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味(技術)を盗む (3)自己訓練して味を盗む

『味(技術)を盗む (3)自己訓練して味を盗む』


職人世界では、これがまともなやり方だろう。
三國清三氏がやっていた方法だ。


『三國清三 - オテル・ドゥ・ミクニ〔東京・四谷〕
オーナー・シェフ』
〔2015-04-05 18:30〕




これには、自己訓練が必要だ。


『味(技術)を盗む (1)メモ魔になる』
〔2015-04-06 18:30〕




で述べたような、単なるデータ収集だけでは、
料理や菓子を味見して、その味を盗むことまでは
無理だ。

盗めるようになるためには、データに自分の味覚経験
を積んだ実績を投影させなければならない。

例えば、少し前にNHK連続テレビ小説『マッサン』


で、亀山政春がウイスキーのブレンド研究で、
数種類の原酒の香り、味を試していた(ティスティング)。
そんなふうに、味覚と嗅覚を使う分析官になるつもりで、
真剣に修業したほうがいい。

あのようなことは当然、料理人もパティシエも
やっている。
パティシエなら、洋酒も非常に多く使うので、
店にある酒は全部試しているのだ。
酒だけではない。
名称を覚えるだけではなく、その特徴を自分の
舌と鼻で覚える。
この訓練は一朝一夕にできるものではない。

それだけではなく、私は有名店にも行って、
よく料理や菓子を食べていた。
そういう味覚の訓練・修業も、美味しいものを
作れるようになるためには大切なのだ。

つまり、味を盗むため、そして美味しいものを
作れるようになるためには、味覚と嗅覚を使って、
イメージ・トレーニングをすることが必要だ。
その能力が、実力を左右すると言っても過言
ではない。


料理人なら、ソーシエ(※)が料理し終わった後、
ソース鍋にソースを残している場合がある。


(※)ソーシエとは(コトバンクより)
「【料理人】より

…【鈴木 晋一】
[ヨーロッパ]
 フランス料理がヨーロッパ中を席巻して久しく,
おおむねどの国においても,大所帯の調理場では,
19世紀末ころ大料理長オーギュスト・エスコフィエ
(1846‐1935)によって確立された組織に準拠して,
次のような職分を受け持つ。
肉料理全般とそのソースはソーシエsaucier,
魚料理全般とそのソースはポアソニエpoissonnier
の担当であるが,肉・魚・家禽(かきん)・野鳥獣などの
ローストやグリル,揚物はロティスールrôtisseurが
担当する。
また野菜料理,ポタージュや卵料理はアントルメティ
エentremétier,材料の購入・保管・仕込み,冷たい
オードブルはガルド=マンジェgarde‐manger,
菓子・デザートはパティシエpâtissier(場合によって
はこれは料理人の中には数えないこともある)で
分担する。…」




そんな時は「しめた」とばかりに、それを味見する。
何が入っていて、どういうふうにつくったのかは、
修業者ならば誰でも、事前に真剣な眼差しで、
ソーシエの動きを全て見ている。
その結果が、この味になるのだと、自分の舌で
記憶する。
味の記憶は、レシピ以上に大切なのである。
自分の味を創り出す場合にも、この確かな記憶力、
イメージ再生力がなくてはならないからだ。
新しい味も、必ずその上に築かれる。

以前に述べてきた『味(技術)を盗む』
〔(1)から(2)まで〕は、単なる味のコピーに
過ぎない。
だが、これは才能と努力がなければできないことだ。


残念なことに、この味を盗ませない先輩が多い。
ソースが用済みになると、さっさと水で流したり、
わざとゴミ箱に捨ててしまう先輩もよくいた。

それでも私は、ゴミ箱の中に入ったソースや料理の
味見をしていた。
ケーキも、切れ端でもよく拾って食べていた。
盗むためには、そういう“泥臭い執念”も必要だろう。

そういう意味では、ブラジルのサッカー選手などと
似ている。

覚えるため、盗むためには、徹底的にハングリー
になることだ。

だから私は、『包丁人 味平』の話だけでなく、
アントニオ猪木やタイガー・ジェット・シン、
『あしたのジョー』の話もしたのだ。
これらは決して、私の修業時代と無関係の話ではない。
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by bunbun6610 | 2015-04-08 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

味(技術)を盗む (2)レシピをコピーする



『味(技術)を盗む (2)レシピをコピーする(盗む)』



昔から

「レシピは店の宝」

だと言われている。
そのレシピを盗むということは、相当の勇気がいる。
それでも、レシピを盗むまでは、
その店を辞められないだろう。
なぜその店に入店したかといえば、
やはりその店の味を盗むためだったからだ。


包丁人味平を思い出してみてほしい。


『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕



味平も、団英彦の書斎から、レシピを盗んでいる。
これは漫画の世界だけの話ではない。
現実の世界でも、よくあることなのだ。

私も経験があるし、勿論、先輩もやっていた。
シェフのいない隙に、机上からレシピを取ってきて
コピーし、家に持ち帰るなんて、皆やっていたのである。

「盗む」という方法には、
三國清三氏のような方法(※)もあるが、
これはそんな綺麗事ではない。


(※)
『三國清三 - オテル・ドゥ・ミクニ〔東京・四谷〕オーナー・シェフ』
〔2015-04-05 18:30〕



シェフだけでなく、先輩まで標的にしていた。
先輩のロッカーや荷置き場には、先輩の持ち物が
置いてある。
そこのどこら辺に、メモ帳があるのか盗み見していた。

それがわかると、朝早く出勤して、
そのメモ帳からレシピを盗んでいた。

毎朝早く、自分が一番に出勤して、朝準備等の
仕事をしていれば、誰も怪しまないから出来る。

自分で考えることだけが、盗む方法ではなかった
ということだ。
「盗む」ということの一つが「レシピ泥棒」の
プロになる、ということだった。






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by bunbun6610 | 2015-04-07 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

味(技術)を盗む (1)メモ魔になる

『味(技術)を盗む (1)メモ魔になる』


『聞こえないハンディをカバーするために、
自分の情報収集力を徹底的に磨く』



例えば、フード業界で働くのであれば

「味(技術)を盗む」

ということだ。
そのためには、様々な手を使う。
自己訓練も必要である。

コックやパティシエの見習いとしてなら、
最初にやることは、とにかくメモ魔になる
ことだろう。
何でも自分のメモ帳に写し取り、そして家に
帰ったら、忘れないうちにていねいにノートに
記録した。

