カテゴリ:六本木ヒルズ回転ドア事故( 22 )

六本木ヒルズ回転ドア事故から13年。

事故当時6歳だった溝川涼君。
もし、今も生きていれば、成人する頃だ。
彼は天国で今、どうしているだろうか。



シオンの建築U評論(事故ドアの写真)
  →http://www.neox.to/ud/roppongi.html


>「デカイ大型自動大回転扉は、映画のエイリアンのように
思わせる、恐ろしい扉のような感じがいた。
リスク管理や安全性がないようで重体や死亡事故発生する
恐れも。」

六本木ヒルズの大型回転ドアを視察していた障害者の
この予測が、ズバリと当たってしまった。
裁判所でも「事故は予見できた」と有罪判決を下している。

本当のユニバーサル・デザインを考えるにあたって、
障害者の意見は欠かすことができない。




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http://www.asahi.com/special/doors/TKY200403310406.html

asahi.com:ニュース特集
『【回転ドア死亡事故】
「東京オペラシティ」でも事故14件、ヒルズと同社製』



新国立劇場などが入る複合文化施設「東京オペラシティ」
(東京都新宿区)で、自動回転ドアに来場者が挟まれる
などの事故が00年以降、14件起きていたことがわかった。

事故は警備員の常駐をやめてから相次いでいた。

ドアは男児が死亡した六本木ヒルズの回転ドアと同じ
「田島順三製作所」製で、オペラシティ側は事故後に一部の
回転ドアの使用を中止した。

 東京オペラシティは地上54階建てのオフィスビルを中心に、
新国立劇場やコンサートホール、アートギャラリーなどが立ち
並ぶ。
オフィスビルでは約1万人が働き、レストランやショッピング
施設もある。
主要部分は96年から徐々に施設がオープンし、99年に全体
が完成した。
自動回転ドアは計6台ある。

 事故14件のうち、ドアに体を挟まれたのは12件。
救急車が出たのは4件ある。

 昨年4月、高齢の女性がメインタワー2階の正面ドアに入ろう
として、持っていたつえごと右手を挟まれ、抜けなくなった。
レスキュー隊がドアを逆回転させるなどして救い出した。

 昨年12月には男児がビル内から外に出る際、母親の手から
離れてドアに向かい、腕を挟まれた。
いずれも病院に運ばれたが、大事には至らなかった。
救急搬送された事故はこれ以外にも2件あった。

 また母親が目を離したすきに、子供がドアの中に入りこみ、
あわてて後を追った母親のかばんが挟まれる事故もあった。

 オペラシティ側は97年に自動回転ドアを設置した。
当時はそれぞれのドアに警備員1人を常駐させていた。
約3年間、事故はまったくなかった。

このためオペラシティ側は

「回転ドアが普及し、利用方法が浸透してきた」

と判断、イベントなどで混雑する時を除いて警備員の常駐を
やめたという。

 その後00年に3件の事故が起き、01年に1件、02年に5件、
03年に3件あった。
今年は3月までに2件あった。

 3月26日の六本木ヒルズの事故を受け、オペラシティ側は
6台のうち2台の使用をやめた。
残り4台についても、回転速度を標準から低速に変え、それぞれ
2人ずつ警備員を置いて警戒している。

(04/01 06:13)




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東京オペラシティでも、最初は警備員常駐体制で運営し、
事故ゼロだった。
ところがそれに安心してしまい、警備員の常駐をやめてから、
事故が相次いだ、となっている。
もともとこのドアが安全ではなかったことを証明しているが、
ヒューマンセンサーがなくなったことも事故原因になった。
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by bunbun6610 | 2017-03-26 08:00 | 六本木ヒルズ回転ドア事故


危険性が事前に把握されていたにもかかわらず―。


六本木ヒルズ回転ドア事故と同じだ。
あの事故の教訓が、社会全体で生かされなかった
ことは残念だ。




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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150412-00000525-san-soci


山手線トラブル、
あわや大惨事
…支柱の異変を事前に把握、
列車と接触の可能性も


産経新聞 4月12日(日)19時31分配信


JR山手線神田-秋葉原間で12日早朝に架線の支柱が倒れ、
一時全線で運転を見合わせるなどダイヤが大幅に乱れた事故
で、JR東日本は同日の記者会見で、支柱の異変を把握しなが
ら対策をしていなかったことを明らかにした。
山手線の運行中に支柱は倒れ、レールに接触。
電車が進入していれば衝突し、大惨事に繋がる危険性もあった。

 同社によると、3月25日に支柱の改良工事を実施。
4月10日に支柱が傾いているのが確認され、13日に補修する
予定だった。
工事で支柱の強度が落ち、架線からの張力(約5トン)で倒れた
可能性が高い。
JR東は

「支柱と車両が接触すれば脱線などの危険性もあった。
原因を究明し、再発防止する」

とした。

 京浜東北線は同日午後3時半に、山手線は午後3時48分に
全線で運転を再開。
両路線の運行本数は終日50%程度となった。
13日は始発から通常運転の予定。



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by bunbun6610 | 2015-04-13 00:39 | 六本木ヒルズ回転ドア事故

新型の回転ドア考察


回転ドアの改良型、つまり新型回転ドアの
イメージ図を見つけた。



新型回転扉
『新型の回転扉』
〔2012年07月02日 13時27分16秒〕
http://ameblo.jp/kimumasa1106/entry-11292313394.html


怖いのはやはり、内部に回転するものが
あることだ。
本当に、そうする必要があるのだろうか?

