『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(2/2)

『モハメド・アリ語録[世界を揺るがした勇気のことば150]』(1/2)



「友情は、この世で最も説明しづらいものだな。
それは学校で教えてくれるものじゃない。
でもその意味を知らなければ、
実際何ひとつ知らないのと同じだよ。」(P180)

「ジョー・ルイスの生きざまを見ろよ。
もし彼が悪い奴だったら、
悪い奴として名を残しているはずだろ。
ところが、みんなジョーを愛していた。
黒人だけでなくミシシッピの白人労働者までもが
ジョーを愛していた。
みんな泣いていたよ。
それを見ればわかるだろう。
ハワード・ヒューズは億万長者だったが、
あいつが死んでも誰も涙を流さなかった。
でも、ジョー・ルイスが死んだら、
みんな声を上げて泣いたんだ。」(P183)

ジョー・ルイス…黒人ではジャック・ジョンソン以来、史上2番目の世界ヘビー級チャンピオン。親しみやすいキャラクターで、人種を問わず愛された。

「俺には世界一の親友がいるんだ。
ハワード・ビンガムだよ。
彼は何も求めない奴さ。
誰かが彼を必要とするときに、
いつもそこにいてくれるんだ。
彼みたいな奴は一人もいないよ。
彼は最高の奴さ。」(P184)

「バンディーニは街頭詩人であり、アリが絶えず利用した活力のもとであり、ぴったり自分の意味になるように、そしてアリに理解できるように、みごとに言葉を組み合わせた奴だった。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」これもバンディーニだ。彼はよくこう言ってたよ。アリとその仲間は、小麦粉、卵、砂糖で作られているケーキみたいなもので、自分は、つまりバンディーニはナツメグで、それにちょっぴり余分の風味を添えるんだとね。ときどきあることだったが、彼が酔っ払っているときは、問題があったかもしれんが、しらふのときは、彼くらい優しく、いい奴はいなかったよ。」(P191 フェルディー・パチェコ)

※ バンディーニ…ドリュー・ブラウンの愛称。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」は、ドリューが口ぐせのがオリジナル。シュガー・レイ・ロビンソンのスタッフもしていた。アリに苦言を言える人物として、数少ない存在だったという。ただし、数多くの問題を起こした人物だという。
※ フェルディー・パチェコ…アリの担当医。白人。

「みんなはアリが人のためにしたことの半分も知らないのよ。彼はキャンプにスパーリングパートナーを抱えていたんだけど、彼がまずやることは、その相手がちゃんとしていない場合は、お金をあげて、新しい服を買いにやらせることだったわ。一度、目を怪我したスパーリングパートナーがいたけど、世界中のどんなプロボクサーだって、そんなことがあったって、ほっとくはずよ。ところが、アリは彼を病院へ連れて行って、勘定を払い、ちゃんと面倒をみてやったわ。」(P193 ラナ・シャバス)

※ ラナ・シャバス…1962年から引退まで、アリの食事の世話をした女性。ある食堂で働いていた時、アリにスカウトされたのがきっかけ。

「動物たちの世界は平和で穏やかだ。
鳥たちの世界も平和で穏やかだ。
自然界のすべては、
人間を除き、完全にうまくいってるよ。
人間が苦しんでいるのは、
自然や神の掟に逆らった生き方をしてきたからだ。
世界中の憎しみ合いは間違っているよ。
国家なんて忘れることだよ。」(P194)

他人のために何かをするのは、
この地球上に住まわせてもらっている
家賃を払うのと同じことさ。
」(P195)

皮膚の色で人間が悪魔になるわけではない。
大切なのは心で、魂であり、精神なんだ。
」(P196)

「子供というのは、
さまよえる天使なんだ。
子供はとても神に近いんだ。
神のもとを離れてから、
あまり時間がたっていないからな。」(P197)

「俺たち人間どおしに、違いなんかないんだよ。
ヒンドゥー教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、
どんな宗教にも真実はある。
それに、ただのおしゃべりにだってな。
大切な宗教はたったひとつなんだ。
それこそ本物の宗教――愛だよ。
」(P198)