例えば、原材料の名称、メーカー、特徴や使い方
だけでなく、仕入先や単価まで記録していた。
仕入伝票を見れば、データがわかる。

勿論、勤務時間中にやるのではなく、
朝早く来たり、昼休み時間や、仕事が終わった
後にやる。

伝票にある情報が多過ぎれば、
他人の目を盗んでコピーしていた。

コピー機がない場合は、近くのコンビニまで
走って行って複写したこともあった。
勿論、バレたらダメだ。

(バレてもバレなくても、本当はやっては
いけないことだが)

初めのうちは、ここまでする必要があるのかと、
自分でも疑問はあったが、後になって役に立った。

今の時代ならば、それを正確にやっていれば、
家でインターネットでも詳しく調べることが
出来るので、データ収集はやはり意味がある
と思う。

仕入先が分からないと、独立開業した時に困る。
単価も、原価計算をする際に、知っていなければ
ならない。
メーカーだって、どうしてもこだわる場合がある。

例えば、「ティラミス」というイタリア菓子を作る時は、
マスカルポーネチーズが必要だ。

幾つかの店では、このチーズを仕入れる時は

イタリア・ガルバーニ社以外は仕入れるな。
使うな」

とシェフが厳命していたものだ。

その理由は単純だ。
同じレシピで作っても、他のメーカーのマスカルポーネ
チーズでは美味しくないからだった。

だからこの情報は、実はレシピ以上に重要だった
のである。
どんなにいいレシピでも、素材が不味かったら、
美味しいものはできない場合もある。

逆に、素材の味が本当に良ければ、レシピはあまり
工夫を加える必要がない場合だってある。


もちろん、レシピも盗めるものはどんどん盗んでいた。
こちらのほうは、簡単ではない。
レシピは店の宝だからだ。
先輩だって、後輩には易々と教えない。

「コイツに教えても、どうせ出来ないだろう」

と思われたら、誰も教えてくれないものだ。
あるいは

「自分の仕事を取られたくない」

という理由もある。
親切は、追い抜かれる元にもなるからだ。

コックやパティシエの世界は、そういう世界なのだ。




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by bunbun6610 | 2015-04-06 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

三國清三 - オテル・ドゥ・ミクニ〔東京・四谷〕オーナー・シェフ

 
『三國清三 - Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E6%B8%85%E4%B8%89


エピソード[編集]

「三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテル
から帝国ホテルに志願してやってきた。
正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気が
あって、よく気がつく男だった。
何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。

 駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが

「専属コックにいい人はいないか」

と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、
私は三國君を選んだ。

当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは
鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことが
なかった。

では、なぜ私は三國君を推薦したのか。
彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。
戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえ
をやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。

ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、
いいタイミングでサポートする。
それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。

厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、
じつに巧みに塩をふっていた。
実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが
分かるのだ。」
(村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」(日経ビジネス人文庫)
より、またこのエピソードは三國自らが出演した
『この日本人がスゴイらしい。』 (テレビ東京)
でも取り上げられている)


============================



>「味を盗む」

とある。
ここに注目しよう。
それは、どうやって?


例えば、私は以前の記事


『インデアンカレー 丸の内店』
〔2015-01-12 18:30〕



で、カレーの薬味の秘密についての話をした。
これは『包丁人 味平』の話からなのであるが、


『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕


こういうことに気づく力が、“味を盗む”ためには
必要だと言える。


「なぜなのか」

「なぜそうなるのか」

自分で考えなくてはならない。
化学的知識も必要だ。

それには己で己を鍛え、勉強し、育てるしかない。
職人世界では、誰もそれを教えてくれないのが
当たり前だ。


以前に健常者から

「あなたは聴覚障害者なのに、
どうしてそこまでの技術を身につけることが
できたのか?」

と言われたことがある。
その答えが、これなのである。

だから繰り返し言うが、自分で考えなくては
ならないのだ。
その力を身につけることが、すなわち修業
なのである。

それは障害者も健常者も関係ない。


料理人の世界に限らず、何でもそうだろう。
サラリーマンの仕事でも料理人でも、
プロ・サッカーでもそうだろう。
教えてくれることだけで満足してしまう者は、
そこまでの者なのだ。

上司、先輩が教えてくれることもあるが、
それは最低限の仕事なのだということを、
覚えておくべきだろう。
教えた先輩は、実は教えたこと以上のことを
知っていて、持っているのだ。
自分の持っている全部までは教えないのが、
当たり前なのだ。

このことは『包丁人 味平』でも述べている通りだ。


『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕




もう一つ、話を加えよう。
帝国ホテル出身の職人と一緒に、
働いたことがある。
帝国ホテルの厨房内では、先輩の後輩への
接し方(上下関係)が厳しく、
いじめもあった、という。

しかしそんな職場環境でも、彼はオムレツの
焼き方を覚えた。

「どうやって覚えたのですか?」

と聞くと

「先輩がやっているところを、
目で見て盗んだ」

という。
教えてもらったのではなかった。

(料理を覚えようと思って)先輩の仕事を
見ていると

「何見ているんだ。
さっさと自分の仕事をやれ!」

と怒声が飛んできた、という。
だから彼は、気づかれないようにして、
見て盗んだ、という。
そしてオムレツ用のフライパンを買って、
自分の家で何度も練習した、という。

こういう方法はパティシエでも、
よくやる人がいる。





昔、テレビで天才料理人と騒がれるようになった
頃の三國清三(みくに きよみ)氏を、
テレビで観たことがある。

三國氏が手がけた料理、それは

「洗い場に下げられてきた皿の上には、
食べ残しが全くなかった」

という。

それは

「食べた人の誰もが満足している」

という証拠として、テレビ局側も注目して映像化し、
視聴者に紹介した、ということだ。


皿の上に何も残らない、ということは、
そこのレストランで働くスタッフも名誉なことには
違いない。

ただ、それは下っ端で働く者にとっては、
洗い場ばかりさせられて、三國氏の作る料理の
味を盗むチャンスがない、ということにもなる。

極端に言えば、これでは苦労してこの店に入店
した意味がなくなる。

皿の上に残された料理を、ソース一滴だけでも、
自分の舌でなめて覚えることこそが、
唯一のチャンスだからである。

確かに、客がそうやすやすと残すような料理
だったなら、そんな味を盗めても意味はない
だろうが・・・。

しかし、調理スタッフは皆、本当は三國氏の味を
盗みたくて、このレストランに入店したはずなのだ。
それなのに、師の味を一向に盗めない、
ということには、随分と歯軋りがしたのではない
だろうか。