回転式でなくとも、人への安全性を最大限に
重視しつつ、回転ドアのメリットを幾らか残す
だけでも、よいのではないだろうか。


私が思ったのは、中の棒が回転するのではなく、
それを動かないスライド式ドアにして、
3段(3連)構造のスライド式ドアが時差式で
開閉するように造れば、回転ドアに近い機能性
は可能、という気がするのだが。

何も回転するドアに拘る必要はなく、
要は細長い通路に時差開閉する3枚のスライド式
ドアを設置して、ドアを通る空気量を抑制すれば、
回転ドアと同じではないかと。





『スライド扉で開閉する回転扉』
〔2010年10月10日 01時39分24秒〕
http://ameblo.jp/kimumasa1106/theme2-10031167523.html


人への安全配慮は、事故を起こした六本木ヒルズ
回転ドアに比べ、向上していると思う。
でも、複雑な構造だ。

この複雑性を見ると、どうも、子どもでも知的障害者
でもわかる、安全に使えるドアではないような気がする。

回転するような珍しいドアは、子どもだと面白がって、
勢いよく近づいてしまう傾向があるのではないだろうか。
事故で亡くなった子どもは、そんなふうに近づいて
しまった様子がある。

勿論、子どもが悪いのではない。
こういうドアをつくった、大人のほうに責任がある。
ドアのようなものは、誰にでも安全で使いやすいような
ものでなければならないはずだ。


スライド式ドアは、人が通過してから、
自動で閉まる仕組みだ。
しかし、これを回転式に応用すると、
自動で人の量を調節する仕組みのように見える。

構造的には時間で動いているものだが、
一定量を超えた人を締め出すような機能に
なっている。
それが、従来型スライド式ドアとの違いで、
このイメージ動画を見ても、何だか怖いのである。

ドアの中に入ったら、人は前へ移動しないと、
このドアは安全のため、停止すると思う。

誰かが突然発作を起こして、すぐに動けなくなったり、
倒れたとかすると、やはり回転ドアは停止して、
全員が閉じ込められるのだろうか?

回転中に電源や動力のトラブルで停止したら、
中や外から、人が手動でも開けられるのだろうか?

安全性についてはやっぱり、試作品がないと、
よくわからない。

また、故障とかしやすくないのだろうか。
製造もコストとか、大丈夫なのだろうか。
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by bunbun6610 | 2015-03-28 09:25 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
3月26日は、溝川涼君の命日です。

このブログをチェックしていると思われる企業、
法務コンサルティング会社などが多数あると
思われるため、六本木ヒルズ回転ドア事故の
記事を、通常は非公開にしています。


カテゴリ;『六本木ヒルズ回転ドア事故』


会社内で知った情報を漏らしている為、
アクセス数が異常上昇しました。
企業のリスク管理の観点から、こうしたことへの
対応策が、今では多くの企業で取られている
からです。

それでも、今から29日頃までは再公開したい
と思います。
事故の風化を防ぐためにも。





印象的なのは、福島智教授が安全会議講演会
で言っていたことだ。



『六本木ヒルズ回転ドア事故<11>
 成人健常者のみの、欲求満足の追求が招いた差別②』
〔2011-04-22 00:26〕





正確な言葉は忘れてしまったが、次のような意味
の言葉を、強い口調で発していた。

「(社会的弱者への)無関心は、時には罵詈雑言
(ばりぞうごん)よりも本人にとって、
心に応える場合もある」

といった意味の言葉だった。
あのような言葉を、森ビル社員へ発した人は、
他にいない。
障害者としての人生経験を持つ人だから、
わかることなのだ。

無関心と聞いて、何を思い出すだろうか?
IS(「イスラム国」と呼ばれる組織)のテロだ。
そして、殺された後藤健二さんだ。
後藤さんがなぜ、あの状況でもシリアへ渡ったか、
その理由は無関心ではなかったからだ。
後藤さんは生前から、それを伝える活動をしていた。

無関心の反対を実践した人は、他にもいた。
マザー・テレサだ。

『「愛の反対は無関心」』
〔2012-12-13 18:30〕




アメリカ、ヨーロッパなど世界の国々の貧困地域
への無関心が、テロの温床となった。
世界の富裕国は決して、中東諸国に対して、
何も悪いことをしていないわけではない。
辛らつに言えば“無関心”という処刑を与えた
のだともいえる。(※)
ISのテロは、それに対する復讐のつもりなのだろう。
あれは、ただの悪事とは違うものだ。
彼らの、心の叫びなのだ。