聖書の「神は愛」を思い出す。違う宗教といえども、もともとは同じ神を崇拝していたことは事実だ。


「人間の心ほど偉大なものはない。
何もないんだ。
金のように善良な心を持つ人間がいる。
金は銀よりきれいだが、銀はもっと役に立つ。
それに鉄のように不屈の精神の持ち主もいて、
鉄は頑丈だが溶かすこともできる。
石のようにタフなやつもいるが、石は割れることもある。
紙のような薄っぺらな心のやつは、
まるで凧のように吹き飛ばされちまうが、
それはちっともかまわない。
強い糸がついている限りはね。」(P199)

「我々がロサンゼルスにいたときのことだが、一人のベトナム帰還兵がビルの9階にいたんだ。その男はフラッシュバックを起こしていて、飛び降りそうな気配なんだが、警官は近づくことができないんだ。路上では見物人が「ジャンプ、ジャンプ」と叫んでいたよ。男は泣いていたな。彼はバルコニーにいたんだ。アリが男に近づいて、両手で抱きかかえて、連れ戻した。それから彼は男に服とアパート用にと1800ドルを与え、生きる場を与えてやったよ。」(P200ハワード・ビンガム)

「アリはどんなチャンピオンとも違っていたよ。彼のキャンプは世間に解放されていたんだ。フロイド・パターソンはチャンピオンだったとき、ライフルで武装した護衛付きでトレーニングしていた。ジョー・ルイス、ロッキー・マルシアーノ、ラリー・ホームズ、彼らはみな他人をシャットアウトしていた。だが、ディア・レイクには誰でもいつでも入っていけたよ。ある日、ハリーラがロープを張ったのを覚えているよ。人々は向こう側でアリに手を振っていてね、アリが彼らに「入って、こっちに来てくれ」と言ったんだ。誰かがロープを指さした。アリは、「誰がそんなものを張ったんだ?」と聞き、ハリーラが「私よ」と言った。そこでアリは彼女に、「そいつを外せ。二度と張るんじゃないぞ」と言ったんだ。まさにそれが彼のやり方だったね。まったく誰でも歓迎だったよ。」(P200~201 ブッカー・ジョンソン)

※ ブッカー・ジョンソン…アリの取り巻き。
※ ロッキー・マルシアーノ…世界ヘビー級王者史上、唯一全勝無敗のまま引退した、イタリア系ボクサー。
※ ラリー・ホームズ…アリの元スパーリング・パートナー。世界ヘビー級王者。
※ディア・レイク…1972年、アリがペンシルバニア州ディア・レイクに開設したトレーニング施設のこと。
※ ハリーラ…アリの2番目の妻。ベリンダ・ボイドのこと。「ハリーラ・アリ」はムスリム名。

「12歳くらいのある少年がいたんだ。その子は地元の病院に入院していて、白血病で死にかけていたんだが、父親と一緒にディア・レイクを訪ねて来たんだ。父親自身はアリが好きじゃなかったんで、そんなことはしたくなかったんだが、息子のたっての願いだったし、息子は死にかけていたんだ。父親が車でやって来たとき、私はたまたまキャンプの前にいた。彼は息子を車に残して、私に近づき、こう言ったよ。「失礼します。こんなお願いできるかどうかわかりませんが、チャンプがこちらでトレーニングしていると聞いたもんですから。チャンプにお願いして、何とか息子に会ってもらうことはできないでしょうか? 息子は白血病で死にかけているんです。医者の話では、もうあまり長くなさそうなんです」。私は「大丈夫、彼は会ってくれますよ」と言った。ところでその少年だが、治療のため髪の毛はなくなり、ひどく痩せて棒みたいだった。いかにも死にそうな感じだったよ。私はドアをノックし、なかに入って、事情を説明した。チャンプは「その子を連れておいで」と言った。彼はその日の午後はずっとその子と話したり、遊んだり、ふざけたりして過ごしたよ。そのあと、少年は病院へ戻って行った。だが、父親があとで私に会いに来てね、ほとんど泣いていたな。彼はこう言ったよ。「実は私はアリが好きでなかったんです。彼のことを知ってからずっと嫌っていたんです。誰かが彼をやっつけて、ぶちのめしてくれればいいといつも思っていたんですよ。だが、彼が私の息子にしてくれたことを私は決して忘れないでしょう。彼はいい人です。彼をあんなふうに思っていたことを申しわけなく思います」。」(P201~202 ラルフ・ソートン)