『グルマン』を著した山本益博氏も絶賛したほどの
三國氏だが、彼は単なる天才ではなかったらしい。


北海道・増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、
義務教育しか受けていなかったそうだ。
最初から調理師専門学校へ行ったわけでもない。

修業時代の有名な話がある。
彼でさえ、帝国ホテルで3年間、洗い場の仕事
しかさせてもらえなかったそうだ。
しかし、彼はその段階から、すでに非凡な才能を
発揮していたらしい。
彼が洗った物は全て、まるで魔法にかかったかの
ようにピカピカになり、見た者は誰もが驚いたそうだ。
そしてそれは、その後にも、色々な人に語り継がれ
るようになったらしい。

その後に彼は、いきなり外国の大使館料理人に
推薦されて、欧州での本格的な料理修業が始まる。

昨年ノーベル賞を授賞した日本人にも、
米国で頑張った中村修二氏がいるが、それと似て
いるといえば似ている。
外国のほうが誰にでもチャンスが与えられるのかも
しれない。(※1)
それだけに、日本とは違う意味での厳しさがあるそうだが。


(※1)
『ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん』
〔2014-10-08 19:07〕




そして、ミシュランガイドの三ツ星を獲得した
フレディ・ジラルデに師事する。

そして帰国すると、表舞台で華々しい活躍を見せるように
なった。

詳細はウィキペディア「三國清三」を参照。


この三國氏のことを調べると、誰もがきっと、
何か感じることがあるはずだ。

障害者も健常者も関係ない。

帝国ホテル元総料理長・村上信夫氏(※2)も、
彼の努力を見ていた、その一人だったそうである。


(※2)
フード・ラボ(柴田書店)
『若いうちに外に出なければいけない』
(村上信夫氏(東京・元帝国ホテル料理顧問))



そして、ジラルデにも出会えるチャンスも、
彼の努力が手繰り寄せたものといえるだろう。

料理人、パティシェを目指す聴覚障害者も、
この話を覚えておいて、損はない。
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by bunbun6610 | 2015-04-05 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

インドの狂虎 - タイガー・ジェット・シン



タイガー・ジェット・シン
詳細は『タイガー・ジェット・シン - Wikipedia』などを参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3



アントニオ猪木が所属していた
『新日本プロレス』では、
有名なヒール(悪役)レスラーだ。

なぜ、私がこのレスラーに興味を持つように
なったのかというと、彼がヒールかどうかも、
大いに関係がある。


私は非常に短気だけれども、それでも相手に
何かいい点を見つけると、それを素直に認めて
しまうところがある。

シンのいいところは何かと言うと、
プロレスラーとして見た以上、
やはり猪木も

「シンこそ、プロの中のプロだ」

と認めた“執念”だ。
(これも、マンガ『プロレス列伝』で読んだ話だが)


プロならば当然、持っていなくてはならないもの、
それが仕事師としての魂であり、
どんなことをしてでも成し遂げようとする執念だと
思う。

シンは、どんな反則でもやるヒール・レスラーで、
当時は私も嫌っていたが

「相手に憎まれてでも勝つ」

「どんな手を使ってでも勝つ」

というのは汚いことであっても、
男社会ではよくあることなのである。

私も反則技まで使って、
よく店、先輩の職人技術を盗んだものだ。(※)


(※)
これまで述べた当ブログ記事の中では

『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕


を参照。



シンの仕事ぶりもまた、私の修業時代は、
手本になっていた。
日本の普通の人なら、誰も真似しないだろうと
思うが。

でもプロの世界とは、
そこで生きていくということは、
そういうものだ。
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by bunbun6610 | 2015-04-04 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

燃える闘魂 - アントニオ猪木

異種格闘技世界一決定戦
『アントニオ猪木対モハメド・アリ』



読売新聞
新おとな総研
『初対面で嫌な顔をした猪木さん…藤原喜明<1>』
〔2015年01月05日 08時30分〕
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/prowres/20141230-OYT8T50057.html




猪木対モハメド・アリ戦――。

当時は「世紀の大凡戦」と酷評されたが・・・。
この後に猪木は、異種格闘技戦にも
使える延髄斬り(※1)を実戦投入した。

(本当はアリ戦で使うために開発された
らしいが、使われるようになったのは、
アリ戦後の異種格闘技戦からだったようだ。)


(※1)
アントニオ猪木が開発した必殺技の一つ。
“日本人レスラーとして唯一、猪木と馬場から
フォールを奪った”天龍源一郎も使うようになった。
詳細は『延髄斬り - Wikipedia』参照。




大型レスラーでも一撃で倒し、そのままフォール
勝ちしてしまうこともあった必殺技だった。

アントニオ猪木という名を聞くと、
まず一番に考えるのが、故ジャイアント馬場と並ぶ、
故力道山の直弟子だということだろう。
これも、子どもの頃にマンガの『プロレス列伝』
とかで読んだ話なのだが、力道山は馬場と猪木を、
徹底的な差別教育で育てたらしい。

恵まれた体格、そしてレスラーとして天才型と
認めていた馬場には、プロレス界のスター街道
を早くから歩ませていったらしい。

しかし反対に、猪木には付き人を長い間
させていた。

その時の話が、マンガ読者から見ても、
非常に極端だった。

猪木に何度も

「もう嫌だ。
こんな道場はやめてやる」

と思わせる屈辱を味わわせていたらしい。

詳しい話はあまり覚えていないが、
猪木のしたことに何か少しでも気に食わない
ことがあれば、客人の前でも、
力道山は靴べらで猪木の脳天を思いっきり
叩いて

「ばっかもーーーん!!」

と怒声を浴びせていた、という。

しかし、師匠からのそんな屈辱的なイジメ
にも耐えて修業を続けた猪木に、
力道山はとうとう本音を吐いた、という。

力道山が馬場と猪木に徹底した差別教育を
したのは、力道山は馬場を天才型と認めて
いたが、体格もレスラーとしてそれほど
恵まれていない猪木寛至(猪木の本名)
には、努力型レスラーとしての道しかない、
と考えて、とにかく精神を鍛えるための
差別教育をしたらしい。

