蒼穹 -そうきゅう-


ある聴覚障害者から見た世界
by bunbun6610

カテゴリ:はじめての方へ( 5 )

『就労後の聴覚障害者問題』解説

『就労後の聴覚障害者問題』解説


このカテゴリの記事は、実話です。
ただし、企業からの監視・追及を避けるために、
記事本文に一部目隠しをしたり、
投稿日を変えたりしています。

障害者差別のような事実を長く記憶している
健常者は、そういないでしょう。
ですから時間を置いた後に、
公開することにしているのです。
こうすれば、企業にはわかりづらくなるでしょう。

アンネ・フランクが、ナチスの目から逃れられた
後に公開しようとしていた日記と、
同じ手法だと思います。

全てのカテゴリに記事は投稿されていますが、
現在、そのほとんどを公開していないのは、
そのためです。

現在公開している記事でも、用心のために、
アクセス状況によっては急遽、
非公開設定に切り替える場合がありますので、
ご了承下さい。
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by bunbun6610 | 2015-12-14 23:17 | はじめての方へ

このブログの、もう一つの目的(2014年8月10日)

当ブログは、昨日で訪問者数10万人を突破した。

このブログは、正確には2011年1月13日が
初投稿日なので、それから3年7ヶ月になる。

記事数は現在までに1631件あるが、このうちの
少なくとも300件以上は、非公開になっている。

理由は、それらの記事に関しては、常時公開して
おくことができない記事内容だからである。

わずか数日しか公開していない記事もあるし、
一度も公開していない記事もある。

だが、これもすべて、私の計画通りである。
企業が好き放題に障害者差別をしていて

「障害者は泣き寝入りするしかない」

と思うのは勝手だ。
しかし、本当にそれで済ますつもりはない。

企業内障害者差別といえども、必ず暴露される
日は来る。
本当はそういう目的を強固に持った、時限爆弾の
ようなブログなのである。


現在の訪問者数は年間5万人以上のペースだ。

正直

「これ以上訪問者数が増えてしまうのは良くないな」

と思っている。
今、職場にバレるようなことになれば、確実にクビに
なるからだ。

実際に以前、バレてクビになっているので、
皆さんは決して、このようなことはしないほうがいい。

たとえバレなくとも

「この聴覚障害者は誰?
もしかして、ウチにいる聴覚障害者なのでは?」

という噂が広まれば、いたる会社で働いている
聴覚障害者が、疑われてしまう可能性がある。
そんなことになれば、きっと誰にだって、
迷惑な話だ。
そういうわけだから、ランキングには一度も
参加していない。
内容的には、もっと認知されていってほしい
社会問題なのであるが。

だがそれでも、こういうブログをすることになったのは、
理由がある。
やはり、日本にも正真正銘の「障害者差別禁止法」を
つくる必要性を訴えるためである。

それだけではなく、それに関連する、いろいろな
法整備を行っていく必要があるはずだ。

「(仮称)情報コミュニケーション法」のような法律も、
本当ならば聴覚障害者には絶対に必要だった。

その説得力を持つために、これだけの事実を暴露
してきた。
勿論、それには、それなりの覚悟がいる。


日本政府は安易にも国連・障害者権利条約を
批准したが、これは勿論、まだ形式的批准に
過ぎない。

全ての障害者は、国際条約が批准されただけで
完成だと思ってはならない。
条約の理念を成し遂げるには、障害者による
原動力が必要なのである。
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by bunbun6610 | 2014-08-10 18:00 | はじめての方へ

