映画『ブルベイカー』

映画『ブルベイカー』

知られざる塀の中の世界。
悲しき囚人たちに自由の光を注ぐため、
その男はやってきた。

製作年/劇場公開年; 1980年
監督; スチュアート・ローゼンバーグ
原作; トーマス・0・マートン、ジョー・ハイアムズ
主演; ロバート・レッドフォード


http://eiga.com/movie/48980/


http://www.weblio.jp/content/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC





「初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面(おもて)にあり、
神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
「光あれ。」
こうして、光があった。」
(創世記1章1-3節)
『聖書』(新共同訳/1987,1988)




これは天地創造の有名な話だが、
カトリック教徒・犬養道子氏によると、
他にも関連する意味があるそうだ。
新約聖書の部分でわかるそうなのだが、
「闇」とは、サタン(悪魔)とその勢力を象徴している、
という。
闇の中に神の言葉が入り、光ができた、
ということらしい。

預言者だかイエスの弟子だか忘れたが、
神の栄光を示して欲しい、と神に望んだことがある、
という。
それに対して神は

「神の光とは、闇の中に輝く
蝋燭の光のようなものだ。
私はそれで十分だ」

というふうに言われたそうだ。
勿論、人々はその答えに満足できなかったが。
周囲はサタンとその勢力によってつくられている闇だが、
それでも決して滅ぼすことができないひとすじの光、
それが神の強さなのだと、犬養氏の著書で知った
ことがある。

その話とこの映画は、非常によく似ているのだ。
間違いなく、リンクする。
だからおそらく、監督のスチュアート・ローゼンバーグは、
聖書をイメージして、この映画を作ったのだろう。
物語の最後をハッピー・エンドまで描かなかったのも、
それが理由だと思う。

映画を観ていても、誰もブルベイカーの急進的なやり方
に賛成する者は、おそらくいなかっただろう。
監督はなぜ、観る人に、こんなに苦しくなるような
映画に、あえて作ったのか。

ブルベイカーのやり方に反発する勢力によって犠牲となり、
死人が何人も出たのは、どうあっても彼の責任だ。
それでも、ブルベイカーの片腕として働いてきた
クームスが、最後に言った言葉

「あんたに言いたいことがある。
正しかった」

には、胸にジーンと来るものがある。
「正しい」とは、言い換えるなら「信頼」なのだろうか。

そしてブルベイカーが解雇後に、リリアンに言った言葉、

「真実は、政治とは別のものだ」

にも、観る人誰もが心打たれるだろう。

ブルベイカーは追放されたが、光はなお、
多くの囚人たちの胸に生きていた。
そして、彼らはついに、ブルベイカーの助けなしに自立し、
ウェークフィールド刑務所を憲法違反として、
裁判を起こした。
その結果、彼らは勝ったのである。

この生き方に、私も強い影響を受けている。
私も「向こう見ず」「変人」なのは、この映画の影響だ。
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by bunbun6610 | 2017-02-26 13:35 | 雑談

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