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蒼穹 -そうきゅう-

カテゴリ:難聴・中途失聴( 98 )

ドキュメンタリー映画
『FAKE』
(監督・撮影; 森 達也)




〔関連記事〕

『佐村河内氏ドキュメンタリー映画6・4公開決定』
〔2016-03-09 21:46〕






DVD『FAKE』(ディレクターズ・カット版)鑑賞後の感想(2/2)


アメリカの著名なオピニオン誌『The New Republic』の取材

デヒリ(記者);
「新垣はサインはできる?」

香;
「ああ、手話ってことですか?
できないと思いますよ」

デヒリ;
「どうやって話した?」

香;
「どうやってお話をしたんですかって」

デヒリ;
「奥さんの方が介入されたんですか?」

香;
「ああ、私は一切知らない。
仕事に関しては知らないので。
二人だけで会って。」

デヒリ;
「どうやって会話を交わされたんですか?」

香;
「どうやって会話をしていたんですかって。」

佐村河内;
「彼はほとんど喋りません」

デヒリ;
「何時間も何時間も一緒に過ごしましたが、
よく喋る人でしたよ」

佐村河内;
「だいぶ慣れたんでしょうね。
そういうことに。
ほとんど聞いてないです。
もう時計見て、帰りたい帰りたいって。
いつもです。ずっと18年間。
そもそも、“この通りやれいいんでしょ”っていう
スタイルです、彼は。」

デヒリ;
「聴こえない時代に音源を録音する。
で、その聴こえない音源を今度新垣さんに渡して、
新垣さんが何をしたかも聴こえない。
新垣さんの最終的に作った音楽が、
本当に佐村河内が自分の作曲したものと
一致しているか―確認はどうされたんですか?」

佐村河内;
「私は鍵盤を見ると、かなりの情報がわかります。
弾いていたので。」

デヒリ;
「会話ができない中で、新しい仕事の仕方を
一緒に作らないといけないんですよ。
だからそのあたりが、いつ頃だったか、
その過程について知りたい。」

香;
「手話の勉強をしてた本。」

デヒリ;
「いやいやいや。
それは疑ってはないんですよ、別に。
もちろん、信じてますよ。
それを使わなかったことまで、疑っていませんので。
補聴器があったかどうかは、あまり大したことだとは
(思っていません)。
それは別に、見せる必要ないです。
私たちは信じてます、それは。」


(佐村河内が突然立ち上がって、休憩すると言い出す。
その反応に、記者たちは
「我々が今、何か悪いことでも言ったか?」
と驚く)


香;
「話は違うんですが、神山さんと会ったんですか?」

デヒリ;
「もちろん。関係者はほとんど。
漏れずに聞いています。すると、ご本人も出てこないと。」

香;
「ああ、そうですね。」

(佐村河内が休憩から戻り、未発表の『交響曲第二番』の
指示書を見せて、説明する)

デヒリ;
「ただ、誰も音源を、佐村河内が作ったもの(音源)を
聞いていないんですよ。
メロディーが実際、佐村河内が作ったかどうかという
証拠はないんです。
私たちは、これ(佐村河内が作った指示書)を読めない。
音楽に置き換える方法がわからない。
これが音に変わる瞬間。
例えば、新垣に指示するときに、
多分その何かを演奏すると思うんですね。
隣で鍵盤で弾くんでしょ?」

佐村河内;
「(それ)もあれば、そのメロディーを渡して、
その場でコードを一緒に付けていくっていうことも
ありますね。」

デヒリ;
「じゃあ、それを見せてもらえます?
それだと、一目瞭然だと思うよ。
少し、その部分とかは弾けます?
メロディーとか、何か一つ。
このあたりとかの。
多分、それが1つの課題なんですよね。」

佐村河内;
「う-ん・・・。
もう長く鍵盤触っていないんで。
いつだっけ、捨てたの?」

香;
「キーボード捨てちゃった。」

デヒリ;
「ないんですね?
シンセサイザーとか?」

佐村河内;
「もちろん、ないです」

デヒリ;
「でも、何でない?」

香;
「何でないんですかって」

デヒリ;
「それは別に、捨てる必要ある?」

佐村河内;
「何でですかね・・・部屋が狭いから?
本当です。
凄く狭かったです。」

香;
「ああ、ここじゃなくて」

デヒリ;
「じゃあ、この3年の間は、打ち込みはなかったという
ことですね?
それは歌を歌ったり、送るとか、そういうこと?」

佐村河内;
「そうです、そうです。」

デヒリ;
「それで、新垣が自分のもの(作曲)だって
言うんじゃないですか?
打ち込みが来なくなってきたから、じゃない?
新垣さんが作曲できる証拠はいくらでもある。
でも、私たちはまだ(佐村河内さんの)音源は
もらってないし、聴いてないし。
指示書は見てる。文章は見てる。
でも、多分、多くの読者が、それを作曲の半分までと
(すら)思えない可能性は高いです。
是非、何か1つの、佐村河内の作曲である
音源なり何なりを、見せてほしいんです。」




外国人記者は、非常に説得力のある言葉を
投げかけていた。
全力で、妥協なく取材する姿勢が伝わってきた。
さすが、日本人のやり方とは違う。




森;
「音楽やりませんか?
作曲しませんか?

本当に、音楽好きなのかよって、僕は言いたい。
頭の中、溢れているはずでしょ?
出口を探しているはずでしょ。
頭の中でメロディーが。
いっぱい時間あったんだから。

僕・・・タバコやめます。
この映画ができるまで。」





佐村河内;
「すっごい細かいですね、これ。
自分、こんなことに楽器が手元に戻ってくるまで、
自分、こんなことに感情が動くことなんて、
なかったもん。
きれいだとか、本当に楽器のおかげというか、
作曲できたおかげで。
香には、すごく穏やかになったって言われてるし。
これ、達也さんの、はい。」

森;
「この映画は、今日の撮影が、おそらく、
最後の日になると思います。
で、守さんに質問。
僕に今、隠したり、嘘をついたりしていることは
ないですか?」

佐村河内;
「うーん・・・・(長い沈黙のまま、映画のシーンは閉じた)」



さあ、この映像の中に、FAKEはいるのか?
いるのならば、それは誰なのか?
「矛盾」が謎だ・・・・。
2回目に観る時は自分の視点も変えて観ると、面白い映画だ。
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by bunbun6610 | 2017-03-19 18:01 | 難聴・中途失聴

ドキュメンタリー映画
『FAKE』
(監督・撮影; 森 達也)




〔関連記事〕

『佐村河内氏ドキュメンタリー映画6・4公開決定』
〔2016-03-09 21:46〕





DVD『FAKE』(ディレクターズ・カット版)鑑賞後の感想(1/2)

森;
「もし、言いたいことを言う機会を1分間だけ与えられたとしたら、何を言う?」

佐村河内;
「ゴーストライターがいることを隠していたというより、共作だったと言いたい」


ならばなぜ、最初から共作として発表しなかったのかと、
視聴者からは疑問に思うだろう。

それと、やはり

佐村河内;
「自分の聴覚障害についての、マスコミの嘘、間違ったこと」




森が佐村河内の前で「も」と言ってみるが、
佐村河内は「ぼ」と聞こえるらしい。
「も」と「ぼ」は、口型が似ている。
同じ一音だという点で、単語よりも推測が難しい。
昔のろう学校で、口話法教育を徹底的にやらされた
ろう者とかは、ある程度の読話(読唇術)が出来る
人もいるらしい。
だが佐村河内は元健聴者(中途難聴者)なので、
そういう訓練を徹底的に、しかも長くしたことはない
だろう。
すると、苦手であることは十分に考えられる。


(聴覚障害の程度を調べる)
「語音明瞭度検査では、口を隠してやる」

という。
すると今度は森が、口を隠して
「うぇ」と言ってみる。
佐村河内氏は今度は

「音は聴こえない」

と言っていた。

それから今度は、佐村河内に目をつぶってもらい、
森が「え」と言うと、今度は「て」と答えた。
今度は音が聴こえている。
が、正確に聞き取れていない、というわけだ。


『難聴体験ソフト』
〔2012-02-03 00:05〕



明らかに、誰が見ても「矛盾している」と思うだろう。
それが感音性難聴という、聴覚障害ゆえなのか、
それとも佐村河内氏の嘘なのかは、
本人と神のみが知ることだ。

さらにもう一度、目をつぶってもらった状態で、
森が「さる」と言うと、「わからない」と答えた。

森は素直に疑問を投げかけた。

「わからないっていうのは、聴こえないのか、
それとも・・・聴こえてはいるけど理解できないのか?」

佐村河内;
「そうですね。
音としては、凄く小さく入ってます。
だけども『ハーハー』っていう感じだと思うんですね。」



『ハーハー』っていう感じに聴こえたのなら、
なぜそう答えなかったのか、と疑問に思うだろう。
だから健聴者から見たら、
これでは誰も納得できないだろう。


(佐村河内が、自分の診断書を森に見せて、話し始めた)

佐村河内;
「ここに書いてあるんですけれども、ABRっていう、
科学的な検査結果、自分では操作のできない
脳波の検査だったんですけど、
普通の健常者の人は1デシベルでも聴こえる
わけです。
それが、こっち(左)が50いくつ。
こっち(右)が40いくつまで―
音量あげて、V波っていうのが、感知される。
それが聴こえるっていうことなんですね。
それで総合診断が“感音性難聴”。
入ってくる音が、ねじれて聴こえたり、
歪んで聴こえたりするような障害なんですね。」