どんな苦しみにも耐える精神を養った、
という師匠なりの考えだったのだろうか。
そして、レスラーとしての力がついたと
認めた時、力道山は「アントニオ猪木」
というリングネームを命名したらしい。(※2)
「アントニオ」は、力道山も知る、
ある有名な人の名前だそうだ。


(※2)
ウィキペディアでは

「アントニオ猪木」というリングネームは、
先輩レスラー豊登による命名である。
当時の名レスラー、アントニオ・ロッカにあやかって
名付けられたという説が一般的である[9]が、
単に「ブラジル帰りの日系ブラジル人」であることを
強調するため洋風な名前にされたという説もある
[要出典][10]。」

となっているが、マンガでは力道山が命名した
と描かれていた。



この話を知った時、私はまだ子どもだったので、
あまり深く考えることはなかった。

しかし、専門学校を卒業して社会に出てからは、
私だけ就職できないという苦しみを味わった。
アルバイトなどなら、どうにかごまかしてできたが、
どこへ行っても洗い場ばかりをさせられる日々
が続いた。

やっと調理の仕事に入れても、聞き取れなくて
何をすればいいか、理解できない、という有様
だった。

私が入ったために、調理場には異常な怒声が
毎日飛ぶようになった。

「こんなに迷惑をかけてまで、
自分は働いていてもよいものだろうか?」

とさえ、思い続けた。

そんな苦しみ、そして悔しさを味わう毎日だったが、
猪木の闘う姿をテレビで観ると

「もっと頑張ってみよう」

という思いが沸いた。
だから、猪木の存在は私にとって、
大きな原動力の一つだった。
どんな障害者も、この猪木から精神的影響を受け、
学べることは、きっとあるはずだと思う。




=========================



http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/prowres/20141230-OYT8T50057.html


読売新聞
新おとな総研
『初対面で嫌な顔をした猪木さん…藤原喜明<1>』
〔2015年01月05日 08時30分〕


アリ戦は本当の「真剣勝負」だった

なに、そのリアル・ファイトって。
てめえ、なめとんのか。
ぶっとばすぞ。

 <組長・藤原喜明にご登場いただいた。
一連のアントニオ猪木の異種格闘技戦で、
藤原が最も印象に残っているという当時の
ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、
モハメド・アリ戦について聞いていたときだ。
記者が不用意にもらした

「今年DVD化され、『これこそリアル・ファイトだ』
と再評価されている」

との発言に、藤原は激高した>


 おれらは、ルールに基づいて、試合をやってるんだよ。
一生懸命。
リアル・ファイトだなんて、ふざけるんじゃねえ。
ルールに基づいてやってるんだよ。
いいか、

「プロレスはショーだ」

と言ってばかにするやつがいるだろう。
だけど、プロスポーツはみんなショーなんだよ。
お客さんに喜んでもらってお金をもらって、
それで飯を食ってるんだよ。
ルールに基づいて。
そういうことだよ。

 なんかなめてないか。
いまの風潮として、総合格闘技が立派で、
プロレスが下のように言うやつがいるけど、
おれはあちこちの総合格闘技のジムから
コーチにきてくれと言われてるんだよ。
ルールが違うだけなんだよ。

 おれは当時から、いい試合だと思ってるよ。
わかっていないやつが、30年近くもたって
ようやく気がつくんだよ。
要は、お金がかかってるわけですよ。
アリ側に何十億というお金を払っていて、
当時の新日本プロレスという団体はちっちゃい
でしょ。
そのお金を払って、万一アリが「や~めた」と
言って試合をしないで帰っていったら、
猪木さんは破産ですよ。
首つらなきゃいけない。
猪木さんがしょっているもの、アリ側がしょって
いるもの、それぞれあるんだ。

 アリは、ボクシングの現役の世界チャンピオン
だったんだよ。
1試合で何億も、何十億も稼げる選手。
取り巻きなんかが50人ぐらいいる。
拳銃を持っている用心棒や、情報戦で相手を
惑わせてコントロールする心理学者、
そして弁護士とか、いろんな専門家がいっぱい
ついている。
ファミリーだよ。

 万が一、アリが負けたら、そんなやつらが
みんな失業するわけだよ。
おそらく高いギャラをもらっていたはずだよ。
それで負けたら、全部ぱあだよ。
そんな状況で、あなたらが思っている試合が
できると思う。
できるわけないんだよ。
命が懸かってるんだから。

 最近、真剣勝負というけど、それはありえない。
真剣勝負というのは、真剣と真剣で、戦ったら
どちらかが死ぬんだよ。
それがほんとの真剣勝負だよ。
ほかのスポーツで、真剣勝負だといって人が
死ぬかよ。
たまに事故で死ぬ人はいても。

 だけどアリ戦は、ほんとの真剣勝負だったんだよ。
もちろんルールに基づいて試合をしているけど。
どういうことかというと、負けたほうが、どんと銃で
頭を撃ち抜くか、首をくくるかだったんだから。
つまり、自殺しなきゃならない。
しょっているものが違ったわけだよ。
だから、この世の戦いで、真剣勝負というと、
あれしかないんじゃないの。
命懸かってたんだから。


にこっと笑ってもらえるだけで十分

 <プロレス入りに至った経緯、等々力の道場
の話、札幌での長州力襲撃の真相、UWF移籍
など聞きたいことはいっぱいある。
それらの話は2回目以降に譲るとして、ファンなら
だれもが聞きたい藤原から見た「アントニオ猪木」
について語っていただこう>


 新日本に入るまでは、アントニオ猪木という
レスラーに格段の思い入れはありませんでしたよ。
選手名鑑を見て、比較的、体の小さい選手が
多かったので、「ここならチャンスがある」と
思って新日本を選んだぐらいだから。

 横浜のスカイジムの会長をされていた元プロ
レスラーの金子武雄さんがおれを当時、南青山に
あった新日本の事務所に連れていってくれて、
猪木さんに紹介してくれたんですよ。

