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蒼穹 -そうきゅう-

カテゴリ:手話言語法( 18 )


ろう学校と聖書を愛する男
『何故、ろう学校教師は日本手話ができないのか?』

http://blog.goo.ne.jp/kuuro-tanada/e/c00459e59741f94eeaeb0be1aab3eecf


>「これに対して、明晴学園関係者は以下のように
回答した。

聾学校の先生の多くは日本手話ができない。
子どもと十分なコミュニケーションができない。
このような状態で、手話を日本語に云々というのは
言語道断である。
日本手話をみっちり学んで子どもと十分なコミュニケーション
ができるようになってから質問して欲しい。」」


これって、ビックリすることだ。

私の知っている、ろう者・Tさんから聞いた話がある。
Tさんは秋田県立ろう学校卒業だという。

(現在の秋田県立聴覚支援学校。
なお、現在のこの学校では、手話が使われるように
変わっている、という)
http://www.kagayaki.akita-pref.ed.jp/chokaku-s/


Tさんがこの学校に通っていたのは、35年以上も前のことだ。
その頃は手話禁止時代だったという。

学校の先生の日本語指導は厳しく、毎日、
日本語の読み書きを教えていた。
その教育法は体罰法で、授業で手話を使うと
手を叩かれたり、水を張ったバケツを両手に持たされて、
廊下で立たされるといった罰を受けたという。

普通学校に通ったろう者から話を聞いたら

「手話を使うと日本語を覚えなくなってしまう。
子どもが日本語を使わなくなってしまうから」

と言っていた。
Tさんが通っていた当時の秋田県立ろう学校でも、
学校の授業では手話禁止だから使えなかった。
だが寄宿舎に戻ると皆、手話で話し始めた。
みんな大げさ、オーバーな手話だった。
だが学校と違って、楽しかった、と懐かしげに言っていた。

そのTさんだが、実は頭がものすごくいい。
誰よりも早く、仕事を覚えてしまったので、
皆が一目置くほどの存在だ。
それはなぜか?

私はその理由が、彼がろう学校時代に覚えた
日本手話にあるのではないか、と思う。
ろう学校時代の授業だけではないかもしれない。
なぜなら、彼はこう言っているからだ。

「学校の授業を幾ら見ても、単語までなら覚えられるが、
それに付く「てにをは」とかまでは、理解できなかった」


神奈川県立平塚ろう学校
http://www.hiratsukarou-sd.pen-kanagawa.ed.jp/

でも、何年か前から外国人向けの日本語教育に着目して、
日本語教育方法を転換している。
ということは、昔の教育法が間違っていたのだろう。


私は子供時代から難聴だったが、普通学校に通った。
聞き取れなくて、学校の先生の授業はほぼわからなかった。
だが、たくさんの同級生と休み時間に遊んでいるうちに、
それと担任先生に読書を勧められてどんどん読んでいるうちに、
日本語をしゃべるようになったし、読み書きもある程度、
出来るようになった。
普通の子供よりも日本語の獲得が遅かったが。


この話と比較すると、ろう学校の教師たちも

「やはり、ろう児に日本語を教えるには、
手話をやめさせなければいけないのだろうか」

と思うかもしれない。
そう思うのも無理もなかったかもしれない。

ちなみに、普通学校に通ったろう者は、
日本語がきちんと書けるし、日本手話も出来る。
どうしてなのかはわからないが、
本人から聞いた話では

「普通学校に通う傍ら、ろう学校に通っていた、
ろうの友だちにも会い、一緒に遊んだ」

と言っていた。
つまり、子どもの頃からバイリンガルだったのだ。
ということは、明晴学園の教育法は間違っては
いないことになりそうだ。


>「ろう児の手話が読み取れていないことを
自覚しない教師は実は多いのである。
ろう学校で、きちんとした手話研修が行われて
いないということ、

「子供が声を出さないと、何を言っているのか
分からないので、声を出してくれるとありがたい」

と自分を擁護する教師もいることを考えると、
時には厳しい発言は必要であろう。」



これは一体、どういう意味だろうか。

例えで言うならば、私の母語は日本語である。
だが聞こえないので、手話が分からない健聴者には
筆談してもらうことが多い。
それで通じる。
ただし、これは

「筆談で同じ母語(日本語)でコミュニケーションを
したから通じた」

とは、実は限らないのである。
私は筆談でも通じないと思う経験を、たくさんしてきている。
そんな時に、相手に「筆談力」がないことが原因だと
思うこともあった。
その証拠に、筆談で通じる人とは、ちゃんと通じているからだ。
コミュニケーションは、母語が同じであれば必ず通じる、
と思っていたら大間違いだ。

