カテゴリ:だいじょうぶ3組( 20 )

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「『障害者に対する差別や偏見をなくそう』という言葉が
ありますけど、僕は三十六年間生きてきて、
差別や偏見ってあまり感じたことがないんです。
それは僕がすごく恵まれているか、ものすごく鈍感なだけ
かもしれないですけどね。

ただ、街中を歩いていると、小学校に入るか入らないくらい
の子が僕を見て、『なんだあれ?』『気持ち悪い』と言われる
ことはあります。
それって自然な反応だと思うんですよ。
見たことのない、得体のしれないものを目の当たりにしたとき
に思わず身構えてしまう。
それって偏見ではなく、“本能”だと思うんです。」


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>「僕は三十六年間生きてきて、
差別や偏見ってあまり感じたことがないんです。
それは僕がすごく恵まれているか、ものすごく鈍感なだけ
かもしれないですけどね。」



私も

「乙武氏の場合はそうなのだろう」

と思います。

差別をあまり感じたことがない、というのは、
主に直接差別のことを言っているのだと思います。

では間接差別のほうはどうなのだろうか。
障害者本人でさえ、よく気づいていない場合さえあります。
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by bunbun6610 | 2013-05-27 18:00 | だいじょうぶ3組
『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「ひさしぶりに二十七名全員が顔をそろえた五年三組。
二時間目の授業は、道徳だった。
白石が子どもたちに配る紙には、一篇の詩が書かれていた。

『わたしと……小鳥と……すずと? へんな題名!』

配られたプリントを手にした陽介が、思わず素直な感想をもらす。

『これはね、金子みすゞさんという人が書いた詩なんだけど、
まずは最初にみんなで声に出して読んでみようか』

赤尾の合図で、子どもたちがタイミングを合わせて口を開く。


わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


子どもたちが最後まで読み終えると、赤尾はすばやく
つぎの指示を出した。

『じゃあ、今度はそれぞれ声を出さずに読んでみよう。
そして、読み終わったら、この詩のなかで作者がいちばん
伝えたいことが書かれていると思う一行に、線を引いてごらん』

見てまわると、ほとんどの子が同じところに鉛筆で印をつけている。

『そうだね。
先生も、金子みすゞさんは、最後の
『みんなちがって、みんないい』
ということを伝えたかったんじゃないかと思う。
じゃあさ、みずゞさんは、『何が』ちがっていてもいいよ、
と言っているのかな?』

赤尾の問いかけに、慎吾が『顔!』と答えると、
『そんなのあたりまえだろ!』とすかざず陽介からツッコミが入る。
ようやく復活した掛け合いに、クラスがひさしぶりにわいた。
ひとしきり笑いがおさまった頃、京子があらためて手をあげた。

『みんなの……いいところ?』

『うん。たしかにみんなのいいところ、得意なところは
ちがっていていい。
でも、それだけかな。
もう一度、この詩をよく読んで、みずゞさんが伝えたかったことを
考えてみよう』

しばらくすると、分析力にすぐれた公彦の手があがった。

『できないこと、苦手なこと?』

公彦の言うとおり、この詩をじっくりと読みとっていくと、
『空をとべない』
『地面をはやく走れない』
『きれいな音がでない』
『たくさんのうたは知らない』
と、そこには“できないこと”ばかりがならんでいることに気づく。

『みんなには、それぞれ、『できること、できないこと』、
『得意なこと、不得意なこと』がある。
それはあたりまえのことで、そんなことで友達を
うらやましがったり、自分にがっかりする必要なんてない。
自分には、自分なりのよさがある』

『先生、それ“個性”っていうんだよね』

陽介の言葉に、赤尾が深くうなずく。」



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赤尾先生(乙武氏)は、
このように言っています。

けれども実際には、
自分の持っている障害を、
個性と捉えるのか、そうではないのかは、
その人により、違います。

障害を個性と捉える障害者には他にも、
たとえばろう者(Deaf)の人にいたりします。(※1)


