東京ろう映画祭『新・音のない世界で』

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東京ろう映画祭
https://www.tdf.tokyo/




〔関連記事〕

『東京ろう映画祭 井上孝治写真展』
〔2017-02 -20 19:13〕
http://bunbun6610.exblog.jp/23664733/



ろう者とは、「聞こえない」という生き方を歩む人―。
「聞こえない」ことも、一つの生き方。


フランスといえば、ド・レペ神父が世界初の、
手話による指導を行うろう学校を創設した国
としても、有名だ。
ところがその後のミラノ会議で手話禁止の
世界潮流へ変わり、フランスも例外でなくなった。


〔参考情報〕

聾史を探る
『手話主義者にとって史上最悪の会議
 第2回国際聾唖教育会議(ミラノ会議)』

〔2010.07.15 00:35〕
https://roushi-wo-saguru.themedia.jp/posts/1779159?categoryIds=420678



フランスには現在16000人のろう者がいるが、
フランス語と手話のバイリンガル教育を受けられる
ろう児学校には、現在でも100人ぐらいしか
入れないそうだ。
こうした学校は、まだまだ特殊なのだ。
しかし、それでも手話は全世界で生き残っている。
コミュニケーションは、人間の命と切り離せない
ものだからだろうか。

手話を受け容れるというのは、
どこの国でも難しいという。

聞こえる教師が、口話法を教えるため、
ろう児教育は中途半端になりがちだという。
それが、ろう児の能力開花や人格的成長にも
悪影響を及ぼしている。


「双方が『わかったふり』をするという、
奇妙な世界を作り出したのは、一体誰?」

この映画を観ていたら、こんな疑問を抱いた。

この映画に出ているろう者は、ろう学校や家族に
「発音が上手いね」などとおだてられて、
健聴者の前では手話を使わず、
口話で頑張ってきた、という。

ところが大人になって社会に出る機会が増えると、

「君は話さなくていいよ。
君としゃべっていると、まるで女の子と喋っている
みたいで、恥ずかしいから」

と言われたという。
それ以来、彼はもう話すのをやめた。
日本でも、昔からよくろう者から聞かされた
パターンだった。
彼ももう、筆談一本にすることにした、という。
理解のある家族や友人以外とは。

「障害のせいにしている」のは、
健聴者のほうではないか。
ろう者は筆談ができるのに、
ろう者は正しい主張、意見を言っているのに、
健聴者は「いいよ、もういいから」と言って、
事をいつも曖昧にしてしまっている。
それが「問題」なのだ。
自分たちの優位性に胡坐をかいて、居直っている。
この社会の現実に、聞こえない人たちは
いつまでも付き合わされてきた。
そうした人生・・・・。
その中に、魂が引き裂かれそうな怒りと、
それを自ら抑え続けてきた苦しみが、
有り続けている。


この映画は、まだフランスと日本のみの上映だそうだ。


私は、今まで会社の上司に言われてきたことを
思い出した。
ある上司は、こう言っていた。

「私たちは、あなたに合わせることはできない。
あなたと会社との考え方が違う場合は、
私たちは会社に合わせる」

合理的配慮の限界である。
それはそうだろう。

「この障害は、個人の属性に過ぎないものだ」

と思われている。
そうなのかもしれない。
確かに、障害者もよく「障害は個性だ」と主張する。
それならば、それを受け容れるかどうかも、
相手側の自由だと言う。
それが自由社会だ。
だが果して、本当にそれだけだろうか?
「真の自由」とは、そういうものなのだろうか?

私には

「健聴者は障害と差別を混同し、
時には自分たちに都合良く使い分けている」

としか思えない。

『障害者差別解消法』があるからといっても、
この世界は障害者の為に回っているのではない。
彼(健聴者)にも、自分の生活、そして家族の生活、
自分の将来がかかっている。
会社に従って昇進の道を突き進むか、
それとも逆らって落ちるかしか、道は残されていない。
どこの会社にもあるのは、このギロチン台だ。
彼もその俎板(まないた)の上に乗せられているに
過ぎないのだ。
そんな状況で、「障害者にも合わせろ」というのが
酷ではないか。


また、ある上司は、冷静にこう言っていた。

「あなたを雇用していても、
この仕事では費用対効果が合わない」

そういう言い訳も聞かされた。
費用対効果が合わない業務ばかりさせて
(指示して)いるのは、会社の上司だというのに。


ユニクロの障害者雇用率が突出しているのは、
社長自らが障害者雇用を推進しているからだと
言われている。
つまり、トップダウンだったから、ということだ。
もし、ろう者雇用でも同じようにしたとしたら、
どういう結果になるだろうか?



こんな参考記事がある。


〔参考情報〕

プラス・ハンディキャップ
『障害者雇用って企業にとって実際どうなのよ?』
〔2013.7.11〕
https://plus-handicap.com/2013/07/1282/


例えば、「Sign with Me」という飲食店は、
事業主・従業員がろう者の事業所だ。
仮に、そこで働いているろう者と他の事業所で
働いているろう者を比較してみたら、
どちらのほうがよく働いているだろうか。
仕事をよくこなしているのは、
どちらで働いているろう者だろうか?
健聴者は、先入観だけで決めつけていないだろうか。



『ろう者スタッフによるカフェ運営(東京都文京区本郷)』
〔2012-02-01 20:27〕


『公用語が“日本手話”と“書記日本語”のカフェ』
〔2012-05-15 22:33〕



健聴者は、本当は怖いのだ。
手話を認めたら、今度は手話が分からない自分が、
逆の立場に立たされてしまうという事を
わかっているから。
もしかしたら、自分のそれまでの仕事を、
ろう者に奪われるかもしれない。
しかしその前に、双方が力を発揮した職場
というものを、考えることはできないのだろうか。
だから、その心の溝を何とかするほうが、
まず第一だ。

ろう学校の教師は

「どんなに子どもたちや親に満足してもらえる
教育ができても、学校を出たら皆、
社会で働くことになる。
そこでは口話がどうしても必要になる。
だから教育も、それに合わせざるをえなくなるのだ」

というふうに嘆いている。

会社は、会社に合わせられない障害者を
雇用したいとは思っていない。
カネを稼いでいる会社があって、
この社会は成り立っていると思い込んでいるのが、
現実だ。

社会でのトップダウンができていないからだ。
もちろん、こうしたトップダウンにするのは、難しいことだ。
しかし、一旦そうし始めたら、変わる可能性が出てくる。
それをやるか、やらぬかだ。




〔関連記事〕

『真の日本語教育とは何か ――ろう学校教育から考える』
〔2017-02 -18 23:30〕

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by bunbun6610 | 2017-04-09 23:28 | ろう者世界
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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