はじめに

※ この記事の内容は都合により、変更(加筆修正、削除など)
する場合があります。
ご了承下さい。



当ブログをご訪問いただきまして、
ありがとうございます。

当ブログにはさまざまな主旨の記事があります。
なかには十分留意して読んでいただきたい
点もあります。

特に聴覚障害、および聴覚障害者に関することは、
説明が非常に難しいもので、
聴覚障害者本人ですら、ほとんどの人が
説明をためらうほどです。

健聴者からすると、聴覚障害者本人の障害は、
個人によりさまざまなので、その人の障害を
正確に理解することは容易ではないと思います。


当ブログは、あくまでも個人的取り決めによって、
あえて書き進めているものであって、
必ずしも客観的情報ではない、ということを
お断りさせていただきます。

是非、最初にお読みになって下さい。



【「聴覚障害」を理解するうえで】

聴覚機能の損傷による障害には、
医学的な解釈のほかに、
聴覚障害者の世界ならではの区別も存在します。

 ・『聴覚障害の用語定義について』
  〔2011-03-30 22:03〕




【「聴覚障害者」を理解するうえで】

聴覚障害者にはさまざまな人がいて、厳密な定義はありません。
しかし、このブログでは混同あるいは総称的な呼び名にすると、
混乱や誤解が大きくなることも考慮して、
できるだけ個別化し、詳細に書くという試みをしてみたつもりです。

 ・『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
  〔2011-03-31 23:19〕



 ・『『盲ろう者』について』
  〔2011-04-09 09:34〕





【手話を理解するうえで】

 ・『手話について』
  〔2011-06-13 00:06〕



 ・『誤解されている手話』
  〔2011-06-18 21:25 〕



 ・『手話のダイグロシア』
  〔2011-06-21 00:16〕




【当ブログを開設した理由】

 ・『難聴と失聴  私たちが創造すべきもの』
  〔2011-09-01 19:54〕


 ·『ブログ・タイトルの意味 (1)』
  〔2012-01-14 00:11〕


 ・『ブログ・タイトルの意味 (2)』
  〔2012-01-14 00:11〕




【当ブログの特徴、聴覚障害者が著しているゆえの点について】

 ・『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要』
  〔2012-02-07 22:54〕




【当ブログでの『情報保障・通訳』とは】

障害者自立支援法に基づいた公的派遣で、
聴覚障害者のための情報保障・通訳の制度があります。


http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1.html

第三章第77条 2項
「聴覚、言語機能、音声機能その他の障害のため意思疎通を
図ることに支障がある障害者等その他の日常生活を営むのに
支障がある障害者等につき、手話通訳等(手話その他厚生労働
省令で定める方法により当該障害者等とその他の者の意思疎通
を仲介することをいう。)を行う者の派遣、日常生活上の便宜
を図るための用具であって厚生労働大臣が定めるものの給付
又は貸与その他の厚生労働省令で定める便宜を供与する事業」



なお、手話通訳等派遣依頼の場所は地域により、
異なっています。

 http://www.tokyo-shuwacenter.or.jp/


下記の事例のような、健聴者がよくやる筆記は、
情報保障でも通訳でもない、大きな勘違いです。

善意からであることは確かですが、残念ながら、
こうした良くない事例がまだまだ多いのは事実です。

 
 ・『健聴者にだまされたこと (1)』
  〔2011-08-04 00:39〕


 ・『これでいいのか? 健聴者が一方的に考えた聴覚障害者情報保障の実例から』
  〔2011-09-12 22:17〕



 ・『通訳と筆談、筆記との違いについて』
  〔2011-10-27 22:07〕



 ・『筆記通訳?』
  〔2011-10-29 22:36〕







【就労前・就労後の聴覚障害者問題について】

当ブログに述べていることは、すべて実際にあったことです。
ただし、

 『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、勇気が必要』
 〔2012-02-07 22:54〕


で述べているように、筆者が聴覚障害者であるゆえに、
音声会話の内容を忠実には描けていない箇所もあると、
健聴者から指摘を受けています。

しかし、それだからといって、こうした差別問題を
書いてはならない、というのはおかしいと
言わざるをえません。

話し合いに中立的な立会人や、通訳者が入ることも
会社は拒んでいます。

証言者なき密室での解雇劇では、
裁判にしても勝訴することが困難と判断したので、
この経験をインターネット上に公開する手法に変えたのです。


障害者が差別と感じる意識を

「障害者本人の心の持ち方の問題だ」

と捉える方もいます。

確かに、それよりもまず、障害者が自己努力を
することによって、それが周囲の健常者にも
認められて歩み寄れるケースはたくさんあります。

しかし、それは本当に障害者理解なのでしょうか?