私がもし、彼らの立場だったら、そうしたかもしれない。
他国が、どんなに正しいことを主張しようとも、
餓えには我慢できない。
他国の人たちの言う「正しい」と、真の理解とは、
必ずしも一致しない。


(※)
『国連・障害者権利条約とは』
〔2011-05-12 06:41〕




『フォックスの提唱と、キリストの教えとの共通点』
〔2011-06-01 22:02〕




『福島智さん憤りの発言 / 障がい者制度改革推進会議』
〔2012-03-02 00:10〕




あの回転ドア事故も同じだ。

「会社が複雑な組織になっていた」

から、あるいは

「コミュニケーションが足りなかった」

から、そうなってしまったという言い訳が、
警察の捜査から聞こえてきた。

その結果として、あの死亡事故が起きてしまった。

事故が起きることを予言していた障害者が、
少なくとも二人はいた。

一人が日本アビリティーズ協会会長 伊東弘泰氏。


『六本木ヒルズ回転ドア事故<10>
 成人健常者のみの、欲求満足の追求が招いた差別①』
〔2011-04-21 23:50〕


そして、もう一人が『シオンのお笑い建築UD評論』著者だ。

『お笑いの六本木ヒルズの欠陥』








【追記】(2015年3月26日)

あの事故の日が来た。

あの事故の日と同じように、今日も少し暖かな、
晴れた日だった。
その午前中に、事故が発生した。


『六本木ヒルズ回転ドア事故<2>
 事故が起きたとき』
〔2011-04-18 18:14〕



しかし、上の階にいる人には、そのまま上に一人で
いる限り、事故があった様子は知ることがない。

下に降りた誰かに、その事故のことを知らせて
くれない限りは。

つまり、超高層タワーのオフィスや住まいにいる人
にとって、これが問題点になる。

社会のなかで、人としての横のつながりが遮断
されてしまう建築物構造だともいえる。

災害時には、どうなることやら。
逃げ遅れて、死ぬ人もいるかもしれない。

そこに住む、働く人となる以上、まさに“孤高の人”
のようになってしまうのだ。

事故があったことも知らずに、昼食を取り、
午後の予定を始めた。
その日は、1時30分から、カリキュラム最後の
社内手話講習会だった。

講師は事故後に下の入口から入ってきたので、
その大勢の人が集まっている様子を目撃しており、
講習会の初めに

「事故か何かがあったようだ」

ということを話していた。
そして、無事、最後の講習会を終えると

「また皆さんとお会いできることを、楽しみにしています」

と挨拶し、締めくくっていた。

けれどもその後、社内手話講習会は二度となかったのだ。
始まったばかりの聴覚障害者理解への道は、
あっけなく絶たれてしまった。


緊急の社内連絡が入ったのは、午後3時頃だった。
しかし、全然実感がなかった。
勤務を終えて、事故現場である出入口を通ろうとした時、
ようやく、事の重大さを目にした。
聴覚障害者だから、実際に自分の目で見ないと、
わからなかったのだ。
これも、超高層ビルの弱点であろう。

このビルは、障害者に優しいビルではなかった。
そんなビルが、子どもや女性、お年寄りにも
優しくするなど、できるはずがなかった。


「挟まれたら即死する」

とも知らずに、危なっかしく動く回転ドアで
面白がっていた自分も、情けない。
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by bunbun6610 | 2015-03-23 22:53 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
あの事故から、今日で10年経った。

溝川涼君の10回忌だ。

あの事故のあった日から、森ビルの広報室は、
ほとんど徹夜の日々が続いた、と聞いた。

私は間接部門で働いていたが、それでも事故の
痛ましさが忘れられず、眠れなかった。
そして、私の怒りのペンが走り始めた。
電子日記を書くようになったのだ。

書いたもののなかには『抗議文書』もあり、
それはもちろん自分で、広報室の郵便物仕分け
棚に入れた。

後で、広報室社員の矢■という若者が、
私を見て笑っていた。
社長に向かって抗議文書を書いたのは、
社員数1000人を超える会社でも、私一人だったろう。
勿論、もしクビになるとしても、それも覚悟の上だった。

彼は、私の抗議文書を読んで、パソコンで私の顔写真
を確認したから、わかったのだろう。
彼は一年ほどして、森ビルを辞めてしまった。

あの事故をきっかけに、私は社会で暮らしている、
多くの社会的弱者について、よく考えるようになった。

犠牲となってしまった少年の死は、誰にも償うことは
できない。
できないからこそ、私たちは忘れてはならないと思う。

あの事故から、私のペンはもう、止まらなくなって
しまった。
それほど、私を変えるきっかけになった、衝撃的な
事故だった。
漠然としか思わなかった障害者問題を、真剣に考える
ようになったのも、それからだったのだ。
あの事故だって、よく考えてみれば“差別”が原因だろう。

