「手話はいのち」の意味は、何だろう?



最近、野澤和弘氏

(毎日新聞社論説委員、
障害者政策委員会委員、
障害者差別解消支援地域協議会の設置等の推進に向けた検討会座長)

の講演を聴いた。
その中に、次のような話があったと思う。



「千葉県の障害者差別解消条例をつくる時、ろう者はいつも
手話通訳者を連れて来ていた。
彼らにとっては、手話通訳者がいなかったら、
参加しても意味がなかったからだ。
他の人は、いなくても別に困らない。
みんなは、聞こえるから必要なかったのだ。
その時、手話通訳者の費用を、誰が負担するのかが、
話題になった。
そこで、

「申し訳ないが、その費用はろう者の自己負担でお願いします」

と求めた。
ろう者は、それに怒り、反対した。
そのろう者からは逆に、

「それならば聴覚障害者のシンポジウムに来て見て下さい」

と言われた。
行ったら、手話だったので全然わからなかった。
しかし、側には音声通訳や文字通訳があった。
それで、気がついた。
その通訳は、私(野澤氏)だけの為についていたのだ。
少数派への合理的配慮だった。
が、それも、実は違う。
自分が音声で発言すると、今度はそれを手話に変換して、
会場の皆に通訳した。
どちらが発言者になるかで、役割も変わるのだった。
役割の比重も違う。
それが、社会の中で起きている、差別の核心部分だと思う。

決して、少数派を追い詰めているのではない。
それが社会では気づかれていない。
加齢で障害者になる人だっている。
その人は社会参加した場面の中で少数派になり、
次第に言いづらくなることがあるかもしれない。
しかし、そうした中でも、できるだけ多くの人に恩恵を
与えることができるようにするのが、
障害者差別解消法の目的です。」


正確な内容ではないかもしれないが、大体こんな感じだった。


最近、全日本ろうあ連盟や、都道府県聴覚障害者連盟が
「手話はいのち」という言葉を頻繁に用いている。

https://www.jfd.or.jp/70kinen/kinenhi/about

私はその意味をまだ知らないが、スワンソンの

「人間が生きていくために必要なものは、
水、空気、食物、そしてコミュニケーション」

という、有名な言葉を思い出した。

『コミュニケーションは、人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕



聖書にも「手話」という言葉が出てこなくても、
言葉が命のように扱われている箇所が多数ある。
ろう者も「手話はいのち」と本気でそう思っているからこそ、
最近は手話を守るだけでなく、
権利として主張するのではないかと思う。

他の障害者だったら、耳も言葉もあるのだから、
コミュニケーションに苦労はしないことが多いだろう。
普通は皆、そんなコミュニケーションがあるのが
当たり前の世界で暮らしている。

しかし、手話を使うろう者にとってはこの世界は、
まだまだそんな当たり前ではないのだ。
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by bunbun6610 | 2017-03-26 13:36 | 手話言語法

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610