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蒼穹 -そうきゅう-

『「烏合の衆」と「聖人君子」』

『「烏合の衆」と「聖人君子」』
同じ人間なのに、何で自分だけ聖人君子になり、
下等人間のために奉仕しなければならないのか?


昨年年末のNHKテレビで、
『関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅
~オーストリア・チェコをゆく~』
(12月30日〔金〕夜9:00放送)を観た。
http://www.nhk.or.jp/bs/sekiguchi-tabi/


その番組の中で、特に印象に残ったシーンがあった。
関口がウィーン駅で難民が(ウィーンの人から)食糧を
もらっている様子を見た。
その後に出会った建築家志望の若者に、

「あれを見てカルチャー・ショックを受けた」

というふうに話した。
するとウィーンの若者は、

「君は“受け入れ派”だって? もちろんさ。
拒絶は拒絶を生むだけだろ」

というふうに言った。
私もあれを観て、衝撃的だった。

日本にある差別は何なのだろうか。
日本人は長い国家歴史の中で、島国根性とか
単一民族国家独特の排他性を強く持っているとも
いわれている。
それが、他国の人や異文化を受け容れにくい
原因なのだとも。
差別を受けながらも、差別する人に対して
寛容派でいる人々には、こう言う人もいる。

「理解がないからさ」
――だから、彼らに理解されるようになるまで、
辛抱強く理解を求め、待つ。

しかし、こういう姿勢を貫くことに我慢がならなく
なった人には、逆差別、逆ヘイトなどで対抗する
人もいる。

言語的差別を受けているろう者にもいる。
言語的逆差別で応酬してやるのだ。
日本手話者の中には、日本語対応手話を否定
するだけでなく、攻撃する人もいる。
聴覚障害者が通う、ある国立大学の教授も、
まさにこれを

「あれは逆差別だ」

と言っていた。

そういうことが実際に起こっている世界で、
拒絶されていたり、差別を受けている人間が、
相手に同じことをやり返さないでいることが、
できるだろうか。

旧約聖書の『目には目、歯には歯』


『イラン、「目には目を」で男に失明刑執行
4歳児の視力奪った罪で』
〔2016-11 -16 21:00〕



にある通り、神はその頃の人間の弱さを
理解していたがゆえに、
その掟でよしとしたといわれる。

「やり返すのは許可する。
だが、同等のもので。
限度があることを知れ」

ということではないか。

クリスチャンとかでもない限り、相手にされた
悪行を「許す」なんてのは無理だ。
それでももし、それが本当の理想だと思うのなら、
クリスチャンになればよい。
でも、そう思わなかったら?
障害者は差別し、同じ健常者とは仲良くして、
互いに背伸びし合う健常者を見て、
感動することなんてできるだろうか。
そんなのは出来ない。
偉い人ほど、「人間は弱い生き物です」と言うが、
その通り。
私も弱い人間である。
差別をする人間を許し、自分は逆に素晴らしいことを
してやれるほど、立派ではない。
なぜなら、それは本当に強い心を持つ人間にしか
出来ないことなのだから。
強くなる、というのは何と、厳しいことなのだろうか。
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by bunbun6610 | 2017-01-02 09:59 | 就労後の聴覚障害者問題F