※ ラルフ・ソートン…ディア・レイクで雇われていた人物。無一文になっていたところでアリに救われ、施設の掃除係を任された。

「50になってもまだ20歳のガキと
同じようなことを言っている奴は、
人生の30年間を無駄に過ごしたってことさ。」(P205)

「年齢は、自分がどう思うかだ。
まだまだ若いと思えばまだ若いし、
もう遅いと思えばもう遅い。」(P206)

「ああ、本当に、俺はこれまで苦しかった。
苦痛を感じるんだ。
これからは新しい生活を送っていきたい。
俺は25年間もボクシングをやってきて、
身体を酷使してきただけなんだ。
それは人間を変えてしまうんだ。
俺も変わってしまった。
俺にはそれがわかるんだ。」(P209)

「俺は世界中を旅してきた。
どこに行っても、人々から何かを学んでくる。
子供を見れば、そんなに昔ではない自分の姿が見える。
老人を見れば、俺が彼らの仲間になるのは
それほど遠くないことだとわかる。
そして考えるんだ。
「俺はもうすでにこの人たちの一員なんだ」ってな。」(P211)

「どうしてこうなったのか、わかってるよ。
神さまがお示しになってるんだ。
俺がただの人間だと。
他のみんなと同じなんだと。
」(P213)
(パーキンソン症候群を患ったことについて、アリ自身が語ったこと)

「俺にとっての最もタフな試合は
ボクシングを引退した後にやってくる。
仲間を助けるという終わりのない戦いだ。」(P216)

「新しいタイプの黒人がどういうものか、
それを世界に証明する必要があったんだ。」(P217)

「俺は自分が最も偉大だと言ったが、
最も頭がいいとは言わなかったぞ。」(P218)

「モハメドはおそらく白人既成勢力と争って生き残ることのできたアメリカ史上最初の黒人でしょう。」(P225 アンドルュー・ヤング)

※ アンドルュー・ヤング…公民権運動家。マーティン・ルーサー・キングの最も親しい協力者のひとりで、南部キリスト教指導者会議(SCLC)の事務局長として活躍した。

「哲学的に言って、アリは自由な人間だった。おそらく史上最高のボクサーであるうえに、彼は自由だった。どんな人間でも自由でいることが歴史的にきわめて難しかった時代に、彼は自由だったのだ。アリはアメリカ史上最初の真に自由な人間のひとりだったよ。」(P226 ビル・ラッセル)

※ ビル・ラッセル…1950年代から1960年代にかけて活躍したバスケットボール選手。同じくNBA選手のカリーム・アブドゥル=ジャンバー、ジム・ブラウン(NFL)、ウィリー・デービス(MLB)らとともに、兵役を拒否するモハメド・アリを支持する、1967年のアスリート・サミットに参加した。

「彼はわが国で非常に敬愛された。スポーツマンとして、ボクサーとして、そしてひとりの人間として。彼の評価は常に高かった。しかし、彼とこんな形で会えるとは、想像したこともなかった。医療援助を携え、わが国の子供たちを励まし、病院を訪問してくれるとは。直接会えてたいへんうれしい。こうして会って、感謝を伝えられて喜んでいる。彼が強いことは見てわかった。またとてもやさしい顔をしているのもわかった。」(P227 フィデル・カストロ)

※ フィデル・カストロ…キューバ国家評議会議長。チェ・ゲバラらとともキューバ革命を成功させた立役者。アメリカの経済制裁を受けて物資に乏しかったキューバに、1996年、アリは50万ドル相当の医療品を持参して彼の地を訪問。カストロ議長と対面した際には、アリは特技の手品を披露。お互いに体を触れ合い、じゃれあったが、アリはカストロを前にして一言も喋らず、終始暖かい眼差しを向けていた。

「逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。最近では、体調を崩されているということを聞いて心配しておりましたが、こうして、かつてのライバルたちを見送ることは非常に辛いものです。あの戦いから今年で40年。6月26日が『世界格闘技の日』と制定された矢先の訃報でしたので残念です。」(P262 アントニオ猪木)

※ アントニオ猪木…アリの「東洋の格闘家で誰か私に挑戦するやつはいないか」の発言で、最初に名乗りを挙げたプロレスラー。力道山の弟子でジャイアント馬場と並び称される名レスラー。