森;
「これ、配ってるんでしょ?
記者会見のとき。」

佐村河内;
「はい。」

森;
「であれば、それについて、マスコミはちゃんと
報道しました?」

佐村河内;
「いいえ。
ここの科学的な、完全なる・・・科学的な検査である
ABR検査の結果は全部伏せられて、
こちらの“手帳を取り上げられました”というところと―
“聴覚障害には該当しない”というところだけ、
アピールされて」

森;
「何で、それが報道されないの?」

佐村河内;
「僕はやっぱり・・・
自分が悪いのかもしれないけど、全部メディアの、
これまでの復讐だと感じましたね」

森;
「復讐?
復讐の意味がよくわからない」

佐村河内;
「これまでですね、何年かにわたって、徐々に、
ある1つのメディアが取り上げたことによって、
人々がその曲を聴いて、それで感動する。
で、その連鎖が起きて、じゃあ次は取材が・・・で、
その人たちが見抜けなかったのかとか、
その嘘が誤った報道、著しく誤った報道を、
放送をした、というような・・・」

森;
「つまり、“俺たちを騙しやがった”って(意味ですか)?」

佐村河内;
「そうですね。
それが全部、自分に返ってきたと思ってます」

森;
「『耳が聴こえなかったと思ったことは過去一度もない』
と、新垣さんが言ってましたね?」

佐村河内;
「新垣が、そんな嘘をつく理由が、わからないんですよ。
そうやって付き合ってないですし。
僕が困っているところも、彼はずいぶん見てきてるし。
若い頃っていうか、18年前の最初の頃っていうか、
違いますね。
10年前の最初の頃とか、彼は結構頑張って
筆談もしてくれていたんで。
何の理由があって、彼は突然・・・。
これはひどいなと思ったのは・・・。
もう、聴こえるということは口止めされていたという話に、
嘘がどんどん進化しているわけです。
いや、これ国民が聞けば、とんでもない人でしょって、
やっぱり。
そんなのありえない話だし。」

森;
「香さんからは何かありますか?」

香;
「ちゃんと耳が聴こえていないっていうのをわかって
もらえないのが、すごく辛い。
パッと見には、喋っているから聴こえている人と
変わらないんですけど、本人聴こえていないので。
ちょっと伝えるのも難しいんですけど、状況的に・・・
感音性難聴で、さっきみたいに“あ”って言ったのが
違う音に聴こえてるのもあるし、
本当に会話が難しいので、普通に聴こえている人だと
思われているのが悔しいですね」

森;
「結婚してから、徐々に耳が悪くなったんですか?」

佐村河内;
「はい。」

森;
「香さんは、ずっとそれを見ているわけでしょ?
そばにいたわけですよね?」

香;
「うん」

森;
「昔は聴こえていたけど、どんどんそれが悪くなって
いく過程を。」

香;
「そうですね。
返事をしても『してない』って言われたり。」

森;
「最初の頃は?」

香;
「最初の頃は、『したよ』って言っても『してない』って
言われて喧嘩になったりしてたんですけど。」

佐村河内;
「うん。」




その後、佐村河内と森が一緒にタバコを吸う
シーンが撮られているが、
面倒くさそうなコミュニケーションの様子が映っていた。
口話だけでは、明らかにコミュニケーションが
取りづらそうだ。



フジテレビの人が佐村河内の自宅まで訪問してきた
時は、こう言っていた。


〔(佐村河内が)机を叩くリズム音〕
佐村河内;
「何もメロディーを聴いていなくてもわかったわけ
ですよね?
わかるでしょ?」

安永(フジテレビの);
「はい。
トゥルトゥルトゥ・・・」

佐村河内;
「“トルコ行進曲”だって、わかると思いません?
何もメロディーを聴いていなくても、
わかったわけですよね?
僕は鼓膜で、大きい音でタカタカタン・・・って
やられたんで、『わかりますけど言っていいですか?』
て言って、『わかるんですか?』って怪しまれて、
『トルコ行進曲ですかね』て言ったら、
『音階が聴こえてるんですね!』って。
いや、音階は聴こえません。
『何でわかったんですか』って言うから、
いやリズムで―『タラタラタン・・・って、
誰でも分かるんじゃないですか?』
って―言ったんですけど、やっぱり、
なかなか信じてもらえない。

例えば、知っている曲だったら、今、
プロコフィエフの“ピアノ協奏コンチェルト2番”
をやっていますって言ったら、
もうずっと子供のときから、
まぁ子供のときからではないですけど、
ずっと聴いてきたので、
ベートーベンの“第九”から、
それこそマーラーやショコスタコーヴィチまで
大好きな、ずっとレコードから聴いてますので、
叩き込まれているわけですよね。

クラシックが好きで、全く無関係の人間と
思われていますけど、僕は昔の記憶で、
喋る音の出し方、唇の形、息の出し方も――
子どもの時、口笛を吹いていたからできるん
ですよね。

僕は多分、モーツァルトの“ナハトムジィク”
を一発で、(これは)キーだから本当は
撮られるのは嫌なんですけども」

(佐村河内が、自分の両頬を叩いて、
音楽を再現して見せる)

安永;
「やっぱり、音楽が大好きなんですね。
本当に音楽が好きなんだということが、
わかります」




この部分の説明は、下の記事とほぼ同じだと思う。
皆、同じようなものだ。
聴覚障害者の世界では、常識的な範囲だと思うのだが、
健聴者はそれも知らない。
無知なマスコミも然り、だろう。


『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕





就労後の聴覚障害者問題G
『知的障害者には、聴覚障害を理解できるのか?』
〔2017-02-07 21:00〕




『「音の記憶」の重要性』
〔2017-01-28 21:52〕




『手話歌&ダンスで、ろう者と健聴者は歩み寄れるのか?』
〔2017-02 -19 07:35〕



ファッション雑誌でモデルになぜか新垣氏が出て、
「いつか佐村河内氏と一緒に謝罪したい」
と言っていたが、“自分だけいい子ぶっている”
ように思えた。
初めはそういうつもりではなかったにせよ、
そのうち彼の口に悪魔が入り、
自分を売り込むようにしたのかもしれない。
見え見えの売名行為(策略)だ。
新垣こそが“イスカリオテのユダ”
(イエス=キリストを裏切った弟子)だったのでは
ないか、とさえ、思えてくる。

神山氏のやっていることは、要するに、
カネになるネタにするための誘導報道?
宗教勧誘と同じで、それよりもさらに巧妙な手段
に変えただけに過ぎないような気がする。

所詮、神山氏のようなジャーナリストは利己的な
生物なのだ。
ジャーナリストよりも、エホバの証人にでもなった
ほうが、よっぽど成功しそうな人だと思う。

著名なジャーナリストにも、一部にはそういう人も
いるのだということを、全ての人が肝に銘じながら、
一人一人が情報リテラシーを磨いていくことが大切だ。
それが、今回のような問題を繰り返さなくする方法
であり、低劣なジャーナリストを撲滅させることにも
なると思う。


著作権問題に関しても、口だけで逃げている新垣氏
の動向が、弁護士事務所など第三者の立場からも
露呈してきた。



おぎやはぎ(司会者);
「(佐村河内は)才能があるように見せるのが上手い、
ということなんですか?」

新垣;
「まあ、うまく・・・振る舞いをしたり・・・」

おぎやはぎ;
「全然、何言っているのか聴こえない」

一同;
「全然わかんないよ」

自信のない返答に、嘘の可能性が表れていると思う。
続いて、

(タレント1);
「(佐村河内は)楽器は弾けるんですか?」

新垣;
「楽器は弾けるというレベルではないです」

(一同);
「えっ?」

(タレント2);
「じゃあ、自分の曲も別に演奏しているのを
見せたことがないんですか?」

新垣;
「そうです」

(タレント3);
「よくバレなかった」

(アンジャッシュ);
「じゃあ、人のピアノの感じがわかるっていうのは、
嘘なんですか?」

新垣;
「あ・・・えーっと」

(タレント2);
「どうしたの?」



ピアノに触って、音を(耳だけではなく、身体全体で)
感じたり、聴覚障害者でも重低音、
低音の音なら感じやすい人もいるから、
音楽を全く楽しめない人ばかりではない。
新垣は、そのことを知っている可能性が濃厚だ。


(一同);
「聞いちゃったから、一回休憩します?」

新垣;
「はい、はい。」

おぎやはぎ;
「“壁ドン”やってくれるのは―新垣さんです!」

アンジャッシュ;
「これもう、新垣さん特番じゃん。今日」

おぎやはぎ;
「今年の顔だから」

(観終る)

(中略)

森;
「テレビ番組を作っている彼らには―信念とか
思いとかが全然ないんです。
つまり、出てきてた人をどう使って、
一番面白くするかしか、考えていないから。
だから多分、守さんが、あそこに出ていれば、
多少は変わったかもしれない。」



「新垣は世間の人が思っているような、
本当にいい人なのか?」

と確実に思えたのが、フジテレビの大晦日特別番組
に出演した、新垣の「聴こえないフリ」パフォーマンス
を見た時だった。
佐村河内が断ったバラエティ番組だ。
聴覚障害者の立場から見たら

「本当に無神経なヤツ」

と思った。
フジテレビもフジテレビだ。

「我々は、片方の意見しか聞けていない」

と言っていながら結局、片方の意見だけを取り上げていた。
反論しない佐村河内にも、責任がないとは
言えないだろうが、あの状況では言うには無理がありそうだ。


佐村河内の父;
「みんなニュース、新聞雑誌全部、信用しとるわけですよね。
周りの人が。
これは怖いですよ。
だから、なんぼ私らが、あの・・・温度差があるわけ。
ある程度、耳は聴こえとるのに、聴こえんふりをしたというのが
一番でしょうね。
それがあるから、それを言い訳なんかしようもんなら、
『ああ、わかった、わかった。
あんたの言うことはわかった』
って、こうなるわけですな。
こっちは話・・・友人なんかにも話はできない。」