私は第二言語として手話(日本語対応手話と日本手話)
も不完全ながら獲得しているが、それでも十分に通じる
場合がある。
つまりこのことが、コミュニケーション能力とは

「母語にとらわれることなく通じることが可能な力」

を意味している、と思う。
ろう学校教師たちの大きな間違いの理由が、
ここにあるのではないか、と思う。
言語の違いがコミュニケーションを難しくすることは
あるが、だからといって、不可能だとは限らない。
言語が違っていても意味を正しく伝えられる場合も、
実はたくさんあるのである。
日本手話は、ろう児に

「言葉の意味〔言葉と事象の関連性〕を正しく伝える力」

において優れているという事実を、忘れてはならない
と思う。
言葉の上っ面に頼っているから、そして自分(教師)が、
ろう児の言葉(日本手話)が理解できないから、

「子供が声を出さないと、何を言っているのか
分からないので、声を出してくれるとありがたい」


と言うのではないか。
そういうのは、真の教育ではない。
「日本国」という、管理社会をつくるための教育だ。
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by bunbun6610 | 2017-02-18 23:30 | 手話言語法

『レストランやカフェで手話を使うことは、
企業への過重負担になるのか?』




『障害者雇用 ― カフェ・カンパニー株式会社』
〔2016-04-19 21:26〕





手話を第二言語として習得した者の立場
から言えば、

「負担になるかもしれない」

と答える。

ただし、実際に職場で使われる手話の数
がどれ位なのか、またスタッフの習得力に
よっても、負担感はかなりの差が出そうな
気がする。

逆に言えば

「『完全な手話」には拘らなくてもいいから」

ともっと気軽に、職場サインを職場で考案して
使ってみれば、聴覚障害者とのコミュニケーション
にも負担どころか、逆に皆もラクになる場合だって
あるはずだ。


ただ一般的にはやはり、手話講習会・サークル
のような

「手話を覚えたい」

「手話に興味がある」

人たちでさえ、簡単な手話を覚えるのに苦労する
人もいれば、反対にすぐに上達する人もいる。
そのコミュニケーション力の差が原因となって、
職場に“良からぬ空気”が生まれてしまう可能性
もあるだろう。
残念ながら、手話は万人に向く言語とは考えにくい。


『日本人健聴者が手話を覚えられない理由』
〔2014-07-14 18:30〕



そうしたなかで、手話言語法が制定されようと
しているのだから、言語的差別・格差も、
まだまだ続くように思える。

もしレストランやカフェでろう者が働くようになる
としたら、どのような手話を取り入れたらよいの
だろうか。

挨拶の手話の他に、業務で使う手話が必要に
なると思われる。



  〔音声日本語〕   ⇒   〔手話〕

「この料理を運んで下さい」 ⇒「運ぶ」

「これは、あのテーブルに運んで下さい」
 ⇒「指差し(または18番テーブルとか)/運ぶ」

「あのテーブルの上の食器類を片付けて下さい」
 ⇒「あそこ/きれい」

「これを洗って下さい」 ⇒「洗う」

「この仕事をやって下さい」 ⇒「やる」

「オーダーお願いします」 ⇒「注文」

「あのお客様の、お会計をお願いします」
 ⇒「指差し/会計」


手話講習会だと、丁寧な日本語対応手話で教えて
いるケースが多い。
しかし、日本語対応手話は意味はわかりやすくても、
手話を覚えて使うには、あまり有効でない場合も
多い。
何と言っても、日本語対応手話一辺倒だと、
応用力が見につかないようだ。
身振りで補ったり、ノンバーバル・コミュニケーション
を取り入れた日本手話のほうがシンプルで覚え
やすく、色々な場面でよく通じるケースも多い。
ろう者と一緒に手話を考え、使ってみるとよい。