(※1)詳細は、当ブログ

『米国・ギャローデット大学でのろう運動』
〔2013-03-05 18:00〕
『ろうは文化 障害ではない』
参照。


「ギャローデット大学の巨漢でカナダ出身のフットボール選手、
ジョン・リムニディスは、映画『愛は静けさの中に』で端役を
演じたこともあるろう者だが、こう言う。

『耳が聴こえないことは障害ではありません。
むしろ文化です。
手話は別の言語です。
私は、耳が聴こえないことを誇りに思っています。
もし万が一耳が聴こえるようになる薬があっても、
決して飲まないでしょうね。
決して、決してね。
死ぬまで絶対飲みませんよ』」



ろう者は耳が聴こえないことを、別に障害だとは思っていません。
彼らは自分たちのことを

「『ろう者』(Deaf)という種族」

なのだと思っているようです。

ただし聴覚障害者だからといって、
全ての聴覚障害者がろう者(Deaf)なのではなく、
難聴者や中途失聴者もいます。

その人たちのなかには、聴覚障害を個性と捉えることができず、
障害は障害以外の何ものでもない、と考える人もいます。
私もそうなのですから、こういうブログを書いているのです。

だから

「全ての聴覚障害者がこのように考えている」

と思い込む読者がいるとすれば、
それは大きな間違いです。

ある健聴者からは

「『聴覚障害者は…』と言って書くのが良くない。
『自分は…』と書け」

という批判を受けました。

しかし「自分は…」という言葉で書いて、
聴覚障害者の立場の意志が伝わるとは
思えませんでした。
だいいち、私だって聴覚障害者なのです。


本当のことを言うと、健聴者たちが勝手につくった
「聴覚障害者」という用語は、
そこに包括されてしまっている、
さまざまな耳の障害を持つ人たちの個性をも、
そして本当に必要とされる合理的配慮さえも、
見失う用語なのだと思います。(※2)


(※2)詳細は当ブログ

『聴覚障害の用語定義について』
〔2011-03-30 22:03〕

『聴覚障害者』の定義に関する共同声明(1989年)』
〔2011-03-31 23:19〕
参照。




一方、「全聾の作曲家」と言われる佐村河内守氏は、
自著にこう述べています。(※3)


(※3)『交響曲第一番』(佐村河内守/著 講談社/発行所)

「私には夢があります。
もし何らかの奇跡が起こり、聴力が甦り、
発作も消えうせたときには、迷わず筆を折り、
作曲家以外の道を選ぶことでしょう。

裏を返すならこの淡い夢は、愛する音楽と
引きかえにできるほど、いまの精神的・肉体的苦痛が
耐えがたいことを表しているのかもしれません。」



この対比には、驚く人もいるかもしれません。

耳が聴こえないということだけではありませんが、
聴力が甦ることを夢と思っている彼は、
自分の宿命に誇りを持つことができているでしょうか。


中途失聴者になってもあえて手話を学ばず、
人工内耳装用を受け、長いリハビリに努力する
聴覚障害者もいます。


聴覚障害者=ろう者 とは限りません。

聴覚障害者の言語=手話 とは限りません。

聴覚障害=個性 とは限りません。


自分の個性は、その人自身が決めるものだと思う。
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by bunbun6610 | 2013-05-26 18:30 | だいじょうぶ3組

学校教育というもの

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「『クリスマスというのが特定の宗教行事であることは、
先生もおわかりになりますよね?
公的な教育機関である公立学校で、あるひとつの
特定宗教の行事を祝うとなると、
いろいろと問題があるわけです』

『問題、ですか?』

『たとえば、クラスにイスラム教徒のお子さんがいた
とします。
その子が家に帰って、
『お母さん、今日はクリスマス会をやったよ』
と話をする。
となれば、いつその保護者から電話がかかってきて、
『なぜクリスマス会だけ祝って、イスラムの行事は
やってくれないんだ』とクレームを受けても
おかしくないでしょう』

『まあ、それはそうかもしれませんけど、
クリスマスってもう特定の宗教行事という枠を超えて、
国民的イベントとして考えられているような
気がするんですけど……』

『とくに信仰する宗教をもたないわれわれからすれば、
そうでしょう。
でも、キリスト教以外の宗教を熱心に信仰している方から
すれば、やっぱりいい気持ちはしない。
まあ、そういった配慮をすることで、つまらない
トラブルを避けましょうということです』