「子どもだから仕方ない」

ではなくて

「子どもに対する差別」

だった、と思う。
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〔2014年3月26日撮影〕

今年も事故現場には、献花はなかった。
おそらく、8回忌までの献花は、森稔前社長からの
ものだったに違いない。
その翌年頃だったと思うが、森氏は社長職を退き、
その後、静かに亡くなられている。
今の社長は、事故当時は六本木ヒルズ・タウンマネジメント室
室長という役職に就いていた。
勿論、事故のことも知っているが。
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by bunbun6610 | 2014-03-26 22:18 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20051026/110125/

日経ものづくり雑誌ブログ
見える化と回転ドア事故「親の責任」論

2005/10/26 19:08
木崎 健太郎=日経ものづくり

先月(2005年9月)末,六本木ヒルズ回転ドア事故に関して
業務上過失致死罪に問われたメーカーとビル会社の責任者
3人に対する有罪判決がありました。

発生からもう1年半が経過しましたが,この事故では特に
「何が起こったか」を目で見えるように表現することが非常に
重要だったように感じます。

というのも,発生直後にインターネットのブログなどでは
「犠牲となった6歳児の手を握っていなかった親の責任は
問われないのか」という疑問の提示が少なからずありました。

もし当時から,どのような事故が起こったのかが目で見て
分かるような情報があれば(現実には無理ですが),
この疑問を持つ人はかなり減ったのではないかと思っています。

私自身は当時から「親の責任」を問うのは酷だ,
と思っていました。

ただ,ドアにはさまれないように親が気をつけていれば
事故は起きなかった,といわれたら否定しきれないとも
感じていました。

今から振り返れば「回転ドアに挟まって子供が死んだ」
という文字情報だけしかなかったから,実態がよく
分からなかった,だから自分の意見もはっきりさせられ
なかった,というところなのではないか,と思います。

意見が定まったのは,畑村洋太郎工学院大学教授が
立ち上げた「ドア・プロジェクト」の検証結果を見てからです。
NHKテレビの「NHKスペシャル 安全の死角~検証・回転
ドア事故~」では検証実験の様子をビデオで放送していましたし,
日経ものづくり2005年5月号「事故は語る 回転ドア
死亡事故の『真相』 進歩の過程で希釈された安全思想」
でも同プロジェクトの資料を用いて図示(その後単行本
「重大事故の舞台裏」に収録)しましたが,ダミー人形とは
いえ子供の頭部が回転ドアに“挟まれる”,というか
“つぶされる”状況は本当にぞっとするものです。

見た瞬間「これでは,親の責任はとてもではないが問えない」
と感じました。

定量的に言えば,挟まれた6歳児の頭部には8500Nもの
挟み力がかかりました。
子供の頭部が破壊される挟み力は1000N程度だそうですから,
その8倍以上もの衝撃があったのです。

ちなみに,普通の自動ドア(スライドドア)は352N。
同じ「ドアに挟まれた」という言葉でくくってしまっては
いけないような状況だったのだと思います。

電車でもエレベータでも,通常の家庭でも,ドア周辺には
何かと危険があることは周知の事実です。
それでも,自分を振り返ってみても,例えばクルマが
びゅんびゅん走る幹線道路の脇では子供の手を固く
握ろうと思うでしょうが,自動ドアのそばでそんなに固く手を
握ろうとは思いません。

挟まれた瞬間に命を落とすような恐ろしいドアが,
不特定多数の人が出入りするようなところに存在するとは,
私も全く考えていませんでした。

目で見てはじめて,その危険がどれほどのものか
分かったわけです。


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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20051028/110236/?ref=RL3

日経ものづくり雑誌ブログ
「見える化と回転ドア事故『親の責任』論」
に,私も一言

2005/10/28 20:24
荻原 博之=日経ものづくり

10月26日のブログ見える化と回転ドア事故「親の責任」論に,
非常に多くのコメントをいただきました。

当然のことですが,亡くなられた男の子の親御さんの
責任のあるなし(翻って,メーカーの責任のあるなし)
について両論あります。

ここではもう一度,事実を積み上げて考えてみたいと
思います。

当時6歳の男の子が母親より先に1人で回転ドアに駆け込み,
内部の仕切り部分と入り口の枠に頭を挟まれて亡くなりました。
実は,こうした「挟まれ」事故は,これが初めてではありません
(回転ドアによる死亡事故となると,これが初めてでした)。

特に,2003年12月には当時6歳の女の子が頭を挟まれて
軽傷を負い,回転ドアメーカーは新しいセンサを扉内に
設置したり子供の駆け込みを防止する簡易型のポールを
立てたりと,安全方策を講じたのです。