そのとき、金子さんが猪木さんに

「こいつ、お前の若いころにソックリだ」

と言ったとき、猪木さんが嫌そうな顔をしたのを、
いまでも鮮明に覚えていますよ。
こんなガキが! と思ったんでしょうね。
考えてみれば、当然ですけどね。

結局、新日本時代は15年間、お仕事でずっと
付いていたんだよ。
もちろん、1日や2日の短い付き合いで、その人
の人となりがわかるわけではなく、時間が必要
なんだけど、その15年間では、猪木さんのいい
ところ、悪いところはわからなかったと思うな。

おれが新日本を離れ、そういった関係が終わって、
離れたり、くっついたりしている間に、だんだん

「ああ。こういう人だったんだな」

と、やっと60過ぎてわかるようになってきた。

 月並みな言い方だけど、素晴らしい人だよ。
ほんとはね、争いごとが大嫌いなんだ。
あと、とても正直だし、考えようによっては人嫌い。
優しいし、思いやりがあって、純粋で、だまされ
やすくて、人見知りなんですよ、ほんとは。
でも、仕事だから、にっこり笑うけど、腹の底から
笑うというのは、めったにないかな。

 背中で見せるタイプだよね。
どんなに忙しくても練習はしっかりやっていたし。
「朝4時に起こせ」と言われて、一緒に走ったり。
忙しいときは、夜中に練習したりもしていた。
掛けてもらってうれしかった言葉?
 言葉なんかいらないんじゃないの。

おれとしては、にこっと笑ってもらえるだけで
十分だよ。

 (続く、文中一部敬称略)
(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)



=========================



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by bunbun6610 | 2015-04-03 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

『あしたのジョー』(高森朝雄/原作、ちばてつや/画)

『あしたのジョー』
(高森朝雄/原作、ちばてつや/画)



『あしたのジョー - Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC




昭和の人気漫画に『あしたのジョー』というのがある。

絶大な人気があったボクシング青春マンガで、
物語の最初はライバルの力石徹との死闘に
なっている。

驚くのは、力石はジョーとの試合終了直後に
死ぬということだ。
それでなぜか、マンガの読者まで、
力石の葬式に大勢参列した、
という珍事が起きた、ということだ。

やっぱり、あの力石という男がいなかったら、
ジョーの物語もあそこまで展開していかなかった
に違いないし、ライバルとして、男として、
すごいオーラがあったと思う。


でも、私個人で最も印象に残っているのは、
力石亡き後に登場する、カーロス・リベラという
選手とジョーが試合をし、ジョーが完全復活する
までの物語だ。

誰だって、自分との試合で相手選手が死ねば、
それは大変な精神的ショックを受けるだろう。
ジョーもそれに一人では耐えられず、落ちぶれて
いってしまう。
そこは一種の“心の病”にかかった状態であり、
障害者心理とも共通点がある。

だから、そこのところから読んでいて、
他人事ではないように思えていた。

そんな時期に、ジョーは来日したバンタム級
世界ランカーのカーロス(ベネズエラ)と出会う。
カーロスは、ジョーの試合で挨拶をし、
上位選手から握手をしようとするが、
野生の嗅覚でジョーのほうが上だと勘違い
してしまう。

カーロスは、ジョーを一目見た時から、
彼の方が実力者だと見抜いていたのだ。

その出会いから始まるジョーの復活劇は、
障害者の心にも響くものがあった、と思う。

カネでも名誉でも権威でもなく、ただ目の前に
現れた真のライバルと、燃え尽きるまでぶつかり
合おうとする姿は、私の精神的成長にも影響を
与えていた。

だから、それが社会人になっても消えることなく、
料理人やパティシェの厳しい世界でも生き抜こう
とする、原動力の一部になっていた。
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by bunbun6610 | 2015-04-02 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)

『包丁人 味平』
(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)


『包丁人味平 - Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%85%E4%B8%81%E4%BA%BA%E5%91%B3%E5%B9%B3




当ブログ

『聴覚障害者にできる仕事』
〔2012-01-18 22:25〕



では、私は最初、料理人になってみたが、
その後、パティシェへ転向したことを述べた。

では、最初に「料理人になりたい」と思った
理由は何だったか。

ハッキリした理由はなかった。
ハッキリしていたのは

「料理なんて女がやるものだから」

と思っていたので、最初は職業にするなどとは、
全く思ってもいなかった。

それでも、料理に目を向けたのは、
やはり聴覚障害があると集団社会では
相当の心労が続くことは明らかで、

「サラリーマンは絶対に向いていない」

と分かりきっていた。

それで

「若いうちに手に職を持って、
独立して一人でやってゆけそうな仕事がいい」

と思っていた。

そうすると、料理人の世界にも目を
向けざるをえなかった。
聴覚障害ゆえに、自分の選択肢は最初から
限られていたからだ。


それともう一つ、子どもの頃に読んで
面白かったマンガに

『包丁人 味平』

というのがあった。
これが意外と面白かった。

その理由は、読んでいくと料理の秘密が
次々とわかり、その奥深さに魅せられたから
だろう。
聴覚障害者はどちらかといえば、
やはり読書よりはマンガを読むほうが、
理解が断然早い。
それでマンガの方が断然分かりやすかった、
ということもあっただろう。

その影響もあってか、自然と

「料理人もいいかな」

と思ってしまったのかもしれない。

それと、食べることは全ての人間の基本的欲求
だけれども、それだけではなくて、聴覚障害者にも

「美味しいものは美味しい」

と素直に喜べるものであった。
そんな単純明快さも、魅力だったのだろう。
その点にハンディキャップはなかったとも
感じていた。

昭和の頃に料理人を目指した人は『包丁人 味平』
の影響を受けて、その道に進んだ人もいたと思う。


このマンガの登場人物のセリフで、
今でも強い影響を受けるものに、
例えば次のものがある。


「料理にとって一番大切なものは何ですか?
それは・・・味ですよ! 味!」
(団 英彦『勝負! 包丁試し編』P345~347)


「包丁人の世界にはな、師匠もいなけりゃ
弟子もいねえ。
つまり、誰も料理を教えてくれる者なぞ
いねえってことよ・・・。
そこにあるのは料理って技術を盗む者と
盗まれる者だけだ。
いかにして先輩の技術を盗むか、
それがすべてだ。
しかも、ベテランにとっては自分たちの
料理法を盗まれるということは、
自分たちが後輩に追い抜かれるもとになる。
だから先輩たちは絶対に料理法を後輩には
教えない。
いや、盗ませないのだ。」
(北村チーフ『勝負! 包丁試し編』P422~423)


