『ろう文化』の疑問点 - A県立ろう学校で育ったろう者
2017年 03月 25日
(2020年5月27日加筆記事。旧題名『「ろう文化」の疑問点』も新題名『「ろう文化」の疑問点 ー A県立で育ったろう者』に変えました。)
当ブログに、比較的アクセス数が高い記事がある。
『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕
なぜ、この記事に高いアクセス数があるのか、わからなかった。
だが、下の記事を読んで、これが理由の一つなのではないか、
と思えるようになった。
『ろう者の中には、「自分たちは障害者ではない。
手話という言語を使う民族だ。」
という人たちがいます。』
〔2015/9/2309:09:33〕
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=10150639210
確かに彼らは、聴覚障害者と呼ばれて難聴者等と
混同されることを嫌っている。
それでよく、対立したりしていた。(昔は特にそうだと聞いている)
手話についても
「難聴者が使っている日本語対応手話を“手話”
と呼ぶな。
"手指日本語”と言え」
と、大勢の聴講者がいる講演会で、よく話していた。
日本手話と日本語対応手話とを分けたがるろう者に多い。
(私は両者を分けたほうが、理解しやすいと思うだけで、
敢えて分けているだけなのだが。
『手話の歴史問題』(または『起源』)になっているようだ。
丁度、健聴者で言えば北方領土や竹島問題のように。)
他にも、ろう文化のことで思い出すのは、
例えば下の記事だ。
ろう者と健聴者とでは、文化が違う。
『NHK『バリバラ』 ここがヘンだよ! 健常者 第2弾 (2)』
〔2013-05-23 18:30〕
でも、だからといって、モノを投げたりするのはどうか?
なぜ、こうなったのか?
実は、私が働いている職場にも、このような人がいる。
ろう者Tさんだ。
Tさんが育った時代は、まだ今とは違い、『手話禁止時代』だった。
東北のA県立ろう学校を卒業した人だ。
学校では手話を厳しく禁止していて、
口話教育を徹底的に受けさせられた。
授業中に手話を使おうというものなら遠慮なく、
先生から手を叩かれたり、
両手に水を一杯に入れたバケツを持たされ、
授業が終わるまで独り立たされたり、
紐で両手を縛られたりするという、
厳しい体罰を受けたりした。
学校ではそんな時代の教育を受けて、
授業が全て終わると皆でバスに乗って「寄宿舎」に帰った。
そこでは先生がいないので、
皆、手話に戻ってしまっていたという。
つまり、手話を含む、ろう文化の源泉は、
正確に言うならろう学校ではなく、
ろう学校の寄宿舎だったようである。
手話を教えている所なんて、どこにもなかったので、
寄宿舎では皆、オーバーアクションの手話で自由に、
開放的に喋っていたのだという。
授業中にあった辛いことなども、
そこで手話で話していたという。
なかには、手話で先生の悪口まで言い合っていた、
という。
そうやって、彼らは手話を自然に覚えていったようである。
そして、Tさんにはもう一つ、特徴的な文化があった。
同じ聴覚障害者を呼ぶ時、机を思いっきり叩くクセだ。
大きな音を立てたり、振動を起こして伝える方法だ。
あるいは、部屋の電気を突然消したりする場合もある。
これは健聴者からはよく、驚かれる行為だ。
いきなり大きな音を立てれば、聞こえる人はビックリする
わけだし、そもそもそういう行為は誰が見ても、
激怒しているとしか、見えない。
完全に、誤解される原因だ。
職場の人から「勤務態度が良くない」と評価される場合も
あると思う。
だから同じろう者でも、女性の場合は「あれは良くないよ」
と言うものだが、男性にはこういう方法で人を呼ぶ場合が、
今でもあるのだ。
特に、昔のろう学校で育った人にはいる。
こういうことをするろう者は、その方法が良いか悪いかは、
考えていないようだ。
ただ、自分にはこの方法が当たり前だからと思って、
やっているようなのである。
周りの健聴者はそれを見ても「すごい人だな」
「聞こえない、喋れない人だから、仕方がないな」
と思っているのか、
それとも怖がって誰もTさんに近づかないのかわからないが、
とにかく誰も注意しないのである。
これはやっぱり、健常者が必要以上に障害者扱い
しているのと、
「手話という言語を使う民族だ」
とも、無関係ではなさそうなのだが。
正直に言って、手話を取り入れ、ろう者も正しい方向へ
導くべきだと思うのである。