ところが今回の事故では,安全方策が十分に機能しません
でした。

事故防止用センサは,感知距離の設定の問題ですが,
亡くなった男の子を検知できないという死角がありました。

2003年12月の事故後に取り付けられた簡易型の
ポールについては,ぶつかれば動いてしまいますし
自動回転ドアとの間にはすき間がありました。

要は,危険源である回転ドアから「隔離する」というポール
本来の機能を果たさないものだったのです。

そもそも,挟まれというリスクは自動回転ドアによる
挟み力と相関があります。

挟み力は質量と回転速度の積でほぼ決まりますから,
質量が増えたり回転速度が大きくなる場合には安全方策
をより慎重に講じていく必要があります。

実際,事故当時の自動回転ドアの質量は輸入当時の
ほぼ3倍だったにもかかわらず,挟み力を下げるような
根本的な安全方策は採られていませんでした。

挟まれ力が異常に大きかったこと,それに対する
安全方策が不十分だったことなどを鑑みると,
やはりメーカーと管理側双方の責任は免れないと
思います。

一方,男の子の方ですが,「ポール側から駆け込んだ」
という行為は,メーカーの言葉にすれば
「通常の使用方法ではない」*ですし,社会的には
「ルールやマナーに則ったものではない」と言わざるを
得ません。

とすると,そうした行動を採った側にも,責任の矛先が
向けられるのは仕方ないことと思います。

ただし,この男の子の年齢は6歳ですから,その辺の
判断能力にはまだ疑問が残ります。

ここで初めて,親御さんの責任論が浮上してきます。
その責任とは何か。子供に対し社会のルールやマナーを
教える,ルールやマナーがある理由を教える,
ルールやマナーに従わせるといったことではないでしょうか。

手を引いていたか否かは,ルールやマナーに従わせる
ための一つの手段であって,第一義的ではないと考えます。

* PL(製造物責任)法の精神に立脚すれば
「合理的に予見できる誤使用」も,開発側は勘案する
必要があります。
「駆け込む」ことは,確かに通常の使用ではありません。
が,不特定多数の人が出入りすること,類似事故が
起きていることから,私は合理的に予見できる誤使用
だったと考えています

こうして今回の事故を改めて考えて思うのは,
技術とは両刃の剣であるということ。
技術は人を幸福にするためにありますが,
一つ誤った使い方をすれば凶器にもなりかねないのです。

人類の宝である技術をそうさせないためには,
技術を提供する側,そして技術の恩恵を享受する側の
双方がそれぞれに与えられた社会的責任を果たしていく
必要があると思います。

具体的には,技術を提供する側は,技術を可能な限り
安全に活用できる状態にして市場に投入しなければなりません。

それでもリスクが残っていれば,使用者側に対しそれを提示し,
安全に使うための一定のルールを設け,それを周知徹底する
必要があります。

今回の回転ドアの場合には残念ながら,両方が不十分だったと
言わざるを得ません。

とりわけルールについては,「駆け込まない」など社会のマナー
を拠り所とし,はっきり示されていなかった。

そして,そのルールを破ったときに,どんなリスクがあるのかも
明確に提示されていなかったのです。

一方,技術の恩恵を享受する側は,提供する側から示された
ルール,そして社会のルールをきちんと守る責任があります。

そのルールを理解できない子供に対しては,親御さんに
説明責任が生じます。

こうして技術を提供する側,享受する側の双方がそれぞれの
責任を果たすことにより,技術は人を幸福にするのだと思います。

最後になりますが,亡くなられたお子さまとご遺族には
心からお悔やみ申し上げます。




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「親の責任論」?!


>「一方,技術の恩恵を享受する側は,提供する側から示された
ルール,そして社会のルールをきちんと守る責任があります。」
(『日経ものづくり』の記事より引用)



それは当然ではあるが、この記事は一体、
人間というものをわかっている話なのだろうか。

少し極端な例えになってしまうが、
マナーを守らずに道路を渡っている老人は、
通行中の車にひき殺されても仕方がないのだろうか。
(マナーを守らなくていい、と言っているんじゃない)

少なくとも、彼らがもしも何らかの社会的弱者
だったとしたら、そんな意見を出すだろうか。
よく考えてもらいたいものだ。

こんな記事を書いた日経にひとこと言わせていただこう。
こういう論も「行き過ぎ」だということが、
わからないのだろうか。

「挟まれたら即死します」なんていう回転ドアを
つくるほうも、使っているほうも行き過ぎだ。

それを「両方に責任がある」と言うマスコミの意見も
行き過ぎだ。

本当に、マナーを守っていなかったからといって、
子供が殺されるのは仕方がないのだろうか。
大人中心の社会にとって快適な技術の享受のために、
そこまで犠牲にしていいものなのだろうか。

本当に子供がドアを通るだけで、
親は手を握っていなければならないほど、
用心しなかった親に責任があると言えるのだろうか。

この広い社会には子供だけではなくて、
老人や障害者だっているのだ。
六本木ヒルズは、日本をよく知らない外国人観光客
だって多い。

これはもう、日本の典型的な
「健康な成人男子中心の思考」
に固まっていると思う。
だから日本の会社では障害者や女性差別だって、
平気でまかり通っているのだ。

そもそも、何を最優先させるべきかが、
全然分かっていない連中だと思う。

「当社としては想定外でした。
すいません」

で済むわけがない。


東京電力の原子力発電所は、本当に大丈夫なのだろうか?!
国のガイドラインづくりに任せきりだと、
また回転ドア事故と同じ目に遭うことだろう。
国民が厳しい目で見ていくしかない。


