますが、すぐ暴走する性格は相変わらずで、
歳をとっても変わることのない性格なのだと悟りました。

聞こえない息子に、一方的に喋り続ける性格だけは、歳をとっても健在の父です。
でも、そんな父も、母が言うには老人性難聴です。
「難聴になっていても、それを自覚していない人が多い」というのは本当のようです。

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by bunbun6610 | 2011-03-03 22:36 | 難聴の記憶


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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