(『手話言語法』の制定)
それが、現状課題点だと思うのである。
当ブログに、比較的アクセス数が高い記事がある。
『「聾唖(ろうあ)」という言葉の存在意義』
〔2012-02-28 20:20〕
なぜ、この記事に高いアクセス数があるのか、わからなかった。
だが、下の記事を読んで、これが理由の一つなのではないか、
と思えるようになった。
『ろう者の中には、「自分たちは障害者ではない。
手話という言語を使う民族だ。」
という人たちがいます。』
〔2015/9/2309:09:33〕
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=1&qid=10150639210
確かに彼らは、聴覚障害者と呼ばれて難聴者等と
混同されることを嫌っている。
それでよく、対立したりしていた。(昔は特にそうだと聞いている)
手話についても
「難聴者が使っている日本語対応手話を“手話”
と呼ぶな。
"手指日本語”と言え」
と、大勢の聴講者がいる講演会で、よく話していた。
日本手話と日本語対応手話とを分けたがるろう者に多い。
(私は両者を分けたほうが、理解しやすいと思うだけで、
敢えて分けているだけなのだが。
『手話の歴史問題』(または『起源』)になっているようだ。
丁度、健聴者で言えば北方領土や竹島問題のように。)
他にも、ろう文化のことで思い出すのは、
例えば下の記事だ。
ろう者と健聴者とでは、文化が違う。
『NHK『バリバラ』 ここがヘンだよ! 健常者 第2弾 (2)』
〔2013-05-23 18:30〕
でも、だからといって、モノを投げたりするのはどうか?
なぜ、こうなったのか?
実は、私が働いている職場にも、このような人がいる。
ろう者Tさんだ。
Tさんが育った時代は、まだ今とは違い、『手話禁止時代』だった。
東北のA県立ろう学校を卒業した人だ。
学校では手話を厳しく禁止していて、
口話教育を徹底的に受けさせられた。
授業中に手話を使おうというものなら遠慮なく、
先生から手を叩かれたり、
両手に水を一杯に入れたバケツを持たされ、
授業が終わるまで独り立たされたり、
紐で両手を縛られたりするという、
厳しい体罰を受けたりした。
学校ではそんな時代の教育を受けて、
授業が全て終わると皆でバスに乗って「寄宿舎」に帰った。
そこでは先生がいないので、
皆、手話に戻ってしまっていたという。
つまり、手話を含む、ろう文化の源泉は、
正確に言うならろう学校ではなく、
ろう学校の寄宿舎だったようである。
手話を教えている所なんて、どこにもなかったので、
寄宿舎では皆、オーバーアクションの手話で自由に、
開放的に喋っていたのだという。
授業中にあった辛いことなども、
そこで手話で話していたという。
なかには、手話で先生の悪口まで言い合っていた、
という。
そうやって、彼らは手話を自然に覚えていったようである。
そして、Tさんにはもう一つ、特徴的な文化があった。
同じ聴覚障害者を呼ぶ時、机を思いっきり叩くクセだ。
大きな音を立てたり、振動を起こして伝える方法だ。
あるいは、部屋の電気を突然消したりする場合もある。
これは健聴者からはよく、驚かれる行為だ。
いきなり大きな音を立てれば、聞こえる人はビックリする
わけだし、そもそもそういう行為は誰が見ても、
激怒しているとしか、見えない。
完全に、誤解される原因だ。
職場の人から「勤務態度が良くない」と評価される場合も
あると思う。
だから同じろう者でも、女性の場合は「あれは良くないよ」
と言うものだが、男性にはこういう方法で人を呼ぶ場合が、
今でもあるのだ。
特に、昔のろう学校で育った人にはいる。
こういうことをするろう者は、その方法が良いか悪いかは、
考えていないようだ。
ただ、自分にはこの方法が当たり前だからと思って、
やっているようなのである。
周りの健聴者はそれを見ても「すごい人だな」
「聞こえない、喋れない人だから、仕方がないな」
と思っているのか、
それとも怖がって誰もTさんに近づかないのかわからないが、
とにかく誰も注意しないのである。
これはやっぱり、健常者が必要以上に障害者扱い
しているのと、
「手話という言語を使う民族だ」
とも、無関係ではなさそうなのだが。
正直に言って、手話を取り入れ、ろう者も正しい方向へ
導くべきだと思うのである。
(『手話言語法』の制定)
それが、現状課題点だと思うのである。
by bunbun6610
| 2017-03-25 18:11
| 『手話言語法』の制定へ