六本木ヒルズ回転ドア事故  -「親にも責任」論に異議


当時、六本木ヒルズ開業前から、事故が起きて
停止するまでの1年余りの間、
あの回転ドアを毎日通っていました。

その体験で話すならば、毎日通っていると
慣れてしまうもので、それに自分の場合は
大人ということもあって、
死角があるんじゃないかとか、
本質安全に問題があったということなど、
そういった当初の不安などは、
全く気にしなくなってしまったものです。

いや、気づけるはずがありません。
メーカーも森ビルも、このドアの安全テストを
実施していて、安全性は十分保証済みだろう、
と私は思い込んでいたのです。

幾ら新しいものとはいえ、おそらく私だけ
でなくて、一般人の多くの人もそう思い込んで
いたのではないだろうか。

万一挟まれる事故が起きたとしても、
まさか死亡事故になるなどとは、
思ってもみなかったのです。

エレベーターに挟まれても、誰も怪我をする
ようなことはありません。
従来型のスライド式ドアはほとんどが安全な
もので、電車のドアに挟まれても同じです。

マナーが悪い駆け込み乗車をする乗客がいても、
です。
それがいいとは言いませんが、古いタイプの
ドアは安全だというのに、最新型のドアは
「挟まれたら即死します」だなんて、
そんなバカなことがあるだろうか。

現代の最先端の安全への技術というのは、
そういう設計になっているし、そういうものだと
誰もが思っているのではないでしょうか。

想定外とか、一定の基準を超える使用でも、
非常に寛容な設計によって、人の安全が第一に
守られていると思うのです。

ところが、回転ドアに関しては、
メーカーにこの意識が足りなかったと思います。

しかし、それだけではなく、管理する側も、
明らかに利用者の安全を守る義務を怠っていたと
思います。

それを示しているのが、回転ドア付近に警備員を
配置していたのに、事故当時はやめていた、
という事実です。

事故前から警備員を配置していたということは、
やはり危険性を認識していたはずです。
これが問題だったのです。

健常者には鈍感なことでも、障害者にはこの問題の
本質問題が何なのか、わかっているのです。(※)


(※)『お笑いの六本木ヒルズの欠陥』


(※)当ブログ
『六本木ヒルズ回転ドア事故<10>』
〔2011-04-21 23:50〕
参照。



あのドアを毎日通っていた人ならば知っていると
思うが、あれはドアが閉まると急に速度が上がる
設計になっていました。

それはおそらく、次の利用者が待たされる時間を
短くするためであったのだろう。

だがそれでは、万一、人が挟まれてしまった場合の
ことは考えていない、ということにもなる。
利便性第一に考えており、本質安全を無視して
いたのです。

この考え方は、福島の原発事故と基本構造が
同じだと思う。

あるテレビドラマを観て初めて知ったことですが、
太平洋戦争のとき、日本は“ゼロ戦”という
当時では最速の戦闘機を開発したという。

それも速く飛ぶため、軽量化を極限まで追求する
設計だった、という。
パイロットの命は考えていない日本の技術開発が、
そんなカミカゼ特攻精神的なのは、
今も変わっていないのではないだろうか。

「想定外」ではなくて、考えようとしない、
考えていないのが問題なのだろう。

何が

『回転ドア死亡事故の「真相」、
進歩の過程で希釈された安全思想』

だ。

そんな記事なんか書いて、ごまかすのか。
日経ものづくり雑誌ブログのほうこそ、
頭の構造がどうかしていると思う。




〔関連情報〕

人類退化論~だいじょうぶか大人たち?~
『森ビル元常務らに有罪 六本木ヒルズ回転扉事故』
〔2005/10/2(日) 午後 0:05〕

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by bunbun6610 | 2013-06-07 18:30 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
事故から9年。
事故現場付近に設置されている告知板のところには毎年、
献花が置かれていましたが、今年はありませんでした。

すでに社長が交代していることもあり、
事故のことは忘れ去られようとしているのかもしれません。
しかし現社長は、事故当時、六本木ヒルズ・タウンマネジメント室
室長の人です。


