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蒼穹 -そうきゅう-

働く苦しみの違い

就労後の聴覚障害者問題(■社)

【聴覚障害者の働く苦しみは、健聴者とは違う、ということ】

「働く」ということは、聴覚障害者にとって、
いろんな問題を抱えてしまうことです。

健聴者だって、問題を多く抱えているし、
その質量がどうのこうの、と言うつもりはありません。

言いたいのは、抱えている問題の中身が“違う”ということです。

健聴者は、普通に仕事のことを考えていますが、それって、
私も昔は、本屋へ行って、いろいろな本を買って読んでは、
参考にしてきたつもりです。

例えば、デール・カーネギーとか、アレキシス・カレルとか、
アーノルド・ベネットとか、加藤諦三とか、
ビジネスで成功する本、人生の成功哲学書とも言われる、
いろんな本から、対人関係をよくする方法についても、
読んできました。
成功するか否かは対人関係にある、
といっても過言でないかもしれません。

でも「耳の聞こえない聴覚障害者がこれらを読んで、
果たして本当に実践できるだろうか?」
と疑問に思うようになったことも事実です。


実は先日、あるろう者から

「世界のお金持ちのやり方を見習えよ」

と言われたのですが、それが例えば、
こういった本に書いてある出世術のことなのです。

「人の悪いところを見るより、いいところを見て褒めろ」

とかね。

その人は具体的には、次のように話しました。

「筆談を頼むとか、あなたは甘い!
あなたが努力しないから、相手は筆談もしてくれないのだ。

例えば、飴玉を毎日持っていって、皆にあげる。
そうすると、だんだんと距離感が縮まり、
親切にしてくれるようになる人もいる。
自分はそれをしたから、周りに助けてくれる人がいた。
親切にしてくれない人もいるが、それでもガマンする。
怒ったら負けだから。

親切にしてくれるようになった人に、筆談をしてもらえばいい。
筆談してくれないからと言って、怒るあなたのほうが、
ワガママだ。」

このような考え方をする人もいるし、いろいろだと思います。

この話を聞いて、私は昔、新聞配達のアルバイトをしていた
ときを思い出してしまいました。

自分の受け持ち範囲のすべての家に、
新聞を毎日配達しなければなりません。
そのなかに、私が行くと必ず吼えまくる犬を
飼っている家があったのです。

それでどうしたらいいものか、先輩に相談しました。
先輩も一緒に来てくれて、鶏の唐揚を犬に食べさせて、
自分になつかせていました。

それを私も続けるうち、その犬は私が新聞を配達にきても、
吼えなくなったのです。

ビジネスの世界でも、道徳的にどうのこうのというより、
まず相互メリットに気づいてもらうことが大事
(「大事」というか、少なくとも「手っとり早い解決方法」)
なのかもしれません。

自分からメリットを与えれば、相手もそれを
してくれるようになる、という関係を自分からつくっていく。

そうすると、職場の皆が変わるというわけでは
ありませんが、誰か一人ぐらいは、自分の味方に
なってくれるかもしれません。

味方になってくれないからといって、その人を
攻撃してはいけません。

それをすれば、味方になってくれている人まで、
離れていくでしょう。

味方になってくれるまで、辛抱強くガマンし、
成功するまで方法を探り、試してみることだ、
というわけです。
そして、味方になってくれる人を少しずつ
増やす努力をすることだ。

「あんなにしたのに(してやったのに)」

という態度はダメです。

まぁこれは、戦略的実行なので、するほうも、
(初めのうちは)あまり気持ちよいことでは
ないのですが、会社は基本的に、お金をもらいに
行くところですから、そういう苦労をしなきゃ
いけないのは、当たり前なのでしょう。


そういうことは、私もわかっています。

でも人間同士の場合はモノをあげるという行為を
通してより、やっぱり音声コミュニケーションの
比重が圧倒的に大きいでしょう。

人間はやっぱり、モノをあげたりもらったり、
という関係からではなく、コミュニケーションで
関係を築く動物だと、つくづく思うのです。

つくづく・・・と。

耳の聞こえない自分が突然にこんなことを言って、
相手に筆談で言葉を書いてもらうことが、
喜ばれるとは思えません。

皆の話しに、まったく割り込めません。
割り込めば「この人、ヘンな人だな…」と
思って逃げる人もいるし、
「仕事中に邪魔しないで」と言われたりする。

皆はやはり、その人たちのおしゃべりと、
私との筆談は違う、と思っているのです。
親切な人がゼロというわけではないけれども…。

やはり筆談はどうしても必要に迫ったときしか、
お願いしにくいものです。

仕事中では特に、筆談をする状況にしてしまうことは、
ストレスを与えるほうが大きい、と思い、
遠慮してしまうものです。

そして自分だけ、自分一人だけ、
自然なコミュニケーションはできない、
と気づくのです。

それが一層、自分の胸に、重たくのしかかってくるのです。

それでコミュニケーションはせず、一生懸命仕事をすると、
褒められることもありますが、ただそれだけのことです。

そのうち、そんな職場、皆のこと、そんな関係が
嫌になってくるものです。

言わなければ改善しないが、かといって、言う方法も難しい。
試しに言ってみたところで、失敗の連続なのか、
結果が伴わないので、それも疲れてきます。
かくして問題解決を放棄せざるをえなくなります。
放棄するのではなく休めばいいのでしょうけれども、
とにかくそうしないと壊れるからです。
かといって、休むのに慣れ過ぎてしまうと、
もうどうでもいいようになってきてしまいます。
これは、本当に難しい作業です。

そんなときに頼れる、聴覚障害者版人生の
成功哲学書はないのです。
ひょっとすると、成功した人がいないから、
書いた人も未だいないのかもしれません。

「自分はいったい、何でこんなことに、
いつまでもハマったままでいるのだろう?」

と、疑問に思いながら、悶々とした日々を過ごし続ける。
やるせない気持ちで。
あるろう者は

「運命だから、しょうがない」

と言いました。
いつまでもこだわっていないで、ときには

「しょうがない」

と割り切らないと、精神的安定がえられない場合もあります。

天気は、自分で晴れにすることはできない。
晴れるか晴れないかは、誰にもわからないし、
できるものでもありません。
それは聞こえる人も、聞こえない人にも公平です。

でも、健聴者だけ、それができるかのように思えてしまい、
つい恨めしくなってしまうのです。

これは心の病気なのか?
それとも、単なる悩みの部類に過ぎないのかだろうか?

何もわからない。
だが、苦しい、ということはわかる。

この苦しみから逃れられる方法も、
自分にはまったくわからない。

究極の方法だが、もし死んだら、
この苦しみから逃れられるだろうか?
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by bunbun6610 | 2017-02-18 19:30 | 就労後の聴覚障害者問題Z1