灰谷はこれでわかってくれたでしょうという顔でいたが、
赤尾はその理屈を素直にはのみこめずにいた。
だが、いまは公務員という立場である以上、
たとえそれが自分の考えとはちがっていても、
灰谷の言うとおりにしなければならない。

『副校長先生、ひとつお聞きしてもいいですか?』

『何でしょう?』

『これから学級通信をつくろうと思っていたんですけど、
その紙面にクリスマスツリーやサンタクロースのイラスト
を使う、というのはどうなんでしょう?』

灰谷は深くうなずくと、思いのほかすぐに答えをくれた。

『そういったイラストはOKということにしましょう。
ただ、その上に“メリークリスマス”といった文言は
入れないようにしてください』

クリスマスを象徴するようなイラストは入れてもいいが、
言葉にしてはいけない。
その線引きにいったいどんな意味があるのか、
赤尾にはよくわからなかった。」

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by bunbun6610 | 2013-05-19 18:00 | だいじょうぶ3組

助け合い

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「助け合いって、こういうことを言うんじゃないのかな。
だれかが困っていれば、まわりの友達が手を差しのべる。

そのときだけを考えれば、『助ける、助けられる』という
一方的な関係になるけど、またちがうタイミングでは、
助けた人が助けられ、助けられた人が助ける側になる――。
みんなが、だれかの役に立ってるんだよ」


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東日本大震災でも、被災地の人々が助け合い、
絆が生まれたことが記憶にあります。

実際にボランティアに行った人から話を聞いたのですが、
被災者の方は忘れられてしまうことをいつも心配している
ようです。
でも、こうして少しずつでも誰かが瓦礫処理などの手伝いに
来てくれる人の姿を見ることで

「ああ、まだ私たちは忘れられていないのだな」

と思い、少しでも安らぐそうです。

遠い被災地の人々を助けるという行為が、
今は一方的に感じるかもしれませんが、
いつか助け合いになる日がくるし、
今までもそうだったのだと思います。
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by bunbun6610 | 2013-05-16 18:00 | だいじょうぶ3組
『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「今度は灰谷ではなく、校長の黒木が紺野のとなりにすわる
丸顔の介助員を指名した。

『ぼくですか? ぼくはあれこれと意見できる立場では
ないので慎みますが、ただ……もし、
赤尾先生もいっしょに行けることになったとしたら、
そのときは全力でサポートさせてもらいます』

これで、発言していないのは議論の的となっている
張本人だけとなった。
それまでほっぺたの内側を軽くかみながら、
ずっとほかの人の意見を聞いていた赤尾は、
黒木から発言をうながされると、
ぐるぐると頭のなかに渦巻いていた自分の
考えをなんとかひとつにまとめ、
それを言葉としてつないでいった。

『もちろん、子どもたちといっしょに行きたいという
気持ちはあります。
彼らがこんなことをするなんて考えてもみなかったし、
その気持ちになんとか応えてやりたい。
だけど、今回の遠足が登山だということを考えると、
やっぱりぼくが行けば足手まといになってしまう。
だから、行かないほうがいいのかなと、
そう思っています……』

それが苦渋の選択だということは、
その場にいただれもがわかっていた。
だから、だれもうかつに口を開けなくなってしまった。」


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ここまで読むと、私はある言葉を思い出しました。



「…車椅子の彼女はひたすら恐縮していた。

『すみません。すみません。すみません。もういいですから』。

彼女の言った一字一句は覚えていないが、

『これ以上皆さんにご迷惑をおかけしたくない。
私さえあきらめればいいのですから』

というニュアンスが感じられた。」

当ブログのカテゴリー『哀れみはいらない』記事
『ADAと『障害者の経済学』』〔2011-10-29 21:36〕より。




もし自分だったら、やはり赤尾先生と同じように諦めただろう。
しかし、この小説では、校長先生のもと、全員で協議した結果、
次のような結論に至ります。



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「『校長先生、いかがしましょうか?』

しばらく沈黙が続くと、しびれを切らした灰谷が、
最高責任者に決を求めた。
黒木が、ゆっくりと口を開く。

『赤尾先生?』

『はい』

『もしも、障害があるのが自分ではなく、
自分のクラスの子どもだったら、どうしますか?
車いすの子は迷惑だから連れていかない。
やはり、そういう判断をなさいますか?』