「なっちゃん」という、視覚障害者との交流のある
シーンがある。



森;
「今、守さんは、障害者を利用してクイモノにして、
今の地位、これまでの地位を獲得した、
とんでもない男であると―
そう思ってる人も多いけれど、
それに対してはどう思いますか?」

なっちゃん;
それに・・・私が怒りを感じたのは、
作曲がゴーストライターだったこととかじゃなくて、
耳が聞こえないことと、
障害者をいじめたっていうことで、
やっぱりさっき言ったように、
うーん・・・それは私がそういう付き合いをしてきて
ないっていうのは言い切れる。」

森;
「なっちゃんから見て、守さんと香ちゃんはどんな人なの?」

なっちゃん;
「家族です。

(自分が点字ライターで打った手紙を読み上げる)

私は、佐村河内さんと15年という年月の、
長い付き合いです。
その中で今、問題となっていることの誤解を解きます。
1つめは、障害者をいじめるという話です。
私は生まれつき、目が見えません。
そんな私を、からかったり差別したり、
いじめるなどということは一度もありません。
泊まりに行ったときは私を自分の娘のように
可愛がってくれていました。
だから、楽しい話、悲しい話、いろんな話を真剣に
聞いてくれ、とてもいいアドバイスをもらえるから、
いつも爽やかな気持ちで、自分の家へ帰ることが
できます。

あと、私が体調を崩したときも、親のようにすごく
心配してくれます。
とても感謝しても、しきれないくらい感謝しています。
ありがとう。
もちろん、奥さんの香さんも守さんと同じように。

優しく、たくさん話をしたり、遊んだりしました。
だから、私にとって二人は、命の恩人です。
これは自信を持って言いたいです。
だから守さんは障害者をいじめるなんて、
一度もしたことはありません。
私の友達も、聴覚障害や視覚障害、身体障害の人にも
差別はしないし、いじめなんてしません。
みんな守さんといたら楽しい、と言っています。

ここま言っても、あなたは佐村河内さんが障害者を
いじめてたと思いますか?
きっと、冷静に考えれば、わかると思いますよ。

終わりです。」




このシーンは、劇場版にはなかったような気がする。
子どもがバッシングを受けている佐村河内の擁護者
として出ているから、森監督や佐村河内が、
最初はそういう配慮(劇場版では出さなかった)
をしたのではないだろうか。

この子は、騒動後、即廃刊となった『交響曲第一番』
(佐村河内守/著者 株式会社講談社/発行所)
の「第八章運命の少女」
(「■見えない子供と聞こえない大人」P174~179)
に出ている、「ナツ」という女の子(全盲)である
可能性が高そうだ。




佐村河内;
「僕は、僕の報道によって、誰を傷つけたかって
いうと、やっぱり、同じ聴覚の障害者の人たちを
みんな嫌な思いとか、『お前も聴こえるんじゃないか』とか、
きっとたくさんの人たちを傷つけたと思って。」


前川修寛(聴覚障害者);
「あの記者会見で(守さんは)もう充分詫びてます。
だから私はもう、それ以上の謝罪はいらないと
思いました。」

佐村河内;
「ありがとうございます」

前川;
「そしてもう一つは、今回の報道を煽った、
フリーライターの神山典士さんですね?
この方が『僕と口話で話して下さい』とか、
『まだ手話通訳終わってませんよ』とか
言っていた方ですね?

これね、多分、日本中の聴覚障害者と難聴者に、
ケンカを吹っかけています。

だから、マスコミの皆さんが、ちゃんとこういうことを、
予め調べておけば、あのような記者会見には
ならなかったと思います。」

森;
「耳が聴こえない人にとって、っていうか、
もう前川さんにとって、音楽って、意味あります?」

前川;
「あります。
実は、耳は聴こえないけれども、一応聴こえている
部分で音楽が聴こえるんですね。
実際に音楽を、聴いているんですね。
補聴器に付ける、オプションの機械があるんですね。
こういう形です。
こうやって、これをこれで聴くということができるんです。」

佐村河内;
「へぇー、専用のがあるんだね」

森;
「でも今、前川さんは全部は聴こえないと、
おっしゃったけど。
全部が聴こえているか、聴こえていないかの判断は、
本当は出来ないですよね?」

前川;
「そうです。
そこまで全部の判断はできません」

森;
「多分、自分は一部しか聴こえていないんだろうと、
想像するしかないですよね?
全部は聴こえてないんだから。」

前川;
「あとはね、バイオリンの音なですけれども、
バイオリンのこれは、聴こえにくい。」

森;
「高い音は聴こえない?」

前川;
「はい。
いわゆる、欠落した音楽を聴いているんですね、
私は。
欠けてる音楽ね。」

森;
「口には、音にはできないけども、
頭の中にはあるんですよね?」

前川;
「あります。はい。」

森;
「はい。わかりました。」









音楽というより、パフォーマンスに近いが、打楽器の音ならば、
補聴器装用で聴こえる場合はある。
特に太鼓とか、、大勢の人でやる、よさこいは楽しい。
大きな太鼓だと、自分の胸板に重低音が当たり、
それで楽しむ方法がある。
耳だけで聞くのとはまた違った楽しみ方だが、
要するにそこが違うのだし、聴覚障害者にとっては、
それが当たり前なのだ。
バイオリンとか、高い音が多いチエロは、聴き取りにくい。
この傾向は、聴覚障害者には結構あるようだ。




〔関連情報〕


『ろう者音楽(Deaf Music)』
http://www.asahi-net.or.jp/~ai2s-tnd/RONBUN/DeafMusic.html




『「ろう者の音楽」を視覚化する全編無音のドキュメンタリー『LISTEN』』
http://www.cinra.net/news/20160129-listen




『"ろう者にとっての手話と音楽"』
http://www.geocities.jp/suzuring5815/essay14.html




『手話歌&ダンスで、ろう者と健聴者は歩み寄れるのか?』
〔2017-02 -19 07:35〕

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by bunbun6610 | 2017-03-19 18:00 | 難聴・中途失聴

「残酷なるかな、森達也」
 - 神山典士(ノンフィクション作家)

BLOGOS編集部
2016年06月06日 09:52

http://blogos.com/article/178313/


佐村河内守氏と新垣隆氏のゴーストライター騒動の発端となるスクープを「週刊文春」誌上で発表した神山典士氏による寄稿です。


森達也監督作品、『FAKE』をとても興味深く観てきた。
いうまでもなく、私にとっては懐かしくもある「佐村河内守」と「香」夫妻の事件のその後を描いたドキュメンタリー映画だ。
試写の前に、試写状に添えられた森監督のコメントを読んだ。
概略すると、


「誰かが笑う。それをニコニコと書くかニヤニヤと書くかでうける印象は全く違う。(略)どちらが真実でどちらが虚偽かなどと論じても意味はない。(略)これを記述する人が、その笑い(あるいは笑う人)に対してどのような意識や感情を持っていたかで、表現は全く変わる。(略)

それが情報の本質だ。メディアに限らずぼくたちが認知できる事象の輪郭は、決して客観公正な真実などではなく、あくまでも視点や解釈だ。言い換えれば偏り。つまり主観。ここに客観性や中立性など欠片も存在しない(以下略)」



なるほどそうだよなと思う。日頃「ノンフィクション」を標榜する身として、客観を装いながら主観で報じていないか、身につまされる思いだ。果たして森監督は、ジャーナリズムに属する者の逃れがたいこのジレンマから、どう自由になっているのか。否応なくそこに興味は募る。
だが上映が始まってから1時間50分後―――、私は愕然とした。


調査報道の跡がまったく見つからない作品
一言で言えばこの作品は、「中国の山奥に分け入ってジャイアントパンダの生態撮影に成功しました」という類の記録映画だった。最近では、ナレーションも音楽も挿入せず、ひたすら被写体を撮り続ける「観察映画」もあるが、この作品にもどこにも調査報道の跡はない。
パンダは目の前で巨大なハンバーグを食べ、毎食豆乳を一リットル飲み干す。時として「自分は聴覚障害者で聴こえない」「一連の作品はゴーストライター作品ではない。共作だ」と吠える。その姿を延々と淡々と撮り続けているばかりで、その生態、その主張の裏を掘り進んで描くシーンは皆無だ。(ちなみにこの事件で人生を愚弄された障害児たちや被災地の少女への謝罪もコメントも一切ない)
確かに新垣隆氏がバラエティ番組や雑誌にモデル気取りで露出するシーンを連続して並べる場面では、氏に対するメディアの偏った報道と氏のはしゃぎぶりは印象的だ。佐村河内氏がそこで呟く「新垣は世間で思われているようにいい人なのか」という一言は効果的に響く。
佐村河内氏の記者会見における私の「まだ手話が終わっていませんよ」という発言も、そこだけ切り取れば「聴覚障害者を侮辱している」というイメージで解釈することもできる。だがそれは編集によって見せる角度を変えただけのイメージ操作だ。調査報道ではない。
目新しいとすれば、守と香の二人を並べて、「言葉で言ってください」と森監督が強要するシーンか。
「妻を、香を愛しています。相手が香でなかったらいまの自分はいない。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
「辛かったよね」
「大丈夫です」
ボニーがいてクライドがいる。阿部定がいて吉蔵がいる。ジャイアントパンダの求愛表現として、それはそれで貴重なシーンではある。