もしどうしても不安なら、初めは聴覚障害者
ジョブコーチに来てもらい、アドバイスを受けてみる
方法もある。


東京都聴覚障害者自立支援センター
http://tjs.deaf.tokyo/
『職場で困っている』≫『東京ジョブコーチ職場定着支援事業』




〔ろう者の常識、健聴者の常識というズレ〕
ろう者は日本手話でしゃべるのが当たり前だと
思っている。
耳は聞こえないが。

一方、健聴者はろう者はしゃべれないか、
しゃべれるとしても声がおかしい、
と思うのが当たり前になっているようだ。
仮に

「ろう者には手話という言語がある」

と説明しても、健聴者は

「手話は正式な言語として認められていない」

と言うのではないか。
それでなのかどうかはわからないが、
とにかく消極的な人が多い。
手話という言語が受け入れられるには、
まだこうしたことも障壁となっているようだ。
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by bunbun6610 | 2016-05-31 21:32 | 手話言語法



『日本人は異なる言語を覚えるのが苦手なのか?
 ― 手話言語法の課題』


近年は新宿の飲食店やコンビニなどへ行くと、
よく在日外国人を見かけるようになった。
その人たちは、案外日本語を話せるようだ。


「日本語は、世界一難しい言語だ」

と言われていたのを昔、聞いたことがある。

その日本語をしゃべる日本人はなぜか、
英語すら覚えるのが苦手な人が多い。

それなのに日本よりも教育が遅れている国
からやって来た外国人が、日本語をペラペラ
としゃべれるようになるのは、なぜなのだろう?


『日本人健聴者が手話を覚えられない理由』
〔2014-07-14 18:30〕



日本人は言語習得に必要なものが何なのかが、
理解できていないのだろうか?

制定が確実視されている手話言語法でも、
これは大きな壁となりそうだ。
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by bunbun6610 | 2016-05-19 20:00 | 手話言語法

この話になって、私が真っ先に思い出すのは、
フォックスの言葉だ。

「最も脆弱な集団の排除を許すならば、
世界を一層、公正にすることは不可能である。」
                  
(国連・障害者権利条約の提唱者
 メキシコ大統領ヴィセンテ・フォックス)



『フォックスの提唱と、キリストの教えとの共通点』
〔2011-06-01 22:02〕




『国連・障害者権利条約とは』
〔2011-05-12 06:41〕



誠に、そう思う。

日本でも各地の議会で、手話言語法制定への
意見書が採択されつつある。
しかし、制定されるかどうかまでは、
まだまだわからない。

手話を人間社会の中に取り入れることの
メリットとして、下の映画も参考になる。

『実在した盲ろう者の映画『奇跡のひと
 マリーとマルグリット』』
〔2015-06-02 19:44〕



音声言語獲得が難しい子どもにも、教育が出来る。
下の記事では、ろう児教育の歴史を紹介している。


『『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』』
〔2015-01-14 18:30〕


『「教育をしない者の罪」 教育に捧げた人生
―古河太四郎 生誕170年―』
〔2015-05-21 19:30〕


音声言語の獲得には、限界があるらしい。
聴力的なことだけでなく、年齢的なことで
言っても

「音声言語の獲得は6歳まで」

とか、いろいろな説があるそうだ。
下の本でも、ちょっと紹介されている。

『『「耳の不調」が脳までダメにする』(中川雅文/著)』
〔2014-07-29 18:30〕


「英単語を何度も何度も繰り返し声に出して
読みながら一生懸命に暗記した経験が、
皆さんにもあるのではないでしょうか。
繰り返し同じ音を聞いて学習することによって、
記憶の神経回路は太くなり、より俊敏に反応できる
回路にとアップデートされます。・・・(中略)・・・
・・・ただ、よく言われるように、脳は若いほど吸収
する力があります。
年をとってからの記憶は難しい、その事実は否め
ません。

たとえばどんなに健康な耳で生まれても、森の中で
オオカミに育てられてオオカミ少女になってしまったら、
その子どもはオオカミ語しか話せませんし、
オオカミ語をベースにしたうえで人としての言語を
学習することはもっと困難でしょう。
先天性の難聴の子どもは、人工内耳手術を
受けるのが早期であるほど、言葉の習得や健聴児
へのキャッチアップの成績がいいという事実が
それを証明しています。
成人になってからの難聴者にも同様のことが
当てはまります。」
(『脳の97%は記憶のゴミ箱』(P56~58)より、
一部引用)