『いえ、しないと思います』

黒木は深くうなずいた。

『青柳先生は?』

『何とかしていっしょに行ける方法がないか、
あらゆる手段を考えてみます』

『紺野先生は?』

『ぼくがおんぶしてでも連れていきますよ!』

肉体派の二組担任は、ぶ厚い胸板を力強く叩いてみせた。

三人の返答に満足そうな笑みを浮かべた黒木は、
校長としての最終的な決断を伝えた。

『今度の五年生遠足は、一号路で行きましよう。
それでも、途中、車いすではきびしい箇所があるかもしれない。
そのときは、白石先生だけでなく、青柳先生も、
紺野先生もサポートをお願いします』

ソファーにならぶ三人が、それぞれにうなずいた。

『そうして支えあう姿を子どもたちが目にすることで、
新たに生まれる教育的効果もあるでしょう。
先生がた、どうぞよろしくお願いします』

黒木の言葉に全員が頭を下げたが、
赤尾だけは体を折りまげるようにして、
一段と深く、感謝の気持ちを伝えていた。」



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校長先生は、この学校内だけではなく、
一見して重要と思われる、青柳先生の
前例主義的な意見でもなく、
今までにはない広い視点での意見を、
各クラスの担任先生に求めてみました。

各先生の胸のうちにある、本当の思いに直接、
聞いてみたのです。

それが答えだったのです。

三組に障害を持つ子どもはいなかったけれども、
この広い社会にはいます。
それは今の普通学校では、障害を持つ子どもが
通うことを許可されず、あるいは社会からサポートが
受けられないために、隔離されている、
ということもあると思います。
今の多くの障害児の現実です。

学校側の取る障害児対応が、親(家庭教育)へ
影響を与えていることも、
考慮しなくてはならないと思います。

確かに、青柳先生のように前例主義で考えるならば、
遠足に参加できる健常の子どもたちの安全は
保障されると思います。

しかし、それでは健常者の都合で逃げているだけで
あって、障害者問題の解決になってはいないのでは
ないだろうか。

原作者は、そこを読む人にも考えて欲しかったのでは
ないか、と思います。
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by bunbun6610 | 2013-05-12 18:00 | だいじょうぶ3組

遠足(1)

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「(青柳先生)『ええ、紺野先生のおっしゃることはわかります。
たしかに、『去年までと同じ』であることにこだわる必要はありません。
でも、変えるからにはそれなりの理由が必要なんです。
いつもは六号路なのに、今年だけ難易度の低い一号路を選ぶ理由――』

食いさがる二組の担任を、学年主任の青柳はあくまでも
論理的にはねのける。
だが、それでも紺野はあきらめなかった。

『理由はあります。それは――』

そこまで言うと、ななめ向かいにすわる赤尾に
ちらりと目をやった。

『赤尾先生です。
例年どおりの六号路では、どうしても車いすの赤尾先生は
登山することができません。
だけど、傾斜もゆるやかで、舗装されている部分の多い
一号路なら、赤尾先生の車いすでもなんとか行けると
思うんです』

『それはわたしも気になっていました。
六号路では、おそらく赤尾先生はむずかしいだろうなと。
だけど紺野先生、遠足という行事はいったいだれのための
ものですか。
主役は子どもたちでしょう。
教師というのは、あくまでもそのサポート役だと思うんです。
そのサポート役である教師の都合によって子どもたちの
ルートが変えられるなんて、本末転倒だとは思いませんか』

そのとおりかもしれない、と赤尾は思った。

子どもたちといっしょに遠足に行きたい――その思いは、
赤尾の胸にも強くある。
だが、青柳の言うとおり、優先されるべきは自分の
思いなどではなく、子どもたちの思い。
そう考えれば、自分は遠足に行くべきではないのかも
しれなかった。

『いずれにしても、この問題はわたしたちだけで
結論を出せることではないように思います。
来週にでも校長先生にお時間を取っていただいて、
あらためて相談しましょう』」

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by bunbun6610 | 2013-05-11 18:00 | だいじょうぶ3組

教師の苦悩

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「『公彦のために』という思いでプールに飛び込み、
五メートルを泳いでみせたが、それは結果として、
十歳の少年をただ追いこんだだけだったのかもしれない――。
赤尾の胸には、そんな思いが渦巻いていた。」