既に明らかになっている調査報道の結果
だがこの作品、撮影には事件が発覚した2014年秋から約1年半を費やしたというが、その間BPO(放送倫理、番組向上機構)から約1年を費やして出された詳細な調査報道レポートを全く無視している。

『「全聾の天才作曲家」5局7番組に関する見解』(2015年3月6日発行)

そこには、「佐村河内氏は作曲したのか」「佐村河内氏は全聾だったのか」という、まさに『FAKE』の中でパンダが吠える2つのテーマに関する調査報道がなされている。 その結論は、こうある。


「佐村河内氏には交響曲を作曲する音楽的素養や能力はなかった。(略)佐村河内氏が果たした役割は、新垣氏に楽曲のイメージ構想を指示書等で伝えるプロデューサー的なものだった。実際にメロディ、ハーモニー、リズムを作り、譜面にして曲を完成させたのは新垣氏である」



聴覚障害については、佐村河内氏が所持していた2002年の医師による診断書と、2014年の事件発覚後に行われた医師による診断書をもとに、慶応大学医学部耳鼻咽喉科・小川郁教授が医学的な意見を寄せている。
2002年の診断書には「感音性難聴、右101デシベル、左115デシベル、障害者二級に該当する、鼓膜・著変なし」とある。

2014年の診断書では「純音聴力検査、右48デシベル、左51デシベル、語音聴力検査最高明晰度右71%、左29%(略)鼓膜・正常 上記の結果により聴覚障害には該当しない」と記されている。両者を比較して、小川氏はこう記す(概略)。
「両耳が純音聴力検査で100デシベルを超えるような高度な感音難聴になった場合、自然に改善することは現在の医学的知見ではまずありえない」
「2002年当時、100デシベル以上の結果が出ている理由としては、軽度から中程度の感音性難聴にくわえて、機能性難聴(心因性難聴または難聴であることを偽る詐聴)を合併したものと考えられる」
「2014年の語音聴力検査の結果では、右耳は7割以上の音が聞きとれており、左耳が3割程度の落としか聞きとれないとしても、両耳聴効果があり、両耳で聴いた方が聞き取り能力はあがりわかりやすくなる」

「これらの検査結果を総合すると、佐村河内氏は現在、軽度から中程度の難聴があると考えられる。(略)この状態にある難聴者は、補聴器を使用して会話をするのが一般的である。佐村河内氏に手話通訳は必要はないのではないか」
これが医学界からの診断結果なのだ。


ラストで浮き彫りになる森監督の“残酷さ”
森監督は、この結果を知らなかったのだろうか。あるいは無視したのか。
ジャーナリズムは、どんな事件においても、先達の報道や調査をもとに、そこからより深部へより広角度で調査報道を展開し積み上げていくものと私は思っている。
森監督も試写状に書いているが、「メディアの最前線において『真実』とか『真相」』などの語彙がとても安易に消費されている」という現状を共有する者として、私たちジャーナリストはせめてバトンを繋いでいくことが、読者視聴者観客に対する真摯な姿勢だと信じる。(もちろん時には先達のバトンを否定することもありうる)
残念ながら1年半もの時間を費やしながら、『FAKE』にはその足跡は欠片も見られない。ただ漫然と、ジャイアントパンダの生態と主張を映し出すだけだ。
そして森監督の残酷さが浮き彫りになるのは、試写状によれば「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分」と書かれた部分で描かれたシーンだ。
その直前のシーンで、佐村河内氏はアメリカからやってきたジャーナリストの厳しい質問にたじたじとなる。


―――この18年間でなぜ楽譜を覚えようとしなかったのか?

「覚えませんでした」

―――あなたは指示書を書くことが作曲だと思っているのか?

「この何十倍もの密度で指示書を書きます」

―――音源を弾いているところを聴かないと証拠にならない。この指示書を音楽に変える方法がわからない。弾くところを見せてもらえますか。そしたら一目瞭然です。 「もう長いこと鍵盤に触っていない。(香に)いつだっけ(キーボードを)捨てたの?家にはないです」

―――なんでないの?捨てる必要ないじゃない。

「部屋が狭いから。すごく狭くて」



このやりとりのあと、ジャーナリストが去った部屋で森監督はいう。
「音楽をしませんか。作曲しませんか。本当に音楽が好きなんでしょ?頭の中にあふれているんでしょ?出口を求めているはずです。これだけ時間があったんだから。ぼく(曲ができるまで)たばこを辞めます」
そしてしばし時が流れ、「ご無沙汰しています」と森監督が佐村河内宅の玄関を開けると、香氏が「守さんは音楽部屋にいます」と誘う。そこには立派なシンセサイザーが鎮座し、左右には何本かのスピーカーが積み上げられている。
補聴器をつけた佐村河内氏が、両手でキーボードを弾きながらシーケンサー等を使って短いメロディを打ち込みで重ねていく。雅楽の音、鐘の音、弦楽器の和音、ファンファーレ、シンバル、暗い主題部分、鐘が鳴り響くカーン、カーン、カーン。
やがて曲が完成し、メロディが鳴り響く。打ち込み音楽だから「演奏」というよりは「再生」だ。約4分の作品が流れる。そこにタイトルロールがかぶさる。一見、佐村河内氏の隠れた作曲能力がベールを脱ぎ、そこから後光が指すかのように―――。
ところが皮肉にもこのシーンにこそ、「森達也」の残酷さが示されている。
この作曲方法は、実は新垣氏と出会う前の佐村河内氏のやり方だった。佐村河内氏はロックバンド「KIDS」時代にもシンセサイザーを操って、メロディだけは仕上げてきたと仲間が証言している。
だがその自作のメロディは、ついぞ日の目を見ることはなかった。どんなにレコード会社や音楽事務所に売り込んでも、誰も相手にしてくれなかった。 駄作だったからだ。
だからこそ若き日の佐村河内氏は、己の才能に見切りをつけ「新垣隆」という才能にすがったのだ。
佐村河内氏は森監督の要請により、この作品の中で自ら捨て去った凡才をここに再生しなければならなかった。ただ凡庸なだけの旋律を世間に披瀝するために――――。
このシーンでわかるのは、プロデューサーとしては比類なきペテン師の冴えを見せた佐村河内氏が、クリエイターとしては凡百の存在であるという、残酷な事実だ。


「この作品に、真相や真実を問う姿勢などない」
さらにいえば、森監督が「主観と客観の狭間の表現で苦悩する」ジャーナリストであるならば、このシーンのあとには次の質問を用意しておくべきだった。
「自分で作曲演奏できるのに、なぜ他人に創作を委ねたのか?」、と。
まったく音楽に無知無能な者が他者に創作を委ねるならば、まだ理由もたとう。けれど仮にも4分の曲を仕上げることができる者が、なぜ他者に創作を全面依存するのか。 それは無知無能よりも愚かな、唾棄すべき「打算」以外の何者でもない。
その問いかけすら放棄するこの作品は、ジャーナリズムではない。単なるエンタテインメント作品だ。ならば冒頭に掲げた「主観か客観か」という問いは、完全に無意味だ。ここには真相や真実を問う姿勢などないのだから。
試写状の中で森監督は書く。

「僕がドキュメンタリーを撮る理由は何か。(略)最終的には『見て見て!こんなのできたよ』です。全ての人に『見て見て』とお願いしたい作品になりました」


まるで甘やかされて育った「末っ子長男」の性癖そのものだ。
試写状には、こういう表記もある。

「本作『FAKE』は15年ぶりの新作ということになります。『下山事件』に『中森明菜』、『今上天皇』に『東京電力』など、撮りかけたことは何度かあったけれど、結局は持続できなかった」


さもありなん。こうしてみると森作品は、オウム真理教事件や佐村河内事件といった「メディアクライシス」がないと成立しない。数多のメディアの視線にさらされた被写体の裏側からメディアを、世間を逆照射することしか方法論を持たない。森監督は過去20年間に渡って、同じ方法論を繰り返しながらいくつかのテーマを追い作品を紡ぎ、その方法論が成立しないケースでは未完に終わってきた。
いわば過去の自作の再生産の繰り返し。それはクリエイターたる者の姿勢だろうか。 「見て見て、こんなジャイアントパンダが撮れたよ」というそのはしゃぎぶりと作家としての性癖を見てくると、ペテン師としての矜持すらこの作品で失ってしまった佐村河内氏が哀れにもなる。
残酷なるかな「森達也」。とはいえ最も残酷さを被るのは、このエンタメ記録映画を見せられてしまう観客でこそあるのだけれど。


プロフィール
神山典士(こうやま・のりお)1960年、埼玉県入間市生まれ。1984年、信州大学人文学部心理学科卒業。1996年、「ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝」で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞し、デビュー。2014年、週刊文春(2月13日号)に発表した佐村河内守のゴーストライター新垣隆氏への独占インタビュー記事「全聾の作曲家はペテン師だった!」で第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞。こうやまのりお名義で児童書も執筆。

・「熱血」ライター神山典士がゆく - 公式サイト
http://www.the-bazaar.net/



新垣隆オフィシャル・サイト
http://www.takashi-niigaki.com/

『映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務所の見解』
〔On 2016年7月8日〕
http://www.takashi-niigaki.com/news/576



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これを読んだ感想である。
残酷なのは、神山氏のほうだろう。
そもそも神山氏のような、当事者問題に無知な
人間には言われたくないことだ。
こういう人は、難聴の当事者団体の人が

「突発性難聴になった人のうち、
1/3の人は回復するが、
1/3の人はその後、失聴への道を辿っている」

と言っているのを、知らないのだろう。


>『調査報道の跡がまったく見つからない作品』


だから何だろう?
何が言いたいのだろうか?
そもそも、これはドキュメンタリー映画作品だろう。
森氏は、調査報道をやるつもりで撮ったのではない。
神山氏はそれを承知で、観に行ったんだろう。
ドキュメンタリー映画なら、あれもアリだろう。
違うのか?