当時のことです。
事故が起きる数日前までは、警備員が、
まだ人の少ない朝から厳重に見守っていました。

やはり、このドアには何か危険性があるのだな、
と感じてはいました。

ところが事故当日になっては、警備員がいませんでした。
ビル管理側が警備の手を抜いた途端に、事故は起きたのです。

私は当時も、そして今も

「事故が起きる根本原因が未解決であっても、
あれさえなければ、おそらく事故は防げただろうに…」

と思ったものです。

涼君の小さな頭は、重さ1トン以上にもなる
回転ドアが加速中に、挟まれてしまいました。

一部の報道では「ほぼ即死状態だった」という。

しかし実際には、涼君は病院に運ばれた後も、
約3時間生き続けたという。

それは社内通知で、全社員が知っていました。

その間、涼君は一体、どんな痛みに耐え続けて
いたことだろうか。


警察の捜査が終わった後の事故現場には、
大勢の人が献花に訪れて、
そして数え切れないほどの献花が並べられました。

花だけでなく、オモチャやゲームソフトなども
置かれました。

その、ある献花に添えられた一文を思い出します。

「涼君、痛かったでしょう。
でも、よく頑張ったね。
天国に行ったら、いっぱい、いっぱい遊んでね」


事故の関係者は、皆こう言いました。

「想定外だった」

いやいや…。
わからないほうがどうかしているんだ…。

しかしそれ以来も、この言葉は、
その後の企業リスクが起こるたびに、
企業が言い訳として使うようになった気がしたものです。

この事故のことは、決して風化させてはならないものです。



〔参考情報〕
http://www.asahi.com/special/doors/TKY200403290106.html

http://www.asahi.com/special/doors/OSK200403290028.html

当ブログ『六本木ヒルズ回転ドア事故から8年』〔2012-03-26 21:26〕


2013年3月26日午後6時15分撮影
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by bunbun6610 | 2013-03-26 22:13 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
今日は六本木ヒルズ回転ドア事故から8年、溝川涼君の命日です。
事故現場に設置された献花台に花が供えられていました。

森ビルは、毎年、涼君の命日に業務中、全従業員が黙祷を捧げ、
役員は妙定院へ供養にも行っていると思います。
こうして、事故を永久に風化させない努力を続けていると思います。

昨夜のニュースでも、東京大学名誉教授・畑村洋太郎氏が
主催している危険学プロジェクト
(→http://www.kikengaku.com/public/aisatsu/top.htm)
の研究成果として

「本質安全を考えていなかった」

と話していました。
万一挟まれた場合のことを考えて設計(本質安全)しておらず、
「事故を防げばいいんだ」というセンサー(制御安全)のみに
頼りすぎていたことが、死亡にいたる重大事故を招いてしまった、
という見方です。
安全性を調べるテストが不十分だったと考えられ、
回転ドアの稼動後になってから、そのセンサーにも死角が見つかり、
メーカー側は改善の必要に気づいたのですが、
今度は管理会社の森ビルが

「回転スピードをもっと上げろ」

と言って聞かなかったとか。

営利目的優先、大人の身勝手なことが招いた死亡事故です。

安全の考え方には本質安全、制御安全の両方が必要ですが、
実用化には本質安全が真っ先に大切でした。

原発と同じです。
万一、全電源喪失した場合、どうやって速やかに冷却させるか、
という本質安全にかかわることを、日本の技術者はあまり真剣に
考えていなかったわけです。

森稔前社長が3月8日に亡くなられたという。
前社長は六本木ヒルズ安全対策本部長でしたが、あの事故後

「二度と回転ドアは使わない」

と言い、森ビル管理下の全てのビルから、回転ドアを速やかに撤去し、
安全性の高いスライド式ドアへ変更しました。
それからは、施設の安全を回復できたと思います。

原発は、そう簡単にはいきませんが、周辺に住みたいと思った
人は減ったのかもしれません。
そういう影響も考えられると思います。
原発のある地域は、果たして、何の影響もなしに存続し続けられる
でしょうか。

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by bunbun6610 | 2012-03-26 21:26 | 六本木ヒルズ回転ドア事故
 ―『人間のコミュニケーションの無限性と、危機を乗り越える力』―

回転ドア事故を体験する前まで、
私は障害者という自分の古い概念、
すなわち卑屈な自分の殻の中に
閉じこもっていました。

子どものころに聞いた「不具者」、
こういう言葉が差別語だということも知らず

「障害者は健常者よりも劣る人間。
だから誰にも迷惑をかけないように生きなくてはならない」

とか

「障害者は健常者の邪魔にならぬよう、
おとなしく働いているべき」

と考えていました。

私はいわゆる、誰が見ても「真面目な人間」でした。
でも、その真面目さは「正しい」という意味ではありませんでした。

他人から褒められていても
「それは表面的な善に過ぎない」
ということを、私は回転ドア事故で知りました。

自分の中にある劣等感や怯えは、
正しさの動機ではないとも気づいたのです。

私は

「あの回転ドアは、危ないんじゃないか?」

と気づいていたのに、会社の人の誰にも言う勇気が
ありませんでした。

その頃、私は自分の情報保障も通訳者支援も、
全く何も知りませんでしたから

「自分のような障害者は、周囲の健聴者と
コミュニケーションができなくて当たり前なんだ。
自分はこのまま一生、我慢して生きて
いかなくちゃいけないんだ」

と思っていました。

今思うと、それは大変な間違いです。
自分の悪しき殻の中に閉じこもっていただけに
過ぎません。

でも、聴覚障害者への情報保障や通訳について、
本当に何も知らなかったのだから、自分をそんなに
責めることはやめました。

むしろ、こうした状況を放置している社会に問題がありはしないか、
と気づくようになりました。

そのきっかけとなったのが、

 ・回転ドア事故、
 ・故佐々木正さん(→http://www.muse-meson.com/Ganesh/ganesh.html)、
 ・国連・障害者権利条約の新しい考え方