「赤ちゃんは、生まれる前からお母さんのお腹の中で
音を聞いています。・・・(中略)・・・
お腹の中ですからはっきりと言葉が聞こえるわけでは
ありませんが、赤ちゃんはお父さんやお母さんが話し
かける、その声の抑揚、リズムを学んでいきます。
・・・(中略)・・・
音韻カテゴリーは、生まれて3ヵ月から6ヵ月くらいまで
の間で固まってきます。
その期間に、母語に必要なパーツが完成します。
日本人の場合はまず、「あ」「い」「う」・・・・といった日本語
に必要な単音から覚えます。
様々な環境音下に、あるいは様々な話者といったバリエ
ーションの中で単音を何度も耳にしながら、それぞれが
微妙に違っても、だいたい同じといったニュアンスでの
理解、つまり冗長性(じょうちょうせい)をもって認識できる
ような耳が出来上がります。
冗長性は母語認識のための最大の武器ですが、一方で
この冗長性ゆえに、われわれ日本人は「R」と「L」の区別
などが苦手になってしまっているのです。
・・・(中略)・・・
韻律や抑揚、アクセントを、自然言語とかコミュニケー
ション言語に位置づけ、学習言語や書記言語とは区別
する考え方があります。
実はお腹の中にいるときから、韻律・抑揚・アクセントと
いった言葉のリズムを学んでいるからこそ、生まれてから
もスムーズに母音や子音といった音韻情報をそこに当て
はめ、どんどん言葉を獲得していくことができるのです。
そう考えると、経験的に生まれてきたのであろう胎教の
教えに、いまさらながら感服してしまいます。」
(『骨導から始まる耳の発達』(P58~61)より、
一部引用)



耳の聞こえる胎児には、音声による胎教がある。
しかし、聞こえない、あるいは聞こえても難聴の
胎児の場合は、生まれてから大変な音声言語学習
を強いられていることになるようだ。


それに比べ、手話だと年齢がそれ以上でも、獲得は
できる。
つまり、音声言語にこだわる場合と比べて、
可能性がずっと広いのだ。
教育だけでなく、その後の社会での活用においても。

高齢者で獲得できた例も、あることはある。
それは、誰でもいつかは障害者になる可能性のある中で、
誰にとっても助かることであり、
そうした社会の実現は喜ばしいことであるはずだ。
まさに、障害者の知恵が、人間社会の未来を
切り開くのである。

聴覚障害児を持つ親の方へ、言いたいことがある。
勿論、補聴器(あるいは人工内耳)と手話の、
両方の使い方を獲得させる方法もある。
しかし、子どもの状況を考えず、無理強いをするだけだと、
それはその子だけではなく、あなたや、
社会にも良くない結果になると思う。


学校教育が充実しても、そこを卒業し社会に出れば、
まだまだ厳しい社会である。
私も、高校生アルバイトでもできるような労働しか
させてもらえず、社員教育も受けられないままでいる。
家庭や学校では何とかなるからと言って、そのまま
社会に送り出したらどうなるか。
健聴者にはまだまだ、想像すらできないだろう。

このブログを読んで、初めて障害者雇用(「障害者
職場内授産施設」「障害者差別」)の実態を知った
健聴者も、少なくないのではないだろうか。

手話言語法も、そうした差別解消のための、
一つのカギだ。
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by bunbun6610 | 2015-08-18 18:30 | 手話言語法

昔、手話サークルに通っていた健聴者と
たまたま会い、少し立ち話をした。

その健聴者Hさんは、手話講習会に通っていた時は、
手話サークルにも熱心に通っていた。
だが、手話講習会の上級クラスへの昇級試験には
落ちてしまった。
それでもしばらくはサークル通いを続けた。