「俺を英雄だと考えた人もいた。
俺がしたことは間違いだと言う人もいた。
だが、俺はすべて自分の良心に従ってやっていたんだ。
俺はリーダーになろうとしたわけじゃないよ。
俺はただ自由になりたかっただけだよ。
俺がやった抵抗は、黒人だけでなく、
すべての人が考えるべき抵抗だったんだ。

黒人だけが徴兵されたわけじゃないからね。
金持ちの息子は大学に行き、貧乏人の息子は戦争に行く、
というシステムを政府は作っていたんだ。
そして、金持ちの息子が大学を出たあとは、
徴兵年齢がすぎるまで、
軍隊に入らないで済むようなことをしていたよ。
だから、俺がやったことは自分のためだったが、
それはすべての人がやるべき決断だったんだ。
自由とは自分の信念を守ることができるということだが、
また善悪の選択に責任を負うということでもあるんだ。
だから、軍隊に入るかどうか俺が決断を迫られたとき、
俺はベトナムで人々が無益に死んでいるのを知って、
自分が正しいと思うことに従って生きるべきだと考えたんだ。
アメリカにアメリカらしくなってもらいたかったんだよ。

そして、いま、世界中の人々は、俺の信念に関する限り、
俺が自分にとって正しいことをしたと思ってくれているんだよ。」(P264~265)






『踏出力(とうしゅつりょく)』(著者;アントニオ猪木 発行所;創英社/三省堂書店)
より引用。


「更に追い打ちを掛けたのが、モハメド・アリの言葉だった。
「あれ(新日本プロレス『格闘技世界一決定戦』への参戦)はお遊びさ」
それを知った私はモハメド・アリを恨まないわけにはいかなかった。
モハメド・アリを蹴り続けた私の右足は剥離骨折していたが、モハメド・アリも試合直後、ホテルのエレベーターの中で倒れて、帰国後左脚血栓症で1ヵ月入院したのだ。それほど本気で闘ったにも拘らず、そう言ったのだ。
いくらビッグ・マウスとは言え、モハメド・アリの一言は世界中に配信され、影響力が大きい。ただ悔しかった。モハメド・アリへの恨みと、悔しさは長い間ダメージとして残り、モハメド・アリを思い出すたびに、私を苦しめた。
だが、ある時私はモハメド・アリのことを思い出しながら、こう思ったのだった。
私はモハメド・アリを3ラウンドで捕まえられると思っていた。
ところが、15ラウンド使ってもモハメド・アリを捕まえることが出来なかった。あれだけ蹴ったのに、モハメド・アリは最後まで立っていた。私が捕まえられなかったのではなく、モハメド・アリが捕まえさせなかったのだ。私も怖かったが、モハメド・アリも怖かったろう。それでもモハメド・アリは逃げることなく私を終始挑発し続けたのだ。
その時初めて私はモハメド・アリを認めることが出来たのだった。そう思うとモハメド・アリへの怨念は私の中からスーッと消えてなくなって行くようだった。私はこの時モハメド・アリを受け入れたのである。「試合をやれたことが最高。モハメド・アリに感謝しなければ」と思えるようになったのである。
その後、私がロサンゼルスに居を移してモハメド・アリと再会した時、「あんなに怖いことはなかった」とモハメド・アリも率直に語ってくれたのだった。
モハメド・アリ戦は私に多くのものを残してくれた。
モハメド・アリとの前哨戦で生じた心の葛藤は、人間的な成長をもたらしてくれたし、目前の敵との戦いは自分との闘いであることを私の中でより明確にしてくれた。モハメド・アリと闘った男として、世界的に知られるようにもなった。そしてモハメド・アリとの友情も手にすることとなった。」(P150~151)

「モハメド・アリと会えば、言葉をそれほど交わさなくても、眼と眼で分かりあえる部分が多い。私のテーマ曲『炎のファイター』は、もともとモハメド・アリの評伝映画『アリ・ザ・グレイテスト』のテーマ曲で、モハメド・アリが私にプレゼントしてくれたものだ。私の引退試合にモハメド・アリを呼ぶことになった時、彼のマネジメント会社は「私たちには理解できない、二人で勝手にやってください」と言ったそうだ。」(P151~152)