「料理ちゅうもんは、新しい時代の流れに
沿って生き続けていくもんや。
そやから、若者には若者の世界の料理が
あるはずや!」
(五条流宗家 神林道風『勝負! 闘六味編』P160)


「包丁人の舌は、料理を作る舌や!
味わう舌じゃない!!」
(五条流宗家 神林道風『勝負! 闘六味編』P183~184)

「包丁人の舌は・・・作る舌!
そうか、料理には作る舌と味わう舌とが
あったのか!!」
(塩味味平『勝負! 闘六味編』P183~184)


「素人舌は白黒がはっきりしとる!! 答えはふたつ!
うまいか? まずいか? だけや。」
(五条流宗家 神林道風『勝負! 闘六味編』P187)




今でも色褪せることのない、どれも強烈な
インパクトがある言葉ばかりではないか。

私も味平が目指したことと同じく、
料理でも菓子でも、一貫して味重視のものを
作るように心がけてきた。

また、この世界では技術とは教えてもらうもの、
というより、盗むものだということも知った。

調理場、パティスリーにいるのは、同じ職場で
働く良き仲間ばかりではなくて、いじめてくる
ライバルも必ず、どこにでもいた。

そういう環境の中で、自分も味平と同じように
やってやろう、という気になった。

この世界は、決して綺麗事ばかりではない。
だから、このマンガからも、非常に大きな影響を
受けたのである。

自分が味重視の食べ物を作れる達人を
目指したのは、まず最初には、
この『包丁人 味平』のことが記憶にあり、
その影響を無意識に受けていたことも間違いない、
と思う。

例えば、味平はライバルの団英彦が総料理長を
務めているホテルに潜入就職する。
味平はその頃に、団に命じられて、
総料理長の部屋を掃除する。
その時に味平は団の罠にかかり、
団の書斎にあったレシピの内容を盗む。
このようなドブネズミみたいなことは、
私も実際にやったことがあるし、
この世界で修業する見習いの多くは、
実際にやっていたのである。


「やるか、やられるか」

「やらなければ自分が損するだけ」


というのが、この世界だ。


また、味平がこの物語で解き明かしていった
料理の秘密は、後に私を小野正吉(ホテル
オークラ元総料理長)、村上信夫(帝国ホテル
元総料理長)、弓田亨(ラ・パティスリー・イル
・プルー・シュル・ラ・セーヌ)らの著した本へと
導いていった。



フード・ラボ(柴田書店)
『若いうちに外に出なければいけない』
〔村上信夫氏(東京・元帝国ホテル料理顧問)〕




フード・ラボ(柴田書店)
『犬はチャンづけ、私は呼び捨て』
〔小野正吉氏(ホテルオークラ東京初代料理長)〕



フード・ラボ(柴田書店)
『素材への豊かなイメージ』
〔弓田 亨氏(イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ オーナーシェフ)〕




当時あった、これらの人の本には、
料理の完成写真はあっても、作り方のコツは
文章だけで、今のような写真もイラストもなかった。

しかし、それでもこれらの本は、この世界で
修業する者が何に着目し、どのようにメモを取る
べきかを教えてくれた。
それが「盗むコツ」の一つなのだ。
そして、それが中学時代の恩師に読書と日記で
鍛えられた文章力と融合し、大いに役立っていった。

同じ聴覚障害者ではあっても、私とろう者とが
大きく違うのは、ここにあると思われる。
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by bunbun6610 | 2015-04-01 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

障害者雇用助成金のこと - 障害者を雇用して事業を行う方へ

これは、障害者を雇用する事業をしたい人
にとって、必読の記事だと思う。

読めばわかることだが、特に中小企業に
優遇されている制度である。

障害者起業家、あるいは障害者を雇用して、
事業をしたいという人ならば、
最初は個人事業で始めるだろうと思う。

それならば、助成金額は大きいので、
よく調べて活用したいものだ。


近年では、聴覚障害者も手話サロンなどの
事業を始める方が出てきている。

若い人でも、ろう者(聴覚障害2級以上の
重度身体障害者)を雇用すると、
特にメリットがあるので、
そうした障害者を雇って事業を始めたい方
は参考にしていただきたい。

勿論、良い企業だけでなく、悪い企業も、
この制度をよく研究していて、利用しているが。

その悪い企業の助成金繰り返し受給のコツも、
まさにここに書いてあるポイントを熟知して
いるはずだ。
そういう企業は美味しいところだけ取って、
貰い得しているのだ。
そして障害者を使い捨て、
また新たな助成金を狙うのだ。


私は、この制度を使って
『聴覚障害者版サムハル』(※1)
を創業することはできないか、と考えている。


(※1)
『「日本版サムハル」と「聴覚障害者版サムハル」』
〔2014-05-09 18:30〕



『なぜ聴覚障害者版サムハルをつくったほうがよいのか?』
〔2014-05-09 19:00〕




『聴覚障害者版サムハル』が、社会に大きな
プラス効果をもたらすことは、目に見えている。

それでも、悪い企業と同じように、
助成金を繰り返し受給して運営する、
このアイデアは、やはり良いか悪いか、
悩むところではある。


それでは本題について。

まず、ハローワークとの筆談記録を紹介する。
大体、以下の通りである。



===========================


まず、事業所をつくる。

(事業所の所在地の)管轄ハローワークの、
事業所第一部門で、事業登録を行う。
会社の登記書類(登記簿謄本)が必要である。


〔参考情報〕

起業相談ドットコム
http://www.kigyosodan.com/



その次に、ハローワークで求人票受付を行う。


事業が実際に行われているかも確認する。
また、事業の内容によって、確認方法は変わる。
例えば飲食業なら、保健所の許可が取れている
かどうかなどである。

必要書類は、ハローワークの事業所第一部門で。

専門援助第二部門で確認するのは、
退職後から事業開始までの状況。

失業後、失業給付を受給した場合、
その後独立起業するまでの経緯を調べる。
不正受給(※2)がないかなど。


(※2)
『不正受給の典型例』




障害者雇用助成金=主なものに「特定求職者
雇用開発助成金」がある。
これは、事業所第二部門で相談すること。
ここが、助成金の申請窓口でもある。


助成金が受けられるには、対象者(労働者)が、
次の要件を満たしていることが大事。

①雇用保険に加入していること。

②ハローワークで求人票を出して、
ハローワークの紹介で採用していること。


ハローワークでの求人は、本庁舎の専門援助
第二部門で相談する。

※ 原則として、ハローワーク紹介時に失業状態にあり、
雇入れ時に障害者であること=要件となっている。

※ 雇入れの人数制限はない。

※ 対象者を一人でも雇うと登録(加入)。
(一人からでも助成金を受給できる)