「期待外れだった」と言いたいのだろうが、
「表現の自由」も知らないのか?
そんなに「佐村河内調査映画」を観たいのなら、
今度は自分で撮ればいい。
そうすりゃ、自分でも納得できるだろう。
これは(調査)報道の映像じゃないんだよ。
映画だぞ。
それとも“区別できない頭”をしているのか?



>『既に明らかになっている調査報道の結果』

借り物の医学界からの見解を並べて自慢しているようだが、
それが本当に真実なのかな?
自分で確かめたのか?
難聴体験はしたことがあるのか?
ない人間に、それを語る資格があるのか?
医師の知見は、あくまでもその範囲のものに過ぎない。
それが真実だと、医師も証明できたわけではないのだ。



『語音明瞭度 - 医師(健聴者)の誤解』
〔2014-05-23 18:30〕




神山氏が出した小川郁慶応大医学部教授は、
こうも言っている。
神山氏も結局、自分に都合のいいところだけを
抜き出しているに過ぎない。
『エホバの証人』(ものみの塔)と、同じやり方だ。



https://matome.naver.jp/odai/2139366509071825501

地方紙ですが、改めて詐病や、風評の影響を取り上げた記事がありましたのでご紹介します。
脳波検査(ABR)は万能ではありません


詐病まれ、偏見懸念ストレスで難聴も-耳の障害単純ではない(その2)

手帳があれば医療費の助成などを受けられる。では取得までの手続きはどんな流れなのか。
まず専門医による検査を受ける必要がある。ヘッドホンの音を聞かせて反応を見るなど、検査にはさまざまな種類があるが、「受ける人がどれだけ小さな音まで聞こえるか、自分で申告をするのが基本」。そう説明するのは、日本耳鼻咽喉科学会の理事を務める小川郁慶応大医学部教授。
本当は聞こえるのに、うそをつくケース(詐病)などに対応する検査法もあるのか。詐病対策が目的ではないが、音を聞いた時に出る脳波から聴力を測る方法はその一つ。本人が眠っていたり、乳児のように話せない状態だったりしても測定でき、かなり正確な結果が得られる。小川教授は「詐病はまれ。私の経験でも、数百例に1例あるかないかだろう」。
2014/03/04静岡新聞夕刊 4ページより


詐病まれ、偏見懸念ストレスで難聴も-耳の障害単純ではない(その3)

今回の問題を受け、関連の学会には問い合わせが相次いでいるが、聴力が衰える原因は加齢やストレス、心身の状態などがあり単純ではない。「いじめなどで非常に強いストレスを受けた子が、一時的に聞こえなくなることもある。(今回の問題で)偏見で見られる当事者がいたら、気の毒でなりません」と小川教授は懸念する。
実態を知る機会は少ないが、誰でも当事者になりうる耳の障害。正しい知識を持っておきたい。
■聞こえは人それぞれ
【障害の特徴】聞こえる音の大きさや高低、両耳か片耳かなど、聴力の状態は人それぞれ。
【聴力低下の要因】生まれつき聞こえない人もいれば、年を取ったり心身にストレスを受けたりして、途中から聴力が衰えるケースがある。
【聴力の検査】専門医による検査を受け、どこまでの音なら聞こえるか自分で申告をするのが基本。音を聞いた時に出る脳波から聴力を測る方法もあり、本人が眠っていても測定できる。
【障害者手帳】聴覚の障害で身体障害者手帳を持っている人は約45万人。交通機関の割引などサポートを受けられる。
2014/03/04静岡新聞夕刊 4ページより


詐病まれ、偏見懸念ストレスで難聴も-耳の障害単純ではない(その1)

「両耳の聞こえない作曲家」として知られ、身体障害者手帳を取得していた佐村河内守さんの問題をきっかけに、手帳の交付や聴覚検査の在り方が議論されるなど、波紋が広がっている。関係者からは、耳が不自由な人への誤解や偏見を懸念する声も上がるが、聴覚の障害とはどんな特徴があるのだろうか。
「見た目では分かりにくく特に誤解されやすいのが耳の障害。今回の問題で、当事者が周りから『本当はどうなの』と、疑われなければいいのですが」。そう心配するのは、社会福祉法人全国盲ろう者協会の山下正知事務局長。「一口に耳が不自由といっても、聞こえの程度にはいろいろな状態があることを知ってほしい」と強調する。
厚生労働省によると、聴覚の障害で身体障害者手帳を持っている人は、国内に約45万人(2012年度末、平衡機能障害も含む)。手帳は5段階の等級に分かれており、両方の耳がほとんど聞こえない場合は最重度の2級。最も軽い区分は、耳元から40センチ以上離れた話し声は聞き取れないといったケースが該当する。
2014/03/04静岡新聞夕刊 4ページより





注意してほしいところは、
医師が「聴覚障害には該当しない」と言っている、
この言葉の意味をきちんと捉えることだ。

「日本での障害者手帳を取得・保持するに足る、
認定基準をクリアしていない」

という意味であり、決して

「聴覚障害がない」

という意味ではないのである。

国の聴覚障害認定基準と、実際にはそれよりも
幅広く存在する聴覚障害について、
神山氏は混同して伝えようとしている。
それはまさに、当事者の長年にわたる思いを
踏みにじる行為であり、
大きな誤りだということを知らなければ
ならないはずだ。



〔関連記事〕

『デシベルダウン運動』
〔2013-09-29 19:00〕






国連・障害者権利条約があるが、
神山氏や新垣氏のやっていることは、
その理念にも反しているということを、
理解しなければならない。

医師だっておそらく、「障害がない」と主張したいとは
思っていないだろう。

ここでは

(聴覚障害はあるけれども、手帳取得・保持に足るだけの)
「国の認定基準をクリアしていない」

と言っているに過ぎないのである。
それは、日本の認定基準が高過ぎるから、
こういう問題になるのだ。


これは、下の記事を読めば、わかるだろう。
日本の認定基準が異常に高過ぎることが原因で、
起こっていることなのだ。


『厚生労働省
『第2回 聴覚障害の認定方法に関する検討会議事録』(2/5)』
〔2015-06-06 19:00〕





結局は、神山氏は持論の正しさを証明したいが為に、
こういうことをやっているに過ぎない。
理解じゃないんだよ、そんなのは。
神山氏がやっていることは、アメリカみたいな偽善戦争を
やっているに過ぎない。



>『ラストで浮き彫りになる森監督の“残酷さ”』

何度も言わせるな。
ジャーナリズムとドキュメンタリー映画は違うんだよ。

曲については、ほとんどは新垣隆氏が作曲したというらしいが、
私は知らないし、新垣氏の曲にも全く興味がない。
何でこんなモラルの低いジャーナリストが
大宅壮一賞を受賞できたのか、わからない。


『FAKE』は神山氏に対して向けられている
メッセージではないと分かる。
神山氏のような連中との質疑応答なんか超えたものだ。
それが分からない凡ジャーナリストが、
くだらないことばかり書いているんじゃないよ。
残酷なのは、神山氏のほうだ。



〔関連記事〕
『週刊文春の佐村河内氏批判について』
〔2014-03 -14 21:31〕





〔関連情報〕

『詐聴』
http://audiology-japan.jp/audi/?p=3841


『詐聴をどう見抜くか』
〔2014-02-11 00:00:54〕
http://ameblo.jp/mildix/entry-11769488828.html
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by bunbun6610 | 2017-03-18 18:20 | 難聴・中途失聴

『素顔の筆談ホステス』


今日、たまたま自分のブログのレポートを
確認したら、検索キーワードの第9位に

「筆談下手」

が入っていた。

「何だこれは?」

と気になって検索してみたら、
確かに当ブログでも過去に、
筆談が下手な健聴者の事例を載せている。

しかし、もっと気になったのは、
やはり単行本やテレビドラマで
有名になった『筆談ホステス』だ。
その中に、下の情報がある。


銀座ものぐるをしけれ
『素顔の筆談ホステス』
〔2009年12月21日02:14〕




このブログに書いてあることを

「鵜呑みにはしていないつもり」

だが、佐村河内守氏問題と同様、
マスコミによって作られていた部分は
あるような気がする。

『筆談ホステス』が有名になりだした頃、
私もこの本を買って読んだが、
「後になってから創られた」、
つまり「創作」の部分は、
やっぱりあるのではないか、と思える。

マスコミって一体何なのだろう?
何でもマスコミのせいにするのは
考えものだが・・・。
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by bunbun6610 | 2016-11-12 23:47 | 難聴・中途失聴

最近、ブログランキング上位に、下の記事が入っているそうだ。


耳鼻科医の診療日記
jibika.exblog.jp


『週刊現代の取材について〜記事捏造を告発する〜』
〔2016年 08月 28日〕
http://jibika.exblog.jp/24621287/





2014年に起きた佐村河内氏事件でも、
某週刊誌が誤解を大きくするような内容を
勝手に書きたてて、聴覚障害者が非常に不快な
思いをしたことがあった。
それと似たようなことのようだ。



