カテゴリ:就労後の聴覚障害者問題Z1( 233 )

『人の名前を健聴者のように、自然に覚えられない
               ―聴覚障害者の情報障害』


今日の会社の朝礼では

「社内の人の写真をクジのように5人引き、
それぞれ名前を言う」

というものがあった。
私以外の人がやった。
人事部の人は大体できる。
さすがだ。

仕事のキャリアを積んでいる人だと、
社内の人だけでなく、お客様の名前までも覚えてしまう、
という社内風土がある。

しかし、私だけは全然ダメだ。
なぜなら、他の人と会話をすることが全くないからだ。
周りの話し声すら全く聞こえない。
だから、あの人の名前は誰々さんと言うのか、
というふうには自然に覚えることはできない。
顔だけなら、少し覚えることはできる。
ろう者と同じだ。

私は職場の人の名前を覚えるのは無理だ。
名札があるものの、全員英語表記では、見にくいばかりか、
覚えにくい。
私は漢字表記のほうが覚えやすいからだ。
この課題克服に今後どうするか、本当に困ったことだ。
こんなことでも、私は会社に居づらくなってきそうだ。
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by bunbun6610 | 2012-11-08 18:00 | 就労後の聴覚障害者問題Z1

職場での「不快なこと」

○○さん、聞いて下さい。
今日は不快なことが2回もありました。

1回目は30分間の朝礼。
全然聞こえないのに、
座っていなきゃならない。

時々、誰か若い女性が話の幾つかを
チョイスして筆談してくれる。(※)
それはありがたいのだけど、
結局言いたいことがよく理解できず、
最低の場合だと頭に入らなかったりするのです。
しかも、これをこれから毎日、もっとやるんだってさ。

2回目は年3回か4回実施している社長などの
会社経営についての話です。
これなんか、通訳もないのに1時間半もずっと
座らされ続けられました。
日本の会社って、何でこんなに頭がおかしいんだろう?

私はいずれも

「聞こえないですから(自分は欠席で)結構です」

とハッキリと断ったのですが、

「いや、出ないとダメだから」

と言われました。
何ででしょうね?

これが健聴者の考え方ですよ。
理解できないのを通り越して

「バカじゃないの?」

という感情をずっと我慢しながら、
座っていなきゃならないのです。

今日思ったことは、会社の「鈍感」と僕の「傲慢」との
冷戦状態がある、と感じました。
本当は自分のこの気持ちを「傲慢」とは思いたくない
のですけど、納得できないからといって文句を言うのは
傲慢かな?
という心理的葛藤があることは確かです。

もう一つ気がついたことは、こんな心理状態の時に、
筆談をしてくれて、ありがたくそれを読んでも、
頭に入らないことです。

自分が悪いのでしょうか?

いや、そんなことはない。
無理もないのだと、自分では納得できます。

でも、問題は周囲の人がそれに気づいてもいないし、
筆談や資料をひたすら読んで葛藤とも戦っている自分を、
きちんと理解して見てくれていない、
という問題もあります。

想像ですが、健聴者の話には、資料の通りに話すのではなく、
それなりにストーリーがあるんじゃないかと想像します。
でないと、自分が読んでいる資料の内容なんか、
つまらなくて頭に入らないんじゃないかなぁ?
と想像します。
話し方、繰り返し性、声の抑揚、感情的表現、
身体の動きとの連動性、巧みな話術、ストーリー性、
そういった要素が、話し言葉のなかにはたくさんある
んじゃないかと想像します。
聴衆はそれに何らかの印象を受けて、
記憶できるのではないかと想像します。

それに対し、私にしてくれる筆談というのは、
1時間半の話の中で、たった5行程度だったりします。(※)
これじゃぁ、あんまり貧弱じゃないですか。

不公平だ、差別だ、とも言いたくなりますよ。


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(※)
勿論、これは聴覚障害者対象の情報保障や
通訳というものではありません。

当ブログ
『通訳と筆談、筆記との違いについて』
〔2011-10-27 22:07〕

『筆記通訳?』
〔2011-10-29 22:36〕

参照。

働く聴覚障害者の職場環境整備としての
助成金をもらっていながら、
自社の情報保障整備を全くしていない企業側にこそ、
問題があります。

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by bunbun6610 | 2012-10-17 20:02 | 就労後の聴覚障害者問題Z1
当ブログにはもう一つの目的、秘密があります。

「アンネ・フランクは、1942年6月12日から1944年8月1日まで、
ずっと日記をつけていた。

1944年の春、ロンドンからのラジオ・オラーニェの電波を通じて、
オランダ亡命政権の文部大臣ボルケステインの放送を聞くまで、
彼女は自分自身に宛てた手紙というかたちで日記を書いていた。

この放送で大臣が語ったところによると、戦争が終わったら、
ドイツ占領下におけるオランダ国民の苦しみを記録した手記、
あるいは手紙等を集めて、公開する予定だということだった。

この放送を聞いたアンネ・フランクは,自分も戦後に本を
出したいと考え、日記をその基礎資料として使うことに決めた。

そのため彼女は、それまでの日記を清書し、内容に手を加え、
文章を書きなおし、無駄だと思える部分を削り、
また自分の記憶にもとづいて、必要な部分をつけたした。

と同時に、最初の日記もそのまま書き続けたが、
この日記の原形は、彼女自身が手を加えた二番めの日記、
bテキストと区別するため、aテキストと名づけられ、
”学術資料版”として、aとb両テキストを対比するかたちで、
1986年に初めて公刊された。」


「1942年6月12日
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、
なにもかもお話しできそうです。

どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。」

(『アンネの日記 完全版』
〔アンネ・フランク/著,深町眞理子/訳〕『この本について』より)

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by bunbun6610 | 2012-10-15 18:30 | 就労後の聴覚障害者問題Z1

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610