の3つでした。

「あの回転ドアは、危ないんじゃないか?」

と一人でも気づいたのなら、それが誰であろうと、
素直に他の人に伝えられる人間社会でなくてはいけません。

でなければ、ヒューマンセンサーなんて、あっても意味がないのです。

会社は、さらに範囲を大きくすれば社会全体は、
そうでなくてはなりませんでした。
人が大勢いるだけでは、ただ見ているだけでは、
事故は防げませんでした。

ここでも、人間社会で最も大事なのは、
そうしたコミュニケーションができる環境だったのです。

事故前の森ビルは、社内コミュニケーションがダメでした。
無関心は真のコミュニケーションを生みませんが、
その反対はコミュニケーションを無限に広げていきます。
大きな差があります。

それは、一人一人の努力から、また社会全体でも努力し、
築いていくべき、人類の大きな財産だと思います。

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by bunbun6610 | 2011-04-22 21:28 | 六本木ヒルズ回転ドア事故

 ―『回転ドア事故の真犯人 私の見解』―

事故の犯人を特定することは難しいということが、
おわかりだと思います。

これは、特定人物の責任にすることはできない性質の
事件だと思います。

裁判所も3人に有罪判決を言い渡したものの、
執行猶予つきでした。

理由が
「事故の責任を3人に押しつけるのは酷過ぎる」
というものでした。

私は、事故の真犯人は、目には見えないもの、
障害者差別問題で出てくる間接差別と酷似している、
と思いました。

その目には見えない真犯人を一応「魔の手」と呼ぶ
ことにします。

魔の手は、六本木ヒルズのオープン前から、
涼君に忍び寄っていたと言えると思います。

回転ドアについての国の安全ガイドラインがなかったこと、
ここからドアメーカーは安全基準を本質安全に重点を
置かずにデザイン重視、安全装置は制御安全のみに
頼るというお粗末さ、そういう隙から、怪物ドアが生まれた
のです。

さらにこれが、六本木ヒルズ森タワーに設置された後も、
今度は森ビルがその安全性能の試験を怠っていました。

ここでテストをやっていれば、
死亡事故は絶対に起きなかったのですが、
ここでも魔の手は簡単にすり抜けられました。
これは、人の重大な過失が原因です。

さらに、涼君が挟まれるまでの間、
報告されただけでも33件もの回転ドア事故が
発生していました。

しかし、それも森ビルが甘く見過ごし、
魔の手はさらに涼君に忍び寄ることになりました。

ドアメーカーが安全対策を申し出ても、
森ビルはデザインが不満だのと言って、
そのまま使い続けていたのです。

社長も
「すぐに安全対策をやりなさい」
とは指示しましたが、事後をきちんと見守って
いませんでした。

そして、3月26日午前11時半頃、
ついに魔の手は涼君に届いた、
と言えると思います。

外部有識者委員による事故原因究明では
「隙間事故」
と言っていました。

「このドアは危険なのではないか?」
と気づいてはいても、誰もすぐに安全対策を
やろうとしなかったところに、魔の手が入り込んだのです。

こういう隙間に苦しむ人は、何もこのような事故だけに
限らず、社会でのいろんなケースで、大勢います。

私は聴覚障害者ですが、障害者も隙間に苦しむゆえ、
このような事故に誰かが犠牲になりうることは、
誰しもわかるものです。

この事故は偶然ではなく人災だった、
と言いきれると思います。

事故の反省から森ビルは、
ヒューマンセンサーの重要性に目覚めました。

 ヒューマンセンサー →『森ビルの安全の取り組み』(2008年3月24日)
 →http://www.mori.co.jp/pdf/pdf_safety_05.pdf

ヒューマンセンサーと聞いたとき、
私はマザー・テレサの「愛の反対は無関心」という、
有名な言葉を思い出しました。

ヒューマンセンサーとは、私なりに解釈すれば
「隣人を見守る、一人一人の思いやりの眼」であり、
無関心の反対だと思ったからです。

魔の手とは、つまり人間の心の中に潜む無関心という
「脅威」だと言えるのではないか、と思います。

無関心は意外にも、隣人や、障害者も傷つけています。
国連・障害者権利条約でも、障害者に対する
「無知・無関心による差別」
を禁止しようとしています。

 ※(下は、仙台の障害者差別禁止条例〔わかりやすいと思うので〕)
  →http://blog.canpan.info/jyourei/category_11/ 

今起こっている原発危機についても、無関心は最も恐ろしい
悲劇を招く脅威になりうるということではないでしょうか。

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by bunbun6610 | 2011-04-22 21:13 | 六本木ヒルズ回転ドア事故

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610