『週刊文春の佐村河内氏批判について』
〔2014-03 -14 21:31〕




この場合は、週刊現代の記者と名乗る男が、
耳硬化症や中耳炎などは

「高齢者に多いのか?」

と医者から聞き出そうとしている。
ということは、高齢者が読みたがる記事構成
を企んでいるのだろうか?
高齢者を狙った商法を行っている者は、
悪質な補聴器メーカーだけではない。


『補聴器販売店テクノスの悪質商法』
〔2012-04 -13 20:43〕




要するに都合のいいように書いて、
自社記事を人気商品化する裏技を、
一部の記者たちはやっているのだろう。
気をつけたいものだ。
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by bunbun6610 | 2016-10-17 19:00 | 難聴・中途失聴

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http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150106-OYT1T50125.html?from=ytop_ymag




弁護士
「佐村河内氏に著作権、
代作者と合意」


読売新聞 2015年01月07日 07時39分



さむらごうち佐村河内守氏(51)名義で発表された
楽曲が、別人の代作だった問題で、日本音楽著作
権協会(JASRAC)は6日、97曲にのぼる佐村
河内氏との著作権信託契約を2014年12月31日
付で解除したと発表。

 佐村河内氏の弁護士は

「著作権が佐村河内氏にあるとする文書を代作者
と連名で提出しており、決定は遺憾」

と話した。

 作詞、作曲者からの信託で楽曲の著作権管理を
行っている同協会では、代作が発覚した昨年2月
5日以降、同氏に著作権の帰属を保証する資料の
提出を求めていたが、同協会が納得する資料が
提出されなかったため、

「疑義が解消されていない」

として、契約を解除した。
今後、佐村河内氏の楽曲使用の際には、同氏側
に直接許諾を取る必要がある。

 佐村河内氏の弁護士は、

「楽曲の著作権は今後も佐村河内氏に帰属する
ことで合意しており、現在は作者名表記などに
ついて、代作者側の弁護士と交渉中」

としている。



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by bunbun6610 | 2016-07-10 23:07 | 難聴・中途失聴

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1466593830318.html


佐村河内ドキュメンタリー映画「FAKE」
連日満員が意味すること


Excite Bit コネタ 2016年6月24日 18時01分

ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。前編記事に続き、映画『FAKE』について語り合います。ネタバレあり。


■「マスコミがひどい」と「佐村河内はひどい」は別々の問題

藤田 飯田さんの記事によると、杖を持っていたり、地面を這いずり回っているようなかつてのNHKなどでのことがなくなっているとのことですよね。しかし、ぼくはこうも考えるわけですよ。NHKのディレクターの演出に、過剰に乗って演技した可能性もあるんだろうな、と。

飯田 違います。NHKスペシャルは震災のあとに放映されていますが、そこで描かれる症状の多くは2007年に刊行された自伝にすでに書いてあります。「ディレクターに乗せられた」可能性はありません。逆です。「佐村河内に乗せられた」んです。無数の演技や設定づくりは、佐村河内の意志で行われています。

藤田 多分、佐村河内さんとメディアが共犯関係で虚像を作ってきた、そしてそれが世に受けたということを、森さんは撮りたいのだろうし、それが暴露後も続いていると言いたいのだと思うのですよ。ぼくは、飯田さんが言うほど、森さんは乗せられていないと思った。共犯関係的な磁場がどのように形成されていくのかそれ自体を撮ろうとしているというか……。もちろん、その磁場に入れば、自分も無事では済みませんよ(笑)

飯田 乗せられていなくても「結果的にNHKスペシャルのディレクター古賀淳也さんと同じことをやってる(同じことになってる)でしょ?」というのが僕の言いたいことで、乗っているかどうかという内面は問題にしていません。
「マスコミはひどい」という話と「佐村河内はひどい」という話は別々の論点です。森さんが前者の問題提起をしたいのはわかります。でもマスコミがひどいからといって後者を不問にすることはできない。マスコミ批判のために佐村河内の主張や振る舞いを鵜呑みにするわけにはいきません。森さんはそのふたつを曖昧に混同している。
 ただ、佐村河内も弟を交通事故で亡くしているし、奥さんと二人で長らく極貧生活をしていて「売れない芸術家」に対する世間の冷たさも経験していた。それは事実です。そういう経験から、被災者や障害者に対して寄り添いたい気持ちも本当にあったでしょう。でも、だとしたらウソついて作曲家ヅラして近づかなければよかったのに、って思う。

藤田 弱者性や有徴を利用するテクニックは、人心操作でよく行われることですが(同情心や罪悪感をかきたてて、利用する)それをやっている人に近いようには見えるし、それが批難される理由もわかるんです。「そんなくだらない物語=FAKEで感動させられるぼくらの脳みそもチッポケだな」って、ぼくは半分自虐も込めて思うわけですが。

飯田 ふつう、ひとは「このひとは自分を騙そうとしている」「ウソつきだ」なんて前提からは入らず、善意で接しますから「ウソに騙される方が悪い」「ウソで感動するほうもどうかと思う」という言い方にはまったく賛同できません。
 僕だって雑誌かなんかから「インタビューしてきて」って言われて騒動の前に佐村河内に会っていたら、たぶん疑わなかった、見抜けなかったと思う。
あるいは「ちょっとおかしいな」と思っても、取材自体、記事自体をぶち壊しにするメリットもないから、スルーしていたと思う。『FAKE』でも時折「気のいいオッサン」の顔を見せるじゃないですか。深刻なだけじゃなくて、人を楽しませる会話ができる。騒動の前はああいう気さくさがもっとあったんだろうなと考えると、いきなり「ウソついてますよね?」なんてますます突っ込めないですよ。佐村河内はそういうことを見越してウソをついたり、他人を利用しているからタチが悪いんです。

藤田 でも社会にはそういう振る舞いをする人たちがいっぱいいますからね。善意だから良い、同情して騙されたから無垢な被害者だ、というわけでもないのだと思うのですよ。そのような素朴な倫理観では通用しない社会になっちゃったと言うべきかな。同情や罪悪感を捏造で喚起して他人を操作するエージェントが「この世界にはいる」ということを前提として、知識としてもっと広範に広がって、対処法とか周知されるといいなと思います。これは一般論としてですが。
『A』『A2』には客が入らず、『FAKE』は連日満員ということが意味するもの

藤田 森さんについてですが、実は不満もあるんです。
『21世紀を生き延びるためのドキュメンタリー映画カタログ』に寄稿した文章にも書いたのですが、彼は、マスメディアが嘘であると暴く。そこまでは良い。ネット右翼と心性が重なっている気がしないでもないが、それは良い。
『ドキュメンタリーは嘘をつく』で、自身の作品も含めて、ドキュメンタリーも透明な現実を映していない、と言った。そこも良い。そうすると、しかし、何が本当かさっぱりわからなくなる。本当がなければ、全て嘘でもいいことになる。その問題の先をどうするかの答えは、本作にはなかった。

飯田 森さんは「ひとによって見えている真実は違う」ということを前提に生きるしかない、「見え方が全然違う」ということを理解していたらとひとはもっと寛容になれるはずだ、と思っているわけで、「何が本当か」問題を検証したいひとではないですよね。「ジャーナリストじゃない」って何回も言ってるし。

藤田 しかし、ちょっと話をずらしますが、そういう人間を、ぼくらの社会は、それなりの地位がある人たちでも「見抜けない」ということが一挙に問題化されてきましたね。佐村河内さん、小保方さんらは――真偽はぼくはまだ保留にしているのだけれど――そういう文脈で社会問題化された。これはどういうことなのでしょうか。そういう人が増えたのか。見抜く能力が上がったのか。問題化する社会的機運が高まっているのか。……連想するのは、やっぱり東日本大震災以降の、原発報道その他のことですよね。何が本当なのか、本当だったのか、騙されていたのか、それが揺さぶられていて、自信がなくなっているから騙されやすくなっているのかもしれないし、同時に騙す人に対する怒りや攻撃性も高まっているのかもしれない。
そう考えると、本作は『311』に続く、間接的な震災後映画なのかもしれません。

飯田 「見抜けるかどうか」「何が真実なのか。誰を信じるのか」ということよりもマスコミによるメディアスクラムとかネットでの炎上(集中攻撃)に対する批判をしたい映画では? と思いましたが、しかし、客の満員ぶりがその主題を裏切っていると思う。
『A』『A2』は「壊滅的に人が入らなかった」と森さんはよく言っています。今回は連日満員です。「オウムはみんな極悪な殺人集団だ!」というステレオタイプを否定したら人が全然入らなくて、佐村河内だと観に行くというのは、いったいどういうことなのか。明らかにオウムのほうが大きな社会的事件なのに。
 これはつまり、どちらにしても観る側に「叩きたい」気持ちがあって、それを期待しているから、そのハシゴを外される『A』『A2』は観に行かず、『FAKE』は観に行くということでしょう。

藤田 『FAKE』観たあとに、叩きたい気持ち、満足します? ……感動して、「作曲できるじゃないか!」「マスメディアがマスゴミだった!」「いい人だった!」ってなる人もいるんですよね?

飯田 客が入るかどうかということは「観に行くかどうか」の意思決定の話であって、観た「後」の評価の話ではない。

藤田 『A』のときは「叩きたい!」って動機で人が入らなかった?