差別解消、すなわち合理的配慮の提供は、
障害者に才能や自己努力があることと、
交換条件でなければならないのでしょうか?

むしろ、それでは本当の障害者問題は解決しないのでは
ないだろうか。

確かにこうするのが一見、win-winの関係になるというか、
イーブンな解決方法のように思われます。

けれども、それでは健常者が障害者の持っている
障害を本当に理解する気持ちは鈍るだろう。

いやそれでけではなく、やっぱり障害者問題の
解決にはならないと思う。

障害の問題を個人的努力の問題としてしまうと、
健常者が障害という壁を超えるための努力
(ここでは合理的配慮)を、ある障害者にはして、
他の障害者にはしないということにもなりかねません。
それはすなわち、世の中の健常者を驚かせた
乙武さんにはするが、できない障害者には
ダメ障害者の烙印を押すだけ、
ということを放置することになるだろう。

それは差別的状況がある、というのではないだろうか。

そうずっと、私は疑問に思い続けてきました。



【『職場内障害者授産施設』について】
これも、実際にあったことです。

働く障害者の置かれている状況とは、どういったものか。

企業の聴覚障害者差別の状況とは、どういったものか。

聴覚障害者のことは、ほとんどが、手話などで又聞きする
程度でしょう。
手話が分からず、聴覚障害者と関わりのない人は当然、
そうした事実を知らないでしょう。
それには、どれほどの客観性が持たれているだろうか。
書くには値すると思います。

しかしながら、この記事は詳細に書けば書くほど、
その会社や、登場する障害者の推測、あるいは特定へ
結びついてしまいます。
会社に見つかれば、当然解雇にもつながります。
当事者・登場人物にとっても、迷惑なことでしょう。
ですから、そのほとんどが、一時公開のみです。

それでも

「どなたかが、障害者労働(差別)問題研究の、
参考にして下されば」

という思いで書き続けています。
将来は、現在非公開の記事も含め、全記事を公開します。

皆さんも、アンネ・フランクが書いた『アンネの日記』を
ご存知でしょう。
「抑圧されていた」という点は、アンネも私も同じです。

「ペンの力は企業権力よりも強く、書いたものは時代を超える」

と信じています。



『就労後の聴覚障害者問題C (1)はじめに』
〔2010-10-16 18:00〕



『就労後の聴覚障害者問題C (2)』
〔2010-10-16 18:10〕



『就労後の聴覚障害者問題C (3)』
〔2010-10-16 18:20〕



『このブログの、もう一つの目的(2014年8月10日)』
〔2014-08-10 18:00〕

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by bunbun6610 | 2013-05-01 17:00 | はじめての方へ

ブログ・タイトルの意味 (2)

ヘルマン・ヘッセ著『デミアン』を読んだ知人は、
次のように感想を話しました。

「人間は、神でも悪魔でもないし、
そのどちらにもなれない。
両方を併せ持つ、矛盾にも満ちた存在なのだ。
だから、人間に必要なのは調和なのだ」

それでは、調和とは一体、何だろうか。
長いこと、その答は全くわかりませんでした。

でも何となく、それは「愛」のことかもしれない、
と思うようになってきました。

マックス・ピカート著『われわれ自身のなかのヒトラー』
を読んだことがあるのですが、個人の感想としては、
誰にでもヒトラーになる可能性は持っている、
人間とはそういう存在だ、というふうに感じました。

そういえば、昨年後半にテレビで観た『悪人』
放送されましたが、あれも、
人間とは誰にでも悪人と呼ばれるようになる
可能性を持つ存在なのだ、というふうに、
私は感じました。

悪いのは決して、彼だけではない。
しかし、何かの原因で、彼だけが悪人とされてしまう。
人間社会にはそういうアリ地獄というか、
ブラックホールというか、
ささやかな個人の存在を突然消し去ろうとする
何かが、あるような気がしました。
障害者差別だって、そうだろう。