しかし、毎年入ってくる、新しいサークル入会者の中
には、手話が上手な人もいて、その人たちを見ている
うちに

「あぁ、自分はやっぱり、手話を覚えるのは無理
なんだなぁ」

と痛感したそうだ。
劣等感に打ちのめされて、さらに自分の年齢のせい
もあることも認めていた。
何もかも、諦めるしかなかったようだ。


同じ頃にも、Nさんという難聴者が、この手話サークル
に入会したが、すぐに辞めてしまい、
今は別の手話講習会に行き、別の仲間を見つけ、
手話を続けている。

Hさんはすでに、そうした環境にもとどまらなくなり、
昔覚えた簡単な手話も忘れかけていた。
そして、私の表す手話も「わかったふり」をしながら
見ているだけのようだった。

それでもHさんは

「あなたの手話のほうが、
ろう者の手話よりもはるかにわかりやすい」

と言った。
それはそうだ。
私のは“日本語対応手話”なのだから。


手話は、みんなのための言語になるのかというと、
そうでもない。
それはまず何と言っても、ろう者のための言語だろう。



『手話言語法って、何? (1)』
〔2012-01-16 21:06〕



(しかし、ろう者の中にも

「手話のなかには、ろう者と健聴者が
つくった手話もたくさんある」

という主張も少なくないし、その“歴史的事実”がある。
それゆえ、それは決して、ろう者のためだけに
つくられたのではなく、双方をつなぐための言語でも
あった証拠ではないだろうか)


少数派言語であっても、その権利を保障することが、
さまざまな人の権利保障である。

しかし一方で、手話がわからない人にとっては「逆差別」
のようにも思えることだろう。
手話が分かる者同士だけで手話で話すことを、
他の人はやはり、決して良くは思っていないはずだ。

手話は、健聴者にとっては難しい言語だ。
だから健聴者にとっては、手話言語法にも
「諸手を挙げて賛成」というわけにはいかないかも
しれない。

昔、蛇の目寿司事件という、ろう者と健聴者との
ケンカ事件が起きた例がある。


『蛇の目寿司事件』
http://www3.ocn.ne.jp/~oneyes/kobushiza/pri03.html



例えば私も、こんな誤解を受けたこともあった。

『手話に対する、健聴者の受け止め方』
〔2011-10-08 10:28〕



異なる言語を認めることによって問題が解決する
こともあるし、新たな問題が起こることもあるだろう。




〔参考情報〕


『日本語対応手話の言語的特徴と
教育上の意義について』
(伊藤 政雄  竹村 茂)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kem/library/niha-igi.htm




『[PDF]日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代 URL』
一橋大学機関リポジトリ
『日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代』
(岡, 典栄)
〔2012-03-23〕

http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/22860/3/0201102602.pdf
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by bunbun6610 | 2015-07-03 19:40 | 手話言語法


鳥取県人権啓発活動ネットワーク協議会

最優秀賞(鳥取県人権擁護委員連合会長賞)

『「聴覚障がい者」として生きる』

http://www.moj.go.jp/jinkennet/tottori/event/contest2_h25.html




「目が見えないということは、
あなたを物から孤立させます。

耳が聞こえないということは、
あなたを人々から孤立させます」

(イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)

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by bunbun6610 | 2015-06-13 20:30 | 手話言語法

『日本財団ブログ ソーシャル・イノベーション探訪
「みんなが、みんなを支える社会」を目指して』
『手話言語法、早期制定を!
/議員会館で推進イベント開催』
〔2014年03月20日(Thu)〕


「イベントには自身も聴覚障害者で欧州ろう連盟の
顧問を務めるベルギー王国の国会議員ヘルガ
・スティーブンスさんも出席、

『手話は音が聞こえない人が社会に参加するための
ドアの鍵、言語と認められることで社会参加が促進
される』

とする一方、

『言語法の制定はひとつの通過点にすぎない。
その後をどうフォローアップしていくかが最も重要』

と述べた。」



国連・障害者権利条約を批准させただけではダメだ。
手話言語法も同じだ。
ヘルガ氏のこの言葉が、非常に重要だと思った。
当事者の主体的活動が重要だ。

国会でも聴覚障害者への情報保障・通訳があれば、
日本も、ろう者国会議員が活躍できるだろう。
それを実現しなければ、ろう者の声は国会に届かない。



一般財団法人全日本ろうあ連盟
『ベルギー上院議員ヘルガ・スティーブンス氏、
文部科学省と厚生労働省の副大臣と対面(写真)』
〔掲載日:2014/03/13〕

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by bunbun6610 | 2015-06-13 19:00 | 手話言語法