飯田 森さんはそういうことを言っている。「オウムは善良なひとばっかりだ」なんて映画は観たくないと思ったから入らなかった、最初の5分だけでも観てもらえれば絶対おもしろいんだけど、そこまでたどりついてもらえなかった、って。
藤田 そうすると、飯田説だと「佐村河内はいい人そうだ」という宣伝をしていないから、本作は成功していると言えるのかな。公開してだいぶ立つユーロスペースで、土曜日の午後に行ったら、二つのスクリーンで上映しているのに満席でした。

飯田 だって予告編で「なんで作り話を?」とかって取材されてるカットが入っていたら、むくむくと湧くものがあるでしょう。反省して悩んでいるふうの表情もある。それはそれで「ああ、ちゃんと世間の批判を受け止めたのか」って溜飲が下がるからね。
 実態は全然そうじゃなくて「こうやって人を騙してきたのか!」ってびっくりする作品だったけども。別に僕は佐村河内や森達也を積極的に叩きたい気持ちはありません。でも、観たら「あれっ???」って思って笑っちゃうところがあちこちにあった。


■意外にも「食映画」でもある

藤田 ちなみに、ぼくが観た回で、映写が止まって、音だけになって、視覚を失って音に集中させる演出か!?って思ってたら、しばらくして明かりが点いて「映写機の故障です」ってアナウンスがあって、爆笑してザワザワしていた。この「故障」もフェイクの演出じゃないかと疑ってみんな喋ってた。面白い経験しましたよw

飯田 いろいろ言いましたが、まじめなだけじゃなくてふつうにおもしろおかしい場面もいっぱいあります。好奇心で観に行っても全然いいと思います。
「食映画」でもあってですね、『FAKE』を観た妻が豆乳を買ってきてハンバーグをつくったというわが家の深イイ話があります。

藤田 どうでもイイ話ですねw それはともかく、この映画は、自分で観て解釈しなくちゃ仕方がないので、この対談や飯田さんの記事も、参考としてご覧いただければな、と思います。




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by bunbun6610 | 2016-06-24 23:28 | 難聴・中途失聴

http://www.excite.co.jp/News/bit/E1466591018229.html



佐村河内守を追った
森達也の映画「FAKE」は
何が問題なのか

Excite Bit コネタ 2016年6月24日 18時00分


ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回は佐村河内守を追った映画『FAKE』を扱います。ネタバレあり。


■オウムを内部から撮った『A』同様、今回もマスコミ批判の映画だが…

藤田 ドキュメンタリー監督の森達也さんが、ゴーストライター騒動で一世を風靡した佐村河内守さんとその妻・香さんを対象に撮った作品が『FAKE』ですね。森さんは、かつて、オウム真理教を扱った『A』『A2』や、東日本大震災の直後に現地に行った『311』などの共同監督作品がありますね。
 森さんの作品の特徴として、マスメディアで話題になった人物の「別の顔」「裏側」を見せることで、ぼくたちの、マスメディアに構成されやすい認識を異化するという側面があるのですが…… 今回も、その意味では、『A』『A2』に連なる作品でしたし、何故遺体をマスメディアを映さないのかという問題提起を突然する『311』と共通の問題意識の作品でしたね。
 真相を知ろうとする『A3』や、とりあえず被災地に行ってみる『311』、とはアプローチが異なっていて、むしろ『A』『A2』に戻った感じがしました。むしろ『職業欄はエスパー』に近いかも……

飯田 僕はYahoo!個人にウンチクも感想もあらかた書いてしまったのでまずはそちらを読んでいただきたいのですが……。
 素朴に「佐村河内にもいいところがあった」とか「ウソばっかりじゃなかった」ふうの反応をしているひとがいっぱいいて、びっくりしたんですよ。
佐村河内関連の本や映像をフォローしてきた人間からすると、むしろ、やっぱりウソつきでデタラメばかりで「弱者のフリをし、批判できないようにして相手を抱き込む」という手法を相も変わらず使い続けていることがボロボロとこぼれ出ているドキュメンタリーなんです。その無防備さが相当おもしろい。
 森さんが本心では佐村河内についてどう思っているのかは知らないしあまり興味もありません。ただこれは「佐村河内守からは世界がこう見えている」という主観を撮った作品であり、そういうスタンスに共鳴するそぶりを見せないと撮れなかったことは間違いない。よくぞ潜入してくれたと思っています。
 ちなみに記事の反応で新垣隆さんの公式アカウントから「驚きました。(スタッフ)」というリプライがあったのと、佐村河内のペテンを暴いたジャーナリストの神山典士さんから感想メールをいただき、今度お会いすることになったのが、記事公開後のトピックとしてあります。公開後に森さんサイドと神山さんはFacebook上でバトっていますが、神山さんによると森さんおよびプロデューサーがウソをついているところもあって(『FAKE』で佐村河内に騙されていた義手のバイオリニスト・みっくんや被災地の女の子にコンタクトを取ろうとしたが出てもらえなかった、と言い張っているそうですが、神山さんはそのふたりとも新垣さんともずっと連絡を取っているから、そんなことはありえないと断言できる、とか)、「ウソつきを撮ったひとたちもウソつきだった?」みたいな悪夢的な様相を呈しています。

藤田 森さんは、佐村河内さんの磁場には完全に入っていないと思いますよ。『A』などでその批判を受けていましたが、今回は『A』『A2』よりも遥かに距離があるし、自己言及もしている。フジテレビのバラエティの人が、佐村河内さんを出演させるときに、明らかに笑いものにしようとしているのに、真面目な番組にするかのように言うでしょう。TV局もフェイクを演じている。あれと同じことを、森さんは確信犯的にやっていると思う。自分がしていたことは「信じているフリかもしれない」と佐村河内さんに最後に言っているし。
 新垣さんがTVに出ているときに、森さん、「佐村河内さんが出てたらスタンスが違ったと思いますよ」という趣旨のことを言っていますし、新垣氏にこの映画の出演依頼をして断られたことも作中で明らかにしていますから。「面白くしようとしているだけ」というバラエティへの言葉は、半分自己言及のようにぼくには聞こえます。
『FAKE』という作品自体が、フェイクに満ちた作品で、どっちとも解釈できるように作られていて、油断できない作品ですよね。


■「本当は曲が作れた!」……だから何なの?

藤田 最後に、一見作曲が可能であったかのように見えるように作られていますね。飯田さんのご指摘の通り、カメラが回っていない瞬間に捏造することはいくらでも可能なので、本当に作曲していたのかは不明ですが。しかし、シンセサイザーというテクノロジーのおかげで、楽譜読めなくても演奏能力が高くなくても「作曲」はできるだろう、と観ることも可能である、という解釈も可能ですよね。それを否定したらDTMとかダメになってしまう。あの安っぽい、クラシックの音をフェイクで模した壮麗な音は、象徴的だと思いました。
 ぼくは感動しましたよ、ラストに、佐村河内さんが演奏するところに! シンセサイザーってすごいなぁと。ああいう壮麗で崇高っぽい音が鳴ると脳が自動的に感動するなぁ、脳のそういうスイッチ押してくるなぁ、と、技術に感動していました。
 ラストの演奏が「本当に作曲しているのか」も怪しい、怪しいけど、あの音と構図で観ると、感動してしまう。そのインチキな仕組みそれ自体を投げ出していると思いますよ。観客にも見抜くこと、どっちなのかわからなくなることを期待しているというか。

飯田 たしかに、音楽つくるソフトの「ガレージバンド」とか使えば誰でもそれっぽい曲はつくれる時代です。打ち込んでいたとしても「あれがそんなにすごいことか? 驚くことか?」と思う。神山さんも新垣さんも「ゲーム音楽時代には佐村河内がシンセで断片的に打ち込みをつくって、それをもとに新垣さんが作・編曲していた」ことは否定していないですからね。
 しかも森さんは「佐村河内は作曲できるか?」問題の何が問題だったのか全然わかっていない。「作曲のプロセスに密着してすべてを収め、作曲したという決定的な証拠を撮る」ことができなかったのが佐村河内を取り上げたNHKスペシャルの問題点だったんです。対して「AERA」や2000年代半ばのフジテレビ報道局のように、佐村河内に密着取材したけれども、「あやしい」と判断して企画をとりやめたケースもあります。
おそらく、楽器を手元に置かない佐村河内が作曲したと言える瞬間、つまり「楽譜に記す」という行為を絶対に撮らせなかったからだと考えられています。「曲づくりを引き受ける」「曲づくりで悩んでいる」シーンと「できあがった楽譜やトラックを見せる」「できあがった曲を聴く」シーンをつないだって、「作曲した証拠」にはならない。つまり、森さんは今回、自らの手でテープを回しっぱなしでシンセの打ち込みの全プロセス……がむりなら主要なプロセスの多くにきっちり張り付いて記録しなければ、疑惑を否定したことにはならなかった。でも森さんはしばらく佐村河内宅に通うことをやめていて、曲ができあがったという報告を受けてからまた行っている。これじゃあ、やってることはNHKスペシャルのディレクターだった古賀さんの二の舞、いや、それよりひどいですよ。佐村河内がいくらでもなんでもできるような余地を与えているんだから。話にならない。
 そうは言いつつも、僕もラストの曲は嫌いじゃないです。「佐村河内は本当にこういうムダに壮大な曲がつくりたかったんだなあ。だからオーケストラ使ってド派手にやりたかったんだ」って改めてわかった。クラウス・シュルツとか喜多郎系ですよね。
 ただね、佐村河内は自伝『交響曲第一番』ではこう書いていたんですよ。

「楽譜に記譜することこそが作曲、という気持ちはつねに変わりませんでした」と(幻冬舎文庫版83p)。

『FAKE』で彼が一生懸命「新垣とは共作だ」と主張し、シンセで新曲を作ったところで、楽譜に書いてないわけだから、かつて自分で言っていた作曲の定義とは違います。
「それでなんで『曲を作った』ことになると思ってるの? なんで『すみません、作曲の定義を変えました』って素直に言えないの?」と哀しくなりますね。


■奥さんの謎の表情が意味するものとは……?