人間(あるいは人間社会)には、そういう恐ろしい力
もあるのだ、と気づくと同時に、一人ひとりは本当に
弱い存在なんだ、というふうに考えさせられました。

そこで、人間には助け合う(つながり〔絆〕を持つ)
ことが大切だということにも気づきます。

しかし、誰でもそれができるのではないようです。
丁度、磁石にはN極とS極があり、N同士、S同士
では引き合わないように、です。

ピア・カウンセリングが、健常者のカウンセリングと
違う理由も、そこにあります。
カウンセリングのルールは同じかもしれませんが、
必ずピア(※)でなければなりません。


(※)

   →http://www.j-il.jp/about/pc.html

   →http://www.fukuchi-clinic.com/ga/be/2006/be013.htm



「障害者同士であれば、その条件は満たす」

ということになっています。

しかし、私はこれに疑問を持っています。
基本的には確かに、異なる障害を持つ人同士の
カウンセリングも、私も賛成なのですが、
体験者として疑問もなかったわけではありません
でした。

理由は、当ブログのカテゴリー『聴覚障害』でも
述べてきているように、聴覚障害は他の障害とは
かなり異なり、特有の障害なので、他の障害者に
自分の苦しいことなどを話しても、すぐに理解
できるわけではありません。

聴覚障害者同士でも、難聴者と中途失聴者や、
難聴者とろう者とでは、人生体験、心理、物事の
考え方など、だいぶ違う場合が少なくありません。

それでいきなり、お互いに話し合うことから始めても、
なかなか気持ちが通じていないな、と思うのが
正直な感想でした。

カウンセリングにはよく「傾聴」が大切だと
いわれますが、それができやすいのはやっぱり、
同じ障害を経験している人同士ではないかな、
と思ったのです。
(決して「できやすい」というだけで決めつけている
わけではありません)

カウンセリングは、それが目的ではないと思うの
ですけれども、傾聴してくれると、やっぱり心が
落ち着くものです。

逆に

「この人は聴いていないな、わからないようだな」

と思うと、話の途中でも止めたくなるものです。

それでも時間をかけてやれば、
通じるようにはなるかもしれませんが、
カウンセリングの場合は、やはり時間が限られて
います。

カウンセリングには、まずお互いに普段ガマンして、
心の中に溜め込んでいること、
実は本心から言いたいことを他者に言い、
開放することから始めなくてはなりません。
だから「話しても理解してくれないだろう」と
思わせないことも大切ではないか、と思います。

よく、聴覚障害者は
「健聴者にはわからないから、話してもムダ」
と言いますが、だからこそ、ピアでなければ成功
しない、という理由にもなっています。

それは、難聴者が「ろう者にはわからない」と
言うことでも同じではないか、と思います。
もちろん、その逆の場合も、です。

ろう者と難聴者のカウンセリングがダメとは
言いきれませんが、最初から、あるいは限られた
時間では、うまくいかないのではないだろうか、
と思います。

ろう者と難聴者が理解し合うには、
最初は段階設定も必要なのではないか、
と思います。

そんなわけで、ピア・カウンセリングにしても、
自分の話すことを理解してもらえる相手を探す
ことは、かなり困難だといえると思います。

そこで、私が注目したのがブログでした。
ブログなら、少なくとも
「自分のこんな気持ちを理解できる同障者が、
一人ぐらいは読んでいるかも」
と思い込んで書くことができます。