※ 中小企業の場合は、大きい額になる。
( )内は大企業の場合の金額なので、少なくなっている。

厚生労働省ホームページ
『特定求職者雇用開発助成金
(特定就職困難者雇用開発助成金)』





助成金の窓口は、管轄ハローワークだけでなく、
各地域にも雇用保険適用事業所がある。


<「特定求職者雇用開発助成金」の流れ>
面倒だと思われがちだが、超簡単だ。
ただ、時間がかかるだけだ。

ハローワークからの紹介で雇入れ、この助成金の
対象労働者に該当するようになった場合は、
雇入れから5カ月ぐらい経つと、
東京労働局助成金申請事務センターから
「助成金手続きのご案内」が届く。
その内容にしたがって、申請をすればよい。


(ポイント)
・対象労働者が要件を満たしていること。

・ハローワークの紹介で、採否連絡をきちんと
行っていること。

詳しくは、パンフレットをよく読むように。


ハローワーク・インターネットサービス
https://www.hellowork.go.jp/


===========================




ここからは、事業者が受給するポイントを、
もっとわかりやすくしてみよう。


★障害者雇用助成金のポイント★

各種の助成金がある。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/kyufukin/index.html



【ポイント1】
事業所が存在していて、かつ、そこで事業が
行われていること。
事業所登録していること。



【ポイント2】
就労している労働者(対象者)は、ハローワークの
雇用保険(労働保険)に加入していること。

『雇用保険関係』
https://www.hellowork.go.jp/insurance/insurance_guide.html



例えば、下の会社の求人票には「雇用保険」
が書いていない。


『障害者雇用 - 俺の株式会社』
〔2014-12-26 18:30〕



『障害者雇用 - 一般社団法人ルブランサポート』
〔2015-01-20 19:00〕





書き忘れなのかもしれないが、
それにしてもおかしい。
求人票を見た求職者が

「もし入社しても、本当に雇用保険がなかったら・・・」

と考えたら、誰も応募したがらないだろう。
だから「おかしい」と言えば、おかしい。

もし、加入させなかった場合は、助成金はもらえない
ことになる。


ただ実際に、飲食業界に就職すると

「入社して数カ月間は雇用保険に入れない」

という条件があるケースが圧倒的に多い。
最初は試用期間で、本採用になってからで
ないと、保険に加入させてもらえないのが、
むしろ当たり前になっている。

こうした企業は、助成金をもらうつもりもない
わけなのだろうが、助成金について無知だ
という可能性もありえる。


「制度が面倒で使いにくい」

とは思うだろうけれども、せっかく中小企業に
優遇されている制度なのだから、
できるだけ有効活用したいものだ。

しかも、若い人でも重度聴覚障害者を雇用
すれば、額は大きい。
この言い方は良くないが

「企業はソロバンをはじいて物事を決める」

そうだから、まずは助成金のメリットからでも、

「聴覚障害者をもっと雇用してくれるようになれば」

と思う。
特に、接客業はよく

「聴覚障害者には難しい」

と言われがちだが、「おかぴー」のような成功事例
もある。(※3)


(※3)
『Eテレ『バリバラ』 シゴト体験①
聴覚障害者×ホールスタッフ』
〔2015-02-08 20:52〕





【ポイント3】
事業所がハローワークを通して求人票を出し、
ハローワークの紹介で労働者を雇用していること。
ハローワークへ採否報告等も行っていること。

『注意事項』
https://www.hellowork.go.jp/enterprise/insurance_subsidy.html


これを読めば、もう、わかるだろう。
なぜ、手帳のない障害者が「障害者枠」で
就職できないのかも。

『身体障害者手帳のない聴覚障害者(難聴者)は、
どうやって就職するのか?』
〔2013-01-16 18:00〕



そして、障害者枠の求人票には必ずと
いっていいほど、下のように書いてある。


「障害の種類・等級を応募書類(履歴書・職務経歴書)
にご記入いただくか、
障害者手帳の写し(障害がわかる部分のみ)を
送付してください。」



「i4【応募の際はハローワークの紹介状が必要です】」


だから、企業が障害者を雇って助成金をもらうには、
まず何と言っても、
手帳のある障害者でないとダメなのだ。
障害がある人、ということだけでは要件を満たせない。



【ポイント4】
原則として、ハローワークの紹介時に、失業状態にあり、
雇入れ時に障害者であること。



こういう条件があるのだから、

「現役の障害者は採用する気がない」

という企業もあるようだ。
中には、応募してから3ヵ月以上も過ぎてから

「当社へ来ませんか?」

と言ってきた非常識な会社もあった。

現役で転職しようと思っても、簡単ではないようだ。
ということは

「今のうちに転職活動をしなさい」

と言われた障害者(『雇止め』の予告通知 ※4)
は、
企業が助成金目当てで障害者を
雇っているということを知ったら、
やっぱりショックだろう。
助成金目当ての会社は、在職中の障害者を
雇うわけがないからだ。
真面目に仕事探しするほうが馬鹿らしくなり、
失業給付を目一杯もらって遊んで、
その間は真面目な転職活動をしなくなるかも
しれない。


(※4)
『障害者雇用 - 企業の本音』
〔2014-12-10 18:30〕





近年では障害者雇用の選考試験も厳しくなり、
採用までかなり時間をかけている企業が
増えている。
その理由が、この

「雇入れ時に障害者であること」

という条件である可能性が濃厚だ。

これは近年の就職面接の実際例なのだが

「障害のことで今、病院には通っていますか?」

と聞かれることが、あちこちの企業からある。

障害者側としては

「障害があるから、そんな場合があっても、
当たり前ではないか」

と思うのに、なぜだろうか。

企業がこの質問をしてくる理由として考えられるのは、
一つは「障害の重度化」だろう。
そうなれば、企業の配慮負担も重くなってしまう
からである。
だが、それだけだろうか?