藤田 森監督が、最後に、奥さんを撮れてよかったと言ったじゃないですか。その前の演奏シーンでの、奥さんのカットが決め手なのかぁ、と思うような言い方だったのですが、演奏中の奥さんの表情や、手の中で光っているものなどについて、どう解釈されました? ぼくは、あそこが一番腑に落ちないのです。演奏している佐村河内さんから目を逸らし、応援しているようでもない、あの表情や仕草が、何を示唆しているのか(示唆していると森監督は考えたのか)が読めないんです。「インチキがバレないかハラハラしてる」って感じですか?

飯田 それもあるかもしれないけど、別にまたバレても世間に対して失うものはそんなにないから……何かあるとしたら夫に対してでしょう。
「佐村河内にマインドコントロールされてる」と奥さんの母親は言っているそうです。そうなのだとしたら、何かされることを考えてビビっていたのかもしれない。ふたりだけでいるときにどんな関係なのかは、本当のところよくわかりません。
 親との縁を事実上切って佐村河内を選んだわけだから、サマナ(出家したオウム信者)みたいなものですね。そう思うと『A』『A2』からつながっている。

藤田 ぼくは医者でもなんでもないので、これは診断ではなく、あくまで印象ですが、いわゆる共依存関係に近い何かなのかもしれませんね。
その場合、どっちが主体として「マインドコントロールしている」のか、よくわからない。共依存って、サポート「する」側が、人助けをしている自分=価値のある自分を維持するために、相手をいつまでも弱者にしておこうとする傾向があったりします。

飯田 奥さんは18歳のときから佐村河内と30年以上つきあっているんだから、何も知らないわけないことだけは確実です。それは複雑な表情、複雑な気持ちになるということじゃないですか?
 新垣さんだって、佐村河内から最初のオファーを受けたのは弱冠25歳のときで、そのあと18年パートナーだったんです。長い物語なんですよ、この騒動は。

藤田 こんな表現がよければですけど、奥さんは「虚無」みたいな顔でしたよ……
 旦那さんが、疑惑を晴らすための曲を、作曲に復帰して作り終えたら、もうちょっと感動して音楽に聴き入りそうな感じがしたり、ハラハラして応援したり笑ったり泣いたりしそうなんですが…… あの虚無は、何の意味にも回収できなさそうなしこりとして、ぼくの中に残っています。


■何が問題なのかわかってない人が多いので整理しておくよ

藤田 佐村河内さんが……こういう言い方を勝手にすると、医者でもないのに診断して! と怒られたり訴えられたりするリスクがあると思うのですが、ぼくの印象では、パーソナリティ障害のクラスターBの人たちに近い印象を得ました。その人たちの特徴は、感情表現が過剰だったり、演技力があったりね、人はあの磁場の中で虚実がわからなくなっていくんだな……っていうのを、観客も体感させられると思います。

飯田 自己愛性パーソナリティ障害とか演技性パーソナリティ障害でしょうね。自分を大きく見せるために息を吸って吐くように虚言が出てしまう。
 そのナルシスティックで誇大妄想的なところが例の「指示書」や、全ろうで精神疾患で左腕は腱鞘炎が悪化して使い物にならないとか、10歳で母親から「もうピアノについて教えることは何もない」と言われる神童だったとか、「村上水軍の末裔だと思う」だとか、ゴテゴテに盛られまくった設定(100あったら99はウソ)を生んだ。それは一歩引いてみるぶんにはおもしろいし、悲哀を感じるところでもある。
 ただ、障害者や被災者に近づいていって何人も利用したところはひどい。たんにゴーストライターを使っているだけならそこまで問題じゃなかったんだけど……。

藤田 「障害者や被災者に近づいていって何人も利用したところ」みたいな嘘の部分は、ぼくには判断ができませんでした。やっぱり、ひどいんですか?

飯田 佐村河内が近寄っていったので有名なところでは義手のヴァイオリニストのみっくん、それからNHKスペシャルに出ていた、母親を津波で亡くした女の子がいます。よくウソがつけるな、って思います。
 ほかにも障害者施設にいっぱい行っていて、つねに自分の音楽、売り出し方に利用できそうなひとを探していたんですよ。詳しくは神山典士さんの『ペテン師と天才』に書いてあります。ちょっと施設を訪れただけなのにマスコミに対しては「すごく面倒をみている」みたいな見せ方をしたりね。

藤田 映画の中で、耳が聞こえない方が擁護されていたのはどう見ます? 感音性難聴(部分的には聞こえたりする)であるという診断書が何度も出てきますよね。

飯田 そもそも2002年に「全ろうだ」(聴力ゼロです)という診断書をもらい、障害者手帳を発行してもらっていたことが佐村河内の問題なんです。本人の主張では「その後、聴力が多少は回復した」そうですが、現代医学ではそんなことには説明がつかず(ありえないことであり)、高い確率で「全ろう」については詐病であったことがわかっています。
 佐村河内のせいで数多くの聴覚障害者が「こいつもお金がほしくて詐病してるんじゃないの? 簡単にごまかせるんでしょ?」と思われてしまった。それがまずいのです。
 なのに『FAKE』では「2014年に診断してもらって、障害者手帳は発行されるレベルではないが、難聴であることは事実です」「難聴のひとは誤解されやすい」という話に巧妙にすり替えが行われている。それに乗せられちゃってるなあ……と。
 しかも聴覚障害者の方と面会するシーンで、佐村河内は日光を浴びまくってるしサングラスもかけていない。でもウソがばれる前の彼は、日の光を浴びると耳鳴りがひどくてあまりにも辛いから外出は控えているし、部屋の中も真っ暗にしている、特殊なサングラスをかけている、と言っていたわけです。
「ウソをついていない」ことをアピールしたいシーンのはずなのに、「ウソをついていた」「話を逸らしている」ことが露呈してしまっていて「おいおい!」って思うシーンなんですよ、あれは。
 それで聴覚障害者の方に擁護をしてもらう。やっぱり利用しているように僕には見える。




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これは、昔から続いている、
世間の人たちの考え方と同じだと思う。
つまり

「先に悪いことをしたのはオマエだ。
そのオマエが今さら何を言っても、
我々も世間も、聞く耳は持たない」

ということだろう。
一度でも大きな犯罪を犯した者には、
立ち直る機会も与えないという、
冷酷な目線が感じられる。

ある本を思い出した。


『凶悪犯罪者こそ更生します』
(岡本茂樹/著者 株式会社新潮社/発行所)


本当の難聴者であっても、配慮は一切しない。
人権を剥奪するという“やり過ぎ報復”でも
まかり通ると思っている。
こんな世間、社会の恐ろしさ。

こんな側面を持つた社会で、障害者は本当に
生きたいのか。
いやそれは、誰も選べない。
人間は、社会にいないと生きられないだろうから。
選択の余地などないのだ。

このジャーナリストたちも、
ただいたずらに“人間不信”を増長するだけの、
恐ろしい人たちだと、私は感じる。

こんな話に付き合っていても、
誰も問題点の解決にはならない、ということだ。

映画の問題点の指摘はよくできているが

「レベルの低い対談だったな」

と思った。
手帳のない難聴者のことをわかっていない、
と思う。
それこそが問題点ではないだろうか。
だから、この討論は、“内容が薄い”のだ。
映画を観て、感じたか、感じなかったかの
違いが、健聴者と難聴者との間に、
きっとあるはずなのだ。






【追記】

音楽家 新垣隆オフィシャルサイト
『映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務所の見解』
〔2016年7月8日〕



BLOGOS
『「残酷なるかな、森達也」- 神山典士(ノンフィクション作家)』
〔2016年06月06日 09:52〕

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by bunbun6610 | 2016-06-24 23:27 | 難聴・中途失聴

ゴーストライター・聴覚障害者偽装疑惑騒動
以降、沈黙を続けている佐村河内氏を撮った
ドキュメンタリー映画が、話題になっているそうだ。


『佐村河内氏ドキュメンタリー映画6・4公開決定』
〔2016-03-09 21:46〕

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by bunbun6610 | 2016-06-24 20:53 | 難聴・中途失聴




http://news.yahoo.co.jp/feature/200


みんなのリアル 一億人総検証

『働く人として尊重されない
疲弊する非正規社員』

5月31日(火)11時57分配信
(Yahoo!ニュース編集部/AERA編集部)



パワハラでストレス性突発性難聴


20歳以上年下の社員からタメ口で指示
物流倉庫に派遣されたときは、注文用紙にある
商品を探してきて、それを一括りにする
「ピッキング」という業務についた。
派遣先のリーダーは、30歳前後の男性正社員。
タメ口で指示を出し、ちょっとでもミスをすると
「使えねぇ」「お前なんて、クビにしてやる」などと
怒鳴る。
他の派遣社員へも同じような接し方だった。
人格まで否定するような暴言を毎日聞いている
うちに、男性は左耳が聞こえなくなった。
耳鼻科を受診すると「ストレス性突発性難聴」と
言われた。

このままだと両耳が聞こえなくなるという恐怖が
あり、本社の総務部にパワハラだと訴えたが、
「派遣社員だから」「どうしても嫌なら他の会社に
移って」と言われ、取り合ってもらえなかった。

「今はセクハラやパワハラに対する目が厳しく
なっている時代のはずなのに。
正社員の頃は守られている実感がありましたが、
派遣社員はその対象ではないんだと思い知らさ
れました」

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by bunbun6610 | 2016-05-31 22:43 | 難聴・中途失聴