自分は匿名だし、だから本音で、本当のことを
書ける。
つまりこれが、ピア・カウンセリングと同じ、
心の開放までは得られるだろう、と考えた
わけです。

これが、単なるストレス発散のためのブログ
で終わってしまわないようにするには、
どうすればよいか――それも考えながら
書いているつもりです。

カウンセリングの場合、話すほうは、
自分に与えられた時間を使って相手に
言いたいことを伝えます。
そして、後で何か一言、聞いた人から感想を
もらいます。

感想は大体「良かった点を一つだけ言う」
というような進行役のアドバイスに従って
発言することが多いようです。
批判、中傷などは禁止です。

これは多分、これを言ってしまったら、
相手は二度と正直に話さなくなる
(=心の開放ができなくなる)からかも
しれません。

このブログでコメント欄を開設しない理由も、
論争ではなく、聴覚障害者の声に対する
傾聴を重視してもらいたいから、
なのです。

ここは、そういうブログにしたい、と思いました。
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by bunbun6610 | 2012-01-17 19:11 | はじめての方へ

ブログ・タイトルの意味 (1)

当ブログは、お陰さまで昨日、1歳の誕生日を迎えました。

ブログって、それを見て、読んでいただける方がいて
意味をなすとは思うのですけれど、
聴覚障害関係の話では特に、自分の言いたいことばかり、
一方的に書いています。

これを読んでくれる人は、多くはないと思っていたし、
それでいいと思っていました。

その理由は、このブログ・タイトルと、深い関係があります。
この名にした理由はいろいろあるのですが、
なぜ聴覚障害に関する記事では、こんなふうになるのか、
その理由があります。

それに関係する理由を2つ、2回に分けて述べようと思います。

これは、シンガー&ソングライター永井龍雲(ながい・りゅううん)
の歌う曲名から取っています。
彼は福岡出身で、長渕剛とほぼ同期のフォーク歌手です。
彼の3枚目のアルバム『暖寒(だんかん)』の中の最後に
収録されているのが『蒼穹 - そうきゅう -』という曲なのです。

 →http://www.youtube.com/watch?v=wgkPzKspVu0&feature=related

曲名の意味は、辞書を引くと「青空」ということになるのでしょうけれども、
どうもそんなイメージの歌ではありません。
楽曲は確かに、軽快なテンポなのですが、詩はとても暗いのです。

でもそれが、当時(30年前、この曲を初めて聴いたとき)の
自分の気持ちと同じように思えたし、
それは今も全く変わらないのです。

生まれつき難聴だったのに、難聴という障害のことを知らなかったので、
自分の悩みは龍雲と同じ劣等感が原因だと勘違いしていましたが、
共感していました。

その詩に出てくる鳥が、今思うと健聴者を象徴的に表しているとわかります。
私は、青空を自由に飛べる鳥たちに、無意識に憧れ続けていたと思います。

妖怪人間ベムが、人間を見続けて、人間になりたいと
思い続けていたのと同じように、です。
これは、同じ「聴覚障害者」と呼ばれる「ろう者」にはない心理だと思います。

そして、この心理と耳鳴りを紛らわせるために、今までに何万回と、
この曲を自分の頭の中で流し続けているのです。
それで、すっかりこの曲は、自分の心の友になっています。

それから、この歌の名をブログ・タイトルに選んだ理由のもう一つに、
青空というキャンバスに、自分が書きたいと思ったことを、
誰にも遠慮せずに、何でも書こうと思いました。

ピア・カウンセリングと同じように、自分は苦しいことも全て、
ここに正直に吐き出し、同じ障害を持つ人に読んでもらいたい、
と思って書いているからなのです。

長くなりましたので、次に書く(2)で、それを詳しく書こうと思います。



蒼穹 -そうきゅう-

          作詞・作曲:永井龍雲

気がついたときには いつも
手を差し出して ぼんやりそれを見てる
時が経つにつれて 僕の小さな手のひらが
汚れてゆく そんな気がする

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼(な)いているのか
里程標(りていひょう)の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて


いつからか何を見ても
僕の虚(うつ)ろな心は 誘われない
音もなく流れて 変わらぬ雲の白さに
生きてることが辛くてならない

青空にさまよう鳥よ 止まり木はもうどこにもない
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

青空に飛び立つ鳥よ 仲間にはぐれ啼いているのか
里程標の陰に咲く花よ もう一度僕に笑いかけて

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by bunbun6610 | 2012-01-14 00:11 | はじめての方へ
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