「(1995年4月28日から30日までの北朝鮮『平和のための平壌国際体育・文化祝典』で)
私はモハメド・アリを立会人として招くことにした。
しかし、アメリカ政府の許可が下りない。モハメド・アリはわざわざ断りを言うために来日した。
久し振りに会ったモハメド・アリは、パーキンソン病が悪化していて、夫人の手を借りなければバスのステップさえ昇り降り出来ない状態だった。
アメリカの政治判断が変わったのか、結局モハメド・アリにも北朝鮮に行く許可が下り、二人して北朝鮮の地を踏むことが出来たのだった。私たちは熱烈な歓迎を受け、報道陣のフラッシュを受け続けた。
するとモハメド・アリは、シャキッとなった。特に壇君窟(だんくんくつ)と言う名所で、百数段もある階段を夫人の手も借りずに登った時には驚かされた。スターと言う人種は人に注目されれば蘇るのだ。
私が何よりも嬉しかったのは、北朝鮮が3万人の外国人を招じ入れたことだ。国の門戸を閉ざしていれば、いらぬ誤解を招くだけだ。門戸を開いて交流が深まれば、可能性が広がる。このイベントは外交的に見ても画期的だったと思っている。
プロレスが行われた2日間で38万人もの観客が会場を埋め尽くした。北朝鮮国内のテレビ視聴率は99パーセントだったと言う。ある政府高官は「一夜にして反日感情がなくなった」と言ってくれた。
イベントに参加したのは、新日本プロレスをはじめアメリカのWCW、全日本女子プロレスである。私たちへの声援も凄かったが、それを上回る熱烈な声援を受けたのは全日本女子プロレスだった。
私はNWAの元チャンピオンであるリック・フレアーと闘った。彼は私が求めた激しく厳しい闘いに精一杯応えてくれた。」(P244~245)

「(1998年4月4日の引退試合〔対ドン・フライ戦〕で)
リングに立った私は、これから7万人の観客に向かって何を喋ろうかと考えていた。そこに、ウィレム・ルスカ、アンディ・フグ、ボブ・バックランド、勇利アルバチャコフと言った人たちやキラー・カーンやアニマル浜口、天龍源一郎、前田日明等が花束を持って上がり、労いの言葉を掛けてくれた。そして最後にモハメド・アリがリングに上がって来て、花束を贈ってくれた。その後、モハメド・アリのメッセージが読み上げられた。モハメド・アリ戦の時の通訳だったケン・田島が代読してくれたのである。心に沁(し)みるメッセージだった。」(P253)

[PR]
by bunbun6610 | 2017-08-11 13:55 | 人権、差別


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

カテゴリ

全体
はじめての方へ
街風景
自然風景
祭典
動物
食べ物
食べ物(ラーメン)
食べ物(カレー)
sweet
製菓の話
お酒
観光(北海道)
観光(関東)
観光(四国)
観光(中国)
観光(九州)


薔薇
紫陽花
聴覚障害
聴覚障害者心理
ろう者世界
難聴・中途失聴
難聴の記憶
手話
コミュニケーション能力
手話言語法
補聴器、福祉機器等
情報保障・通訳
情報保障・通訳(就労)
情報保障(テレビ字幕)
国連・障害者権利条約
社会
人権、差別
障害者問題・差別
原発問題
六本木ヒルズ回転ドア事故
バリア&バリアフリー
医療バリア&バリアフリー
障害者の経済学
運転免許制度への疑問
哀れみはいらない
だいじょうぶ3組
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
就職活動・離職
就労前の聴覚障害者問題A
就労後の聴覚障害者問題B
C.クレジットカード会社
D.伊レストラン
E.大手カー・ディーラー
F.最大手パチンコ店
G.順天堂
就労後の聴覚障害者問題H
M.大手ディベロッパー
R.五つ星ホテル
Z1.クレジットカード会社
職場の回想録
ブラック企業と障害者雇用
聴覚障害者版サムハル
Eテレ『バリバラ』
生活保護を考える
年金・無年金障害者の問題
人気記事(再掲)
雑談
未分類

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 10月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月

フォロー中のブログ

おばば奇譚
ボーダーコリー モリーが行く!
但馬・写真日和
九州ロマンチック街道
東京雑派  TOKYO ...
大目に見てよ
Photo Galler...
おっちゃんの気まぐれ絵日記
松浦貴広のねんきんブログ
qoo's life
poiyoの野鳥を探しに

検索

タグ

(444)
(226)
(97)
(58)
(53)
(52)
(40)
(31)
(13)
(7)
(6)
(5)
(4)
(2)
(1)

ブログパーツ