Eテレ『ろうを生きる 難聴を生きる』
教育に捧げた人生
―古河太四郎 生誕170年―

〔2015年5月9日(土)放送〕



「ろう者は教育を受けられない不幸を背負っている。
それは教育をしない者の罪でもある。」


これは、職場でも同じだろう。

「耳が聞こえないから教育できない」

のままではダメなのだ。
それは「怠慢」であり「差別」だ。

“職場内障害者授産施設”も、変えなくてはならない。
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by bunbun6610 | 2015-05-21 19:30 | 手話言語法

拓道館
『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』

http://www12.tok2.com/home2/airtax04/rouk.htm


この資料は、とても参考になる。
これほど詳しく書けている資料は、あまりないと思う。
でもなぜか、この情報はなかなか見つからなかった。

筆者の「たく」さんは、ろう者のようだ。

手話言語法の意義を理解するにも役立つ情報だと思う。




〔参考情報〕


『何故口話、筆談でなく手話なのか?(つぶやき)』
〔2014年08月26日 (火)〕

>「口話、筆談だと思考が止まるこということ」


これは、日本語を母語とする健聴者、
難聴者・中途失聴者等とは逆だ。
あまり手話を使わない人が手話通訳
をずっと見ていたら、思考が止まってしまう。

一方、ろう者は日本手話だと何時間
しゃべっていても、平気だという。
他の人だと、頭も目も腕も疲れてしまう。





【追記】(2015年1月18日)


「たく」さんは

『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』

というタイトルにしている。
しかし、私はこのタイトルに疑問を持つ。
果たして、ろう者の立場から

「功罪があった」

と言えるのだろうか。

「功罪」とは、調べてみると

「てがらとあやまち。功績と罪過。」

という意味だ。
功績と言う面では、おそらく健聴者にとっての
聾教育評価にはつながったのかもしれない。

しかし、ろう者にとっては、本当の功績になった
のだろうか。
そこが疑問なのである。

例えば、最近、下の番組があった。

Eテレ ろうを生きる 難聴を生きる
『どう育む?日本語力 (1) ―文の仕組みを知る―』
〔2015年1月11日(日)放送〕





Eテレ ろうを生きる 難聴を生きる
『どう育む?日本語力(2) ―表現力を高める―』
〔2015年1月18日(日) [Eテレ] 午後7時30分~7時45分〕
http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/backnumber/2015/01/0118.html#contents




昔の口話教育では、口話ができない生徒に、
罰として廊下に立たせ、両手に水を入れたバケツを
持たせたらしい。

あるいは、両手を縛って口話教育を受けさせていた、
という話も聞いたことがある。

いずれも何の役にも立たない、昔の誤った教育法だ。

それでも先生は

「いずれは社会に出て行く、ろう児のため」

だったと言う。
それを聞いたら、私も何も言えなくなってしまった
ものだったが。



〔関連情報〕


『米国社会から見た手話』
〔2014-05-31 18:30〕





ところが、近年では平塚ろう学校でも、
外国人への日本語教育を参考に取り入れ、
ろう児への日本語教育に革命を起こしている。

2008年のろう・難聴教育研究会
(旧トータル・コミュニケーション)主催

『子どもたちの日記から、文法のあやまりがへった!
 ろう学校での日本語指導法 -江副文法を活用して』

という講演会で、それを知った。


『日本語の助詞「に」「で」「を」の使い方』
名詞+助詞+動詞の基本例文
(平塚ろう学校・国語教師の講演会から)

①「家に入る」
②「家の中で~する」
③「家を出る」
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①「電車に乗る」
②「電車で行く」
③「電車を降りる」
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このような指導法は、健聴者や難聴者が、
視覚言語としての日本手話を学習する場合にも、
かなり役立つと思う。