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以下は、『自分を愛する力』(乙武洋匡/著 講談社/発行)より。

「アルバムのページをなつかしそうにめくりながら、
高木先生はメガネの奥で目を細めながらつぶやいた。

『この時期はさあ、あれだけ嫌がっていた君を無理やり
プールに連れてきては、いっしょに練習していたでしょ。
あれ、なぜだかわかる?
本当は泳げるようしたかったわけではないんだよ』

――え、ちがったんですか。
うーん、ちょっとわからないです……。

『もしね、君が万一、水の事故に遭ったとき、だれかが
救助に駆けつけるまで、自力で水に浮いていられるように、
せめてそこまでにはしておきたかったんだ』

僕は返答につまり、胸に熱いものがこみあげてくるのを
感じていた。
僕は十年以上も気づくことができなかった。
あの厳しいご指導の裏には、そんなにも深い思いがあった
のだろうということを」

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by bunbun6610 | 2013-05-10 18:00 | だいじょうぶ3組
『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「『四股です』

『えっ?』

『先生の教室をのぞきに行ったら、子どもたちが
四股を踏んでいたことがあったでしょう。
あのときの子どもたちの目、すごくよかった。
ああ、やらされているんじゃなく、自分たちの
意志でやっているだなと、あの子たちの目を見て
強く感じました』

『ああ、ありがとうございます』

『そのときね、考えちゃったのよ。
わたしのクラス、どうなんだろうって。
やらされている顔しか、させてあげられてないんじゃ
ないかって』」



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by bunbun6610 | 2013-05-06 18:00 | だいじょうぶ3組

個性と教育

『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「職員室では横並びが基本とされ、ちょっとでも変わったことを
しようとすると、必ず注意されました。
…(中略)…
教師が横並びでいる限り、子どもたちの個性も認めてあげられない
と思うんですよね。
『だいじょうぶ3組』では、登場人物に、赤尾、白石、紺野、青柳
といった色を使った名前をつけたんですが、そこには、
『教師も色とりどりであるべきだ』という思いを込めたんです。」


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昔の学校は個性のある教師もいましたが、
リーダー的存在の教師には嫌われていました。
その変わった教師が、私の恩師でした。

教師たちはそれぞれの考え方を持っていても対立せず、
共存していたことを生徒も知っていたと思うのですけれども。

生徒たちは皆、人の個性を否定するリーダー的教師が
嫌いでした。

リーダー的教師の場合は、言う通りにしない生徒には、
頭やケツを叩くのも日常茶飯事でした。

今の時代にそんなことをしていたら、
いじめとか暴力問題になってしまっていると思いますが。

でもそんな教師がいても恩師の場合は、
理性的な教育をしていました。

当時の子どもは良くも悪くも、いろんな影響を受けて
育っていたと思います。

今の学校には、もういろいろな教師なんていないのだろうか。
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by bunbun6610 | 2013-04-30 09:50 | だいじょうぶ3組
『だいじょうぶ3組』(乙武洋匡/著)

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「《結果より「  」》

『さあ、「  」のなかには、どんな言葉が入ると思う?』

赤尾の問いかけに、「気合」「練習」「中身」――いろいろな言葉が
あげられたが、ついに正解は出てこなかった。
赤尾の合図に、ふたたび白石がチョークを手に取る。

『結果より……成長?』

『みんなは『全十四レースで一位』という結果を出すことは
できなかったけど、一位になりたいという思いで必死に
練習してきた。
そうして、ぐんぐん成長していった。
じつは、先生がほんとうに求めていたのは、これなんだ。
みんなが努力を重ねて、成長する姿』

『なんだよ、先生。オレたちのこと、ダマしてたの?』

『ダマしてたわけじゃない。
いいか、大人になれば、この言葉は逆になる。
『ぼく、がんばりました』といくらアピールしたって、
結果を出さなければ評価してもらえない。
それが、社会というものなんだ』

『社会ってきびしいんだなあ……』

『そう、きびしいんだよ。
でも、みんなはまだ大人ではない。
だから、いまは結果ばかりを気にするんじゃなく、
努力することでどんどん自分の力を伸ばしていってほしいんだ』」


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by bunbun6610 | 2013-04-29 18:00 | だいじょうぶ3組

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610