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蒼穹 -そうきゅう-

映画館の日本映画に日本語字幕がないことへの"怒り”

ある日、DVDショップに行った。
商品をよく見ると、最近発売されている商品には、
日本映画なのに日本語字幕が付いている。
これならば聴覚障害者も、
いつ買ってもすぐ楽しむことができる。

昔のVHSビデオテープ時代は、
日本映画には日本語字幕がなかったので、
わざわざボランティア団体に頼んで、
日本語のセリフをパソコンで打ってもらった。

私はそれを読みながら、本作品を観たものだ。
とても大変だった。
その苦労が懐かしい。

しかし、映画館で日本映画を日本語字幕付きで
観れる機会は、まだまだ限られている。
するとやはり、映画製作会社の社会的使命とは何か、
ということにも関心が向く。
障害者だからこその視点が出てくる。

障害者雇用で一日中、つまらない仕事をさせられ、
身も心もくたくたになって、わずかな給料をかせぐ。
そのお金で食べ物を買う。
そして気分転換に日本映画を観たい、と思うこともある。
以前にはディズニーの『ファイティング・ニモ』を観たい、
と思ったが、その作品は子ども向けのために
「日本語吹き替え」になっていて、諦めたこともある。

日本映画の場合もあいにく、日本語字幕がなかったり、
あっても上映期間が限られているために、
都合悪く行けない、ということもよくあった。

そうすると、自分は一体、何のために生きている
のだろうか? と考える。

「聴覚障害者は、生きている意味がない」

今年7月に知的障害者施設で殺傷事件を起こした、
植松容疑者が発した言葉を思い出し、重ね合わせた。

その通りだ。
自分が生きている意味などない。

でも本当は、その障害が原因ではなく、
社会が聴覚障害者を排除していることが原因だ。
私は毎日、それに対する怒りを抑えながら
(溜めながら)、生きている。
だからこそ、その我慢にも限界がある。
本心はいつも、健聴者に思いっきり、
復讐をしてやりたいのだ。
もはやそのためだけに、私は生きているのだ。
「喜び」というよりも「快楽」だが、私は今、
それにハマっているとしか、いいようがない。
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by bunbun6610 | 2016-12-02 20:00 | バリア&バリアフリー