早瀬憲太郎講師もEテレ『みんなの手話』で、
イラストを示して問題を出すコーナーを設けているが、
日本語文章で問題を出すよりも、いい指導法だ。



『2005年スペイン日本語教師研修会講演
『日本語の助詞は二列ということについて』
学校法人江副学園理事長 新宿日本語学校校長
江副隆秀』

という資料に、江副氏は

「「これは本です」の英訳も、「これが本です」の
英訳もどちらもThis is a book.になってしまいます。
そのため、日本人は『が』と『は』の区別は
難しいと考えてしまうのではないかと私は考えています。
むしろ、『が』は情報に付き、『は』は二列目の
助詞になると図式的に教えると、
外国人の学生にとっては、混乱が非常に少なく
なります。
むしろ、これが難しくないのだ、これはやさしいのだ
と日本人に教える方が難しいというのが
私の個人的経験です。」

と説明している。

ろう者のケースでも、昔は、まるで外国人が
片言の日本語でしゃべるように、
意味もよくわかっていないのに、
どうにか日本語を使うようなケースをよく見かけた。

私が知っている事例では


ろう者:「今日は、カジュアルデーの為に財布が
忘れましたので、パスとします」

日本語:「今日は、カジュアルデーの為、
(うっかりと)財布を忘れてしまいましたので、
パスします」 パス=遠慮?(「不参加」の意味)


ろう者:「飲みは新宿がじゃなくて新江古田駅の
近いある、どうか?」

日本語文の例:「飲みに行く場所は、新宿ではなく、
新江古田駅の近くに居酒屋があります。
そこにするのはどうでしょうか?」


ろう者:「本当は参加したかったので、財布を忘れました」

日本語:「本当は参加したかったのですが、
財布を忘れてしまいました」


ろう者:「少しずつに手話を覚えて行くと」

日本語:「少しずつ手話を覚えていくと」



大人になっても、このような文章力にしかならない。

ところが、番組で紹介された指導法へ変えることに
よって、このようなことを大幅に改善できた、という。

ポイントは文章と、視覚情報による「意味の説明」と
関連付けたことだろう。
手話もいいが、手話でなく、絵・イラストや画像
・動画などでもいいのだ。
聴覚障害者に書記日本語を教えるのに、
音声言語による指導法は、必ずしも必要では
なかったかもしれない。



〔参考情報〕

『NHK大河ドラマ『花燃ゆ』 ろう者・杉 敏三郎』
〔2015-01-05 21:09〕
【追記】(2015年1月11日)
副題;『聴覚障害者と本との出会い』



『聴覚障害者が著したホームページ』
〔2012-10-03 18:30〕





同じ日本語でも、音声日本語と書記日本語は違う、
ということも理解しなくてはならないと思う。
混同して使ってしまうと、下のような例も起こりえる
のではないだろうか。


ろうあ者:「あなたも参加していいよ」

日本語「あなたも参加してください」
「あなたも参加してね!」
では? 文章マナーの問題?

音声日本語でならば「あなたも参加していいよ」は、
気軽なだけで、全然失礼ではない場合もあるが、
メールだと相手の受け取り方により、
印象がまずくなってしまう可能性もある。
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by bunbun6610 | 2015-01-14 18:30 | 手話言語法

『ある聴覚障害者の人権救済申立
-聴覚障害児の家庭教師事業とフリースクールから見た、
北海道の聴覚障害児問題と、その展望-』

 藤懸久明(ふじかけ・ひさあき)著

http://freett.com/notetake/page049.html





この話は、一口に「聴覚障害者」と言っても、
さまざまな聴力特性を持つ聴覚障害者がいることを
理解する資料となりそうだ。

補聴器をすれば聞こえる人もいる。
しかし、だからといって、健聴者と同じになれる、
というわけでもない。

おそらく、手話が必要な人というのは“ろう者”
だけではないと思う。

それにしても、七福神の「えびす」が聴覚障害者
だったの?!
ずっと知らなかった。
日本人だからといって、皆知っているとは限らないな。
エビスビールのラベルにもなっている、
あれが聴覚障害者か。




〔関連情報〕


『石狩市手話に関する基本条例』
〔平成25年12月19日 条例第36号〕

http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/uploaded/attachment/10113.pdf

 →「耳が聞こえない、聞こえづらいろう者



『鳥取県手話言語条例』
http://www.pref.tottori.lg.jp/222957.htm

http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/845432/syuwa.pdf


 →「ろう者
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by bunbun6610 | 2014-11-24 22:09 | 手話言語法