私の推測だが、逆の「障害の軽度化」もあり得る。
障害者雇用の場合は、それで障害者でなくなっては
困るから、と心配しているかもしれない。
あるいは、障害者認定の取り消される場合もある
そうだから、これがもしあった場合には、
企業にとっては障害者雇用率を満たせず、
助成金も取れなくなってしまう。
そうなることを避けたいのだろう。
これには、詐病と疑われている、佐村河内氏事件
も背景にありそうだ。


『<佐村河内氏>聴覚診断
 最も軽い6級に該当せず手帳返納』
〔2014-03-07 23:52〕



もしも

「障害のことで今、病院に通っている」

と答えたとしたら、企業はそのことを必ず聞き
出してくるだろうし、全ての疑惑が晴れるまで
採用することはない。
いや、その応募者を落とすだけだろう。

慎重になり、時間をかけて採否結果を通知するのは、
その人の障害の認定が動かないことを確認したい
からだろう。
そんな可能性が濃厚だ。


なお、軽度化のことを考えるにあたって、
参考になる事例があるようだ。
雇用後、障害が軽くなって、解雇になった事例だ。

『富士ゼロでパワハラの嵐
 「障害者は用済み」宣告で解雇の内幕』
〔2014-11-30 18:30〕




【ポイント5】
障害者雇用助成金を受給するための条件として、
雇入れの人数制限はない。
何人でも雇えるし、受給額の制限もない。


ただし、大企業に比べて、中小企業のほうが
受給額は大きい、というメリットがある。


【ポイント6】
受給開始は、雇入れ時から半年以上過ぎてから。
その時に、対象者が働いている現場のチェックが
入る場合もある。
対象者からのヒアリングも行われる。
助成金を受給する事業者は、
これを受け入れなければならない。


雇入れ制限がないのは良いことだが、
チェックが甘かったために、
この制度を悪用する企業も存在していた。(※5)



(※5)
『障害者施設の不正受給:エコライフ、
新たに3720万円判明
 県、刑事告訴も検討 /宮城』
〔2013-06-07 00:46〕



『障害者虐待防止法について
- 岡山県手をつなぐ育成会
(Adobe PDF) - htmlで見る』





私が実際に、ハローワークがチェックしている
状況を目撃したことがあるのは、過去にはわずか
2回だけである。

ほとんどは、企業で対象者が働く現場はノーチェック
状態で、企業からの書類のみのようだった。

勿論、障害者への職場内差別・虐待のことは
知らないだろう。
申請書類にしても、偽造できる可能性もなくは
ないだろう。
水戸・アカス事件もそうだったと思われる。

実際に調査される場合は、ハローワークの人が
会社を直接訪問し、対象者(障害者等)と
直接面談し、アンケートなどを取る、
という行程がある。

しかし、このようなことは必ず実施している、
というものではなく、全く来ないで会社に任せ、
受給申請書類だけ書かせている場合の方が、
圧倒的多数だった。

つまり、この書類は、障害者の個人情報さえあれば、
企業側で偽造できる可能性も、なくはない。(※6)


(※6)
『障害者雇用助成金と合理的配慮の関係は?』
〔2014-04-15 18:30〕



アカス事件の場合は、障害者を施設内に閉じ込めて、
虐待なども行い、給料も実際にはほんのわずかしか
払っていなかったらしい。
ということは、ハローワークに提出していた書類も、
不正があったのだろう。


『助成金不正受給100億円超 …出勤簿改ざんなど』
〔2013-01-05 21:21〕

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by bunbun6610 | 2015-02-24 18:30 | 聴覚障害者版サムハル

『パティシエ:障害者に講習会 神戸と東京、プロが技術伝授』



〔参考情報〕


============================


ゴエモンのつぶやき
『パティシエ:障害者に講習会 神戸と東京、プロが技術伝授』
〔2014年07月14日 11時04分47秒 | 障害者の自立〕
http://blog.goo.ne.jp/goemon-1555/e/a6e8320a8a1440c276e295ac9201a17a

より、引用。


将来、パティシエ(菓子職人)になりたい障害者に
プロが技術を教え、就労を支援する講習会
「神戸スウィーツ・コンソーシアム」が6月、神戸市
と東京都中央区の2会場で始まった。
参加者は一流シェフの手さばきに真剣に見入って
いた。

 社会福祉法人プロップ・ステーション(神戸市)
理事長の竹中ナミさんが企画。

製粉会社「日清製粉」(東京都千代田区)とともに
主催し、今年で7回目を迎える。
これまで名古屋、岡山でも開き、2012年と13年
には東日本大震災で被災した障害者らを対象に
仙台市で行った。

 今年は、洋菓子メーカー「モロゾフ」のテクニカル
・ディレクターを務める八木淳司さん(62)の呼び
かけで集まった6人のシェフが、12月の修了式
までに6回の講習会を開く予定で、書類選考で
選ばれた19〜39歳の知的、精神障害者計15人
が参加した。

 初回の6月7日は、神戸会場で「サ・マーシュ」
(神戸市)のブーランジェ(パン職人)、西川功晃
(たかあき)さん(50)が米粉と全粒粉を使った
パンの作り方を実演した。

2会場をインターネット回線でつなぎ、動画を
ユーストリームで配信。
東京会場の参加者もテレビ画面を見ながら、
一緒に挑戦した。

 宮城県登米(とめ)市の作業所に通う千葉美幸
さんは昨年に続き参加。
教わったシフォンケーキを販売したところ好評
だといい、

「本を読むだけより、実際目の前で見聞きする
ことで勉強になる」

と熱心にメモを取っていた。

 東京会場で指導した「ノリエット」(東京都世田谷区)
のパティシエ、永井紀之さん(53)は、高校1年の長女
がダウン症だ。

「障害者が作っているからではなくて、商品自体の
質を高めなければ売れない。
子供の将来のためにも、障害者が経済的に自立できる
手助けとなれば」

と、09年から参加している。

 竹中さんは長女(41)が重度の脳障害をもち、
1991年にプロップ・ステーションを設立。
障害者を

「チャレンジド(挑戦するチャンスを与えられた人)」

と呼び、就労を支援してきた。

「ここまで続けてこられたのは、チャレンジドの熱意
があったから。
回を追うごとに成長し、キラキラ輝いていくのを見る
のがうれしい」

と話していた。

毎日新聞 2014年07月13日 東京朝刊



============================

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by bunbun6610 | 2015-02-15 18:30 | 聴覚障害者版サムハル